連載「クリエイターのマスターピース・コレクション」Vol.7 劇作家・藤田貴大の“キャンプ道具”

演劇カンパニー「マームとジプシー」の主宰として、15年にわたり作・演出を手掛けている藤田貴大。人や土地が持つ記憶、時間と空間の流れ、会話といった普遍的なモチーフを扱いながら、「演劇の中でしか語られないこと」を描き続けてきた。今回は巡業の旅でも愛用しているというキャンプグッズを中心に、道具と演劇の関係性や、コロナ禍で感じた変化について、劇作家の視点で語ってもらった。

“自分達の空間”をどこにいても作れるように

--藤田さんの愛用品について教えてください。

藤田貴大(以下、藤田):今日は「ヘリノックス」のチェア、インナーテント、テーブルなどを持ってきました。ちょっと先に組み立てますね。キャンプ道具だけど、僕はアウトドアで使うというよりも、稽古場や楽屋で使っているんです。やっぱり、知らない部屋の備え付けの椅子に座るのって嫌じゃないですか。もともとあるスペースを、“自分達の空間”にしていくような感覚で使っています。

--空間を持ち歩くような感じですか。

藤田:そうですね。そもそも「マームとジプシー」の演劇には舞台美術っていうものがなくて、自分達の私物を配置するだけなんですよ。いわゆる「セット」をかっちり作るというよりも、自分達が持っているものを倉庫から引っ張り出して使うから、終演後に捨てるものがない。舞台上にある椅子1つでも、自分がよく知っているものを使いたいという意識があるんです。だから「空間を持ち歩く」っていうのはその通りで、そういうことをずっとやってきた感じです。

コロナ禍になってからは、さらに内側のことに気持ちが向いていって、「楽屋ってもっと重要な場所だったんじゃないか」と思ったんですよね。観客からは見えていない部分でも、そこに自分たちの空間があって、ちょっとコーヒーを飲んだり、簡単な料理をしたり、横になったり。そうやって「部屋」のようなものが配置されていることで、みんなの気も緩むんじゃないかなと。

--使っていて、いいなと感じるのはどういうところですか?

藤田:数分で簡単に組み立てられるし、椅子の高さや座り心地が全部違うから、気分に合わせて座り回れる(笑)。家の中で考えているような感じで、どこにいてもうろうろできるのが気持ちいいんですよね。それでいて、僕たちの製作スペースはプライベートじゃなく、あくまでパブリックスペースだっていう意識もある。開かれたみんなの場所だという感覚がありつつ、でも誰しもにとって人ごとではない空間にしたいというのは、舞台にも言えることなんですよね。そのせめぎ合いが楽しいし、劇場やリハーサルスタジオ、楽屋がセミパブリックであるという観点をいつも自分の中に持っておくことが、演出にも影響を与えていると思います。

--家と外の中間みたいな感じですね。

藤田:そうですね。だから、僕が気になっているものとか、いいなと思っているものを、その時取り組んでいる作品と関係がなくても、それとなくどこかしらに置いておいたりもします。キャストやスタッフに何がやりたいか、表現する意図を伝えるのも僕の仕事だけど、あんまり言葉だけでそれをやっちゃうと、簡単に説教じみてしまうから(笑)。今年、沖縄での製作を通して考えたことや対談集を収録した『Light house Dialogue』という冊子を「マームとジプシー」から出したんですが、それも「読んでね」というよりも、ただどこかにスッと置いておく。手に取る人がいてもいいし、手に取らない人がいてもいいくらいのムードで。

今日はツアー先にも必ず持っていくものをいろいろと用意してきたんですが、僕がいちばん見せたかったのは、この『HUNTER×HUNTER』の最新刊。いや、おこがましいですね。ジャンプに掲載されて、まだコミックスになっていないページをカッターで切り取ってまとめた“自作”の最新刊です。約3年半前に連載が休止になりましたが、その最後の回の掲載時からずっと肌身離さず、持って歩いています。海外へ行くにも、どこへ行くにも。連載再開を待ち侘びつつ、冨樫先生のことを唯一無二だと思って尊敬しているので、とにかくお身体が心配ですし、もう思う存分時間をかけて、納得いくものを描いてほしいです。

外にいながら内にいる感覚は、キャンプも劇場も同じ

--藤田さんがものを買う時に、選ぶ基準みたいなものはありますか?

藤田:最近わかったのは、なんていうか、役者さんをキャスティングするのと同じように“もの”を選んでるんですよね。例えばこのテーブルもキャストも、等価値に考えてみるんです。「道具と一緒にするな」みたいに言われるかもしれないけど、いくら役者さんが素晴らしくても、その横にある椅子がなんでそこにあるかわからない椅子だったら、何も成立しないと思うんです。だって演劇における観客は常に舞台の全体を見つめていて、その目には同時に人も“もの”も、空間の余白も、何もかも全部が映っているわけだから。こだわらないわけがないし、こだわらないにしても「こだわらない」というデザインがなされているはず。舞台に存在するからには、何であっても何らかの意図が必要だと思う。だから必然的に、もの選びもキャスティングと同じように大切な時間で、繊細になるんですよ。自分がそうやって、大切に道具と接していればそれが役者さんたちにも伝わる。演じるための、ただのツールとしてではなくて、“もの”のことも共演者だと思ってほしい。

--自分が何を持っていて、どうなりたいかによって選ぶものが変わってくる。「キャスティング」っていう感覚はわかるかもしれないです。

藤田:あ、そうなんですよ。別に演劇に限った話じゃなくても、みんな普段から生活や日常の中で“もの”をキャスティングしてるんですよね。「マームとジプシー」には「てんとてんを、むすぶせん。からなる、立体。 そのなかに、つまっている、いくつもの。 ことなった、世界。および、ひかりについて。」という舞台美術がテントだけの作品があるんですが、それは海外公演の旅にも持っていきやすいんですよ。アウトドアグッズってすごくコンパクトなのに、広げたときのインパクトがあって、どこにでも行けるというおもしろさがあるなってずっと思ってて。

--『てんとてん』は、森の中でテントを張っているというシチュエーションですよね。そういう状況だと、普段は話せないようなことが話せたりする。外であり内であるっていう感覚は、劇場や演劇っていうものと少し似ているなと思いました。

藤田:そうですね。森の中というのは、ただ広大で有機的な空間ってだけではなくて、箱庭的な空間性もありますよね。樹々に包まれているようで、そこでしか話せないことがある、みたいな。最近までツアーをしていた「cocoon」という作品でも、観客と役者さんとの間でだけ交わされる言葉があるような気がするんですよ。そこだけで交わされる秘密の、一度きりしかない時間が上演時間なのだとしたら、それは森の中でひそひそ声で語り合うようなイメージと似ているのかもしれない。

--どちらも日常やシステムからのエスケープというか、別の空間に行きたくなる感じがありますよね。

藤田:劇場ってもちろんインドアな空間ですけど、観客からしたら外に出ないと行けないところだから閉塞的な屋内とも言い切れなくて、そこがおもしろいですよね。子どもと大人が一緒に見れる演劇を作っていたときも思ったんですが、森とか海とかプールとか、レジャーに行くのと近い感覚が劇場にはあるのかなって。

--そういうところにいると、時間の感覚も変わってくる気がします。

藤田:劇場の中に展開されている空間性を前にすると、観客のみなさんはやっぱり普段の生活では味わえない何かを体感するんですよね。いつもとは違う時間の中でワクワクしているのが、わかる。コロナ禍になってソロキャンプとかも流行っていますけど、ここじゃない現実に行きたい、非日常を味わいたいっていうのが一層高まっているのかもしれない。外へ出て、いつもだと触れられないものに触れるというのは、衣食住と同じように、人にとって必要なことだと思うんです。例えそれが散歩だとしても、外の空気を吸いたくなるのが人だと思う。だから「不要不急」と言われても演劇を諦めたくないし、外へ出て、曖昧な何かを掴みたいという意識のある人達がこんな時代でも劇場に来てくれていることが、とても嬉しいです。

一度きりの奇跡みたいなものを待つ時間が、演劇という営み

--『cocoon』の東京公演がそうでしたが、コロナの影響で中止になってしまうことも多いです。日々状況が変わっていくなかで、どんな心境でいますか?

藤田:この3年間で、いろんなプロジェクトが中止になりましたね。未だに僕らも演劇界も打撃を受けているし、それにともなった仕組みもまだできてないから、厳しい状況は続いています。ただ、やっぱり必要とされているっていうのは感じるし、僕ら自身も演劇という営みがあってここにいるわけだから、やめるわけにはいかないよねって話しています。

あたりまえのように活動できていた演劇があたりまえじゃなくなったことは、いい面もあると思ってるんです。明日中止になるかもしれないから、観客も僕らもその1回にかける緊張感が以前とは全然違う。コロナ禍にならなくたって、演劇とは奇跡のような時間を待つ行為だなって思っていたんですけど、そのことに改めて気づかされたというか。むしろ演劇がもともと持つ性質が自分の中でも、世の中的にも再評価される機会になるんじゃないかなあ、と。

--藤田さんは子どもの頃から演劇をやっているからこそ、それができなくなるっていうのは大きな揺らぎですよね。でも、悪い面だけではない?

藤田:そうですね、10歳からやっていて、今がいちばん揺らいでる時期かもしれない(笑)。演劇ってなんだろうって考えるのは、子どもの頃からなんだけど、その延長線上に今のこの状況というのがあるから。ただ、演劇が成立するための条件が少し難しいだけで、演劇という表現自体のせいではないよなあとか、落ち着いて考える時間にもなっているんですよね。こうやって楽屋にテント広げてみると、役者さんの表情が変化するとか、そういうのもおもしろくて。演出って、いろいろな状況下でそこに集う人たちの気分を観測して、それを環境も含めてひたすら地道に調整していく仕事だとも思うんですよね。その視点も、精度も、このコロナ禍で全然変わった気がする。目を向けていなかったことに、目を向けられるようになった。

同じ演目を持ってツアーを回っていても、足を運ぶその土地によって全然違う作品になるんです。どこも響きが違うから、台詞も照明も音も、その劇場の特性に合わせて全部調整し直すんですよね。そこが映画表現とはまた違う、演劇の贅沢なところで。演劇はすごく流動的で、生きている、変化する余地のあるものなんです。どうしたって現在という時間に影響を受けやすいから。そういう揺らぎが演劇の個性でもあるからこそ、今の状況を必ずしもネガティブだけだとは捉えられなくて、むしろチャンスなんじゃないかとも思えるんです。

藤田貴大
1985年4月生まれ、北海道伊達市出身。桜美林大学文学部総合文化学科にて演劇を専攻。2007年に「マームとジプシー」を旗揚げ、以降全作品の作・演出を担当する。作品を象徴するシーンを幾度も繰り返す“リフレイン”の手法で注目を集め、2011年6~8月にかけて発表した三連作「かえりの合図、まってた食卓、そこ、きっと、しおふる世界。」で第56回岸田國士戯曲賞を受賞。以降、さまざまな分野の作家との共作を積極的に行うと同時に、演劇経験を問わずさまざまな年代との創作にも意欲的に取り組む。2013年、2015年に太平洋戦争末期の沖縄戦に動員された少女達に着想を得て創作された今日マチ子の漫画『cocoon』を舞台化。同作で2016年第23回読売演劇大賞優秀演出家賞受賞、今年は7月-9月にかけて、7年ぶりのツアーを実施した。演劇作品以外でもエッセイや小説、共作漫画の発表等活動は多岐に渡る。

Photography Takeshi Abe
Text Mayu Sakazaki
Edit Kei Kimura(Mo-Green)

author:

mo-green

編集力・デザイン思考をベースに、さまざまなメディアのクリエイティブディレクションを通じて「世界中の伝えたいを伝える」クリエイティブカンパニー。 mo-green Instagram

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