ポートランドで魔法使いと呼ばれる発酵の伝道師「Jorinji Miso」による“口福”な生活

アメリカで発酵食品が注目されて久しい。発酵リヴァイバリストで発酵オタクを自称するサンダー・エリックス・キャッツが初の発酵食品に関する書籍『発酵の基本 “Basic Fermentation”』を出版したのが2003年。その後も世界の発酵食品文化を巡る冒険記からより高度で専門的なレシピ本まで多数執筆しており、その中の1冊は『サンダー・キャッツの発酵教室』として日本語訳されている。

さらにアメリカの発酵食品を遡ると著者、アキコ・アオヤギとアメリカ人の夫、ウィリアム・ シュルトレフが1972年秋から日本国内で日本の大豆食品に関する研究を開始し出版した『ザ・ブック・オブ・トウフ』がある。そして、アメリカにみそブームを巻き起こしたと言われる『ザ・ブック・オブ・ミソ』が1981年に発行された。余談だがニューヨーク、マンハッタンのある老舗寿司屋のオーナー兼職人は、「1980年代は刺身、黒いのりで巻かれた寿司、みそ汁を食べることに抵抗のあるアメリカ人がたくさんいて、少しずつローカライズしながら日本食は今の地位を築いた」というから、現在の発酵食品を含めた日本食に対する関心と需要は40年近くをかけてじっくりと成長してきたといえる。次いで2018年、世界一のレストランとして知られるデンマーク・コペンハーゲンにあるノーマの発酵ラボによる『ノーマの発酵ガイド』が出版され、発酵はより独創的で洗練された料理手法として紹介された。

コロナ禍で第3次発酵ブームといわれる日本と海外でそれぞれに進化している発酵食品だが、点と点をつなげるような活動をした日本人料理研究家が舘野真知子だ。舘野は日本国内でみそや塩麹、甘酒等、発酵食品の書籍を出版し、60年以上にわたって放送されている料理番組に出演した。誰にでも簡単にできる家庭料理として発酵食品を啓蒙する活動は、日本の他にポートランド、ニューヨークにも及ぶ。2019年に出版した『きちんとおいしく作れる漬け物』の英語版『Japanese Pickled Vegetables』は重版となり、シンプルでおいしく誰でも作れるレシピを追求した料理法は国境を超えて評価された。数年前、ニューヨークで行われた漬け物のレクチャーイベントで舘野は「日本人にはない個性的な発想で発酵料理を楽しむポートランダーと接する中で発酵食品の可能性を感じた。次は甘酒を広めたい」と話した。ポートランドと発酵食品の関係については、2009年に始まった「フェルメンテーション・フェスティバル(発酵祭)」がある。舘野の友人でありポートランドで昔ながらの製法でみそ作りをする「Jorinji Miso(成林寺味噌)」のオーナー、ミガキ夫妻を介してこのイベントに2度参加し、発酵好きなポートランダーとの交流を深めたという経緯がある。

Jorinji Miso(成林寺味噌)
オレゴン州ポートランドで生まれ育った日系三世のアーネスト・ミガキと、2015年にポートランドに移住した日本人の由利・ミガキ夫妻が営むSoy Beam Jozoのみそブランド。自然発酵にこだわる少量生産で、オレゴン州ポートランド近郊のスーパーや飲食店への卸売りの他、月に1度の直売会やイベント、また夏期を除いたアメリカ国内への発送等、直接販売にも力を入れている。
https://www.jorinjimiso.com/

創業27年、縁が繋がり今に受け継がれるポートランド生まれの「Jorinji Miso」

「Jorinji Miso」は、1995年にポートランドで生まれ育った日系アメリカ人三世のアーネスト・ミガキと彼の最初の妻、日本人のスミコが設立した。生粋のポートランダーであるアーネストは日本に職を求めて移住した後にスミコと出会い、1994年に2人でポートランドへと戻ってきた。当時のポートランドには、今のように手作りのみそが手に入る場所がなかったために納得のいく日本食を自分達で作ることを決意する。日本から持ち込んだ指南書と道具を使い、いくつもの試作を経て完成したみそは試食した友人達に絶賛され、この経験が「Jorinji Miso」誕生のきっかけとなった。しかし、その後、地元のオーガニック・スーパーの店頭に並ぶほど人気を集めていた矢先にスミコが急逝。喪失感と不安の日々を送っていたアーネストだったが、地元のファーマーズ・マーケットでみそを使ったパティスリーを販売する友人のミオ・アサカ等の励ましで懸命にみそ作りを続けた。

そして2015年、東京からポートランドへ留学していた大江由利は、ミオをきっかけに「Jorinji Miso」の存在を知ってアーネストと出会い、工房を手伝い始めるようになる。翌年には公私ともにパートナーとなった。由利・ミガキは「Jorinji Miso」との出会いについて「ポートランドにこんなにおいしいみそがあることは嬉しい驚きだった」と当時を振り返る。

「Jorinji Miso」のみそ蔵には、創業当初に地元の新聞に取材された時の切り抜きが貼ってある。その理由について由利は「3人でみそを作っているという気持ちがあり、スミコさんは私達がおいしいみそを作れるように見守ってくれている」と語る。由利は日本の短大を卒業後20年間務めたシステムエンジニアの知識と、前述した料理家の舘野がシェフとして働いていたファームトゥテーブルのレストラン「六本木農園」のマネージャーだった経験を生かし、「Jorinji Miso」のパッケージやブランドロゴのデザイン、みその製造スペース、環境管理等を5年かけて一新、そのなかでも創業からずっと使ってきたラベルを変えることはスミコのことを考えると一番大きな決断だった。「今が一番楽しい」と笑顔で由利が話す通り、ポートランドでのみそ作りや試食のデモンストレーション、ウェブサイトで紹介するレシピには今まで培ってきた経験や知識の集大成のように見える。“ミソ スープ”の類いではないメニューは、みそマヨネーズソースの上に色とりどりの野菜とマッシュルームをのせたトルティーヤ・ピザといったフュージョンスタイルで、料理作りが楽しくなるものばかりだ。

日本人らしい美意識や心遣いを感じるポートランドのみそ作り

生みそにこだわると当然販路が制限される。「Jorinji Miso」はポートランド近郊の限られたスーパーと公式サイトで販売しているが、大規模な仲介会社にまとめて商品を卸すことはせず、地元の小規模な配送会社を利用したり直接配達するなどして極力注文から顧客の購入に至るまでの時間を短くするよう工夫している。その理由はできるだけ無駄が出ないようにするためで、容器への充填(みそ詰め)も極力注文を受けてから行っている。「みそがもったいない」と話し、みそ樽の表面部分にあるカビを丁寧に取り除きながら熟成加減を確認する。どんなに丹念に仕込んだとしてもある程度のロスが出てしまうことが残念と話す。「おいしくなるんだよ」と声をかける理由も菌は生き物だから。あらゆる手間を惜しまないものづくりに心を動かされる。

また、こだわりはみそ作りだけではなく容器やラベルにも見られる。スーパーで販売するみそは一部の店舗を除きプラスチック容器を使っているが、直売はグラスジャーと紙容器のみ。ラベルは剥がれやすいシールにすることで、購入者がグラス容器をリユースしやすいようになっている。言われなければ気付かない、細部まで妥協しない姿勢は日本人らしい美意識や心遣いを感じる。

一方で、地元のレストランからみその作り方を求められれば、惜しみなく教える。由利は「みんながみそを作ってくれるようになればいい。ポートランドが日本の次にみそ作りをしている街になったら楽しい」と語り、日本人としての誇りを持って、本物のみそと発酵食品文化を伝えている。実際に地元の学校やコミュニティーのみそ作りでは「Jorinji Miso」の麹が使われているという。みそをお湯で溶かしたもので満足する顧客や発酵食品に神秘性を感じ、由利とアーネストを「魔法使い」だと思っている人などユニークなポートランダーとの交流もあるという。確かにみそ作りの過程は知れば知るほど興味深く不思議だ。同じ土地で同量の材料を使ったとしても作り手によって仕上がりに差異が生まれる。以前、日本のみそ職人から「菌は人を選ぶから、作る人の心が整っていないとみそが作れない」と聞いたことがある。

すでにニューヨークでは寿司やラーメンだけでなく、だしやうまみ等、日本特有の味覚が広く知られている。日系二世の父と、青森出身の母を持つアーネストは、手作りのみそ汁と漬物で育ったものの、当時は今のように日本食レストランや日本の食材が手に入る場所はほとんどなく、大学時代のカフェテリアの乾燥したピザやハンバーガーにもうんざりしていたという。25歳の時に仕事で横浜に移住してから牛丼や焼き鳥、立ち食いそば、和菓子等に出合った時には「ポートランドで食べていた日本食はほんの一部」だったことを知る。そんなアーネストに現在のポートランドでの日本食とみその認知度を聞くと、「アメリカのオーセンティックな発酵食品と日本食が混在している。グルテンフリーやヴィーガン等、多様な食文化に合わせて消費者の嗜好も変化しているが、今は少し落ち着いている。次はどんなトレンドになるのか気にしているが、自分達の納得のいくみそを作り続けるしかない」と語った。

Cooperation Kazumasa Kobayashi

author:

NAO

スタイリスト、ライター、コーディネーター。スタイリスト・アシスタントを経て、独立。雑誌、広告、ミュージックビデオなどのスタイリング、コスチュームデザインを手掛ける。2006年にニューヨークに拠点を移し、翌年より米カルチャー誌FutureClawのコントリビューティング・エディター。2015年より企業のコーディネーター、リサーチャーとして東京とニューヨークを行き来しながら活動中。東京のクリエイティブ・エージェンシーS14所属。ライフワークは、縄文、江戸時代の研究。公式サイト

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