「リアル版ロールプレイングゲームのような毎日。ドラクエよりスケボー」。日本のスケートボード界のパイオニア、岡田晋インタビュー

日本人として初めてアメリカのスケートカンパニーから世界デビューを果たし、以降、日本のスケートボード界の発展に広く貢献してきた岡田晋。その岡田が、自伝小説『眼鏡とオタクとスケートボード』を出版した。悩みを抱える少年とスケートボードの出会いから、伝説的スケートチーム、NEW TYPE(ニュータイプ)への加入、アメリカのスケートブランド「プライム(PRIME)」のビデオパート出演など、世界に飛躍するまでの濃密な数年間が記されている。

書籍のリリースに合わせて、スケートボードを始めた当時を振り返りながら、岡田にじっくりと話を聞いた。

岡田晋(おかだ・しん)
1977年東京都生まれ。中学2年から本格的にスケートボードを始め、1994年に日本人として初めてアメリカのスケートカンパニーから世界デビューを果たす。以来、世界リリースのスケートビデオに10本以上出演するなど、日本のスケートシーンの進化と構築に貢献。現在は、「アシックス スケートボーディング(ASICS SKATEBOARDING)」のチームプロデューサーも務めるなど、スケートボードの普及に貢献している。
Instagram:@shinokada77

スケボーしかなかった。学校でみんなが興味を持つものにハマれなかった

――自伝小説『眼鏡とオタクとスケートボード』を出版した経緯を教えてください。

岡田晋(以下、岡田):今回の書籍は、形になるまで10年寝てしまっていたんですよ。というのも、10年ぐらい前に書籍化を目標に、ウェブサイトにブログとして書いていたんです。でも、当時は書籍にすることはできなくて、その後もいろいろな人と話したりしてたんですけど、箸にも棒にもかからずで……。それが、10年たって松さん(=『HIDDEN CHAMPION』編集長、松岡秀典)にポロッと話したら、「来週ディズニーランドに行こうよ」みたいなノリで一瞬で作ることが決まったんです。本当人生って何があるかわからないですよね。この本を出しやすいタイミングは10年前じゃなくて、今だったんでしょうね。

――この書籍には、(岡田)晋さんがスケボーを始めた10代の頃の話が書かれていますが、改めてスケートボードとの出会いを教えていただけますか?

岡田:はやりです。小学校の頃、光GENJIが人気でローラースケートがはやってて、そのあとにSMAPがスケートボーイズという名前で出てきて、ローラースケートと一緒にスケボーもおもちゃ店に並ぶようになったんですよね。そのスケボーを友達が遊ぶ時に持ってきたのが最初の出会いです。小学5年の頃ですね。トニーホーク(Tony Hawk)っぽいロゴが書いてあったんですけど、プロショップで買うスケボーとは違う、プロボードの量産版みたいなものでした。

――その後、本格的にスケボーを始めたのはいつですか?

岡田:中学2年の始めですね。大矢尚孝(以下、尚)っていう1つ年下のスケーターと出会って、本当の意味でスケボーっていうカルチャーに触れるようになりました。その尚が中学に入ってきて、スケボーでジャンプできるっていううわさが校内に流れたんですよね。それで尚に声をかけて、本物のスケボーがどこで売っているのか聞いて、スケビ(スケートビデオ)を観せてもらったり、スケートショップに連れて行ってもらったりしました。そこからは学校に行っている時間以外は全部スケボーで、帰ってきたら寝るの繰り返し。ずーっとやってたからご飯食べたら眠くなるんですよね。20時30分とかには寝てた。「もう寝んの?」って家族に笑われてました。もう学校から帰って5分ぐらいで着替えて日が暮れるまでひたすらスケボー。土日は午前中から門限までずーっと滑ってた。そんな生活でした。

――「今日はいいや」って思うことはなかったんですか?

岡田:ない。本当に1日もなかったです。スケボーしかなかった。学校でみんなが興味を持つものにハマれなかったんですよね。みんな、前の日に観たドラマとか歌番組の話をしたり、好きな女の子の話をしたりしてたんですけど、それに全然満たされなくて。欲求不満というか、刺激が足りなかったんですよね。それで、学校の中で刺激を作り出さなきゃって思っていろいろやったんですけど、空回りして腫れ物扱いをされたりもして。

――そのような人間関係の悩みも書籍に書かれています。思春期の少年がスケボーと出会って飛躍していく姿は、まるで『少年ジャンプ』の漫画の主人公のように思えました。

岡田:それは、俺がダメなヤツのテンプレみたいなヤツだったからでしょ(笑)。スケボーに出会ったから、スイッチがそっちに入ったけど、出会わなかったら全然違ったと思います。まあ、どちらにせよ学校の中ではなじめなかっただろうけど。

スケボーにハマれたのは、学校以外の世界が広がったからだと思うんですよ。滑りに行けば行くほどうまい人がいるし、いろいろな世界が見えてきた。スケートショップで観たアメリカのスケートビデオの中の人達も、現実の世界で突き詰めていったら、いつかつながるんじゃないかなって思ってました。それぐらい毎日さまざまなことが起きていたし、周りの人達がほとんど年上だったし。そういうのが楽しかったんでしょうね。リアル版ロールプレイングゲームのような毎日。ドラクエ(=ドラゴンクエスト)よりスケボーでした。

――「いつかつながるんじゃないか」ということを、思うだけで終わらせず、どんどん実現させていったのがすごいです。

岡田:信じる気持ちが強かったんだと思います。絶対につながれるはずだとか、絶対にチャンスがあるはずだとか、絶対にあそこにいけるみたいな。裏庭で見つけた宝の地図を本当に信じちゃってた感じかな。それまでずっと欲求不満で、何をやっても満たされなかったけど、スケボーだけは楽しかったし、「これだ」と思ったスケボーが沼のように深くて、どこまでも潜れるから、どこまでも潜りたくなって、とにかくずっと滑ってた。刺激の種類が合っていたんでしょうね。

――スケートを始めた頃はメガネがコンプレックスだったとも書籍には書かれていますね。

岡田:当時、メガネをかけたスケーターは数人しかいなくて。徹くん(スケーターの吉田徹)はメガネをかけていてもマジでカッコよかったけど、オシャレでメガネをかけるなんていうのは当時はなかったし、「眼鏡=のび太くん」だし、田舎くさいヤツの象徴でした。

俺も全然垢抜けてなくて、(書籍の表紙イラストを指して)本当にこのまんま。当時はとんがっている人だけがスケボーをやっていたから、「なんだコイツ、ちんちくりんの変なヤツがきたぞ」みたいに思われていましたよね。

『眼鏡とオタクとスケートボード』の表紙の元になった少年時代の岡田

衝動みたいなものにかられてブワッとやっちゃうヤツが世界に行くんです

――書籍に書かれている時代から長くスケート界で活躍されてきましたが、当時と今で変化を感じる部分は多いですか?

岡田:難しいですね。ずっと進化してきたのを見てきて、すげー進化したなとは思いますし、オリンピックを経てフェイズが上がったと感じますけど、プレーヤー目線で見ると、プロになっていく人のバイタリティ、モチベーション、考え方みたいなものは当時も今も変わってないかな。

どんなにSNSが進化しようが、オリンピックの競技になってみんなが注目しようが、プレーヤーとして上がっていくために大事なコアな部分は何も変わっていないと思います。

――それは、うまくなりたい、大会で勝ちたいといった気持ちのことですか?

岡田:そうです。あとはビデオを撮るといったアクションも。気持ちと行動と持続力がかみ合い、いろいろなことを考え過ぎずに、衝動みたいなものにかられてブワッとやっちゃうヤツが世界に行くんです。「ビデオあるなら撮ろうぜ」「撮るならやべえの撮ろうぜ」「やべえの撮ったら渡そうぜ」「大会あるなら出て勝とうぜ」みたいに、とにかく全部やるんです。全部で自分を全力で出して、『ワンピース』のルフィみたいに「絶対にその先にあるんだ」って行動する人は、放っておいても世界に行きます。

――現在は、「アシックス スケートボーディング」のチームプロデューサーもされていますが、若いスケーター達から、そのような気持ちを感じることも多いですか?

岡田:今、話したような気持ちの子はまれで、若い子達にはまだそういう気持ちがない子が多いかもしれない。ただ、まだわからないだけで、ガキの頃に俺が教わったみたいに、面倒くさいことをいう人がいれば伸びると思っています。

本を書いていて、才能のあるいろいろな人達が、クソ生意気なガキンチョに対していろいろと言ってくれたから、俺はここまでやってこれたんだと思ったので、「アシックス スケートボーディング」に関しては、伝えていく役もやっていきたいですね。経験している大人がちゃんと教えれば、ライダーの子達はみんな聞いてくれると思います。ポテンシャルとスキルは申し分のない子達ばかりだから、モチベーションというか、もっと目指せるものがあることをうまく伝えていきたいですね。「もっとその先を目指そう」「つかみに行こう、恥ずかしいことじゃないよ」「もっともっと日々をスケートボードに寄せちゃいなよ」って。

――今の時代で自分が10代だったら、どんなスケーターを目指すか考えたことはありますか?

岡田:ない。オリンピックはなかったけど、自分が想像し得るほとんどの経験をさせてもらったし、今からもう1回って考えるだけで疲れちゃう(笑)。俺だったらこうするのにとかも思わないし、純粋にすげえなと思って若い子達を見ています。

――では、今後はいかがでしょうか? プレーヤーとしてこれからやってみたいことはありますか?

岡田:もうないよー(笑)。スケートにまつわることで中途半端なものも出したくはないし。プレーヤーとしては、もう十分です。もちろん、「アシックス スケートボーディング」もあるし、今回、本を出したみたいにスケートボードのコンテンツといったら軽いけど、そういうものに関わるかもしれない。近くでは見ていたいけど、だからといってグイグイと入っていって自分の役割をもらう気もなければ、しがみつく気もないですね。

――個人ではなくスケート界の今後についてはどうでしょうか?

岡田:スケートボード界にどうなってほしいなんていうのは、おこがましすぎます。スケートボードってみんなで作っていくものだし、誰かがこうっていうものではない。かつスケーターのマインドって、「スケーターはこうあるべきだ」っていうものを超えていこうとするものだから。

みんなが思っているスケートボードを超えたものを生み出していく人が、シーンをどんどん大きく、深く広くしていくんだと思います。俺は、そこから生活のモチベーションをもらいます。だからずっと見ていたいし、近くにいたいですね。

――では約30年続けているからこそ感じる、スケートボードの魅力ってなんですか?

岡田:(しばらく考え)わかんない。特に今はわかんない。距離がないんですよ。なんだろう(笑)。

――生活の一部過ぎてわからないとかですか?

岡田:それ以上ですかね。答えは見つからないし、探してない。体内で溶けてなくなっちゃった感じかな。血糖値になりました(笑)。

――(笑)。ありがとうございます。『眼鏡とオタクとスケートボード』は、スケートボードを知らない人が読んでも勇気やパワーをもらえる本だと思いました。最後に、この本をこれから手に取る人へメッセージをお願いします。

岡田:“ 若い子に夢を。同世代に希望を。1990年代に愛を!”です。

■『眼鏡とオタクとスケートボード』
著者:岡田晋
表紙:田口悟
帯コメント:長瀬智也
サイズ:120mm × 170mm
ページ数:本文328ページ(ソフトカバー)
定価:1,320円
発行:HIDDEN CHAMPION
発売:星雲社

Photography Masashi Ura
Text Kango Shimoda

author:

相沢修一

宮城県生まれ。ストリートカルチャー誌をメインに書籍やカタログなどの編集を経て、2018年にINFAS パブリケーションズに入社。入社後は『STUDIO VOICE』編集部を経て『TOKION』編集部に所属。

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