今年9月にライターのレジーが出版した新書『ファスト教養 10分で答えが欲しい人たち』(集英社)。発売以降、「ファスト教養」という言葉とともに、話題となっている。同著では、「社交スキルアップのために古典を読み、名著の内容をYouTubeでチェック、財テクや論破術をインフルエンサーから学び『自分の価値』を上げる」ような「教養論」がビジネスパーソンの間で広まっている状況を「ファスト教養」と名付け、どのように「ファスト教養」が広がっていったのか、ひろゆきや堀江貴文、勝間和代、中田敦彦などの2000年代以降にビジネスパーソンから支持されてきた人物の言説を分析し、社会に広まる「息苦しさ」の正体を解き明かしている。
なぜ、今「ファスト教養」がビジネスパーソンに求められているのか、著者のレジーにその背景と「ファスト教養」に流されることへの問題点を聞いた。
レジー
ライター・ブロガー。1981年生まれ。一般企業で事業戦略・マーケティング戦略に関わる仕事に従事する傍ら、日本のポップカルチャーに関する論考を各種媒体で発信。著書に『増補版 夏フェス革命 -音楽が変わる、社会が変わる-』(blueprint)、『日本代表とMr.Children』(ソル・メディア、宇野維正との共著)。
Twitter:@regista13
——この本はどういった経緯から書かれたんですか?
レジー:もともと「FINDERS」というウェブメディアで2021年8月に「ファスト教養」についてのコラムを書いたのがきっかけです。ちょうどそれくらいの時期に「ファスト映画」が話題になっていたのと、その少し前から「教養」がビジネスシーンで人と話を合わせるためとか、マウント取るためのツールとして雑に使われているなと感じていて。そうした状況を「ファスト教養」という概念で説明したところ、集英社の方から「ファスト教養をテーマに1冊の新書にしませんか」という提案をいただき、今回の出版に至りました。
——「ファスト教養」という言葉はレジーさんが考えたんですか?
レジー:メディア上の言葉としては僕の「FINDERS」のコラムが最初だと思います。「FINDERS」掲載後、徐々に「ファスト教養」という言葉が広まっていく感じがあり、さらに今年の4月に「中央公論」で「ファスト教養」に関する論考を出したことでより知られるようになりました。
——「ファスト教養」の定義は?
レジー:先ほどの話ともつながりますが、ビジネスシーンでうまく立ち回りたい、言い換えればよりお金を稼ぎたいという動機があった上で、そのために「教養」と呼ばれるようなものを手っ取り早くおおざっぱに仕入れていくことを「ファスト教養」と呼んでいます。単に「YouTubeのまとめコンテンツ」そのものを指すというよりは、そういったものが受け入れられがちな社会のあり方まで含めての言葉という認識です。すでに全然違う使われ方が氾濫している印象もありますが。
——この本にも書かれていましたが、「ファスト教養」が求められる背景として、2004年くらいからの自己責任論からの流れがあって、2010年代に「NewsPicks」ができてから、より強まった気がしています。
レジー: 2004年を1つのスタートとする自己責任論の広がりは、「ファスト教養」が広く支持される今の状況を準備したと思います。「NewsPicks」のような経済メディアが積極的に「教養」を掲げるようになったのはそれからしばらく経った2010年代の半ばから後半にかけてですが、そこに至るにはいろいろな流れが絡み合っています。
例えば、2000年代後半には勝間和代さんなどが「ビジネスパーソンには英語と会計とITが3種の神器だ」というようなことを言っていました。ただ、その言説はすぐに広まって、これらを勉強するだけではビジネスパーソンとして差別化できなくなった。そういう流れも、「教養」とビジネスの距離が近くなったきっかけの1つです。
また、2010年代の出来事として特に大きいものとして東日本大震災が挙げられますよね。何が起こるかわからない時代だという事実と多くの人が向き合わざるを得なくなった結果、「不確定な時代だからこそ教養を学ばなければならない」という声が社会全体から聞こえてくるようになった。当時はテレビで池上(彰)さんが原発に関するニュースの解説をやったりしていましたが、池上さんはその後の2014年に『おとなの教養』という新書をヒットさせています。
ビジネスサイドからの英語・会計・ITではない新しい武器へのニーズと、社会全体としての横断的な「知」に対する期待が合流したところに、今につながる「教養」ブームの萌芽があります。「NewsPicks」は、そういった時代の空気をうまくつかみました。
「NewsPicks」はメディアとしてファッショナブルに見えていたと思いますし、そこで教養がビジネスの文脈で取り上げられることの影響は大きかったと思います。NewsPicks Bookから2017年に刊行された堀江(貴文)さんの『多動力』も「教養」についてそれなりの分量で言及していますね。
——2010年代前半には与沢翼さんのようなネオヒルズ族も盛り上がりました。あれ以来、「いかに効率的に儲けるか」って風潮が強まったような感じがしていて、それとも関係する部分があるのかなとも思っています。
レジー:「効率的に儲ける」って直接言うと少し下品じゃないですか(笑)。それを覆い隠すラベルとして「教養」がちょうどよかったんだと思います。かつて与沢さんの本には箕輪(厚介)さんが関わっていましたが、先ほど名前を出した『多動力』も箕輪さんの編集ですし、そういった部分でのつながりはあると言えそうですね。
——堀江さんの『多動力』にしても、箕輪さんが手掛ける本は、作りは上手いなと思っていて。読むと簡単にモチベーションが上げられるじゃないですか。
レジー:わかります。箕輪さんの手掛ける本にはドライブ感がありますよね。ある種のエナジードリンクのような効き目があると思います。ただ、そういうものがビジネス書のメインストリームになっていて、かつそこで教養というものが語られる状況はあまりバランスがよくないなと個人的には感じています。
——少し話はそれますが、先日『あちこちオードリー』(テレビ東京、10月26日放送)にオリエンタルラジオの中田敦彦さんが出ていて、この本でも書かれていますが、「ファスト教養」とは対極的な立場のオードリーの若林さんと共演していました。あれはどう見ていましたか。
レジー:象徴的だと思ったのは、中田さんは「YouTubeの台本だと思っているから本を読むけど、本を読んでいる間はしんどい」と言っていたこと。彼にとって読書は「お金を稼ぐプロセスにおいて必要なこと」なんですよね。対照的に、若林さんはもともと読書家だから、本を読むのがしんどいという感覚からは一番遠いところにいると思う。このコントラストはすごく面白かったですね。
SNSによるファスト化
——『ファスト教養』を求める背景として2010年代にSNSが登場してきたっていうのが1つあるのかなとも思っています。
レジー:そこは間違いないですね。SNS はあらゆるものが可視化される仕組みじゃないですか。例えば、自分と世代の近い人が自分よりはるかに成功しているのも目に入ってくる。さらに、SNS上での発信が、エンゲージメントやフォロワー数などすべて数値に換算されてしまう。そうなると人と比べたくなってしまうし、数字が少ないと不安になって「どうすれば数字を増やせるか」に意識が持っていかれてしまう。そういう環境に誰もが置かれている現代において、周りとの差別化を図るためにスピーディーに何かを得ようという「ファスト教養」の考え方はすごく相性がいいです。
——SNS、特にTwitterやYouTubeが流行った結果、「わかりやすさ」を求める傾向が強くなったのも「ファスト」化に繋がっているとも思うのですが。
レジー:Twitterは言ってみれば「140字でどれだけインパクトがあることを言い切るかのゲーム」なので、留保をつけない方が支持を集められる。「こういう時はAだけどこの場合はB、例外的にCもある」と言っても誰も聞いてくれないので、「Aしかありえない」「いや、どう考えてもBだ」という意見しか存在しなくなっていくんですよね。そういうスタンスが教養と結びつき始めている、というのは言えるかもしれません。
「教養のある人」は何かを断言するのは危ないと知っているはずですが、一方で「ファスト教養」はビジネスの世界との親和性が高いこともあって決断との距離が非常に近いです。これもある意味ではSNS的、Twitter的な態度ですね。
——「ファスト教養」については、賛否はどのように考えていますか?
レジー:昔から言われている「教養」が絶対的に正義で、「ファスト教養」が低俗で良くないものというような話をするつもりはありません。ここは本を出した後でもどうにも誤解されているのですが(笑)。
それには2つの理由があって、1つはそもそもの「教養」というものの出自について。歴史をさかのぼると教養がいわゆる立身出世と結びついていたことがよくわかりますし、そこから考えると今の時代に教養が「ビジネスの場で役に立つもの」と定義されるのは必然的な側面もあると思います。
もう1つの理由は自分の肌感覚によるものです。僕自身会社員をしながらライターの活動をしていることもあり、現代のビジネスパーソンがスピード感を持って勉強しないといけないのがよくわかります。クイックに何かを学ぼうという意識が強くなるのも当然だろうなと。
——確かに若い人だと「ファスト教養」についてポジティブに捉える人もいると思うのですが、レジーさんの考える「ファスト教養」の問題点については?
レジー:どういう立場、視点で話すかによって答えが変わると思います。まず個人のレベルで考えると、好みの問題でしかないとも言えますよね。ファストに学びたい人は学べばいい、というだけなので。
個人ではなくて社会全体に目を向けると、また違った景色が見えると思います。例えば、「ファストに教養を得たいのはなぜ?」という問いに立ち返ると、そこには「脱落したくない」という強迫観念や、周りに「ダサい」とか「バカだ」と思われたくないという焦燥感みたいなものが関係していることが多い。「ファスト教養の何が悪い」が行き過ぎるとそういう空気がますます強まるし、その先にあるのはみんなで蹴落としあう社会なんじゃないでしょうか。
また、エンターテインメントの世界に目を向けると、ファストに消費できるコンテンツだけしか生き残れなくなるという問題がこの先さらに顕在化するかもしれない。そういったものと長い時間をかけて読み解きが必要なものがそれぞれ存在することこそが文化の豊穣さだと思うのですが、そういう発想自体が危機にさらされつつありますよね。その状況を単純に「時代は変わるから」だけで終わらせてしまってよいのかどうか。
「ファスト教養、何か問題でも?」という人に対しては、「もちろん個人の好みです、ご自由に」以外にかける言葉はない。ですが、「なぜ今自分はそういうモードなのか?」を考えていくと、実は社会が抱える問題にぶち当たるんですよね。ここは本を通して言いたかったことの1つでもあります。
——それこそ世の中全体的に「ファスト化」みたいなものがどんどん進んでいると思っています。この流れ、この大きな流れ自体、止めるのは難しいと思いますが?
レジー:全部止めるのは難しいと思います。ファスト教養と自己責任が結びついて広がっている背景には国としての経済的な貧しさも関係しているはずですし、一朝一夕に解決できる問題ではない。だからこそ、まずはできる人からファスト教養に流されないための工夫をして、異なる価値観を提示していく必要があると思います。社会全体で見れば最初は小さな変化にしかならないかもしれないけど、そういう動きが少しずつ育っていくことに自分の本が貢献できれば嬉しいです。
■『ファスト教養 10分で答えが欲しい人たち』
第一章 「ファスト教養」とは?──「人生」ではなく「財布」を豊かにする
第二章 不安な時代のファスト教養
第三章 自己責任論の台頭が教養を変えた
第四章 「成長」を信仰するビジネスパーソン
第五章 文化を侵食するファスト教養
第六章 ファスト教養を解毒する
著者:レジー
発売日:2022年9月16日
価格:¥1,056
判型:新書判/256ページ
出版社:集英社
https://www.shueisha.co.jp/books/items/contents.html?isbn=978-4-08-721233-4