2022年の私的「ベストブックス」 作者/ライター・菊池良が選ぶ5冊

素晴らしい本と出会い、その世界に入り込む体験は、いつだって私たちに豊かさをもたらしてくれる。どんなに社会や生活のありようが変わっていこうとも、そんなかけがえのない時間を大切にしたいもの。激動の2022年が終わろうとしている今、作者/ライター・菊池良がこの1年間に生まれた数多の本の中から必読の5冊を紹介する。

菊池良
1987年生まれ。作家。著書に『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』(宝島社・神田桂一と共著)、『世界一即戦力な男』(‎フォレスト出版)、『芥川賞ぜんぶ読む』(‎宝島社)など。2022年1月に『タイム・スリップ芥川賞: 「文学って、なんのため?」と思う人のための日本文学入門』を上梓。https://kikuchiryo.me/ Twitter:@kossetsu

年森瑛『N/A』(文藝春秋)

タイトルの「N/A」とは「Not Applicable」で「該当なし」という意味。
松井まどかは中高一環の女子校に通う高校2年生。クラスメイトたちからは「松井様」とあだ名されている。見た目が王子のようだからだと友人からつけられた。
まどかには「うみちゃん」という恋人がいる。うみちゃんは大学生で、まどかの高校に教育実習生としてやってきた。ふたりは試験交際をしている。まどかは「かけがえのない他人」を求めていた。かけがえのない他人とは、「ぐりとぐら」や「がまくんとかえるくん」のようなものだ。
あるとき、まどかは友人からあるツイッターアカウントを見せられる。それはどうやらうみちゃんのアカウントらしいのだ──。
なにかに属することを強いられる違和感への生々しい声。読めば必ず痛みが伴う。
作者の年森瑛は本作で文學界新人賞を受賞し、デビュー。同作で芥川賞の候補にもなった。

ミシェル・ザウナー『Hマートで泣きながら』(集英社クリエイティブ)

ジャパニーズ・ブレックファストの名義で音楽活動するミシェル・ザウナーの回想録。著者は韓国生まれでアメリカ育ち。父はアメリカ人、母は韓国人というルーツを持つ。
アジア系の食材を売るスーパー「Hマート」。そこへ行くたび、著者は涙を流してしまう。韓国の食べものを見ると、死んだ母親のことを思い出してしまうからだ。
ザウナーはカルチャーギャップにさらされながら10代半ばで音楽にのめり込み、やがてバンド活動をはじめる。しかし、母親はそれをよく思っておらず、ふたりはぶつかる。大学を卒業後もアルバイトを掛け持ちしながらバンドをつづけている最中、母の病気が発覚する──。
エピソードのすみずみに、韓国料理の数々が登場する。それは親子をつなぐ強い絆であり、ふたりのルーツを象徴するものだ。そんなシーンが出てくるたびに、こちらの胸は熱くなる。
まるで韓国料理を食べたときのように。

キリーロバ・ナージャ、古谷萌、五十嵐淳子『じゃがいもへんなの』(文響社)

じゃがいもの歴史を、ひとつの家族に見立てて擬人化した絵本。南アメリカのペルーにいたじゃがいもたちが、スペイン人によってヨーロッパに持ち込まれ、偏見にさらされながら各地を旅する。やがてその良さに気づかれ、みんなに愛される食材になっていくというもの。まるで神話のような流離譚だ。
出てくるエピソードは実際のできごとに基づいている。これだけいろんな料理に使われているじゃがいもが、かつてはそうではなかった。いまでは考えられないが、そういったポジティブな価値転換がこれまであったし、これからも起こせるであろうことを示唆してくれる。
著者らはほかにも「レアキッズのための絵本」と銘打って、『からあげビーチ』『ヒミツのひだりききクラブ』(ともに文響社)という絵本も制作している。

田村ふみ湖『古いぬいぐるみのはなし』(産業編集センター

さまざまなひとが自分のお気に入りのぬいぐるみを紹介したもの。ぬいぐるみを撮った写真と、それぞれの持ち主がそのぬいぐるみとのエピソードを語る。くま、猫、うさぎ、コアラ、おばけ(!)といったさまざまなぬいぐるみが登場する。
見た目も違えば、もちろん名前も違う。手に入れた国も違えば、持ち主とぬいぐるみの出会い方も違う。それぞれに固有の物語がある。「物」に愛着が湧くと、「物語」が生まれる。
読んでいてハッとした。ぬいぐるみだけじゃない。わたしたちがふだん使っている「物」には、すべて「物語」があるはずだ。いつも使っているペンは、どこで買ったものか。いま着ているこの服は? 街なかでふと目にした物にも、それはあるはず。日常のすぐそばに、たくさんの物語が眠っている。

ヴァージル・アブロー『ダイアローグ』(アダチプレス)

2021年、ファッションブランド「オフホワイト」の創設者であるヴァージル・アブローが亡くなった。
本書には9編の対談、インタビューが収録されている。そのなかでヴァージルは自らのブランドが持つコンセプトや自身の方法論について驚くほど明確に言語化していく。引用符、アイロニー、威光──。
ヴァージルは有色人種である自分が、いかにして文化の中心地に食い込むかについて何度も語る。それが「トロイの木馬」であり、権力の解体だとも。ここまで語るのは自分につづく人間が現れて、世界が変わることを願っているのだろう。
ならば、この本を正典(カノン)にしてファッション業界──いやまったく関係ない業界かもしれない──に参入する者がいつの日か現れるだろう。文字として記録されたことによって、いつだってわたしたちはヴァージルの声を聞けるのだから。

author:

藤川貴弘

1980年、神奈川県生まれ。慶應義塾大学環境情報学部卒業後、出版社やCS放送局、広告制作会社などを経て、2017年に独立。各種コンテンツの企画、編集・執筆、制作などを行う。2020年8月から「TOKION」編集部にコントリビューティング・エディターとして参加。

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