ベルギーの新星「メリル ロッゲ」が描く自由な発想 「個々の世界観を表現してほしい」

パンデミック直前の2019年にデビューを果たした「メリル ロッゲ」。フェミニンな装飾とメンズライクな仕立て、ヴィンテージの風合いとコンテンポラリーな要素を、非凡なリアルクローズに落とし込んだ両儀的なスタイルが魅力だ。彼女の芸術的な感性で再考したクラシックは、デビュー早々に世界のバイヤーから高く評価され、「LVMHプライズ2022」のセミファイナリストにも選出された。日本では「ビームス」や「エディション」、大阪の気鋭セレクトショップ「ビジットフォー」で取り扱われ、国内外で着実に成長を続けている。

メリル・ロッゲはベルギー・ゲントの郊外で生まれ、法学部で学士号を取得した後に、アントワープ王立芸術アカデミー在学中にニューヨークへと渡り「マーク ジェイコブス」でキャリアをスタート。その後、アントワープに戻り「ドリス ヴァン ノッテン」で4年間ウィメンズ部門のチーフデザイナーとしてコレクションに携わり、自身の名を冠したブランドの立ち上げとともにゲント郊外の故郷へと戻ってきた。

7ヵ月の息子を抱えて、自宅兼アトリエに私たちを迎え入れたメリル。翌週にはゲント中心地の新たなアトリエに移転する予定で、この場所で取材撮影を受けるのは最後だという。長年創作現場としてきた拠点地で、デザイナーを目指したきっかけや機知に富んだクリエイション、コレクション制作の背景について聞いた。

──法学士号を持つファッションデザイナーは珍しいと思います。法律を学んだ経験は今どのように生かされていますか?

メリル・ロッゲ(以下、メリル):当時は美術史を学びたいと思っていましたが、卒業後に就職先として多くの選択肢がないという理由で、両親は賛成してくれませんでした。悩んだ末に法学部を選びましたが、興味のないことを勉強するというのはとても厳しい環境です。1000ページに及ぶローマ法の歴史書を読破しなければならなかったことも…。その経験から学んだのは、仕事に対する基本的な姿勢です。どんな仕事であれ、やりたいことをやるためには、忍耐力と集中力が必要ですよね。今現在、クリエイションという好きなことに向かうのは全体の5%程度で、ほとんどの時間を生産や配送、シューティングの手配といった業務に費やしています。将来的にチームを大きくしていければ、やりたいことにもっと時間をかけられるとは思いますが。もちろんそれらの業務を楽しんで行なっていますし、問題解決に取り組むのが好きなので私にとって大したことではありません。そう思えるのも、法学部で忍耐力を身につけたからかもしれませんね。

法学士号を取得した後にアントワープ王立芸術アカデミーに入学したということは、昔から美術やファッションに関心があったのですか?

メリル:幼少期は、イラストレーターになりたいと思っていました。具体的にディズニーで働きたいと夢見ていましたが、10代になった頃に現実的だろうかと少し疑問を持ち始めたんです。ファッションデザイナーという選択肢が出てきたのは高校生の頃。ギリシャ語の授業が退屈で、服を着た女性のスケッチを描いていたら、それを見た先生が「ファッションデザイナーに向いているかもしれない」と一言漏らしたんです。多感な時期でしたし、先生の一言は私に刺激を与えたのだと思います。それがファッションデザイナーという将来を意識した、最初のきっかけです。

──ファッション業界で経験を積む中で、自身のブランドを持つのが目標だったのでしょうか?

メリル:ブランドに務め、他の人のために働くというのは重要な経験ですが、自分の世界観を表現したいという思いは常にありました。「マーク ジェイコブス」のデザインチームに加わり、23〜30歳をニューヨークで過ごした時にデザイナーとしての基盤を形成しました。コレクションや生地の作り方、フィッティング、サプライヤーやパタンナーとの仕事まで多くを学び、その後「ドリス ヴァン ノッテン」でさらにそれらを磨いていきました。服作りだけでなく、会社のリーダーとしての指南書をドリスから吸収したと思います。

──その他に、影響を受けたデザイナーはいますか?

メリル:クリストバル・バレンシアガやエルザ・スキャパレリ、クリスチャン・ディオールといったモード史に名を残すデザイナー。日本人デザイナーの川久保玲と渡辺淳弥、私と同時期にアントワープ王立芸術アカデミーに通っていた二宮啓のクリエイションも尊敬しています。“アントワープシックス”はもちろんのこと、現在の「バレンシアガ」のクチュールやマーティン・ローズにも刺激を受けますね。

──過去のシーズンを見ると、特定の着想源があるというよりも、さまざまな要素が混在しているように見受けられます。コレクション制作では何から着手するのですか?

メリル:直感に従っています。リサーチから始めて、色々なものに出くわし、進化させていきます。フルタイムのメンバーと、多くのフリーランスのデザイナーやパタンナーで私のチームが構成されており、アイデアを出し合って一つの形にしていく過程が最も楽しい瞬間でもあります。最初は各々が持っているイメージがバラバラでも、少しずつチューニングを合わせていくような感覚。生地と柄、色を初期段階で決めて、シェイプと細かなデザインを実験的に作りながら、同時にリサーチも進行させます。60〜80年代のレトロな風合いが好きで、マスキュリンとフェミニンといった相反する要素の掛け合わせやミックス&マッチが基本的なデザインアプローチです。あとは、そのシーズンと気分によって、色彩や柄、刺しゅうのデザインが加わっていきます。

──クリエイティブな作業は有機的に進んでいくということですか?

メリル:そうですね。多くの場合、発表の1ヵ月前にようやくコレクションの輪郭が見え始めます。サンプルの修正を重ね、スタイリングを作っていくなかで、ようやく具現化して全体を把握できるようになるんです。その時点で、全然納得できずに大幅な軌道修正を要することがほとんど。悪夢のような瞬間です。経験を積んでいるのでパニックには陥りませんが、焦ってはいます(笑)。最後の1ヵ月というのは、チームが一つのバブルの中にいるような感じです。全員が同じことを考え、同じ方向を向き、それを完成させるために各々がすべきことを、時間に追われながら行います。結果的に、そのバブルの中の時間に化学反応が起きて、コレクションが生み出されるので、特別で不可欠なプロセスなのだと思います。

──最新コレクションである2023-24年秋冬シーズンを「ホリデー・アルバム」と名付けた理由は?

メリル:クリスマスとお正月の、典型的なホリデーのムードが大好きです。自宅にツリーを飾って、映画『ホームアローン』を観て、家族や親密な人々とお決まりの時間を過ごす、“ありきたり”なホリデーシーズンの気分が出発点になりました。私の10代はY2Kブームの時代で、2000年をまたぐホリデーは、“ノストラダムスの大予言”にまつわる世界の終焉についてみんなが話していたのを記憶しています。2023-24年秋冬コレクションは、ホリデーの懐かしい思い出を振り返りながら、陳腐なものにラグジュアリーな要素を加えて構成しました。

──私は個人的に、女性デザイナーは結婚や出産などライフスタイルの変化が、無意識にクリエイションに反映されると感じています。2歳と7ヵ月の二児の母親であるあなたは、自分自身に変化があったと思いますか?

メリル:それは興味深い視点ですね。母親になってから、今着用している「ナイキ」のスウェットのような、アクティブで着心地の良いウェアに小物で遊ぶようなスタイルが多くなりました。ただ、コレクションにおいては自分のためではなく、他の人をドレスアップすることを念頭においています。変化という意味では、コロナの影響の方が大きいかもしれません。以前から“コンフォート”は重要なコンセプトでしたが、さらに強固となり、快適さとデザイン性の両立を常に考えています。

──自身のコレクションを通じて、世の中に何を伝えたいですか?

メリル:「メリル ロッゲ」は、人間に内在する複数の顔を表現するための服を提供し、年齢や性別を問わず全ての人に開かれたブランドです。自分自身のさまざまな側面を引き出しながら、気分に合う感覚で日常を彩るウェアとして着用してほしいです。コットンのシャツやテーラリングといった定番にはひねりを利かせ、フェミニンなドレスも決してセクシーになりすぎることなく、ボーイッシュな要素とリラックスしたムードを融合させています。顧客はファッションやアート関係に携わる人、そうでなくても芸術的感性に優れた人が多いようです。特に、Instagramで日本の方々が投稿している写真を見ると、とてもスタイリッシュに着用してくれています。自分の感性に委ねて、個々の世界観を表現してほしいですね。

──アジアの中では日本での展開が多い印象を受けます。日本への販路拡大についてどう考えていますか?

メリル:日本はブランド当初から協力的な市場です。過去に3回日本を訪れ、とても感銘を受けました。販路拡大よりも重要なのは、バイヤーや顧客との良好な関係を築き続けることだと思っています。可能であれば、イベントを通じてエンドユーザーと交流できる機会を持ちたいです。日本の代理店は家族のように親しく、素晴らしい仕事をしてくれているので、これを継続しつつ、顧客とのコミュニケーションも深めていくのが次のステップです。これからも、Instagramを通して日本の方々のスタイリングをもっと見たいです!

Photos Dominique Brion
Edit Nana Takeuchi

author:

井上エリ

1989年大阪府出身、パリ在住ジャーナリスト。12歳の時に母親と行ったヨーロッパ旅行で海外生活に憧れを抱き、武庫川女子大学卒業後に渡米。ニューヨークでファッションジャーナリスト、コーディネーターとして経験を積む。ファッションに携わるほどにヨーロッパの服飾文化や歴史に強く惹かれ、2016年から拠点をパリに移す。現在は各都市のコレクション取材やデザイナーのインタビューの他、ライフスタイルやカルチャー、政治に関する執筆を手掛ける。

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