TBSラジオ「JUNK」総括プロデューサー宮嵜守史が語る「ラジオの醍醐味」と「制作現場の実情」

宮嵜守史(みやざき・もりふみ)
1976年生まれ、群馬県草津町出身。ラジオディレクター/プロデューサー。TBSラジオの深夜枠「JUNK」総括プロデューサー。担当番組は『伊集院光 深夜の馬鹿力』『爆笑問題カーボーイ』『山里亮太の不毛な議論』『おぎやはぎのメガネびいき』『バナナマンのバナナムーンGOLD』『アルコ&ピース D.C.GARAGE』『ハライチのターン!』など。YouTubeチャンネル『矢作とアイクの英会話』『岩場の女』でもディレクターを務める。
Twitter@miyazakimori
https://www.tbsradio.jp/junk/

伊集院光、爆笑問題、山里亮太、おぎやはぎ、バナナマンと、錚々たる芸人がパーソナリティを担当するTBSラジオの深夜番組『JUNK』(月〜金曜日25〜27時放送)。2002年にスタートし、今年2月には20周年記念イベントを3日間開催するなど、多くのファンを持つ。その総括プロデューサーを務めるのが宮嵜守史だ。

これまで彼がラジオ制作の現場で体験したエピソードや、自身のラジオとの出会いを綴ったエッセイ集『ラジオじゃないと届かない』(ポプラ社)には、『JUNK』パーソナリティのほか、極楽とんぼ、ハライチ、アルコ&ピース、パンサー向井慧、ヒコロヒーとの対談も収録されている。radikoが普及し、Podcastをはじめとした音声コンテンツも次々と配信される中、ラジオの現場では今何が起きているのか。

初めて企画書を書いた鳥肌実の番組

——本を書いてほしいというオファーの段階で、内容は「宮嵜さんのエッセイで」ということだったのですか。

宮嵜守史(以下、宮嵜):そうでした。実際に完成した本には、自分の半生について書いたエッセイだけではなく、芸人さんとの対談もたくさん収録されているんですけど、もともとは100パーセント僕のエッセイでお願いしますと。でもそれはどうしても嫌で。せっかくラジオ番組を制作する仕事をしているのだから、ラジオのおもしろさとか、ラジオパーソナリティの魅力を伝える本にしたかったんです。それで、僕が主役ではなく、ラジオやパーソナリティを主役にした本でもよければ、ぜひ書かせてくださいと。まぁその結果、対談してくれた人気者の名前が帯にずらっと並んで、人のふんどしで相撲を取るみたいな本になったんですけど(笑)。

——初めて企画書を書いたのが、鳥肌実の番組だったと。

宮嵜:ディレクターとしてうまくはいきませんでしたけどデビュー作ですね。当時『パーソナリティスペシャル』というTBSラジオで若手を発掘するお試し枠みたいな番組がありまして、パーソナリティだけではなく、ADからディレクターになるための登竜門にもなっていたので、そこで企画書を出しました。

鳥肌実さんのことは当時VHSで見て、きわどいネタの独演スタイルが一気に好きになり、そのあと代々木第一体育館で演説の単独公演があったんです。2001年ですね。演説というしゃべりのスタイルで、大きな会場でやっているのに、テレビには全く出ていない。これはラジオにぴったりだ、と思ったんです。

ただ、番組の立ち上げも経験したことなかったですから、鳥肌実さんをブッキングしたことでほっとしちゃって、番組の内容についてきちんと考えられていなかったんです。鳥肌実さんの芸風もありますが、そもそもファンが観に来る公演と、公共の電波で不特定多数に届けるラジオ番組では前提がまるで違うのに、そこをきちんと理解していなかった。

それで、収録した音声素材のきわどい発言にピーとかボカンとか効果音を入れまくった編集をしたら、プロデューサーに「良さが全然なくなってる」と言われて。そこから直しを入れまくり、どうにか放送しました。

——ラジオにおけるスタッフの役割というか、介在する余地みたいなものは、番組によってかなり差があるものですか。

宮嵜:番組や放送する時間帯もありますが、大きくはパーソナリティによりますね。どんなことを話せばいいか、事前にスタッフと雑談しながら構成を考えたりするパーソナリティもいます。

最も介在するパターンでいうと、キャリアが浅かったり、しゃべりの経験がほとんどない方がパーソナリティをやるとしたら、番組で話そうと思っているエピソードをまず聞かせてもらったあと、「その店員さんは若者? それとも年配の人?」とか「どんな風貌だった?」とか、リスナーとして聴いた時に気になるところを掘り下げたりします。別に話のオチを一緒に考えるとかではなく、リスナーに伝えるには、こういうところをフォローしないといけないんだっていうのを学んでほしいので。

——対面する相手がいない、1人しゃべりの番組だと、そういった情報の取捨選択はパーソナリティにすべて委ねられますからね。

宮嵜:普通に考えて、1人でマイクに向かってしゃべるって、かなり異様なことなんですよ。特に生放送の場合、スタッフにできることは、パーソナリティの話に笑っているとか驚いているとか、リアクションすることくらい。だからコロナ禍で全員がマスクをしていた時は、かなり難しかったですね。口元が隠れていると、こちらのリアクションが伝わらないので。

ハライチ、三四郎、オズワルド……テレビでは前に出ないほうがラジオで輝くのはなぜか

——芸人の番組を聴いていると、コンビのうちテレビだとあまり前に出ないタイプのほうが、ラジオでは活躍する傾向があると感じるのですが、そのあたりはどうでしょうか。

宮嵜:そういうケースもありますが、「傾向がある」とまでは言えないんじゃないかと、個人的には思います。決して確率が高いわけじゃない。例えば、ハライチの岩井くん、三四郎の相田くん、オズワルドの畠中くんは、ラジオだと活き活きしゃべっていますが、テレビとか一般的なイメージでは相方のほうが目立っているかもしれません。ただ一方で、テレビでも目立っているほうが、やっぱりラジオでも目立っているコンビもたくさんいるんですよ。

つまり、そのコンビのイメージから逸脱していると、意外性があってより強く印象に残るので、そういう傾向があるように感じられるんじゃないのかなと。もっと言えば、印象に残るだけじゃなく、コンビの新しい一面を感じられることで、おもしろみも増すんですよね。そのコンビの奥行きとか味わいが増すっていうのか。

テレビではどうしてもわかりやすいキャラクターとかスピード感が求められるので、そういう環境では引き出せなかったコンビの魅力が味わえるっていうのは、ラジオの大きな利点だと思います。

——ゲストのキャスティングについては、どういうふうに考えていますか。というのも、例えば、パーソナリティと仲がよくて、番組内でも名前がたびたび出てくるような人がゲストに来ても、思いのほか盛り上がらない時があったりするなと思いまして。

宮嵜:僕が思っているのは、「この人を呼ぼう」という考えでゲストを決めるのではなくて、「こういう企画やるには、誰が必要か」という考えで決めるようにしています。ゲストに来てもらうことが目的ではなく、企画や内容がうまくいくことを目的にしていれば、自ずと誰をゲストに呼べばいいのか見えてくる。

ラジオは特にパーソナリティとリスナーの結びつきが強いので、芸人コンビの番組であれば、リスナーは2人のしゃべりを楽しんでいます。そこにたとえ仲良しであれ、企画や文脈のない形で第三者が入ってくると、邪魔者になってしまうことがある。そうならないために、目的は企画のほうにあったほうがいい。こういう話をしたい、そのためには誰がゲストに来ると盛り上がるか、という順番で考えています。

ラジオだからって常に本音を吐き出す必要はない、素の状態でいい

——ラジオに向き合う姿勢も、パーソナリティごとにいろいろなパターンがありますよね。熱く語る人もいれば、肩の力が抜けたゆるいしゃべりが魅力になる人もいます。

宮嵜:ラジオを大切に思ってくれているのは、どのパーソナリティも同じだと思います。そこを前提として、大切なのは、どれだけリスナーのほうに気持ちが向いているか。しゃべりたくないのにラジオをやっている人っていないと思いますし。よく「熱量」とかって言われますが、熱く語ることだけがいいわけでもないし、ゆるいおしゃべりのほうがいいということでもない。まずは伝えたいこと、しゃべりたいことがあって、それをどう伝えるのかがパーソナリティによって違う。ラジオだからって、常に本音を吐き出す必要もなくて、素の状態でいいんです。自分を失わずにマイクの前に座って、リスナーに向かってしゃべることができる人、それがいいパーソナリティだと思います。ただ、単純そうに思える「素の状態でいる」って、実はかなり難しいことなんですけどね。

——本の中では「いろんなフェーズがあっていい」ということも書かれていました。パーソナリティの芸歴や年齢、それに付随する考え方の変化によって、番組の特色や方向性が変わってもいいんだ、と。

宮嵜:それは本当に思いますね。例えば、若い頃は尖った発言が番組の売りだったとしても、それをずっと続ける必要はない。『空気階段の踊り場』は、彼らのドキュメンタリーだと思います。番組開始の時は、劇場で頑張る若手芸人だったのが、「キングオブコント」のチャンピオンになって、テレビの人気者になり、やがて結婚して、そのあと離婚して……そういう彼らの人生がすべて番組に反映されている。誰の人生にもいろんな場面がありますから、その人生を歩んでいるパーソナリティにもいろんなフェーズがあって当たり前なんですよ。

その上で、「今自分はこういう状態です」と、リスナーにちゃんと言えることが大事だと思います。自分達が今どういう状況に置かれていて、リスナーに限らず世間からどういうふうに見られているか、そこを把握すること。人前に出る仕事をしているタレントさんは、当然そういうことには敏感だと思うのですが。

——自分達の番組はこれが売りなんだ、とかって決めなくてもいいんですね。

宮嵜:そう思います。毎週放送の番組だったら、その1週間の間に感じたこと、考えたこと、大げさに言えば「こんな生き方をしました」というのを発表する場所であり時間がラジオだと思うんです。例えば、『バナナマンのバナナムーンGOLD』を聴いていると、彼らの長い人生の中で、毎週金曜日の深夜25時から27時までの2時間をずっと切り取っているんですよね。5年前はこんなことを考えていた、10年前はこんなことを感じていた、そういうのを毎週2時間、ラジオで発表している。

——今テレビでトーク番組が増えていますよね。コスパがいいからだと思うのですが、タレントが感じたこと、考えていることを発表する場がテレビの中にどんどん作られています。

宮嵜:全部が全部ではないですが、中にはラジオっぽい雰囲気だなと感じるテレビ番組はあります。ただ、テレビ番組の場合は、きちっとトークテーマが決められていたり、パッケージとして完成されているので、そこがラジオとは決定的に違うかなとは思います。

ラジオ放送と音声配信は役割が全く違う

——ラジオ放送と、Podcastなどの音声配信メディアとの関係については、いかがでしょうか。

宮嵜:正直、これまでラジオ放送の大きなメリットだった、たまたまラジオをつけて、なんとなく聴いてみたらおもしろかった、みたいな偶然の出会いは減っているでしょうね。

電波にのせる放送と、Podcastなどの音声配信メディアでは、そもそもの役割が違います。放送は言うまでもなく、事故や事件、災害、交通情報などのニュースを伝えることが役割としてあり、深夜の番組だとしても、不特定多数に向けてしゃべることが大前提。芸人さんの番組であっても、きちんと名前を名乗るといった基本的なことから、わかりやすく伝えることが求められます。10人が聴いたら、10人が理解できるような内容にすることが望ましい。

一方で、podcastなど音声配信は、芸人さんの場合だと、トークライブに近い感覚。その人達のファンや、少なくとも興味を持っている人達がわざわざ聴きにくる。ノリやしゃべり手のパーソナルな情報を共有している人達には余計な説明を省いても十分伝わるし、それによってトーク内容の純度が高いまましゃべることができます。それを魅力だと思っている芸人さんも多いでしょう。

ただ、radikoでもPodcastでも、聴くのはスマホじゃないですか。となると、同じ画面の中に異常に強いライバルがごろごろいるんですよ。SNSやウェブメディア、Netflix やAmazonプライムといった世界基準の動画サービスとも並列で比べられる。数え切れないくらいのコンテンツの中から選んでもらうのは、相当に難しくなりました。

——ラジオを聴いていると、特に番組初回の放送では「ラジオをやることが夢でした」「ラジオで育ちました」のような、自身の原体験にラジオがあったことを表明するパーソナリティがいますが、今後は「Podcastやりたかったんです」という人も出てきますよね。

宮嵜:すでに出てきていますよ。ラジオはほとんど聴いたことないけど、Podcastは聴いている、という人はいます。

ラジオはマスコミではなく、カルチャーの1ジャンル

——本の中で印象的だったのは、「世の中におけるラジオの寸法を勘違いしてはいけない」という話でした。

宮嵜:人や世間に影響を与える規模感だったり、メディアとしてのお金のまわり方だったり、そういうものをすべてひっくるめて、今ラジオがどのくらいの大きさなのか、その寸法を勘違いしてはいけない、という話ですね。

新聞・雑誌・テレビ・ラジオが4大マスメディアと言われていますけど、今のラジオは、マスコミとは言えないくらいの規模感になっていると感じます。いろいろあるカルチャーの中の1ジャンル、実際の規模としてはそのくらいかなと。

何年か前から雑誌でラジオの特集が組まれるようになったのも、カルチャーの1ジャンルになったからだと、僕は思っています。なので、そういう特集だけを見て、ラジオが盛り上がっていると感じるのは誤解だと僕は思いますね。盛り上がっているのではなく、マスコミからカルチャーの1つになったという現実の表れ。だってリスナーからしたら、電波にのせて放送されているラジオ番組と、一定層を狙った趣味性の高いPodcastは、本来全く違うものなのに、もはや同じ音声コンテンツとして聴いています。そうやって並列で受け取られていることこそが、マスコミではなくなったことの証拠でもある。ラジオを聴いていることは、もはや趣味の1つで、ラジオをマスコミだと思っていない若い人はどんどん増えていると思いますよ。

——正直なところ、宮嵜さんはプロデューサーの仕事よりも、制作に専念できるディレクターのほうが性に合っている、と思っているのでしょうか。

宮嵜:やり続けられるなら、ディレクターだけをしていたいとは思いますね。でも、やっぱりちゃんとお金のことを考えたり、関係各所との調整役をやってみないと、結果的にいい番組は作れないと思うんですよ。番組がどういう状況に置かれて何を求められているのかわからないまま制作しても、いい番組は作れません。それはプロデューサーになってから、より身にしみて実感しました。

Photography Tameki Oshiro

ラジオじゃないと届かない

■ラジオじゃないと届かない
日常の中に無限にある「楽しみ」の中で、ラジオにしかできないことってなんだろう? TBSラジオ「JUNK」統括プロデューサーのラジオにささげた25年が詰まった初の書き下ろしエッセイ。ラジオとの出会いから、プロデューサーになるまでのエピソード、人気パーソナリティ達の魅力まで。極楽とんぼ、おぎやはぎ、バナナマン、ハライチ、アルコ&ピース、パンサー向井慧、ヒコロヒーとの読み応え抜群のロング対談も収録。

著者:宮嵜守史
ページ数:383ページ
価格:¥1,760
出版社:ポプラ社
https://www.poplar.co.jp/book/search/result/archive/8008400.html

author:

おぐらりゅうじ

1980年生まれ。編集など。雑誌「TV Bros.」編集部を経て、フリーランスの編集者・ライター・構成作家。映画『みうらじゅん&いとうせいこう ザ・スライドショーがやって来る!』構成・監督、テレビ東京『「ゴッドタン」完全読本』企画監修ほか。速水健朗との時事対談ポッドキャスト番組『すべてのニュースは賞味期限切れである』配信中。 https://linktr.ee/kigengire Twitter: @oguraryuji

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