映画『アフターサン』シャーロット・ウェルズ監督インタビュー ビデオテープを介して交わされる父と娘の対話——「記憶」と「想像」 

シャーロット・ウェルズ(Charlotte Wells)
1987年、スコットランドに生まれ、ニューヨークを拠点とするフィルムメーカー。ロンドン大学キングスカレッジ の古典学部で学んだ後、オックスフォード大学でMA(文学修士号)を取得。その後、金融関係の仕事をしながら、ロンドンで映画スタッフのエージェンシーを友人と共に経営する。その後、ニューヨーク大学ティッシュ芸術 学部でMFA(美術修士号) / MBA(経営学修士)を共に取得する大学院プログラムに入学。在学中は、BAFTAニューヨークおよびロサンゼルスのメディア研究奨学金プログラムの支援を受け、3本の短編映画の 脚本・監督を手がける。2018年、「フィルムメーカー・マガジン」の“インディペンデント映画の新しい顔25人”に選ばれ、2020年のサンダンス・インスティテュートのスクリーンライター及びディレクター・ラボのフェローとなった。『aftersun/アフターサン』(2022)は長編初監督作品である。

照りつける夏の陽光。プールから漂う塩素の匂い。日焼け止めクリームの手触り。11歳のソフィ(フランキー・コリオ)は夏休みに、いつもは離ればなれに暮らしている父親カラム(ポール・メスカル)とトルコのリゾート地を訪れる。2人は家庭用ビデオカメラを片手に仲睦まじく、時にぎこちない会話を交えながらも親密な時間を過ごす――。

と書くと、いかにも心温まる家族の物語のようだが、『aftersun/アフターサン』(以下、『アフターサン』)は上映時間が進んでいくにつれて思わぬ相貌を見せていく。世界中の映画祭で80以上の賞をとり、複数の海外有力メディアで2022年度ベストムービーにも選出された本作が描くのは、メンタルヘルスの問題と向き合う大人の姿であり、「記憶」と「想像」によって結び直される人と人との関係だ。

監督は、本作が長編デビューとなるスコットランド出身のシャーロット・ウェルズ(Charlotte Wells)。物語の骨格は監督自身の経験に基づき、しかし最終的には「全くのフィクション」に着地したという『アフターサン』について、監督に話を聞いた。

※本文中には映画のストーリーに関する記述が含まれます。

媒体としてビデオカメラを選んだ理由

——脚本の第一稿と完成した映画を比べた時に、最も変更した点はどこでしょうか?

シャーロット・ウェルズ(以下、シャーロット):登場人物を絞りました。ソフィとカラムの物語に焦点を絞ることで、2人の間にある軋轢(あつれき)を取り除いたのです。草稿の段階では、2人の関係はよりギクシャクしていました。しかし、脚本のフィードバックを受けている時に、制作チームから「軋轢(の原因)をもっと突き詰めてほしい」と言われ、それがやりたいことではないと気づきました。描きたいのは2人の対立ではない、と。葛藤はそれぞれの内面や離れて暮らしている時期にはあるかもしれませんが、2人が一緒に過ごす時間はポジティブなものであってほしいと思ったのです。

——この映画の美しさは、大人になったソフィがビデオカメラに残った映像を見直すことで、今はもういない父親と対話をしている点にあると思いました。しかもビデオの映像に、父親自身はほとんど映っていません。

シャーロット:ご指摘に感謝します。それは意図したものでした。ソフィが父親にカメラを向ける誕生日のシーンで私は(カラムを演じた)ポールにカメラを避けるよう指示をしました。カラムは踊ってその場をやりすごそうとしますよね。

あのビデオカメラはカラムの記録ですが、今はソフィの手元にあります。ソフィや私達がカラムの視点を見ることができるのは、あの映像を通してのみです。トルコ旅行における彼の唯一の直接的な視点が、あのビデオカメラに記録されている映像なのです。

——監督自身の体験では、実際には父親のビデオテープは残っておらず、写真が1枚あっただけとインタビューで語られていましたが、それでもビデオカメラという媒体を選んだのはなぜでしょう?

シャーロット:「視点(パースペクティブ)」という点でこの映画に面白い効果をもたらしてくれるというのが、ビデオカメラを用いた1つの理由です。私の実家で撮られた家族ビデオの中に、強く印象に残っているテープがありました。叔母が「電源は入っていないから」と言って夕食中に私の祖母にカメラを向けているものなのですが、祖母のテーブルの後ろの壁にある幼い私の写真が写っていて、その目線がまっすぐカメラを向いているんです。過去の自分がソファに座っている今の私を見返しているようで、とても不思議な体験でした。そこに自分がいないにもかかわらず、自分をじっと見つめているような感覚とでもいえばいいでしょうか。それは間違いなく、映画の終わりとソフィがじっと見つめるというアイデアに影響を与えました。しかし、その映像を撮ったのはカラムの手なのです。その時彼は、2人のソフィの間に介在する透明人間のような存在です。

——ソフィはカメラに残された父親のまなざしを見返しながら、父親と対話をしていきます。

シャーロット:この映画のプロジェクトが決まったあとで、親類から1本のテープを受け取りました。それは音声は連続しているのですが、画像は静止画が時々コマ送りされていくカメラで記録されたものでした。テープが進んでいくと、私と父とその友人がテーブルを囲んでチェスをしているのですが、みんな首から下だけで顔が一切映っていないんです。静的なイメージを見つめている間、私はそのフレームの周りにある余白を埋めていました。当時住んでいたアパートメントを思い出し、思わぬ記憶がよみがえる。心の奥底に眠っていたものがテープの刺激によって浮かび上がってきたのです。記録物の本質について考えさせられると同時に、その先にあるものを探し、隙間を埋めていくような体験でした。

ソフィにとっても、ビデオカメラの映像は記憶を手繰り寄せる際のアンカーポイントになっています。ビデオ映像の間に映るもの、それは記憶と想像が混ざり合ったものなのです。

——人が記憶を定着させていくプロセスが映画の編集作業と似ていると思われたことはありませんか?

シャーロット:編集はイメージを隣り合わせていくことで、意味を作り出していくプロセスです。そのような意味では、まさに記憶のプロセスも同じではないでしょうか。ただ、記憶はより流動的であり続けます。決して固定されることなく、常に調整され、必要や願望に応じて形を変えていくもの、それが記憶です。ですが、それもすべて意味を探すための営みなのだと思います。

多くの人にとって記憶はイメージに基づくものではないでしょうか。だからこそ記憶に関する作品にとって、映画は魅力的な媒体なのです。

「若くてよい父親」を描くという挑戦

——カラムのような、若くてよい父親が映画のキャラクターとして描かれることは珍しいと思います。なぜそうした設定にしたのでしょうか?

シャーロット:映画に登場する父親というのは往々にして、ダメな父親、あるいは不在の存在として描かれがちです。カラムも別居しているという意味では不在ですが、一緒に住んでいなくてもソフィが感情的に「父親がいない」と感じさせる人物ではありません。それは私と父親の関係でもあります。しかし、そうした親子の関係が映画で描かれることはほとんどありません。カラムがソフィの兄だと思われるぐらい若く見えることも、キャスティングにおいては重要でした。

そうした父親像を描きたいというのが、この映画の原動力になっていることは間違いありません。しかし、それは挑戦でもありました。というのも、観客はスクリーンでダメな父親を見慣れていて、そうしたキャラクターこそを見たいと思ってしまうからです。そして彼等がそれを望むのであれば、その解釈に至ることを優先しキャラクターのポジティブな行動もすべて見落としてしまうでしょう。この映画もしばしば「疎遠になった父親と娘の」という紹介のされ方をしているのを見かけますしね。そうではないと説得するために、これ以上どうしろと?と思うほどです。よい父親を見たいと思っている人達に、勝ち目はないのかもしれません。

——カラムは精神的な不安を抱えていますが、その対処術として太極拳とレイヴが出てきます。なぜこのような身体的なアクティビティを選んだのでしょう?

シャーロット:太極拳とレイヴはカラムの異なる側面を表現しています。レイヴ(やダンス)はソフィと離れて暮らしている時間に関するものです。太極拳や瞑想はきっと、より健康的な自分や内なる平和を見つけようとしていることの表れなのだと思います。それはまた彼がソフィに見てほしい彼の側面でもある。そして彼はよりよい自分であろうと努めているのです。

なぜ太極拳なのかというと、私の父が実際にやっていたからです。叔父もやっていました(笑)。当時スコットランドで流行っていたわけでもなく、かなり珍しいことだったと思うのですが。でもそうですね、太極拳もレイヴも彼にとっては指向の異なる対処法なのだと思います。

——レイヴのシーンはこの映画で重要な役割を果たしています。監督ご自身も普段からクラブに行ったり踊ったりされるのでしょうか?

シャーロット:YESでもありNOでもあります。踊りに行くのは、血中のアルコール濃度がある程度の高い時だけ。ダンスフロアに辿り着けるのか怪しいですね(笑)。やはり踊るのはものすごく楽しいですが、それにまつわる自意識はなかなか振り払えません。でも解放の形式としてダンスは羨ましく思っています。

映画の準備に際しては、1990年代のUKのレイヴの映像をYouTubeでたくさん見ました。明らかに特殊な時代ですよね。そこには大いなる自由や感情の現れ、コミュニティがあった。しかし一方で別の側面もあったのではないかと、見ていて思いました。ドラッグや追い詰められた人びと、絶望的な表情。人びとがそこに閉じ込められているようにも見えたのです。初めは解放の場であったものがいつしか逃れられない牢獄になっている、というように。

この映画の方向性や力関係を決定づけたのもあるレイヴの映像でした。映画の終盤、ソフィがカラムに近づいていくと、デスマスクのような蒼白の顔をした彼の顔が見えてきます。遠くから見れば、慰めや安らぎの場所に見える、けれど近づくにつれて、そこにある絶望が顔をのぞかせる。レイヴのシーンでは、そんな感覚を表現したかったのです。

——なるほど。だからカラムは険しい表情をしているんですね。

シャーロット:ホテルとレイヴでの場面が並行して進んでいくなかで、カラムはソフィをダンスフロアに誘い出そうとしますが、彼女はその誘いを退けます。しかしその後、ソフィは大人になる間常にあの瞬間を取り戻したいと願っているのです。あの場所でもう一度、カラムと関係を築きたい、と。大人になったソフィは実際には、そこで思わぬものを見つけるわけですが。

「今作の編集にはいつにも増して神経を使いました」

——監督の文化的な経験についても教えてください。これまでどんな映画や音楽に触れてこられたのでしょうか?

シャーロット:10代前半は映画の見放題パスを持っていたので、映画館に住んでいるような感じでした。でも見ていたのは、もっぱら米国や英国のメインストリームの映画でした。インディペンデント映画を観るようになったのは、17、18歳頃に映画祭に行くようになってから。そして映画学校に通うようになり、今のような映画を観るようになりました。

音楽に関していえば10代の頃はこの映画に登場するような、2000年代初頭のポップパンクのルーツとなるような音楽をよく聴いていました。その後は少しヘビーなロックも聴きましたし、20代になってからはエレクトロニックに興味が移っていきました。音楽と映画は間違いなく、人生の中で大きな部分を占めていました。

——あるインタビューで小説家のミュリエル・スパークに言及されていましたが、読書はどうでしょう?

シャーロット:そんなこと言ってました? (笑)。でもおもしろいですね。ちょうど最近、彼女について考えていたところでした。ミュリエル・スパークの本を挙げたのは、彼女の小説が最も映画に翻案すべきではない類のものだと考えているからだと思います。小説という形式にかなうように書かれているのです。私はその媒体(メディウム)を最大限活かす方法に関心があります。ですから、それに成功している作品を翻案すべきだとはどうしても思えないのです。

とはいえ、映画にできるものはないかと考えながら読書をすることもあります。映画化するなら、短編が向いていると感じます。トーンに重きが置かれていて、世界像を構築するための余白がありますから。

——他に好きな作家は?

シャーロット:パトリシア・ハイスミス、アイリーン・マイルズ。詩集や古典もたくさん読みます。大学では古典を専攻していましたから。エミリー・ウィルソンが新訳した『オデュッセイア』とか。本棚には本当にいろいろな本が混ざり合っています。

——これまでに3本の短編を撮られていますが、長編は本作が初です。長編を制作するうえで一番大変だったことを教えてください。

シャーロット:編集です。撮影の激しさから一転して、編集には7カ月ほどかかりました。本当に長くて、根気のいる作業です。短編の時とは全く勝手が違いました。特に今回のような映画は小さな変化が全体の印象を大きく左右するので、編集にはいつにも増して神経を使いました。撮影現場にはいつもの10倍以上の人がいましたが、短編の時との違いは感じなかったですね。

——撮影と編集、どちらがお好きですか?

シャーロット:どちらも地獄です(笑)。でも撮影現場でクルーと一緒に作業するのはすごく好きですね。普段は1人でいるのも好きですが、COVID-19の影響でみんな孤立していたので、今回の撮影は特別でした。編集は、この映画を撮るまで生業にしていたことでもあり、いつも楽しんで作業しています。編集者のブレア・マックレンドンは映画学校からの付き合いということもあり、信頼をもって作業にあたれますしね。ただ今作に関していえば、編集が大変だったので、撮影のほうが喜びは大きかったかもしれません。

Photography Yuri Manabe

『aftersun/アフターサン』

『aftersun/アフターサン』
5月26日からヒューマントラストシネマ有楽町、新宿ピカデリーほか全国公開

監督・脚本:シャーロット・ウェルズ
出演:ポール・メスカル、フランキー・コリオ、セリア・ロールソン・ホール 
撮影監督:グレゴリー・オーク 
2022年/イギリス・アメリカ/カラー/ビスタ/5.1ch/101分 
配給:ハピネットファントム・スタジオ
© Turkish Riviera Run Club Limited, British Broadcasting Corporation, The British Film Institute & Tango 2022
http://happinet-phantom.com/aftersun/

author:

平岩壮悟

1990年、岐阜県高山市生まれ。i-D Japan編集部に在籍したのち独立。フリーランス編集/ライターとして文芸誌、カルチャー誌、ファッション誌に寄稿するほか、オクテイヴィア・E・バトラー『血を分けた子ども』(藤井光訳、河出書房新社)をはじめとした書籍の企画・編集に携わる。訳書に『ダイアローグ』(ヴァージル・アブロー、アダチプレス)がある。 Twitter:@sogohiraiwa

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