連載「時の音」vol.21 「トーガ」デザイナーの古田泰子が伝えたい「ファッションの役割」

その時々だからこそ生まれ、同時に時代を超えて愛される価値観がある。本連載「時の音」では、そんな価値観を発信する人達に今までの活動を振り返りつつ、未来を見据えて話をしてもらう。

古田泰子(ふるた・やすこ)
「トーガ」デザイナー。エスモードジャポン/エスモードパリでファッションデザインおよびパターンを学ぶ。1997年に「トーガ(TOGA)」を立ち上げ、東京を拠点にスタートする。2005年に発表の場をパリへ、2014年にはロンドンへと移す。現在、メインコレクション「トーガ」の他、プレコレクション「トーガ プルラ(TOGA PULLA)」、メンズウェア「トーガ ビリリース(TOGA VIRILIS)」、ユニセックスライン「トーガ トゥー(TOGA TOO)」を展開している。
https://www.toga.jp
Instagram:@togaarchives

今回は、1997年にブランドを設立した「トーガ(TOGA)」のデザイナー・古田泰子が登場。2014年からロンドンに発表拠点を移した後も、変わらぬ姿勢で国内外問わず写真家ヴィヴィアン・サッセン(Viviane Sassen)や写真家兼映画作家のアンダース・エドストローム(Anders Edstrom)、五木田智央、ゴードン・マッタ・クラーク(Gordon Matta-Clark)など数々のアーティストとのコラボレーションを積極的に発表してきた。また今年3月には渋谷パルコギャラリーで「MY CONTEMPORARY MOMENT TOGA SPRING SUMMER 2023 COLLECTION」を、オランダ在住のアートディレクター、ヨップ・ヴァン・ベネコム(Jop van Bennekom)を迎えて開催し、業界関係者のみならず多くの人々が来場できる展示でブランドの世界観を打ち出すなど、常に柔軟なアウトプットでファッションを伝えている。

国内外多くの人を魅了させながらも、ファッションから音楽、アート、カルチャーまで独自の審美眼で横断する「トーガ」のたたずまいはどこにルーツがあるのか。文化を通して多角的にファッションの面白みに気付いた学生時代から、コロナを経て今に至るあらゆる時代の変わり目で感じたファッションの役割まで古田泰子の信念を紐解く。

——ブランド創設から26年間にわたり、服作りからアーティストとの密なコラボレーションに至るまで、一貫して古田さんのバックグラウンドが関係しているように感じます。1990年代〜2000年代はアートやファッションなどが肩書き分け隔てなく、交わっていた時代だと聞いたことがありますが、実際振り返ってみてどうですか?

古田泰子(以下、古田):私も若い頃は同じように1970年代の新宿に映画監督、芸術家、小説家が夜な夜な集まっていた伝説の場所などの逸話に憧れていたので、この質問に対して自分が10代〜20代を過ごした1990年代もそういうふうに見られるようになったかという感じですね(笑)。でも、確かに当時のことを振り返ると、世代やジャンルを超えて人が集まっていました。といっても、なんとなく一緒に時間を過ごすだけ。そこには作り手だけではなく、キュレーター的な人と人をつなげることが好きな人も同時多発的に多くいたような気がしています。

——人と人をつなげることが好きな人と編集者とかですか?

古田:私が特に思い出に残っているのは、ファッションブランド「ポエトリーオブセックス(Poetry of Sex)」をやっていた千葉慎二さん。今だったら、アーティストとのコラボレーションTシャツってあたりまえに行っていると思うんですけど、当時千葉さんは、自分が好きなアーティストをみつけると日本を飛び出し、実際の作品は買えなくとも、絵を使用させてもらい、それでTシャツをつくるという活動をしていました。活動というと聞こえがいいけれど、グルーピー気質で、商売にはならないけど、みんなで集まってやっているのが好きという方でした。実際に、私も声をかけられて知り合いになってから、そこに集う絵描き、音楽家、フォトグラファー、編集者などいろいろな接点が生まれました。

——1970年代の新宿の「ゴールデン街」の飲み屋のように、当時みんながよく集まる場所もあったのでしょうか?

古田:今でいう奥渋にあった「静岡おでん屋 6」は、いつも誰かしら来ている場所でした。音楽関係で働いていた夫婦がやっていて、日本では珍しくチャージも取られず立ち寄れる飲み屋で、おかみのキャラクターに集まってくる人々がまた人を呼び、来日アーティストも来るようなサウンドバーとして賑わっていました。3.11を機に日本を離れるため閉店し、周辺の友人も東京を離れる人が増えました。

——そうした場所に通う前、学生時代によく遊びに出かけた場所はどの辺りでしたか?

古田:興味がある音楽の遊び場には、よく出かけに行きましたね。ガレージ系だとサイケデリック、ソウルだとモッズスタイル、ハウスは全身ボディースーツやボンデージスタイル、テクノはCDを首からぶらさげるなどと、それぞれ決まった様式美のファッションスタイルが貫かれていることから、服を通して各音楽のルーツをたどる面白みがありました。

あとは当時、私も若く、1つのものを突き詰めているほうがかっこいいと思い込んでいたので、他のことを排除してスタイルを追求することに憧れていました。でも一方で、クラシックな古典を追い求めるだけではなく、徐々に自分は新しいものを作りたいのかもしれないと、どこか心の中で思っていました。

——当時は古田さんもライヴに行く時にスタイルを変えてましたか?

古田:そうですね。学生時代は、特にガレージやモッズのライヴに行くのが好きだったので1960〜70年代のスタイルをよく着ていました。オーダーメードで3つボタンのスーツを着たり、スクールジャケット専門の古着屋に入り浸ったり(笑)。ポロシャツは絶対3つボタンの「フレッドペリー」に「ベンシャーマン」のシャツというルールがありました。でも別では「コム デ ギャルソン」や「ヨウジヤマモト」など、当時のアバンギャルドなコンセプチュアルデザイナーも大好きで、学生だからたくさんは買えないけれど、持っている数着を大切にクローゼットにコレクションしていました。

——音楽が好きな自分と、ファッションとして驚きのあるものを吸収したい自分が混在していたんですかね。

古田:そうだったんですかね。1991年にプライマル・スクリーム(Primal Scream)のアルバム『Screamadelica(スクリーマデリカ)』がリリースされた時は、今まで別ジャンルとされていたアシッドとロックがミックスされてヒットを生み出していたので、衝撃でした。それまでロックを聴いていた人はレイヴパーティに行かないとか、その時代を境にいろいろなジャンルがミックスされた野外パーティも徐々に増えていって。ファッションでも音楽に合わせたスタイルから、ちゃんと自分の表現として服を選んでくるような雰囲気に変わっていったと思います。

ファッションは未来を予測することで生まれる

——そうした交流の場を通して、ファッション以外のジャンルの方々とお話しする中で、ファッションの役割を考えることはありますか?

古田:日本では、ファッションの重要性を言葉で説明し、デザインの担う役割を伝えられる人が少なく感じます。パリに留学していた時に「洋服の勉強をしている」と伝えると、文化的な役割を果たす分野として敬意を持って接してくれる方が多かったです。洋服に関する根付きの違いなんだと思いますね。日本はどちらかというと表層的で、流行りを追いかけている人という印象が強いのかなと。中身なく着飾っちゃってさ、みたいな。

——そうですね。日本では特に表層のイメージだけで、先ほどお話しされたようなファッションを通して音楽や歴史のルーツをたどれる奥行きのある媒体として見られにくいところもありますよね。そんな時、古田さんは相手にどのようにファッションのことを伝えていますか?

古田:まず、作り手として何が服において必要で面白いかということをとても真剣に考え、その背景や歴史をきちんと発信することで興味を持ってもらえるようにしています。

どうしても年に4回発表していると、無駄に作って廃棄している巨大なマーケットのイメージが目に留まりやすいのかもしれない。でも3ヵ月後の未来を予測して定期的に発表できるチャンスは、ファッションでしかできないこと。その時代に合わせていち早く反映できる利点を持っていると思います。ブランド設立から26年を経た今も当初と変わらず、私達の発表を周囲の人達が理解し、サポートしてくれています。

——心強い応援団ですね。

古田:何を言われようと、実直に考え、作り続けることが大切だと思うんです。そして、ちゃんと自分の意見を持つこと、人に伝えようとすることも大事。ありがたいことに、ジャンルを超えて対話できる人達と知りあっていると感じます。

自分の意見を持って、発言する

——2001年に会社を設立するにあたり、過去のインタビューで社会のシステムを作るという想いがあったとお話しされています。先ほどお話しされた「対話しやすい環境」も意識されていましたか?

古田:そうですね。自分1人で始めたところから3人、5人と徐々に増える中で、各々の意見が出てきた時に「責任」について考えるようになりました。そこから「各部署に2人」を目指すようになりました。対話することにより補い合い、どちらかが休めるようにしたいと思ったんです。設立当初は徹夜があたりまえでみんなへとへとになるまで働いていた頃がありました。だからこそまず、ちゃんと自分の意思が伝えられる会社にしなきゃと思いました。

——他の業界から見れば当たり前のことかもしれませんが、そうした自分の意思を忘れない職場の環境づくりは大切ですね。社会に例えるとジェンダーバランスによって、そうした自己主張がしにくい環境についても声が上がってきているように感じます。

古田:私は会議の際全員が自分の意見を持ち、それを伝えてほしいと思っています。海外では自分の意見をちゃんと発言することは教育上あたりまえですが、それって伝える努力をしている姿勢でもありますよね。ジェンダーや世代にかかわらず、みんながフラットに意見を言い合える環境が整った会社でありたいと思います。

——「トーガ」のSNSでもそうした自分達の考えを発信している印象があります。

古田:ルックやイメージを発信する場だけでなく、社会問題に関するオススメの書籍を紹介したりと、世の中の情勢にもアンテナを張り、意思表明をすることができる大切なツールとして活用しています。

——ファッションもある種の自分の意見をコミュニケーションする手段の1つですよね。

古田:そうですね。実は一番きっかけが作りやすいアプローチだと思います。自己アピールできる1つの手段がファッションです。「TPOをわきまえる」という言葉も、夜の装い、大事なミーティングなどそれぞれのシチュエーションに合わせて自分で服装を選ぶという大切な行為。リクルートスーツを着るような意味で使われて、その人の色が見えなくなってしまっては、ファッションの本来の役割を果たせていない。

自身を表現しやすい社会にするためにも、まだまだファッションができることはたくさんあると感じています。

——過去のインタビューで一点モノの衣装製作をしていた頃に、もっと多くの人に見てもらいたいという葛藤があったとお話しされていました。社会の中で、自分の服を流通させることは、そうしたファッションの役割をより広めることでもあるのでしょうか?

古田:より自分の意見を民衆化したいという気持ちが当時からありました。今の時代で言えば、洋服の面白さは、工場システムに沿ってパターン化することによって多くの人に提供できるところにあると思っていて。私にはオートクチュールのテクニックも文化もないからこそ、そうしたプレタポルテの最大限の可能性を引き出すべきだと考えています。

実際に作る工程として、自分の感情を完全に図式化してパターンに落とし込む数学的な手法に変換することで、多くの人に手に取ってもらえるようになる。いずれ、「トーガ」の服がビンテージになった時に、自分が古着を手にした時に感じてきたブランドの歴史や時代の痕跡が同じように伝わればいいなと思います。

——時代を超えても記憶に残る服に魅力を感じるんですね。現在は、その大量生産への移行が何度も繰り返された後なので、古田さんが学生時代に買っていた古着とはまた違う服であふれているのかなと思います。

古田:古着は、時代の流れを体現しているものです。ここ数年は、古着の仕入れをする中で、ファストファッションの服が多く出てきます。そうすると私が興味をもつような古着は出てこなくて、明らかにこの数年で古着の感覚は変わってきていますね。たくさん作っているものが、そのままたくさん廃棄されているような感じです。その古着の山を見て、「トーガ」の服はこうなってほしくないと常々感じていて。「トーガ」としては「簡単で便利な服」ではなく、愛着を持てて自分らしく強くいられるという服作りに時間をかけていきたいです。

着た人に自信が与えられる服を作る

——2010年代のファストファッション以降から、現在2020年のコロナ以降として社会のムードが変化してきています。コロナを機に新たに見つめ直したことはありますか?

古田:コロナ当初は、服が必要とされていないように感じていました。発表形態も変わったので、何か違うものを作るべきなのかとも考えて。でも、実際振り返ってみた時に従来のランウェイや見せ方に限らないやり方を摸索できるポジティブなきっかけになったと思います。アーティストにコレクションを送ってリモートで撮影する試みや、ランウェイ形式の映像を通してじっくり服と向き合うとか。さまざまな方法を考える有意義な時間になりましたね。現在は元のスピード感が戻ってきましたが、違った形で関わる方法を考え中です。

——今年3月に渋谷パルコで開催した展示「MY CONTEMPORARY MOMENT TOGA SPRING SUMMER 2023 COLLECTION」は、初めての展示形式への試みだったと思います。

古田:コロナ禍はどうしてもモニター越しでの広がりに注力していたので、実際にそこに行って体感してもらうことの大切さに改めて気づかされました。

先日、東京オペラシティ アートギャラリーで開催していた泉太郎さんの参加型の展覧会「Sit, Down. Sit Down Please, Sphinx.」(2023年1月18日~3月26日開催)に行って、会場に入ってからビニールのテントをかぶる体験をしたのですが、どこか懐かしさを感じる部分があって。昔はもう少し街中でも、ゲリラ的にハプニングアートってたくさんあったよなと。

——「トーガ」は2014年からショーの発表の拠点をロンドンに移しました。ロンドンを選んだきっかけを教えてください。

古田:ヨーロッパでPRを探している中で、何人かの方に会いました。国というよりその人柄で惹かれて直感で選んだところ、その人がロンドンで発表しようと勧めてくれたのがきっかけでした。その出会いから10年以上のパートナーとなり現在に至ります。

ロンドンで発表していると、クリエーションと社会貢献を一緒に問われることがスタンダードなんです。バックステージのインタビューでもサステナビリティの活動や、企業理念などデザイン以外での質問も多く、伝統的な側面に価値を置くイギリスですが、動物愛護についてデパートが毛皮の使用禁止に早い段階で声をあげたりと、問題提起への俊敏さに居心地の良さを感じます。性別関係なく対等に肩を組み合っている感じも「トーガ」を表現する上で合っていると感じました。

——東京のファッションはどのように見えていますか?

古田:平均値を取るようなファッションが、広告でも街中でも増えたように感じます。広告や動画など表に出る表現者がどうして「普通」にならなきゃいけないのかということに疑問を持っていて。本来、自身の個性を表現することがファッションの醍醐味だと思うんです。マーケティングの力がSNSを通してダイレクトに伝わりやすくなっているので、画一された美意識にとらわれてほしくないなと。独自の個性を生かし、ファッションを楽しんでほしいと思います。

——「トーガ」は日本発のブランドとして今後どうありたいですか?

古田:曖昧ではなく、きちんと能動的に発信していくことで、「トーガ」全体の考えを知ってもらい、その上で選んでもらえるブランドでありたいです。

着る方の心の支えになり、身に着けることで自信をもって前に出ていけるような服作りを続けていきたいと思います。

Photography Mayumi Hosokura

author:

倉田佳子

1991年生まれ。国内外のファッションデザイナー、フォトグラファー、アーティストなどを幅広い分野で特集・取材。これまでの寄稿媒体に、「Fashionsnap.com」「HOMME girls」「i-D JAPAN」「Quotation」「STUDIO VOICE」「SSENSE」「VOGUE JAPAN」などがある。2019年3月にはアダチプレス出版による書籍『“複雑なタイトルをここに” 』の共同翻訳・編集を行う。CALM&PUNK GALLERYのキュレーションにも関わっている。 Twitter:@_yoshiko36 Instagram:@yoshiko_kurata https://yoshiko03.tumblr.com

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