中東の定番スイーツ、クナーファ職人・山田柊によるパレスチナでのクナーファ修行紀行 -前編-

イスラム世界の説話集「アラビアンナイト」にも登場し、古くから中東で親しまれているスイーツのクナーファ。小麦粉と水でできたサクサクとした生地を使用し、中にチーズをたっぷり挟んで焼き上げ、上からナッツと甘いシロップをたっぷりかけるのが定番だ。甘党が多いといわれる中東で、シロップがたっぷりかかったクナーファは驚くほどの甘さが特徴でもある。

学生時代に中東の紛争や難民問題に関心を寄せ、楽しみながら携わり続ける方法を模索した結果、2019年からクナーファの調理・販売を始めた山田柊が今年の2月にパレスチナを訪れた。クナーファを独学で作り続けて4年、本場パレスチナでの修行の模様と旅の記録を綴る。前編はパレスチナの中心都市ラマッラーにある「アルウマラースイーツ」での修行初日とクナーファの製造過程を中心に紹介する。

4年越しに実現した本場パレスチナでのクナーファ修行

「残念だけど、店を開けることはできない。今日はもう終わりだ」

11時の開店に合わせて早朝から作っていた、たくさんのアラブスイーツを背に、パレスチナの菓子職人サラーフ(Salah)は僕にそう言った。

僕は日本でクナーファというスイーツを作っているのだが、今年の2月に1カ月ほど、クナーファの本場であるパレスチナに滞在しクナーファ修行をしていた。パレスチナは、異なるルーツを持つ人々による根深い対立を抱えた地域でありながら、紀元前から絶えず営まれてきた生活の歴史があり、洗練された文化と寛大な包容力を持つ魅力的な土地でもある。中でもスイーツの文化はとても盛んで、街を歩けば日本でいうドラッグストアくらいの頻度でお菓子屋さんを見かけるし、菓子職人はパレスチナ人の憧れの職業で、給料も平均の2倍ほどらしい。

紛争問題解決への貢献を目指していながら、気付けばアラブのスイーツ文化に魅了され没頭していった僕は、パレスチナのクナーファを独学で作り続けること4年、ついに本場で修行するために憧れのパレスチナへ飛び立った。

パレスチナに到着して最初に向かったクナーファ屋さんは、パレスチナの中心的な都市ラマッラーにある「アルウマラースイーツ(AL OMARA SWEETS)」というお店だった。「アルウマラースイーツ」は、車がギリギリすれ違えるくらいの道路とパレスチナにしてはかなりしっかりした歩道から構成される、小さい通り沿いのさまざまなお店がびっしりと立ち並ぶ中にある。長い歴史を持つこのお店は、賑やかな通りにありながらもその喧騒を感じさせない落ち着いた佇まいであった。それだけでなく、パレスチナ到着早々にここで食べたクナーファはピスタチオすらまぶさないシンプルなタイプで、次の日の予定も決まっていない僕にとってはより一層落ち着く味がした。 歴史のある店らしく、賑やかな通りにありながらもその喧噪を感じさせない落ち着いた佇まいであったし、パレスチナ到着早々にここで食べたクナーファはピスタチオすらまぶさないシンプルなタイプで、次の日の予定も決まっていない僕にとってはより一層落ち着く味がした。

「アルウマラースイーツ」でクナーファを食べ終えてから、今回のクナーファ修行を完全なる好意で全面的にサポートしてくれたパレスチナ出身の大恩人、アミン(Amin)(なんと、日本で僕のお店に来てくれたお客さんが事前に紹介してくれていた)と落ち合い、彼を通じてひとまず無事に「アルウマラースイーツ」で翌日から修行させてもらえることとなった。実をいうと、アミンを紹介してもらうまではパレスチナのクナーファ屋さんに対して1件もアポイントメントを取れておらず、こうなればぶっつけ本番でクナーファ屋に突撃していくしかないと考えていたし、その結果として最悪1件も見学や修行に入らせてもらえないという事態も覚悟していた。それだけに、言葉も通じない見ず知らずの外国人を受け入れてくれる、パレスチナ人のホスピタリティは本当にありがたかったし、ここまでしてくれた以上、できる限り誠実にクナーファを作っていかなければいけないなという気持ちになった。(そういうことを彼等に伝えると、「見返りを求めて親切にした訳じゃないよ」と笑って返されるのはお決まりであるが)。

聖地パレスチナで見た、念願のクナーファの製造過程

翌日の朝9時、どきどきしながらお店に着くと、さっそく店の地下にある工房に案内された。工房はまるで洞窟の中に作られた秘密基地の様で、長年使い込まれた空間にしかない美しさがあった。

工房に降りていくと、サラーフ(Salah)とナーダル(Nadir)という2人のベテラン菓子職人が、「ギー(ghee)」という精製された油を、一斗缶ごとガスコンロで熱して溶かしている最中だった。僕はその豪快さに圧倒されながらも、フレーズだけ覚えたアラビア語で2人に挨拶をし、修行を受ける旨を伝えた。修行とはいっても、アラビア語の出来ない僕は細かい指示を受けられる訳ではないため、最初の方は2人にくっついて作業を見学し、気になることがあればどうにかこうにか質問をして答えてもらうという流れになった。先ほどのギーの成分について聞いたり、クナーファとはまた別のアラブスイーツに用いられるミルククリームの製造を見せてもらったりした後で、ついに僕はその聖地であるパレスチナで、念願のクナーファの製造過程を目の当たりにすることができた。

クナーファ担当のナーダルはまず、先ほど溶かしたgheeを両手いっぱいほどのサイズの長方形の焼き型に塗り、「アジーネ(eajine)」と呼ばれる小麦粉からできた黄色い粉末状の生地をふるいにかけながらギーを塗った部分の上にこんもりと盛る。さらにそのこんもりと盛られたアジーネを慣れた手つきで平らにならし、その上から「ジュブネ(Jubna)」と呼ばれるチーズを満遍なく敷き詰めた後で、弱火にかける。10分ほど経ったら、焼き型の上に同じようなサイズの型で蓋をして、ぐわっと一気にひっくり返す。最後に、ひっくり返されて露わになったきつね色の面にシロップをたっぷりとかけて完成である。出来上がったクナーファは真っ先に店頭に運ばれ、ガスの火口の上に水の層が配置された専用の機械の上に置かれて(ほどよい温度で保温しておくため)お客さんを待つ。

その後、うずうずしている僕の様子を見かねてか、サラーフが「フィンガーミルク」と呼ばれるスイーツの製造を僕にも手伝わせてくれたり、この道30年以上にもなるサラーフが以前は違う土地の立派なホテルで働いていたことなどを話してくれたりした。その日のスイーツの製造をあらかた終え、工房で作られた美味しそうなスイーツを地上の店頭へと運ぶ作業に移った。

イスラエル軍の襲撃に対するストライキでクナーファを売ることができない現状

しかし、何やら地上の方が騒がしい。階段を上がって店舗部分へと戻ると、店のウインドウから見える通りの空気がいつもと違い、物々しい雰囲気だった。しばらくすると、それまで開いていた「アルウマラースイーツ」のシャッターが、お店の人の手によって下げられた。いまいち状況のつかめていない僕は何が起こっているのかをサラーフに尋ねると、「残念だけど、店を開けることはできない。今日はもう終わりだ」と呆れた表情で答えてくれた。どうやら、パレスチナ北部のジェニンという地域で今朝行われたイスラエル軍による襲撃に対するストライキが、ラマッラーの街全体で行われているようだった。街のほとんどのお店がシャッターを下げて休業することで、抗議の意を示しているのである。呆れた表情をしていたサラーフを見ても、せっかく作ったスイーツを今日売ることができないこの状況を彼等が喜んでいないのは明らかだった。ただそれでも、同胞の犠牲をもたらした襲撃に対してはっきりと自分達の意思を示すためには、こうするしか手段が無いのだろう。閉められたシャッターの内側で、食べられることのないスイーツ達がおいしそうに並んでいた。

また、次の営業日に来る約束をして、仕方なく「アルウマラースイーツ」を去った僕は、ストライキによるシャッター街をしばらくふらついた後で、運よく開いていた、というより途方に暮れていた私を見て無理やり入れてもらったカフェの中から、街の真ん中で行われていたデモの様子を見ていた。デモはこちらの大学生を中心に行われているようで、途中、僕のいたカフェにもデモに参加しないかと誘ってくる使者がやってきたりもした。

聖地パレスチナでクナーファの製造過程を見るという4年越しの宿願が叶ったことによる大きな喜びと、作ったクナーファを売ることができない事態が存在するこの現状に対しての驚きが混じり何とも言えない気持ちを募らせた僕は、デモの喧噪と隣り合わせのカフェの席でひたすらInstagramに修行の写真をあげることでどうにかその気持ちを発散していた。

Photography Shu Yamada
Editorial Assistant Emiri Komiya

author:

山田柊

1997年生まれ。高校時にシリア内戦をきっかけとしたヨーロッパ難民危機の報道に触れ、関心を持つ。その後、国際協力系の学生NPO法人で活動する中で社会課題を前提としたアプローチに違和感を覚え、活動主体の楽しさを最大化した先に課題解決を見据える方法を模索しクナーファ活動を始める。現在は国立市谷保の「富士見台トンネル」にて毎週水曜日のカフェ営業を行っている。 Instagram:@shuknafeh

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