連載「時の音」vol.22  小説家・川上未映子が『黄色い家』で描いた、「どうやって生きていきたいのか」という問い

その時々だからこそ生まれ、同時に時代を超えて愛される価値観がある。本連載「時の音」では、そんな価値観を発信する人達に今までの活動を振り返りつつ、未来を見据えて話をしてもらう。

川上未映子
大阪府生まれ。2008年『乳と卵』で芥川龍之介賞、2009年、詩集『先端で、さすわ さされるわ そらええわ』で中原中也賞、2010年『ヘヴン』で芸術選奨文部科学大臣新人賞および紫式部文学賞、2013年、詩集『水瓶』で高見順賞、同年『愛の夢とか』で谷崎潤一郎賞、2016年『あこがれ』で渡辺淳一文学賞、2019年『夏物語』で毎日出版文化賞を受賞。他の著書に『春のこわいもの』など。『夏物語』は40カ国以上で刊行が進み、『ヘヴン』の英訳は2022年ブッカー国際賞の最終候補に選出された。2023年2月、『すべて真夜中の恋人たち』が「全米批評家協会賞」最終候補にノミネート。
Twitter:@mieko_kawakami
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今回は2月に長編小説『黄色い家』(中央公論新社)を出版した小説家の川上未映子が登場する。「ブッカー賞」の翻訳書部門「ブッカー国際賞」の最終候補に『ヘヴン』が、全米批評家協会賞の最終候補に『すべて真夜中の恋人たち』がノミネートされるなど、近年では海外でも人気が高まっている。

『黄色い家』では15歳の伊藤花が、スナックで働く母の友人・黄美子と出会い、数年間ともに暮らした20歳過ぎまでの歳月を描く。居場所のなかった花が翻弄される、金と家。同年代2人も含めた疑似家族生活の変容。新聞連載時から話題を集め、発売から時間が経った今も書店で平積みされている。今の時代ともリンクする『黄色い家』に込めた想い、そして小説家の役割とは。

「ここが頑張り時」というタイミングを見極めて、踏ん張れたらいい

——『黄色い家』は発売からしばらく経ちましたが、どのような反響が印象に残っていらっしゃいますか?

川上未映子(以下、川上):印象的な感想をたくさんいただきましたが、主人公の伊藤花に思い入れを持って、「最後まで見届けたい」という気持ちの方が多くて、嬉しかったですね。

——個人的な感想をお伝えすると、私は青春小説としてこの一冊を読みました。思えば、社会が規定する“キラキラとした青春“にどうにか自分の青春も重ねようと、記憶を加工していたところがあります。本を読みながら、どんどんホログラムシールが剥がされて思ったのは、いい意味で自分の10代を特別視しないでありたいということ。演出していた自分の10代と向き合いたいと思えたのは、大きな発見でした。

川上:嬉しいです、ありがとうございます。

——他のインタビューで「私の青春期である90年代に興味があった」と仰っていました。書かれてみて、ご自身にとっての90年代はどのような存在だったと感じられましたか?

川上:私自身の90年代はずっと働きっぱなしで、特になにもありませんでした。おもしろいのは、住んでいる場所もカルチャーも違うのに、その時代の“空気”みたいなものは漏れ伝わってくるんですよね。北新地のホステスにも岡崎京子さんや小沢健二さんの作品は流れてくる。たとえ目に入れたくなくても、その時代を一色に染めてしまうのが流行の力であって、暴力的でもあるし、誰も選べません。特に90年代は、オウムや阪神・淡路大震災といったトピックスや若者を象徴するユースカルチャーがあるので、違う毎日を生きていても共通の思い出がある、というのが不思議です。

——小説の中にも、女子高生をとりまくカルチャーとして援助交際やルーズソックス、たまごっちなどが出てきます。

川上:当時から25年ほど経ち、その時に積み残したもののエッセンスをようやく検証できる時期に入ったのではないかな、と思います。ノスタルジーの方向で青春時代を振り返って書くのではなく、今を考えるために90年代と向き合う方法もあるのではないかと思いました。

実際に、オウムと対をなすように、統一教会の問題が再検証されようとしています。20年以上前にあったものが、もう一度地表に出てくるような現象がこれからも続くはずで、90年代と今をつなげて書いた感覚が近いです。

——勝手ながら、ご自身の青春時代も重ねながら書かれたのかと思っていました。

川上:私は大阪でしたので、また雰囲気が違いますね。ああ、でも、クリスチャン・ラッセンを買っている人はまわりにけっこういましたね(笑)。ただ、時代検証や、社会問題を考えるために小説を書いたわけではなくて、人間のどうしようもなさ、めんどくささ、いじらしさ、エネルギーみたいなさまざまなものを目撃して書きつけたい、という気持ちが書く動機としてあったんだと思います。

誰にも、誰かのことを、幸せか不幸かは、決められないじゃないですか。というか、決めちゃいけない。貧困やヤングケアラーについては社会の構造的な問題なので今すぐにでも変革が必要だけれど、とらえられない今を必死に生きて、与えられたものの中から自分で選んだ人生を生きている人をジャッジすることは、誰もできないと思います。花のような人はこの世界にたくさんいますよね。受験勉強をしている学生、スタートアップで資金調達に苦戦している人、どんな状況でも「自分がやらなきゃ」と頑張っちゃう人……。主体性をもつのは大事ですけれど、それも場面によって変わりますよね。なんであれ、すべての状況で使える便利な言葉、というのは、ないのだと思います。

——声が上がっていないだけで、花さんのような人はたくさんいるのかもしれません。

川上:そうですね。物を書いたり読んだりする人だけじゃないし、みんな違う場所で生きていますものね。いい雰囲気とともに広まっている言葉にたいしてもちょっと距離をとれるといいですよね。ありのままでいい、自分を愛しましょう——そういう言葉に救われることもあるけれど、真面目な人ほど真に受けて、ありのままでいられないことに苦しんでしまいます。ずっと全力でなくても、「ここが頑張り時」というタイミングがあるので、そこで、自分なりに踏ん張れたらいいと思う。

——花は、全力で突き進むタイプでしたよね。

川上:ね、責任感が強くて、頑張り屋さんで。でも、花は若いから。若い時はみんなそんな感じなのかもしれません。年を重ねたら、みんな相応になっていくから、あまり心配いらないと思います。だから、青春小説だって読んでくれる人がいるのが、とても嬉しいですね。

「どうやって生きていきたいのか?」何歳になっても問い続ける

——黄美子が、個人的に惹かれるキャラクターでした。彼女らしさを特別に感じたのが、冷蔵庫を食べものでパンパンに詰めて花の元を離れるシーン。何気ないシーンから、彼女の温かさを感じました。今回、プロットを作らずに「カラオケで出たキーで歌う」みたいなスタンスで書いたと拝見しましたが、人物設定も決めなかったのでしょうか?

川上:これまでは、わりと細かく人物設定を決めてから書いていたのですが、今回はあまり考えませんでした。無責任に指が動くままに、なんてことはないけれど、1章から13章までのタイトルだけを決めて、あとは探り探り書いていきました。黄美子はもっと、花と共謀して悪事に手を染めるだろうと思っていましたが、いつまでたっても、あまり話してくれなかったですね。

——これまでと違う書き方になったのは意識的だったのでしょうか?

川上:新聞連載だったので必然的な変化ではありましたが、ある程度構想はありながらも、その時で会った人が聞かせてくれた話、経験、目撃したものを書いていくような感覚でした。

——社会的に必要/不要というジャッジが存在するようになり、歳を重ねると、社会にとって用済みになるのではないかという不安を感じることがあります。黄美子さんのように「それでも私はここにいる」と居場所を見定めて、立っていたいと思いました。

川上:ね、わからないことだらけですよね。健康に生きられたらいいけれど、自分では選べません。体力も知能もすべて、40歳を超えると後は下がっていくだけで、生きることは、基本的にどんどんつらくなること。それはみんなそうです。人生は撤退戦だと、生まれた時から決まっている。でも、それを味わうのが人生でもあって、「どうやって生きていきたいのか?」自分の人生を端っこに寄せずに、真ん中に置いて問い続けている人はいつまでも元気だなと思います。長生きはしたいと思いますか?

——健康は意識するようになりましたが、長生きはそこまでしたいとは思わないですね。長生きするのも大変そうですし。

川上:そうか。若い人はわりとそう答えるような気がします。多くの小説の主人公は、大金を手に入れたら潔く使うけれど、花は蓄財の鬼となる。それは、自己責任の世界で保証も福祉もない世の中に期待をしていないから、未曾有の事態に向けて充分に準備しているんだと思います。

「どうやって生きていきたいのか」考えるのが大事だと話しましたが、理想はあっても、お金がなかったら困るのも事実ですよね。自分らしさよりも明日のシフトが大事だし、ありのままや自分を愛することが、どれだけ贅沢な話なのかっていう矛盾も思います。

小説家の役割

——『すべて真夜中の恋人たち』英訳版が全米批評家協会賞「小説部門」の最終候補に選出。『ヘヴン』の英訳は2022年ブッカー国際賞の最終候補に選出され、『夏物語』は40ヵ国以上で翻訳刊行が進むなど海外からも大きな注目を集められています。海外の読者の反響を、どのように感じていらっしゃいますか?

川上:翻訳文学を読もうと思うのは、まず批評家や書評家達なんですよね。でも私はストリートで生まれ育った感覚があるので、そこに届くのが何よりも嬉しいと感じました。本が広まるにつれて、若い人達がたくさん動画や画像を送ってくれてね。日本文化を知るために読んでるんじゃなくって、ただおもしろい小説を読んでくれてるってフェーズが来ていることを実感して、それがすごく嬉しかったです。

——学問や日本文学の研究のためではなく、市井の人々が個人的な興味から読んでくれるフェーズ。

川上:10代の子が、本と一緒に自撮りをしてくれた投稿を見た時は感動しました。限られたお小遣いを握りしめてこの本を買ってくれたんだと思うだけで胸が詰まりますよね。素朴だけれど、とても力強い。本当に涙を流して読んでくれている反応を間近にすることができた時に、初めて「読まれた」と思いました。

——「小説は世直しではない」と仰っていましたが、ご自身の作品が誰かに影響を及ぼす瞬間もたびたび経験されていると思います。川上さんの中で、小説家としての役割や提示したいことを、どのように考えていらっしゃいますか?

川上:小説家を含めたアーティストというのは、半分以上は自己実現でやっているはず。自分の仕事に関して言えば、特にそうです。「読んで救われました」と言ってもらえることはあるけれど、わたしの書くことで、ものすごく傷ついている人もいます。自分に都合のよい感想だけをみるのは、フェアじゃない気がする。

——傷つけているかもしれない、という事実とはどのように対峙されているのでしょうか?

川上:難しいところですよね。でも、広告とは違って、見たくなくても目に入ってくることはなく、能動的に読まないと共有されないものでもありますよね。読まない自由が読者にはあるので、そう思うと少し気は楽になります。ただ、どうしたって人を傷つけてしまう、その上でどうするか。誰も傷つけない、誰一人として置いていかない方法があればいいのだけれど、「誰も不幸にしない」という視点から考え始めるのは、難しいのではないかと思います。たった1つの正解に行きつくものではないので、「傷つけてしまう」、その前提でどうしていくかを、探りながら考え尽くすしかないと、今の私は思います。

Photography Takahiro Otsuji
Hair & Makeup Mieko Yoshioka

『黄色い家』著者:川上未映子

■『黄色い家』
著者:川上未映子

十七歳の夏、「黄色い家」に集った少女たちの危険な共同生活は、ある女性の死をきっかけに瓦解し……。人はなぜ罪を犯すのか。世界が注目する作家が初めて挑む、圧巻のクライム・サスペンス。

ページ数:608ページ
定価:¥2090
https://www.chuko.co.jp/special/kiiroiie/

author:

羽佐田瑶子

1987年生まれ。ライター、編集。映画会社、海外のカルチャーメディアを経てフリーランスに。主に映画や本、女性にまつわるインタビューやコラムを「QuickJapan」「 she is」「 BRUTUS」「 CINRA」「 キネマ旬報」などで執筆。『21世紀の女の子』など映画パンフレットの執筆にも携わる。連載「映画の中の女同士」(PINTSCOPE)など。 https://yokohasada.com Twitter:@yoko_hasada

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