町田康と『口訳 古事記』 後編 “おもしろさ”の力

町田康
1962年大阪府生まれ。町田町蔵の名で音楽活動を始め、1981年パンクバンド「INU」のアルバム『メシ喰うな!』でレコードレビュー。1992年に詩集『供花』、1996年に初の小説『くっすん大黒』を発表。翌1997年、Bunkamuraドゥマゴ文学賞・野間文芸新人賞を受賞した。2000年『きれぎれ』で芥川賞、2005年『告白』で谷崎潤一郎賞、2008年『宿屋めぐり』で野間文芸賞など受賞多数。2023年度より武蔵野大学文学部専任教員を務めている。

変にまとまらなくてもいいし、伏線なんて気にしない。懐かしくもあり新しくもあり、そして何よりおもしろい! それは、パンクロッカーたる小説家が書いた、日本最古の物語の「口訳」。4月に刊行された新作『口訳 古事記』(講談社)をめぐり、著者の町田康が語る。後編では作家としての技術論や、最近考えていること、とても大切な「おもしろさ」が持つ意味について伺う。

言葉を、いかに声にするか

−−今回、『古事記』を現代語にするにあたっての葛藤はありましたか?

町田康(以下、町田):言葉って、生き延びていく言葉と、今しかない言葉がありますよね。ファッションなら、同じアイテムでも気付くと呼び名が変わっていたりする。5年後ここに書かれた言葉を読んだ時に、文字づらを見てぱっとわからないようになったら、通じるのかどうなのか。それは思いました。

僕等が明治時代の本を読んで、その頃使われていた「今の言葉」について「だいたいこう言うてんやろうな」とイメージしながら読むことってありますよね。文学の言葉の中に「今の言葉」をリサイクルしていくようなことで、かっこええと思ったりします。僕はそういうことが好きな部分はありますね。

普通に考えれば結果もなにもない、兄王が猪に食われたのだから、神意ははっきりして
おり、明快に、 No War である。だけど忍熊王はこれを無視した。
「やる、ちゅたらやるんじゃ」
忍熊王はそう言い、神意ガー、と言って反対する人に対しては、
「いまやらな、いつやるんじゃ。こんなチャンス二度とないやろ」
と説得した。

(『口訳 古事記』p.369 日本武尊/忍熊王の叛逆 以下、引用はすべて同書より)

−−確かに昔の小説を読んでいても、意味がわからなくても文脈から想像できる言葉ってありますね。わからなくてもそういうものとして慣れますが。

町田:それに、やっぱり実感が伝わるんですね。今の言葉を使った方が、生の神様がそこにいる感じになる。「この人は神様やな」と思わせる。具体的な例はすぐ出てこないんですが……。なぜなら、言葉は書いている時にある種の直感で出てくるから。

−−会話にたびたび出てくる「いやよー」とかも直感で出てきたんですか?

町田:それは直感じゃないですね。「いやよー」とか、「マジですか」「マジですよ」。そのへんはどちらかというと、技かな(笑)。

−−ストレートな表現や、リズムを作る表現の時は、どちらかというと技術。直感で選ぶ言葉というのは、出来事や人物だったり、町田さんのイメージを描く時、ということですかね。

町田:『口訳 古事記』に限らず、どんな文章を書く時も、そう言えるかもしれません。とはいえ、文章というのは、新しい一行を書くごとに常に世界がそこに立ち上がってくるから、おもしろいもんです。表現がピタッとはまると、決まったなと。「マジですか」「マジです」とかはなぜかやっちゃう(笑)。いらんなあと思いながらも何か言いたくなる。

−−読んでいて、はまっちゃいます。「ちょっとテンションヤバくないですか」「ヤバいっすね」とか。

町田:いらんのですけどね(笑)。でもやっぱりね、日常で普通に言うてることだから身体に合ってるんですよ。普段の会話って、8割くらい無駄なこと言ってるじゃないですか。繋ぎの言葉ばっかり。だからそういうやりとりを入れることで、頭の中のイメージだけだったのが、書いている時の身体になっていく。会話が転がっていくんです。そういう意味では真実を書こうという時でも、それを入れていった方が、時間がかかるけど腑に落ちるっていうかね、声になっていくんじゃないですかね。

正解なんて求めるものじゃない

−−ところで最近、町田さん自身は武蔵野大学の教員として文学を教え始めました。まだ始まったばかりですが、どんな授業をしているんですか?

町田:基本的に言えることは、「僕も正解なんて知らんし、自分で問いを見つけてくださいね」と話しています。つまり、ある小説を読んだ時にどういう問いを立てますか、と。その問いに対して、自分だったらどう答えますか? というのが僕は文学だと思っています。そこに向かう学生の皆さんがその道を辿るのを手助けする。

でも先に言ったわかりやすさの話もそうだけど、「正解がどこかにある。正解を求めたい」という傾向をいろんなところで感じますね。正解を知ってたら、こんなことしてない。

−−若い人は、わかりやすい答えを求めがちだと。

町田:「これが正解です」とは、ようするに人の理解しやすいところに収めてすっきりするということ。それを求めるのは、人間の性かもしれません。もしかしたら、「落としどころを書きなさい」という指導も、教育においてあるかもしれない。本来、落としどころなく宙に放り出される感覚が気持ちよかったりしますけどね。

−−町田さんも翻訳する時の話として、「あるはずや」と自分なりの手掛かりを信じて地図にない道を歩く、とも以前書かれています。

町田:本当に自分でたどり着いたことならいいんですけど、思ってもないことを取ってつけたように書くのは違うかなと。『古事記』なんて、そんなのないですから。自由奔放に突っ走れちゃうよさもあるんでしょうね。

−−しかし、この作品の連載中はちょうどコロナ禍のピーク。世の中が変わっていったことは何か影響はあったんでしょうか?

町田:どうでしょうね。なるべく世の中に関わらないようにしてますから(笑)。商売繁盛すればするほど家にいる仕事ですし、おかげさまでずっと家にいてこの作品を書いてましたね。まあ、パニックみたいな状況に思うところはあって、知らないうちにそういう気持ちが文章の細かなあやに出ているかもしれないですが……。

でも、もっと気になったのは「STAY HOME」とか「Go To」とか「日本語で言えやコラ!」と(笑)。なんで英語で言うねんって。

−−(笑)。その方が柔らかくなるのか……ごまかされている部分は多分にありますよね。

町田:日本語で言うてもらわんと困ることはスマホのメモにためているんですよ。はっきりとした英語にならない、生き残る日本語。「座談会」とか「万年筆」とか……。

−−英語にすると軽く聞こえそうですね。

町田:それと「終電」。ヤバいやん、逃されへんやん、終電は。「もう終電ないねん!」って言うたらヤバいけど、「エンドトレインないねん!」言うても「何やそれ、まだええやん、飲も飲も」って(笑)。あとまだあって、外国人が絶対わからない日本語も集めてます。「まつり縫い」とかさ。フェスティバルステッチ?(笑)。直感でほんまに心にぐさっとくるのは、日本語の方がまだまだ……って何の話やろね(笑)。

文章が動いて、自分が動かされていく

−−その中でこの『古事記』を読むと、清々しいですよ

町田:おもしろい話です。「おもしろい」とは面が白いということ。天の岩戸に隠れた天照大御神が岩戸を開けて出てきた時に、真っ暗だった世界に光がバーッと差して。そこに集った神様たちの顔が照らされて「面が白い」と! そんなおもしろいことを追求したいんですよ。

−−まさにそこから「おもしろい」は始まったんですかね。

町田:人間って100%おもしろいわけじゃなくて、その裏に辛さがあるから、おもしろさがある。おもしろいというのは、それも含めてのものだから。この件にしても岩戸隠れの真っ暗闇があったわけで、表裏一体なんです。でも、別の見方をすると、深刻面してたら賢そうに見えるけど、笑ってたらアホに見えるじゃないですか(笑)。深刻な顔して大義名分言うてるよりも、おもしろい方がええやんけって感じるんですよね。ゲラゲラ笑っていると何かが崩壊してますから。自分から解放されているのかもしれない。

それゆえ、外、すなわち世界は真っ暗になっている。
真っ暗な世界では万物が真っ暗な気持ちになるはずである。にもかかわらず、地面が揺れるほど笑い声が聞こえてきた。
笑うということはどういうことか。はっきり言って、たのしい、ということである。
天照大御神はこれを訝った。
「日の神である私が天の岩屋に籠もってしまったというのに、あれらはなにを楽しんでいるのか。私など居らなくても大丈夫ということか。だとしたら寂しい」
そう呟いて天照大御神は宮殿の戸を細く開けた。
一筋の光明が暗闇に走った。
八百万の神はこれを喜び、ますます騒ぎ狂った。

(p.66 スサノオノミコト/岩戸かくれ より)

−−その方が健康な気もします。最後に聞きたいんですが、町田さんはもう長年、執筆も音楽もたゆまず継続しています。モチベーションや体力の源は、どこにあるんでしょう?

町田:なんやろう? ずっとやってると、ダレてくるところはありますよね。いつまでこんなことやってんねんって。だけど「原動力」なんておこがましいし、「この世の中をよくしていきたいんですよ!」なんて信条は一切ないです。ただ、続けていくためのコツはあるかなと思います。

1つは、毎日やること。どんなにしんどかっても、何も生み出されへんなと思っても、絶対にやるって決める。嫌やなと思ってスマホでしょうもないニュースとか見ても、5分くらいにしといて、やる(笑)。

−−とにかく続けるということですか。

町田:手を動かすと、何かが生まれてくるんですよ。ちょっとでも動きだすと、文章が動いていく。文章が動いたことで、自分が動かされていく。その自分がまた文章を動かす。だんだん動きに加速がかかっていって……気付いたら1日分の仕事が終わっているというか、そんな感じですね。それがコツで、少しだけでもいいから1日も休まんと絶対毎日やる。僕はそういうやり方です。

−−なるほど……かみしめるのに時間がかかりそうですが、ものをつくる時に、忘れてはいけない言葉だと思いました。

町田:あとは、何かできあがったら1回忘れてやっていくということじゃないですかね。「これだけやったからもういいよ」って、皆が褒めてくれて金くれたらええねんけど、そういうわけにはいかんから(笑)。

結局、僕も根底はあんまり変わってないんですよ。考えてみたら16歳の時と変わってないなということもある。ちょっとずつの変化はあるし、表面的なテクニックの上達もある。毎日やってるから、アホでも上手になる。昔やったこと、今だったらやらへんなということの方が多いと思うんです。だけど、昔やったことを読み返すってことが、あまりない。聞かれたら、あの時どうやったかな? って思い出しますけどね。

Photography Kentaro Oshio
Text Kei Osawa
Edit Kumpei Kuwamoto(Mo-Green)

author:

mo-green

編集力・デザイン思考をベースに、さまざまなメディアのクリエイティブディレクションを通じて「世界中の伝えたいを伝える」クリエイティブカンパニー。 mo-green Instagram

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