対談:現代美術家 片山真理×シャワンダ・コーベット 「多面的」な世界と心から創り出されるもの 

今年の春、日本での初個展「Down the Road」を開催したシャワンダ・コーベットの作品には、コミュニティの記憶やそこに住む人々の躍動感と身体性が陶器や絵画に落とし込まれていた。「サイボーグ・アーティスト」を自称する彼女は、ダナ・ハラウェイの思想の賛同者でもある。そして彼女の作品が問いかけるのは「完全な身体(complete body)」とは何か、ということである。

一方、つい先日個展「CAVERN」を終えた片山真理もまた、出展された作品シリーズである「leave-taking」で「正しい身体(correct bodies)」(=制作してきたオブジェ)を手放していく過程を社会と自身との関係性から紐解き、セルフ・ポートレートで表現した。そして彼女が経験を心に落とし込んで紡ぐ言葉はまた、詩的で美しく作品に華を添える。 ある種機械的に「外から」作品を制作するというシャワンダと、心に従って「内から」作品を制作するという片山は一見対照的だが、「完全な身体・正しい身体」という互いに共鳴しあうコンセプトを掲げている。今回はそんな2人の思いや制作の背景、癒やしのコミュニティの可能性、そしてアーテイストとして「多面的」に物事を見ることの重要性について話をうかがった。

存在や記憶の痕跡としての身体性

――まずはお互いの作品やプロジェクトをご覧になってどのように感じられましたか?

シャワンダ・コーベット(以下、シャワンダ):片山さんの写真作品を見た時、最初に感じたのは本当に写真が美しいということでした。西洋だと女性の身体、特に障害を抱える女性の身体への印象に対して全く違うものがあります。西洋でよく見る障害を抱えていたりする方々を被写体としてまなざしを向けた写真には「エレガンスさ」に欠ける印象があります。それに対して片山さんの写真はとてもナチュラルで崇高な印象を受けました。とてもパワフルで強いエネルギーを感じて、本当に心が奪われました。写真の中で義足を使っていますが(また使ってない時もありますが)、西洋に生きるわれわれにとって義足とそれを身に着けている方を目にするのはパラリンピックという場ぐらいしかまだないです。また、映画やさまざまなメディアを見ていると「完全な身体(complete body)」を持つ方達だけが出ているので、それに対して片山さんの作品からは本当にとても包容力のある感じを受けました。

片山真理(以下、片山):すごく嬉しいです、ありがとうございます。シャワンダさんの作品はインターネットで拝見しました。日本にはあなたの情報があまりないので、前回の日本での個展を拝見できなかったのは残念だなと思っています。同時に、インターネットで情報をいろいろ見ていくと、作品の中にシャワンダさん自身の身体性のようなものが時々現れるのを目の当たりにしましたが、媒体の中でシャワンダさんの身体についての言及が全くないことに驚きました。それに対して私や私の作品は、日本では極端な場合アウトサイダー・アートやロウ・アート、障害者のアートといったキーワードで作品が説明されてしまいます。なので、シャワンダさんはそういったキーワードにはあえて言及しない、させないという姿勢があるのかということを聞いてみたかったです。

シャワンダ:私自身、パフォーマンスや作品において特に私の身体について語るということはないです。しかし、私の作品が他の障害を持ってない方と同じ場所で展示されると、他の方々の作品は知性や尊厳を持って語られるけど、私の作品に関しては「足がない人」という感じで語られるという経験はありました。これは本当に良くないことで、エイブリストによる障害を抱える方に対する差別的なニュアンスも感じますし、作品についての深みのある質問ではない私のプライベートな人生の改善策を聞かれたりしてきました。そもそも、西洋ではこうした問題をテーマにして語るという文化がありません。なので、私が私の身体について語るということは、その身体だけにフォーカスを当ててしまう危険性があるのであえてしてきませんでした。しかし、皆さんがいつも私のような人を見るわけではないようなので、私が物理的に実際に場に赴くということ自体がみなさんに対してのチャレンジでもあります。

平等を求めることは正しいことですし、女性はもちろん全ての人にその権利がありますが、フェミニズムが語られる時に障害を持った女性や有色人種の女性はその中には含まれないことが多いです。なので、私がやることすべてはそうした問題から派生するものです。成長の過程で障害にフォーカスしてきたことはなく、子どもの頃には友達と遊ぶ時も(みんなが椅子に座っていても)椅子なしで床に座ってみんなと一緒にいるということが普通でした。でも、今考えるとその行動自体がすごくパワフルだったなと思います。

また、作品は1人で作っているのかどうかも聞かれますし、もしそうであれば人間を超越した「スーパー・ヒューマン」、つまり「自分とは違う」というような目で見られることもあります。ハラウェイの「サイボーグ」の考え方を援用しているのは私の世界観を作るためであって、(有機体としての身体に対して)機械としての義足・義手のようなものがあるなどということを言いたいのではなく、これは私がストーリーを伝える手段であり私が感じることをそのまま伝えたいだけなんです。そうすることでみんなに受け入れてもらえるのかな? 加えて言うならば、私から見る世界には「障害者」という方はおらず、ただ単にそういうふうに世界を見ています。

片山:完全に同感です。作家と作品は別物であるはずなのに、作品の話をしている時、赤の他人に自分自身のプライベートや人生について話す必要はないと思うし、なんで私にはどこを手術したのかというようなことをずけずけと聞くことができる人がいるのかと、いつも疑問に思うんです。確かに、自分のこの身体を通してインプットしたものがアウトプットされて、結果として作品ができてくるとも思って私も制作しています。だけど、単刀直入に言うとメディアに関してシャワンダさんがコントロールしている部分があるのかなと感じたんです。

私に関して言えば、義足を作っているわけでもないのに勝手に「義足のアーティスト」と言われたりします。シャワンダさんが「完全な身体(complete body)」というワードを使用しているのに対し、私は作品のステートメントに「正しい身体(correct bodies)」というワードを使っています。なぜなら「正しい身体」について語れば語るほど、完全ではない「正しくない身体」が人々の中に想起されていくからです。私はメディアに対して意見はするけれど、勝手に望まない言葉で語られてしまったりします。メディアの言説と私の作品のアイデンティティが違うということはもちろん気持ちの上では分けて考えていますが、シャワンダさんの場合あまりにもそういうところがないのが本当に素晴らしいなと思いました。

ジャズでつながるアンサンブルな芸術実践

――続いて、2人の共通点の1つでもあるジャズについてうかがいたいのですが、ジャズは作品にどのように影響しているのでしょうか?

シャワンダ:ジャズは大好きです! 私はミシシッピ州の海沿いのガルフコーストで生まれて、そこはニューオリンズに近く本当にジャズが溢れるところで、ジャズと一緒に成長してきました。私の作品においてはすべてと言っていいくらいジャズが影響しています。例えばジャズのソロは1つの演奏として完成しますが、アンサンブルのように個々のパートが完成しているものが集合し作品になるものも私はすごく好きです。ジャズにはノスタルーな感情や記憶が呼び起こす部分もありながら未来を見ている感じもあるように感じます。同時に、ジャズはタイムレスだと思う部分があって、いつの時代で演奏されても先を読んでいるというふうに捉えることができると思います。時代を手につかみながら前を見据えるのがジャズなので、私はそういう部分がとても好きです。

片山:私は昔、ジャズバーで歌っていました。トリオとかバンドというよりは歌からジャズに入っていて、ジャズの歌のスタンダードになったコール・ポーターが大好きです。音楽がとにかく好きで、もともと自分の中で一番自信があるのが歌でした。今、アーティストになっているのは仕事にできるのがアートしかなかったからですが、ジャズの歌を歌えていた時期があったからこその今だと思っています。ジャズバーの舞台に立っていたおかげで、2011年から現在まで進行している義足用のハイヒールを作る「ハイヒール・プロジェクト」で始まったので、そうした意味でもジャズにはすごく感謝しています。

――片山さんは「ハイヒール・プロジェクト」を通して靴をみんなで作ることでそれがみんなの作品になるとおっしゃっていましたが、それはまるでジャズのアンサンブルのようですね。

片山:作品は誰が作ったのか聞かれるとシャワンダさんも言っていましたが、私も誰が作品を作ったのか、写真を撮ったのかと聞かれ続けてきたために、全部自分で抱えられる責任しか持ってはいけないとずっと思っていたんです。でも、プロジェクトをチームでやってきて、自分で絶対にシャッターを切るというモットーはコントロール・フリークな性格が影響していたことに気が付いたんです。

みんなで作っていくと、自分とは違う意見から全然見えなかった道が見えてきて、だんだん自分のやりたいことに沿わなくなることもあるんですよね。でも、向かう先は合っている。その実感のおかげで、自分のコントロールできない他者の意見を作品に取り入れることがおもしろいと思えるようになりました。自分の想像できなかったことが起きることのほうが楽しくなってきていて、今はシャッターを絶対に自分で押すというモットーすら揺らいできています。1人で抱えきれない規模のプロジェクトを動かしていくために自分にできないものを得意な人にやってもらうということは、35歳になってやっとできるようになりました。

――さまざまな人の目線を取り入れていけるということができるようになったという片山さんの変化は、シャワンダさんが参照しているハラウェイの「複視角眼視(ダブル・ヴィジョン)」の概念にもつながってくるのかなと思いますので、この概念について教えていただけますか?

シャワンダ:ダブル・ヴィジョン=複眼で観ることは、物理的であれ状況であれ、実は2面しか見ることができないということなんです。しかし私は、世界はもっと「多面的」だと思っています。若い頃は種を手にしてそればかりを見てしまいますが、他の方の意見を聞くことで視野を広げるっていうことができると思っていて、もらう意見が正しいかどうかではなく、その人のその意見はその人の真実として受け取る。しかし、私達は物事を理解することにおいて真実の一部しか本当の意味では切り取れないと言えるでしょう。私達のルーツやストーリーは白黒はっきり分かれているものではなく、その間にはグレーな物事も本当にたくさんあります。アーティストとしては、そうした多面的な見方をすることで制作の過程の中に何か変化が起こるのか、あるいは自分の中に何か変化が起こるのかということを常に自分に聞いています。

「癒やし」のコミュニティとハートが映す「多面的」な世界

――シャワンダさんはこれから「癒やし」に向かいたいと以前インタビューでおっしゃっていました。2人の実践がコミュニティの中でどういうふうに位置づけられていくか、今何かヴィジョンがあれば教えていただけますか。

シャワンダ:アメリカでは歴史的にコミュニティが崩壊するということがたくさんあり、それは現在でも起こっていることです。なので、課題はコミュニティを強くし維持すること、お互いのためにそこにいて支えるということをどう実現できるかですね。かつての強いコミュニティでは雇用を生み出したり、他のコミュニティとつながり安心を提供したりすることができていたので、私の作品の中ではそうしたコミュニティの連帯が現代の社会でなくなっているということを言及したいと思っています。

コミュニティの連帯やそこからくる安心感がなくなったらどうなるかということについても、私の作品を通して少しでも語りたかったんです。私にとってコミュニティはすごく大切で、世界中には仲間が結束するコミュニティがあり私と似たように助けられた経験をした人もきっといるはずです。「癒やし」については、コミュニティの中で誰かが私のことを考えてくれている、サポートしてくれてくれる、激励してくれている人がいるということが「癒やし」になるのかなと思っています。こうした素朴ではあるけれど大切なことを、本当に正直に語れたらいいなと思っています。

――以前片山さんは1人で制作をされていましたが、今はチームで制作をされていますよね。どういう心境で作品制作に臨んでいますか。

片山:現在、プロジェクトではさまざまな企業やチーム、スタジオと進行していますが、プロジェクトからみんなで作れたという経験を今やっと実感しています。そういった外で活動していくプロジェクトに対して、手縫いのオブジェやインスタレーション、写真などの「内」の活動へ、その経験を活かし、またさらに反復していきたいです。人生は弁証法的だなといつも思うのですが、何度も繰り返し経験して、できれば良い方向に世の中が向かっていったらいいな、なんて思います。シャワンダさんが、人と関わって多面的に経験する話をハラウェイの概念から拡張して話してくださいましたが、心理学の行動理論に「ジョイント・ヴィジュアル・アテンション」というものがあります。一緒に1つのものを見て視覚的な情報を経験し、それぞれが見えてくるものが違うということを共有するということをやっていきたい、というヴィジョンです。

またコミュニティの話ですが、私自身SNSの第1世代で「MySpace」の時代にインターネットを始めたので、逆にインターネットのコミュニティの広がりに対してわくわくしていたんです。実際、今のSNSによる表層的なコミュニティの拡大をものすごく実感しています。だけど、それはもう飽和状態にあって多分破裂しちゃっている。だからこそ、手を伸ばした時に手をちゃんとつかめる距離感の小さいコミュニティがこれからできるだろうと私は感じていました。コミュニティがなくなってきてしまうとシャワンダさんが話されていましたが、私は逆に手を伸ばした範囲の距離感のコミュニティがこれから作られていくだろうと感じています。でも、こうやって両方の意見があることはすごく嬉しいことだと思います。

違う意見がありながらも、シャワンダさんとは共通するキーワードがいろいろあって、すごくびっくりしています。先ほどの「多面的」という言葉から考えたのがハートのイメージです。完璧で完全な、ツルツルなプラスチックのようなガラスでできたようなハート。それはすごくかわいくてきれいで、パクって食べたくなっちゃう熟れた果実に見えるけど、でもすごくもろいんです。完璧だからこそ1つでも傷が入ったら目立っちゃうし、簡単に割れてしまう。だけど、人生を経験していくと嫌でもハートにたくさん傷がついてきますよね。あるいは、年を取ると骨がもろくなるとか、涙もろくなるとか、身体がもろくなっていく。でもその過程は心が強くなっていくことと似ていて、ハートのボロボロになって割れているところに光が当たった時、「多面的」にその光が反射していくから、まるでミラーボールみたいに輝いて絶対美しいじゃない! って。シャワンダさんのいう「多面的」という言葉などが、同じヴィジョンを見ているなというふうに思いましたね。

シャワンダ:今のハートのコンセプトは素晴らしいですね! 片山さんの作品を見ていて、また話を聞いて、本当に心から作っていらっしゃるように感じました。私はもう少し機械的な理論を使ってある意味で乖離させてきた部分もあるので、今日の対談を通してすべてを乖離させるのではなく片山さんのようにハートの部分に耳を傾けてみたいなとインスピレーションを受けました。私としてももう少し自分をさらけ出すことにチャレンジしてみたいなって思いました。

片山:私は自分の経験したことしか言葉にできないし、本当に体感したことや実感したことからしか作れないんです。でも、シャワンダさんは外から俯瞰していくというか、すごく客観的に見ていて、私達はその点では全く逆ですよね。でも、私達は同じところにたどり着いているように感じましたし、どっちも正しい。正解はもちろんないけれど、アメリカで作られた農業の道具と日本の山奥で作られた農業の道具が、目的が一緒だからまるっきり形が同じだったというのを、昔すごくお世話になった人に言われたことを今思い出して、そういうことだよねって思いました。

片山真理(かたやま・まり)
1987年、埼玉生まれ。 2012年東京藝術大学大学院美術研究科先端芸術表現専攻修士課程修了。自身で手縫いしたオブジェや義足などを用いて演出を行なったセルフポートレイトなど、多彩な作品を手掛けている。またアートプロジェクト「ハイヒールプロジェクト」を開始し、義足用の特注ハイヒールを装着し歌手、モデル、講演など幅広く活動している。主な展示に2021年「home again」ヨーロッパ写真美術館(パリ)、 2019年「第58回ヴェネチア・ビエン ナーレ」アルセナーレ、ジャルディーニ(ヴェネチア)、「Broken Heart」White Rainbow(ロンドン)、2017 年「無垢と経験の写真 日本の新進作家vol.14」東京都写真美術館(東京)、2016年「六本木クロッシング 2016展:僕の身体、あなたの声」森美術館(東京)、2013年「あいちトリエンナーレ 2013」納屋橋会場(愛知)など。2012年アートアワードトーキョー丸の内2012グランプリ、2019年第35回写真の町東川賞新人作家賞 、2020年第45回木村伊兵衛写真賞を受賞。主な出版物に2019年「GIFT」UnitedVagabondsがある。


Shawanda Corbett(シャワンダ・コーベット)
1989年、アメリカ・ニューヨーク生まれ。オックスフォード大学ラスキン美術学校博士課程で学びながら、ロンドンを拠点に活動。陶芸、絵画、写真、映像、パフォーマンスなど多様なメディアを複合的に横断して作品を制作している。主な個展にテート・ブリテン(ロンドン)の「Art Now: Shawanda Corbett」(2022)、サロン94(現LGDR、ニューヨーク)での「To The Fields of Lilac」(2022)、コルヴィ・モラ(ロンドン)での「Neighbourhood Garden」(2020)など。2021年にテートのターナー・バーサリーを、2021年にはクラインワート・ハンブロス・エマージング・アーティスト賞を受賞。

Editorial Assistant Emiri Komiya
Translation Masataka Odaka

author:

安齋詩歩子

1990年生まれ。横浜国立大学非常勤教員、一般企業などでの就労を経て、現在東京工業大学博士後期課程(伊藤亜紗研究室)に在籍。過去に、精神医学とファッションをテーマに、衣服と身体の親密性を研究するとともに、ファッションに関する著作の翻訳や論文等などの文章を執筆し国内外の学会で発表を行う。現在は「衣服における触覚性」と「ケアとしての衣服」の観点から、オルタナティヴなファッション研究の可能性を模索している。 Twitter:@ansaishihoko researchmap:shihoko_ansai

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