蓮沼執太が新作アルバム『unpeople』に辿り着くまで 15年ぶりのインストゥルメンタル作品を語る

音楽家・蓮沼執太がインストゥルメンタル作品としては『POP OOGA』(2008年)以来、実に15年ぶりとなるソロ・アルバム『unpeople』をリリースした。蓮沼自身が純粋に「自分のために作った」という本作には、ジェフ・パーカーや小山田圭吾(Cornelius)、灰野敬二、グレッグ・フォックス、コムアイ、新垣睦美、石塚周太、音無史哉といった国内外のミュージシャンがゲスト参加。決して1つのところに留まらない蓮沼の雑多な音楽性がそれぞれの楽曲に惜しみなく注がれており、アンビエント、テクノ、ジャズ、現代音楽、フィールドレコーディングといったジャンルを軽やかに横断する越境的な楽曲が並ぶ静かな傑作となっている。『unpeople』に辿り着くまでの環境や心境、制作のプロセスをじっくりと聞いた。

――15年ぶりのインストアルバムということですが、個人的にはそんな印象がまったくなくて。サウンド・インスタレーションやサウンドトラックなどを含め、さまざまなインスト音楽に触れる機会があったからかもしれないです。

蓮沼執太(以下、蓮沼):たしかにそうかもしれません。自分以外に作っていた音楽は、そのプロジェクトや人のために作っていたので、純粋に僕のではないんだよな、というのがあって。自分発信で、このアルバムのために作ったとなると、だいぶ久しぶりになります。今回のは作者のエゴですよね。

――純粋な自分発信ってどういうことなんだろうとなりますよね。

蓮沼:制作中もそこは考えましたし、今も答えは出ていません(笑)。でも、その結果が今回のアルバムなんだと思います。

――活動初期こそ誰に聴かせるでもなく作り始めたのだと思うんですけど、ある時期以降は、誰かとコラボしたり、あるいは何かしらのオファーがあったりして作り続けてきたわけですよね。

蓮沼:そうですね。フィルの活動もありますし。

――“蓮沼執太フィル”と自分の名前を冠してはいるものの、それは当然、自分1人の音楽ではないと。

蓮沼:そう、そこにぶち当たったんです。フィルの音楽も、フィルのために曲を書いているんです。それは自分の音楽かと聞かれたら、いやぁ、そうではないのかなと。近年は、音楽の方向性もみんなと話して決めているし、みんなで作っています。あえてどこかで境界線を引くのであれば、やっぱり自分のものではないんです。このフレーズは彼/彼女が弾く/吹くから、それを思い浮かべながらハーモニーを作って、となっていくわけで。作曲者は自分だけど、純粋に自分のものかというと、そうではないなと。

フィールドレコーディングにおいて大事なのは「録ることよりも聴くこと」

――蓮沼さんは普段からフィールドレコーディングしたり、音のスケッチを記録したりしていますよね。その瞬間というのはとてもパーソナルなものじゃないかと思うんです。いつか何かで使えるかなと思って録っているんですか?

蓮沼:いつか使おうとかはまったく思ってないですね。例えば、事前に器楽に合わさるような素材を録ろうとかは考えていないです。だから、フィールドレコーディングこそ自分のための音、というのはあるのかもしれないです。フィールドレコーディングで1番大切なのは録ることよりも聴くことだと思っています。

――たしかにそうですね。

蓮沼:何を発見するかが大切な行為だと思っているから、音が鳴っていて、自分がそこからどういう音を聴くか、というスタディというか活動をしているんだと思うんです。ただ、例えばフィールドレコーディングを5時間録ったら、5時間聴かなければいけない。若い頃は長時間の録音もやってました。だけど、聴く時間も大切なのでむやみには音を録れないんですよね。いわゆるフィールドレコーディニストや文化人類学的なアーカイブ行為ではなく、美術作品作りとして録るというのが近年は多いです。なので、それが楽曲用の音源のためかと言われたらそうじゃないかも。自分の制作作業の動きを音楽かアートかで分けたいわけではないですが、フィールドレコーディングはアートの実践としてやっている方が強いかもしれないです。あと、そもそも世の中のレコーディングは全部、フィールドレコーディングなんじゃないかなと思うところもあって。

――それは楽器の響きとかも含めて

蓮沼:そうです。今回、色んな時間や場所でレコーディングしてきたんですけど、結局、レコード(記録)するという意味ではほぼ一緒で。いま会話をレコーディングしていて、ここで紙をくしゃくしゃにしたりすると、その音が記録されます。この紙の音もフィールドレコーディングだし、こういった会話の記録もそう言えると思うんです。

――その境界線も滲んでいくなか、パーソナルな“音楽作品”ができていったわけですよね。このタイミングでアルバムを作るに至ったのはどうしてなのでしょうか。

蓮沼:今年出したフィルのアルバム『symphil』(2023年)にも言えることなんですけど、そもそも、どういった楽曲の方向性でも自分の音楽としてオリジナリティを自然と出せるという感覚があって。例えば、全曲歌ってもいいわけです。でも、今回こういうアルバムの方向性を選んだというのは……明確な目的や理想があったわけでも無かったんです。様々なコミッションで仕事をしていて、1週間空いたら、何か出てくるといいなという感じでちょっと作業して、断片的なものが生まれるんです。それでまた違うプロジェクトが始まって、その3ヵ月後、前に作ったのを聴いてみたら、「なんだこれ?」となるんですね(笑)。もしくは、3ヵ月後の自分は、ここをこうすればこうなるんだとわかる時もある。それでまた作っていくんですけど、それって純粋な自分の記録になっているんですね。この繰り返しをしていたら、それらに陽の目を見せたいと思い始めました。これは音楽に限った話じゃなくて、いまはあらゆるジャンルで、嘘偽りなく自分が純粋に作ったもの、という作品が作りづらくなっている時代なのかもしれません。

――ああ、特に職業として長く続けるとそうなのかもしれないですよね。

蓮沼:音楽に関しては、かたやBandcampがオープンになっているし、TuneCore経由で発信できるので、一概にこうとは言えないですけど、今を生きる作家として皮膚感覚でそういうふうには感じます。フィルですら、もちろん自分のやりたいプロジェクトではあるけど、まずメンバーのことを第一に考えてクリエイションをしていくので、順番で言うと自分のことは最後に考えているところがありますし。

――メンバーのスケジューリングから作曲が始まっていると言っていましたし(笑)。

蓮沼:そうですね。これは比喩ではなくて、何も音楽に落とし込むだけが作曲ではなくて、スケジュール管理のように状況を作り上げていく行為も作曲だと思って自分でやっています。色々な条件のなかでどうやってクリエイションしていくか、みたいなものの1つの形が今回のアルバムなのかもしれないですね。

――純粋に自分のための物作りに向かった結果、1人で完結していないところが蓮沼執太らしさと言いますか、多くの曲でゲストが参加しています。曲の形が見えてきた時に、ここで誰々に演奏してもらったらおもしろくなるんじゃないか、ということでオファーしたという流れでしょうか。

蓮沼:その通りです。それも結局、自分のためなんですね。ジェフ・パーカーに弾いてもらいたいと思った時に、自分でコンタクトして、音を送って、即興で弾いてもらったのを戻してもらって。そうすると、やっぱり驚くわけですよ。「こう来たか!」って。僕はそういう刺激が一番好きみたいです。完璧なスコアを書いて、指示した通りに演奏してくれっていうのが通常のオーダーだと思うんですよ。でも僕は、聴いて反応してもらったのを返してくれ、というくらいのルールのみで、何が返ってくるかわからない方がおもしろいと思っているんです。共同作業なんだけど、それは自分が一番楽しい。

――シンプルにびっくりしたいと。

蓮沼:そうそう、驚きたいんです。自分の作曲とは違うところへ飛んでいきたいと思った時に、自分の指定したメソッドじゃなくて、自分の思いつかないようなことが入ってくるほうが僕自身盛り上がるんですよ。曲自体が違うところに行っちゃうくらいがいい。それは確実にフィルでの経験があるからで。

――フィルはそれこそ譜面を書いて演奏するものだから。

蓮沼:もちろんそれでもライブでは変容してくので、1つの形として成り立っているんですけど、そうではなくて、『POP OOGA』(2009年)を作っていた頃の無邪気さのようなものを自分に期待していたんだと思います。

――ジェフ・パーカーとの「Irie」やコーネリアスとの「Selves」は、ファイル上のやりとりがあり、ゲストの方が即興演奏をしているのだと思うのですが、作曲されたようにも聴こえるんですよね

蓮沼:それは、僕の曲の作り方がそうだからだと思うんです。いつもゴール設定をして曲を作ってないんですよね。鍵盤に向き合ってああでもないこうでもないって作曲するのではなくて、適当に物を振ったり、叩いたりした音から始めていき、そこに即興的に演奏をしたり、録音素材をマイナスしていったり、という感じで段々と音楽が構築されていくんですね。その工程の間にゲストが来たという感じなんです。なので余白が常にあるんです。

――なるほど、それはわかりやすいですね。

蓮沼:小山田(圭吾)さんのは戻ってきたら完璧だったので、そのまま完成になっちゃったんですけどね(笑)。

――音無史哉さんをフィーチャーした「chroma」や「Sando」(「Sando」はコムアイも参加)は即興のセッションのようには聴こえなくて。

蓮沼:音無さんのは譜面を書いてます。そういうアプローチをしている曲もありますよ。「Sando」もセッションというよりは、ある程度旋律を作っておいて、一緒にスタジオに入って、ああだこうだ言いながら音無さんと一緒に作っていきました。

――オンラインじゃないやりとりのパターンもあるわけですね。

蓮沼:ありますよ。灰野(敬二)さんとはよくリハーサル・スタジオでセッションしているんですけど、珍しくギターを持ってこられたので、これはおもしろそうだなと思って録ってみました。それが実際、おもしろくて。たしか灰野さんが唯一楽器をたくさん持ってきた日だったんですよ。

――フルートの音も入っていたりしますね。

蓮沼:笛のコレクションもすごいんです。それこそフィールドレコーディングとして、マイク位置を定めてレコーダーの録音ボタンを押したという感じです。その素材で僕がおもしろいなと思ったところをピックアップして再構築して、その上でさらに楽器を弾いてます。

――「Vanish, Memoria」はもともとフィル用に書かれた曲ですか?

蓮沼:そうです。フィルで演奏出来たらいいなと思ってたんですけど、色々なタイミングでできなかったので、ドラムをグレッグ(・フォックス)にお願いして、ギターを石塚(周太)くんにお願いしました。すべてリモート録音です。

――新垣睦美さんは、ツアーで回った時に知り合ったんですか?

蓮沼:『メロディーズ』(2016年)を出した時に全国ツアーをして、その土地在住のミュージシャンンとコラボレーションで新曲を作って披露する、ということをやっていて。沖縄では新垣さんや、Awichさんとか沖縄のラッパーのみんなとやったんですよね。その時から新垣さんはジャンルに関わらずいろいろな音楽が好きということを知って、そういう音楽を聴き取る耳も持っているのがおもしろいなと感じていました。音無さんにも通じることなんですけど、古典芸能としての伝統音楽をやっているというよりも、その土地や楽器の持っている歴史と今生きている自分を現代的な形で接続している人だなと思っていたんですね。また一緒にやってみたいと思っていたので、この機会にお願いしました。

枠にとらわれない、自分に嘘をつかない制作

――形としてはビートものやコラージュ、アンビエントに近いもの、あるいはそれらが混ざっているものもあるし、作曲方法は今話してもらったようにさまざまあって、かなりバラバラなんですよね。ただ、想像していたよりもずっとアルバム作品として完成していると感じました。

蓮沼:配信で1曲ずつ出していた時は、ミックスまで僕がやって、マスタリングのエンジニアを毎回変えてたんですよね。なので、曲の独立性みたいなものはアルバムよりも際立っていたと思います。それを経て、こうして1枚にする時に、1曲1曲バラバラでおもしろいというふうにするか、アルバムとしてまとめるかという選択肢が出てきた時に、やはり後者かなと。それでエンジニアの葛西さんのところに行って、全曲の音のトリートメントをしてもらいました。その上でマスタリングをして、アルバムとして1枚の世界観が成り立つようにしました。スケッチ的な作り方をしている部分も多いんですけど、単なるスケッチじゃなくて、これはこういうアルバムなんです、という形にしたかったんだなと自分でも思います。

――長いキャリアを知っている人からするとすべての要素が入っているように感じますが、比較的最近の蓮沼さんを知った人からすると意外に感じる作品かもしれないですね。

蓮沼:ああ、僕はわりとパブリックイメージみたいなものを平気で壊せるというか、まったく気にしないので(笑)。それはいいも悪いもあって、もうちょっとコントロールできていれば……というのもあるんですけどね。でも、こういう生き方もあると思ったほうがいいですし。

――自分に嘘をつかずに興味を持てることをやるというのは、結局は音楽を続ける上でも1番大切なことなのかなと思います。

蓮沼:そこですよね。だから灰野さんやヤン富田さんのような大先輩達と一緒に音楽をやらせてもらっているのかもしれないです。灰野さんは大変優しい方ですけど、音楽に向かう姿勢に対してはとても厳しい人です。ヤン富田さんとも2021年4月のオーチャードホールでのコンサートで共演させていただいた以降、僕の中で空間にある音の捉え方が変わりました。

――『unpeople』はフィニッシュまで自分のためにできた作品になりましたか?

蓮沼:最後までいけたはずです。でも、今日考えていたんですけど、アルバム最初の曲の「unpeople」と最後の「Chroma」が完成したのが制作の最後でした。つまり、いよいよアルバムになるんだと思って作っていたことに気づいたんですね。特に「unpeople」は、今の自分のモードをわかってもらえるといいなと思って作りました。「Chroma」はフィールドレコーディング(ニューヨーク郊外にあるジョン・ケージが住んでいた森の音)で終わるんですけど、いわゆる器楽音じゃない自然の音で終わっている。さっきのスケッチではないという話ともシンクロしますが、制作の最終工程では構成を考えていて、アルバム作品にしているんだなと思います。

――たしかに「unpeople」は切迫したリズムからノンビートに展開していくユニークな曲で、これは最初にカマしにきているなと感じました(笑)。

蓮沼:ははは(笑)。言いたいことって最初に、しかも直接的に言わないと伝わらないです。こういうようなアルバムを象徴するものを9曲目くらいに潜ませる構造は今の時代、もう成立しないと思うんです。そこまで辿り着かないというか。だから1発目からこれが言いたいんですということを言って、そこからスタートしていく構成になったのは現代だからでしょうね。もし配信とかサブスクが無くて今もレコードだけの時代だったら、構成は変わっていたかもしれないですね。

――パーソナルではあるけれど、かといって時代と無縁ということではないんですね。最後にこれは余談になりますが、ブルックリンから東京に拠点を移したのはどんな心境の変化があったのでしょうか?

蓮沼:野音公演(『日比谷、時が奏でる』、2019年)のあとくらいに東京をベースにしました。その後にコロナ禍になりました。引っ越してきた当時(2014年)と比べて、ニューヨークにある芸術のすべてが輝かしく見えるわけでもなくなってきて。もちろん日本と比べても芸術の裾野は広いし、深いんですけどね。東京とブルックリンを行ったり来たりするような2拠点の活動にも飽きてしまってました。結局、製作者は自分自身でなんですよね。居場所の環境によって受ける影響は変わるとは思うんですが、自分自身の核は変わらない気がするんです。

――たしかにその意味ではどこにいても変わらないし、実際、日本にいながらジェフやグレッグといったアメリカ在住の人達とも音楽を作れているわけですからね。

蓮沼:本当にそうですよね。そういうことを考えていた時期に、ちょうどコロナになって、しかも家賃も高くなってきて、同世代のペインターとかパフォーマーの友達も自分の国に帰っちゃったんですね。色んな国の30代中盤以降の人が将来について悩んでいましたね。僕も色々考えた上で、1回日本に戻ってみようかな、という感じでした。日本は島国だけど、東京も十分にインターナショナルで、世界のなかの1つの場所なんですよね。それも大きかったのかなと思います。

Photography Kazushi Toyota

『unpeople』
2023年10月6日(金)リリース
参加アーティスト:ジェフ・パーカーや小山田圭吾(Cornelius)、灰野敬二、グレッグ・フォックス、コムアイ、新垣睦美、石塚周太、音無史哉ら

『unpeople』特設サイト
Virgin Music Label & Artist Services

author:

南波一海

1978年生まれの音楽ライター。レーベル「PENGUIN DISC」主宰。さまざまなメディアで執筆するほか、「ハロー!プロジェクトの全曲から集めちゃいました! Vol.1 アイドル三十六房編」や「JAPAN IDOL FILE」シリーズなど、コンピレーションCDも監修。 Twitter:@kazuminamba

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