対談〈佐久間裕美子×Z世代〉「特権ではなく、あたりまえの権利に」中里虎鉄 中編

第6弾の対談相手はフォトグラファーやエディターなど、肩書きにはあてはまらない幅広い活動を通して表現を続ける、中里虎鉄。中編では、自身がノンバイナリーと自認する前と後、さまざまな社会運動に関心を持つ過程について聞いた。

前編はこちら

中里虎鉄(なかざと・こてつ)
1996年、東京都生まれ。編集者・フォトグラファー・ライターと肩書きに捉われず多岐にわたり活動している。雑誌『IWAKAN』を創刊し、独立後あらゆるメディアのコンテンツ制作に携わりながら、ノンバイナリーであることをオープンにし、性的マイノリティ関連のコンテンツ監修なども行う。
Instagram:@kotetsunakazato

「男性」として認識されることへの違和感

佐久間裕美子(以下、佐久間):ゲイ男性だという認識から、ノンバイナリーだと気付くにはどんな過程があったのでしょうか。

中里虎鉄(以下、中里):今でも自分のことを「虎鉄」と言っているんですが、小学校高学年から中高では、家族や仲のいい友達以外の前では 「俺」や「僕」と言ってみたりしていました。周りの女友達にとっての虎鉄は、“女”ではないけど、恋愛や性的対象としての“男”ではないし、そうは見られないという感覚だったと思う。「虎鉄は男とか女とかじゃないもんね」と言われていて、それが自分でも一番しっくりきていた。ただ、自分が知っている性のあり方の選択肢が男か女しかなかったし、当時は自分の身体に対しての強い違和感はなかったので「自分は男なんだろうな」と折り合いをつけていた。

でも、いろんなところで感じる男性として見られることによるプレッシャーが、過去に「自分はヘテロでいなきゃいけないんだ」と、ストレートのふりをし、セクシュアリティを隠していた時と同じような感覚だったんです。初めてできた恋人はゲイ男性で、自分が男性であることを前提に認識されることになぜか強い抵抗感がありました。でもその抵抗感がどこから来るのかわからなくて、ただ単にこの関係性がうまくいってないだけなのかとも思っていました。その人と別れたあと、他の人に出会っても、「男性としての自分」に好意を寄せられているという前提に無理を感じていたんですね。

サム・スミスがノンバイナリーのカミングアウトをした時に、ノンバイナリーという言葉を初めて知りました。それまでも日本にはXジェンダーという言葉はあったけど、しっくりこなかった。ノンバイナリーという言葉に出会ったことで、この世界の性別が男か女の2つという前提に自分はすごく苦しんでいて、どちらかに当てはめようとする状態が心地悪いんだと、抱えていた葛藤の原因がわかった。それまで自分のセクシュアリティについて悩んできて、ジェンダーアイデンティティについて考えたことはなかったけれど、そこに疑いの目を向けた時に「自分って、男じゃないじゃん」と。自分がノンバイナリーとすんなりと受け止められて、すぐに友達にも伝えられました。

ノンバイナリーとして生きる前と後

佐久間:ノンバイナリーという言葉が広く知れ渡ったことで、救われた人は多くいるんじゃないかと思います。虎鉄さん自身はどんな変化を経験していますか。

中里:以前より生きづらくなりましたね。ゲイ男性として生きていた頃は、やはり男性としての特権を持っていたと感じます。性的マイノリティの中で一番特権を持つのはゲイ男性で、他の問題を考えなくてよかった。トランスジェンダーが感じる苦しみやストーリーと、ゲイ男性が感じるそれはかなり違っていて、それを知らないままでも生きられた。自分が仲の良い友達と過ごせてハッピーでいれば、何の問題も起こらないと思っていました。

強くノンバイナリーを自認しはじめて、公共デザインの多くが男女で分けられているために、選択できるものが何もなく「自分はどこに入ればいいの?」という状況に直面します。「このお店には自分が入れるトイレはあるのかな?」と。初対面の人にはミスジェンダリングされるんだろうな、と感じたり。毎回、不安な状態で外出するし、不安感がどんどん大きくなってきました。それは社会全体におけるノンバイナリーについての認知度が低いからでもあり、対話がされていないからでもあると思います。

苦しみの体験を肯定はしませんが、ゲイ男性を自認していた当時は考えられなかった、複数のマイノリティ性を持った人達の存在を認識できるようになりました。視野と解像度は圧倒的に上がったと思います。でも正直、つらい思いをしなくても視野を広げられるならそうしたかったですね。

デモに参加するようになった理由

佐久間:ノンバイナリーを自覚してから、ご自身が当事者ではないイシューにも取り組むようになったそうですが、デモに行くようになったことにも関係していますか。

中里:ゲイ男性を自認していた頃は、デモには行かなかったし、レインボープライドも楽しいお祭りだと思っていましたね。お祭りの側面があってもいいけど、大事なのはそこだけじゃない。いまだに制度上ないとされているアイデンティティを持つ人達の存在を可視化したり、こちら側も認識したり、これまで闘ってきてくれた人達の意志を伝え続けるという側面に対して意義を感じるようになりました。

自分には人前で話す時に近くで応援してくれたり、終わった後にハグしてくれたりする友達がいるから、人前に立てる力がある。だからこそ、その機会をLGBTQ+だけでなくあらゆる性のあり方の中でのヒエラルキーをフラットにしていくために使っていきたい。すべてのアイデンティティの人達が、社会の多くの人達と同じ権利をしっかりと与えられる社会にしていく必要がある。それは自分のためでもあります。

シス男性としての特権を失い、あれが特権であったと強く認識しています。それを特権ではなく、すべての人があたりまえに持つ権利として分配していく必要がある。これはノンバイナリーを自覚したことで、いろんな人達と話し、さまざまな運動のあり方を知って気付いたことです。

佐久間:先日は、1923年に起きた関東朝鮮人虐殺をなかったことにしようという東京都の動きに対する抗議運動でした。以前はそういった人権問題に関心があるほうではなかったということでしょうか。

中里:性的マイノリティに関するイシュー以外の人権問題に興味がなかったわけではないけど、自分から積極的に学んだり行動しなくてもいい状況下でぬくぬくしていたという感じです。

佐久間:もともとあまりデモが盛んでなかった日本でも、最近は若い世代もデモに参加するようになってきていると感じます。

中里:まず、デモを含め、いろんな形での社会運動が続いてきていたからこそ、今これだけ若い人達がデモに参加するまでに変化したと考えています。

自分が特定の社会課題の当事者で、ある種の被害者でいると「誰も助けてくれないんだろうな。誰も一緒に闘ってくれないんだろうな」という気持ちになって、本当に苦しい。デモに行くと、自分と同じように苦しんでる人達や、加害者にもなり得る人達が「これおかしいよね」と手を取り合って、より良い社会に変えていくために一緒に闘ってくれることに、安心できる、信頼できる気持ちになれることはありますね。デモは悲しみを共有する空間でもあると同時に、希望を共有できる空間ではあると思います。

同時に、プライベートの生活で仲の良い友達や、一緒に仕事をしている人達の中で、デモに来る人が少なすぎるのも事実。デモに行くたびに、嬉しさと、自分の身近な人達が参加していないことに対する不安が同時に訪れる。デモという一時的な空間で安心できても、生活のほとんどを占めるプライベートな空間では、安心できてない状態です。

Photography Kotetsu Nakazato
Text Lisa Shouda

後編へ続く

author:

佐久間裕美子

文筆家。1996年に渡米し、1998年からニューヨーク在住。出版社、通信社などを経て2003年に独立。カルチャー、ファッション、政治、社会問題など幅広いジャンルで、インタビュー記事、ルポ、紀行文などを執筆する。著書に「Weの市民革命」(朝日出版社)「真面目にマリファナの話をしよう」(文藝春秋)、「My Little New York Times」(Numabooks)、「ピンヒールははかない」(幻冬舎)、「ヒップな生活革命」(朝日出版社)、「テロリストの息子」(朝日出版社)。慶應義塾大学卒業、イェール大学修士課程修了。2020年12月に「Weの市民革命」を刊行したのをきっかけに、コレクティブになったSakumag Collectiveを通じて勉強会(Sakumag Study)、発信(Sakumag Stream)などを行っている。Twitter:@yumikosakuma Instagram:@yumikosakuma

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