対談〈佐久間裕美子×Z世代〉「求めてる景色をみんなで見よう」中里虎鉄 後編

文筆家の佐久間裕美子とZ世代との対談連載。第6弾の対談相手はフォトグラファーやエディターなど、肩書きにはあてはまらない幅広い活動を通して表現を続ける、中里虎鉄。後編では、今後の活動や、アクティビストとしてのあり方について聞いた。

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中里虎鉄(なかざと・こてつ)
1996年、東京都生まれ。編集者・フォトグラファー・ライターと肩書きに捉われず多岐にわたり活動している。雑誌『IWAKAN』を創刊し、独立後あらゆるメディアのコンテンツ制作に携わりながら、ノンバイナリーであることをオープンにし、性的マイノリティ関連のコンテンツ監修なども行う。
Instagram:@kotetsunakazato

一緒に闘うメディア

佐久間:お会いした時に、仕事では、好きなカルチャーといった楽しい世界を表現できる面と、安心できない社会との狭間に生きているという話をしました。どんなコンテンツやメディアなら作りたいと思ますか。

中里:今のところ自分にとって心から信頼できるメディアがないと感じていますし、そこで作られたコンテンツも本当に当事者のためには作られてはいないんじゃないかと思います。メディアの運営はマネタイズするとなると、取引先などの政治的スタンスも関わり、難しいのはわかるので、まだ具体的な解決策は見つけられていませんが……そういった点もうまくやりながらメディアとしての政治的スタンスを表明する、一緒に闘えるメディアを作っていきたいし、そんなメディアを通じてなら信頼して声をあげられます。

というのも、ソーシャルイシューをテーマにしているメディアの編集者や関わるクリエイター達がデモに来ているかといえば、ほとんどが来ていない。いろんなアクションがあるから、デモだけが闘いの手段ではないし、コンテンツ制作も1つの闘い方ではありますが、当事者達は普段からしんどい思いをしてるのに、いつ暴力的な言動が向けられるかわからないリスクを負い、デモに行き表舞台で闘っている。個人的には「実際に苦しんでいるコミュニティや当事者達のストーリーを使って利益を得るのは、搾取と何が違うの? コンテンツは作るけどデモには行かない理由とは……?」と疑問で、信頼できないと感じてしまいます。

当事者コミュニティとともに、そのコミュニティが必要とするコンテンツを作ることはもちろん大切ですが、それ以前に「闘う姿勢が前提のメディア」が欲しいです。

自分は幸せであるべき人間

佐久間:資本主義の壁の中に生きていると、ジェンダーやセクシュアリティによる経済的な抑圧や、雇用機会の喪失といった生活に直結する問題があり、これは社会制度の不備によるものです。虎鉄さんがそういった側面に対して活動をされている背景には、子どもの時から見てきた風景と関係があると思いますか。

中里:周りのアクティビストや社会課題に意識を持ち頑張っている人達が育った家庭はあまり貧困ではないケースが多く、ある程度、いろいろなものにアクセスできる環境が整っているように見受けられます。自分の場合は、経済的に恵まれなかった家庭を含め、身近な景色は本当に保守的で、有毒的でもあった。だからこそ、「どうして、自分の現状と求めている世界とのギャップが生まれるんだろう?」と突き詰めると、自分の生きづらさは政治やそれを動かすシスヘテロ男性の有毒な男性性に基づいていることに気付かざるを得なかった。

佐久間:もともと好奇心が強かったんでしょうか?

中里:好奇心よりも、自分が大好きだったからかもしれません。プライドが高く、常に人気者でいたいし、1人いるところを誰にも見られたくない性格だったんです。海外セレブの情報を読んでいた影響もあり、「自分が幸せじゃない意味がわからない。虎鉄は幸せであるべき人間じゃん」というマインドを10代の頃に作っていたんですね。

だから自分のセクシュアリティを受け入れて、周囲の人にカミングアウトできた時、本来なら、自分のアイデンティティを見つけ理解できるのは、すごく幸せなことのはずなのに「何これ?全然幸せじゃないんだけど。今の世の中。なんで? 許せない」という感じです。

自分が特権を持つ課題のために闘いたい

佐久間:今後、文章や写真でどういったものを表現していきたいですか。

中里:写真や文章や企画を考えるのも、あくまでもツールと捉えていて、虎鉄が身に付けたそれらのツールでありスキルを使って、今後も人権問題にアプローチしていきたいですね。

実体験としてインターセクショナリティを感じたり、知識としての学びが進んだりするほど、自分が特権を持つ課題のために闘いたい気持ちが強くなりました。自分が当事者として被害を受けている課題に対して闘うのはすごく苦しいし、しんどいんですね。ただでさえ傷ついているのに、何かが起こった時に、自分から闘いに行かなきゃいけないって、マッチョでマジで無理って。本来であればあまり闘いたくはない時に、「この問題において特権を持ってる人達が代わりに闘ってよ」って感じるんです。

例えば、自分は日本で生まれ、日本の国籍を持ち、日本語が話せ、他人からも日本人と認識される見た目をしている。これは日本で生きるうえで自分が持つ特権です。日本には外国籍の人や、バイレイシャルなどのミックスルーツによって“日本人”として見られない人、日本語がネイティブではない人達もたくさん暮らしている。その中には差別を受けたり、選挙権を持っていない人がたくさんいる。そういった、自分が特権を持つ人権問題について、当事者コミュニティの人たちが望む形や必要な権利を得るために、一緒に声をあげ、アプローチしてゆく立場を取り続けたいです。

佐久間:Z世代よりも前の世代の自分からすると、こんなに長く生きてきたのに、世の中をよくするどころか、制度や気候変動といった、たくさんの問題を放置してきてしまいました。次の世代に「ごみをどうぞ」と渡してしまっている気がしますが、そういう感覚はありますか?

中里:個人的にはあまりその感覚はないんです。どの世代も大多数はアクティビズムに参加していませんが……先日も気候変動のデモに行くと、若い人もたくさんいたし、上の世代の人達も多かったから、放置しているわけではないと思います。もちろん危機感や課題意識を持たずに暮らしてこられた人達がいて、それもある種の特権だし、「おいおい、目を覚ませよ」と思うこともあります。

でも、どの時代にもアクティビストはいて、自分の世代が突如アクティビズムを始めたり、活発になったりしたわけではなくて、前の世代のアクティビスト達の意志があったからこそ、今に繋がっている。それがなかったら、現在のような形にまでなっていなかっただろうし、自分も闘えない状況だったかもしれないから、上の世代の人達には「マジでありがとう」と思ってます。同時に、世代交代なんかではなく、「あなた達が生きてるうちに、絶対私達が求めてる景色を見ようね」って。アクティビズムの世界ではよく「次の世代に残さないように……」ということが言われるけど、「いやいや、自分もその景色を見たいし、幸せになりたいから!」という気持ちでアクティビストをやっていますね。

佐久間:その景色をみんなで見るためにできることをやっていきたいと思います。影響を受けたアクティビストはいますか?

中里:これまで活動してきた中で出会った人達や、デモで一緒に声をあげている人達です。特定の誰かに影響を受けたというよりかは、同じ景色を求めて声を上げ続けている人達がいるというその景色を見ることが、自分がアクティビストでい続けるうえで何よりも大きな影響になっていると思っています。私達が求める景色を見られずに亡くなっていった人達もたくさんいますが、かつて活動した人達の意志はこれからもずっと生き続けていると感じます。

Photography Kotetsu Nakazato
Text Lisa Shouda

author:

佐久間裕美子

文筆家。1996年に渡米し、1998年からニューヨーク在住。出版社、通信社などを経て2003年に独立。カルチャー、ファッション、政治、社会問題など幅広いジャンルで、インタビュー記事、ルポ、紀行文などを執筆する。著書に「Weの市民革命」(朝日出版社)「真面目にマリファナの話をしよう」(文藝春秋)、「My Little New York Times」(Numabooks)、「ピンヒールははかない」(幻冬舎)、「ヒップな生活革命」(朝日出版社)、「テロリストの息子」(朝日出版社)。慶應義塾大学卒業、イェール大学修士課程修了。2020年12月に「Weの市民革命」を刊行したのをきっかけに、コレクティブになったSakumag Collectiveを通じて勉強会(Sakumag Study)、発信(Sakumag Stream)などを行っている。Twitter:@yumikosakuma Instagram:@yumikosakuma

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