表現者・三上博史が語る「寺山修司の魅力」と「音楽活動」

三上博史
東京都生まれ。高校在学中、オーディションで寺山修司に見いだされ、寺山自身が監督・脚本を手がけた、フランス映画『草迷宮』(1979)に主演し俳優としてデビュー。1987年公開映画『私をスキーに連れてって』(馬場康夫監督)で脚光を浴び、その後『君の瞳をタイホする!』(1988)など数々のドラマに出演。一世を風靡する。映画では『スワロウテイル』(1996、岩井俊二監督)『月の砂漠』(2001、青山真治監督)などに主演、舞台では寺山修司没後20年記念公演『青ひげ公の城』(2003)、『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』(2004)、『あわれ彼女は娼婦』(2006)、『タンゴ・冬の終わりに』(2015)に主演する。映画、ドラマ、舞台など多岐にわたって活躍している。
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俳優であり、音楽活動もしている三上博史。その才能を見出したのは演劇界の革命児、寺山修司だった。三上は15歳の時に、寺山の映画『草迷宮』に出演。それ以来、寺山と交流しながら、テレビや映画の世界で役者として華々しく活躍していく。そこで三上が俳優という枠にとらわれない「表現者」としての感性を発揮できたのは寺山から受けた影響が大きかった。

これまでにも三上は寺山の作品に出演したり、寺山修司記念館で開催される追悼ライブで歌を披露したりと、寺山の世界を独自に表現してきたが、その総決算ともいえそうなのが2024年1月に上演される『三上博史 歌劇 ―私さえも、私自身がつくり出した一片の物語の主人公にすぎない―』だ。果たして、それはどういったものになるのか。寺山との交流を振り返ってもらいながら話を聞いた。

——歌や演劇で構成された『三上博史 歌劇』。「ミュージカル」ではなく「歌劇」というスタイルは、寺山修司の世界にぴったりですね。

三上博史(以下、三上):「歌劇」という言葉に引っかかってくれて嬉しいです。まだ、稽古に入っていないので、どんなことになるのかわからないですが、観客の皆さんにおもしろがってもらえたらいいな、と思っています。

以前『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』というお芝居をやったんですが、あれもミュージカルではない独特のスタイルでした。きっと、(オリジナルの作演出を手掛けて主演も務めた)ジョン・キャメロン・ミッチェルが子どもの頃から役者の仕事をしてきた中で、「自分が本当にやりたいことってなんだろう?」って考えた結果、生まれた作品だと思うんですよ。今回の作品はそれと近いところがあって、自分がやりたいことをやった結果、こういうものが生まれたという感じですね。

——演出はJ・A・シーザー。台本は髙田恵篤と寺山偏陸という寺山をよく知る面々で、寺山の代表作から選び抜かれたエピソードと寺山が歌詞を提供した曲で構成されているそうですね。ある意味、三上さんを狂言回しにしてリミックスされた「寺山ワールド」といえるかもしれません。

三上:そうですね。通常の演劇の脚本とは違って、編集作業のようなところもあります。台本は全部、寺山のテキストを使っているんですが、その中から僕が発したい言葉を抽出して構成しているんです。曲はこれまで僕が歌ってきた曲を、できるだけ全部入れたいと思っています。とにかく、僕が好きなものを詰め込んでいるので、僕の部屋をのぞくようなものになると思いますね。

——今回、いろんな役を演じるそうですが、どんな風に役に向き合われるのでしょうか。

三上:普段は1つの役と向き合うことが多くて、そこに自分の価値観や美意識とかを持ち込まないようにしています。それをこれまで「自分を捨てていく作業」と言ってたんですが、年齢を重ねた今、「捨てる」っていうほど自我がなくなってきてるんですよ。最近はギアがいつもニュートラルに入ってて、自分を捨てることに時間がかからなくなってきました。

今回はコラージュ的な作品なので、いろんな役が飛び出してくるんです。それを追いかけるだけで振り回されているので、自我が出てくる余裕なんてないんですよね。どんどん、役が変わっていく様を楽しんでもらえたらと思います。

——音楽パートで三上さんをサポートするミュージシャンは、長い付き合いのDEMI SEMI QUAVERのエミ・エレオノーラと横山英規。そして、近田潔人という『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』に参加した面々ですが、新たにASA-CHANGが加わりました。三上さんから見て、このバンドの魅力はどんなところですか?

三上:僕とエミちゃんが組むとすごく真面目になってしまうのですが、横山さんとASA-CHANGがいることで抜け感が出るんですよ。そのバランスがおもしろい。このメンバーでは、2023年5月に寺山修司記念館でライヴを一度やっていて、その時にASA-CHANGと久しぶりに会いました。ASA-CHANGとは20歳の頃からの付き合いなんですが、僕の兄貴はASA-CHANGに誘われて初期の東京スカパラダイスオーケストラにいたんですよ。それでASA-CHANGに「久しぶりだけど最後に会ったのっていつだっけ?」と聞いたら、『二十世紀少年読本』(1989年)でした。その時、ASA-CHANGはヘアメイクとして映画に参加していたんです。

音楽との向きあい方

——そんなに長い付き合いだったんですね。思えば三上さんは1980年代から役者と並行して音楽活動もやられていました。当時はどんな気持ちで音楽に向きあっていたのでしょうか。

三上:20歳の頃、『無邪気な関係』(1984年)というテレビドラマに出演して役者の仕事を本格的に始めたんですが、やっているうちに「なんてつまらない仕事なんだろう」と思えてきたんです。溢れるほどの自我があるのに、なんで自分を殺して、毎日、物語の登場人物を演じているんだろうって。共演していた戸川純ちゃんは音楽で自分の世界観を全開にしていたのに、僕には自分を出す場所がなかった。

それでドラマの収録が終わると、六本木の「インクスティック」というクラブに直行して、やさぐれて飲んでいたんです。そこに行くと純ちゃんがいたり、教授(坂本龍一)が踊ったりしていました。そのうち、OTOとか EBBYちゃん(共にファンク・バンドのJAGATARAのメンバー)とかミュージシャンの仲間ができて、彼らが「飲んで愚痴ってても仕方がないから、俺達とリハスタ(リハーサルスタジオ)に入ろうよ」と誘ってくれたんです。

——それで歌うようになった?

三上:そう。最初はデヴィッド・ボウイとかイギー・ポップの曲をカヴァーしてたんですけど、少しずつオリジナル曲もやるようになったんです。そういうことを何年か続けてオリジナル曲が結構たまってきた頃に役者として人気が出てきたから、いろんなレコード会社から誘いが来るんですよ。最初は「音楽は遊びなので」って断っていたんですが、結局、ファースト・アルバム『G.O.D.S.』(1988年)を出したんです。

当時、僕にとって役者は「月」、音楽は「太陽」でした。役者は月のように自らは光を放たないで、いかようにも形を変える。音楽は太陽が光を放つように自分を出す。そんな風に役者と音楽活動を完全に分けていたんです。そしたら、『チャンス!』(1993年)っていうドラマでミュージシャン役が来てしまったんですよ。そこで久保田利伸さんの作った歌を歌ってくれって言われて。音楽は自分の趣味でやってきたことだし、ドラマの曲でも自分の美意識を入れたいと思って、NYに行って僕のアルバムに参加していたアンビシャス・ラヴァーズのピーター・シェラーにアレンジをお願いしたんです(三上が役名の本城裕二で発表したドラマのエンディング曲「夢 With You」)。撮影まで時間がなくて、オケだけNYで作ってヴォーカルは東京で録りました。あと、ラウンジ・リザーズのドラマーだったダギー・バウンと一緒に曲を作ったりもしましたね(本城裕二で発表した「ETCHED HEART」「OUT of FATE」)。

——JAGATARA、アンビシャス・ラヴァーズ、ラウンジ・リザーズ。三上さんは時代の先端にいたミュージシャンに囲まれていたんですね。今回は寺山さんの歌を数多く歌うわけですが、寺山さんの曲の魅力はどんなところですか?

例えば「健さん愛してる」って曲があるんですけど……。

——大好きな曲です! 映画『書を捨てよ、街に出よう』(1971年)の挿入歌で、寺山さんと東郷健さんが企画したアルバム『薔薇門』(1972年)でも歌われたゲイの心情を歌った名曲ですね。

三上:知ってるんだ! 嬉しいな。「棒つきキャンディ舐めながら、あんたが人を斬るのを見るのが好き」っていう歌詞があって、「棒つきキャンディ」ってアレなんでしょうね(笑)。で、最後に「男ならせめて一度は殺してみたい」って、もう最高じゃないですか! 寺山さんの歌には、底辺の人々の気合いからインテリジェンスなものまで丸ごとあるんですよね。浅川マキさんの『かもめ』だったら、「おいら」が恋した女は港町のアバズレで自分のことを見向きもされない。そこに、バラの花束を抱えた男がやって来て「おいら」が恋した女と寝てる。悔しいから「おいら」もナイフで女のここ(胸)に血のバラを作るっていうね。

——社会の底辺に生きる人達の物語を詩的に描いていて、まさに寺山ワールドですね。

三上:そういうものを、僕がステージで1回歌っただけで届けられたらいいなと思ってます。

寺山修司の魅力

——寺山は演劇でも歌詞の世界でも独特の言葉を持っていました。三上さんにとって寺山の言葉の魅力とはどんなところですか?

三上:なんだろう? 生々しいけど作為的っていうか、ハッとするようなオチがついているんですよ。「男ならせめて殺してみたい」っていうオチもすごいですよね。

——そうですね。ヤクザ映画に潜むセクシュアリティを独自の感性で言葉にしていますよね。三上さんが寺山さんから受けた一番大きな影響とはどんなことでしょう?

三上:既製の価値観を全部壊されたということが一番大きいと思いますね。「これがかっこいい」とか「この色が綺麗」とか、そういうことを寺山さんに全部壊されてしまった。だからこの歳になっても、自分は何をかっこいいと思うのか。どんな色を綺麗だと思うのかを、その都度その都度、考えているんです。

——三上さんが何かを表現する上で、寺山さんは原点みたいな存在なんですね。

三上:僕が寺山さんと交流があったのは15歳から20歳までの5年間なんです。20歳の時に寺山さんが亡くなって、そんなに深く付き合ったわけではないので、寺山さんの人間性は全然わからないんですよ。ただ、寺山さんが残した作品から寺山さんのことを紐解いていくと完全に僕のルーツなんですよね。だから大きな影響を受けているのは間違いないけど、「もう一度会いたい」みたいな感情はないんです。ただ、「寺山さんはどう思うだろう?」というのはよく考えますね。今回の歌劇も、きっとおもしろがってくれるんじゃないかな。

——寺山さんに言われたことで今も印象に残っていることはありますか?

三上:この仕事をしていく上で「笑うな」と言われたんですよ。「影を持った少年でいなさい」ということじゃないかな。カメラの前に立つ人間として一番魅力的な方向を考えてくれたんだと思います。

僕は笑うと素が出るので「素を出すな」ということでもあると思うんですよね(笑)。ただ、拗ねたような顔って少年の頃はいいと思うんですよ。でも、この歳でそれでいいのかなって。今は年齢的に美醜という基準を意識する段階じゃないと思うんですよ。だから、ちょっと前まではフラットな顔が良いのかな、と思っていたんですが、今はまた気持ちが変わってきていて。役を演じている時はいいんですが、こういう取材でカメラの前に立つ時の自分の立ち位置を考えてしまうんですよね。

——美醜を超えた次の段階。難しいですね。でも、三上さんの笑顔は素敵ですよ。

三上:そう言ってくれる人もいますが、安易に「あたたかみ」とかにいきたくないしね。好好爺的なのも嫌じゃない?(笑)。だから、「寺山さん、今だったらどう言うだろうな」と考えながら、次の段階を探しているんです。

Photography Mayumi Hosokura
Stylist Norihito Katsumi(Koa Hole inc.)
Hair & Makeup Kenjiro Akama

ジャケット ¥64,900、シャツ ¥37,400、パンツ ¥52,800/すべてsuzuki takayuki シューズ/スタイリスト私物

寺山修司没後 40 年記念/紀伊國屋ホール開場60周年記念公演

■寺山修司没後 40 年記念/紀伊國屋ホール開場60周年記念公演
「三上博史 歌劇 ―私さえも、私自身がつくり出した一片の物語の主人公にすぎない―」
公演日程:2024年1月9〜14日
会場:紀伊國屋ホール
作:寺山修司
演出・音楽・美術:J・A・シーザー 
共同演出:髙田恵篤 
上演台本:髙田恵篤 寺山偏陸
主演:三上博史
出演:演劇実験室◉万有引力
(髙田恵篤 伊野尾理枝 小林桂太 木下瑞穂 森ようこ 髙橋優太 今村博 山田桜子 三俣遙河 内山日奈加 /曽田明宏)
演奏:横山英規(Bass) エミ・エレオノーラ(Piano) 近田潔人(Guitar) ASA-CHANG(Drums)企画・制作:メディアミックス・ジャパン/ポスターハリス・カンパニー 
協力:テラヤマ・ワールド 
製作:メディアミックス・ジャパン
https://www.mikami-kageki.com
前売りチケット好評につき、アーカイブ配信決定。

author:

村尾泰郎

音楽/映画評論家。音楽や映画の記事を中心に『ミュージック・マガジン』『レコード・コレクターズ』『CINRA』『Real Sound』などさまざまな媒体に寄稿。CDのライナーノーツや映画のパンフレットも数多く執筆する。

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