高山敦, Author at TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報 https://tokion.jp/author/atsushi-takayama/ Thu, 22 Feb 2024 06:38:48 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.3.4 https://image.tokion.jp/wp-content/uploads/2020/06/cropped-logo-square-nb-32x32.png 高山敦, Author at TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報 https://tokion.jp/author/atsushi-takayama/ 32 32 「3.11」から被災地はどう「復興」したのか 11年目の風景を写した写真詩集『New Habitations from North to East 11 years after 3.11』 https://tokion.jp/2024/02/22/new-habitations-from-north-to-east-11-years-after-3-11/ Thu, 22 Feb 2024 09:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=224270 写真詩集『New Habitations from North to East 11 years after 3.11』(YYY PRESS)について、トヤマタクロウ、瀬尾夏美、柴原聡子、米山菜津子の4人に話を聞いた。

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『New Habitations from North to East 11 years after 3.11』から
『New Habitations from North to East 11 years after 3.11』から
『New Habitations from North to East 11 years after 3.11』から

2011年3月11日に起こった東日本大震災から11 年目に撮られた被災地の写真と、11 年の間に語られたその土地の言葉によって編み込まれた写真詩集『New Habitations from North to East 11 years after 3.11』(YYY PRESS)が出版された。

本書は写真家のトヤマタクロウが撮影を担当し、そこにアーティストで詩人の瀬尾夏美が詩を寄せている。編集は柴原聡子が、装丁は米山菜津子が担当し、4人で作りあげた。

先日の能登半島地震をはじめ、地震や台風、豪雨など近年は大きな自然災害が増えている中で、今、この本が出版される意義とは何か。本書に込めた想いを4人に聞いた。

——今、なぜ「3.11」をテーマにした本を出版したのか。その経緯からを教えてください。

柴原聡子(以下、柴原):私自身、もともと建築を学んでいて、昨今の日本における自然災害の増加などから、人間と土地の関係を考えるようになりました。その時、建築や都市計画だけでなく、アートから何かアプローチできないかと思い、3年ほど前から「住む風景/Scenes of New Habitations」というウェブプラットフォームをスタートしました。

このプロジェクトでは当初から瀬尾さんには声を掛けていて、一緒にリサーチを始めました。手始めに東北沿岸部の街をいくつか訪れたのですが、東日本大震災から10年が経ち、いわゆる「復興」がひと段落したという雰囲気が日本全体にある中で、被災地の現在をもう少し丁寧に伝えたいという思いが出てきました。それで、この機会に一気に被災地を巡りなおして1冊の本にまとめることには意義があるんじゃないか、という話になったのがきっかけです。

いろいろと話し合ううちに、「写真と詩を組み合わせてまとめよう」となり、今回装丁を担当してくれた米山さんと相談しました。米山さんからは、風景をなるべくありのまま撮ってくれる写真家がいいのでは、というご提案もあり、撮影をトヤマさんにお願いすることにしました。

瀬尾夏美(以下、瀬尾):コロナ禍もあって、「東日本大震災から10年」みたいな感じであまり話題にはならなかったんですけど、大きく被災地という括りで見られていた街が、それぞれ震災後にどのような復興の選択をしてきたか、ようやくその地域ごとの暮らしが見えるようになってきたタイミングではあったかなと思います。

——実際にこの写真詩集のプロジェクトがスタートしたのはいつ頃だったんですか?

柴原:まずは2022年6月頃に私と瀬尾さんと下調べとして、岩手から東北の沿岸部を1度まわってみて。その後、2022年10月にトヤマさんと米山さんも加えて、4人で岩手県から福島県まで太平洋側の被災地を中心に撮影しながらまわりました。

人の暮らしが伝わる写真

——トヤマさんにはどんな写真を撮ってほしいとオーダーをしたんですか?

柴原:最初は瀬尾さんがトヤマさんにその土地の情報を伝えつつ、それを受けてトヤマさんに基本的にはお任せで撮影してもらいました

トヤマタクロウ(以下、トヤマ):被災地を撮るということで、当事者ではない自分がどうテーマに対して向き合ったらいいのかな、と最初は構えていましたが、そういった気構えでは見る風景にバイアスがかかってしまうと思い、基本的には普段通りに、「ドラマチック」にならないように意識して撮影を進めました。

米山菜津子(以下、米山):1回目にみんなでまわった後にトヤマさんが撮影した写真を4人で見ながら、「もう少しこういう写真があったらいいよね」と、イメージを擦り合わせて、その後に今度はトヤマさん1人で1週間ほどかけてもう一度東北をまわって撮ってきてもらいました。

その時にプラスの要望として、初回は天気が悪かったり、人の気配がなかったりして、自分達が現地で感じていた印象よりも寂しい印象に見えてしまうところがあったので、「もう少し人の気配があってもいいかもね」っていう話しをして。あとは追加で撮影をお願いしたい場所を伝えて、自由に撮影してきてもらいました。

——本書を見ると風景の中に人の暮らしが感じられるカットがあるのが印象的でした。それはある程度意図的だったんですか?

トヤマ:そうですね。1回目の撮影から戻って4人で話して、人の気配がするものや、説明的過ぎない寄りの写真がもっとあってもいいだろうということになりました。2回目の撮影は1人の時間が多かったので、自分のペースで、より時間をかけて生活感のある風景や人々の暮らしが感じられるものを撮影できたと思います。

——それで最終的にセレクトは米山さんが行なったんですか?

米山:トヤマさんに2回目をまわってもらった後に、また、4人で写真を見てみて。それで最後にもう少し南の方の茨城県とか関東に繋がっていく場所の写真もあった方がいいとなって、3回目はまたみんなで行って。

全体としては北から南へと順番に掲載して、最後に関東に繋がっていく感じでということをみんなで決めて、各場所の写真は私が1度セレクトして、レイアウトして、みんなと微調整をしつつ、この写真の隣に文章をお願いしますと瀬尾さんにお伝えしました。

作っているうちに最初に想像していた本とは少しずつ変わってきて、当初はページ数ももっと少なく写真も住宅や地形の様子だけのイメージでしたが、最終的にはページ数も300ページ以上で、暮らしを感じるカットも入ってきて。このプロセスを経て、変わってよかったなと思いますね。

——トヤマさんの写真だからこそ、より伝わるものがある気はします。

トヤマ:基本的に写真には物事の表面しか写りませんが、そこからいろいろなことが読み取れると思うので、その土地の表面の質感が伝わるよう丁寧に撮影しました。表面下の部分は瀬尾さんの詩で補完されるだろうとも思っていました。 また、他所から来た人間だからこそ気づくことや撮れるものもあると思い、ある程度の距離を保ちながら土地を巡りました。

——瀬尾さんは詩をどのように考えていったんですか?

瀬尾:最初は米山さんがつくってくださった仮のレイアウトを見ながら書いていたんですが、うまく進められなくて。写真には2022年の風景が写っているんですけど、私にとっては震災のすぐあとから見続けてきた場所なんですよね。それで、過去のエピソードを入れ込みたいという気持ちもあったので、写真1枚1枚にあて書きをするのではなく、今回の旅をメインにしつつ、これまでに聞いたお話や風景の変化などを含めて、北からずっと下りてくる感じで、まちごとに詩を書いていきました。

「3.11」以降の変化

——瀬尾さんは震災後に東北に移住したんですよね?

瀬尾:そうです。当時は美大生で、東京のシェアハウスに住んでいて。私とトヤマさんは1988年生まれで震災のタイミングで大学卒業だったんですが、地震で卒業式もなくなりました。大学の友人達と、何かできることはないか、東京でもやれることはあるんじゃないかとか、いろいろ話し合ってはいたんですけど、わたしはやっぱり現場で起きていることを直接知るべきだと思ったので、ボランティアに行くことにしました。実際の現場で大したことはできなかったかもしれないけど、そんな中でも、被災された方達が話を聞かせてくれて、そのことを誰かに伝えてほしいと言われたりもして。その時に聞いた話は貴重なものだから、同時代の人達に伝えること、そして記録して未来に残すことも必要だと感じて、翌年の春に岩手県陸前高田市に引っ越したんです。それから10年ほどは東北に居て、今は東京に戻ってきました。

——瀬尾さんはずっと被災地を見てきて、復興の具合に関してはどう感じていますか?

瀬尾:地域ごとに復興のコンセプトが違っていて、例えば堤防をつくるべきか否かの考え方も街によって違ったりもして、そこが興味深いですね。福島県は原発事故の影響があって、復興のタイミングがどうしても遅れてしまっています。

米山:一言で「復興」と言ってもいろんなレイヤーがありますよね。その結果として、家の建ち方や堤防の高さなどが土地によって全然違うというのは、行ってみて実感しました。元のコミュニティがそのまま移動して、別の場所に仲が良さそうに家が建っている地域もあれば、家が流されてしまったけど、同じ場所に住みたいとバラバラに戻ってくる人もいたりして。そういうことをなんとなくでもトヤマさんの写真から感じてもらえるといいなと思います。

——瀬尾さんが東北に移住したように、柴原さん、米山さん、トヤマさんも3.11を機に変わったことはありますか?

柴原:私はアートの仕事をメインにしているのですが、震災が起きた時は、ちょうど建築学会の仕事も手伝っていました。そこでお付き合いのあった、いろいろな先生から被災地を実際に見ておいた方がいいと言われて。2011年6月くらいに気仙沼にボランティアで行きました。築200年の歴史ある立派な民家の片付けを手伝ったのですが、家は津波でぐちゃぐちゃ、住民の方ももう同じ場所には住めないと話していました。日本は土地信仰を強く、代々土地を継いでいくという考えがあると思うんですが、その経験もあって、それは不安定なものなんだと実感しました。以来、土地と人間の関係だったり、アートでも災害をモチーフにしている人が気になりだしたり、自分にとっては大きな変化でした。

米山:私は震災当時はデザイン事務所で働いていて、ちょうど雑誌のリニューアルを手掛けていた時期で忙しくしていました。震災後は社会全体がとても不安定で何をしていても不安だったけれども、だからこそ自分はなんとか普通に仕事を続けよう、という気持ちでした。

今回のプロジェクトの前に自分は被災地にほとんど行ったことがなくて。あえて避けてた部分もあったというか、どう受け止めたらよいかわからない怖さみたいなものがありました。津波の映像とかも全然直視できなくて、10年が経って、柴原さんと瀬尾さんに今回の写真詩集の話を聞いた時に、今だったら自分も関わることができるのかも、とやっと思えるようになりました。

——復興した後に見る被災地はどのように感じましたか?

米山:復興がひと段落したと言われているとはいえ、ちょっと目を凝らすと、震災の爪痕が残っていて。何か圧倒的なことがここで起きたんだなという雰囲気はすごく感じました。そういう場所の隣には新しい綺麗な家が建ってて、普通に暮らしている人達もたくさんいる。なんというかあまり見たことのない風景だなという印象を受けました。まだそれを何と表現していいか、自分でもちょっと咀嚼できてないのですが。

——トヤマさんは?

トヤマ:大学の卒業式を目前にして地震があったんですけど、揺れが起こった時は洋服屋のバイトでお店に立っていて、もともとは卒業後もそこで働くつもりでいたのですが、いろいろと悩んでしまって震災直後に辞めてしまいました。僕は、自分ではどうしようもないような大きな出来事が起こった時に、すぐに行動を起こすことができなくて、とにかく立ち止まって考える時間が必要でした。当時はいろんな情報が錯綜していて自分自身も不安定だったと思います。それで、大学も卒業して仕事も辞めたのですが、写真を撮る枚数はどんどん増えていったので、写真屋でバイトをしたりしながら写真を続けて今に至るという感じです。震災がなければ今のようには写真を撮っていなかったと思うので、このような本を作ることになって、少し不思議な気持ちです。  

被災地への想像力

——今回、この写真詩集を通して、何を伝えたいですか?

瀬尾:こうした大きな災害が起こると、当事者と非当事者、当事者の中でも被害が大きかった人と少なかった人……など、いろんな境界線が出来てしまって、立場の異なる他者にどう関われるのか、どうやって寄り添っていいのか、みんな悩みますよね。これは災害だけにかかわらず、さまざまなマイノリティの問題に関しても似たようなことが起きていると思います。

日本でも大きな自然災害が増えている中で、いつ自分が被害にあうかもわからない。そこで、当事者になった人達がどのように“その後”を生きているか、どんな風に風景が回復してきたかを知ることで、すこしホッとしたり、関わり代が見つかったりもするかもしれないと思っていて。この本が少しでもそのきっかけになればと思っています。

柴原:日本では毎年のように豪雨や震災といった災害が増えています。今まで被害がなかった地域でも、いつどうなるかわからない状況になってきている。だから被災地で被害を受けた人が、どう暮らしを再建させていくのか、都市部に住んでいる人でも知っておいた方がいいと思います。

トヤマ: 基本的にはやっぱり瀬尾さん、柴原さんが言ってくれたようなことが、この本の役割みたいなこととしてはあると思います。

2023年11月に下北沢のB&Bという本屋で小説家の小野正嗣さんを迎えたトークイベントをやった時に、知り合いのアートディレクターの方が聞きに来てくれて。その時まで知らなかったのですが、実はその方はこの本で撮影した岩手県の野田村の出身で、被災後に自分でも地元や被災地に関しての本を作ろうかとずっと思っていたらしいのですが、それがどうしてもできなくて、写真もなかなか撮れなかったそうで。この本を見て、すごく腑に落ちたっていうふうに言ってくださって、それを聞いて僕も救われたんです。質問の答えになっていないかもしれませんが、なにかそういう、見た人が腹落ちできるような本になっているのなら、嬉しいです。

米山:この本は純粋なリサーチの結果を報告するっていうものでもないし、何か物語になっているわけでもなくて。4人が4人、それぞれで感じていることがあわさったり、それぞれだったり、行ったり来たりしながら作った本という感じがしていて。そういう本は、一言で「こういう本だ」と言いいづらいところはあるんですが、読み込んでもらえると、想像力が働く部分があるのかなと思っていて。

都市部に住んでいる人間として、遠い場所のことを想像するとか、場所は遠くてもなにか似たようなものを窓に置いてる家があるんだなとか、何かそういう繋がりを発見したりというような知らない場所のことでも親近感を持ってイメージするみたいな想像力を働かせていくことが、とても大事なのではないかと思っています。そういうきっかけになればすごくいいですね。

柴原:本書について被災者の方からの感想を聞くと、この本に写っているのは日々皆さんが見ているリアルな風景なんだっていうのは思いました。3月2日からは福島県の郡山で展覧会を開く予定で、今後も定期的にイベントを行っていきたいと思っています。そこでいろんな人の感想を聞くのが楽しみです。

■『New Habitations from North to East 11 years after 3.11』
写真:トヤマタクロウ
詩:瀬尾夏美
文・編集:柴原聡子
装丁:米山菜津子
定価:¥6,050
出版社:YYY PRESS
仕様:上製 312ページ 横 188 × 縦 263 mm
ISBN 978-4-908254-10-9 C0070
https://newhabitations.com
https://newhabitations.com/new-habitations-book-2/
Instagram:@new_habitations

■「New Habitations: from North to East 11 years after 3.11 in FUKUSHIMA」 
東日本大震災から11年目に撮られた写真と、11年の間に語られた土地の言葉。 被災地の現在と過去が織り成す、「あたらしい風景」 
写真:トヤマタクロウ 
詩:瀬尾夏美 
会場:トトノエル gallery café
住所:福島県郡山市希望ヶ丘1-2 希望ヶ丘プロジェクト内
会期:2024年3月2〜20日
時間:(日〜水)12:00〜18:00
休日:木〜土  
http://www.totonoel-gallery-cafe.jp
Instagram:@totonoel_gallery_cafe

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俳優、モデルとして活躍するSUMIREが「ディスコード ヨウジヤマモト」「グラウンド ワイ」とのコラボで見せたアーティストとしての一面 https://tokion.jp/2023/12/18/interview-sumire/ Mon, 18 Dec 2023 09:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=219998 俳優、モデル、アーティストとして活躍するSUMIREが「ディスコード ヨウジヤマモト」「グラウンド ワイ」とのコラボを語る。

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SUMIRE

SUMIRE
1995年東京生まれ。俳優、ファッションモデル、アーティスト。2014年から2023年の間「装苑」専属モデルを務める。2018年に映画『サラバ静寂』で俳優デビュー。『ボクたちはみんな大人になれなかった』(2021)のキーパーソン・スー役、主演を務めたドラマ『階段下のゴッホ』(2022)などに出演。 2023年9月、初個展「たまごがゆめをみていた」(Roll)を開催し⻑年描く絵画作品や、映像作品を発表した。
https://www.adonis-a.co.jp/sumire/
Instagram:@sumiresmile074
Instagram:@sueart__

渋谷パルコの開業50周年を記念し、俳優、モデル、アーティストとして活躍するSUMIREが「ディスコード ヨウジヤマモト(discord Yohji Yamamoto)」「グラウンド ワイ(Ground Y)」とコラボしたカプセルコレクションを制作した。加えて、11月17日には渋谷パルコの「グラウンド ワイ」店舗でSUMIREによるライブペインティングも実施。今年9月には個展も開催し、アーティストとしての活動の幅を広げるSUMIRE。ライブペイント直後の彼女にコラボの経緯から今回手掛けた作品について話を聞いた。

——今回のコラボの経緯から教えていただけますか。

SUMIRE:私がアート作品だけを載せているInstagramのアカウントを持っていて、それを 「ディスコード ヨウジヤマモト」の方が見てくださって、今年の8月末頃に「コラボレーションしませんか」とご連絡をいただきました。好きなブランドなので、光栄なお話だなと思い、「ぜひ」という感じで返事をして、コラボをすることになりました。

——今回、「ディスコード ヨウジヤマモト」「グラウンド ワイ」の2ブランドとコラボしました。それぞれのコラボ作品についてテーマはありましたか?

SUMIRE:「ディスコード ヨウジヤマモト」は、革のバッグや財布といったアクセサリーに実際に私が1点1点アクリル絵の具で絵を描きました。これまで私が見ていた「ディスコード」のアイテムは、全体的にシックで上品な印象もありつつ、カジュアルにも使えるといったイメージで、色もモノクロなものが多かったので、そこに色のついたロゴを入れるような思いで、「使った人の気持ちが明るくなればいいな」と思って、絵を描きました。

——SUMIREさんは事前にある程度イメージを固めてから描くのでしょうか。

SUMIRE:今回の「ディスコード」の場合は素材やバッグの形を見て、こういうモチーフがあったらかわいいだろうなとか、このカバンは大きいからちょっと落書きっぽい感じがいいかなとか、そういう風に柔軟にイメージを広げて描いていきました。

——一方の「グラウンド ワイ」は?

SUMIRE:「グラウンド ワイ」は、まずは「Ground Y」というロゴを自分なりにデザインしようと考えました。でも普通にはしたくないなと思って、フォントの形を見つつ、ここはちょっと丸っぽいからお月さまかなとか、Yって木のような形をしてるからちょっと木の要素を入れてみようかなとか、身近にあるものをイメージしてデザインしました。

——どの絵も色使いがすごくカラフルですが、全体のバランスを見ながら選んでいくのでしょうか? それとも感覚的に色を選ぶんでしょうか。

SUMIRE:半々くらいです。例えば「グラウンド ワイ」のロゴに、イチゴをイメージしたデザインがあるんですけど、普通のイチゴよりも白っぽいピンクにしていて。少し普通じゃないものにしたいという感じはあるかもしれません。

絵を描くことで自分の気持ちがわかる

——今回のライブペイントで描かれた絵に関しては、テーマはあったんですか?

SUMIRE:完成して思うのは下の部分が色彩の波で、上の部分にキャラクターがいて、ハッピーな雰囲気で、「グラウンド ワイ」を守ってくれるイメージになっているな、と思います。

——今回のようなキャラクターはSUMIREさんの中に固定のキャラクターがいるんですか? 

SUMIRE:今回、描いていたらたまたまこのキャラクターができあがったという感じですね。まずは自分の描きたいフォルムを描いて、それらに目をつけたりとかして。丸みを帯びたものって人を優しい気持ちにしてくれる気がするので、そうした丸みのあるキャラクターを考えて描いていきました。

——ライブペイントはこれまでにもやったことはあるんですか?

SUMIRE:今回のような大きい規模でやったのは初めてだったんですが、やってみると楽しかったですね。家ではこんな大きなキャンバスには描けないので。

——見られながら描くことには緊張しなかったですか?

SUMIRE:しなかったですね。集中していて、後ろを見てなかったんで(笑)。1回振り返ったら、すごく人が多くてちょっとびっくりしました。友達も見に来てくれていて、嬉しかったです。

——そもそもSUMIREさんがアーティストとして絵を描き始めたのは何かきっかけがあったんですか?

SUMIRE:本格的に仕事として絵を描き始めたのは20歳を超えてからぐらいです。子どもの時からずっと趣味としては描いていたんですけど。20歳頃からグループ展に参加させていただいたりとか、コラボ商品を出させていただいたりとかするようになりました。

——ずっと独学ですか?

SUMIRE:はい。独学です。

——本格的に描き始めて、自身の作品でここが変わってきたなっていうのはありますか?

SUMIRE:作風や好きなテイストはあまり変わらないんですけど、あまり考えずに描けるようになってきました。前までだったら何を描こうか全部下描きする時もあったんですけど、最近は描くことに慣れてきたのもあって、すぐに描き始められるようになってきました。

——日常的に絵は描いてたりするんですか?

SUMIRE:撮影がない時期にキャンバスに描いているんですけど、どこか地方で撮影に行った時には落書き帳を持っていって、ちょっと時間がある時に描いたりもします。絵を描く時は気持ちに余裕がある時ですね。

——絵を描くことがストレス解消になったりもしますか?

SUMIRE:それもあります。絵を描くことで、自分が今ハッピーな気持ちなんだなとか、ちょっと悲しい気持ちなんだなとか、その時の気持ちが絵に現れますね。

——今後、描いてみたいものはありますか?

SUMIRE:これまであまり人物や風景などを描いてこなかったので、挑戦したいなとは思っています。あとは、大きなサイズのキャンバスにも描いてみたいですね。

Photography Yohei Kichiraku

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「老いていくのも素敵なことかもしれない」 『水曜どうでしょう』の鈴井貴之が田舎での生活で感じた「幸せの本質」 https://tokion.jp/2023/11/10/interview-takayuki-suzui/ Fri, 10 Nov 2023 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=215644 書籍『RE-START 〜犬と森の中で生活して得た幸せ〜』を出版した鈴井貴之に赤平市での生活の中で見つけた「幸せ」について聞いた。

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鈴井貴之

鈴井貴之(すずい・たかゆき)
1962年北海道赤平市生まれ。1990年に札幌で劇団「OOPARTS」を立ち上げる。その後、構成作家・タレントとして『水曜どうでしょう』(HTB)などの番組に企画・出演。映画監督として『銀色の雨』などこれまで4作を発表。2010年から「OOPARTS」を再始動。これまでに6作の舞台公演を行っている。
https://www.office-cue.com/profile_media/profile.php?t=1
https://twitter.com/TAKAYUKISUZUI

大人気番組『水曜どうでしょう』のミスターこと鈴井貴之。12年前から生まれ故郷の北海道赤平(あかびら)市にも拠点を持ち、現在は札幌と赤平の2拠点生活を行っている。

赤平は北海道のほぼ中央に位置し、札幌から約100kmで、人口は約9,000人と過疎化、高齢化が進んでいる町だ。鈴井の家の周りも森に囲まれており、当初は原野を自らの手で開墾することから始めたという。現在は4匹の犬(大型犬3匹、小型犬1匹)と共に田舎での生活を満喫している。

そんな赤平での生活を記した書籍『RE-START 〜犬と森の中で生活して得た幸せ〜』(幻冬舎)が10月4日に刊行された。もともとは「自然が嫌いだった」と語る鈴井が森や犬と暮らす中で見つけた新たな幸せとは何なのか。

——まず、今回この本を書こうと思ったきっかけから教えていただけますか?

鈴井貴之(以下、鈴井):北海道の赤平市で暮らすようになって13年目になりますが、去年雑誌の「GOETHE」の特集で僕の家を紹介したい、と依頼がありまして。その時の担当編集者が僕の赤平での生活を見て、その場で「本を書きませんか」と依頼してくれたんです。

赤平で生活するようになって自分でも想像してなかった驚くべき変化が起きたりもして、その体験をまとめて書いて出すのもいいかなと、本を書くことにしました。

——いつ頃、その話があったんですか?

鈴井:去年の10月頃です。そこからどんな内容にしようか、リモートで編集者と打ち合わせをしながら書いていきました。

——本書は、ゴールデンレトリバーのネイマールという鈴井さんが飼っている犬の視点で書かれています。

鈴井:エッセイって自分のことを書くんですが、「なんてバカバカしいことをやっているんだ」っていうのは、自分の独り語りよりは客観的に書いたほうが読者に共感してもらいやすいかなと思い、ネイマールに語り部となってもらい、僕の生活を伝えることにしました。

——タイトルも鈴井さんが考えたんですか?

鈴井:そうです。この表紙に使われている文字も僕が直筆で書きました。赤平での生活や会社や家族のこと、いろんな意味で「RE-START」という思いを込めてこのタイトルにしました。

——49歳で赤平市での生活を始めましたが、「それは現実逃避だった」と書かれています。

鈴井:あまり詳細には書いていないのですが、その頃に社長を辞めたり、離婚もしたりしていますから。そんなタイミングで、赤平に居を構える機会をいただいて、最初は「町のため」みたいなきれいごとを言ってたんですけど、客観的に見たら、逃げ場所を探していたのかなと思います。

最近、ようやくそれを自分で認められるようになってきました。逃げるというのは、マイナスにとらえられがちなんですけど、時には勇気ある撤退も必要だなと思います。そういうのも赤平に12年住んだ今だから、包み隠さず書けるようになりましたね。

——今は、札幌と赤平との2拠点生活ですが、どれくらいの間隔で行き来されているんですか?

鈴井:半々か、少し赤平で過ごすほうが多いかなというくらいです。それはやっぱり犬のためなんですけどね。赤平だと犬達はリードもなく、自由に走り回れる。なので、時間があれば、赤平にいるようになりました。

——本当に犬中心の生活なんですね。

鈴井:今は4匹ですが、多い時は6匹飼ってましたからね。犬を飼うからにはそれくらいの責任を持って飼わないといけないと思います。

自分でやることに意味がある

——赤平に住むと決めて、土地の整備はご自身でされたそうですね。

鈴井:最初は原野だったので、札幌から週末に通いながら自分でチェンソーで木を切ったり、重機の免許も取得して、素人ながら、ほぼ1年かけて、できるところまでは整備しました。

——土地の広さってどれくらいなんですか?

鈴井:約6600坪です。

——なかなか想像できない広さです。それくらい広いとまだまだ未開拓な場所も多いんですか?

鈴井:全然使っていない場所の方が多いですよ。敷地には川もあって、釣りもできるんです。僕は釣りはやらないんですけど、この前、友人が遊びに来てくれて、釣りをやりたいっていうので、その川まで草をかきわけて5年ぶりに行きました。その友人はニジマスとか釣って、「すごくいい川ですね」って言ってました。

——整備するのは業者にお願いすることもできたと思うのですが、なぜご自身でやろうと思ったんですか?

鈴井:最初に赤平で暮らそうと思ったのが、夕張市の次に赤平市が財政破綻するかも、という話があった時で、僕も赤平出身なので、その財政会議にアドバイザーとして月1回通っていました。でも、その会議で偉そうなことを言いながら、札幌に帰る。自分は所詮よそものだなと感じて。それならこの町に住んでみたら仲間として受け入れられるかなと思って住むことにしたんです。それで仲間と認めてもらうには、業者が入って別荘を建てたということではなく、週末通いながら、自分で作業していることが大事だなと思って。

そうやって自分でやっていると、近所の人にも知ってもらえるようになってアドバイスをもらえたり、小さい町なので、他の人にも知ってもらえたりして。そうなると「あの人は本気だ」と、受け入れられていきました。

——でも、49歳になって急に田舎で生活をするのは、なかなかできることじゃないと思いますけど。

鈴井:最初は大変でした。冬の除雪も重機を使っても1時間くらいかかるので、何をやっているんだっていう気持ちにはなりましたし、赤平から札幌まで普段だと1時間30分あれば着くんですが、大雪だと8時間くらいかかったこともあって。「こんなに時間を無駄にして、今の生活に意味があるのかな」と思ったこともありました。

でも、時間を無駄にするといっても、毎晩すすきので飲んだくれているのも時間の無駄なのでは、と考えると、慣れたらすべてのものに意味があって、そんな時間も大事で無駄なものはない、という考えに変わっていきました。

——水が止まってしまう話も書かれていて、本当に生活が大変そうだなと思いました。

鈴井:年に何回か札幌から戻ってきたら水が出ないっていう状況があって、2km先の水源のメンテナンスをしないといけないんですよね。最初はそれも苦痛でしかなかったですけど、やっぱり慣れなんでしょうね。ここで生活するっていうことは、それが当たり前なんだ、と受け入れられるようになりました。

あと、東京からお客さんが来ると、「本当に自然の中に身をおくと癒やされる」とおっしゃいますね。本当に何もないんですけど、心が浄化される感覚になります。札幌でも仕事に疲れたら、早く赤平に帰りたいなって思いますからね。

——だんだんと適応していったんですね。

鈴井:そもそも僕は北海道民ですけど、自然は嫌いでしたから。『水曜どうでしょう』で、ユーコン川を渡った時は地獄でしかなかったです。『北の国から』を見ても、こんな生活できるわけないよなって思ってました。でも今は、泥だらけになりながら草むしりしたり、犬と戯れてたりしていますから。人ってこんなにも変われるんだって、自分でも驚いています。

自然の中で大型犬を飼ってみたいなという思いもあって、赤平での生活を始めたタイミングで、大型犬を飼い始めたらすごく大変で。こっちが我慢しないといけないことが多くて。自分のような業種の人間ってどっかわがままな部分があるんですけど、こっちが我慢を強いられる生活になって、かなり我慢強くなりましたし、イライラすることも減りましたね。「しょうがないよね」って受け入れられるようになったんです。

——YouTubeも最近始められましたが?

鈴井:3、4年前からやろうかなとは思っていたんですが、当時はみんながYouTubeをはじめていたので、なんとなくタイミングを考えて、今年の8月からスタートしました。たまたま同じ内容の本も出版されるのでいいかなと。

——YouTubeは1人でやられているんですか?

鈴井:そうですね。

——原野の開墾にしても、YouTubeにしても1人でやるのが昔から好きだったんですか?

鈴井:1人でこもって創作活動をするのは好きでしたね。だからこういう生活も自分にはあっているんでしょうね。

以前、映画の監督にも挑戦しましたが、やっぱり関わる人が増えると、いろいろと意見が出てくるわけで。その中でどこまで良しとするのか、その葛藤はありました。それを1度清算したくて、なるべく1人でやれることをやろうというのも、この町に住んだ理由の1つです。だから本を書くっていうのは基本的には1人でできるので、すごく向いているんだと思います。自分が表現したいものが、文字としてダイレクトで伝えられるので。

「老いること」について

——現在、61歳ですが、「老い」については自然と受け入れられるようになりましたか?

鈴井:今は仕方ないなって受け入れられるようになりましたが、数年前は本当に嫌でした。老眼になったり、体力的な衰えや食も細くなったりして、昔できていたことができなくなってくるんです。それで、このまま老いていくのか、と一時期はどんどんネガティブな思考になりました。

でも、いつ頃からか老いを拒否するのではなく、受け入れられるようになって。できることの限界は知ったので、無理をせず、新しいことに挑戦していく。そういう風にモードが変わりましたね。老いていくのも、素敵なことかもしれないな、ととらえてやっていく。

この本にも書いていますが、80歳まで生きるとしてもまだ20年ほどある。それだけあれば、成長できる余地はあると考えるようになったら、まだまだ頑張っていこう、と思えるようになりました。

——『水曜どうでしょう』は今も続けています。全盛期は過ぎているとも書かれていましたが、それでも続ける理由は?

鈴井:まだ支持してくれるファンの人達が大勢いらっしゃるので。いい時の姿を見せるだけでなく、先ほども言ったように衰えていくのは当たり前のことなので、それもさらけ出していくのも1つかなと。

——『水曜どうでしょう』は今でもすごい人気ですよね。改めて、あの番組の魅力はどこだと思いますか?

鈴井:バラエティ番組ってカテゴライズされるんですけど、僕等はドキュメンタリー番組だと思っていました。テレビ番組なので、面白おかしくやっている部分もありますけど、怒ったり、ぼやいたり、みんな本音でやってますから。最初の頃はテレビ番組を作らないといけないと思って、僕が一番しゃべってたんですけど、いつ頃からかがんばらなくていいんだなと思って、後半全然しゃべんない時とかありました。どこからか作りものじゃなくて、この4人の素を見せていくのがいいんじゃないかと思って、みんなが好き勝手にやりはじめた。そうしたテレビの枠組みをはみ出たリアルさが人気だったんじゃないかなと思います。だからこそ、今も自分達のリアルを見せるために続けているんだと思います。

——いろいろ経験した鈴井さんにとって「幸せ」とは?

鈴井:「幸せ」はまだまだこれからじゃないですか。もっと森を開拓したいですし、インディーズで映画とかも撮りたいと思っています。そうした先のことが考えられることが、幸せなのかな。幸せのど真ん中にいたら満足してそこでもういいやってなってしまうと思うんですが、まだチャレンジできるっていう希望を持てているのは、いいことなのかな。

——最後に本書はどういう読者に読んでもらいたいですか?

鈴井:やっぱり僕と同年代の50代、60代で、もうすぐ定年でセカンドライフをどうしようかと考えている人。でも、若い人が読んでも何かしら気付きはあると思います。この本自体がエッセイのコーナー以外に、ペット関連にあったり、読んでくれた人からは「ビジネス書だよね」って言っていただいたりもして。人によっていろんなとらえ方ができる内容だと思います。

——僕もこの本を読んだら、老いていくことに対して、少し気が楽になりました。

鈴井:それが一番です。「人生は長くて、50歳近くからでもやり直しができる。だから大丈夫。なんとかなるよ」っていうのが伝われば。人って、落ちている時は考えすぎちゃうので。少し引き算してきたら、楽になる。この本を読んで、そうなってもらえればいいですね。

Photography Mayumi Hosokura

『RE-START 犬と森の中で生活して得た幸せ』著者:鈴井貴之

■『RE-START 犬と森の中で生活して得た幸せ』
著者:鈴井貴之
定価:¥1,760
発売日:2023年10月4日
ページ数:308ページ
出版社:幻冬舎
https://www.gentosha.co.jp/book/detail/9784344041103/

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アートコレクター笹川直子が語る「ビジネスにも通じるアートの魅力」 https://tokion.jp/2023/10/31/interview-naoko-sasagawa/ Tue, 31 Oct 2023 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=214295 アートコレクターでビューティ企業の代表としても活動する笹川直子が語る「アートとビジネスの関係」。

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笹川直子

笹川直子(ささがわ・なおこ)
株式会社クィーン代表取締役 / アートコレクター。山脇学園女子短期大学英文科卒業。野村総合研究所リサーチ&コンサルティング本部勤務ののち、結婚退職。IT系企業での経験を経て2000年に株式会社クィーンを設立。2005年にナチュラルヘアケアブランド「ウルオッテ(uruotte)」を発売し、今に至る。 現代アートに魅せられ20歳からコレクションをスタート。出産&育児で一時中断するも執念でコレクションを再開。ライフワークであるアートと美容ビジネスの接点を探りつつ、アートのある人生を楽しんでいる。

アートコレクターの笹川直子は20歳で初めてアート作品を購入し、以降も数多くのアートコレクションを続けている。一方で、自身の会社で2005年にナチュラルヘアケアブランド「ウルオッテ(uruotte)」をスタートするなど、ビューティ企業の代表としても活動する。今年4月には空山基とコラボしたアイテムを発売するなど、アートに造詣が深いからこその商品を開発している。今回、アートとビジネスの関係について、話を聞いた。

——笹川さんがアートに興味を持ち始めたきっかけを教えてください。

笹川直子(以下、笹川):母が美術大学出身で、もともと家にユニークな品が飾ってあったりしたので、子どもの頃からアートには興味はありました。高校生になってから母の友人が経営していた「鎌倉画廊」に遊びに行くようになり、アートって買えるものなんだと知りました。それで1989年、20歳の時に「鎌倉画廊」で、アーティストのクロード・ヴィアラさんの展示をやっていて、そこで初めてアート作品を購入しました。

——以前のインタビューで、それが100万円を超える作品だったと話されていました。

笹川:まだ1年目の会社員だったんですけど、バブル期で、みんなが車を買ったり海外旅行に行ったり、ブランドのバッグを買ったり、散財していた時代でした。そんな時代の雰囲気もあり、思い切って欲しいと思ったものを購入しました。

その記念すべき1点目の作品は今でも大切に持っていて、去年、高知県の「すさきまちかどギャラリー」でコレクターの友人との合同コレクション展で展示しました。サイズがかなり大きくて、家に飾ることができなかったので、改めて展示されているのを見て、いい作品だなと思いました。

——そこからアートをコレクションしていくんですか?

笹川:そうですね。週末はいろいろなアートギャラリーを見てまわって楽しむという感じでした。ただ1990年代は、まだ現代アートが今ほど高くなくて、中には自分でも買える作品もありました。蔡国強のインスタレーションが考えられないほどの価格で入手できたりもして。他にも森山大道さんの作品なども購入していました。

それから私が1999年に出産して、そこから10年くらいはコレクションにブランクがあります。それで2000年代終わり頃からまたアートコレクションをするようになりました。

——笹川さんが作品を購入する時のポイントは?

笹川:強いていえば、どのくらい真剣に制作と向き合っているのか、何か新しいことをやろうとしているか、でしょうか。あとは好みと、タイミングです。私は作家と話して作品のことを知って購入したいのですが、若い時は作家に話しかけるのを遠慮していたんです。でも作品について聞くと意外と喜んで話してくれるんですよね。だから、気になる作家には作品について聞いてみるといいですね。

——今回、いくつかお気に入りの作品を持ってきていただきました。

笹川:応援の気持ちもあって購入している、若手作家の作品をお持ちしました。糸目友禅染めという日本独自の技法を使っている石井亨さんやパリ在住の田中麻記子さん、板坂諭さん、エヴァン・ネスビット(Evan Nesbit)さん、玉山拓郎さん、大久保紗也さんなど。板坂さんは「ウルオッテ」のパッケージデザインも手掛けてくださる建築家ですが、作家活動もされています。

——特に好きな作家さんはいますか?

笹川:思い出深いのは、この前まで「丸亀市猪熊弦一郎現代美術館」で開催していた展示「中園孔二 ソウルメイト」に作品を貸し出ししていた、中園孔二さんですね。キャンバスで縦、横2m50cmほどある作品で、最初の個展の時に購入しました。大きすぎて倉庫に入れてあり、なかなか見る機会がないので、美術館の会場で見られて嬉しかったです。

中園さんは音楽もやっていて、初個展ではヴォイスパフォーマンスもされたり。純粋な人でしたね。26歳で亡くなるまでの短期間に約500点と多くの作品を遺しています。 

アートとビジネスの関係

——笹川さんが考えるアートの魅力は?

笹川:アートがおもしろいのは、見て美しい、圧倒されるなど感情を揺さぶられる体験ができること。また、作品を通して既存の考えや常識にとらわれず、想定外の発想やものの見方、価値観を学べるところにもあると思います。平たくいうと「ぶっとんだ発想」みたいなものです。

ここに、ビジネスでいうところのイノベーションにつながるヒントが隠されている、と感じることもあります。一見するとどう解釈してよいかわからない作品も多いのですが……。

——確かにぱっと観ただけだとわからない作品も多いですよね。

笹川:そうですよね。でも作家やギャラリストに「どうしてこういう作品をつくったのか?」「何を表現しているの?」と聞いてみたらいいですよ。「なるほど!」「へぇ~!」と、新鮮な驚きと感動をあじわえることがよくあります。

——そういうアート好きなことがご自身の今の仕事にも生かされていますか?

笹川:私も商品を作るのに人と違ったことをやりたいと思うタイプで、売れるかどうか、儲かるかどうかよりも自分はこれがつくりたいっていう思いのほうを優先したものづくりをしています。

2005年にヘアケアのブランドを立ち上げた時も、アレルギー家系で自然食と石鹸シャンプー育ちだったのですが、自然派でもっと使用感のよいシャンプーが欲しいと思って自らつくったのが始まりです。当時子育て中だったので、あまり手間をかけずに1本で完結するシャンプーを開発しました。その当時からプラスチック削減や節水など、社会との関わりも意識して、環境に配慮したものづくりを心掛けていました。

——アーティストとのコラボもやられていますよね。

笹川:2018年に田中麻記子さんとコラボしたのが最初で、白髪の一時染めをする商品“リタッチヘアマスカラ”のキービジュアルを描き下ろしてくれました。2020年以降は榎本マリコさんにキービジュアルをお願いしています。

あと、2020年11月に「ウルオッテ」のリニューアルを建築家でプロダクトデザイナーの板坂さんにお願いしました。板坂さんはアーティストとしても活動している方で、このパッケージのグラデーションは日本の四季の移ろいを表現しています。塗装しているので、ごく微妙なムラも発生しますが、そこには多様性を許容するというメッセージがあります。

——今年の4月には空山基さんともコラボしました。

笹川:そうですね。空山さんとはアートギャラリーの「NANZUKA」さん経由で2015年か16年に知り合って、いつかご一緒に仕事したいなと思っていました。それで2年ほど前にコラボさせていただける奇跡に恵まれて、受けていただけることになったんです。そこから試行錯誤して、2023年の発売になりました。そしたら空山さんの個展(「Space Traveler」)のタイミングが重なって。テーマも宇宙旅行でリンクしていたんです。

——テーマが同じだったので、もともとタイミングを合わせるようにしていたのかと思っていました。

笹川:全然違うんです。商品のほうは、本当はもっと早く出す予定だったんですけど。すごい香りやパッケージにこだわって。もともとコスメの大量生産、大量消費、大量廃棄へのアンチテーゼとして、違う価値観をどう提案していけるかを考えて今回は「体験を提供していきたい」と思いました。香りで無重力を表現しているので、テーマが「宇宙旅香」なんです。

——空山さんにはどのような要望をしたんですか?

笹川:要望というのはおこがましく。空山さんが作りたい世界観があって、クリエイティブチームはそれを大切に進めました。

空山さんご自身も、イラストをただプリントするだけのコラボは望まれていなくて、何か「全く新しいチャレンジ」が必要でした。なので、今回一緒にものづくりができたのはすごく楽しかったですし、空山さんも商品にはとても満足して喜んでくださいました。

——今後も他のアーティストとのコラボも考えていますか?

笹川:そうですね。コスメは新しいブランドが出ては消えてゆくレッドオーシャンの世界で、売れているものの二番煎じ商品も多いと感じています。わが社は、シンプルケアの自然派コスメというブランドの核を守りつつ、アーティストとともに、他社が真似のできない新しい価値を提案していけたら、と思っています。

Photography Kohei Omachi(W)

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画家・佐野凜由輔が切り開く新たな可能性 「独学でもここまでできるっていうのを見せたかった」 https://tokion.jp/2023/10/19/interview-ryusuke-sano/ Thu, 19 Oct 2023 09:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=212598 10月28日にまで個展「ZOOOOOOOOOOM展」を開催している画家の佐野凜由輔にこれまでの経歴と本展への思いを聞いた。

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佐野凜由輔

佐野凜由輔
1994年生まれ、北海道・札幌出身。幼少期はカートゥーン、アニメーション、漫画に没入し、10 代後半でエゴン・シーレ、ジャクソン・ポロック、ジャン=ミシェル・バスキア、エリック・パーカーらに衝撃を受ける。画家を志して、2016 年にNYへ渡米。2018年に開催した初の展覧会から、規則性のない具象性と抽象性が共存する私的な記憶に基づく多色使いの表現方法を“ZOOM(ズーム)”というコンセプトに込め、精力的に作品を描き下ろす。アジア圏でのソロ展示やグループ展への参画の他、2022年に1st作品集を上梓。
https://ryusukesano.com
Instagram:@ryusukesano

ほぼ独学でありながら、その力強い絵で多くの人を魅了する画家・佐野凜由輔(さの・りゅうすけ)。2019年1月にリリースされたKing Gnuのアルバム『Sympa』のイラストを手掛けたことで、一躍注目される存在となり、その後も積極的に個展を行っている。もともとはファッションデザイナーを目指していた佐野が、いかにして画家となったのか。「運が良かった」と語る彼のこれまでのストーリーを、10回目となる個展「ZOOOOOOOOOOM 展」の会場で聞いた。

画家・佐野凜由輔が切り開く新たな可能性 「独学でもここまでできるっていうのを見せたかった」
画家・佐野凜由輔が切り開く新たな可能性 「独学でもここまでできるっていうのを見せたかった」

——もともと文化服装学院に通っていた佐野さんが画家を志した経緯から教えていただけますか?

佐野凜由輔(以下、佐野):文化服装学院のアパレルデザイン科に通っていたんですが、本当にパターンを引くのが下手くそで、周りにも優秀な人が多かったこともあり、2年生の頃に「一生服の仕事でやっていくのは難しいかも」と思い始めたんです。それでどうしようかなと漠然と考えていて、3年生の卒業間近の12月に「そういや海外のこと何も知らないな」と思って、以前から興味があったニューヨークに1週間ほど行きました。

最初は「ブルックリンミュージアム」にバスキアの作品を観ようと思って行ったんですが、ニューヨークの街はそこら中に現代アートがある環境で、そういったことにも触発されたんだと思います。それでニューヨークから日本に帰る途中で「画家になりたい」と思ったんです(笑)。

——それまでも絵は描いていたんですか?

佐野:Tシャツに描いたりする程度でした。学校を卒業して、1年間バイトしてお金を貯めて、もう1度ニューヨークにビザ無しで3ヵ月とりあえず行きました。そこで運良く、向こうに在住している日本人アーティストの方のアシスタントをさせてもらい、そこでアートやペインティングについて1から教えてもらいました。初めてキャンバスに絵を描いたのはその時です。

その師匠に「凜由輔は絵を描くのは速いから、とりあえずビビらずに描きまくれ」と言ってもらい、ニューヨークにいる時は絵をひたすら描きまくりました。その時に「絶対に画家になろう」と決意したんです。それで日本に戻ってきてからも展示のためにお金を貯めながら、絵を描き続けました。

——最初から今の作風でしたか?

佐野:もともとはボールペンで松本大洋さんのような線画を描いていました。でも、師匠から絵の具で描いた方がいいとアドバイスされて、それから今の作風になりました。

画家・佐野凜由輔が切り開く新たな可能性 「独学でもここまでできるっていうのを見せたかった」
画家・佐野凜由輔が切り開く新たな可能性 「独学でもここまでできるっていうのを見せたかった」
画家・佐野凜由輔が切り開く新たな可能性 「独学でもここまでできるっていうのを見せたかった」

——佐野さんの特徴であるコラージュ的な作風もその時からですか?

佐野:それは最初からでしたね。コラージュに関しては、ファッションからの影響が大きいと思います。もともとリメイクものや「ジュンヤ ワタナベ」みたいに異素材をミックスさせるのが好きで。あと、色使いは「マルニ」の鮮やかな色の組み合わせの影響はあると思います。

僕の絵は1枚の中に綺麗なものがあったり、ストリートを感じるものがあったり、さまざまなモチーフが多層的にミックスされています。そのバランスに関しては、まだまだ発展途上で日々模索中です。

転機となった初個展とKing Gnuのジャケット

画家・佐野凜由輔が切り開く新たな可能性 「独学でもここまでできるっていうのを見せたかった」

——初の個展はいつ頃でしたか?

佐野:2018年11月です。それも本当に運が良くて、原宿の「offshore(オフショア)」ってギャラリー兼アパレルのお店をやっている的場(良平)さんと僕の友人が知り合いだったんです。的場さんに「個展やりたいです」って話したら、「うち(「offshore」)でやっていいよ」と言ってくれて。それですぐに準備をして、そこで初めての個展をやりました。

実はちょうど同じ時期に、その個展のフライヤーをPERIMETRONの(佐々木)集さんが見てくれたみたいで、King Gnuのアルバム『Sympa』(2019年1月16日リリース)のジャケットの絵の依頼がきて。個展とそのジャケットの制作時期が重なったんですけど、「ここが勝負どころだな」と思い、それまでやっていたバイトを辞めて、本気でその作品に取り組みました。本当に時間がなくて、めちゃくちゃ大変だったんですけど、それがきっかけで仕事も増えて、本気でやってよかったと思います。

——その時から「ZOOM」というタイトルでやっていたんですか?

佐野:そうですね。当時はそこまでコンセプトを決めずに自分の感覚で絵を描いていて、個展のタイトルもどうしようかと考えていた時に、友人から「佐野の作品からはいろんな景色が見える」っていわれて。確かに、引きで見た時と寄って見た時と作品の見え方も違ってくるなと思い、「ZOOM」というタイトルをつけることにしました。

あと、イームズ社が作っている「Powers of Ten」っていう動画もヒントになりました。その映像の中で1番引いた時と1番寄った時、どちらもノイズっぽくなる。観る視点を変えれば、同じものでも違って見えるし、逆に最終的には同じものでもある、みたいなことを提示できそうだなと思いました。

同じタイトルで中身をどんどんアップデートしていくと意味を込めて、「ZOOM」シリーズを続けています。回数を重ねるごとにOを増やしていて、今回は10回目なので「ZOOOOOOOOOOM」なんです。

画家・佐野凜由輔が切り開く新たな可能性 「独学でもここまでできるっていうのを見せたかった」
画家・佐野凜由輔が切り開く新たな可能性 「独学でもここまでできるっていうのを見せたかった」
画家・佐野凜由輔が切り開く新たな可能性 「独学でもここまでできるっていうのを見せたかった」
画家・佐野凜由輔が切り開く新たな可能性 「独学でもここまでできるっていうのを見せたかった」

30歳までの目標をかなえる

画家・佐野凜由輔が切り開く新たな可能性 「独学でもここまでできるっていうのを見せたかった」

——今回が10回目の個展ということですが、それもあって北海道(2023 年9月26日〜10月6日)と東京の2ヵ所で展示をしようと思ったんですか?

佐野:10回目というのはあまり関係がなくて、もともと30歳になるまでに自分で企画して大きな展示をやろうと、3年くらい前から考えていました。独学でアートをやってきた自分でも、ここまでできるっていうのを見せたくて。それで会場をどうしようかなと考えていたところ、地元の北海道への帰省中にモエレ沼公園に行った時に、ガラスのピラミッドでやってみたい、ここでやろうと決めました。ただ、モエレ沼は公園なので、展示はできても販売ができないんです。ちょうどその時に、MU GALLERYさんとのご縁があり、巡回展として東京でもやることになりました。

モエレ沼公園での展覧会では、企画から準備など全部自力でやったので、妻にも協力してもらい、本当に大変な毎日でした。でも、目標としていた30歳までに、思い出に残る企画展をやる、という目標をかなえられたことはよかったです。

また、2ヵ所でやることで、場所が違えば作品もまた違って見えて、そこも「ZOOM」っていうタイトルに繋がっているなと思います。

——今回、過去最大サイズ(3,000×5,400mm)の作品も制作していますね。

モエレ沼公園での展示風景

佐野:本当はもっと大きいのを作りたかったんですけど、キャンバスを調達できず、今制作できる最大のサイズとしてこの大きさになりました。

——佐野さんが現在、長野に住んでいるんですよね。それは大きい作品を作りやすいからですか?

佐野:そうですね。個人的には「売れる」「売れない」を抜きにして、大きなサイズの作品を作りたいという欲求があって。でも当時住んでいた埼玉の一軒家だとなかなか満足いくサイズが作れなくなってきて、たまたま知り合いが長野に移住したこともあって話を聞くと、長野もいいなと思い、良い場所が見つかったタイミングで3年前に移住しました。

あと、ノイズのない環境で制作することで、より自分にも作品にも向き合えるなと思ったことも移住した理由の1つです。

——立体作品制作も考えていますか?

佐野:それはまだ考えてはいないです。もちろんオファーがあったら前向きに考えることにはなると思いますが、自分的にはまずは絵をちゃんと描き続けることが今一番やるべきことだと思っています。それでもっと売れて、アーティストとして一人前に食べていけるようになったら、もしかしたら自分から作りたいと思えるかもしれないですね。

——今後は海外での展示も視野に入れていたりしますか?

佐野:そうですね。今回のイサム・ノグチがデザインしたモエレ沼公園での展示の実績が、海外に向けてのプレゼンテーションになるかなと思っていました。そうしたら、偶然ニューヨークのギャラリーから個展をやらないかとオファーをいただき、来年の夏頃に向こうで展示をやる予定です。

——確実に目標がかなっていますね。今後については?

佐野:本当に運が良いんだと思います。とりあえず今はそのニューヨークの展示をどうしようかなという感じでいろいろと考えています。体力が続く限り、全力で絵を描き続けていきたいと思っています。

佐野凜由輔「ZOOOOOOOOOOM展」

■佐野凜由輔「ZOOOOOOOOOOM展」
会期:2023年10月14〜28日
会場:MU GALLERY
住所:東京都品川区東品川1-32-8 TERRADA ART COMPLEX II 2F
時間:12:00~18:00 
休日:日曜、月曜
入場料:無料
https://www.mugallery-tokyo.com

Photography Yohei Kichiraku

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New Jeansやあいみょんにもヘッドピースを提供 国内外で活躍するアーティト松野仁美の創造力 https://tokion.jp/2023/09/15/interview-hitomi-matsuno/ Fri, 15 Sep 2023 09:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=208274 ヘア&メイクアップアーティスト、アートピースのクリエイターとしても活動する松野仁美インタビュー。

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松野仁美(まつの・ひとみ)

松野仁美(まつの・ひとみ)
サロンワーク、ヘアメイクアシスタントを経て2013年に独立。雑誌、カタログ等でヘアメイクとして活動しつつ、2019年よりアートピースの制作を開始。2022年渡韓、現在は日本を拠点に国内外問わず活動中。
https://www.hitomimatsuno.com
Instagram:@matsuno71

ヘア&メイクアップアーティスト(以下、ヘアメイク)としての活動とともに、New Jeansやあいみょん、Red Velvetなど、アーティストにヘッドピースやマスク、ネイルリングを提供するなど、アートピースのクリエイターとしても知られる松野仁美。

10月2日まで、彼女が制作したアートピースが「ニュウマン新宿」の2階メインエントランス横ショーウィンドウに展示されるなど、新たな領域に活動の幅を広げている。

花や草という自然のモチーフを使用し、どこか未来的な雰囲気を感じさせる松野の作品だが、それらがどのようにして作られたのか。今後は作品制作にもっと力を入れ、よりアーティストとしての活動の幅を広げていきたいという彼女の創作への想いを聞いた。

——ヘアメイクを志したきっかけから教えてください。

松野仁美(以下、松野):幼少期から絵を描いたり、物を作ったりすることが好きでした。また、ファッションも好きで雑誌の「Zipper」 や「CUTiE」、「装苑」などを見るようになりました。 アートへの興味もありましたが、それをどのように現実的な仕事にするのかがイメージが湧かず、そんな時にファッションショーを見る機会があり、世界観に圧倒されてこれだ! と思いました。 ただ、ファッションデザイナーかヘアメイクかと考えた時にヘアメイクの方が自分の性格的に合っている気がしました。

——それからもうヘアメイクをやろうと?

松野:そうですね。私が高校生の時は今のようにSNSなどでの情報もなく、ヘアメイクになる方法がわかりませんでした。そのため、一度大阪で美容室に就職してサロンワークや美容師としての技術を学び、ヘアメイクを目指す選択をしました。

個人的に面白いと思って気になっていた美容師の先輩が独立するタイミングで一緒に働くこととなり、そこで美容師としての技術だけでなく仕事をする姿勢やすべての基礎を学ばせていただき、今に繋がっている気がします。その後、東京に出てヘアメイクのアシスタントを経て独立しました。

——その後、2019年からヘッドピースを本格的に作り始めたのですか?

松野:アシスタント時代からヘッドピースのような物は作って試してはいましたが、デビューした2013年頃の日本のファッションシーンではノームコアやストリートが流行していて、ヘアメイクも作り込むインパクトのあるスタイルよりシンプルなものが求められていると感じて、自分なりにポイントを効かせたヘアメイクを心掛けていましたが、技術的にも成長のないことに段々と物足りなさを感じるようになってきました。それで自分のスタイルをもう一度追求しようと2019年頃から本格的にヘッドピースを作り始め、ヘアメイクで表現できないことを、ヘッドピースを作ることで解消しているような感覚でいました。

——本格的に作り始めて、手応えはありましたか?

松野:すぐに手応えは感じられず、作っていても自信はなくなっていきましたが、時々海外からInstagramのDMに「ヘッドピースを使いたい」と連絡があり、そうしたリアクションが自信に繋がりました。

韓国で感じた環境の違い

——2021年5月から1年ほど韓国を拠点に活動されていましたが、日本とはクリエイティブの環境も違いましたか?

松野:韓国の事務所と契約して行ったのですが、コロナ禍ということもあり、活発な時期ではなかったのですが、若手クリエイターの勢いを感じました。特にチョ・ギソクというグローバルで活躍しているフォトグラファーと一緒に仕事をして、その世界観に衝撃を受けました。韓国ではクリエイティブへの意識が高く、自分の作品を作るという認識が強かったです。

スタイルの違いや意識の違いもありますが、うらやましく思ったのはフォトグラファーがスタジオを持っているので、時間をかけて作品を作れるという点です。時間に余裕があることで、現場でより良い選択ができていました。

——韓国で活動している中で、New JeansやRed Velvetなどにヘッドピースを提供して、海外での活動も増えているように思えますが、今後は海外での活動も視野に入れていますか?

松野:いろいろ考えるとまずは日本を拠点に活動しつつ、リクエストがあれば海外の仕事もやっていきたいです。New JeansやRed Velvetと仕事ができたのも、InstagramのDMから連絡をもらったことがきっかけで、今はどこに住んでいても世界と繋がれて仕事ができる時代になった気がしています。そのためにもフットワークの軽さや語学はまだ勉強中ですが、重要だと思っています。

アナログとデジタルの間の作品

——今回の「ニュウマン新宿」の展示作品について教えてください。

松野:基本的にはデザインを含めて任せてもらいました。作品制作に3Dプリンターを取り入れたのと、依頼をいただいたタイミングが同じくらいで、試行錯誤しながらだいたい1ヵ月くらいで作りました。今回、「ニュウマン新宿」のテーマが“It’s My Classic”だったので、このテーマでどのような作品にするか考えた時に、デザイン面では自分が憧れていた2000年代初頭のファッションと日本神話を取り入れつつ、今起きている事柄から自分の考えもあわせて表現したいと思い、制作にあたりました。

フェイクニュースやキャンセルカルチャー、さまざまな思想など個人の選択でプラットフォームに表示されるものが変わり、振り回されることがないよう自分を神化させて自らを信仰できる装備を作りました。昔の人は神様を信じていましたが、今私達は科学や情報を信じていますし、ChatGPTなどの生成AIが出てきて今後はその代わりとなるという話もあります。

あえてデジタル機器を使用することで、自分を強く持てば未来も明るく前向きでいれるという願いでもあります。今の時代だからこそ感じるアナログとデジタルの間を行き来した作品ができればいいなと思っています。

——ヘッドピースを作る時のインスピレーション源は?

松野:昔観ていたアニメ、兄がやっていたゲームや見ていた特撮、あとはSF映画、他にも日本神話などに影響を受けていると思っています。

——そういうのが作品に反映されていると?

松野:特に意識はしなくても何かしら影響は出ていると思っていて、自分にしか表現できないものが作れるよう思考錯誤しながら制作していきたいです。

——作品に花や草など自然なものを使うのはどんな理由からですか?

松野:有機的な物を人工で表現するというところに面白みを感じることと、花にしても咲いている時よりも朽ちていく瞬間が好きで、自然から得ることのできる美しさも作るうえで意識していることの1つです。

——あいみょんさんの「愛の花」のジャケット撮影にも参加されていますね。

松野:あいみょんさんの作品のアートディレクションを担当しているとんだ林蘭さんから連絡をいただき参加することになりました。とんだ林さんは私の作品が花をモチーフにしていることなども知っていてくれていたみたいで、今回の楽曲は「花」がテーマだったこともあり、私に依頼してくれたのかなと。とんだ林さんと相談しながら、8パターンのお花をモチーフとしたアートピースを作りました。

——最後にこれからやりたいことは?

松野:今まではヘアメイクの延長でアートピースを制作していたのですが、これからは分けて考えていけたら良いなと思っています。ヘアメイクはより良い作品を作り上げるチームの一員として、アートピースは自己表現としてそれがあるだけで意味があるくらい探求していきたいです。

Photography Kyotaro Nakayama

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「Japan Photo Award」の主宰者でクリエイターとしても活動する八木沢俊樹 その“ものづくり”への考えに迫る https://tokion.jp/2023/08/23/interview-toshiki-yagisawa/ Wed, 23 Aug 2023 09:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=204356 「Japan Photo Award」の主宰者でクリエイターとしても活動する八木沢俊樹インタビュー。

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八木沢俊樹(やぎさわ・としき)
1983年福島県生まれ。クリエイティブスタジオToshiki を主宰。これまでに、「M/M(Paris)」、「JWアンダーソン」、「Dis」、「New Tendency」、「Spike Art Magazine」 などのアーティストやデザイナーとのコラボレーションを通じて、新しい表現を探究してきた。また、「Japan Photo Award」の主宰者でもあり、評論家のシャーロット・コットン(Charlotte Cotton)や、「Foam Magazine」、「Mousse Magazine」などを審査員に迎え、過去の受賞者には水谷吉法、川谷光平、藤原聡志、三ツ谷想など、国内外で活躍する写真家を選出。 
https://toshiki.studio
Instagram:@toshikistudio

今年3月、東京・中野にオープンしたオルタナティブスペース「クードス (セントラール)(kudos (Centraal))」で、7月28〜30日の3日間限定で「Toshiki(トシキ)」こと、クリエイターの八木沢俊樹による初の陶芸作品の展覧会が開催された。クリエイティブデュオ「M/M(Paris)」とコラボするなど、バッグデザイナーとして話題となることが多かった八木沢が、今回は陶芸作品の展示ということで意外な一面を見せた。

一方で「Japan Photo Award」の主宰者としても活動する八木沢。インターネットで調べてもあまり情報が出てこない八木沢俊樹=Toshikiとは何者なのか。そして、どのような経緯で今の活動に至ったのか。自身の“ものづくり”の考えとともに紐解いていく。

「Japan Photo Award」から“ものづくり”へ

——まず現在の活動から教えてもらえますか?

八木沢俊樹(以下、八木沢):今はフォトコンテスト「Japan Photo Award」の運営と、クリエイターとしてプロダクトの制作と、半々くらいで活動しています。

——現在の活動を聞くと不思議な立ち位置ですよね。今に至るまでの簡単な経歴を教えてください。

八木沢:僕の場合、アートを専門的に学んできたわけではなく、基本的にはすべて独学でやってきました。そもそも最初はミュージシャンになりたいと思っていた時期があったりもして、社会人になってから大学に入っても遅くないかと思って、とりあえず上京したんです。それで偶然広くて安いスペースを新宿で見つけて、20歳の時にコマーシャルギャラリーを始めました。それから何年かギャラリーを運営していたら、今度は清澄白河にあるスペースを運営してくれと頼まれて。そこがカメラ機材の会社の跡地だったので、それなら写真のアワードをやってみようかなと思い、始めました。

——写真のアワードっていきなりできるものなんですね。

八木沢:それまでギャラリーを運営してきた経験もあったので、それも活かされていると思います。ただ、そうはいっても写真を専門的に学んできたわけではないので、「1枚の写真でその人の才能ってわかるものなのか」という自分の好奇心をテーマにして、写真1枚から応募できるアワードにしました。審査員の方にはその1枚の写真を見て選んでもらうようにお願いして。いわゆるレコードのジャケ買い的な企画ですね。あと、始めた当時は海外の審査員を入れてやっているアワードがあまりなくて、それもよかったんだと思います。結果、「簡単に参加できる」と人気が出て、盛り上がってきて、日本の現代写真のアワードでは最多の応募者になったので、「Japan Photo Award」と命名して(笑)。それで2013年に「Japan Photo Award」としてスタートしました。

——ものづくりよりも「Japan Photo Award」が先だったんですね。そこから、どのようにしてものづくりのほうにシフトしたんですか?

八木沢:「Japan Photo Award」をやり始めて、受賞者に渡すプレゼントとして、カメラのストラップを探していた時に、自分がいいなと思うものがなくて。それなら自分で作ってみよう、とストラップを自作したんですが、それがおもしろくて、そこからものづくりにはまっていきました。実はその時作ったストラップを「クードス」の工藤(司)くんが気に入ってくれて、そこで共通の知りあいを通じて、連絡をもらって、仲良くなったんです。

——それが今回の展示にも繋がるんですね。それまで特に何かを作っていたわけでもなく?

八木沢:子どもの頃から趣味としてものを作るのは好きだったんですが、自分がアーティストやクリエイターになりたいとは思っていなくて、その頃は科学者やエンジニアに興味がありました。でもアートはとても好きで、小学6年生くらいからクリストや(アンディ・)ウォーホルのポスターや作品集などは買い集めていました。中学生の頃に「ポンピドゥー・センター」でブルース・ナウマンの個展を見て、すごく衝撃を受けたんですけど、その時も自分が作家になろうとは思わず、こういうアートを扱う仕事をしたいなとは漠然と思っていましたね。それでギャラリーを運営したりしていたんですけど、気がつけば今はこうしてものを作っている(笑)。不思議ですよね。

「M/M(Paris)」とのコラボ

——プロダクトのほうは、カメラストラップの次にバッグを作るんですか?

八木沢:そうですね。カメラストラップを応用して何か作れないかなと考え、そこからバッグを作るようになりました。

——話題となった「M/M(Paris)」とのコラボバッグはどのような経緯で実現したんですか?

八木沢:もともと「M/M(Paris)」には、地元の福島が被災したこともあり、東日本大震災のチャリティーイベントのロゴをお願いしようと思って、普通にウェブのコンタクトからメールしたんです。そしたら奇跡的に返事がきて。

たまたま次の日大阪にいると言うので、それで会いに行きました。ただ、急に会うことが決まったので、お土産とかも用意する時間がなくて、家にあった自作のトートバッグを持って行ったんです。そしたら、ちょうど「M/M(Paris)」が20周年で本を出すから、それに合わせて特別エディションのバッグを作ろう、となって。それでコラボすることになりました。

——すごい流れですね。そこから「JW.アンダーソン」のお店でもコラボバッグを販売することになった、と。

八木沢:それは2回目のコラボの時ですね。ジョナサン(・アンダーソン=「JW.アンダーソン」デザイナー)と「M/M(Paris)」がちょうどロンドンの直営店の「JW.ANDERSON WORKSHOPS」でポップアップをするタイミング(2016年9月)で、そのお店と「DOVER STREET MARKET LONDON」限定で作って販売しました。その時は、ファッションのことにそんなに詳しくなくて、ジョナサンのことも知らなかったんですけど、後ですごい人だと知りました(笑)。

——それもあって日本よりも先に海外で認知度が高まったと?

八木沢:そうですね。「M/M(Paris)」とコラボした実績もあってか、その後もニューヨークを拠点に活動するアート・コレクティブ「DIS」などいろいろな海外アーティストとコラボしています。

——「M/M(Paris)」とのコラボ後はバッグ作りをメインに活動するんですか?

八木沢:その頃はメインで「Japan Photo Award」の仕事をやりつつ、その都度、年に1度くらいのペースでコラボレーションしながらプロジェクトとしてバッグを作る、といった感じでしたね。

ヴァナキュラー的発想の“ものづくり”

——なぜ今回は陶芸作品を作ろうと思ったんですか?

八木沢:4年前に東京から群馬のほうに引っ越しをしたのが大きなきっかけです。当時、大きいスタジオを探していて、群馬はゆかりのない土地だったんですけど、ちょうどよさそうな大きな倉庫を見つけて、それで引っ越したんです。引っ越しをしてから、いろいろとこの土地のことを調べていくと、土器が出土するエリアだったんです。

それで土器に興味を持ったのと、個人的に、建築家の寺本健一さんととても仲良くさせてもらっていて。寺本さんは「ヴァナキュラー建築(※気候や立地、そこに住む人々の活動といった風土に応じて造られる住居や施設)」をコンセプトとしていて、その活動を見たり、話を聞いたりしていると、自分も地域に根ざしたものづくりに興味が出てきて。そのエッセンスを自分のものづくりに生かしていきたいと思ったんです。

それで自分のスタジオですべてが完結できるように、3Dプリンターや陶芸用の大きな電気釜をそろえて、自分と妻の二人三脚で陶芸作品を作り始めました。

——陶芸はどこか学校に通ったんですか?

八木沢:2~3回だけ陶芸体験に行って、あとはYouTubeを見ながら独学でやっています。まだ陶器の作品自体は作り始めて半年くらいですけど。

——実際に陶芸作品を作ってみて、手応えがありますか?

八木沢:作っていて楽しいですね。意外とバッグの形をしている陶器ってないんじゃないかなというところから発想をして。もともとバッグを作っていたので、それともリンクするようなデザインを考えました。それで作品名も<セラミックバッグ>なんです。あと、今回の展示作品に関して、「クードス」のポップさや無邪気さを少しイメージして作りました。

——確かにストラップや色使いにどことなく「クードス」っぽさを感じます。作品は展示が決まってから作り始めたんですか?

八木沢:(「クードス」の)工藤くんに陶器の作品を作っているという話をしたら、「ぜひ『クードス (セントラール)』で展示をしてください」って前から言われていて。でも、なかなか2人の日程があわなくて、結果、このタイミングになりました。展示が決まったのは1ヵ月くらい前で、そこから作品は作り始めました。

3Dプリンターや電気釜を使っているので、昔よりは作るのがだいぶ楽にはなったんですけど、作って乾かして、また色を塗って乾かしてって工程が結構時間がかかるんですよね。色も指針となる配合表はあるんですけど、それでも思った色が一発で出なくて、何回かテストする必要があって。今回はその試作品も展示しました。

——今回は3日間という短い期間の開催でした。

八木沢:まずはお披露目的な感じだったので、3日あればいいかなという感じで。今回はこうした展示の形ですけど、今後はいろいろな形での発表に挑戦したいとは考えています。

——陶器以外の作品もありますね。

八木沢:<スタック>というモルタルで作った作品なんですけど。陶器が少し形になるのに時間がかかるので、すぐに形になる、かつ手に入りやすい素材を探していて、そこでモルタルを見つけて。これも元の型は3Dプリンターで作っています。もともとは花瓶にもなるし、ライトにもなるし、いろいろな用途として使用できるユニットシステムとして考えていたんですが、現状ではまだそこまでできていなくて、これらは試作品です。今後はモルタルに草を混ぜたり、色を混ぜたりして、モルタルの可能性を引き出した作品も作っていこうと思っています。

——今後の活動については?

八木沢:「Japan Photo Award」に関しては、これ以上大きくしようとは思っていなくて今くらいの規模で続けていければと思っています。

作品に関しては、「#おうち時間」のエキストラタイムではありませんが、より身近で、生活に根ざした自分にとってリアリティのあるものを作っていきたいと思っています。

また、今はスタジオの周りに庭を作ったりもしていて、牧歌的な時間を楽しんだり、一方で3Dプリンターをはじめとした最新テクノロジーにも興味があるので、それらを融合させたハイブリッドかつヴァナキュラーナな生活様式を自分の解釈とペースで実現できたらと思っています。

——海外での展示予定などもありますか?

八木沢:来年あたりドイツでガラスデザイナーと共同制作して展示しようかという計画はあったりするので、ぜひ楽しみにしていてください。

Photography Kohei Omachi(W)

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「WATOWA GALLERY / THE BOX TOKYO」で企画展「Artificial Realityー嘘をつくホンモノ」を開催 人間の多様な存在のあり方をアートにより可視化する https://tokion.jp/2023/07/31/artificial-reality-watowa-gallery-the-box-tokyo/ Mon, 31 Jul 2023 09:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=201513 8月6日まで開催している企画展「Artificial Realityー嘘をつくホンモノ」に関してのレビュー。

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「WATOWA GALLERY / THE BOX TOKYO」で企画展「Artificial Realityー嘘をつくホンモノ」を開催 人間の多様な存在のあり方をアートにより可視化する
「WATOWA GALLERY / THE BOX TOKYO」で企画展「Artificial Realityー嘘をつくホンモノ」を開催 人間の多様な存在のあり方をアートにより可視化する

アートプロジェクト・コレクティブ WATOWA GALLERY は、8月6日まで東京・浅草にある「WATOWA GALLERY / THE BOX TOKYO」で企画展「Artificial Realityー嘘をつくホンモノ」を開催している。

展示名の「Artificial Reality(AR)」は、人工的に構成された現実感、いわゆる拡張現実を意味する。昨今、デジタルデバイスを通して、日々多くの情報を得る中で、一見本物のようでも実は人工的に作られた偽物であることも起こりえる。さらに昨今のChat GPTをはじめとした生成AIへの信頼性。そうした状況を踏まえて、同展では今日のポスト·インターネット社会におけるデジタル技術に関する「人間性」の問題に焦点を当て、現代における人間の多様な存在のあり方をアートにより可視化することを目的に企画された。展示にはテクノロジーとアートに親和性のある平瀬ミキ、yang02(やんツー)、SHINKA(羊喘兒)、Lin Yuhan(林煜涵)の4人の作家が参加し、作品展示を行っている。

WATOWA GALLERY代表の小松隆宏は開催にあたり、「展示作品を通じて、テクノロジーによって加速した社会における私達自身のアイデンティティや『人間』としての存在のあり方を考えるきっかけとして、また、既存の認識を超えた物事との付き合い方を見出し、これからを創る人々に、テクノロジーと人間の新たな関係性を築くヒントとなることを目指します」とコメントする。

平瀬ミキ

平瀬ミキの《三千年後の投射術》は鏡面加工された石にレーザー加工機を用いて文字やiPhoneで撮影した写真を彫刻加工し、加工を施した石の表面に光を当てることで、反射した光によって像を壁面に写し出す。

「現代ではデジタルデバイスを通して、高解像度の図像を見ることが日常的にできるようになった。ただ、近年の電力逼迫のニュースや資源不足の問題を目にする中で、生活から電力が失われた時代がいつか来ることがあるのではないかと考えた。そんな時代が来た時でも、私達が現代で目にしている図像や投影方法の名残を留め、再生する手段として、本作品では半永久的に残り続けるような記録媒体として石に着目し、光があれば投影することが可能な今回の手法に至った。これまで現存してきた石板などと同じように、数千年先の未来にも残りうる可能性を持つ記録媒体として機能するメディア装置としての作品」(平瀬ミキ)。

平瀬ミキ

平瀬ミキ
武蔵野美術大学美術学部彫刻学科卒業、情報科学芸術大学院大学[IAMAS]メディア表現専攻修了。主な展示に「第14回恵比寿映像祭」(2022年)、「差異の目」(2019年)、「エマージェンシーズ! 036《Translucent Objects》」(2018年)など。「第25回 文化庁メディア芸術祭」新人賞、「やまなしメディア芸術アワード」Y-GOLD(最優秀賞)受賞。デジタルデバイス上での情報を見る行為に素材の特性を組み合わせることで、情報の残存性や人の見ようとする力にアプローチする作品を制作する。
https://mikihirase.myportfolio.com

yang02(やんツー)

yang02はドローイングマシーンを使用した作品とそのドローイングマシンを展示。東洋の仏像画と西洋のテクノロジーの融合をコンセプトに、AIに仏像画が何枚も読み取らせ、そこから自動でドローイングされた作品が並ぶ。また、アーティストのNAZEとコラボした作品も展示されている。

「急成長し巨大化したIT企業や、それらの主体が加速的に推し進めた情報技術の発達は、知識欲や物欲、承認欲求など、現代人の様々な欲望を余すことなく吸い上げ、保存し、構築されたデータベースによって成し遂げられている。より高度な『知性』とされるシステムは、それらのデータを礎に組み上げられる。欲望の渦から洗練された知性は、リコメンド機能に代表されるように、多くのオンラインサービスの裏側で暗躍しており、人々は半ば思考停止状態で神に教えを請うように、巧みに編集され、提供される情報を教授している。それらのある種、私達にとって他者のようなシステムは、現段階において生身の人間のような意思を持つことなく、自ら欲(煩悩)を持たず、それは解脱した仏のような存在と思える。一方、現行のあらゆるテクノロジーは、合理主義的なデカルトの哲学をベースに、産業革命やモダニズムを経由して現状の状況に至っており、つまり極めて西洋的な思想で成立していると言える。本作では、西洋思想を基に、古今東西の『知』について非言語的に語り、『知』の本質を考察する」(yang02)。

yang02(やんツー)

yang02(やんツー)
1984年、神奈川県生まれ。美術家。セグウェイが作品鑑賞する空間や、機械学習システムを用いたドローイングマシンなど、今日的なテクノロジーを導入した既成の動的製品、あるいは既存の情報システムに介入し、それらを転用/誤用する形で組み合わせ作品を構築する。菅野創との共同作品が文化庁メディア芸術祭アート部門にて第15回で新人賞(2012)、同じく第21回で優秀賞(2018)を受賞。2013年、新進芸術家海外研修制度でバルセロナとベルリンに滞在。近年の主な展覧会に、「六本木クロッシング2022展:往来オーライ!」(森美術館、東京)、「遠い誰か、ことのありか」(SCARTS、札幌)など。和田ながら演出による演劇作品の舞台美術や、contact Gonzoとのパフォーマンス作品など、コラボレーションも多く手掛けている。
http://yang02.com
Instagram:@yang02

SHINKA(羊喘兒)

SHINKAはコンピューター画像認識技術を使用した作品を展示する。画像認識というのは客観的に識別していくが、そこに作家が独自にラベリングした人間特有の感性を数値で見せる。

「現在、日常のあらゆる場面で広く利用されている人工知能による自動画像認識システムは、実際には多くの人工または半人工の労働を通じて、大量の同類の画像を反復的に「ラベル」付けすることによって得られる結果である。その後、機械学習のトレーニングが行われる。この「ラベル付け」の過程では、流れる生命の場面が機械が読み取れるように分割された画像に変換される。このようにして、機械の眼は欺瞞的な能力を得て、構造を解体し、架空の世界に意味を与えることができる。
《眺望を飼いならす》(Taming the Vistas)はコンピューター画像認識技術に基づくアーティスティック・エクスペリメントである。アーティストはデータラベリングソフトウェアを使用して日常の風景に対して主観的な「感性のラベル」を付け、映像報告を生成することで、機械の「正義」という使命を揺さぶろうと試みている。このプロジェクトは、観客とともに、「機械の眼」が本当の真実を見抜くものなのか、あるいは単なる幻想に過ぎないのかを考える機会を提供することを目指している」(SHINKA)。

SHINKA(羊喘兒)

SHINKA(羊喘兒)
東京と上海を拠点とした活動しているメディア・アーティスト。2018年多摩美術⼤学⼤学院情報デザインメディアアート専攻修了、2022年同校美術研究科博⼠後期課程修了、博⼠号取得。様々なデジタル・メソッドを使い、消費主義の分脈における、現実である巨⼤な⼈造物は、どのように計算、⽣成、配置されるのかをテーマに創作活動を⾏い、リアリティの虚構性を捕捉する。作品は、3331千代⽥アートセンター、YCC横浜創造センター、東京科学未来館、鳳甲美術館(台湾)、原美術館(重慶)、成都時代美術館、上海当代芸術博物館などにて展⽰された。⼤京都Re: Researchアーティスト・イン・レジデンシープロジェクト(2020、2021)、ATAMI ART GRANT 2023に参加
https://yaaaaaawn.com/
Instagram:@yaaaaawn_

林煜涵 Lin Yuhan

林煜涵の《850nm》は普通のデジタル一眼レフを改造し、すべての可視光線を除いた防犯カメラの特定の波長(850nm)の赤外線だけ撮影できるカメラを用いた作品で、人間のものではない視点、人間的な視点以外の機械的な視線に注目する。

「防犯カメラの自動撮影機能と同じように人感センサーを設置し、人が通り過ぎると自動撮影するように設定した。防犯カメラの下にカメラを隠し、その間はカメラを動かさず、操作もしないようにした。最終的にメモリーカードが埋まるまで撮影し、300〜400枚ほどの写真が撮れ、その写真を重ねて作品作りを行った。自分も写真を撮るたびに防犯カメラの範囲に入り、すべての写真に自分の目線を残した。機械の目線のループから抜け出し、視聴者に見ること、見られることについて考えさせる意図である。シャッターを押すのは人間ではなく、すべてカメラ自体によって、その撮影が果たされるもので、防犯カメラに対する防犯カメラとも言える。賑やかな夜の道で、すべての可視光線を取り除くと、群衆が亡霊のように歩いているように見える」(林煜涵)。

林煜涵 Lin Yuhan

林煜涵 Lin Yuhan
1996年中国福建省生まれ、2018年清華大学美術学部卒業、2022年東京芸術大学先端芸術表現科卒業。その後アーティス トとして活動を始める。「主に写真メディアによって作品を作っている。画像生成のロジック自体が「写真の本質」であると信じ、特にリアリティ、見ること、写真であることの本質性について、興味を抱いている。視覚情報を用いて、いかに大衆の関心を一定の方向に向かわせるかということが、私の制作の大きな動機となった」
https://www.linyuhan.work/850nm/
Instagram:@ linyh14

AIを巡るアーティストトーク

また、WATOWA GALLERY代表の小松と4人の作家による座談会も行われた。各自に作品紹介とともに、AIとアートについて語られた。「AIは読み込ませるデータによってアウトプットも変わってくるので、万能ではない。それがすべて正しいと思い込むことは危険。どううまく付き合っていくか」「グローバルなAIではなく、日本に特化したAIなどローカルなAIもおもしろそう」「これからは人間性が大事」などこれからの指針となるようなことが語られた。座談会の様子はWATOWA GALLERYのInstagramで見ることができる。

WATOWA GALLERYは、現代日本のストリートカルチャーやファッション、独創的・先進的なテクノロジーや「ジャパニーズ・フィロソフィー」を取り入れた新しい感性を持つ若手の作家を中心として、アート・コミュニケーションの場を提供するアートプロジェクト/ プロデュース集団。2022年9月に初の本拠地となる「WATOWA GALLERY / THE BOX TOKYO」を浅草・今戶にオープンした。

Photography Yohei Kichiraku

■「Artificial Reality ー 嘘をつくホンモノ」
会期:2023年7月22日~8月6日
会場:WATOWA GALLERY / THE BOX TOKYO
住所:東京都台東区今戸1-2-10 3F
時間:12:00-19:00 
休日:木曜
入場料 : ドネーション¥500~
※8月2日は無料
※事前予約制
https://artsticker.app/events/11686
※⾃⾝で⾦額を決定するドネーションシステム。ミニマム¥500から⼊場料を⾃⾝で決定し、それが若⼿アーティスト⽀援のためのドネーションとなるシステム。アーティスト⽀援と国内アートシーンの活性化を⽬的としたアートアワード WATOWA ART AWARD 2023 EXHIBITION に寄付される。
http://www.watowa.jp/news/2023/07/ArtificialReality.html
https://watowagallery.com
Instagram: @watowagallery

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「摩擦を恐れている人達が作る映像には心を動かされない」 映像ディレクター・上出遼平インタビュー後編 https://tokion.jp/2023/07/10/interview-ryohei-kamide-part2/ Mon, 10 Jul 2023 09:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=196808 映像ディレクター上出遼平インタビュー。後編ではテレビ業界のコンプライアンス、自主規制、そして将来について語ってもらった。

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上出遼平

上出遼平(かみで・りょうへい)
1989年東京都生まれ。ディレクター、作家。ドキュメンタリー番組『ハイパーハードボイルドグルメリポート』シリーズの企画から撮影、編集まで全工程を担う。同シリーズはPodcast、書籍、漫画と多展開。文芸誌「群像」(講談社)にて小説『歩山録(ぶざんろく)』を連載。
Twitter:@HYPERHARDBOILED
Instagram:@kamide_

『ハイパーハードボイルドグルメリポート』や『蓋』などを手掛け、その挑戦的な番組作りが話題となった映像ディレクターの上出遼平。インタビュー後編ではテレビ業界のコンプライアンス、自主規制、そして将来について語ってもらった。

前編はこちら

理由なき自主規制

——昨年末に「TOKION」の「2022年の私的ベストブックス」という企画で、本を3冊選んでもらいましが、死にまつわるものが多くて。そこへの興味というか関心は高いですか?

上出:非常にありますね。それは藤原新也さんの『メメント・モリ』という写真集の影響が大きくて、それを見て、「どうやって生きようとしてるんだお前は」っていうことを学生時代に突きつけられた。それがずっと僕の中にこびりついていて。すぐそこに死があるんだっていうことをどれだけ意識できるかっていうのは、生きる上ですごく大事なことなんじゃないかなと思っています。

そういう意味で、死っていうものを人に見せる、思い起こさせる、そうしたもの作りはしたいことの1つ。僕自身も「そこに死があること」を忘れてしまうこともあるので、思い起こさせてくれるものに触れたいと思っています。

——2021年1月に放送された『家、ついて行ってイイですか?特別編』のイノマー(オナニーマシーンのボーカル)さんの放送はかなり話題になりました。

上出:最初は『家、ついて行ってイイですか?』で流すなんて思ってなくて。偶然が偶然を呼んで、あの枠で放送できたんですけど。もともとマネージャーさんから「末期癌になったから日々を撮ってくれ」と言われて、なんでなんだと思いながら撮ってたんです。それはすごくつらかった。本当に行きたくないなと思うこともありました。やっぱり苦しんでいる人にカメラ向けるって、撮っているほうもめっちゃしんどくて。「なんでこんなことしてんだろう」と思いながら、でも始めちゃったからには途中で抜けるわけにいかないっていう。最後まで撮ろうと決めて。当時僕も会社に居場所があまりなくて、撮影だけでなく、僕を必要としてくれることが増えていって、病室になんとなく自分の居場所が移っていった。

でも、本当に心臓が止まる瞬間まで撮るかどうかっていうのを最後まで迷ってたんですけど、どこかで腹をくくってた気はします。ここまで撮って、最後を撮らないのはないだろうっていうのがありましたし。

——ゴールデンの時間帯で人が死ぬ瞬間が流れるっていうのは、ほぼ前例がないんじゃないですか。

上出:ほとんどないんだと思いますけど、なんでそれがダメなのかっていうことを説明できる人っていないんですよね。もっと映しちゃいけないものを映してるような気がしますよ。でも放送しても結局クレームも来ないし、むしろあの番組を観たことで人生が変わったと言ってくれる人もいるわけだし。死にまつわるものじゃなくても、そうした挑戦をみんながしてくれたらいいなとも思っています。

なんとなくみんながダメだと思ってることに対して、本当にダメなんですかっていうことをちゃんと一生懸命投げかけていく人がいないとテレビはつまんなくなっちゃう。「これはなんとなくダメそうだな」みたいな、自主規制がどんどん増えていってしまう。

でも、昨今よく言われる「コンプラが厳しくなった」っていう感じでもないんです。コンプライアンスっていう定義をどうするのかっていうことも関わってくると思いますけどね。明文化されたルールがあるわけじゃないし。ただもちろんテレビが50年以上放送を続けていく中で、たくさんの失敗の蓄積があって、こういうことをやってはいけないと。例えば差別的な言葉を使ったらいけないとかっていうのは、これまでテレビが人を傷つけてきた失敗の歴史から学んだことであって、その蓄積に対して「コンプラが厳しくなってきた」っていうのは、ただの歴史軽視であって、ナンセンスだと思うんです。だから、そういう意味ではコンプラが厳しくなっていくというのは成長の証であって、むしろ今のテレビが最も大切にすべきことなんじゃないかと思うんですよね。それがYouTuberとの違いでもあるんで。

ただ一方でその“コンプライアンス”って言われているものの中に、さっき言った理由なき自主規制というのもあるわけです。それがなんのための規制なのかといえば、決して視聴者や社会のためではなくて、事務所やスポンサーのためとかっていうのがたくさん生まれてきてしまってるわけです。あるいは対社内っていう最もナンセンスな、これをやったら上の人に怒られるかもしれないみたいな自主規制、そういうものをこそ壊さないといけないんですけど。そういうものを壊すのは難しいんですよね、やっぱり組織が大きくなればなるほど、そこら中にハードルがあるので。でもテレ東は伊藤(隆行)さんが変えてくれるんじゃないですか。だって摩擦を恐れている人達が作るエンターテイメントに誰が心を動かされるんだ?って思いませんか。

『ラピュタ』からの影響

——テレビの未来について考えることはありますか?

上出:現状では僕が「こうあってほしい」というふうにはなっていってないですね。だけど、若くて、おもしろいやつらが、テレビをおもしろがって入ってきてくれることが何より大事だと思いますし、あとはそれを選ぶ人達が自分達の常識をどれだけ壊せるかっていうのも本当に重要だと思います。

——今の世の中的なあり方でいうと清廉潔白な正しさが求められますよね?

上出:正しさに明確な線が引かれていると思うことが、何より危ないこと。その善悪の境界が曖昧であるっていうことを理解することがまず必要だと思います。これが正義だっていうことを掲げれば掲げるほど危ないところにいってるなと思います。

——大きな話になってしまいますが、今後世の中ってどうなっていくと思いますか。

上出:少なくとも今は不寛容さが増してますよね。みんなが不寛容になっていって、このままいけばどこかで自分達の首を絞めているっていうことに気づき、逆の風が吹いて寛容であろうという流れが生まれるんじゃないでしょうか。すると今度はその寛容さに対して反対の動きが出てきたり。寛容と不寛容の間を行ったり来たりするんじゃないかな、と思います。

——AIに関してはどう見ていますか?

上出:もちろんAI怖い、嫌いとは全く思ってなくて、使えるところは使いたいです。でも、正直わかんないですね。だって、これは人間にしかできないだろうっていうものがことごとく壊されていくわけですよね。でもAIは土を作れないですもんね。結局土と触れて土を生かすみたいなことが、やっぱ生命のすべてだと思っています。行き着くところ土、あるいは炎じゃないですか。

土に触れ、土を生かし、土と共に生きるというのが、人間に残された道なのかな。宮崎駿みたいになっちゃいました。でも、『ラピュタ』でもそれに近いことを言ってましたしね。

——『ラピュタ』から影響を受けたと以前のインタビューで言ってましたね。

上出:本当に最近気づいたんですけど、僕が大きく影響を受けたのは『ラピュタ』だったんです。最近また『ラピュタ』を観たんですけど、「土から離れたのが運のつき」みたいなことを言ってるんですよね。まさにそうだよなって改めて思ったんです。

「ものを作っておもしろかったと言われるのが一番嬉しい」

——ちなみに映像の方の『ハイパー』って今後はどうなるんですか?

上出:テレ東がやるか、やらないかですね。多分もうやらないと思いますけど。

——もしオファーが来たらやりますか?

上出:来たらやると思いますけど。『ハイパー』は大変なんですよ。あれは本当に嘘がないので、危険な時は本当に危険。現場はすごい緊張感です。制作が始まるってなったら、本当にこの場所にロケに行っていいのか、他のスタッフに関しても行かせていいのかとか、本当に緊張するし、ずっともう心の負担です。

そうした安全面もそうだし。扱う題材が常にセンシティブなので、それをどう扱うかっていうことがものすごく難しいんですよね。どの方面から見ても。この扱い方でいいのかとか、普通の番組よりちゃんとクリアにしなきゃいけないことが何十倍もあるんです。

——しかもいざやるとなったら、期待値も高いから大変そうですよね。

上出:それもきついですよね。事故る可能性ありますから。「おもしろくしなきゃ」っていうのは火事場の馬鹿力みたいな時もありますけど、リスクを増幅したりもするので。そこは慎重にやらないといけないですね。

——最後に将来、どうしたいとかは考えてますか?

上出:将来的にどうなりたいのかっていうイメージはないですね。楽しく旅してものを作って、どっかで死ねたらいいなとは思ってます。正直、明日のこともわからないし。ものを作っておもしろかったと言われていたいなと思いますね。それが一番嬉しい瞬間でもあります。先ほども言いましたけど、いっぱいお金稼いでいい暮らしをしていたいっていう思いは全くなくて。そこで得られる喜びがたいしたことないっていうのはもうわかってしまってるというか、いろんな人と会ってるし、自分の経験上、お金をたくさんかけて得られる喜びって、自分にたくさん負荷をかけた先に得られる喜びの100分の1ぐらいなんで。リゾート地に行くより山奥に行ったほうが100倍楽しいし、どっちに行った人間の話聞きたいかって言ったら絶対山奥に行ったやつの話を聞きたいじゃないですか。だから、そうやって人に興味を持ってもらえる人間にはなりたいですね。

Photography Hironori Sakunaga

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映像ディレクター・上出遼平が大切にする2つのこと——「何をやるかよりも何をやらないか」「常に部外者であること」 インタビュー前編 https://tokion.jp/2023/07/07/interview-ryohei-kamide-part1/ Fri, 07 Jul 2023 09:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=196794 映像ディレクター・上出遼平インタビュー。前編では退社からの1年を振り返りつつ、ニューヨークに拠点を移す理由なども語ってもらった。

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上出遼平

上出遼平(かみで・りょうへい)
1989年東京都生まれ。ディレクター、作家。ドキュメンタリー番組『ハイパーハードボイルドグルメリポート』シリーズの企画から撮影、編集まで全工程を担う。同シリーズはPodcast、書籍、漫画と多展開。文芸誌「群像」(講談社)にて小説『歩山録(ぶざんろく)』を連載。
Twitter:@HYPERHARDBOILED
Instagram:@kamide_

『ハイパーハードボイルドグルメリポート』や『蓋』などを手掛け、その挑戦的な番組作りが話題となった映像ディレクターの上出遼平がテレビ東京を退社して1年が経った。テレビの地上波という枠で何ができるか、を追求してきた上出はなぜテレビ東京を退社したのか。そしてなぜニューヨークに拠点を移すのか。退社からの1年を振り返りつつ、今のテレビ業界への思い、そして将来について語ってもらった。

さらなる成長を求めて退社

——上出さんがテレビ東京を辞めて1年が経ちました。これまで何度か取材させてもらって、上出さんは「テレビの地上波という枠でどう新しいことをやっていくか」ということに挑戦していたので、テレビ東京を辞めたのは意外でした。改めて辞めた理由を教えていただけますか。

上出遼平(以下、上出):いろんな理由はあったんですけどね。テレビの地上波っていうプラットフォームでできることはまだたくさんあったと思いますし、この時代だからこそ、地上波でやりたいと思えることもそれはそれであったりもしたんです。そこは他の動画プラットフォームよりはよっぽどブルーオーシャンだっていうのは未だに思っているところがありますから、それを手放すっていう名残惜しさはすごくありました。

でも、逆に言うと僕を引き留めようとしていたのはそれだけだったんです。やっぱり自分の成長速度を考えた時に、入社して1年、2年、3年ってずっと自分の中で新しいものを手に入れていくじゃないですか。でも10年経つとやっぱり成長のスピードも落ちてくるし。会社員だったので、環境的な面でもいろいろ制限があって。本当はもっといろいろ挑戦できるんじゃないかと思ったのが自分の中では大きかったですね。

——『ハイパーハードボイルドグルメリポート』(以下、『ハイパー』)の音声版や『蓋』など、テレビ東京にいても、いろいろ挑戦しているなというイメージでした。もっとやりたいことがあったんですね。

上出:映像だけでなく、文章を書きたいというのもあったんですけど、文章を書くためにどこかに行くとかは時間的にやっぱりできなくて。『ハイパー』の書籍のように何か番組の副産物としての文章は許されるんですけど。

あとは本当に会社員って無駄なことが多くて。それがもう正直耐えられなくなったっていうのはあります。例えば1つ取材を受けるためには、僕に直接連絡がきたものでも、広報部に話を通してもらって、スケジュールを調整して、原稿もいろんな人がチェックする。これはあくまで一例ですけど、組織なので、そういうことがいっぱいあるんです。それによって、自分の作業効率も落ちているなと感じてましたし、自分がこれをやりたいって言った時にダメだって言われる理由がもう理由になってないっていうことがたくさんあって。「サラリーマンだから、そこは察してよ」みたいな。その壁に何度もぶつかってしまったんで、ちょっとものを作る環境としていかがなものかっていうのが、どんどん僕の中でたまっていって。

もちろんみんな余裕がないし、目の前でぱっと金になる番組の作り方っていうのはたくさん存在するので、そっちにいってしまうというか、お金をどう稼ぐかでもがいてる部分があるので、何か本当に新しい試みをするっていう土壌には最近なり得なくなっている。「新しいことをやれ」とはいうものの、やろうとすると、「前例がないからダメだ」って言われたり。どうしてもそういうふうにコンサバティブになっていくと、失敗が怖くなって新しいことができないっていう、悪い循環に入ってしまう。それはテレ東だけでなく、多くのテレビ局がそうなってるんじゃないかなと思いますけど。

——それでもテレビ東京だと大森(時生)さんとか、おもしろいことをやっているなと感じますけど。

上出:もちろんテレビ局が完全にダメですっていうわけでは全くないですよ。テレビ東京にも、もちろんチャレンジングなことができる余地はたくさん残っていると思います。若手達が企画出して局内で何か選ぶみたいな、若手グランプリみたいなものも、ようやく始まりましたし。そういうのは僕が『ハイパー』をやり出した頃の雰囲気に近いかもしれないです。だから今はどんどん面白いことをやっていこうという雰囲気なのかもしれないです。それこそ、テレビ東京は伊藤(隆行)さんが制作局長になったので、僕はかなり期待しています。

お金を稼ぐことが目的ではない

——佐久間(宣行)さんは辞めてもテレビ東京の仕事を続けたり、高橋(弘樹)さんは辞めてすぐにサイバーエージェントに入りました。2人はある程度、収入源を確保して辞めましたが、上出さんは考えてなかったですか。

上出:全く考えてなかったですね。一応、辞めてから「一緒にやりませんか」って声をかけてくれる会社もあったんですけど、自分がやりたいと思うこと、やらないといけないなと思うこととフィットさせることができず、結局やりませんでした。安定的にお金をもらえることはとてもありがたいですが、それで納得いかないものを作るのは自分的にはちょっと違う。経済的な安定があるからこそチャレンジングなもの作りができるっていうことも間違いなくあるんですけど、ただその安定を得るために犠牲にするものがすごく大きいということがなんとなくわかってきて。僕はタワマンに住みたいとは1ミリも思ってないですし、最低限のお金をちゃんと稼ぎながら、自分が納得いくもの作りを粛々として生きていくっていうことが今の最優先事項なんです。

10年ぐらいテレビの仕事をしてきて、いろんな人のいろんな振る舞いを見てきて、とにかく「何をやらないか」っていうことが大事なんだなっていうことがモットーというか指針としてあるんですよね。

——「何をやりたいか」ではなく「何をやらないか」だと?

上出:「やろう」と思ったら選択肢はいくらでもあるんですよ。でも、結構誘惑が多い世界なんで、長い目で見て、自分を保てるようにするには「何をやらずにいるか」っていうことがすごく大事だなと思っています。

——今、上出さんが作りたいものって、どういったものですか?

上出:内容的にはいろいろあるんですけど、作っていて自分がワクワクすることをやりたいなと思っています。あと、当然ですけど、やってよかったってちゃんと思えるものを作りたい。内容ももちろんですが、制作するチームの中に不幸な人を出したくないっていうのは、僕にとってはすごく大きな部分で。それは金銭的な部分でもなんですけど。テレビの今までの構造だと全くそうなってないので。

——ものを作る時に、社会的な意義も考えますか?

上出:それはもちろんあります。でも、それは後付けでどうにでもなるといえば、なるんですよね。なんにも考えずにとにかく笑えるっていう番組だって十分社会的な意義があるし。ただチャレンジングじゃないものをやるつもりは一切ないです。今までの焼き直しとか復活みたいな感じとか。個人的には「またそれか」って思われるのが一番つらい。やるなら構造から新しいものを作るとか、作り手として「その手があったか」って思わせたいんです。

ただそれをやろうとすると、本当にプラットフォーマー側から理解されないんですよ。「どういうことですか」とか、「ちょっとうちの視聴者にとってはそれは難しいかもしれません」とかすぐ言われる。その時点でもうやる気がなくなっちゃって。いや全然視聴者のこと信じてないなって、めちゃくちゃ思うことも多いです。

「ぱっと作ってぱっと出せるものはやらない」

——テレビ東京で最後に担当したのは『空気階段の料理天国』ですか? 

上出:そうですね。企画までしか関われてないんですけど。

——あれも一見すると空気階段の料理番組なんですが、実はそこで作られているのが、死刑囚の最後の飯だったっていう。

上出:死刑が執行された後に冤罪だってことが明らかになってしまった人とか、あと幼い頃からずっと虐待され続けて、最終的に親を殺してしまった人とか。死刑になるっていう中にもいろんなバックグラウンドがあるわけですよ。だから『ハイパー』をやってた時からずっと考えは一緒なんですけど、罪を犯す人もただ真っ黒ってわけじゃないですよねっていうこと。親殺しの死刑囚って言われたら、普通に考えたら絶対悪じゃないですか。でも必ずしもそうじゃないかもしれないっていう。親を殺したという事実はあっても、そこに至るまでの経緯に想像もつかないようなことがたくさんあるということは知ってほしいという気持ちが込められています。

——一旦テレビ業界から離れて、テレビ業界の印象って変わりましたか?

上出:全然変わらないですよ。「テレビやりたい!」って感じでも別にないですし。テレ東を辞める段階でテレビをやるという考えは一旦捨てたというか、テレビを続けたいなら辞めないっていう選択だったんで。

なので基本はテレビはやらないんです。とは言いつつ、今いろいろとやり始めちゃってますけどね。この前も中京テレビの『オモウマい店』の若手達がやる『こどもディレクター』っていう番組を手伝ったりしていて。一緒にやってみると、やっぱり地方局はチャレンジャーっていう感じで、昔のテレ東に近い雰囲気です。どっかでやってやるぞっていう気概があって。そこに乗っかるのはすごくワクワクしますよね。

——テレ東を辞めてから、もっとどんどん映像を作っていくのかと思ったら、そうでもないですよね。

上出:YouTubeやりますとかじゃないんでね。クオリティよりも、いっぱい数を作らないといけないみたいなのはやりたくないですし。テレビでも毎週放送とかが嫌だったのに、YouTubeなんてやったらもう逆じゃないですかね。もう毎日配信とかなので。絶対やだな(笑)。

一応、他にも進めている話はあったりするんですけど、まだ言えなくて。僕、辞めたら何やってんのって言われがちなんですけど、ぱっと作ってぱっと出せるものはやらないって決めていて。ちゃんと時間かけてものを作りたいから会社辞めたんで。だから「これやってます」って言えることはあんまりないんですよ。

常に部外者でありたい

——それでも辞めてからはセレクトショップ「グレイト(GR8)」の久保さんとお仕事されてましたよね。上出さんとファッションが意外な組み合わせだったんですけど、あれはどういうきっかけだったですか?

上出:アーティストの河村康輔さんの紹介ですね。ちょうど河村さんがLAで個展をやるタイミングがあって、そこで紹介していただいて。河村さんはChim↑Pomからの紹介で……っていうように、どんどんつながって。

——ファッションブランド「サカイ(sacai)」の仕事もやられてますよね。

上出:「サカイ」もいろんな人とのつながりで、やることになって。なんかそういう意味でもちょっと僕がいるコミュニティってテレビマン的じゃないんです。もともとアートやファッションの友人が多かったので、辞めてすぐテレビやりましょうっていうよりも、そういう世界のものが多いというか。選択肢的に今までやってないものをせっかくだからやろうっていうのもあったんで、「グレイト」や「サカイ」の映像をやらせてもらっています。

やっぱりファッションの持つ力ってすごく大きいじゃないですか。衣食住の衣ですからね。ファッションの力を借りながら、僕が伝えたいことを表現したり、あるいは僕が異物としてその業界に入り込んだりすることによって、今までになかった部分が活性化するといいなとは考えています。

そう考えると、常に僕は部外者なんですよね。『ハイパー』もそうでしたけど、ずっと自分がどう部外者として存在できるかみたいなことが、僕の存在意義としては大事で、だから、常に部外者でありたいと思っています。自分がホームにいると安心感はあるけど、それを求めてはいなくて。僕にとっても自分が部外者としてどこかにアクセスしていくことのほうがおもしろいし、刺激があって自分の成長にもなる。おそらく、そのコミュニティにとってもストレスはあると思うんですけど。でもそのストレスが次の何かきっかけになる可能性があって、それが今はすごく楽しい。

業界って常になあなあになっていく宿命にあるんで、それをちょいちょいかき回していくみたいな役割を担ってると勝手に思ってます。超つらいですけどね。自分の得意分野じゃないっていうことが多いし、その世界では自分が一番腕がないとかっていうこともあるのでめちゃくちゃストレスフル。泣きそうになる時もあります。

ニューヨークに行く理由

——今度ニューヨークに行く理由もそれと関係しているんですか?

上出:そうですね。最も部外者になれるところに行きたいっていう感覚です。旅と同じというか、安心感がほしい人は旅しないわけじゃないですか。安心できない環境に自分を置いて、自分に何が起こるのかっていうのを楽しみたいんです。それに、そこに拠点を構えるっていうのは、より一層自分の変化が期待できる。今は東京を拠点にいろんな旅をしてるんですけど、ニューヨークにも拠点を持つという感じで。どうせいろんな場所に行くと思うので、帰る場所がちょっと変わるだけみたいな感覚です。ただ向こうのコストが高すぎるんで貯金がなくなって、すっからかんで日本に帰ってくるっていう将来も見えてますけどね。

あと、日本だと映像でお金が稼げなさすぎる問題があるんです。マーケットを外に広げないといけないなとは思っていて。海外のものは入ってくるけど、日本の映像のマーケットは国内にしかないみたいな状況に甘んじていて、そこを本気で打破しようとしてる人って実はあまりいないんですよね。本気でやろうとしたら、やっぱり身を切らないといけないし、自分の持ってる常識も壊さないといけないとか、いろんな犠牲を払わないといけない。映像作りをベースにする僕みたいな人間が向こうに行っていろいろ学ぶっていうのは何かのきっかけになるかなと思いますけど。

——それこそアニメだと世界に通用する可能性はあると思います。

上出:2次元ならそうですね。3DCGだとかなり難しいと思います。日本のアニメの何が強かったかっていうとまずはアイデアなんですよね。日本がまだ勝てるってそのアイデアの部分が大きくて、でもそれをアウトプットするパワーも今の日本にはなくて。世界に通用し得るソフトのアイデアはたくさんあるはずなんですけど、それをどうちゃんと世界基準にアウトプットするかっていう時に、すごく地味ですけど英語力の問題っていうのが大きな課題になってる気がします。

——Netflixなどで日本オリジナルの番組が世界でも観られるっていうことがありますが、そこは可能性を感じますか?

上出:どうなんでしょう。もちろん可能性という意味では大きいと思います。けれど結局はクオリティです。番組の着想、ギミック、映像表現の良否、最低限の倫理水準などの要件をクリアした上で、人間の根幹の何かが描かれる作品が作られれば、言語の壁も越えて世界で受け入れられると思います。こういう話をした時に、「なんでわざわざ世界で受け入れられなきゃいけないんだ。日本国内で認められれば十分じゃないのか。そんなに世界が好きなのか?」と言われたりするのですが、それはちょっと違って。もちろん、日本国内の需要だけで回っていけばいいのですが、もはやそうじゃないということが問題なんです。外国からはどんどんおもしろいものが流入してくる。日本は人口がみるみる減っている上に、外国産の映像を消費しますから日本の映像制作産業は加速度的に客を失っている。

そうなると、日本の映像製作者達は、外国の製作者の下請けになっていかざるを得ない。世界を見た時に、すでに日本はそうなってきています。賃金の安い工場として見られているんです。我々は「設計図通りに作ってください」と言われて、安く、間違いなく、迅速に制作物を納品する。

僕はその状況を良いとは思っていないので、1回日本を出ようと思っているんです。その意味では、「日本は素晴らしい」と言う以上に愛国的な振る舞いだと思っています。

——ちなみに上出さんは結構英語は話せるんですか?

上出:それがあんまりなんですよね。最近、アメリカにちょいちょい行くんですけど、言葉がわからなくて、基本的にはもう現地の人達の中に僕がポツンといる状況ばっかり。LAだとまだわかるけどニューヨークだともう本当にわかんないんですよ。スピードが速すぎるし、訛りも強すぎて。相当つらい1年ぐらいを過ごすことになると思うんですけど、とにかくなるはやでネイティブレベルまで持っていきたい。もうそれだけで、できることは格段に広がると思います。

——ニューヨークではどんな仕事をするつもりですか?

上出:まずは向こうを拠点に日本向けの仕事をします。そういうことをしばらくはやらざるを得ないと思うんですけど。でもそれだと物価が違いすぎて生きていけないんで、向こうの仕事もちょっとずつやっていけたらいいなと考えています。それがどの段階からできるのかはちょっとわかんないですね。具体的にこうしていこうというプランは何もないです。とりあえず行く。行ったら何かあるだろう、みたいな感じです。

それこそ音声版『ハイパー』で、レコーダーを持ってロケをして、ストーリーテリングをしていくっていうスキーム自体はもうほぼ確立できたので、それをもってアメリカで、英語ベースで番組を作るとかはあり得ると思います。英語だとユーザーの数がもう全く違うから、できたら大きいですよね。

——ちなみに映画を撮りたいって気持ちはありますか?

上出:なくはないですけど実力的に映画はまだまだ勉強が必要だし、「映画をやろう」ってやるようなことじゃないとは思ってますので。

——ドキュメンタリー映画のようなものだとできるんじゃないですか。

上出:そうですね。やってもいいんですけど。やるにしても何か工夫が必要かなと思います。そういうのも含めて勉強しに行くっていうことかもしれません。ニューヨークはやっぱドキュメンタリーの街なので。

でも、結局ニューヨークに行くのは、自分にどれだけ負担をかけられるかっていうのが大きなテーマです。負荷をかけにかけて、その先で得られる何かっていうものに自分でも大きく期待しています。

Photography Hironori Sakunaga

後編へ続く

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