つやちゃん Archives - TOKION https://tokion.jp/tag/つやちゃん/ Wed, 28 Dec 2022 10:41:32 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.3.4 https://image.tokion.jp/wp-content/uploads/2020/06/cropped-logo-square-nb-32x32.png つやちゃん Archives - TOKION https://tokion.jp/tag/つやちゃん/ 32 32 2022年の私的「ベスト映画」 文筆家・つやちゃんが選ぶ今年の3作品 https://tokion.jp/2022/12/29/the-best-movie-2022-tsuya-chan/ Thu, 29 Dec 2022 09:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=162764 2022年に公開された映画の中から文筆家・つやちゃんが選ぶマイベスト映画3作を紹介する。

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ロシアによるウクライナ侵攻が行われるなど、激動の2022年だった。そんな中でも今年は邦画・洋画問わず多くの素晴らしい映画が公開され、私達にポジティブなエネルギーを与えてくれた。「TOKION」では、ゆかりのあるクリエイターに2022年に日本公開された映画の中から私的なおすすめ映画を選んでもらった。今回は文筆家・つやちゃんが選んだ3作品を紹介する。

つやちゃん
文筆家。さまざまなカルチャーにまつわる論考を執筆。 2022年1月、単著『わたしはラップをやることに決めた フィメールラッパー批評原論』を上梓。
Twitter:@shadow0918

『ニュー・オーダー』

ミシェル・フランコ監督が、いよいよ映画に対する冷酷さを貫いた作品ではないだろうか。貧富格差を主題に置く本作は、超富裕層が集まる優雅な結婚パーティーの襲撃を描くことでディストピア・サスペンスの様相を呈する。全編通して目立つのは緑や赤といった鮮烈な色使いであり、もちろんそれらは、<独立を象徴する緑>や<民族統一を願う赤>といういわばメキシコ国旗を容赦なく引き裂いていくような展開を表現してはいる。しかし、いかにも象徴的に使われる色彩が実は終始<単なる象徴>に留まり続ける点が興味深い。緑も赤も意外にイメージ連鎖としては使われず、画面それ自体も私達が想起するようないわゆる<映画的な>イマジネーションの拡張を見せることなく終わる。大量の人々があっさりと殺されていくカットを淡々と重ね続ける異様さ。それは、ミシェル・フランコが映画芸術の「豊かさ」などといった幻想を一切に信じていないことを明らかにする。ゆえに、通常の映画作家であれば120分を要して撮るものを、彼は86分でクールに撮りきる。本作は、ただただ人々の「動き」しかない点で、映画への冷酷さそれのみによって駆動されている。

『三姉妹』

家父長制による諸悪を背景にしのばせながら、ばらばらの三姉妹の生活、さらにはそこで生じる心の傷を浮き彫りにしていく韓国映画。特に海外ではフラッシュバックシーンでの演出の稚拙さや構成の弱さを指摘する批評が目についたが、それらを差し引いたとしても、表面的な感情に規定されない身体のあやふやな空気感を醸し出す演技に舌を巻く。全編通してカメラが丁寧に演技に寄っていくからこそ、時折挿入される引きのショットやクライマックスの多数の人間模様が引き立つ。イ・スンウォン監督は人物を撮っているようでいてキャラクターを撮っている。劇伴も素晴らしく、そういった細部への感覚が繊細であるがゆえに、シリアスな作品ながら同時に微妙なコミカルさも演出できるのだ。

『ミニオンズ フィーバー』

毎度サウンドへのこだわりが見られる「ミニオンズ」シリーズの中でも、本作は史上最も音楽に力が入った作品。アース・ウィンド&ファイアやダイアナ・ロスなど1970年代のディスコミュージックへのリスペクトとオマージュが随所で細やかになされるが、同時にボンド映画やカンフー映画への憧憬も織り交ぜることで、音楽に限らない文化・風俗全般に渡る背景が物語を手厚く支える。元々、黄色 × 青のバイカラーでのミニオンズを大勢用意することで画面に埋もれない視覚的インパクトを作り出していた本シリーズだが、今回は雑然とした街並みやごちゃごちゃした登場人物がこれまで以上にカラフルに塗られることで、色使いの巧みさがより一層増した。もはやれっきとした意匠と言ってよいだろうミニオンズの世界観をキープしつつ、色彩の挑戦を続けるこのシリーズの腕前には感嘆せざるを得ない。同時に、国内アニメ作品において色に対する全く異なる側面からのチャレンジがあった点も指摘しておく。『名探偵コナン ハロウィンの花嫁』はコナンが青とピンクの液体の融合を食い止めるために奔走する作品だったが、そこには反異性愛主義の思想が色濃く漂っていた。本来、異性愛を根底に置き恋愛事情をドラマ的に織り交ぜる手法をとっている『名探偵コナン』が、実のところ大きな転換期を迎えている。『ミニオンズ フィーバー』にしろ『名探偵コナン ハロウィンの花嫁』にしろ、国内外のヒット作の挑戦が<色>に対するアプローチを起点になされていることはもっと知られてよい。

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女性ラッパーたちが提示してきた“粋(いき)”と、2009年という転換点について/連載「痙攣としてのストリートミュージック、そしてファッション」第17回 https://tokion.jp/2022/01/28/shockwaves-in-contemporary-music-and-fashion-vol17/ Fri, 28 Jan 2022 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=91939 気鋭の文筆家・つやちゃんが「音楽とファッション」「モードトレンドとストリートカルチャー」の関係性を紐解く連載コラム。最終回となる第17回は、国内シーンにおける女性ラッパーのクリエイションの核心と軌跡を論じる。

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音楽とファッション。そして、モードトレンドとストリートカルチャー。その2つの交錯点をかけあわせ考えることで、初めて見えてくる時代の相貌がある。本連載では気鋭の文筆家・つやちゃんが、日本のヒップホップを中心としたストリートミュージックを主な対象としながら、今ここに立ち現れるイメージを観察していく。

最終回となる第17回は、“粋(いき)”という概念を参照しながら国内シーンにおいて女性ラッパーたちが提示してきたクリエイションの核心を論じつつ、転換点となる2009年の状況をモード史と重ね合わせながら紐解いていく。

ファッションを手掛かりに、ヒップホップ(史)が編み出す想像力を読み解くこと

本連載では、ストリートミュージック――中でも近年ミチバタで起こる営み、その生々しい吐息を発してきたヒップホップが、ファッションと分かちがたい関係を織りなしているさまをあぶり出してきた。ヒップホップはその息づかいにおいて、無意識のレベルで/奥深いところでファッションと艶めかしく呼吸し合っているという状況が多少なりとも解き明かされたのであれば、連載の目的は果たされたことになる。

繰り返すが、両者の絡み合いは、2010年代半ば以降モードファッションとストリートファッションが接近し既存の階級構造が大きく揺さぶられたこと、同時にラッパーやダンサーがラグジュアリーブランドを身に纏うようになったこと、といった変化のみを指すわけではない。「グッチ」や「シャネル」というブランド名がリリックに引用されるという、ヒップホップ的態度を補強する試みが反復されていることを強調したいわけでもない。私が記しておきたかったのは、「グッチ」や「シャネル」という言葉が生む“音”としての響きとブランドの背景が物語を生成し、驚くべき生命力を発揮しながらヒップホップがアートとして自律しているということについてである。

連載終盤の回で扱った、スニーカーやジーンズといったファッションアイテムについても同様である。本来ストリートのものであったそれらが近年モードによって再定義され新たな文脈が与えられたのは確かだが、実はトレンドという単純な話では片づけられない部分で、ヒップホップはそれらアイテムと絡み合っている。ラッパーが履くスニーカーに、“白と黒の反転”というヒップホップのコア思想が宿っていること。いわゆる“腰パン”によって路上を引きずられるジーンズの裾に、“変えられない自らの出自”というヒップホップの神髄を支える要素が背後霊のようにつきまとっていること。イマジネーションは事実をはるかに超える。ヒップホップ(史)によって編み出される想像力は、表象としてのファッションを手掛かりに、その作品へ壮大なストーリーを付与し得るのだ。

国内女性ラッパーたちのクリエイションの根底にある、“粋(いき)”という概念・美意識

「日本のカッティングエッジなカルチャーを紹介する」メディアであるTOKIONゆえ、本連載ではこれまでさまざまな“国内”のラップミュージックを題材にヒップホップとファッションの引き裂き難い戯れを明るみにしてきた。そこで最後にもう1点論じておくべきことがあるとしたら、日本のファッションそれ自体を支えてきた“粋(いき)”という概念、その捉えどころのない(からこそなかなか理解されにくい)美意識がヒップホップに与えてきた影響について、である。実は多くの女性のラッパーによって導入されてきたと思しきヒップホップにおける“粋”なアプローチは、微妙な匙加減であり容易に把握しづらいニュアンスであるからこそ、これまであまり脚光を浴びることはなかったように思われる。そもそも“粋”という概念が花開いた江戸時代は、階級社会というピラミッド構造が強固であり、奢侈禁止令も発令され慎ましやかさが奨励された時期であった。そのような状況において、抑圧された環境下で独自の美意識を花開かせた粋な文化は、同様にプロップスの積み上げによるピラミッドを形成する男性中心のヒップホップゲーム構造の中で、時に“軟派”と揶揄されながら表現を見せてきた女性ラッパーたちの取り組みに近いものを感じてならない。(そしてそれはUSの女性ラッパーにはあまり見られない芸当であった。)

“粋”とは、崩しである。いわゆる国内ヒップホップ史において重要な男性ラッパーたちが極めてストイックな形で韻律によるリズムを紡いできた一方で、ごく一部の男性ラッパー、そして女性のラッパーはそれら尊厳や威厳に満ちたラップに対し遊び心をふんだんに取り入れたどこかルーズな表現を披露してきた。MAJOR FORCEよりデビューしたORCHIDSに始まり、FUNKY ALIENやHAC、YURIを経てHALCALIやY.I.M、chelmicoに至るまで、ヒップホップ的様式美をあえて崩すような“ゆるい”ラップやノリは、ラップゲームに“崩し”という新たな視点を持ち込んだ。

HALCALIの1stシングル「タンデム」(2003年)
chelmicoの1stシングル「ラビリンス’97」(2015年)

加えて、“粋”とは色っぽさでもある。歌川広重の『湯上り美人図』を引くまでもなく、湯上りの火照った姿はたとえば粋な文化として江戸期に花開いた浮世絵に多く見られる情景であり、露わになる体温と吐息のあたたかさ、その無防備な親密さが生む色気を江戸文化は細やかに描写してきた。たとえば、Daokoや泉まくらが発した息づかいは、それら色っぽさを(従来の女性ラッパーに多かったセクシーとは異なる意味で)ヒップホップに取り入れた顕著な例だろう。色っぽさとはちらつかせほのめかす行為でもある。初めから全てをさらけ出すのではなく、せめぎ合いを演出し生み出すこと。Daokoは、そういった意味でも非常に興味深いラッパーだ。執拗に硬い韻が詰め込まれるリリックは緻密な技巧性を含んでおり、だからこそ時折顔を覗かせる体温が聴く者を分裂させ、崩した色っぽさを匂い立たせてきたように思う。

Daoko「fighting pose」(2021年)

あるいは、安室奈美恵のアプローチを思い出してみたい。R&B/ヒップホップへと大きく転向することになった2003年『STYLE』において、彼女は冒頭「Namie’s Style」で「こんな感じはどう?It’s Namie’s style/みんな待っていた? Here is my nu style」と歌った。その後の国内ヒップホップ史の歩みを振り返った際に極めて重要な位置づけとなる本作だが、当時すでにポップスターとしての地位を揺るぎないものにしていた彼女が様子をうかがいながら、探るようにプレゼンテーションする様子は、いわゆる“チラ見せ”というせめぎ合いを見事に演じていた“粋”な演技だったと解釈することもできる。

安室奈美恵「Namie’s Style」(2003年)

画期的なのは、浮世絵のように男性作家が女性を描くことで“粋”を表現していた時代と異なり、ヒップホップでは女性自身が立ち上がりマイクを握りしめ艶っぽさや色気を作品に閉じ込めてきた点であろう。もちろん、それら大半のパフォーマンスは意図的に行われてきたものではないかもしれない。女性のラッパーたちが時代と自身を鏡として捉えながら真摯に表現してきた先に、結果的に“粋”とも言える要素がヒップホップに持ち込まれたと言える。女性ラッパーたちの作品によって、私たちがヒップホップを楽しむ視点は、多少なりとも広がることとなったのだ。

RUMIとCOMA-CHIの傑作が生まれた2009年という分岐点の前後、ファッション史にも大きな転換が訪れていた

女性による国内のヒップホップ史を紐解くうえで大きな分岐点は、2009年であろう。RUMIが『HELL ME NATION』でダークさとユニークさの両立により自らの三部作を完結させたこの年に、COMA-CHIは『RED NAKED』でメジャーデビューを果たした。むき出しの赤という、“粋”とは極めて対極にある色使いがタイトルに冠されたことはさまざまな意味で示唆的であるが、しかし叩き上げで男性と肩を並べシーンの最前線までのぼりつめた彼女が、メジャーレーベルで女性を代表するラッパーとしてメッセージを発するというのは必要なステップであったに違いない。同時に、この時期は国内邦楽シーン自体がヒップホップ冬の時代に突入したタイミングでもあった。

RUMI『HELL ME NATION』(2009年)
COMA-CHI『RED NAKED』(2009年)

実は、2009年前後はこの数十年の国内女性ファッション史においても最も大きな転換点だったと言える。フィービー・ファイロが2008年にセリーヌのクリエイティブディレクターに就任して以降エフォートレスなミニマリズム・スタイルがこの国においても凄まじい勢いで浸透し、フィービー以前/以後と言える程のファッションの変化が起こった。国内においてその潮流は2011年の東日本大震災によって決定的になり、以前のさまざまなトライブ発のコンテクストに立脚したスタイルから、それらを引用しつつもベースに素材の魅力を活かすリラクシングでカジュアルなスタイルへと大きな地殻変動を起こすことになる。「作りこみ装うファッションから、ライフスタイルを起点とし匂わせるファッションへ」とも言うべきその展開は、スニーカーやニットワンピース、スポーツウェア、さらにはナチュラルで質感重視のメイクなどを女性たちのベーシックへと押し上げた。肉体改造や美容医療といったアプローチも一般的になり、結果的に、それらは“ファッション”よりも“その人自身”を前景化させるきっかけにもなった。

時代の呼吸を伝える音楽としてのヒップホップに耳をすまし、移ろいゆくファッションの表象を拾い集める

ファッションの大きな転換と呼応するように、女性ラッパーも変化していった。MCバトルで名をあげ、ある意味で既存の男性中心のヒップホップ像に接近した音を“盛り”ながらリッチな完成形を打ち立てたCOMA-CHIとRUMIの両作品を一つの頂点としつつ、新たな女性ラッパーたちはラフに伸び伸びと自身の魅力を表現し始めた。2010年代以降に支持を集めたDaoko、Awich、NENE、Zoomgals、lyrical school、それらラッパーたちは重なり合う部分がほとんどないくらいに多種多様なスタイルであり、それぞれが男性視点のヒップホップ観からは遠く離れたニュアンスを少なからず擁している。

Awich「口に出して (Prod. ZOT on the WAVE)」(2021年)
Zoomgals「生きてるだけで状態異常」(2020年)

だからこそ、ファッションと深い部分で密接に絡み合いながら時代の呼吸を伝える音楽として進歩していくヒップホップは、男女ともに優れたラッパーが今後ますます介在していくこと、性別を超えてクロスオーバーしていくことで、鋭い表現として人々の価値観を揺さぶっていくだろう。現代口語の実験は、身体を包む装いと呼吸し合いながら、今この瞬間も違和感のある音の響きとしてストリートで鳴り、インターネットを駆け巡り、誰かの身体と精神の痙攣を喚起している。音と言葉の戯れ、移ろいゆくファッションの表象は取るに足らないものとしてミチバタに捨てられていくがゆえに、私たちは今後も耳をすましてそれらを拾い集めていかなければならない。そして、あなたは間違いなく、その当事者の1人として存在している。

<参考文献>ポーラ文化研究所編著、2019年『おしゃれ文化史 飛鳥時代から江戸時代まで』秀明大学出版会

Illustration AUTO MOAI

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文筆家・つやちゃん初の単著『わたしはラップをやることに決めた フィメールラッパー批評原論』が発売に valkneeとCOMA-CHIのロングインタビューも収録 https://tokion.jp/2022/01/12/tsuya-chan-female-rapper/ Wed, 12 Jan 2022 09:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=90440 気鋭の文筆家・つやちゃんによる初の単著『わたしはラップをやることに決めた フィメールラッパー批評原論』が1月28日に発売。論考/コラム/ディスクガイドに加え、valkneeとCOMA-CHIのロングインタビューも収録する。

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「TOKION」で「痙攣としてのストリートミュージック、そしてファッション」を連載中の文筆家・つやちゃんによる初の単著『わたしはラップをやることに決めた フィメールラッパー批評原論』(DU BOOKS)が、1月28日に全国の書店などで発売される。

本書は日本の女性ラッパーに焦点を当てた国内初の書籍となり、RUMI、MARIA(SIMI LAB)、Awich、ちゃんみな、NENE(ゆるふわギャング)、Zoomgalsらパイオニアから現行シーンの第一線で活躍するラッパーまでを取り上げた論考を核として、書き下ろしコラムやディスクガイド、インタビューを加えた充実の一冊となる。

インタビューが収録されるのは、国内フィメールラッパーの草分け的存在のCOMA-CHIと、「TOKION」の連載でも消費社会における批評性の観点からそのクリエイションを論じたvalkneeの2名の女性ラッパー。計9,000字にも及ぶロングインタビューで、彼女たちのクリエイションの源泉や問題意識に迫る。

本書の目次は以下の通り。

日本語ラップ史に埋もれた韻の紡ぎ手たちを蘇らせるためのマニフェスト――まえがきに代えて

第1章 RUMIはあえて声をあげる
第2章 路上から轟くCOMA-CHIのエール
第3章 「赤リップ」としてのMARIA考
第4章 ことばづかいに宿る体温  
第5章 日本語ラップはDAOKOに恋をした

Column “空気”としてのフィメールラッパー

第6章 「まさか女が来るとは」――Awich降臨
第7章 モードを体現する“名編集者”NENE
第8章 真正“エモ”ラッパー、ちゃんみな
第9章 ラグジュアリー、アニメ、Elle Teresa
第10章 AYA a.k.a. PANDAの言語遊戯

Column ラップコミュニティ外からの実験史――女性アーティストによる大胆かつ繊細な日本語の取り扱いについて     

第11章 人が集まると、何かが起こる――フィメールラップ・グループ年代記
第12章 ヒップホップとギャル文化の結晶=Zoomgalsがアップデートする「病み」     
終章 さよなら「フィメールラッパー」     

Interviews
valknee ヒップホップは進歩していくもの。     
COMA-CHI 「B-GIRLイズム」の“美学”はすべての女性のために     

Column 新世代ラップミュージックから香る死の気配――地雷系・病み系、そしてエーテルへ     

DISC REVIEWS Female Rhymers Work Exhibition 1978-2021

あとがき――わたしはフィメールラッパーについて書くことに決めた

解題 もっと自由でいい  文・新見直(「KAI-YOU Premium」編集長) 

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みんなの今年のベストアルバム・EPは? 「TOKION」執筆陣・ゆかりのクリエイターが選ぶ「2021年発表の私的ベストミュージック」  https://tokion.jp/2021/12/30/the-best-music-2021/ Thu, 30 Dec 2021 10:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=86537 今年、発売されたアルバム・EPの中から、「TOKION」執筆陣・ゆかりのあるクリエイターが心に残ったベスト作品を選出する。

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新型コロナウイルス感染症が完全収束に至ることのないまま、2021年が終わろうとしている。前年から続き、私たちが生きる社会はその在りようを変化させることを余儀なくされ、そこには少なくない傷や痛み、喪失が随伴した。音楽シーンにおいても例外ではなく、各地の音楽文化を育んできたライブハウス・クラブのクローズや、新しい音楽との出会いや交歓の場としても当該産業・コミュニティを支え盛り上げてきたフェス・イベントの中止・延期など、哀惜の念をもって思い返さざるを得ない出来事があった。しかし、それでも音楽が鳴り止むことは無く、この一年も、たくさんの素晴らしい音楽が紡ぎあげられ、無数のスピーカーやヘッドホンから流れ出し、その場の空気を、私たちの心を、ふるわせた。

そんな2021年に生まれた数多の作品群から、「TOKION」執筆陣・ゆかりのクリエイターの方々に、ベストアルバム・EPを選出してもらった。ジャンルもさまざまなそのサウンドに、その詞に、深く耳を傾けてみれば、2021年という時の音が聴こえてくるはずだ。それは、来たる2022年の行く末を指し示す導きの音としても、鳴り響くことになるだろう。

花冷え。『乙女改革』
選者:阿刀“DA”大志

花冷え。『乙女改革』収録曲 「我甘党」

2021年は完全に“花冷え。”の年だった。花冷え。は、東京出身の4人組女性ラウドロックバンド……と公式では謳われているものの、彼女達の音楽はそこにまったく留まっていない。40代以上ならSuper Junky Monkeyやヌンチャクの姿が透けて見え、それ以下の世代はマキシマム ザ ホルモンとの共通点を見出すのではないだろうか。実際、花冷え。はホルモンから強い影響を受け、女子校の軽音楽部で結成されたバンドである。

花冷え。の何が特徴的かというと、前述したように、型にはまらないサウンドがまず挙げられる。ホルモンやメタルコアをベースにし、かなり自由な発想でサウンドを構築しているのだ。それもそのはず、結成した頃から彼女たちは『誰もやっていないようなことをやりたい』という信念の下に活動しており、そういった意味で花冷え。はホルモンのサウンド以上に彼らの精神性から大きな影響を受けていると言えるかもしれない。

そして、いかつい音やボーカルのユキナによる強烈なシャウトとは不釣り合いなビジュアルのよさも注目を集めている。最初、自分は彼女たちのアー写を先に見てから曲を聴いたのだが、音を聴くまではアイドルだと思いこんでいたぐらいだ。

現在、一番再生回数が多いMVは『我甘党』で約20万回。まだまだこれからという数字だが、その割に海外YouTuberを中心とするリアクション動画の数がめちゃくちゃ多い。先日YouTubeで配信されたオンラインライヴでは英語圏と思われるアカウントから400ドル(約45,000円)ものスパチャが飛ぶなど、国内よりも海外での熱がすさまじいことになっている。

先日、何らかのレコーディングが終わったという報告がインスタグラムであったばかり。2022年の動きにも期待ができそうだ。

阿刀“DA”大志

阿刀“DA”大志
1975年東京都生まれ。米テネシー州で4年半の大学生活を送っていた頃、北米ツアーにやってきたHi-STANDARDのメンバーと出会ったことが縁で、1999年にPIZZA OF DEATH RECORDSに入社。現在はフリーランスとして、BRAHMAN、OAU(OVERGROUND ACOUSTIC UNDERGROUND)、the LOW-ATUSのPRや、音楽ライターとして活動中。 2月2日には、OAUの最新作『New Spring Harvest』がリリースされます。
Twitter:@DA_chang

Kabanagu『泳ぐ真似』
選者:imdkm

例えば「3作選んで」と言われたらひどく悩んだだろうが、ただ1つだけ挙げろというのなら悩む必要はほとんどなかった。歪み、ばらばらになる寸前のように響きながら、あっという間に通り過ぎてしまう7曲。エレクトロニック・ミュージックを軸にロックの意匠を折衷したサウンドの語彙やスタイルは、ここ数年大きなムーブメントとなっているhyperpopとの共振も感じさせる。キャッチーなメロディが惜しげもなくカオスの中へと放り込まれていくのに圧倒されつつ、ディストピア的な(あるいは荒涼としたポストアポカリプティックな)情景と乾いた内省を湛えた言葉の断片に耳を傾ける。言葉もサウンドも最も詩的な「グラニュー」、カタルシスの寸前に至りながらぎりぎりで抑制するかのような「冥界」、アルバムごと消尽するかのようにたたみかけるラストの「いいだけ」。どこをとっても鋭く輝いている。

imdkm(イミヂクモ)

imdkm(イミヂクモ)
ライター、批評家。ティーンエイジャーのころからビートメイクやDIYな映像制作に親しみ、Maltine Recordsなどゼロ年代のネットレーベルカルチャーにいっちょかみする。ダンスミュージックを愛好し制作もする立場から、現代のポップミュージックについて考察する。単著に『リズムから考えるJ-POP史』(blueprint、2019年)。
https://imdkm.com
Twitter: @imdkmdotcom

宇多田ヒカル『One Last Kiss』
選者:絶対に終電を逃さない女

宇多田ヒカル『One Last Kiss』

『エヴァンゲリオン』シリーズがついに完結した2021年、私はようやくエヴァを観始めた。しかも『シン・エヴァンゲリオン劇場版』が公開された半年後から。宇多田ヒカルによる主題歌はどれもリリース当時より愛聴してきたが、エヴァの作品世界と重ねて聴くことによって、やはりそれまでとは異なる情景が浮かんできた。漠然と思春期の少年をイメージしていただけだった「Beautiful World」が、テレビ版から『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』まではシンジに重なり、シン・エヴァを観た後では、ユイとの再会というたった1つの切実な願いを叶えるためにゲンドウが思い描いた「美しい世界」のことなのではないかと思えるし、「桜流し」はミサトの歌のようにも聴こえる。『破』のラストシーンから「Beautiful World -PLANiTb Acoustica Mix-」のイントロへの自然かつ印象的な入り方は、作品全体を一気にまとめ上げる力を感じた。もっと早く観ればよかったと後悔してもいるが、観る前と観た後で、EP『One Last Kiss』を2度楽しめたという点では貴重な体験だったのかもしれない。

絶対に終電を逃さない女

絶対に終電を逃さない女
1995年生まれ。早稲田大学文学部在学中からライターとしての活動を開始し、卒業後はフリーで主にエッセイやコラムを執筆している。『GINZA』(マガジンハウス)Web版にて、東京の街で感じたことを綴るエッセイ『シティガール未満』連載中。今年挑戦したいことは、作詞、雑誌連載、ドラマなどの脚本、良い睡眠。
Twitter:@YPFiGtH
note:@syudengirl

DADA『Yours』
選者:つやちゃん

DADA『Yours』収録曲 「High School Dropout」

今年国内において最もブレイクしたラッパーであろうDADAは、ソロ1stアルバムである『Yours』で、KOHHが泳ぎ進んできたヒップホップの海、その水面を、滴る液体で再びゆらゆらと揺らしてみせた。

偉大な先人によって確立された飾らないリリック、不安定な軌道を描くフロウ、エモラップ特有の陰鬱さは、DADAによって正しく継承され、一段と低いその声とともに底なしの海へ下降していく。2019年、KOHHが「ひとつ」で「泣いている地球/俺らはその一部/みんなでひとつ/喜びの水」とライムした“水”は、「俺は雨を感じれる側の人間だ」(「Void」)とホラー・タッチなラップで伝えられ、「2人で浴びるシャワー/ビショビショになった俺の指とベッド」(「DOWN」)と火照った肌や湿った声とともに描写された。

バイラルヒットにつながった「High School Dropout」もまた、「俺の首に垂らしてくれwater」という、液体を描写するパンチラインから始まる。首から下降し垂れるそのwaterは、透き通り滴るジュエリーのような煌めきを放ちながら、続いて「弟2人にミルクあげた」という素朴でまっすぐなリリックによってある日のDADAの幼き日常の記憶をも蘇らせる。

液体――しとしとと滴る体液、じめっとした水気――に、私たちの生きる営みそのものが宿っていることを、若きラッパーは教えてくれる。

つやちゃん

つやちゃん
文筆家。様々なカルチャーにまつわる論考を執筆。22年1月、単著『わたしはラップをやることに決めた フィメールラッパー批評原論』を上梓。
Twiter:@shadow0918
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Helm『Axis』
選者:伏見瞬

Helm『Axis』

当然ながら、僕たちの住む場所は地獄だ。コロナがあってもなくても地獄だ。古今も東西も問わず、大量の録音作品をスマートフォンのささいな操作だけで聴ける現状も地獄だ。昔に戻りたいという話ではもちろんない。僕たちはずっと、自らが暮らしている場所が以前から地獄であることを認識せずに生活してきたに過ぎない。相反するはずの飽和と貧困が重なり、寒く狭い部屋に閉じ込められたまま満たされていく地獄。生理を無視されたまま生かされる地獄。今僕は、地獄を生きることの歓びがどこにあるのか、考え続けながら動いている。

Helmの録音物は、常に先の地獄を知っている。それは、すでにそこにあったから。2015年のアルバムが”Olympic Mess”と名付けられたのは、2021年の予言でもなんでもない。僕たちは当時から「オリンピックの最低さ」を生きていた。ひしめき重なる電子ノイズが、理不尽な地獄を生きていた。

“Axis”と名付けられたHelmの新音源は、泥で泥を洗う僕たちの毎日から蠢き顔を出す。ロンドンで(パートタイムジョブを週4でこなしながら)15年のキャリアを重ねたHelmのサウンドは、ドラムンベースやアフロビーツのような新しい流れを無視しているが、Helmの音には未来と今が映っている。別に、このインダストリアルな電子音楽が普遍的だとは言わない。しかし、僕たちの地獄が続く限り、Helmの音は僕たちの“普遍”だ。表題曲”Axis”の、象の叫び声のようなループに、機械的軋みがいくつも衝突しては消えていく美しさ。そこに希望などない。そんなものは最初から要らない。地獄がもたらす歓び、それだけを僕たちは掴んでいる。お前には、絶対に渡さない。

伏見瞬

伏見瞬
東京生まれ。批評家/ライター。音楽をはじめ、表現文化全般に関する執筆を行いながら、旅行誌を擬態する批評誌『LOCUST』の編集長を務める。11月に『LOCUST』最新号vol.4が発売予定。主な執筆記事に「スピッツはなぜ「誰からも愛される」のか 〜「分裂」と「絶望」の表現者」(現代ビジネス)、「The 1975『Notes On A Conditional Form』に潜む〈エモ=アンビエント〉というコンセプト」(Mikiki)など。12月に単著『スピッツ論 「分裂」するポップ・ミュージック』(イースト・プレス)を上梓。
Twitter: @shunnnn002

Muqataa 『Kamil Manqus كَامِل مَنْقوص』
選者:もりたみどり、エリン・マクレディ「WAIFU」オーガナイザー

Muqata’a 『Kamil Manqus كَامِل مَنْقوص』収録曲 「Simya」

エリンと私は一緒に政治寄りなアートコレクティブをやっているのですが、このMuqataaの音楽作りは音楽という枠に留まらずとても現代美術的で、私達の活動と似た所があるので2人でこのアルバムを選ぶことにしました。彼はパレスチナの出身であり、街で聞こえる音、例えばパレスチナからイスラエルに入るチェックポイントの門の開く音やモスクから流れる音などをフィールドリコーディングしたり、アラブの伝統音楽など昔の音源からサンプリングをしたり、とても政治的かつコラージュのようなアートセンスで、アルバムの中での変化が非常におもしろく、アバンギャルドで音的にはクラブ音楽が好きな方も、実験音楽が好きな方も聴き飽きないアルバムです。エリンが今年最もよく聴いていたアルバムでもありますが、実は私は若い頃、青年海外協力隊でヨルダンに住みパレスチナキャンプでもボランティアをしていた経験もあり、パレスチナのアーティストをサポートしたい気持ちも含めここでご紹介いたします。

もりたみどり

もりたみどり
奈良県生まれ。アーティスト・イベントオーガナイザー。クラブができ始めた1990年頃から繊維素材を使ったアーティストとして活動し、クラブなどのデコレー ションを関西中心に手掛ける。1994年から約2年間、青年海外協力隊員としてヨルダンの大学でテキスタイルを指導する傍らパレスチナキャンプなどでボランティア活動を行う。2000年にエリンと結婚、3人の息子がおり最近は若手クリエイターの育成にも力を注いでいる(長男は都内でDJ、アーティストして活躍中)。母となったあとはとりわけ社会問 題に関心を持ち、ここ数年は特に韓日問題など戦後の日本のあり方についての作品を韓国で発表し続けている。

エリン・マクレディ

エリン・マクレディ
米国オハイオ州生まれ、テキサス州オースティン育ち。テキサス大学大学院修了。 青山学院大学 英米文学科教授・ファッションモデル。言語学者。専門は形式意味論、言語哲学。 オレゴン大学在学中に日本のパンクバンド「BOREDOMS」に魅せられ1994年に早稲田大学への留学を果たす。卒業後 再来日し現妻、みどりと出会い、互いのクラブ好きから意気投合し結婚。大学院修了後、大阪大学の研究員を経て現職 へ。 妻みどりとは「WAIFU」と「SLICK」のイベントの他にみどりとパートナーの3人でアートコレクティブ「MOM」と して現代美術の制作発表も行っている。

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「もっといかがわしい奴が出てこないといけない」――“色気を超越した崇高な下世話さ”を欲して彷徨う神出鬼没のDos Monos、2021年を総括する ―後編― https://tokion.jp/2021/12/26/interview-dos-monos-2021-part2/ Sun, 26 Dec 2021 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=82342 Dos Monosがこの1年を総括。多岐にわたるコラボ、そこで露呈する色気と下世話さについて。「ハッタリ感に世間が振り回される1年になってほしい」

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前編はこちら)

2021年のDos Monosの活動における<音楽面>について語ってもらった前編に続き、後編では彼等が多岐にわたり繰り広げているコラボレーション、そこで露呈する“色気を超越した崇高な下世話さ”について独自の議論を展開してもらった。

ポップになるためには、自らをさらけ出して見世物になる必要がある

――荘子itさんをはじめとしたみなさんの神出鬼没の動き、つまり音楽に限らずあらゆるジャンルのおもしろい方々とコラボや対談を繰り返し、硬直した価値観を柔らかくする試みを繰り返すことで、Dos Monosの動向に対する受け手の期待はかなり高まってきているように感じます。ある意味、随所でバグを仕掛けて思考を揺さぶっていくキャラクターが確立されてきており、そこにみんながポップさを感じはじめているようにすら思うのです。それはDos Monosらしいことなのか、Dos Monosのみんなさんは果たしてそれを求めているのでしょうか。

荘子it:「Dos Monos面白いことやってるね」とはみんな言ってくれるんですよ。特に業界内ではその反応が多くてそれ自体はいいことなんだけど、でもポップさの地点に行くには、もっと自分をさらけ出して見世物になっていく必要があります。

――「さらけ出す」というのは具体的にどういったことを言うのでしょうか。

荘子it:アーティストが自分の作品について語るっていうのは、究極的には「こう見てほしい」ということだと思うんです。でも、その先に「あのアーティストってこう言ってはいるけど実際はこうだよね」って半分茶化されるようになってからが本物ですよね。尊敬される映画監督なんて、大体批評家に人間としてのダメなところを追及されはじめる。ドゥニ・ヴィルヌーヴとかも女性崇拝が強過ぎてフェミニズムからしても完全にアウトになってしまってるみたいな(笑)。そういう作家の抱える難題をオーディエンスに見破られてからが勝負なわけで。それを隠せているうちは幸福なようでいて、クリエイターとしてはまだ土俵に立てていない。

まあ、ドゥニ・ヴィルヌーヴはあまりに精神分析的すぎる愛でられ方だからそれはあまり好きではないんですけど(笑)、それでもある意味えぐられるような、見てほしくないところを見てもらえるようになったらいいですよね。ポップさって、つまり「いじりがい」があるかってことなんじゃないでしょうか。「やってることかっこいいよね」って感じじゃなくて、「なんかあいつらうざいんだけど」っていうくらい下世話な感じ(笑)。でも自分達は、まだそこまでは全然行っていない。

没 a.k.a NGS:『蓋』(2020年9月にテレビ東京の深夜枠で突如放映された実験的番組。番組と連動してDos Monosの新曲やMVが公開された)でも、特にそんなに悪口とかなかったですからね。

Dos Monos – OCCUPIED!

荘子it:『蓋』は、いつものDos Monosリスナーは全然反応しなかったですね。沈黙だった。そうじゃない、別の層の方が騒いでましたけど。でも普段とは全く違う層で勝負できるっていうのはすごくいいことだと思っていて、ああいった動きは自分達自身の交通を変える意味でもすごく良かったです。交通を作るだけじゃなくて、自分達自身も交通していかないと。

自分で自分に退屈してしまう絶望感。「音楽ってもっとおもしろいはず」

――おっしゃる通り、Dos Monosを知っているリスナーは『蓋』に対してすでに「Dos Monosっぽさ」を前提としたスタンスで臨むところがあるので、本当に重要なのは『蓋』起点でDos Monosを聴いた方の反応ですよね。実際、そのあたりの反応はどのようなものがあったか耳に入られていますか?

荘子it:『蓋』を考察する、みたいな人は多かったですよね。でも、第一義的にどんでん返しや伏線のような考察のしがいを必要とする人達ってどうなんでしょうか。別に娯楽と割り切って観てるわけだからそんなこと言われても大きなお世話かもしれないですけど。とはいえ、批評の方に居直って「だからこそ批評が偉い」なんて時代錯誤なことを言うつもりはない。

となると、やっぱり必要な回路って「考察しているうちに本当の快楽を知ってしまう」みたいなことしかないと思っています。文化資本の高い人達が言うような、「わかっているやつが分かっている」的なことってそれはそれで尊いけれど、Dos Monosはそこを突き破っていきたい。考察する人達の、そのうち数人が本当に覚醒しちゃうみたいなことをやっていきたいんです。

――なるほど、どの程度覚醒させられたかですね。

荘子it:でも実際は、「『蓋』の考察を楽しんでたけど最後ヒップホップグループの宣伝だったのがわかって冷めた」みたいなことを言ってる人も一定数いましたね。まあ、そんな感じで、悲しいかな何も芽生えなかったねっていう出会いがほとんどですよ。人生なんてそんなものです。出会いなんて大体そうじゃないですか。何にもならない、単なる快楽だけが残ったね、みたいな。でもその中で、低い確率ですごいことが生まれるかもしれない。そうなるには、ある程度までは交通量を増やすしかないです。コンセプトと譲れないポイントを守りながら、ちゃんと交通をしていきたい。あとはもう確率の問題なので。

TaiTan:自分の場合、オードリー・タンとコラボしましたとか、DAWを使った広告やりましたとか、その積み重ねによって「Dos Monosってそういうことをやるグループである」という認識が盤石になっていくっていうのは、ちょっと前までは興味がありました。そういう意味では『蓋』も成功だったのかなと。ただ、そればかりが期待されはじめると、もう予想の範疇になってしまう。自分で自分に退屈しちゃうっていうことへの危機感はすでに芽生えはじめていますね。

Dos Monos – Civil Rap Song ft. Audrey Tang 唐鳳

――なんとなく、そう思いはじめているのかなって気はしていました。

TaiTan:もっと他のアーティストに関しても奇想天外な動きが見たいんですよね。もっと派手に驚きたい。俺等くらいの、どこの事務所にも所属してなくて資金もたかが知れてる人達がアイデア次第で色んなこと仕掛けられるのに、もっとリソースを持ってる人達って世の中いっぱいいるじゃないですか。僕等よりよっぽど潤沢な予算がある人たちが、それなりに曲作ってMV作ってってルーティン回してるだけってなってしまうのは、1リスナーとしては物足りないというか。別に批判してるわけじゃなくて、自分は「そのやり方があったか」っていうのを常に求めているので。カニエ・ウエストみたいな、ヤバいことする人が日本から出てきてもいいのになって思います。もっとそういう人達に振り回されたい。

荘子it:みんなで祭りを起こしていきたいんですよね。僕等って本当に、果てしなく非力なので。1人のアーティストがかっこよくても、一部の好事家が喜んでるだけで全然意味ないじゃないですか。もっと大きい存在が動いていかないと、文化として社会に還元していかない。そういうことを嫌う文化人もいるけど、自分は同意できない。もっとみんなでやっていきたいですよ。

TaiTan:「音楽ってもっとかっこいいはずなのに」っていう気持ちが最近すごく強いんですよね。みんなで右にならえで曲作ってMV撮ってルーティンをまわしてるのって、音楽とかやってる人達が最も忌み嫌うべき態度なはず。すごいつまんないじゃないですか。そこに対してずーっと退屈な気持ちや渇望感がある。音楽ってもっとおもしろいはずなんですよ。だから僕は、同じような志を持っている色々な領域の人達と結託して、どんどんたくらんでいきたい。

――そろそろ、「Dos Monosおもしろいよね」って言ってる人達も、ただおもしろがっているだけじゃなくて一緒におもしろいものを作っていくことになるといいですよね。

荘子it:自分はずっと10代の頃から、文化的な領域だけで交通を考えていたんです。シネフィルカルチャーやクラブカルチャーがもっと深いところで結びついたらいいのにな、両方繋げることができたらなって思っていた。自分達は、ある意味その部分は結構成功していると思います。でも、それはまだ文化の領域での交通で、たとえば経済へは結びついていない。自分たちは別に雇用も生み出せてないし。結局、文化をめちゃくちゃ本気で考えていくとそこにたどり着くんですよね。最初はそういう考えをしていなかったからこそ、最近はクリアに見えてきました。

三者三様にアプローチした『ドキュメンタル』のタイアップ新曲

――新曲「王墓」は『HITOSHI MATSUMOTO presents ドキュメンタル』とのタイアップ曲ですが、これもまた意外な展開の1つでした。

荘子it:『ドキュメンタル』からは最初は「既存曲を使わせてください」って来たんですけど、こちらから、必ずもっと合うものができるから新しい曲を作りたいと申し出ました。

TaiTan:昔の曲使っても発展がないし、向こうに何を提示したらおもしろいコラボレーションになるかと。

荘子it:僕とTaiTanはお笑いの要素をちょっと入れたりもしたんだけど、没はそうでもなかった。自分は日本文化の中におけるお笑いについて書いて、TaiTanはもっとちゃんとお笑いの戦いの内側の視点に入っていった。

TaiTan:俺のはもうほとんど『ドキュメンタル』を作ってきたチームに対するラブレターというか(笑)。

荘子it:そうそう(笑)。自分はもう少し一歩引いたところから書いて。で、フックを挟んで没はお笑いに一切関係ないことを書いている。でもそれも、没の中で「いつもと変わらないスタンスで書いたほうが、広がりがあっておもしろくなる」っていう考えがあって。結果的に、3人がそれぞれ考えたうえで、クライアントワークを決められた枠の中だけで返さずにやっている。俺とTaiTanはそれぞれのプロ意識でクライアントワークを想定以上におもしろくしてやろうって思っていて、没はある意味アマチュアリズムの極致としてそれをやらないっていう判断。

没 a.k.a NGS:俺の場合は、普通に音楽でそこを破っていけるようなことをしてるからメタ的なことをわざわざやらなくても、という感覚。音楽でヤバかったらヤバいと思ってるから。自分は普通にMVも好きだし、そういう消費をしている人だし。Dos Monosの中だからこそそういった自分のおもしろさは出ていると思います。

荘子it:配置なんだよね。意見を突き合わせるとそれぞれが対立しているように見えるけど、それをうまく配置することで、Dos Monos全体としてはいい感じのものになる。

没 a.k.a NGS:自分はずっと葛藤してましたけどね。今はもうその配置をしてるっていうのに自分で納得している。

荘子it:没は常に葛藤して煩悶してる男だから。1年前くらいは自分とかの方が主張が強かったんだけど、最近はもう俺は曲作るだけの人みたいな(笑)。一番過激なのは、両極としてのTaiTanと没で、俺はもう良い曲だけ作ればいいかなって(笑)。

「ハッタリ感に世間が振り回される1年になってほしい」。Dosが目指す2022年

――この、いろいろ行き詰まってしまっている状況の中で、音楽業界だけでなく他のさまざまな業界も含めてDos Monosの動きって参考にできると思うんですよ。今、もう全部がテンプレ化してるじゃないですか。

荘子it:みんなそれっぽいことだけは言えるんですけどね。ナマの人間っぽさが出てこないと魅力的じゃないのに、みんなきれいなものをきれいなまま横に流してしまう。それでうまくまわっているならいいのかもしれないですけど。でも、やっぱりベースはそこだと思います。まずそもそもの土台として、ちゃんとエロさを出すのが大事。いわゆるセクシーじゃない意味のエロさですね。本当に無菌のものばかりで、ちょっとでもそこに付臭したらめちゃくちゃエロいのにって思います。まずはそこさえあれば大抵おもしろいものにはなるし、世の中のおもしろいものの99%はそれだと思う。

――生身の人間の息づかいが香り立つだけで全く違ってきますよね。

荘子it:でもさらに言うと、それは結局「人間」の中でわちゃわちゃやってるなって程度でのすごさでもある。あと1%のすごいものは、「人間」を超える「神感」を持っていると思います。エロさを超えた崇高さ。そういうことを考えていると、実はDos Monosを好きでいてくれている人達よりも、そんなこと全く思ってない人達と繋がる方がすごいんじゃないかと思えてくる。そこで初めて、本当の「すごさ」が試されるのかなと。例えば、日本の最も土着的な文化としてお笑いとか野球があるじゃないですか。その中でのトリックスターとして、われわれは新庄(剛志)にならないといけないと思うんです。

没 a.k.a NGS:新庄はすご過ぎるよね。

TaiTan:みんな大谷で満足し過ぎたんですよ(笑)。僕は、もっとハッタリの効いた、いかがわしい奴をこそ待望してる節があって。だから、新庄(の北海道日本ハムファイターズ監督就任のニュース)は今年一番嬉しかったです。彼は来年、プロ野球の再解釈みたいなことを絶対やると思うんです。たとえ最下位でもファン興行として経済がまわるというような。そういうハッタリ感にも世間が振り回される1年になってほしい。たしかにスーパースター大谷はすごいけど、それだけがすごいんじゃない、こういう価値観もあるんだってみんなが発見するっていう。

――しかも新庄は、プロ野球という封建的な世界であれをやるのがおもしろいですよね。

TaiTan:だから、自分は新庄みたいな人と仕事がしたいですね。そういったセンスとコネクトしていきたい。スベっててもスベってないことになるっていう、あれってなんなんでしょう。ずっと見ていられるし、神感がありますよね。しかも、それに対して来年中日ドラゴンズは立浪が監督で、長髪禁止とかって言ってるんですよね。新庄vs立浪っていう構図は見ものですよ。新庄的な意味のわからない昭和のハッタリ感で成り立っている価値観が勝つのか、それとも旧来の昭和的価値観が復権するのか。日ハムが最下位だったら、それはそれで新庄の勝ちだと思う。

荘子it:来年のプロ野球、少なくとも日本の政局よりはおもしろくなりますね。

Dos Monos
東京都出身の3MCから成るヒップホップクルー。中核、ブレイン、メインのビートメイカーである荘子itが中学、高校の同級生だったTaiTan、没を誘い、2015年に結成。デビュー前にSUMMER SONICに出演し、その後、JPEGMafiaなどが所属しているLAのヒップホップレーベル、Deathbomb Arcと契約。海外公演などを経て、2019年3月にファーストアルバム『Dos City』をリリース。2020年7月にセカンドアルバム『Dos Siki』、翌2021年の同日にそのリメイク盤で、black midi、崎山蒼志、小田朋美、SMTK、Qiezi MaboとともにJAZZ DOMMUNISTERSが参加した『Dos Siki 2nd Season』を発表。その後9月にはアルバム『Larderello』『Dos Siki (1st & 2nd season)』(CD)をリリース。
Twitter:@dosmonostres
YouTube:Dos Monos

Photography Kana Tarumi
Edit Ai Iijima

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「もっといかがわしい奴が出てこないといけない」―“色気を超越した崇高な下世話さ”を欲して彷徨う神出鬼没のDos Monos、2021年を総括する ―前編― https://tokion.jp/2021/12/19/interview-dos-monos-2021-part1/ Sun, 19 Dec 2021 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=82315 Dos Monosがこの1年を総括。SMTKや崎山蒼志とのスリリングな競演、彼等自身が考察するDos Monosのおもしろさとは?

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結局、“色気”と“下世話さ”なのだ。彼等ははっきりとそう言っている。

3rdアルバム『Dos Siki 2nd Season』のリリース、テレビ東京の実験的番組『蓋』と連動して解禁された4thアルバム『Larderello』、そして今回新たにドロップされた新曲「王墓」。その合間を縫って行われたライヴやさまざまな対談等のゲリラ的活動。突如現れては消えるDos Monosメンバーの動きは刺激的でおもしろく、世間の凝り固まった思考を柔らかくほぐしながら、それでいて私達を途方に暮れさせる生々しさを醸し出している。

その生々しさこそ、Dos Monosが言うところの“色気を超越した崇高な下世話さ”なのだと思う。今回、2021年の総括として組まれた本インタビューの前編では9月に実施されたライヴ「Theater D」やSMTKとのコラボレーションについて語ってもらった。身体的に踊れる音楽でありながらも、そこに留まらず新たな“交通”を通わせていく、つながっていなかった新しい回路が開いていく快感。そして、インタビューは後編で一気にドライブしていく。「音楽ってもっとおもしろいはずなんですよ」と力説するメンバーの会話は、最終的に「いかがわしい奴が出てこないといけない」という発言に繋がり、とある“いかがわしくハッタリの効いた”プロ野球監督の話にまで広がっていった。

相変わらず、Dos Monosのやっていることはおもしろいし、本インタビューもいわゆるおもしろいエピソードに溢れている。しかし、それを“ただ面白がっている”ことへの危機感もある。これからDos Monosが目指す地点は決してDos Monosだけでは成し得ないもので、例えば荘子itが後編で「文化を社会に還元していく」と表現するその地点は、私達のいかがわしさへの変身とハッタリ性の獲得を(暗に)要求するものであるかもしれない。

「ストイックな思い込みが晴れるような体験」。ライヴで得た新たな手応え

――2ndアルバム『Dos Siki』のセルフリメイク作『Dos Siki 2nd Season』を今年の夏にリリースされました。その後、9月のライヴ「Theater D」でそれらをゲストとともにパフォーマンスされましたね。私の周りでは、あのライヴが今年のベストだったと言っている人が多くて、本当にすごかった。リハの時点からいい感じにハマってたんですか?

没 a.k.a NGS:めちゃくちゃ良かった。リハが一番良かったです。

荘子it:意外とリハで最高の音が出ちゃうっていうのはありますね。ライヴならではの、お客さんに向けたエンタメ要素っていうのはもちろん本番のほうがあると思いますけど。

――中でも、「A Spring Monkey Song/春の猿の歌(feat.崎山蒼志、SMTK、小田朋美)」はコラボでありながらもバトルのようでした。崎山蒼志さんの歯を食いしばるようなラップや、小田朋美さん・SMTKのメンバーの地団太を踏むような演奏、それらはDos Monosのラップと調和するというよりも、戦っているように聴こえました。あのステージのマジックは一体、なんだったのでしょうか。

荘子it:もともとDos Monosって、バンドでできないこと、バンドでは出せないグルーヴをやりたいっていう思いが1作目からあったんですよ。バンドだと、それこそクリス・デイヴがグルーヴを革新したと言われているけど、あれってやっぱり人間がマシンビートを取り入れた以降の様式美があるじゃないですか。そうじゃない、もう一回マシンやDAWでしかできない変なヨレとかを出していきたいなという考えがあったので、Dos Monosはずっとバンド編成に対して憧れはありつつも、おもしろくなくなっちゃうんじゃないかという恐れや抵抗があって手を出してこなかったんです。でも、この機会にやってみようと。

荘子it:理想のグルーヴを出すためにはバンドでの練習の時間もいっぱいとらないといけないなと思ってたんですけど、セッションしたら意外と1時間ぐらいでいい感じになっちゃって(笑)。それまでのストイックな思い込みが晴れるような体験をしました。デビューから3年くらいずっと封印してきたけど、なんかあっさりいけるなと。手応えがあった。

SMTK、崎山蒼志と音を交わしたスリリングなステージ

――ゲストに、ライヴでの即興性を大切にする方達が多かったのでそういう意味でも本番はめちゃくちゃすごかったですね。あと、SMTKはスリリングさみたいなものが間違いなく出せる、その“間違いなさ”みたいなのがあるじゃないですか。一方で、例えば崎山さんはガチでスリリングなところがあると思うんですよ。狙ってやるというよりは、あのライヴでも結構ギリギリの危うい感じが出ていておもしろかった。

没 a.k.a NGS:そもそもあのライヴだからという以上に、あのサウンドの中に崎山君を入れちゃうということ自体がスリリング(笑)。

荘子it:崎山君は高校生でデビューして以降第一線でやってるけど、良い意味で場慣れしてないというか(笑)。あれは逆にすごいですよ。

A Spring Monkey Song (feat. Soushi Sakiyama, SMTK & Tomomi Oda)

没 a.k.a NGS:でもやっぱりあのメンバーはスタジオ盤で1回一緒にやってたのが大きかった。それがなくて、いきなりライヴのためにセッション始めたらなかなか苦労したんじゃないかな。

荘子it:そうだね、共通認識があったからね。でもスタジオ盤の音源も実は同時に演奏はしていない。まず、自分の「春の猿の祭典」っていう曲のドラムだけ抜いた音源に石若駿に叩いてもらって、次ベース抜いてマーティ(・ホロベック)にベース弾いてもらって、ギター抜いて細井徳太郎にギター弾いてもらって、ピアノとコーラス抜いて小田朋美にピアノ弾いてコーラス歌ってもらって……というように、1個1個引いて足していくやり方で作っていった。一斉によーいドンでバンド演奏はしていなくて、その切り貼り感、ガチャガチャした各パートがバラバラに動いている感じがグルーヴにも繋がっている。

荘子itが探る、トラックメイクに隠されたグルーヴ

――今年は、SMTKの2ndアルバム(『SIREN PROPAGANDA』)にもDos Monosとして参加されましたね。収録曲「Headhunters(feat. Dos Monos)」のトラックメイキングについて伺いたかったです。過去の音源を、記憶や感覚を頼りにサンプリングしていくいつもの荘子itさんの方法と違い、SMTKの演奏音源を元にサンプリングし作られた曲でした。ソースに対する記憶が介在しないこと、もしくはソースが「その音源しかない」という有限性によって起こったクリエイティビティの変化はあったのでしょうか。

荘子it:実はサンプリングする時って、素材になってしまえば大体同じなんですよね。記憶があるものもないものも、結局最終的には音を解体して料理していく段階になるとほとんど変わらない。それよりも、いろいろなサンプル源にあたって曲を作る時って、自分の発想を超えたいっていうのがある。いろいろごちゃごちゃやって作ってる間に、ノイズも含めてカットしきれないカサカサした微細な揺らぎがどうしても残ってしまうじゃないですか。

SMTK 「Headhunters (feat. Dos Monos)」 Official Music Video

荘子it:即興的なダンスを踊るように、その揺らぎを拾って、新しい発見をしながら作れるっていうのがいいんですよね。逆に、「あのネタ使いたいな」って使うフレーズが決まっている時は、ある意味道が見えてる状態でそっちの方はわりと置きに行っているというか。だから、そもそもそういうサンプリングの使い方はあまりしないようにしていますね。

――記憶によるサンプリングというよりは、そこで偶然性を欲していると。

荘子it:ただ、最新曲「王墓」に限っては、自分の中で4、5曲くらい決まったレファレンスがあるんです。サンプリングはゼロなんですけど、それはある意味ゴールが見えているということ。なので、いつもよりは少し自分の中に理想のイメージがあって、それを具体化していくような作り方をしました。今回、珍しくAbleton付属のベースを弾いてるんですけど、めちゃくちゃいじりがいのある音が出たんですよ。いつもはベースラインもサンプリングで作るから、自ずと異変が起きやすいんですけど、今回は鍵盤で弾いてる。でも、最初にベースラインを思いついても、結局はそれを弾いた後に音色をいじっている段階が一番クリエイティブで。

荘子it:本当に最初の、いわゆる楽譜やmidiが果たす役割は取っ掛かりでしかない。自分はあまりフレーズ自体をいじるのは興味ないんです。ベースラインもあの曲はずっと同じ。ドラムの展開を変えるのも、DTM始めたての頃は結構やってたんですけど、その欲求は、今はあまりない。TaiTanのヴァースとかはギミックのある展開が合うので必要最低限はやったりしますけど、基本的にはワンループで通しますね。

シンプルな下部構造、複雑怪奇な上部構造。Dos Monosの世界を行き来するおもしろさ

――Dos Monosの音楽って、実は身体的に聴けて「踊れる」ものが多いですよね。一方で物語的にも聴ける。前者は主に音として、後者は主に意味として聴かれていて、当然ながらその2つの回路は絡み合っています。そこの絡み合いがDos Monosの音楽のおもしろいところですよね。

荘子it:「上のレイヤー=物語的に頭で考える部分」と、「下のレイヤー=肉体的・身体的にノる部分」という上部/下部構造があって、それはウワネタとビートの関係でもありますよね。Dos Monosの場合、下部構造はわりとシンプル、上部構造は複雑怪奇なもの、という作りだと思います。自分は、過去に上部構造の探究にどっぷり漬かっていた時代もあるんです。それに対して嫌だなと思うこともあって、下部構造の下世話さというか、シンプルな強さを持ち込みたいと思うようになりました。

つまり、下部構造が踊れるものになっていて、その上で上部構造もおもしろいものにしたいと。その上部/下部の交通をしたいんですよね。例えば、最近、『やさしい女』のリバイバル上映の際に、ロベール・ブレッソンの映画について中原昌也さんとトークイベントをやったんですけど、ブレッソンの映画ってめちゃくちゃビートが効いてるんですよね。カトリック的な聖なる作家という上部構造のイメージで語られますけど、下部構造がすごくしっかり通底していて実はノれる映画なんですよ。そういったビート感は抽出して取り入れていきたい。

没 a.k.a NGS:意外に、Dos Monosってラッパーのキャラ立ち自体がおもしろいんじゃないかなっていうのがあって。みんな上部構造のことを言うけど、ちょっと引いてみたら結構キャラでやってたりもする。自分はそこで貢献していると思うし。

TaiTan:自然にビートにノらせてたら、気付いたら単語が襲来してくるというのがDos Monosのおもしろさなんじゃないでしょうかね。いつも作る時は荘子itからテーマだけが与えられて、それぞれが全く違う方向にリリックも単語も書き連ねていくんだけど、それをリスナーが勝手に繋げて聴いてくれる。そう思うと3人でやってる価値はありますよね。

荘子it:上部構造の世界だとつい下部構造がないがしろにされがちなんだけど、上部構造で物語やイデオロギーを紡いでいっても、そこに亀裂をもたらすビートでありたい。

TaiTan:でも、どちらにせよ、繰り返し聴くことでもう片方が見えてくるということはある。ビートだけ聴いてても、めちゃくちゃおもしろい単語が1つだけ聴こえてきたとかおもしろいしね。

荘子it:そう、今度は逆にただ踊ってただけなのに、いつのまにか上部構造に行ってたみたいな。その相互交通が大事ですよね。

――ライブでは、交通の回路が普段の聴取時とは違う形で突然開かれることがあるからこそエキサイティングなのかもしれないですね。

Dos Monos
東京都出身の3MCから成るヒップホップクルー。中核、ブレイン、メインのビートメイカーである荘子itが中学、高校の同級生だったTaiTan、没を誘い、2015年に結成。デビュー前にSUMMER SONICに出演し、その後、JPEGMafiaなどが所属しているLAのヒップホップレーベル、Deathbomb Arcと契約。海外公演などを経て、2019年3月にファーストアルバム『Dos City』をリリース。2020年7月にセカンドアルバム『Dos Siki』、翌2021年の同日にそのリメイク盤で、black midi、崎山蒼志、小田朋美、SMTK、Qiezi MaboとともにJAZZ DOMMUNISTERSが参加した『Dos Siki 2nd Season』を発表。その後9月にはアルバム『Larderello』『Dos Siki (1st & 2nd season)』(CD)をリリース。
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YouTube:Dos Monos 

Photography Kana Tarumi
Edit Ai Iijima

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エディ・スリマンの「ディオールオム」を再考する/連載「痙攣としてのストリートミュージック、そしてファッション」第9回 https://tokion.jp/2021/05/22/shockwaves-in-contemporary-music-and-fashion-vol9/ Sat, 22 May 2021 06:00:44 +0000 https://tokion.jp/?p=33864 気鋭の文筆家・つやちゃんが「音楽とファッション」「モードトレンドとストリートカルチャー」の関係性を紐解く連載コラム。第9回は、エディ・スリマンが「ディオールオム」で生み出した熱狂や成し遂げたことについて、当時のUKロックシーンや同氏の現在地を参照しながら再考する。

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音楽とファッション。そして、モードトレンドとストリートカルチャー。その2つの交錯点をかけあわせ考えることで、初めて見えてくる時代の相貌がある。本連載では気鋭の文筆家・つやちゃんが、日本のヒップホップを中心としたストリートミュージックを主な対象としながら、今ここに立ち現れるイメージを観察していく。

第9回の主役となるのは、2000年から2007年まで「ディオールオム」のクリエイティブ・ディレクターを務めたエディ・スリマン。当時の「ディオールオム」と濃密な関係を切り結んでいたUKロック・シーンや、エディの現在を参照しながら、「あの熱狂」と同氏のクリエイションの本質について再考する。

メンズファッションの風景を一変させた「ディオールオム」

WWD for Japan (All about 2005-06 A/W men’s)

2000年に「ディオールオム」のクリエイティブ・ディレクターに就任し07-08 年A/Wコレクションまで指揮を執ったエディ・スリマンは、たった数年でメンズファッションの全てを変えてしまった。その認識について、概ね異論はないだろう。私は、一体何が起こっていたのだろうかと、不思議な顔で当時を回想する。あの時の狂騒とは、あの時の「ディオールオム」に対する世の中の熱量とは、つまり何だったのだろうかと。

飛ぶように売れたスキニーパンツ、カジュアルだがドレッシーなスタイル。グランジやグラムロック、モッズをエレガントに仕立てあげた色気漂うルック。ストイックなカラーパレットに、ファッションスナップのあらゆるページに踊った“Dior Homme”のクレジット。メディアは“カリスマ”と書き立てた。ティーンは背伸びし、こぞってアイテムを手に入れた。当時、「ディオールオム」はストリートの風景を全く新しいものに変貌させた。恐らく、ポップカルチャー史においてラグジュアリーファッションとストリートミュージックが最も接近し愛おしく絡み合ったムーブメント、それこそがエディ・スリマンによる「ディオールオム」という運動だった。結果として、フォーマルとカジュアルしか存在しなかったメンズウェアに第三の領域を確立することに成功した。多くの男性がメゾンの魅力に憑りつかれ痙攣し、ストリートにはモノクロームに包まれ痩せ細った被写体が佇むこととなる。彼等は、その姿を写真によってとらえられ、若さの中で揺れ動く美意識を連鎖させていった。それらは全て、2000年代に起こったことだ。

UKロックシーンとの蜜月関係

「ディオールオム」というアートフォーム、そのクリエイションはメディアによって幾度となく神聖化されて語られ、数々のクリシェを生み出してきた。“モノトーンの極度なミニマリズム”“ロックに着想を得たファッション“”写真家としてのインスピレーションが込められたショー”“繊細な少年性をとらえた世界観”“男性性の中にあるフェミニンな香りの具現化”……。そのどれもが正しいし、当時の「ディオールオム」の表現を適確に言い当てている。しかし、エディ・スリマンがメゾンを離れ15年近くが経過し、写真家としての大規模な活動や「サンローラン」でのワーク、そして今「セリーヌ」で再び注目を集めるこのタイミングだからこそ、“今”の彼のパフォーマンスを通して当時の功績を振り返り、改めて「ディオールオム」の意義を捉え直す作業もできるはずだ。しばしば定型的な表現で語られてきた彼の活動に、新たな側面から光を当てること。そしてそれは、当時のストリートミュージックを再解釈することとほぼ同義でもある。あの時、音楽と衣服は愛し合い溶け合っていたから。よく知られているように、エディ・スリマンは多くのミュージシャンたちと交流を持ってきた。「ディオールオム」期はとりわけ英国のロックバンドと縁が深く、レイザーライトやザ・レイクス、エイト・レッグスらの音楽をランウェイショーでフィーチャーし、フランツ・フェルディナンドやザ・キルズらにステージ衣装を提供してきた。中でも特にエディを惹きつけてやまなかったのが、ザ・リバティーンズのピート・ドハーティだ。

Helid Slimane – London Birth of a Cult

2005年にピートを被写体とした写真集『London Birth of a Cult』を発表するのみならず、2006年春夏コレクションでは同氏にオマージュを捧げたと思しきルックを登場させた。彼の次のような発言を幾度となく聞いた記憶があるだろう。――「友人のひとりとして、ピート(・ドハーティ)のとりこになっています。彼は、ロックスターであることをはるかに超えてしまうような不思議な力がある。」(『WWD MEN’S』2005-06A/W号)

“その後”のエディのクリエイションにあらわれた変化とは

CELINEのタイポグラフィーが刷新され「E」の頭上をさりげなく撫でていたアクサンテギュがいなくなろうと、フィービー・ファイロが女性のために創り上げたコンフォータブル・ファッションが跡形もなく消え去ろうと、就任当初の「セリーヌ」でのエディ・スリマンの振る舞いが私たちの想像を裏切ることはそうなかっただろう。彼がそういうディレクターであると私たちは分かっていたから。しかし、ついに21年SSコレクションをきっかけに新しいクリエイションが顔を出し始め、変わらないはずだった彼の新鮮な変化に世の中は色めき立っている。エディ・スリマンが豊富なカラーパレットを用意したのだ。エディ・スリマンがE-BOYを描写したのだ。エディ・スリマンがスポーティでリラクシングなテイストを発揮したのだ。エディ・スリマンがBGMにヒップホップとダンスをセレクトしたのだ。以前もそれら一つひとつが彼のショーに顔を覗かせることはあったものの、新しさの全てが渾然一体となってショーを構成する変化感は、驚きと熱狂をもって歓迎された。

CELINE HOMME “THE DANCING KID”

21年SS、そして先日発表された21-22年AWにも明らかだが、彼の手腕がますます発揮されている領域は主にスタイリングにおいてであろう。個々のアイテムについてのクリエイティブ性/独創性を追求するというよりも、すでにあるものを最高の組み合わせでスタイリングするという、コーディネートの妙。キャップ、バッグ、ジャケット、ワンピース……どこかで見たことのあるようなものたちが、いかにも真似できそうだが最上級のエレガンスでバランスよく配置される。彼はこう言っているかのようだ――「いよいよ、新しい衣服なんて存在しない。全ては組み合わせであり、 “今”の気分を高めてくれるスタイリングこそが求められている。ほら、あなたが今日も何らかのテーマで選曲されたプレイリストを聴き、エキサイトしリラックスしたように。ファッションはプレイリストであり、個々のアイテムは音楽そのものだ」。

“人”と“ストーリー”への執着こそが、あの熱狂を生んだ

「セリーヌ」でより顕在化してきたスタイリングの腕を頼りに「ディオールオム」の功績をたどってみると、浮き彫りになってくるものがある。思い出してみよう。彼のショーが、ストリートにいる男の子のスカウトから始まること。衣服と写真を主戦場としながら、モデルの衣服を創りそれらを撮影するというある種の“親密さ”をとらえてきたこと。「写真の魅力とは?」という質問に対し、彼は言う。「カメラと僕と、二人きりになれるということ。この魅力は否定しがたい。対象と僕だけがいるんだ。」(『STUDIO VOICE』2008年4月号)

『STUDIO VOICE』2008年4月号

つまり、極論を述べると、若いアーティストそれ自身のプロデュース/アートディレクションに取り組んできたのがエディ・スリマンなのではないだろうか。ブランドのアートディレクション以上に、人のアートディレクションへの傾倒。ゆえに、彼が能力を発揮するのは、新しい衣服を創りだすこと以上にスタイリングにおいてである。実際のところ、純粋に衣服だけを見つめてみると「ディオールオム」の新しさの前には「ラフ・シモンズ」がいた。しかし、対象と自分との間に流れる親密さがスタイリングに跳ね返り、独特の色気=生なるエネルギーを引き出すことで、そこにはストーリーとコンテクストが生まれ、エディ・スリマンでしか成立し得ない「ディオールオム」を生んだ。彼が真の意味で表現してきたのは衣服以上に“人”であり、“ストーリー”である。「ナンバーナイン」や「リック・オウエンス」など、同時期に支持を得た数々のブランドがロックからの影響を色濃く反映したクリエイションを発表していたが、それらと「ディオールオム」が決定的に違ったのは、エディ・スリマンが“人”のアートディレクションをしていたということではないだろうか。その仮説は、彼が若き日に関心を抱いていた対象からも推察される。例えば、11歳から始めたという写真でカメラを通し周囲の友人を観察し続けてきたこと。ゲーテ『若きウェルテルの悩み』を愛読し、13歳の頃には仏ル・モンドでレポーターとして働くことを夢見ていたこと。少年は、自らのレンズ越しに社会を、その背景にある人を見つめることに惹かれてきたのである。(『Hedi Slimane’s ‘Secret Society’』より)

「ディオールオム」の男性性の中に見られる女性性――その繊細さ――についてもかつてさかんに言及がなされたが、近年は新たな視点での考察もなされている。AFFECTUSを展開する新井茂晃は『AFFECTUS vol.6』(2019年)でこう述べる。「エディの服は男性であるとか女性であるとか性別を対象としておらず、体型=痩身をターゲットにした服と言える。痩せた身体であれば、女性であれ男性であれ性別は関係なく着ることのできる服だ。そういう意味では、ジェンダーレスが強調される現代よりもずっと以前から、性別を超えた服をデザインしていたと言える。」

対象となる“人”に親密に接近するエディ・スリマンのアプローチからは、自然と両性の香りが立ってくるであろう。それは、例えば同時期に男性性への揺さぶりをかけた「ギャスパー・ユルケヴィッチ」の発するセクシュアリティともまた異なるもので、エディ・スリマンの人への執着心が可能にした、言わば芸能プロデューサーの如き性質によるものに違いない。

2000年代、UKの多くのロックミュージック――というよりもロックミュージシャンたち――がエディ・スリマンによってストーリーを与えられた。それは、プロデューサーのポール・エプワースがBloc Partyを、The Futureheadsを、Maxïmo Parkを、The Raptureを当時音楽面からプロデュースしていたことと同様に、エディスリマンはUKロックのミュージシャンたちをスタイリング面/アートディレクション面からプロデュースしていたと言える。2000年代の英国ロックの隆盛は、音楽/人物両面からのスタイリングによって支えられたムーブメントだったのだ。それは当時、人物像をより際立たせていくことでUK/USで大きな支持を獲得し始めていたラップスター/ヒップホップスターに対する、ロック側からの回答だったかもしれない。単なる音楽的範疇でのリバイバルを超えた、アーティストそのものを引き立たせ輝かせる、いわばポップカルチャーの醍醐味としての。

エディ・スリマンが「ディオールオム」を去り15年近くが経ち、今またキム・ジョーンズにより「ディオール」はストリートで絶大な人気を得ている。主にヒップホップの文脈での支持が熱いが、同様の人気を獲得しているブランドとして、「ルイ・ヴィトン」が挙げられるだろう。キム・ジョーンズがいて、ヴァージル・アブローがいる。次回は、「ルイ・ヴィトン」とストリートミュージックの協演について論じたい。

Illustration AUTO MOAI

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「ディオール」の“雑多性”と、それを顕在化してきたストリートミュージックのリリックたち/連載「痙攣としてのストリートミュージック、そしてファッション」第8回 https://tokion.jp/2021/04/11/shockwaves-in-music-and-fashion-vol8/ Sun, 11 Apr 2021 06:00:09 +0000 https://tokion.jp/?p=27957 気鋭の文筆家・つやちゃんが「音楽とファッション」「モードトレンドとストリートカルチャー」の関係性を紐解く連載コラム。第8回は、「ディオール」の真なるアイデンティティや特色、それが顕在化されたストリートミュージックのリリックについて。

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音楽とファッション。そして、モードトレンドとストリートカルチャー。その2つの交錯点をかけあわせ考えることで、初めて見えてくる時代の相貌がある。本連載では気鋭の文筆家・つやちゃんが、日本のヒップホップを中心としたストリートミュージックを主な対象としながら、今ここに立ち現れるイメージを観察していく。

これまで「ヴェルサーチェ」、「グッチ」、「シャネル」を論じてきたが、第8回から主役となるのはディオール。同ブランドの真なるアイデンティティや歴代デザイナーたちが織りなしてきた“雑多性”、そしてストリートミュージックの表現者たちのリリックにおける現れ方について紐解いていく。

今をときめく「ディオール」、その“異様さ”とは

2021年の今、最も勢いのあるメゾンとは?その質問に対して、ストリートで群れをなす人たちは、バーバリーやルイ・ヴィトンが一瞬脳裏をかすめながらも結局のところこう回答するだろう。――「ディオール」であると。その快進撃は市場において際立っており、競合ブランドに対して相対的に“低迷”というストーリーを付与することにも成功し、ジャーナリストたちは皆「グッチの業績、ついに鈍化か」と書き立て始めている。パーティが次々にキャンセルされ、グラスに注がれた魅力的な泡の輝きがこの世から消え去ったパンデミック禍において、LVMH社の激減したシャンパン売り上げをカバーした筆頭が「ディオール」であるとも報告された。今、このメゾンは、人類の欲望と夢を満たす役割を一身に引き受けているのだ。

ブランドのオーガニックグロースを可能にした要因として真っ先にメンズアーティスティックディレクターであるキム・ジョーンズの手腕が挙げられるだろうが、ウィメンズを手掛けるマリア・グラツィア・キウリによるロマンティックなクリエイションも才気ほとばしっており、21-22AWコレクション――ヴェルサイユ宮殿「鏡の間」を舞台にしたおとぎ話の3D化、そしてスチール/ムービーへの2D化というSNS戦略――が大きな話題をさらったのも記憶に新しい。また、ここに来てコスメ部門も着実に支持を集めている。「ディオール」のこの一見ばらばらに見える価値発信はブランドの顔つきを多彩なものにしており、どこか異様さをまとってもいるだろう。「ディオール」という神秘性に満ちたメゾン、ブランドを考えるとき、それらの雑多性、異様さは重要な違和感として忘れてはならないように思う。

“エレガンス”だけではない、真なるアイデンティティ

「ディオール」のアイデンティティとして、これまで“エレガンス”が挙げられてきた。その時代に合ったエレガンスを追求するメゾン――全くもって間違いのない説明だが、私はそこに“人工的な”という一言を添えたい。クリスチャン・ディオールの生み出した数々のライン、そのシルエットは(女性のリラクシングなスタイルにこだわったココ・シャネルにモード界への復帰を決心させたくらいに)身体を締め付け、その周囲を取り巻くように構築的に形作られるものだった。「ディオールは女性の身体をコルセットでがっちり矯正して美しいシルエットをつくったが、バレンシアガは身体そのものを活かし、さりげないカッティング技術で、その欠点を芸術的にカモフラージュした」(シャルロット・シンクレア著、和田侑子訳『VOGUE ONクリスチャン・ディオール』、ガイアブックス、2013年)とある通り、シャネルやバレンシアガとは相反するスタンス、言うなれば身体を縛りつける形で衣服製作に取り組んできたのがクリスチャン・ディオールである。

『VOGUE ON クリスチャン・ディオール』(シャルロット・シンクレア著、和田侑子訳)

その後も、煌びやかな、豪華絢爛な建築物のごときドレスを仕立てることに邁進したジョン・ガリアーノ、常識を超えたタイトなラインを提唱しメンズウェアのシルエット基準を刷新してしまった「ディオールオム」のエディ・スリマン、そして昨今ストリート色を大胆に導入し「ナイキ」や「ステューシー」とのコラボレーションを敢行しているキム・ジョーンズ――彼の作品もまた、両立しないはずのハイとローの要素が完全に融合し、“高級で上品なストリートグラフィティ”といった語義矛盾を孕むような非現実的な世界を確立している――と続く。偉大なるデザイナー陣が夢想するイメージが人工的かつ繊細な手つきで具現化されたそれらエレガンス作品は、メゾンのアイデンティティとして脈々と息づき、時に退廃的な香りを漂わせてもいる。モード史を彩る、ロマンティックでデカダンスな衣装の数々。それはまさに、アルフレッド・ヒッチコック監督作『舞台恐怖症』でディオールをまといスクリーンに陰翳と官能を充満させ、観る者を痙攣させてきたマレーネ・ディートリッヒのごとく。

「ディオール」を主題としたストリートミュージック史上最も重要な曲

ところで、ポップミュージックのリリックに、「ディオール」はどのように扱われてきたのだろうか?古くは1977年に山口百恵が「ミス・ディオール」(『百恵白書』収録)を、モリッシーが2006年に「Christian Dior」(『In the Future When All’s Well』収録)なる曲をリリースしており、大胆にブランド名をタイトルに据えるところからもこのメゾンに対するアーティストたちからの信頼が垣間見えるが、近年のストリートミュージックの文脈だとまずはPop Smoke「Dior」を避けては通れないだろう。Black Lives Matterにおいてデモ参加者に突如歌われた本曲は、政治的メッセージを直接的には含んでいない“単なる享楽の曲として”多くの人の自由への想いを乗せ世界中に拡散されていった。2010年代後半に吹き荒れたビート革命“ブルックリン・ドリル”の盛り上がりを象徴する曲としても、ストリートミュージック史上最も重要な、「ディオール」をモチーフに作られた曲ではないだろうか。

POP SMOKE – DIOR

BAD HOPやWAY WAVEらのリリックに顕在化された、ブランドの“雑多性”という特色

一方で、前述したような「ディオール」のさまざまな喜怒哀楽からなる雑多性を阿修羅像のごとく多面的に表現するブランドの特色もリリックに顕在化している。DJ CHARI & DJ TATSUKIの「GOKU VIBES feat. Tohji,ElleTeresa,UNEDUCATED KID,Futuristic Swaver」(2020年)では「내 눈은 사륜안 /I’m rockin Dior sunglass/지금 내 모습은 스티비 원더」とサングラスへの言及がなされ、BAD HOP「Foreign」(2019年『Lift Off』収録)では「カリフォルニアウィード/DIORのキックス」とスニーカーが引用される。

DJ CHARI & DJ TATSUKI – GOKU VIBES feat. Tohji, Elle Teresa, UNEDUCATED KID & Futuristic Swaver
BAD HOP – Foreign feat. YZERR & Tiji Jojo

WAY WAVE「最高の彼氏 -the supreme man-」(2019年)の「シックなスーツでオール/リップはグロスのディオール」やchay「ハートクチュール」(2015年『ハートクチュール』収録)での「Diorのルージュでお出かけ」等、女性アーティスト曲のリリックではコスメが描かれる。

WAY WAVE – 最高の彼氏 -the supreme man-
chay – ハートクチュール

このアイテムの幅広さは、今の「ディオール」の雑多な魅力を象徴しているだろう。ゆえに、つい先日リリースされたBLACKPINK・ジスの「ディオール」グローバルアンバサダー就任のニュースは、“ファッション&ビューティー”の両部門と契約をかわしたという点が非常に興味深い。ファッションと比べるとそのヴィジュアル・アイデンティティをフェミニン~ファンシーなテイストへ寄せすぎているきらいもある「ディオール」のコスメ部門だが、フレグランスなどにも拡大しているその広大なイメージをジスの起用でどのように取りまとめていくのだろうか。

次回は、それら幅広いイメージを人工的なエレガンスで串刺ししてきたメゾンの、その特色が如実に表れている例として、一世を風靡したエディ・スリマンによる「ディオールオム」のクリエイションについて分析していきたい。一体、あの狂騒とは何だったのだろうか?2000年代最初のディケイドにおいてファッション界最大の革命だったであろう「ディオールオム」という事件について、次回no.9ではストリートミュージックとの関係を紐解きながら、改めて見つめ直してみよう。

Illustration AUTO MOAI

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