連載:目は口ほどに物を言う。写真は言語ほどに伝達する Archives - TOKION https://tokion.jp/tag/連載:目は口ほどに物を言う。写真は言語ほどに/ Wed, 11 May 2022 14:58:51 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.3.2 https://image.tokion.jp/wp-content/uploads/2020/06/cropped-logo-square-nb-32x32.png 連載:目は口ほどに物を言う。写真は言語ほどに伝達する Archives - TOKION https://tokion.jp/tag/連載:目は口ほどに物を言う。写真は言語ほどに/ 32 32 目は口ほどにものをいう。写真は言語ほどに伝達する――起きてハグをしたら朝食を食べるのが当たり前のように、スケートを撮り、スケートに描くアーティスト、マイク・ケルシュナー https://tokion.jp/2022/05/11/mike-kershnar/ Wed, 11 May 2022 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=113731 今春は雨が多く屋外でのペイントワークではかなり泣かされた。今回登場のマイクも屋外でペイントするアーティスト。それもカリフォルニアの100点の青空を味方につけたアーティスト。

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すぐそばにスケートボードとドローイングセットがある日常。首にぶらさげたカメラ。iPhoneのアドレス帳。滑って、描いて、撮る。それからアドレス帳とにらめっこしながらスケートエディター達にできたてホヤホヤのアーティクルを送る。このページになるまでのスキのないクイックなルーティンが彼のスタイルでエネルギー。それでいてテーマや題材は、ローマは1日にしてならずな濃厚なネタばかり。

アーティスト、マイク・ケルシュナーは、フィルムで写真を撮り、ペンを握って絵を描き、そして飽くことなく文字をタイプする。その創作欲求は、1週間が7日間では足りないほどだ。1日24時間分からはみ出したエネルギーで、彼だけの8日目を作り出してしまうのではないかと、私は思っている。一番の強みは、スケートデッキに乗り込んで、それに搭載できるだけのツールさえあれば、彼はどこででもエネルギーをカタチにすることができること。

彼は、このスタイルからして、間違いなくこれまでスケートシーンにいなかったタイプのアーティストの1人だろう。個性的なものをつくり、残す。その片鱗を少し紹介したい。

彼との出会い

まずマイク・ケルシュナーは、これまでも、そしてこれからも、何があってもスケーターだ。例えば、世界中でカナディアン・メイプルの伐採が禁じられたとしても、彼はリメイクしたプライウッドのスケートデッキを乗り継いでプッシングするだろう。そんな彼は、カリフォルニアのアーバインを拠点に、スケート・ワイルド(スケート、自然、アートを通じて若者を支援する組織)のファウンダーの1人。

私は、スケボーマガジンの編集者兼発行人として、これまでに数多くの個性が強いスタッフと交流してきた。その中でもマイクの印象は強い。強くて、良いイメージを持っている。

初めての交流は、ある時、突然にやってきた彼のメールだった。20年以上もスケボーメディアをやっていれば、そういったアプローチはいくらでもある。珍しいことではない。それに、その人が撮った写真やアートワーク、それに書いた文面を見れば、私としてではなく『Sb』(私が発行し続けているスケボーマガジン『Sb Skateboard Journal』)として、一緒におもしろいページをつくることができるかどうかを感じとることができるものだ。
「マイクと何かやりたい」。私はすぐに返事を書いた。そして新しい『Sb』で、すぐに彼の記事がページを飾ったのだった。それからがおもしろくて、マイクは、半年に1度のスパンで発行されている『Sb』にもかかわらず、どんどんとアーティクルを送ってきてくれる。それを採用するのもしないのも、こちらの感度次第だ。しかし、マイクはそんなことも百も承知で、どんどん新しいできごとに取り組み、撮り、描き、書いてくる。このとどまることを知らない彼のエネルギーに、私はとても刺激を受けている。いつしか私自身も影響を受けて、他の仕事やプライベートなものもので、書く量も回数もどんどん増えている。

いくつになっても、どれだけキャリアを積んできても、こうして新しい刺激で成長させてくれる才能や存在は、貴重である。マイクとの交流は、『Sb』とそれを楽しんでくれる読者にとってだけでなく、私にとっても財産なのだ。

プロとしてのキャリアをスタートさせるきっかけ

カリフォルニア州オレンジカウンティで育った、マイク・ケルシュナー。生粋のカリフォニアンである彼は、ティーンの頃からドローイングやペインティングが好きなだったようだ。スケートイベントでよく催されていたライヴペインティングで頭角を現していった。

転機は2つ。1つは、とあるコンテストで、エド・テンプルトンと隣り合わせになったこと。これをきっかけにして、彼がボスを務めるメジャーデッキブランド「トイマシン」で、スケートボードグラフィックをやるチャンスを得た。これがアーティストとしてのマイクのキャリアにつながっていった。

そして、もう1つ。それはフォトグラファーとして。それまでのシーンでは、写真撮影はたいていブライアン・ゲーバーマンら大物が担当していた。そんな中で、ジョー・ブルック(本連載にも登場してる)が、彼の愛車ビッグブルーでの撮影に連れて行ってくれて、マイクに写真撮影をするチャンスを作ってくれたのだった。

その時のジョー・ブルックの言葉が強く残っているという。
「アーティスト仲間のマイクだよ。よかったら、プロスケーターの君達を撮影させてほしい」。
そう言って紹介してくれたという。だからマイクは、いろんなスケートチームに出会い、撮影するチャンスを得た。ジョー・ブルックはナイスガイだと、以前に私も書いたが、本当に彼はチャンスを平等に与え、偉ぶることなく、人と人とを橋渡しする達人だ。

こうして、マイクは、エド・テンプルトンを手本に、ヴィジュアル・アーティストやスケーターとして、そしてジョー・ブルックを手本に、フィルムフォトグラファーとして活動を続けてきた。

いつまでも変わらない本質

マイク・ケルシュナーの足跡。作ってきたもの、描いてきたものは、とにかく膨大な量がある。アーティストや映画監督などは、多作タイプとそうでないタイプに分かれるが、マイクは間違いなく前者だ。
彼の膨大な作品数の最大公約数は、“スケートにずっと関わっているけれど、描く絵はスケートについてではない”ということだろうか。彼の作品のトピックは、スケートではなく北アメリカの野生動物について知ってもらうことだ。この地で人間と共存する生き物達。

小さい頃からゾウやキリン、ライオン、パンダなどの神話によく触れていたという彼が、その中でも一番興味を持ったのは、近くに生息する動物だった。コヨーテ、マウンテン・ライオン、アライグマ、ボブキャット、カエル、ガラガラヘビ、フクロウ、アオサギ、ミサゴ、そしてカリフォルニアの州旗にもなっている、絶滅寸前のクマ。そういったものに、想像をかき立てられたという。だから、マイクの作品からは、常に自然の中で生きていることを感じられるのだろう。

どことなくインディアンのネイティブプリントをほうふつさせる象徴的な彼のタッチ。そのキャンバスにスケートデッキやスケートセクションを選んだのが、スケートでプッシュし続けるマイクらしさと言えるだろう。

今後のヴィジョン

コロナ禍が落ち着いたならば、マイク・ケルシュナーは、アーティストとしての旅をまた広げていくことだろう。彼も自覚しているのは、スケーターとしてのスキルのピークは20代だということ。ステアの数を競いハンマートリックで魅せるならば、それはより若い時がベストだろう。しかし、創作活動は年を取るほどに成長していくものだ。

例えば、描き方や色使いにより自信がついていく。それを念頭に、マイク・ケルシュナーは、今後はさらに北アメリカの野生動物について探求しつつ、世界の多様な文化と神話も学びたいという。そう、世界各地の野生動物やそれにまつわる神話を探す旅を広げるのだ。もし、日本に行けるなら、ポンポコなタヌキをリアルサイズで描いたり、ローカルのスケーターをフィルムで撮影したいという。

ちなみに、マイク・ケルシュナーというのが名前だが、私は普段、彼のことを、ハスキー・ラウンドアップと呼んでいる。なぜかって。それは、彼のインスタアカウント名が、そうだからだ。
それには理由があって、かつてキヨミという名前のシベリアンハスキーと一緒に育った彼は、それからハスキー犬が大好きになったという。そして、ある日、サンフランシスコのストリートで見かけたハスキーをなでながら、その飼い主と話をしていた時、第3土曜日はデュボース・パークでサンフランシスコ中のハスキーが集合することを知った。それで、彼は「わあ、Husky Round Up!(=「集まれハスキー!」みたいなニュアンス) イヤッホー!」と、カウボーイが牛を呼ぶような反応をしたのだという。その語呂の良さ、イントネーションが気に入って、さらには草原でハスキーが自由にはね回っているのを想像したマイクは、これこそが自分のヴァイブスだと確信したのだった。それから、ハスキー・ラウンドアップという名でインスタグラムを始めたらしい。アーティストとしてのマイク・ケルシュナーの快進撃は、とどまることがない。彼の創作エネルギーの解放活動に終わりはない。
『Sb』マガジンと私は、昨日もちょうど彼の新しいアーティクルを受け取ったばかりだ。

マイク・ケルシュナー
アーティスト。スケートボードマガジン『THRASHER』のアートワークをはじめ、さまざまなスケートメディアでアーティクルを発表し続けているのと並行し、「ベイカー」「アンタイヒーロー」など、人気スケートブランドや「FAT」「ボルコム」といったストリートブランドや、ビースティ・ボーイズといったアーティストのビジュアルアートを手掛けている。また世界各地のD.I.Y.パークのセクションにグラフィックを描き続けている。
Instagram:@huskyroundup

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目は口ほどにものをいう。写真は言語ほどに伝達する――ひたすらプッシュするようにシャッターを切るジョナサン・レンチュラー https://tokion.jp/2022/01/02/jonathan-rentschler/ Sun, 02 Jan 2022 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=82889 フィラデルフィアをはじめとして、ニューヨークなどといった、イーストコーストのストリートシーンを記録し続けているフォトグラファーのジョナサン・レンチュラー。彼が撮り続けている写真と本人について。

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ハンマーでスタントなトリックだけがスケートボードじゃない。心地の良いカーブボックスにひたすらテクニカルなスタイルを刻印するのも、それを眺めながらマイメンとチルスケするのも、スケートボードのおもしろさ。伝説のスケビ(=スケートボードビデオ)『イースタンエクスポージャー』シリーズや『MIX TAPE』に、映画『KIDS』など、イーストコーストの大きな街でクリエイティブするスケートボードをかたどったものたち。それは東京のシーンにも通じるところがある。そして、その1つに、ジョナサン・レンチュラーの作品『LOVE』も加えておきたい。

ジョナサン・レンチュラーは、フィラデルフィアをはじめとして、ニューヨークなどといった、イーストコーストのストリートシーンを記録し続けているフォトグラファーだ。彼が撮るモノクローム写真によるキアロスクーロ(明暗のコントラスト)は、刹那的なストリートスポットの盛衰を見事に映し出している。
彼が撮ってきた価値のあるテクニカルなスケートの複合トリック写真と同じくらいに、彼が撮りためてきた、その時にそこにいたひとびとのポートレートがまたいい。トリックをしていなくても、それはスケート写真だと言ってもいい。

フィラデルフィアのプラザ・スケート

ジョナサン・レンチュラー。フォトグラファーとしての彼のもっとも有名な作品は、パラダイム出版からリリースされた176ページ全編モノクロームの写真集『LOVE』(2017)だろう。
これは、フィラデルフィアにあったアイコニックなプラザ・スケートの主人公たちを写し出したものだ。この街にやってきた多くのスケーター達に、社会規範に囚われない公園の住人達。時には、公園から締め出そうとする、マーベルコミックでいうところのレッドスカルのようなポリスマンでさえ主人公のように写っている。そこがいい。

ジョナサンのポートレートやスナップは、スケート写真のトリックをメイクしたグラビアのように、ラブでプラザな写真という彼の世界の中で、躍動的あり、必ず何かをしている。
叫んでいる。喋っている。怒っている。笑っている。スケートしている。キックアウトしている。戦っている。抵抗している。スモークしている。夢見ている……。ジョナサンは、ひたすらラブパークでそのような写真を撮ってきた。
公園の住人達からしたら、ジョナサンやスケーター達のほうがよっぽど、いつもそこにいる住人のようだったに違いない。ちなみにプラザ・スケートというのは、プッシュフリーな広場に、ベンチやステアに配されたコンクリートや大理石の縁石やレッジがある公園でスケートすることをいう。

スケートパークではなく、もともとあった公園をスケーターも共有していくこと。共有というのが大切で、決して市民の公園を、市民の1人でもあるスケーターが奪ってしまったわけではない。無秩序に荒廃させたわけでもない。どちらかというと、見向きもされず荒廃しかけた場所に違う角度の光を当てたというほうが近い。ただ、こっちサイドから見たら、心地よいウィールやテールを弾く音が響き、空いているベンチはただのオブジェで終わらせることなくカーブボックスへと有効活用しているスケートボード。逆サイドからは、ノイジーでけたたましい騒音で市民のための憩いのベンチを破壊しているスケートボード。そういう図式になってしまっているのかもしれない。ただ、ラブパークの存亡物語には間に合わなかったが、この価値観や視線の違いは、ようやくオリンピックとビッグマネーが雪解けを促し始めている。コンテスト会場がまさにプラザの残像だ。それが、まさにスケート新世紀の光だとするならば、ジョナサン・レンチュラーの写真集『LOVE』は、誰かの資本に頼らずにプラザ・スケートのカルチャーを世界的に知らしめたフィラデルフィアのラブパークの光だ。
モノクロームで、ゴールドではないけれど、美しい。そして、生々しくて眩しい。

東京でのジョナサン・レンチュラー

ジョナサン・レンチュラーは日本を訪れ、東京で個展を開催したことがある。時期はコロナ禍直前の冬だった。
ホテルの部屋の壁をすみずみまでジャックした展示写真。写真展があるのは知っていたけれど、私にそこに行こうと思わせた決定的なこと。それは、展示写真の中の被写体の1枚になっていた、パリの写真家バンジャマンから、「セン(私)とジョナサンは、『Sb』(私が発行し続けているスケボーマガジン『Sb Skateboard Journal』)で何かページを作れるはずだから、会ったらいいと思う」というメールが送られてきたからだった。いわば、バンジャマンにマッチングアプリのように遠隔操作されたのだった。バンジャマンは、このコラムでは第2回で取り上げたパイセン・フォトグラファー。そのコラムでも触れたが、彼はその審美眼やスタイルによりこちらのメンターにもなっている。だから、会わない手はないと思った。少なくとも、ジョナサン・レンチュラーの写真集『LOVE』は前から気になっていたから、それを実際に見にいくチャンスだった。

その写真展のシンボリックな写真。それはポスタライズな覆面男のポートレート。取り締まり、バリケードを作った行政への抵抗勢力の象徴だろうか。しかし、厳つい、怖い、ミステリアス、銀行強盗など、マスクマンに対するあらゆる予備知識を吹き飛ばした、カッコいい写真だった。その写真に魅入ってしまった。
ということで、最初から引きこまれてしまったので、ジョナサン・レンチュラーの(スケートトリックではないスケートの)写真で『Sb』は、特集(ヘッドライン)を組むことにした。ちなみにラブパークの写真は、すでに撮影から6年以上たつ写真が多い。でもジョナサンは、自分のアーカイブに出てくる馴染みの顔ぶれと彼らの友情というものを、このパークがなくなる前にその存在を残したかったに違いない。

彼のモノクロームの光と影は、大事なことを伝えてくれる。それは何か。ややもすると、ただの空っぽで退屈なプラザに過ぎなかった場所が、そこに集ってきた歴史的なスケーターと、そこに住み着くひとびとが、実はパークに命をもたらしていたということではないか。
ラブパークが取り壊されたあと、ジョナサン・レンチュラーはフィラデルフィアを離れて、ニューヨークに引っ越した。そして東京にふらりとやってきた。といっても、『Sb』なんかよりも先に、彼の写真やスタイルの素晴らしさに共鳴し、ちゃんと彼をフックアップしたひとびとが東京にいた。その中には、東京にあるギャラリーであり、本屋でもあり、出版社でもある「ソルト アンド ペッパー」もあって、彼らは、ジョナサン・レンチュラーとコラボし、『Remembering The Future』と『Be There Soon』という2冊のフォトブックを出版している。そして、神戸のスケートショップ「シェルター」のオーナーで、ラブパークが隆盛を誇った1990年代からストリートでバリバリ滑ってきた入潮正行も、ジョナサンとは密接につながっている。アメリカのイーストコーストだろうが極東の東京だろうが、ストリート案件はスケーターの審美眼とコミュニケーション能力とネットワークが一番有効だ。そして、ジョナサンは東京と非常に相性がいい。
ジョナサンのモノクロームの写真と、大都会の煩雑な路地をぬってゆくスケーターの相性は抜群だと思う。

写真はどれもこれも同じじゃない

「もっとゆっくりちゃんと見ろ」「どれも似たような写真じゃないか」。
これは、映画『スモーク』の中で、ハーヴェイ・カイテル演じるタバコ屋の主人、オーギー・レンとウィリアム・ハート演じる作家ポール・ベンジャミンの会話だ。オーギーは、定点観測のように毎朝8時に同じ場所でモノクロームのスナップを1枚ずつ撮ってきた。気付くと10年以上の膨大なアーカイブになっていた。作家のポールは、それをゆっくりと見直していく。そして、ただ1人、ポールだけにピンポイントで突き刺さる1枚に出くわす。ジョナサン・レンチュラーのモノクロームの写真には、個人的には、そんな映画のようなできごとがちりばめられていると思っている。
今はあまり見なくなったスケーターが写っていたり、ラブパークに憧れてフィラデルフィアにやってきてフロリダに去っていった友人が写っていたり。もしかしたらポートレートに収まるホームレスは、誰かの尋ね人なのかもしれない。取り締まっている緊張した顔のポリスマンを見て、おばあさんが自分の孫が立派に働いていると誇るかもしれない。映画『スモーク』では、それがブルックリンのプロスペクト・パークのストリートだったが、ジョナサン・レンチュラーの場合は、ラブパークだったり、ニューヨークのストリートだったりしたのだ。オーギーの写真も、ジョナサンの写真も、ロケーションは常にストリートやプラザで、色はモノクロームだ。それをアーカイブしたり写真集のように1冊にまとめたりすると、その量が多ければ多いほど、パラパラとめくっていきがちだ。あるリズムが生まれるのは避けられない。最初はそれでいい。そして、もう一度、ゆっくりと写真を1枚1枚、時間をかけて見ていくと発見がある。
良いことも悪いことも嬉しいことも悲しいこともある。全部モノクロームだけれど、写真はどれもこれも同じじゃない。

東京の個展で、膨大な写真をゆっくりゆっくり見ていった。すると壁の下のほうに、貼られた1枚のポートレートを見つけた。それは、パリジャンのバンジャマンだった。その写真は、2011年の夏のものかもしれない。ちょうどその直前、パリでバンジャマンと会っていたのを思い出す。彼は、マーク・ゴンザレスと一緒に作った作品集『レ・サークル』をリリースしたばかりだった。B0サイズのオリジナルプリント(その上にマーク・ゴンザレスがアートワークを手描きしている)を彼のアパートメントで見せてもらっていた時、明日からイーストコーストに行くんだと言っていた。ニューヨークの書店で、マーク・ゴンザレスとサイン会をして、その後、イーストコーストで写真を撮ってくると言っていた気がする。それで、ジョナサンと遭遇したのではないかと想像した。持病の進行やコロナ禍もあって、バンジャマンがイーストコーストに行けなくなってひさしい。しかし、彼はあの頃に撮った写真と、さらに以前に撮った写真をまとめて1冊の旅的な写真集をリリースしようとしている。意欲的だ。ジョナサンの写真展で、そんなバンジャマンのポートレートを見つけた時、彼が「東京のジョナサンの写真展に行って、俺を見つけて来いよ」とメールしてきたのだとわかって、笑ってしまった。

ラブパークは、ジョナサン達の嘆願活動のかいもなく、悲しいかな、リニューアルされてしまったが、それらに紛れてバンジャマンのポートレートを見て、悲しいよりおかしくて笑いが止まらなかった。やっぱりスケーターの写真はいい。記録装置なのに、止まらないでずっとプッシュしている。何があっても進んでいく感じがする。ジョナサン・レンチュラーの写真もまたそういう写真だ。

ジョナサン・レンチュラー
フォトグラファー。ニューヨーク在住の写真家で映像作家。代表作は、パラダイム出版からリリースされた今はなき、フィラデルフィアが世界に誇ったプラザ・スケートの聖地ラブパークの編年史を収録した写真集『LOVE』(2017)。その他に『Nowhere To Go From Here』(2019)、『Copper』(2019)、『Untitled』(2020)、『Dill』(2020)といった数多くのD.I.Y.なマガジンの制作を続ける。そのかたわら、東京にあるギャラリーで本屋で出版社でもある「ソルト アンド ペッパー」とコラボレーションし、『Remembering The Future』と『Be There Soon』という2冊のフォトブックを出版している。
Instagram:@eurojon

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目は口ほどにものをいう。写真は言語ほどに伝達する――温故知新? サイアノタイプのとりこになったケビン・メタリエ https://tokion.jp/2021/11/30/kevin-metallier/ Tue, 30 Nov 2021 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=78851 世界中を飛び回り、スケートボードとサーフィンを撮り続けるジャーナリストのケビン・メタリエ。彼はなぜ、サイアノタイプ(青写真)に魅せられたのか。

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19世紀の現像方法、サイアノタイプ(青写真、日光写真のこと)。この手の写真は、写実的な要素が最終的なイメージの良しあしを決める。そう、ミニマリストな写真が、詩的な要素を醸し出す。それはちょうど、スケートボードが本来持っているユニークで想像を超えた動きと、サイアノタイプのプロセスが生み出す予期しない青色加減のコンビネーションにもピタッとくる。これまでになかった(古いやり方なんだけれど)新しいスケートボードの写真が生まれた。

サイアノタイプに魅せられたのは、ゴージャスな波にブロンドの長髪をなびかせてグライドするジャーナリストのケビン・メタリエ。彼は、リック・ハワードのような長身と立派な手足でスケートボードをプッシュしたり、カメラのシャッターを切ったりする。そして、綿密さとは真逆の粗いダートな道のようなテキストを書く。それらはどちらかというと、クリエイティブやアートワークを担うというより、プレイヤーであるほうがしっくりきそうである。こう言ったら失礼かもしれないが、本人を知っている者からすると、顔に似合わない美しい写真を撮ってきた彼が、さらにまさかの、手間がかかる手法で繊細な青写真を復活させたのだ。今回は、ケビン・メタリエを紹介したい。

古きを温め新しきを知る

温故知新ということわざは、ケビン・メタリエが現在取り組んでいる写真活動にしっくりくる。
写真技術が発明されたのは、1839年、産業革命真っ最中のイギリスでのことだった。それから3年後の1842年に確立された現像方法がある。それが、サイアノタイプという青写真で仕上げるやり方だ。

10年ほど前に初めてケビン・メタリエに会った時のことを思い出す。ヨーロッパのスケートマガジンの仕事で来日していた彼は、突然、私の前に現れて、取材させてほしいと言った。極東の島国でスケートマガジンを作り続けていることに興味を持ったようだった。その時の彼は、重そうなカメラバッグを担ぎ、一眼レフのデジタルカメラを肩にかけていたように思う。よく喋り、よく笑い、私達はすぐに打ち解け、そして私は彼の人柄やペースがとても好きになった。

その後、彼が世界中を旅してジャーナルしてきた写真を使って、私が発行し続けている『Sb Skateboard Journal』で特集をした。その時の写真はフルカラーでコントラストが効いた、あえて固いか柔らかいかと言えば、固い感じだった。それはカチッとしていて、ぺージ映えも良かった。今書いてて気付いたけれど、当時から今に至るまで、現像やプロセスは違っても、彼はヨコイチの写真を好んでいる。そんなケビンが、取りつかれてしまったのが、19世紀のレガシー(遺産)のサイアノタイプ。

19世紀といえば、スケートボードなんて存在していない(サーフボードは、ハワイのカメハメハのひとびとが、その起源的なものを生み出していたかもしれない)。当時の被写体といえば、貴族の肖像や教会や田園風景だったのだろうか。ケビンは、その古きプロセスの上に、まったく新しい概念、スケートボードやサーフィンを加えていったのだ。今は、ヒマさえあれば、サイアノタイプのためにそぎ落とした写実的なスケートやサーフィンの写真を撮り、そのネガを抱えて暗室で現像している。それが楽しくて仕方がないそうだ。これほどまでにハマったのには何か特別な理由があったのだろうか。それがそうでもないらしい。

もともと彼は、写真をやりだした25年前から暗室にこもって、いろいろな現像プロセスを試していた。どちらかというと、メガピクセルな性能の世界は好きではなかった。それよりも、わずかに情報やイメージを醸し出すだけの青写真のような表現がグッとくるのだった。そして、このグッとくる1枚を仕上げるまで、何回も何十回もやり直すのがまた楽しいらしい。撮って、はい終わり。ではなく、とても手間がかかり骨が折れる作業。失敗すら楽しみ、そのうちに思いもよらない素晴らしい青色が印画紙に浮かび上がる。この瞬間がたまらないらしい。良い意味で変態的。凝り性はゴールが遠くなってしまうけれど、いつかやってくるゴールはとてつもないものになる。確かに、彼のスケート青写真は唯一無二だ。

一見、ノリのいいガサツなあんちゃん

ケビンに、このサイアノタイプの現像による青色について聞いてみた。すると、なかなかロマンチックな答えが返ってきた。

「深い青は男を永遠に魅了し続ける。それは純潔への欲望と、超自然への渇きを呼び起こさせるのさ」。
そして、古い作家の一文を引用しながら、こう続けた。
「青という色は、海と空の一部であり、旅と新鮮さも呼び起こす。さらに知恵と深さは同義語である。いろいろな青達は青写真の魂であり、エッセンスである」。

私は、どうしても初めて会った時の彼の印象を消し去りたくないらしい。背が高くてアグレッシブな行動規範とコミュニケーション能力。スケートと同じくらい波乗りにも魅せられた男らしく、無精に伸びた長髪をかきむしるしぐさ。そして、母国語のフランス語をグーグル翻訳にかけたような英語のテキスト。そのくせ美しい写真。それがガサツというかワイルドな魅力だった。

その彼が、実は途方もなく骨が折れる、だけどミニマムで、わかる人にしかわからないような青写真の深淵にこだわりまくっている。この良い意味でのギャップというか違和感がたまらなかった。さらに追い討ちをかけるように、スケートボードという比較的新しいカルチャーを、この由緒正しい古典的なプロセスで記録する、作品にするというギャップ超え。

ハッセルブラッドのウルトラフィッシュアイからパノラマレンズ。ラジオスレイブを駆使した日中シンクロ。ネガフィルムからデジタルへの移行による無限のシークエンス。そしてレタッチ……。さまざまなスケート写真のアプローチが発明されてきた中で、この温故知新な青写真は、未だかつて誰もやっていないアプローチ。刹那的で、多様性に優れた適応力を発揮するスケートにおいても、ケビンがしでかしてくれたものは大きい。ケビンよ、許してくれ。君はガサツなあんちゃんなんかじゃない。とてつもなく、くるおしいくらいいかした、こだわりのフォトグラファーだ。私は、君の青写真をこうして紹介できることをとても嬉しく思っている。

スケートボードでもなくサーフボードでもなく

ケビン・メタリエは、世界中を旅してきた。
この地球上でワイルドな波が立つところには必ずボードとカメラを持って行き、その道中のストリートでは、スケート的スポットをシーク(探す)し続けてきた。だから、実際に彼の写真は、ヨーロッパのスケボーマガジンやサーフマガジンのページを作ってきた。プロサーファーのシェーン・ドリアンが主演して話題になった映画、『イン・ゴッズ・ハンズ』に出てくる、旅するサーフィン・ジャーナリストとなんとなく雰囲気がかぶるところもある。そういう一面がある一方で、今回は彼のより職人的な部分が垣間見られる、サイアノタイプの青写真を紹介した。

実は、その他にもまだ彼の写真には魅力があって、それは女性を被写体にした写真がまたすてきだったりする。

この撮影プロセスは、ピントが重要なポイントの1つになるスケートのトリック写真と違う。ましてや、もっと情報を排除した詩的な青写真とも違う。彼のこの一面ではまだ一緒に仕事をしたことがないのだけれど、いつかページを一緒に作れたらいいなと思っている。

これまでにこのコラムで紹介してきたフォトグラファー達のすべてを隅々までわかっているなんて言う気はさらさらない。わかるわけがない。ただ、長年、彼らとやりとりをしてきて、それとなく最大公約数的なものがあったりする。
例えば、スケートボード写真を撮る。アナログフィルムをこよなく愛している。旅そのものも愛している。そして、コンクリートや大理石がひしめく大都市で暮らしている。
ケビンは、スケートだけでなく海に入ってサーフィンの写真も撮るし(そうなるとカメラのセッティングなどがまるっきり変わってくる)、メタリックな大都市というよりは、メトロから離れた風光明媚なビーチタウンに住んでいる。そのような機微が、私の中でケビン・メタリエを特別にしているのかもしれない。そして、突拍子もないことを言うと思われるだろうが、映画『紅の豚』でのフィオ・ピッコロ嬢のセリフを思い出す。

「小さい時から飛行艇乗りの話を聞いて育ってきたの。飛行艇乗りの連中ほど気持ちのいい男達はいないって、おじいちゃんはいつも言ってたわ。それは海と空の両方がやつらの心を洗うからだって。だから飛行艇乗りは、船乗りよりも勇敢で陸の飛行機乗りより誇り高いんだって」。

この後、空賊のマンマユートのボスが大きくうなずくのだけれど、私はケビンを想像してうなずいている。ストリート(青い空)とビーチ(青い海)の両方に精通し、その両方を旅して回り写真を撮る彼だからこその青い色がある。だから、ケビン・メタリエのサイアノタイプはおもしろい、と思う。

ケビン・メタリエ
15年以上、世界中を駆け回っているスケートボード、サーフィンのジャーナリスト、フォトグラファー。活動拠点は、フランス南西部のバスク地方にある美しい街、ビアリッツ。ここは、19世紀頃からヨーロッパの王族や貴族のリゾート地して名高い、そして、現代ではヨーロッパ随一のサーフスポットとして知られている。旅をしていない時は、ケビンはここで暗室にひきこもり、スケートボードやサーフィンといった被写体を19世紀の現像法(サイアノタイプ)によって青写真に仕上げることに没頭している。
https://www.kevinmetallier.com/
Instagram:@kevinmetallier

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目は口ほどに物を言う。写真は言語ほどに伝達する――フットボール熱病大国のスケートボーダーなドミニク・マーレー https://tokion.jp/2021/10/03/dominic-marley/ Sun, 03 Oct 2021 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=60147 ドミニク・マーレーは、ロンドンでスケートボーダーもフットボーラーも記録してきたフォトグラファー。ニック・ジェンセン、ルシアン・クラークなど、彼によって東京でもよく知られるようになったスケートボーダーは多い。今回は通称、ドムとその写真のことを紹介したい。

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プレミアリーグだけじゃない。3部どころか4部だろうが、もっと下部リーグでもおらが町のヒーローは、フットボーラーに決まってる。2020年ユーロでも沸いたロンドン。実は、スケートボードも熱い。かつての「ブループリント」や「ヘロイン スケートボード」に始まり、今では「パレス スケートボーズ」といった、スケートインダストリーが台頭している。

ドミニク・マーレーは、その地でスケートボーダーもフットボーラーも記録してきたフォトグラファーだ。ニック・ジェンセン、ルシアン・クラークなど、彼によって日本でもよく知られるようになったスケートボーダーは多い。だから、今度はその張本人、ドムのことをみんなに紹介したい。

ドムとの10年以上続いているやりとりにおいて、とても印象的なこと。それは、普通はあたりまえでないと困ることなんだけれど、締め切りを絶対に守ること。原稿だって、写真だって、絶対に落とさない。締め切りの日付変更線をまたいだことがない。モノクロームな写真。被写体の多彩さ。そこには無言の誠実さがいつも漂っている気がする。

彼が撮影する被写体について

生まれも育ちもロンドンの生粋のロンドナー、ドミニク・マーレー。通称、ドム。彼が、フーリガンとストリートヘッズとパンクロックなどで騒々しいロンドンで頭角を現していったのは、フォトグラファーとしてだった。

ヨーロッパのスケートボードメジャー誌『キングピン』では、スタッフフォトグラファーとして、以前にこのコラムで紹介したパリのフォトグラファー、バンジャマンとデスクを並べていた。現在は、人気ブランドの「パレス スケートボーズ」や「ナイキ」のホットボーラーのビジュアルなどを手掛けている。その中でも記憶に新しいのは、「パレス スケートボーズ」とドイツ、メルセデスベンツとのコラボレーション。ルマンやF1などでかつて見たような本格的なレーシングサーキットでの写真。スケーターがストリートでバンクを使ってメイクするのとは別規格のデカイRがついたサーキットのバンクでの撮影。4つのタイヤつながりで、行くところまで行った感じがして、痛快だった。

その他には、動物のポートレートの写真も印象的だ。それはサバンナやジャングルで撮るものではない。動物園で撮るものでもない。あえて言うならば、ドムのセットを背景にした動物達の記念写真という感じ。それらを見て思ったのは、彼のやり方で、私が大好きなパンダをどうにかして撮影できないだろうかということ。そんなことを考えていたら、ドムのほうからアプローチがあった。
「一緒にパンダの本を作りたい。いつかこのコンセプトでやってみようじゃないか」。
お互いスケートシーンに長くいて、いくつかの特集を一緒に組んでやってきた。その中で、パンダが好きなスケートメディアの人間は、私とドムくらいかもしれない。私はパンダもスケートボードも好きだし、ドムの写真も好きだ。だから、この偶然を生かしたいと思っている。

彼のモノクローム写真について

ドムの写真はカラーもいいけれど、モノクロームの写真がまたいい。ロンドンの裏路地のラフな感じがよく出ていると思う。

以前に私が発行し続けている『Sb Skateboard Journal』というスケボーマガジンで、彼の特集を組んだ時、全編モノクロームの写真で構成することにした。モノクロといっても、いろいろあって、光と陰のコントラストや濃淡でグッとくるものがあったり、ドムのように(とくにドムの古いアーカイブの写真などは)もともとその路地には色がなかったのではないだろうかと思えてくる世界観があったりする。昔のサイレント映画を観た時に錯覚するのと似ているかもしれない(ああ、20世紀以前は街全体がモノクロだったんだなぁ、と)。

それがまたパンクロックとかスペシャルズとかのロンドンなイメージと、(勝手にだけれど)妙にだぶってくる。そんなドムが現在、全編モノクロームの写真集を制作中らしい。これはぜひ見たい。付け加えるなら、白と黒のパンダも、ドムだったらあえてモノクロームで撮影してプリントしてもいいかもしれない。おもしろい、と思うのは私だけだろうか。

彼がまた東京にやって来たら

たまに思う。ドムが東京を撮ったら、やっぱりそれは「ザ・東京」って感じになるのだろうか。それとも、ロンドンの路地のように写っているのだろうか。東京らしいネオンやガチャガチャした落ち着きのない色を排した、彼のモノクローム写真がどんな風になるのか。興味深い。

以前に紹介したバンジャマンやジャイ、デニスなんかもそうだけど、彼らは、思ったままに東京の一部を切り撮る(切り取る)からおもしろい。狙ったりしていないというか、欲張らないというか。

30年ほど前に、たまたま見たナン・ゴールディンの東京の写真を思い出す。地下鉄の駅のプラットホーム。タバコに火をつけようとしているリーゼントのあんちゃん(当時はホームで喫煙できた!)。当時の私には見慣れた光景。たいしたことのない瞬間。だけど、グッと来た。カッコつけたあんちゃんがおもしろかった。私は、すごい偶然を経て、それから7年後にはそのフルカラーの実際のあんちゃんと友達になっていた。真っ先にその写真の話をした。ドムと世界的名声を得ているナン・ゴールディンを比較する必要はまったくないはずなのだけれど、ドムはきっとおもしろいモノクロ写真を撮るはずだ。

今はまだコロナ禍だけれども、彼が来日するのが先か、パンダがたくさんいる中国四川省で落ち合うのが先か。それともロンドンの裏路地か。ぶっちゃけどこでもいいから、ドムと撮影に出掛けるのを今か今かと楽しみにしている。
本当は2020年にロンドンで会うはずだった。それもこれもコロナのせい。そして、こんな時代だからこそ、そろそろ次なる才能達が世界に名を馳せるチャンスがやってきていると思ってもいる。

ドミニク・マーレー
フォトグラファー。スケーターで素敵ダッドでウィークエンドには波乗りも楽しむロンドナー。スケートボードはもちろんのこと、ファッションシュートに動物写真も数多く発表している。現在は、今や世界有数のスケートボードインダストリーのメッカになったロンドンをアーカイブした写真集を制作中。
https://www.dominicmarley.com/
Instagram:@dominic_marley

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目は口ほどにものをいう。写真は言語ほどに伝達する――スケートの世界的トピックを記録する写真家、ジョー・ブルック https://tokion.jp/2021/05/29/joe-brook/ Sat, 29 May 2021 06:00:53 +0000 https://tokion.jp/?p=34506 世界的スケートボードマガジン『THRASHER』で、長年活躍してきた、ジョー・ブルック。フィルムとデジタルカメラを使い、スケートボードと旅をこよなく愛するフォトグラファー。彼は、いついかなる時も笑顔を絶やさずに写真家人生をポジティブに楽しんでいるナイスガイだ。

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ジョー・ブルックは、よく喋りよく笑う。そして、いつだって肩からカメラをぶら下げていて、カメラをのぞき込んでいる。写真家はたいがいそういうキャラクターかもしれない。個人的にはその象徴は、映画『あの頃ペニーレインと』の主人公、ロック・ジャーナリストのウィリアムに、写真集『Early Color』のニューヨークの写真家、ソール・ライター、そして、このジョー・ブルックだ。
カメラがよく似合うと思う。そういう人物に出会うと、なぜかそれだけで嬉しくなる。そういえば、『あの頃ペニーレインと』には、ジョーが憧れたスケーターの1人、ジェイソン・リーも出演している。

カメラの過渡期にいた世代はフィルムとデジタルを楽しむ

デジタルカメラはとても便利だ。それはスケートボード写真では、より実感できる。スケートデッキの回り方やトリックのカタチ、スケーターのスタイルといった、スケートボードの写真として、写っていないといけないものがちゃんと写っているかどうかを現場ですぐに確認できるから。当然、ピントやライティングについても確認できる。そして、複合トリックのためにシークエンス(連続)で撮らないといけないもの、なおかつ複合トリックという難易度の高いものだから、より多くのトライ(シャッターを切る)を必要とするものでも、感材費を気にしなくていい。いくらでも撮ることができる。

しかし、1990年代はそうはいかなかった。フィルム数本分があっという間に無駄になることは日常茶飯事だった。撮れたものをチェックするためにはラボで現像しなくちゃいけない。その仕上がりにがくぜんとして、スケーターに謝ったことはゼロではない。スケート撮影にテスト用としてポラロイドを導入したのは、日本ではわれわれが最初だった。そして当時、日本唯一のスケボー専門誌ということで、『WHEEL』マガジンは出版社の予算をフルに活用だか悪用だかして、フィルムを惜しむことなくスケートの撮影に投下したのだった。時には、やる気だけはあるアマチュアフォトグラファーに無償でフィルムを与えたものだった。これは、スケート先進国でスケート大国のアメリカだって同じ。

フィルムでのスケート撮影は、誰もが技術的にも予算的にもシリアスだった。スケーターは、スケートボードに集中するためになるべく早くスポンサーにフックアップされることを望む。そしてフォトグラファーは、感材費を充実させて、より多くのスケーターを撮ることができるように、なるべく早く誰もが認めるポジションを目指したのだった。しかし、結局は予算がなくてもあっても、根っからの写真家というのは、写真を撮り続け、ひたすら楽しむことができる。それはまるで、スポンサーの有無にかかわらず、ボロボロのスケートデッキに穴の空いたスリッポンで、しかもスラムしたら当然痛いのに、ひたすらスケボーを楽しむことができるスケーターのようだ。ジョー・ブルックもそういう写真家の1人であり、スケーターの1人でもあった。

ひたすら撮ることで確立した写真撮影

ジョー・ブルックは20歳になる前に、地元デトロイトからサンフランシスコにやってきた。その時は、写真家ではなくスケーターだった。旅支度は、ダッフルバッグ1つとスケートボード、それに500ドルだけだった。かけもちのバイトで食いつなぎながら、スケートボードのメッカでスケート三昧の日々。仲間には、その後フォトグラファーとして活躍するグレッグ・ハントや(スケートカンパニーの)デラックス・ディストリビューションで働くデイブ達がいた。ひたすら滑っていれば、自然とジム・シーボやトミー・ゲレロといったスタースケーターとも出会うことができた。そうしてスケーターとして、ひと旗揚げようと思っていた矢先、ひどいケガをしてしまった。このケガによって、プロスケーターというスケートドリームは厳しくなった。ありあまってしまった表現欲求は、彼を写真の道へと導いていった。

撮影と現像。このおもしろさにハマっていくのに、時間は大して必要なかった。それからは、狂ったように写真を撮り、晩御飯を買うお金があるなら、それもすべてフィルムの現像代に回された。そして、チャンスがあれば旅をして回った。当時のサンフランシスコで、名うてのスケーター達を撮っていたのは、ゲイブ・モーフォードだった。ジョーは、『THRASHER』マガジンや『SLAP』マガジンといったスケボー専門誌を発行するハイスピードプロダクションへ写真を持ち込んだ。そのたびに、『SLAP』マガジンのエディターのランスは、稽古をつけてくれたのだった。フォーカスの仕方に始まり、被写体との距離、構図など、写真について厳しいレッスンを受けた。いつもボロクソに言った後、ランスはジョーに数本のフィルムと励ましの言葉をかけた。彼は、写真をもっと学びたい、もっと写真を狙い通りに撮れるようになりたいと強く願った。このメンタリティがすべてだと思う。

その後、52日間におよぶスケートトリップや、カウチサーフしながらヨーロッパを2ヵ月間旅して回った。ひたすらに撮った。とてつもない量のフィルムをラボで現像した。そして、すっからかんの無一文になってしまった。それでも写真を撮ることをやめなかった。やめることなどできるわけがなかった。ジョーはそういう写真家だ。もしくは、この時にそういう写真家になっている最中だったのだろう。

世界的トピックというトリックの証明書

膨大なフィルムとラボで格闘している(楽しんでいる)時、『SLAP』マガジンのエディターのランスから連絡が入る。
「おまえが全財産をはたいているラボに、そろそろ良い写真ができている頃だろ? サンフランシスコに戻ったら、それらを持って編集部に来てくれ」。

これがジョーの新しい旅の始りとなった。ランスと『SLAP』マガジンの次期編集長のマーク・ホワイトリーを交えて、ジョーの全作品を見た後、正式にフォトエディターとしてオファーされたのだった。彼の答えは、もちろん「イエス!」。それから20年以上たった今も、ジョー・ブルックは大活躍している。ちなみに、ジョーの撮影対象は、スケートボードにかぎったものではない。

そして、特筆しておきたいのは、彼がスケートスポットの現場で、ベストなアングルをすぐに見つけ出すこと。さらに彼が撮ったスケーターは、その後のスケートライフを大きく飛躍させることになったり、エピックな1枚のグラビアになったりする。あの場所で、あのスケーターが、あのトリックをかましたぞ。そういうニュースが世界中のヘッズに共有されることになる。その記録になり得る作品を撮るのがジョーであり、ジョーはそういったスケートシーンの最前線にいる写真家なのだ。

例えば、ハリウッドのど真ん中、ハリウッドハイスクールでのゲリラ撮影。けたたましいスケートの音で、ひとびとが集まってくる。キックアウト(追い出される)まで時間に猶予はない。そういう状況下で、ジョーは、デッキブランド「エンジョイ」のプロライダー、エンゾがハードフリップをメイクした瞬間を撮影した。それをあっという間に、多くのスケーターが知ることになる。そして、エンゾとともにジョーの写真もまた伝説の証明書となった。スケーターにしてみたら、ジョーと旅したり撮影に行ったりすることが、1つの大いなるチャンスでもあるということ。もちろん、彼にそんなおごりは、みじんもないのだけれど。ただ、アメリカに行くという日本のスケーターには、われわれはこう言いたい。
「ジョーに会えたなら、礼儀正しく、そして食らいつけ。撮影にこぎつけることができたなら、自分のスケートのクリエーションを出し惜しみするな」。
もし、素晴らしいメイクができたなら、カメラをのぞき込んでいたジョーが右手を上げてスマイルしてくれるはずだ。

人生は短い。だからこそ素晴らしい出来事やスケートボードを記録する

スケートボードのメッカ。スケートボードの一大都市。そう、サンフランシスコは、その他のスケートのメッカ、ニューヨークやロサンゼルスと違った格別なカルチャーがある気がする。現に、1990年代からあまたあった紙媒体としてのスケートメディアは、軒並み休刊もしくはデジタルに移行していった。しかし、サンフランシスコ発信の『THRASHER』マガジンは今なお健在だし、それに連動しているサブカルチャーマガジン『JUXTAPOZ』も良い感じだ。骨太でシーンをしっかりカバーするメディアがあるところは、カルチャーが綿々と受け継がれていくもの。だから、サンフランシスコは、スケーターが絶えずトピックスをリリースし、新しい才能が生まれている街なのだ。

前述のゲイブ・モーフォードをはじめ、先日、写真集『93til』をリリースしたピート・トンプソンケン・ゴトウなどすばらしいフォトグラファーがサンフランシスコにはいたが、個人的にはジョー・ブルックが大好きだ。人との関係性というのは、通常、初対面の印象から、会うたびにどんどん良くなったり、逆にどんどんギャップを感じたりするものだ。しかし、ジョーはそれには当てはまらない。1990年代の夏、まだデジタルカメラの気配もなかった頃、ハイスピード・プロダクションの編集部で初めて会った時から今に至るまで、ずっと同じイメージのまま。最初に笑顔を見せた時から、ずっと笑っている感じ。とても良い男で、そしてとてもたくさん写真を撮っている。あの頃、ジョー達にさんざんに憧れてスケート写真を撮っていた日本人の何人かがすでにスケート写真を撮らなくなってしまった今でも、ジョーは撮り続けている。もちろん、ジョーだって、スケート写真だけでなく、アートだなっていうようなモノクロームのパノラマ写真や、美しいランドスケープに、ピントを度外視したかっこいいポートレートなんかも撮ったりする。だけれど、彼自身はアーティストというよりは、スケーターだ。そして、写真家だ。なんていうのかな。愛すべき写真野郎というか。

例えば、映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の登場人物であるドクのような博士は、歩くたびにポケットからネジとか計算機みたいなのがこぼれ落ちてきそうだろ? いつもスイングしてセッションし続けてるジャズマンなら、カウンターでビールをオーダーするたびに、ポケットからタバコやマッチや10ボックスが落ちてきそうだろ? それと同じで、ジョーのデニムや「ディッキーズ」のポケットからは、35mmのフィルムやルーペがはみ出してくるようなイメージなのだ。四六時中、最高の瞬間を狙っていて、スケートスポットを探している。私は大好きだな、そういう人物が撮るスケート写真が。

今はデジタルカメラがとても便利になった。それでも、ジョーは時にはフィルムカメラで大切な記録を残している。もともと、機材フリークではないジョー・ブルックだったから、できるかぎり自然光で撮ることを心掛けている。日によって変わる光に対して、毎回違った挑戦をすることを楽しんでいる。映画『あの頃ペニーレインと』の主人公、ロック・ジャーナリストのウィリアムスのように、いつも肩からカメラをぶら下げて、いつも笑顔で周囲や状況をとらえているジョー・ブルック。彼が、決定的瞬間を見逃すことはない。もし、見逃しても、ちくしょーって言いながら、大笑いしているはずだ。

ジョー・ブルック
フォトグラファー。ミシガン州デトロイト出身。地元の高校を卒業後、サンフランシスコへ。数多くのレジェンドスケーター達とスケートをしながら、アートスクールと出版社ハイスピード・プロダクションのエディター、ランスから写真を学ぶ。その後、スケートマガジン『SLAP』のフォトエディターに就任。現在はハイスピード・プロダクションの看板マガジン『THRASHER』をはじめ、多くのメディアで活躍中。
Instagram:@photojoebrook

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目は口ほどにものをいう。写真は言語ほどに伝達する――スケボーマガジンを通して出会った写真家、デニス・マクグラス https://tokion.jp/2021/03/02/photographer-dennis-mcgrath/ Tue, 02 Mar 2021 06:00:38 +0000 https://tokion.jp/?p=19299 LAを中心に活動するフォトグラファーのデニス・マクグラス。彼の写真は、ストリートをクルーズするスケーターのモノクロ写真の隣に、ご機嫌なプールサイドをキャットウォークじゃなくて自然体で歩くポルノ女優のモノクロ写真が並ぶ。

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写真はほんとにおしゃべりなシロモノだ。特にスケート写真には、スポンサーのロゴやスポットの環境、スタイルなど、多くの情報が写っている。デニス・マクグラスは、当然、そういった写真を撮ることだってできる。そこに上乗せして、彼しかできないことをやってのけてしまう。私は、20年近くスケートマガジンを編集してきた。その間に、スケートそのものが写っていないページや特集なんぞはいくらでも作ってきた。しかし、本の顔である表紙がヌードだったのは、後にも先にも1回だけだ。それがデニス・マクグラスだった。

スケートボード写真からキャリアをスタート

デニス・マクグラスがプロフェッショナルのフォトグラファーとして活動を始めたのは、1990年代中盤。それは一時人気が減退していたスケートボードが、再び輝きだした時だった。スケートパークから飛び出して、ストリートにあるさまざまなトランディションを、スケートのスポットやセクションにしてしまう時代。まさにスケートボードのすべてがクリエティブだった時代。

デニス・マクグラスは、スケートと坂の街、サンフランシスコのアートスクールに通いだしてわずか1年ほどで、『THRASHER』と双璧のスケートマガジン『SLAP』の表紙を飾った。それから、当時あったスケートシューズブランド「シンプル」の広告を担当。150ドルのチェックをゲット。これが初めて写真でギャランティをもらった仕事だった。「オリンパス」のコンパクトカメラのXAから、「キャノン」5D、そしてレンジ・ファインダー・カメラの「ライカ」M6を持ち歩いて、撮影していった。日本のスケートマガジンにも度々、写真を提供してきた。そして記憶をたどると、2009年の特集だったと思う。その時、彼は「キャノン」5Dのほうじゃなくて、「ライカ」M6で撮ったほうの写真、ポルノのドキュメンタリーを掲載した。ポルノ女優のサイン会。女優の息使いが聞こえてきそうなアングルで撮ったものだった。

デニス・マクグラスの思い出について

忘れられないのが、『Sb Skateboard Journal』でデニス・マクグラスをフューチャーした号。気付いたら、全ページがポルノのドキュメンタリーになっていた。スケートのトリックをしている写真は1枚もなかった。しかし、よく見ると、カメラを回すクルーは「ヴァンズ」のワッフルソールを履いていたり、スケボーTシャツを着ていたりする。それにスケートでずっとプッシュしてきたデニス・マクグラスが撮った写真なんだから、それはスケートにまつわる作品でもあると思った。とても良い特集ができたと確信した。表紙だけは、本屋でスケートマガジンだってわかってもらえるようにスケートのトリック写真にするべきだったかもしれない。でも、そうはいかないのがデニス・マクグラス。そして、こちらもどうせならデニス・マクグラスの好きな写真でイキたい。まずプッシュしてきた写真は、精液まみれのコンドームだった。違う意味で、マガジンがイキそうになってしまう。ようやく決まった表紙は、青空の下のヌードの写真。美しかった。しっくりきた。

後日、それを見たクライアントから、クレームが入った。「これってスケボーマガジンなの? 全然スケボーじゃないじゃん」。そう思われても仕方がない。スケートといっても、いろいろあるけれど、一番は最新のニュートリックが満載なのが望ましい。だから、言い訳はできなかった。ただ、デニス・マクグラスのそれまでと彼が残してきた写真のこと、そしてポルノのドキュメンタリーを撮ることになったストーリーを伝えた。そして、こちらがそういった写真を最高に良いと思っていることと、スケートシーンから発祥した作品としてページにするべきことを話した。
このテキストを読んで、デニス・マクグラスは笑ってくれるだろうか。

飛び道具的スケートマガジン
『BIG BROTHER』とデニス・マクグラス

1990年代に隆盛したストリートスケート。もともと自由でクリエイティブのアイコンだったスケートボードが、一気に跳ねた。それにひと役買ったのが、スケートマガジン『BIG BROTHER』だった。当時、スケートメディアにおいて、3誌が大部数を誇っていた。王道といえば『THRASHER』。ノーカルでリベラルなのが『SLAP』。スケート的マスメディアが『TRANSWORLD SKATEBOARDING』

そこに割って入ったのが『BIG BROTHER』だった。というか、3誌では見ることができない、ストリートのイカすスケートボードのニッチな部分をクローズアップしていた。悪ふざけが過ぎてて、お下劣で、奇想天外なスケートマガジン。それが、とても時代にマッチした。スケートボードに魅せられた人間の本質を掘り起こしたと言ってもいい。アスファルトにたたきつけられ、セキュリティに追いかけ回され、スピード違反でもないのに罰金チケットを切られる。それでもストリートスケートでクリエイションして歓喜している人間の本質。それは良い意味でどこかが狂っている。スケートに正しく酔狂している。それを伝えてくれたのが『BIG BROTHER』であり、キチガ●編集者のデイヴ・カーニー達とともに旅を繰り返し撮影しまくっていたデニス・マクグラスだった。1998年頃から、スタッフフォトグラファーとして『BIG BROTHER』で働くことになったデニス・マクグラス。その3年後には、サンフランシスコからロサンゼルスへ引っ越しをしている。“ブロマンス”(=Bromanceとは、編集者デイヴ・カーニーが誌面上で生み出した四六時中一緒にスケートしている仲間達を指す造語)が指し示すように、ロサンゼルスの街は、デニス・マクグラスの撮影と性に合った。

デニス・マクグラスを好きな理由

派手にバカをやった『BIG BROTHER』は、伝説を残せるだけ残して、MTVの映像部門へ巣立っていく(『ジャッカス』など)。デニス・マクグラスは、『BIG BROTHER』から離れ、親会社のハスラー社のつてでポルノ業界で働くひとびとと仲良くなっていった。数年後、ポルノのビハインドシーンをドキュメンタリースタイルで撮影するようになる。一世を風靡(ふうび)しつつも紙のメディアではなくなってしまった『BIG BROTHER』に未練を残すことはなかった。スケーターであり、悪ふざけしまくれるブロマンスであり、ビッグブラザーであるけれども、デニス・マクグラスはなんといってもフォトグラファーだ。紙に刷って本にすることの素晴らしさを知っている。

現在は、これまで撮り続けてきたロサンゼルスのポルノのドキュメンタリーを1冊の本にまとめている最中だ。写真集のタイトルは『Triple Ecstasy』。これはぜひ見たい。早く手にしたい。こんなことを書いたら、本人はそうじゃないって怒るかもしれない。だけど、私は思う。
デニス・マクグラスは、急行列車を平気で乗り逃してしまえる人間なんだろうと。人は人、自分がやりたいことをわかっている人間。なろうと思えばそこそこのプロスケーターになっていてもおかしくないスキルがあった。『BIG BROTHER』からムービー撮影に比重を置いていけば、今頃はリアリティ番組で名うてのディレクターになっていたかもしれない。だけど、若い頃にカメラを手にした時に、すべてを決めてしまった(かもしれない)。デニス・マクグラスは、写真を撮ることが一番になった。そして、本人も言うように、とにかく撮る時は、スケーターとそのスタイルこそが大切だ。ポルノ女優だって同じ。彼女達の実際の姿、生活、スタイルがフォトジェニックになる。そうやって、ひたすら撮影して、プリントして、本を作るデニス・マクグラスのようなスケーターでフォトグラファーが、私はとても好きだ。そういう人間は、大真面目に悪ふざけするから、とんでもないミラクルを生む。写真集が楽しみでならない。

デニス・マクグラス
「とにかく、今でもこうして写真を撮り続けているのは自分がハッピーになれるからだと思うよ」(デニス・マクグラス)。アメリカの東海岸、ニュージャージー生まれ。13歳の時、南部の街、ヒューストンへ。伝説のスケートビデオ『ボーンズ・ブリゲード・ビデオ・ショー』を観てから、スケートボードに感化される。16歳だった。1994年からはサンフランシスコのアートスクールに入り、スケートボードの写真に傾倒。1996年にはサンフランシスコを代表するスケートマガジンの1つ、『SLAP』の表紙を飾った。それから現在に至るまで、プロフェッショナルフォトグラファーとして活躍している。
Instagram:@dennis_mcgrath

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目は口ほどにものをいう。写真は言語ほどに伝達する――スケートボードで世界地図を塗りつぶす写真家、パトリック・ウォルナー https://tokion.jp/2021/02/15/photographer-patrik-wallner/ Mon, 15 Feb 2021 06:00:45 +0000 https://tokion.jp/?p=18499 ヨルダンにある秘境ペトラ。カンボジアのアンコールワット。カオスの象徴、九龍城砦があった激動の香港……。スケートボードで回った足跡。写真を見返すとそれらはスケート的ヘリテージとなっている。

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カメラは、言語に頼らないコミュニケーションツール。パパラッチや盗撮は願い下げだけれども、そうでなければ撮影行為というのは有意義なものだと思う。そして、スケートボードは世界のストリートの共通言語で第2のパスポートだ。スケートボードでプッシュさえすれば、世界は動き始める。今回は、コロナ禍で旅を禁じられた私達が改めて見直したい、スケートボードと旅について。

ビジュアルトラベリング
旅から得るものは広がっていくということ

旅するフィルムメーカーとして、日本のストリートシーンでもよく知られている写真家、パトリック・ウォールナー。10年以上もの時間を、ヨーロッパとアジアとアフリカ各地のストリートをジグザグしながら、冒険とスケートボードのスポットを探索することに費やしてきたからだ。当然、これまでの彼の最大公約数は、旅とスケートボードとフィルム(写真と映像)だった。それは数多くの映像作品と1冊の価値ある写真集がそれを物語っている。

彼の長い旅路のスタート。それは、2003年だった。その後、2007年には、10代のある時期を過ごしたアメリカから、イベリア半島の美しい街、バルセロナへ引っ越した。その頃のバルセロナは、アート愛好家やロマンティックな恋人達にとって、最高の休暇の目的地だった。それと同時に、カリフォルニアの校庭で滑るのに飽きたハングリーなスケーター達にとっての首都でもあった。特にMACBA(バルセロナ現代美術館)のシーンを見ると、いまだに嫉妬と郷愁の涙を流すという。それほど、この街を愛していたし、街中のスケーターに声をかけて撮影しまくった。作品作りの原点があった。1992年に開催されたバルセロナオリンピックを契機に、街には変則的な形をした公園、歩道、そして建物が増えていった。ただのギャップやステア以上のものを求めるクリエイティブなスケーター達にとって、その場所が魔法の世界になった。まさにアントニ・ガウディは、スケートボードにも造詣が深かったのだ。この引っ越しによって、パトリック・ウォールナーはすでに旅の最大の魅力に気付く。旅とは見聞や知識を広げる格好のツールだということに。スケートにしろ撮影にしろ、パトリック・ウォールナーは、旅から旅へプッシュした。そして、その可能性と場所をどんどん広げていった。

デ・ファクト・カントリーズ(未承認国家)を記録した
フォト・ジャーナリズムの側面

パトリック・ウォールナーの写真。それは写真集『The Eurasia Project』を見てもらったら、すぐにとりこになるはずだ。中国、香港、北朝鮮、タイ、ベトナム、マレーシア、インドネシア、インド、ラオス、ミャンマー、カンボジア、アブハジア、バングラデシュ、パキスタン、イラン、イラク、レバノン、ヨルダン……。それは実に101ヵ国以上のスポットにおよぶ。スタンダードな東アジアの旅先から、やがてはヨーロッパとアジアの間にあるすべての国々へ。彼の中では、ついにはあまり知られていない国々へ旅することが、マニフェストとなった。知らない国、聞いたこともない街。この先だって行くことがないままの場所。1本のスケビ(スケートビデオ)『Meet the Stans』なんていうのを作ってしまえるほど、国名の末尾がなんとかスタンとなっている国々がユーラシア大陸にはあるらしい。私は、そんなことも知らなかった。日本的に言うと、沢木耕太郎著『深夜特急』とかテレビ番組『進め電波少年』の人気コーナーだった猿岩石の「ユーラシア大陸横断ヒッチハイク」のスケートボード的アップグレード版だろうか。いや、それは違う。旅先で必ずスケートなんか想定もしていない素晴らしいスケートスポットを発見して、そこならではのスケートトリックをメイクしないといけない。そんな楽しいクリエイティブなことは、スケーターにしかできない。当然、その陰には、かなりやばいピンチやトラブルやスケッチーなこともある。それをひっくるめて作品として残せるのは、パトリック・ウォールナーしかいない。
世界遺産をバックにスケートしてるやつなんて、それまで見たことがなかった。ヒジャブをかぶった群衆の前で、汗だくのTシャツでバックサイド180を飛んでるやつなんてどうかしてる。クローズドなイメージの北朝鮮の街をスケートでクルーズしてるやつなんて、かつていなかった。スケートボードがビザ代わり。それはよく聞くキャッチコピーだけれど、パトリック・ウォールナーは、その効力を最大限に使いきって、実際に世界を広げてしまったのだった。

ビジュアルトラベリングの次なる写真

日本にはスケートボードで旅する魅力をまったく想像できない人が、まだまだいると思う。そんな人でも、スケートボードが正式種目になった東京オリンピックのことは知っているだろう。コロナ禍の今、開催されるかどうか。それは難しいところだ。ただ、あの歴史あるバルセロナの街が変貌してスケーターにとってもメッカ(聖地)になったように、東京もオリンピックを契機に変貌していっている。スケーターのスポットシーク(スポット探し)は絶賛拡散中だ。コロナ禍でなかったら、パトリック・ウォールナーはじめ世界中から、スケーターが旅してくるはずだったに違いない。新しいスポットとムーブメントが広がっていたに違いない。

現在、旅するフィルム・メーカーのパトリック・ウォールナーは香港にいる。それまで拠点にしていたのは、タイのバンコクだった。むせ返る交通渋滞の街、バンコクから、今度は爆発的に人口増加している街、香港へ。カオスな空気感は同じだった。しかし香港の空気は、民主化デモを機に激しく揺れている。次に何が起こるか誰も予測できない。そんな状況下で、彼はシャッターを切り続けている。旅人でスケーターでフィルマー。そして……。

「僕はフォトグラファーだから、どんな時も自分が住む場所の模様を記録する義務がある」。

香港で撮影するには、慎重に行動しないといけない。それでも私は、スケーターとして世界中をプッシュしてきた、撮影してきたパトリック・ウォールナーだからこそ撮ることができる写真があると思っている。政治的や思想的ではなく、スケート的な写真。スケートボードという自由な乗り物から見て感じた街の写真。こればっかりは、止められない。少なくとも、私達の思考回路と本質的な発想方法は、スケート的であって、思想的ではない。それは世界中どこを旅していても同じだ。

スケートボードは、舗装された路面があればどこへでも行く理由になる

パトリック・ウォールナーの写真を初めてページにしたのは2010年だった。現在、私が「TOKION」に寄稿している記事のテーマの1つ、“Skateboard diaspora”をそのまま『Sb Skateboard Journal』の雑誌タイトルにした特集だった。その時の写真の1枚は、再び今回掲載している。それは、ロシアのエカテリンブルク郊外にあるアジアとヨーロッパの境界線でスケートする写真だ。モスクワから香港まで、2ヵ月間におよぶスケートボードとシベリア鉄道の旅。映像作品『10,000Kilometers』にもなった旅。1人で写真と映像の両方で記録するのは大変だ。重要な撮影機材、着替えや必需品が詰め込まれたバックパック。折りたたみなんて不可能なスケートデッキ。ただ、スケートデッキと仲良くなったらとても便利な乗り物になる。だから、それは問題ないけれど、置き引きには注意が必要だ。とにかく、パトリック・ウォールナーの荷物を想像しただけで、私はぐったりしてしまう。忘れてならないのは、彼の写真のためと映像のために何度も滑って何度かメイクしないといけないスケーターだって大変だということ。だから、パトリック・ウォールナーが見せてくれる旅の写真や映像は美しいだけでなく、スケートが突き進んでいった先の発見がある。そしてとても楽しそうなのだけれど、実はかなりハードボイルドなドキュメントなのだ。初めてページにした時、まず聞いた。なぜそこまで苦労してスケートボードと機材を背負い込んで旅をするのか。

「スケートボードは舗装された路面があればどこへでも行く理由になる。ただのバケーションや観光では絶対にたどり着けない、隠れた場所を見つけることができるんだよ」。

この探究心を実践してしまう創作意欲と旅するパワーが素晴らしい。だからパトリック・ウォールナーの写真は、世界中のどんなフォトグラファーともかぶらないし、強くて印象的だ。なぜかって。それは、えっ!? そんなところにまで!? っていう場所(景色)でも、スケートボードがしっかりと写り込んでいるのだ(旅しているのだ)。

Visualtraveling 『The Eurasia Project』(2018) / Patrik Wallner
きっかけはアフガニスタンをスケートボードで訪れたこと。それから、ヨーロッパとアジアにあるすべての国を訪れることを目的に、ヴィジュアルトラベリングの制作がスタート。30歳の誕生日を迎えるまでに対象の101ヵ国から1枚ずつ写真を集めて、当時、深刻な内戦状態だったシリアとビザ取得が不可能だった南オセチアを除いて撮影を敢行。地続きの国々で出会った美しい自然やひとびと。それらを1冊にまとめ、2018年にリリースされた写真集。

パトリック・ウォールナー
ハンガリーをルーツに、西ドイツとアメリカで育った写真家で映像作家。信条は、世界隅々のUnusual(普通でない場所)でのスケートやひとびとをドキュメントすること。20代の10年間、そのほとんどをアジアとヨーロッパをジグザグする撮影活動に費やした。現在は、激動し紛糾する香港に拠点を置き、アナログな白黒のフォトブックを制作中。
http://www.patrikwallner.com
Instagram:@patrik_wallner / @visualtraveling

TOKION ARTの最新記事

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目は口ほどにものをいう。写真は言語ほどに伝達する——常にクリエティブであり続ける写真家、バンジャマン https://tokion.jp/2020/12/09/benjamin-deberdt/ Wed, 09 Dec 2020 06:00:02 +0000 https://tokion.jp/?p=12931 2024年にオリンピックを控えるパリ。変わらないものと変化させないといけいないものがせめぎ合う街で、常にクリエティブであり続ける写真家バンジャマンの話。

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新型コロナウイルスが猛威を振るう現代社会においても、写真の重要性や素晴らしさは変わらない。1カットが伝える情報と記録。そして作家性とメッセージ。その中でも、スケートボードにまつわる写真とそれを撮り続ける写真家を紹介する本企画。あえて言うなら、SKATEBOARD DIASPORA。世界はさまざまなことで引き裂かれているけれど、スケートボードでつながっていることを実証したい。

今回の主人公はバンジャマン・デュベール。写真を撮り続けて30年以上。パリの街を流しているだけで、老若男女さまざまなスケーターやキッズに、“O.G.(パイセン)!”ってあいさつされるアイコンの1人。柔和な哲学者のような佇まいや、食事中に別のレストランのおすすめメニューを話し出すほどの食通な横顔など、話したいことはたくさんあるけれど、今回はスケートと写真について紹介したい。

パリのステレオタイプってなんだろう

グレーな石造りの建物。マロニエの街路樹。通り雨と青空。美しい教会の鐘の音。すてきなショーウインドーにシックな人々。エンドレスなフランス語の会話……。ヒストリカルで、芸術や文化に富んでいて、多種多様な人間がいて、いろいろなバックグラウンドを持った人々がストリートにいる……。写真家・バンジャマンも、そんな街に暮らしている1人。「フランスの家庭料理っていえばビーフシチューで、ここのビーフシチューがパリで一番だ」って食べながら、先日食べたアフリカ料理はすごくおいしかったとかって他の料理の話を持ち出すようなパリジャンらしい一面を持つ男。映画『アメリ』が好きだと言ったら、ちょっとファンタジー過ぎだよっていうところから、舞台となったモンマルトルやその丘にあるバジリカ聖堂についての歴史的見解が止まらなくなって、途中で「トゥー・マッチ、トゥー・ドゥだった」と自嘲するところなんかもパリジャンぽいところ。その反面、オーセンティックなパリの街並みを愛していて、観光名所よりパリの変わらない場所を背景に選んだり、そういったところでスケートボードという、もともとはカウンターカルチャーだったものを被写体にする柔軟でクリエイティブな目線を持っている。今ではスケートボードは、世界共通言語のようなものになってきた。けれど、それは1980年代から1990年代にはまだまだアンダーグラウンドだったパリのスケートやストリートシーンを写真家達が記録し続けてきたからこそ。特に、バンジャマンはそんなパリのストリートを代表する記録者なのだ。

今も昔も、ラボをこよなく愛すること

1990年代、東京。「渋谷のクリエイトでセレクトしちゃいましょう!」とか「青山のクロマートに20時にピック行ける?」とか「ホリウチなら中2日でアップしますけど」なんていうやりとりを写真家としていたのがついこないだだったような気がする。今はデジタル全盛の時代。フィルムで撮った写真のベタ焼きをライトテーブルに置いて、ルーペでのぞき込んで、ダーマトでセレクトしていく。そんなラボ(現像所)の“当たり前”の光景を目にすることはなくなった。新しいビルが建つと、その前までそこに何があったのか思い出せないのと同じように、ラボをベースにした写真のクリエイティブなやりとりを、誰とどのようにやっていたのか、悲しいかな、すぐに思い出すことができない。

そんな中で、バンジャマンはずっとフィルムで撮影し、アナログプリントにこだわっている写真家だ。特に、フィルム1本どころか3本、4本と撮ってもなかなかメイクできないストリートスケートの撮影においては、デジカメのほうが適している。何回だってシャッターを押せるし、なんならその場でできをチェックすることもできるからだ。バンジャマンは言う。「インスタはじめデジタルの良さもある。若い写真家やスケーターは、そういった消えていく良さをよくわかっているよね。でも、パリだと、20代のスケーター達も、記録として保管できる本や紙の大切さを再認識しているんだよ。それがまたおもしろいね」。ここがバンジャマン O.G.(パイセン)のすてきなところで、黙々と自分が良いと思ったことや活動を続けるだけで、決して次世代に押しつけることはしないのだけれど、結局、すてきなものを残すことによって、若い子達のクリエイティブの選択肢を広げることに成功してしまっているのだった。
バンジャマンが、今も昔も、ラボをこよなく愛しているところは、職人さんとのつながりも含めて、すてきだなと思う。

パーフォレーションやフレームの糸くずすらいとおしいこと

パリで、ショップに入ったら額装された写真が飾られていた。カフェの壁に写真が掛かっていた。バーの奥に写真が並んでいた。そのすべてがバンジャマンが撮り、ラボでプリントしたものだった。東京では忘れかけていたラボ。現在、パリには5つほど大きなラボがあるというが、アナログプリントをしているのはバンジャマンがひいきにし続けている「Atelier Publimod」のみ。オーナーいわく「昔は圧倒的にファッションや広告の写真が売り上げを占めていたけれど、今ではスケートやストリートの写真の現像がトップ3に入っている。そしてその大半がバンジャマンのフィルムさ」。現像を待って、コーヒー片手に雑談している間、ひっきりなしにネガを出しにくるのは、若い人達が多かった。確かに、バンジャマンとマーク・ゴンザレスの共作『LE CERCLE』なんかは、ラボでプリントした大判のバンジャマンの写真に、ゴンズが直筆で絵を描いていったもので、それは絶対に紙でないと表現できないものだ。そんなのを見せられたら、誰だって紙に焼いて残したいと思うに決まっている。 

思い出したエピソードがある。10年前くらいだったか。バンジャマンから来た紙焼き写真の黒いフレーム部分に糸くずがひょろひょろとついていた。それは狙ったものではなく、暗室でついてしまったものって感じがした。デジタルだったらレタッチしたりするのが常とう手段かもしれない。どうする? っていうこちらの問いに彼は笑うのだった。「糸くずはそのままでいいよ。自分が焼いたっていうシグネチャーみたいなものでしょ」。コントラストや構図が少しでも自分のイメージと違ってたりすると、気になってしまって一晩中考え込んでしまうというキメ細かさがある一方で、このようなユーモアもある。バンジャマンの写真は、良い意味で面倒くさいと言っていい。こだわってタイトにするところと、大胆に楽しくバルブを開け放ってしまうトゥーフェイスな部分が、まさにパリの街とリンクしている。糸くずも面倒かつこだわって焼いた自分の写真のいとおしい一部だって微笑んでしまうところがいい。

コロナ禍でロックダウンするパリ。でもクリエイティブは止まらないこと

2020年、コロナ禍のパリ。この時、私が知るストリートシーンでは、2つの印象的なできごとがあった。どちらにも、バンジャマンの存在があった。1つは、3月の最初のロックダウンの時。パリで一番ホットなプラザスポット、リパブリック周辺ではホームレスが急増し、連日100人以上の人々が食料配給のために並んでいた。ラボも何もかもがクローズしている中、バンジャマンはあることを思いついた。持病を抱え外出するのが特に危険なバンジャマンのアパートの下に、プロスケーターで作家でもあるスコット・ボーンが、入手困難となったフィルムを1本借りにやって来た。バンジャマンは、窓から彼にフィルムを入れた缶を投げて渡した。その瞬間、彼はいかにしてアナログフィルムの写真をページにできるか、また、どうすればみんなで共作することができるかを思いつく。
バンジャマンやスコット・ボーンが撮り終えたフィルムを、バンジャマンの妻マリアが買い物の途中でポールに届ける。それからプロスケーターで写真家のポールが自宅で現像をする。そして、再び、マリアがそれらを持ち帰って、バンジャマンがスキャン作業をした。そうやって、ロックダウンした街のアーティクルが日本のスケートマガジン、『Sb Skateboard Journal』に掲載されたのだった。

そして、このクリエイティブの火種は、2つ目のできごとを起こす。それは、バンジャマン、スコット、ポールをはじめ、セルゲイやジョージ、タビュといったパリのストリートでも活動する16人のアーティスト達による共同制作、“NO CONTACT SHEETS”という写真展示だ。人と直接的にコンタクトできない状況下を、フィルムロールでバトンリレーして写真に記録するという試み。これは、写真家とかスケーターとかっていう、日々、何かにとらわれることより何かをひねり出すことを続けてきた人間達だからこそのクリエイションだと思う。自分達が信じたもの。自分達が好きなもの。そこから生み出すポジティブな姿勢。クリエイティブな活動。確かにコロナ禍で不安定な情勢は続いている。それなのに待ったなしで迫ってくるオリンピックといった世界的イベント。今や、街じゃなくて、人のほうこそ強制的な変化を求められている。そういう時に、バンジャマンは発見した。というより確信したに違いない。時代遅れ? と思われがちなアナログなフィルムと手段が、実はいついかなる時でも、クリエイティブでポジティブなものを作り出せるということを。なんていうのか、バンジャマンがやっていることは、インスタントなんかじゃなくて、1年後も5年後も同じ本質的なことを言ったり、やったりして、そのくせ「トゥー・マッチ、トゥー・ドゥだった」と微笑んでいるようなものだと思う。

今はパリだけでなく、東京もロンドンもニューヨークもどこだって、大変な状況だ。だけど、バンジャマンの粛々とクリエイティブであり続ける、そのポジティブな写真という記録は、ちょっと離れている場所で編集作業に明け暮れる自分にとっても良い影響を及ぼしてくれてる。彼は、今をときめくバキバキの新しいことや大仕掛けなことをする写真家ではなく、オーセンティックなタイプの写真家であり記録者である。そして、尊大ぶらない、ストリートの誰にとってもすてきなパイセンである。そんなところがまたすごくいい。

『LE CERCLE』 ©Benjamin Deberdt
スケーターズ・スケーターで、アーティストとしても著名なマーク・ゴンザレス。彼がパリで行っていたアートワーク活動を、バンジャマンが密着、フィルムに収めた。その大判プリントに、マーク・ゴンザレスが直接、絵を描いた共同作品集。実際に会った時に感じたシリアスでナーバス、つかみどころがないマーク・ゴンザレスと、粛々とクリエイティブな作業を続けることができるのもバンジャマンらしさ。

『THIS WAS JUST NOW』 ©Benjamin Deberdt
情勢面、体調面、家庭や環境面などなど、どんな状況下にあっても、クリエイティブであり続けること。それがバンジャマンの信条。日々における多くの写真撮影やWEBマガジンの運営といった、パブリシティな活動をする一方で、私的な作品集シリーズ『THIS WAS JUST NOW』を定期的に発表している。現在は、かつてのニューヨークシティへの撮影旅行を基にした写真集を制作中。今は亡きキース・ハフナゲルなどの貴重なカットもある。

バンジャマン・デュベール
パリ在住の写真家。フィルム写真のアナログ・プリントにこだわり、街のラボをこよなく愛する。それと同時に、WEBメディアとして『LIVE SKATEBOARD MEDIA』を手掛けるスケートボード・エディターとして、盛り上がり続けるパリのスケートボードシーンを記録している。
Instagram:@benjamin_deberdt_photography

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目は口ほどにものをいう。写真は言語ほどに伝達する——写真家、ヤン・グロスの捉える世界 https://tokion.jp/2020/10/23/yann-gross-shows-a-world-united/ Fri, 23 Oct 2020 06:00:54 +0000 https://tokion.jp/?p=7673 スケートボード不毛の地と思われてきたアフリカ。ウガンダにあるスケートコミュニティの発展に寄与したひとりのすてきな写真家、ヤン・グロスの話。

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新型コロナウイルスの感染予防のため、ソーシャル・ディスタンシングが注目されている現代社会。同時に、それは改めて事実距離を飛び越えてくる写真の重要性や素晴らしさを痛感させてくれた。1カットが伝える情報と記録。そして作家性とメッセージ。その中でも、スケートボードにまつわる写真とそれを撮り続ける写真家を紹介したい。あえていうなら、SKATEBOARD DIASPORA。世界はさまざまなことで引き裂かれているけれど、スケートボードでつながっていることを実証する企画。紹介するのは、雑誌『Sb SkateboardJournal』のディレクターを務めるなど、世界のスケートボードカルチャーを取材する編集者、小澤千一朗。

日本人といえばチャンバラというのと同じで、ウガンダといえばサバンナか。ステレオタイプ不要時代

ウガンダは、アフリカ東部に位置し、ほぼ赤道直下の内陸国。けれども、広大なビクトリア湖や自然資源が豊かな美しい丘陵地帯を擁している。1962年、イギリスから独立してしばらくはクーデターが繰り返されたが、現在はムセベニ大統領の長期政権下で情勢は安定している。また近年、アメリカのハリウッド映画、インドのボリウッド映画のようにウガンダで注目されているのが、ワカリウッド映画。このワカリウッド映画界に、首都カンパラのスラム街のワカリガでラモン・フィルム・プロダクションを運営するアイザック・ナブワナ・ゴドフリー・ジオフリー監督がいる。彼は、アフリカのスラムで低予算のアクション映画を撮り続け、“ウガンダのスピルバーグ”と呼ばれている。ジワジワと来ているウガンダのクリエイションだ。と、このように端的に紹介しても、東京とはあまりにもかけはなれた場所だというのを痛感するだけかもしれない。建設ラッシュの高層ビル群が目立ってきたカンパラからちょっと郊外に出れば、砂煙が舞う凸凹の道を車やバイクだけでなく人や動物まで行き交っている。車線もへったくれもない。しかしよく見れば、中古車のバスやトラックは、メイド・イン・ジャパンが多いのだ。

東京オリンピックを前にして、新国立競技場をはじめ、選手村や各競技施設の準備と競い合うようにして新しいビルが、バンバン建設されている東京からはるかかなた。同じ日本車が走っていても、目に映る光景はだいぶ違う。少し前まで、アフリカはスケートボード不毛の地とされてきた。素晴らしい自然やサバンナはあっても、スケートボードがリンクする大理石の縁石やハンドレールにステアといった近代的都市環境が至るところにあるわけではなかったからだ。

スケートボード不毛の地から生まれた素晴らしいグラビア

もちろん、アフリカ各国の首都レベルの都市はすさまじい発展をしている。南アフリカでは、2010年にサッカーのワールドカップも開催されたし、東京オリンピックのアフリカ代表を決めるスケートボードコンテストも開催されていた。だけど日本に住んでいると、ウガンダから誰が選ばれたとかっていう話は聞こえてこないし、ウガンダへスケートツアーに行ったというプロチームの話も記録もない。そんなウガンダを知ることになったのは、外務省の渡航サイトやガイドブックではなく、1冊のフォトブックとの出会いからだった。それが、写真家ヤン・グロスの『KITINTALE』だ。

サバンナとマウンテン・ゴリラの生息地だと思っていたウガンダにスケートパークがある。そこでグラブ・エア(スケートボードのトリック名)をメイクしているキッズがいる。擦り切れたシューズにボロボロのプロテクター。テールもノーズも傷んだスケートデッキ。それらは全部誰かのお下がりで、みんなで使い回していた。しかし、どうだ。フットボールくらいしか知らなかったキッズが、ヤン・グロスの写真の中では、こんなにおもしろい乗り物があったのかって目を輝かせている。スケートボードのいいところと、スケートボード写真のいいところは、どんなにボロボロだったとしても、トリックをメイクした人物のキャラやスタイルがかっこよかったり、写真として美しく素晴らしかったりしたら、それだけで1枚のグラビアになってしまうところ。まさか、スケート不毛の地と思われていたアフリカで、さらに日本人がよく知らないウガンダで、こんなに美しいスケートボードのグラビアが生まれていたとは。それは衝撃だったし、スケートボードの可能性を改めて感じた瞬間だった。

オリンピックの表彰台を決めたスケート写真とウガンダのスケート写真。そのどちらがすごいなんて比べられない

スケート的死角だったウガンダにスケートボードが存在していたこと。それは、スケートボードとカメラがあれば、どこへでも行ける。そして、どこに行ってもスケーターか写真家がいるということを再認識させてくれた。勇気が湧いたといってもいい。ちなみに、スイス人のヤン・グロスがなぜウガンダでシャッターを切ることになったのか。当時、東アフリカへ転勤した彼女に会うためにウガンダを訪れたのがきっかけだった。スケーターだったら、どこへ行っても必ずやること、彼は持参したスケートデッキでウガンダのストリートをプッシュした。そこで出くわしたのが、先ほどのスケートパーク。それが、写真集のタイトルにもなった、KITINTALE PARKだった。
「こんなところにスケートコミュニティがあるなんて!」。それは衝撃だったと言う。同時に、このコミュニティが抱える問題に気付いた。「スケートパークはあるのにスケートショップがない」。そして仮にあったとしても、みんな貧しいから何も買えない。 「だけど、この国の人々はみんな明るい」。その明るい笑顔に魅せられて、さらに楽しくしたいと思ったヤン・グロス。何度もウガンダを訪れ、一度に数ヵ月も滞在するようになった。その度に、ヨーロッパのスケーター仲間から中古のスケートデッキやトラックといったスケートギアや少額の寄付を集めてきた。そして写真を撮っていった。

写真集『KITINTALE』には、ヤン・グロスがカメラとスケートボードを通して経験したウガンダがつづられている。写っているのは、スケーターとスケートボードだけれども、われわれが長年手掛けてきたようなスケボーマガジンのスキルフルなトリック写真ではない。空と緑しかない空間にポツンとあるスケートパーク。何もかもが、ひどく傷んでいてほこりっぽい。しかしヤン・グロスが、6×7のフィルムで撮った写真は、そこにもスケーターがいてスケートボードに夢中になっているという記録でもあった。

東京オリンピックに沸く東京で目撃することになる、史上初めてのスケートボードでの表彰台。メダリストのスケート写真は、とてつもない反響を呼ぶことになるだろう。そして、スケートの魅力とすごさがさらに世の中に知られるようになったら、ヤン・グロスの写真が捉えた美しいスケートボードの姿は、もっともっと注目されることになるだろう。写真集『KITINTALE』のリリース以降、ウガンダの首都カンパラには、初のスケートボード団体であるウガンダ・スケートボード・ユニオンが発足している。そして、「BANAKIBUGA Street Minds」という、ローカル発のブランドも立ち上がった。今後はスケートボードという普遍的な存在は変わらずに、ウガンダのローカリズムという独自のスケートカルチャーが発展していくに違いない。ヤン・グロスの写真や活動がもたらしたものは、とても大きい。東京のスケートカルチャーだって、たった30年前は記録すら少ない規模だったしレベルだったのだ。あと10数年したら、ウガンダだけでなくアフリカのスケートカルチャーがとんでもないことになっているかもしれない。

『KITINTALE』
新聞のような作りでプロテクションバッグに収まっているフォトブック。写真、文章、デザインのすべてをヤン・グロス自身が手掛けている。
http://www.yanngross.com

ヤン・グロス
スイス出身の写真家、映像作家。今回はスケートボードと彼について紹介しているが、彼のアートワークは多岐にわたる。それと同時に彼のフィールドワークは、祖国スイスがあるヨーロッパを遠く離れて、アフリカやアマゾンなど多方面に広がっている。最新作はオーギュヌ・エスカドンと共作、Editional RMから刊行された写真集『Aya』。
Instagram:@yann.gross

The post 目は口ほどにものをいう。写真は言語ほどに伝達する——写真家、ヤン・グロスの捉える世界 appeared first on TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報.

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