目は口ほどにものをいう。写真は言語ほどに伝達する――起きてハグをしたら朝食を食べるのが当たり前のように、スケートを撮り、スケートに描くアーティスト、マイク・ケルシュナー

すぐそばにスケートボードとドローイングセットがある日常。首にぶらさげたカメラ。iPhoneのアドレス帳。滑って、描いて、撮る。それからアドレス帳とにらめっこしながらスケートエディター達にできたてホヤホヤのアーティクルを送る。このページになるまでのスキのないクイックなルーティンが彼のスタイルでエネルギー。それでいてテーマや題材は、ローマは1日にしてならずな濃厚なネタばかり。

アーティスト、マイク・ケルシュナーは、フィルムで写真を撮り、ペンを握って絵を描き、そして飽くことなく文字をタイプする。その創作欲求は、1週間が7日間では足りないほどだ。1日24時間分からはみ出したエネルギーで、彼だけの8日目を作り出してしまうのではないかと、私は思っている。一番の強みは、スケートデッキに乗り込んで、それに搭載できるだけのツールさえあれば、彼はどこででもエネルギーをカタチにすることができること。

彼は、このスタイルからして、間違いなくこれまでスケートシーンにいなかったタイプのアーティストの1人だろう。個性的なものをつくり、残す。その片鱗を少し紹介したい。

彼との出会い

まずマイク・ケルシュナーは、これまでも、そしてこれからも、何があってもスケーターだ。例えば、世界中でカナディアン・メイプルの伐採が禁じられたとしても、彼はリメイクしたプライウッドのスケートデッキを乗り継いでプッシングするだろう。そんな彼は、カリフォルニアのアーバインを拠点に、スケート・ワイルド(スケート、自然、アートを通じて若者を支援する組織)のファウンダーの1人。

私は、スケボーマガジンの編集者兼発行人として、これまでに数多くの個性が強いスタッフと交流してきた。その中でもマイクの印象は強い。強くて、良いイメージを持っている。

初めての交流は、ある時、突然にやってきた彼のメールだった。20年以上もスケボーメディアをやっていれば、そういったアプローチはいくらでもある。珍しいことではない。それに、その人が撮った写真やアートワーク、それに書いた文面を見れば、私としてではなく『Sb』(私が発行し続けているスケボーマガジン『Sb Skateboard Journal』)として、一緒におもしろいページをつくることができるかどうかを感じとることができるものだ。
「マイクと何かやりたい」。私はすぐに返事を書いた。そして新しい『Sb』で、すぐに彼の記事がページを飾ったのだった。それからがおもしろくて、マイクは、半年に1度のスパンで発行されている『Sb』にもかかわらず、どんどんとアーティクルを送ってきてくれる。それを採用するのもしないのも、こちらの感度次第だ。しかし、マイクはそんなことも百も承知で、どんどん新しいできごとに取り組み、撮り、描き、書いてくる。このとどまることを知らない彼のエネルギーに、私はとても刺激を受けている。いつしか私自身も影響を受けて、他の仕事やプライベートなものもので、書く量も回数もどんどん増えている。

いくつになっても、どれだけキャリアを積んできても、こうして新しい刺激で成長させてくれる才能や存在は、貴重である。マイクとの交流は、『Sb』とそれを楽しんでくれる読者にとってだけでなく、私にとっても財産なのだ。

プロとしてのキャリアをスタートさせるきっかけ

カリフォルニア州オレンジカウンティで育った、マイク・ケルシュナー。生粋のカリフォニアンである彼は、ティーンの頃からドローイングやペインティングが好きなだったようだ。スケートイベントでよく催されていたライヴペインティングで頭角を現していった。

転機は2つ。1つは、とあるコンテストで、エド・テンプルトンと隣り合わせになったこと。これをきっかけにして、彼がボスを務めるメジャーデッキブランド「トイマシン」で、スケートボードグラフィックをやるチャンスを得た。これがアーティストとしてのマイクのキャリアにつながっていった。

そして、もう1つ。それはフォトグラファーとして。それまでのシーンでは、写真撮影はたいていブライアン・ゲーバーマンら大物が担当していた。そんな中で、ジョー・ブルック(本連載にも登場してる)が、彼の愛車ビッグブルーでの撮影に連れて行ってくれて、マイクに写真撮影をするチャンスを作ってくれたのだった。

その時のジョー・ブルックの言葉が強く残っているという。
「アーティスト仲間のマイクだよ。よかったら、プロスケーターの君達を撮影させてほしい」。
そう言って紹介してくれたという。だからマイクは、いろんなスケートチームに出会い、撮影するチャンスを得た。ジョー・ブルックはナイスガイだと、以前に私も書いたが、本当に彼はチャンスを平等に与え、偉ぶることなく、人と人とを橋渡しする達人だ。

こうして、マイクは、エド・テンプルトンを手本に、ヴィジュアル・アーティストやスケーターとして、そしてジョー・ブルックを手本に、フィルムフォトグラファーとして活動を続けてきた。

いつまでも変わらない本質

マイク・ケルシュナーの足跡。作ってきたもの、描いてきたものは、とにかく膨大な量がある。アーティストや映画監督などは、多作タイプとそうでないタイプに分かれるが、マイクは間違いなく前者だ。
彼の膨大な作品数の最大公約数は、“スケートにずっと関わっているけれど、描く絵はスケートについてではない”ということだろうか。彼の作品のトピックは、スケートではなく北アメリカの野生動物について知ってもらうことだ。この地で人間と共存する生き物達。

小さい頃からゾウやキリン、ライオン、パンダなどの神話によく触れていたという彼が、その中でも一番興味を持ったのは、近くに生息する動物だった。コヨーテ、マウンテン・ライオン、アライグマ、ボブキャット、カエル、ガラガラヘビ、フクロウ、アオサギ、ミサゴ、そしてカリフォルニアの州旗にもなっている、絶滅寸前のクマ。そういったものに、想像をかき立てられたという。だから、マイクの作品からは、常に自然の中で生きていることを感じられるのだろう。

どことなくインディアンのネイティブプリントをほうふつさせる象徴的な彼のタッチ。そのキャンバスにスケートデッキやスケートセクションを選んだのが、スケートでプッシュし続けるマイクらしさと言えるだろう。

今後のヴィジョン

コロナ禍が落ち着いたならば、マイク・ケルシュナーは、アーティストとしての旅をまた広げていくことだろう。彼も自覚しているのは、スケーターとしてのスキルのピークは20代だということ。ステアの数を競いハンマートリックで魅せるならば、それはより若い時がベストだろう。しかし、創作活動は年を取るほどに成長していくものだ。

例えば、描き方や色使いにより自信がついていく。それを念頭に、マイク・ケルシュナーは、今後はさらに北アメリカの野生動物について探求しつつ、世界の多様な文化と神話も学びたいという。そう、世界各地の野生動物やそれにまつわる神話を探す旅を広げるのだ。もし、日本に行けるなら、ポンポコなタヌキをリアルサイズで描いたり、ローカルのスケーターをフィルムで撮影したいという。

ちなみに、マイク・ケルシュナーというのが名前だが、私は普段、彼のことを、ハスキー・ラウンドアップと呼んでいる。なぜかって。それは、彼のインスタアカウント名が、そうだからだ。
それには理由があって、かつてキヨミという名前のシベリアンハスキーと一緒に育った彼は、それからハスキー犬が大好きになったという。そして、ある日、サンフランシスコのストリートで見かけたハスキーをなでながら、その飼い主と話をしていた時、第3土曜日はデュボース・パークでサンフランシスコ中のハスキーが集合することを知った。それで、彼は「わあ、Husky Round Up!(=「集まれハスキー!」みたいなニュアンス) イヤッホー!」と、カウボーイが牛を呼ぶような反応をしたのだという。その語呂の良さ、イントネーションが気に入って、さらには草原でハスキーが自由にはね回っているのを想像したマイクは、これこそが自分のヴァイブスだと確信したのだった。それから、ハスキー・ラウンドアップという名でインスタグラムを始めたらしい。アーティストとしてのマイク・ケルシュナーの快進撃は、とどまることがない。彼の創作エネルギーの解放活動に終わりはない。
『Sb』マガジンと私は、昨日もちょうど彼の新しいアーティクルを受け取ったばかりだ。

マイク・ケルシュナー
アーティスト。スケートボードマガジン『THRASHER』のアートワークをはじめ、さまざまなスケートメディアでアーティクルを発表し続けているのと並行し、「ベイカー」「アンタイヒーロー」など、人気スケートブランドや「FAT」「ボルコム」といったストリートブランドや、ビースティ・ボーイズといったアーティストのビジュアルアートを手掛けている。また世界各地のD.I.Y.パークのセクションにグラフィックを描き続けている。
Instagram:@huskyroundup

author:

小澤千一朗

エディター、ライター、ディレクター。2002年に創刊した雑誌『Sb Skateboard Journal』のディレクターを務める。その他、フリーランスとして2018年より『FAT magazine』ディレクターやパンダ本『HELLO PANDA』シリーズの著作など、執筆・制作活動は多岐にわたる。 https://senichiroozawa.com/

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