映画連載 Archives - TOKION https://tokion.jp/tag/series-of-movie/ Tue, 26 Dec 2023 11:11:59 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.3.2 https://image.tokion.jp/wp-content/uploads/2020/06/cropped-logo-square-nb-32x32.png 映画連載 Archives - TOKION https://tokion.jp/tag/series-of-movie/ 32 32 Girls’ Film Fanclub Vol.2 『パトリシア・ハイスミス』に恋して ゲスト:菅野優香(同志社大学教授)後編 https://tokion.jp/2023/12/26/girls-film-fanclub-vol2-part2/ Tue, 26 Dec 2023 10:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=219482 「Sister」代表の長尾悠美をホスト役に、TOKIONが送る映画連載、Girls’ Film Fanclub。第2回目は、クィア映画理論の菅野優香を迎え、パトリシア・ハイスミスの生涯に迫ったドキュメンタリー『パトリシア・ハイスミスに恋して』をテーマに語り合う対談の後編。

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(左)菅野優香(右)長尾悠美

(左)菅野優香
カリフォルニア大学アーヴァイン校博士課程修了(視覚研究)。現在、同志社大学グローバル・スタディーズ研究科博士後期課程教授。専門は映画・視覚文化研究、クィア・スタディーズ。

(右)長尾悠美
渋谷区松濤にあるセレクトブティック「Sister」代表。国内外から集めたデザイナーズブランド、ヴィンテージ、書籍や雑貨など豊富に扱う。映画やアートを通してフェミニズムやジェンダー問題へも関心を寄せ、自らも発信や企画を積極的に行っている。

セレクトブティック「Sister」の代表を務め、映画やアートにまつわる企画を積極的に行う長尾悠美をホスト役に、TOKIONが送る「女性」をテーマにした映画連載、Girls’ Film Fanclub。第2回目は、クィア映画理論の専門家である菅野優香を迎え、映画「キャロル」などの原作で知られるアメリカの小説家、パトリシア・ハイスミスの生涯に迫ったドキュメンタリー『パトリシア・ハイスミスに恋して』をテーマに語り合う。

同性愛が禁忌とされた冷戦下のアメリカで、レズビアンとしてのアイデンティティに葛藤し、心の穴を埋めるように幾多の恋人と関わりながら名作を生み出してきたパトリシア・ハイスミス。映画監督のアルフレッド・ヒッチコックやトッド・ヘインズを魅了した作家が赤裸々に綴り続けた日記を紐解くことで見えてくるものとは?後編は、ハイスミスの人生と作品とをつなぐ日記、ハイスミスの人生をめぐる葛藤と恋、そしてハイスミスの代表作の一つ「キャロル」のエンディングから考える同性愛表象のあり方について。

前編はこちら

実人生と作品の媒介としての日記

長尾:ハイスミスはレズビアン小説を「ガールズブック」と呼んでいたようですね。「ガールズブック/彼女は同性愛を実践せずにはいられない/これは彼女の青さと身勝手さ、理性主義の成熟を描いた物語だ」という日記の抜粋が印象的です。先生はハイスミスの日記を読まれているとのことですが、ハイスミスにとって日記とはどんな存在だったと思いますか?

菅野:ハイスミスは生涯日記を書いていて、彼女が亡くなった後はそれらがスイスの図書館に保管され、後に編纂されて本となり刊行されました。あくまでも推測ですが、ハイスミスはどこかで人に読まれることを想定して日記を書いていたんじゃないかと思うんです。映画の中ではミーカーが日記を盗み見したことが同棲解消の原因になったと語られていましたけど、絶対に見られたくないものなら、絶対見つからない場所に保管するとか、肌身離さず持ち歩くとかするんじゃないでしょうか。それに亡くなった後も他人に読まれたくないのであれば、生前に処分することもできます。実際にそういう人は結構いますから。ハイスミスは、急に亡くなったわけではないので、その選択肢もあったんじゃないかと。

長尾:見られることを想定して日記を書いていたのかもしれないという視点は興味深いです。確かに映画の中で紹介されていた日記の内容も、読み手を意識していたともとれる文学的な言い回しが多いですね。

菅野:ハイスミスの日記は、彼女のハチャメチャな人生と、それと対比的な彼女の作品とを媒介するものかなとも思います。ハイスミスは徹底的に作家としての生き方を貫いた人なので、日記を含めて自分の作品と考えていたところもあるんじゃないでしょうか。もちろん作品ほどの完成度があるわけじゃないし、書かれていることも二転三転するので、内容をどこまで真に受けていいのかもわからないんですが、それを含めて面白いなと。ハイスミスは他の人を日記から遠ざけるために最初のページに呪いをかけたりして(笑)、その中には創作の秘密があるように見せるわけですが、実際に中身を読んでもその実像は掴みづらいんです。

長尾:日記が残っていたおかげでこの映画が生まれ、結果的にハイスミス作品と出会い直すきっかけを広く提供してくれていますね。私も本作を観た後にハイスミス原作の映画をいくつか見直しましたが、その全てに彼女の人柄を感じ、さらに作品に対する愛おしさが増したように思います。同時に、そんなハイスミスがこの映画を見たらどう思ったのかとも想像してしまいました。ファンとしては嬉しいですが、きっとハイスミスは耐えられないのではないかと(笑)

菅野:本人がいたら毒づいていたでしょうね(笑)今回の映画に関しても、ハイスミスのファンからしたら彼女がタイプライターを打っている執筆中の姿を見られただけでも見た甲斐があるのでは。ミーカーが自伝のなかでハイスミスの家に誘われた時のことを回想しているんですが、彼女はベッドと机だけの、他には何もない部屋に住んでいたようです。それでどんなに急でも空きがあるとわかると、タイプライターだけ持って船に乗り込んで、ヨーロッパへと旅に出かけていた。中流階級的な快適な暮らしをしようという考えがあまりなかった人なんじゃないかなと思います。

長尾:それなのに晩年、スイスにあんな大きい要塞のようなお屋敷を建ててしまうなんて、やることが極端ですね(笑)

菅野:そうなんですよ。でも、あの家も建てた後すぐに後悔しているんですよね。もともと住んでいたフランスの家を買い戻そうとして結局失敗したり、スイスは寒いとか寂しいとか言ったりして。いつもどこか不満なんですよね。

「私が小説を書くのは生きられない人生の代わり」

長尾:ドキュメンタリーの終盤の彼女の日記からの「私が小説を書くのは生きられない人生の代わり。許されない人生の代わり」という言葉からは、非常に切ない想いを感じました。ハイスミスは1990年にクレア・モーガン名義ではなく、パトリシア・ハイスミス名義で「キャロル」を再刊行していますね。母との親子関係の解消や数々の恋愛を経て心境の変化があったんでしょうか。

菅野:ハイスミスの名前で『キャロル』を出したのは亡くなる5年前ですね。レズビアンということの葛藤をずっと抱えて、その罪悪感や挫折感がずっと拭えず、自分はまともじゃない、ダメな人間なんだという思いはずっともっていたんじゃないかなと思います。

長尾:たくさん恋愛をしてきたというのは、誰かに認めてもらいたいという意識もあったんでしょうか。

菅野:そうかもしれません。でも結局付き合いは長く続かないし、別れてしまってひとりになったらまた寂しくなってレズビアンバーに行って。その繰り返しだった。

長尾:ちなみに映画の中には、ハイスミスが40代の頃に逢瀬を重ねたイギリス人のキャロラインという、顔が明かされない女性も登場しますが、この方について先生はご存知ですか?

菅野:映画の中で顔が明かされず、謎めいた女性として描かれているので、見る側としてはハイスミスが生涯をかけて愛した特別な女性と思ってしまうんですけど、自伝を読む限り、そういう相手は何人かいたようです(笑)むしろハイスミスは恋をするといつも「この人しかいない!」と思っていたようなところもあって。タベア・ブルーメンシャインとの失恋の時も傷ついて執筆ができないという状態になっていましたからね。でも、「キャロル」の直接のモデルとなったキャサリンという女性や、タベアと並んで、彼女の創作や人生に大きな影響を与えた人物の1人なんだとは思います。

「キャロル」のエンディングと同性愛表象のあり方

長尾:映画「キャロル」の話題が出たので最後にお聞きしますが、「キャロル」は、書かれた時代にしては珍しく、同性愛がハッピーエンドで描かれていますよね。歴史的に見て、同性愛の表象をめぐっては、叶わぬ恋やそれによって引き起こされる悲劇を描く作品が多く作られてきました。それは現実に起きていることを告発し、批判する効果がある一方で、その表象によって同性愛=周縁/悲劇という結びつきがあまりにも強くなり、社会における異性愛中心の価値観を結果的に強化してきてしまった、とも言える気がします。近年はクィアやLGBTQIA+の方達をエンパワーするようなポジティブな作品もかなり増えていると思いますが、菅野先生は、今そして未来に向けた性的マイノリティの表象のあり方について、どのようにお考えですか?

菅野:私は悲劇的な関係性やうまくいかない関係性を描くことも全然ありだと思っています。クィア・シネマは、さまざまな欲望やどうにもならない関係性、そしてセクシャリティのおぞましさなど、直視したくないものも描くことができる。クィアであることやLGBTQIA+であることが何も障壁にもならない世界を描くことも、もちろん必要だとは思うんですが、全部がポジティブになればそれでいいとは思いません。生きていく中で経験する差別など、マイノリティの経験を赤裸々に描くことがあってもいい。あるものをない、そして辛いことを辛くないと言う必要はないと思うんです。

マリジェーン・ミーカーの「Spring Fire」が出版された1950年代〜60年代のアメリカは、同性愛は社会的に認められておらず、当事者は公的な仕事に就けないし、職場でバレたらクビになってしまう時代でした。そのため、その頃の作品は、当局による事実上の検閲と出版社の自主的検閲のため、悲劇で終わらせなければ出版さえできなかったという事情がありました。

「キャロル」のあのエンディングについても、ハイスミス自身が初めからハッピーエンドを書こうとしたのではなく、編集者からの提案を受けてあの形になったと書いてある本もあります。ただ、彼女は自分の意に反する意見を呑んで筋書きを変える作家ではないと思うので、良い編集者との出会いがあったんだろうなと想像します。あのエンディングは素晴らしいので、結果的にああなってよかったと思っています。

長尾:それこそ前回取り上げたウルリケ・オッティンガーも、現実に起きていることから目を背けてはいけないという問題意識のもと、それらを皮肉やユーモアなどに包みながら描いていましたね。

菅野:そうですね。悲劇を描くとしても、それをどう批評的に描くかが重要ではないでしょうか。例えば性的マイノリティが死んでしまうエンディングを描くとしても、それを単に避けられない運命として描くのではなくて、「こういう現実ってどうなの?」と観客に投げかけるような批評的な視点を持って表現する。それがあれば死を描くことにも意味があるのではないかと思います。

長尾:ここ数年色々な映画を見てきて、見る側に解釈を委ねるようなエンディングを描く監督が多いなと感じますね。見た人によって受け止め方が割れるような作品がたくさんあるなって。自分自身も、そういうものに対してどう思ったかを人と共有したりすることが大切なんじゃないかなと思います。

菅野:「キャロル」についても、ハッピーエンドっぽく終わりはするけれど、若干どうなるかわからない部分もありますよね。「この2人、本当にうまくやっていけるのかな」と心配になったりもしますし(笑)

それに加えて1つ思うのは、映画ってエンディングで語られる傾向にあるんですけど、その他にも強烈な印象を残すシーンってあるじゃないですか。そういう部分に注目するのも面白い。だからこそ、エンディングと同じくらい1シーンずつの強度も大事なんです。これはクィア・シネマに限った話ではなく、映画全般に言えることだとは思いますが。ただ冒頭で話したように、「生成すること」や「変化すること」がクィアの特徴でもあるし、カチッと決まり切ったものに対する抵抗としての「クィア」の側面を考えると、映画の中盤でグチャッとしたカオスが生まれるような作品もそれはそれで面白い映画のあり方だと思いますね。

長尾:なるほど。それも「クィア・シネマ」の一つのあり方ということですね。今回は菅野先生のハイスミス愛に溢れた興味深いお話をたくさん聞かせていただき、本当に嬉しかったです。このような素晴らしい機会をありがとうございました!

映画『パトリシア・ハイスミスに恋して』予告編

『パトリシア・ハイスミスに恋して』

監督・脚本:エヴァ・ヴィティヤ 
ナレーション:グウェンドリン・クリスティー
出演:マリジェーン・ミーカー
   モニーク・ビュフェ
   タベア・ブルーメンシャイン
   ジュディ・コーツ
   コートニー・コーツ
   ダン・コーツ 
音楽:ノエル・アクショテ 
演奏:ビル・フリゼール
   メアリー・ハルヴォーソン

2022年/スイス、ドイツ/英語、ドイツ語、フランス語/88分/カラー・モノクロ/1.78:1/5.1ch 

原題:Loving Highsmith 
字幕:大西公子 
後援:在日スイス大使館、
   ドイツ連邦共和国大使館 
配給:ミモザフィルムズ
© 2022 Ensemble Film / Lichtblick Film  
【Web】https://mimosafilms.com/highsmith/

Photography Mika Hashimoto
Text / Edit Shinichiro Sato(TOKION)

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Girls’ Film Fanclub Vol.2 『パトリシア・ハイスミスに恋して』ゲスト:菅野優香(同志社大学教授)前編 https://tokion.jp/2023/12/23/girls-film-fanclub-vol2-part1/ Sat, 23 Dec 2023 09:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=219462 「Sister」代表の長尾悠美をホスト役に、TOKIONが送る映画連載、Girls’ Film Fanclub。第2回目は、クィア映画理論の菅野優香を迎え、パトリシア・ハイスミスの生涯に迫ったドキュメンタリー『パトリシア・ハイスミスに恋して』をテーマに語り合う。

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(左)菅野優香
カリフォルニア大学アーヴァイン校博士課程修了(視覚研究)。現在、同志社大学グローバル・スタディーズ研究科博士後期課程教授。専門は映画・視覚文化研究、クィア・スタディーズ。

(右)長尾悠美
渋谷区松濤にあるセレクトブティック「Sister」代表。国内外から集めたデザイナーズブランド、ヴィンテージ、書籍や雑貨など豊富に扱う。映画やアートを通してフェミニズムやジェンダー問題へも関心を寄せ、自らも発信や企画を積極的に行っている。

セレクトブティック「Sister」の代表を務め、映画やアートにまつわる企画を積極的に行う長尾悠美をホスト役に、TOKIONが送る「女性」をテーマにした映画連載、Girls’ Film Fanclub。第2回目は、クィア映画理論の専門家である菅野優香を迎え、映画「キャロル」などの原作で知られるアメリカの小説家、パトリシア・ハイスミスの生涯に迫ったドキュメンタリー『パトリシア・ハイスミスに恋して』をテーマに語り合う。

同性愛が禁忌とされた冷戦下のアメリカで、レズビアンとしてのアイデンティティに葛藤し、心の穴を埋めるように幾多の恋人と関わりながら名作を生み出してきたパトリシア・ハイスミス。映画監督のアルフレッド・ヒッチコックやトッド・ヘインズを魅了した作家が赤裸々に綴り続けた日記を紐解くことで見えてくるものとは?対談の前編は菅野優香が提唱する「クィア・シネマ」というコンセプト、ハイスミスの代名詞となったリプリーというキャラクターと「ダブル・アイデンティティ」、そしてレズビアン・サブカルチャーとしての「ドラァグ」の実践について。

視点と手法としてのクィアシネマ

長尾: 2023年3月に倉敷芸術科学大学の川上幸之介先生の協力のもと、Sister主催でゲリラガールズの展覧会を開催したんですが、菅野優香先生は、そこで展示した10作品のテキストの翻訳を手掛けてくださっていて。その時からのご縁です。

菅野:そうですね。その時は直接はお会いできなかったのですが、私も長尾さんとはお話してみたかったので、今回こうしてお話しできて嬉しいです。

長尾:菅野先生は2023年4月に「クィア・シネマ -世界と時間に別の仕方で存在するために-」を刊行されています。私がたまたま京都を訪れた際に、出町座という映画館でこの書籍を見かけて購入し、読ませていただきました。個人的にこの本にはとても影響を受けまして、映画についての私の新たな視点を開いてくれたと思っています。今一度、「クィア・シネマ」とはどういうものの見方、概念なのか、先生の言葉でご説明いただけますか。

菅野:クィア・シネマを考える上では、当然ですが「クィア」とは何かということが大切になってきます。クィアは、良くも悪くもとらえどころがなくて、常に変化するものであり、少し専門的な言葉を使うとすれば「生成する」もの。LGBTQIA+の概念と重なる部分もあるけれども、クィアはより「視点」や「方法論」として考えることが多いです。

つまりクィアとは、ジェンダーやセクシュアリティに関する用語、カテゴリー、そして常識に対して、「それって本当なの?」と問い返すような視点であり、その常識が「間違っている」のであれば、それとは違う形をいかに見出せるかを探る方法論でもあると考えています。

その前提には、今の社会の状況が全くもって十分じゃないという認識があって、だからこそクィアは、変化すること自体、そして、もっと良いものになる可能性自体を表しているとも思っています。女性とは?男性とは?異性愛者とは?シスジェンダーとは?トランスジェンダーとは?そんなことを根本から問いつつ、異性愛規範、つまり人は異性愛であるべきだという考え方を問い直すことがクィアにとっては重要です。だからこそ、他者との親密な関係や欲望、あんなふうになりたいという強い思いを、映画を通して考えることがクィア・シネマにとって大切だと思っています。

長尾:なるほど。自分のことを少しお話しさせていただくと、私は地方出身で、文化に疎い家庭で育ったので、地元にいた頃は、まさにハリウッドを中心とした映画産業の中で作られた異性愛主義的なエンタメを消費してきたんです。ただそんな自分も、作品の中で常に男女のハッピーエンドが描かれることに対してどこか違和感を感じてきたのは事実で、上京してから知った様々な作品を通して、多様な世界観に触れて安心したような感覚になりました。そんな中、メジャーからマイナーまで様々な映画をクィアな視点で分析されている菅野先生の「クィア・シネマ」を読んだことで、また新たな方法で映画に向き合えると思えたんです。

菅野:映画は近代のテクノロジーとして発展してきた装置ですが、同時に、ジェンダーやセクシュアリティ、そして人種のテクノロジーとして発展してきた側面もあります。映画が生まれた当初から、近代家族や男女の恋愛など、常に異性愛的なモチーフが描かれてきましたし、観客はそれらを通して様々な規範を教えこまれてきました。それは今の時代でも言えることです。

ただ一方で、映画はそういった規範を転覆させる力も持っているんじゃないでしょうか。一見ヘテロセクシャルな恋愛を描いていたとしても、その中に実はクィアな瞬間や可能性が隠されていたりする。映画はそういうことができるメディアでもあります。長尾さんがおっしゃるように、主流映画にはジェンダー、セクシュアリティ、人種などに関する規範が詰め込まれているのも事実ですが、同時に、それらを転覆させ、組み替えることができるような要素も含まれていて。クィア・シネマという視点を通して映画を見ると、そういうものが見えてくる面白さもあります。

長尾:私も先生の本を手引きに、パトリシア・ハイスミス原作のヒッチコック映画「見知らぬ乗客」を改めて見たんですが、菅野先生が書かれているように、実は主流映画にも規範に抗うような瞬間が隠されているんだなと感じることができました。

「女性を愛する女性にとって最悪の時代」を生きたハイスミス

長尾:さて早速、今回のテーマである「パトリシア・ハイスミスに恋して」についてお話していきたいと思います。本作は、ハイスミスのパーソナルな日記を紐解く中で、ハイスミス個人と、作家としての彼女の姿が対比的に描かれています。ただ一方で、実はそれぞれの作品が彼女のパーソナルな部分ともリンクしていると感じさせられました。なんでも菅野先生はパトリシア・ハイスミスのファンでいらっしゃるとか。

菅野:好きすぎてあまり語ってきていないんですが、実は大ファンです。この映画も日本で配給が決まる前に見ていて。在外研究員として2018年から1年間ニューヨークに住んでいたんですが、その時にグリニッジ・ヴィレッジを含め、ハイスミスゆかりの場所や、作品の舞台になっているところなどを訪れて「ハイスミス詣(もうで)」をしていました(笑)映画のもとになった日記やノートをまとめた本も、その前に出版されていたジョーン・シェンカーやアンドリュー・ウィルソンの書いたハイスミスの伝記本も読みました。

長尾:そうだったんですね!お話をうかがうのが楽しみです。映画では、ハイスミスがレズビアンとしての自覚を持ちながらも時代の価値観に翻弄されて罪悪感を抱いていたこと、そして自身のアイデンティティをめぐって母との大きな確執を抱えてきたことが描かれています。そういった経験が作品にも大きな影響を与えているんでしょうか。冷戦の中、ラベンダーの恐怖*1が起こった当時のアメリカでは、同性愛者として創作すること自体が容易ではなかったんでしょうね。

菅野:ハイスミスは、作家であることとレズビアンであることが分かち難く結びついていた人だと思います。彼女は1921年生まれなので、冷戦が始まる頃(1940年代後半から50年代)に自分のアイデンティティを見出していったわけですが、「レズビアンの歴史」(筑摩書房 1996)の著者であるリリアン・フェダマンによれば、その時代は「女性を愛する女性にとって最悪の時代」だったと。レズビアンであることを絶対に隠さなきゃいけないような時代を、ハイスミスは生きていた。彼女自身も精神分析に通ったりして、異性愛者になろうと努力はしましたが、結局異性愛者にはなれませんでした。

そんなふうに時代の価値観に翻弄され、葛藤していたんですが、その反面で人種やジェンダーの規範を大いに内面化していた部分もあって。「リプリー」の中で主人公のトム・リプリーが思いを寄せる、青い目をした巻毛の裕福な青年・ディッキーの描写にも彼女のフェティシズムが色濃く表れていますし、彼女自身が私生活で好きになる人も、「見た目の良い」白人の女性たちがほとんどでした。ハイスミスはとても魅力的な作家である反面、人種主義や女性蔑視の傾向を持つ人でもあったんです。

長尾:映画の中にも、晩年は日記の中に人種差別的な言葉が目立ち始めたとありますね。若い頃から積み重なった葛藤や取り込んできた規範が、表面化したものとも言えるのかなと思いました。彼女はもともと南部の生まれで、そこからニューヨークに移りましたよね。映画の中では、幼少期のハイスミスが黒人の男の子と手を繋いでいたのを見た母親と祖母が激昂し、別の学校に転校させたというエピソードが紹介されていますが、そのような保守的で、人種差別的な母親と祖母の影響は大きかったんでしょうか。

菅野:そう思います。でもそれと同時に、家族や「生まれ」には還元できない彼女自身が培った人種主義的な考え方があるんじゃないかとも思うんです。教養のある家に生まれた人は別かもしれませんが、たいがい親に代表される「上の世代」というのは時代錯誤なことやトンチンカンなことを言うものじゃないですか。でもいくら親とは言え、おかしいと思うこともあるし、大人になったら、この人たちとは意見が違うなと線引きできるときがくると思うんです。

ハイスミスは思慮深いところもあるし、ヨーロッパに住んでアメリカを相対化させられる場所にいたわけですから、保守的な考え方から脱却することもできたはずだけど、それをしなかった。もちろん彼女の出自が無関係ではないにせよ、そうした価値観を持ち続けたのは、自分自身の責任とも言えるのではないかと思います。

「リプリー」とダブル・アイデンティティ

長尾:今のお話にも登場した「リプリー」は、彼女の代名詞となったキャラクターであり、ハイスミス自身の生き写しだとも語られていますね。先生はトム・リプリーというキャラクターをどう見られていますか?

菅野:私は文学の専門家じゃないので、あくまで1人の読者としての感想ですが、ハイスミスは「リプリー」という男性に同一化して初めて創造的に作品を作れたんじゃないかと思うところがあります。リプリーをはじめ、複雑で狂気すれすれとも言える魅力的な男性キャラクターに比べて、ハイスミスが描く女性は、人の体型を揶揄する意地悪なキャラクターや、自立していない面白みのないキャラクターが多いんです。それはハイスミスが内面化していたある種のミソジニー(女性嫌悪)の現れのようにも感じられて。実際に「女性は不完全な存在だ」という趣旨の発言もしていますし。

だから、自分自身が男性になること、リプリーになること、いわば「ダブル・アイデンティティ」というものに魅力を感じたんじゃないかと。「ダブル・アイデンティティ」はハイスミスを考える上でとても大事なテーマだと思っています。例えばリプリーがディッキーになりすますことだけでなく、長編第1作目の『見知らぬ乗客』でも、ガイとブルーノの「ダブル・アイデンティティ」が示唆されていたり。ハイスミス自身も長い間レズビアンであることと、作家であることの「ダブル・アイデンティティ」を保持していたのではないでしょうか。

また彼女は、英語の他にもフランス語やドイツ語、スペイン語を使って日記を書いていました。言語を切り替えることで、別の人になりきっていた側面もあるんじゃないかと思うんです。リプリーがディッキーになりすますように、ハイスミスもまたドイツ語やフランス語で日記を書いてドイツ人やフランス人になりすましたり。そういう普段からの「ダブル・アイデンティティ」の実践が、リプリーの着想に繋がったんじゃないかと想像しています。

長尾:それは面白いですね。女性たちが不自由な環境に置かれていたからこそ「もし自分が白人男性だったら」ということに憧れを強く抱き、男性キャラクターへの想像力が大いに働いたんでしょうか。そういう意味で、リプリーは彼女の理想や欲求が詰め込まれた存在なのかもしれませんね。

菅野:そうですね。彼女のどこかマスキュリンな装いは、そういう「男性」への憧れも関係していたのかなとも思います。

レズビアン・サブカルチャーと「ドラァグ」

長尾:マスキュリンな装いと言えば、モニーク・ビュフェ(ハイスミスの元恋人)は「ドラァグ」について映画の中で言及していました。レズビアン・バーを中心にして行われてきた「ドラァグ」は、男性的な服に身を包むだけでなく、男性役の人が皆の飲み代を奢ったりすることも含んでいるようですね。それは男性が伝統的に担うとされてきた社会的な役割を茶化しつつロールプレイすることで、固定化したアイデンティティやジェンダーロールを錯乱させるような面白い実践だと改めて感じました。

菅野:おっしゃる通りです。1950年代のニューヨークのレズビアン・バーはマフィアが仕切っているところが多く、出入りする人は労働者階級の人たちがほとんどでした。そこにあったのがブッチ/フェム文化*3でした。それは単に異性愛を模倣しているのではなく、それをパロディ化していて。本人たちは「私は、シスジェンダーのヘテロ男性よりも『男性』らしく振る舞うことができる」というプライドを持って大真面目に「ドラァグ」をしていたと思うんです。だからこそ、ブッチはたとえ一文なしだったとしても、メンツを保つために、パートナーからお金を借りて彼女の飲み代を出したりするような「男らしさ」を演じることもあったし、フェムの人たちは、男らしさをアピールしたいパートナーの気持ちを慮って、ブッチのそういう体面を守ってあげたり。ある意味、自分たちは男性とは同じ立場にいないことをわかっているから、彼女たちは異性愛的な役割分担をずらしながら行う。そういう文化を当時のレズビアンたちが発展させたのは、とても興味深いですよね。

長尾:そんなニューヨークのレズビアン・バーで知り合い、一時期生活を共にしていたのがこの映画でも登場するマリジェーン・ミーカーですね。彼女の言葉もまた、当時のレズビアン・コミュニティについて知る貴重な証言だと感じました。

菅野:ハイスミスはとにかくバーが好きだったようで(笑)マリジェーン・ミーカーと初めて出会った日も、グリニッジのエルズというバーに1人で繰り出して、ジンを飲んでいたそうです。

ハイスミスがクレア・モーガン名義で『The Price of Salt』(『キャロル』の原題)を発表した1952年に、マリジェーン・ミーカーも『Spring Fire』というレズビアン・パルプフィクション*2を代表する作品を発表してベストセラーになりました。ある意味では、レズビアンカルチャーにおいてはむしろハイスミスよりもミーカーの方が重要な存在と言ってもいいくらいで。ポリアモリーを自認していたハイスミスは、ミーカーと同棲していた期間も色んな人に会っていたみたいですけどね。

ハイスミスは次々に恋人を作るけれども、すぐに「執筆には孤独が必要」などと言って恋人の存在が疎ましくなる。彼女の日記では、いつも相手が悪いことになっているんですが、きっとそんなことはなくて(笑)惚れっぽくて最初は相手に熱を上げるけれど、結局小説を書くことが優先になって、そのために「ひとり」になりたいという身勝手な部分があって。すごく人間的とも言えますが。

長尾:作家としての彼女のイメージとのギャップがすごい(笑)そんなふうに数々の女性たちと恋愛関係にあったハイスミスですが、この連載でも前回取り上げたウルリケ・オッティンガー作品での出演で知られるタベア・ブルーメンシャインとも関係があったことにも驚きました。この出会いもレズビアン・バーのコミュニティが起点となっていたようですね。

菅野:そうですね。ドキュメンタリーの中で、タベアを主演にたてて「リプリー」の映画を撮る構想があったことが紹介されていましたが、ぜひ見てみたかったですよね。タベアはオッティンガーにとってもミューズでしたし、単に「美形」ということではなくて、内面もぶっ飛んでいたからこそ、女性作家たちの感性を刺激するものがあったんでしょうね。

後編に続く

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*1 ラベンダーの恐怖:
20世紀半ばに同性愛者の大量解雇につながった、アメリカ政府内の同性愛者に対するモラル・パニック。マッカーシズムを背景に、ゲイやレズビアンは国家安全保障上のリスクや共産主義者のシンパであると言われ、彼らを国家公務員から排除しようという呼びかけにつながった。

*2 レズビアン・パルプフィクション:
レズビアンをテーマにした20世紀半ばのペーパーバック小説やパルプ雑誌を指す。1950年代から1960年代にかけてレズビアンのための、あるいはレズビアンにまつわる文学はほとんどなかったため、一般大衆(レズビアンであろうとなかろうと)がレズビアンとは何かを認識するための唯一の参考文献が、これらの本であったことも少なくなかった。

*3 ブッチ/フェム文化:
レズビアンのサブカルチャーで使用される用語で、男性的(ブッチ)または女性的(フェム)なアイデンティティとそれに関連する特徴、行動、スタイル、アイデンティティなどを認識するために使用される。

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映画『パトリシア・ハイスミスに恋して』予告編

『パトリシア・ハイスミスに恋して』

監督・脚本:エヴァ・ヴィティヤ 
ナレーション:グウェンドリン・クリスティー
出演:マリジェーン・ミーカー
   モニーク・ビュフェ
   タベア・ブルーメンシャイン
   ジュディ・コーツ
   コートニー・コーツ
   ダン・コーツ 
音楽:ノエル・アクショテ 
演奏:ビル・フリゼール
   メアリー・ハルヴォーソン

2022年/スイス、ドイツ/英語、ドイツ語、フランス語/88分/カラー・モノクロ/1.78:1/5.1ch 

原題:Loving Highsmith 
字幕:大西公子 
後援:在日スイス大使館、
   ドイツ連邦共和国大使館 
配給:ミモザフィルムズ
© 2022 Ensemble Film / Lichtblick Film  
【Web】https://mimosafilms.com/highsmith/

Photography Mika Hashimoto
Text / Edit Shinichiro Sato(TOKION)

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#映画連載 doooo 世界を虜にしている人肉アイテムのルーツでもあるマッドでポップなB級映画 https://tokion.jp/2021/06/06/doooo-movie-column/ Sun, 06 Jun 2021 06:00:43 +0000 https://tokion.jp/?p=36384 世界的に話題を集めているCreativeDrugStoreのDJ・プロデューサーのdooooが生み出す人肉アイテム。そのルーツになっているのはB級映画だという。今回は厳選した3作品にフォーカス。

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映画鑑賞は動画配信サービスの普及によって、もはや特別な行為ではなくなり、感想の共有やレコメンド検索も簡単になった。しかし、それによって映画を“消費”しているようにも感じる。本連載では、映画を愛する著名人がパーソナルなテーマに沿ったオススメ作品を紹介する。

若い世代を中心に大きな支持を得ているクリエイティブ集団、CreativeDrugStoreに所属するDJ・プロデューサーのdoooo。彼が生み出すのは、人肉MPCをはじめとした人肉サイコロや人肉小銭入れ、人肉印鑑など、さまざまな人肉アイテムだ。これが、SNSを介し世界的に話題を集めており、その人気はロサンゼルスのセレブの間でもバズっているほど。

dooooが生み出す音楽や人肉アイテムは、中毒性が高く、一度ハマると抜け出せなくなってしまう。その彼のクリエイティブのルーツはB級映画だという。dooooの独創的な感性を育てたB級映画と魅力とは。マッドでポップな世界観の源泉に迫る。

地上波では決して放送できないB級感がたまらない

初めてB級映画を観たのは小学5年生の頃でした。兄の影響で観た『オールナイトロング』という映画がキッカケ。女の子がアキレス腱を切られてしまうシーンが強烈で、地上波では観ることがない描写に強い衝撃を受けたのを覚えています。
その後中学生になり、僕の周りでは『人肉饅頭』のような怖いタイトルの作品がはやっていて、そういった映画を友達と集まって観るようになったんです。TVでは放送できないぐらい過激だけど、思わず笑ってしまう違和感があったり、遊び心があったりするB級映画もメジャーな映画と同じくらい好きかもって思うようになったんです。今回はそんなB級映画の中でも特に好きな作品を紹介させてください。
(※「B級映画」の定義はさまざまあるかと思いますが、この場ではメジャーな作品ほど知られていない映画のことだと思ってください。大雑把ですみません)。

ホラーだけど思わず笑ってしまう

まず紹介したい映画は『バスケットケース2』です。1980年代初頭に話題を集めたカルトホラー映画『バスケットケース』の続編です。シャム双生児として生まれた異形の兄、ベリアルと弟、ドウェインの物語。その兄弟が異形の姿に理解ある人と出会い、一緒に暮らし始めるのですが、その家には他の異形の姿の人がたくさんいて……という物語です。

1作目は異形の兄、ベリアルのビジュアルが安っぽかったり、コマ撮りで動きを見せていたりと、最近の映画と比べると作り物感がハンパないのですが、しっかりとホラームービーに仕上がっていてこれはクラシックだなという印象でした。

それに比べてこの2作目は、ちょっとふざけているように見えるというか。ホラー描写の中に兄弟愛も濃く描かれていて、心打たれるストーリーになっているのですが、その一方で振り切ったビジュアルの異形のひとびとが大暴れして思わず笑ってしまう。僕はこのアンバランスな感じとシュールさがすごい好きで、2作目のほうが1作目より印象に残っていました。本当に観る人を怖がらせようとしているのかもしれないのですが、観る人が観れば笑ってしまう。ちょっとふざけた要素も入れようとしたのか、それとも本当にホラー映画を作ろうとしていたのか、製作者の意図を想像するのも楽しいです。

笑えるシーンばかりなのにカッコイイ

次は『ゴールデン・ヒーロー 最後の聖戦』。現在、『週刊SPA!』に『少年イン・ザ・フッド』を連載中でさまざまな映像を手掛けるなど、おもしろいモノをたくさん生み出しているGhetto Hollywood(SITE)さんにお借りしたVHSです。お家に遊びに行くといつもいろいろな作品を観せてくれるんですけど、その中でも特にインパクトが強くて。

ゴールドのアクセサリーを着け過ぎて死んだ弟の事件をきっかけに、街を牛耳るマフィアを追う兄の物語です。この「金の着け過ぎで死んだ弟」というトリッキーな設定からわかる通り、めちゃくちゃふざけている映画です。

作中では絶対に公の場では使ってはいけない表現・描写が多く、さらに『ランボー』や『燃えよドラゴン』『エクソシスト』といった有名映画のパロディもたっぷりで、笑えるシーンが盛りだくさんです。そうかと思えば銃撃戦はしっかりやっていたり、BGMやシーンの1つ1つがカッコ良かったり、エンディングではラッパーのKRS ONEが登場していきなりラップを始めたり、すごく見応えがあります。ふざけながらも当時の社会のことを良い塩梅に取り入れているように見えて、そこにも魅力を感じました。

ちなみにVHSのパッケージの前面に大きく写っている2人組は敵の小悪党で、主人公は帯の部分に小さく写っています。

『ゴールデン・ヒーロー 最後の聖戦』と『バスケットケース2』は、ストーリーもおもしろいです。世間一般でB級映画と評される映画って、ストーリーが退屈なものもあるかと思います。そんな映画を観る時、僕はおもしろそうなシーンまで早送りするということもたくさんあって、そういった作品は正直どんな話なのかしっかりわかってないです。でも造形のこだわりだったり、シーンを観て感じる強烈なインパクトだったり、そういうところをまた観たくなってしまうので、B級映画は気になってしまうのだと思います。

不気味さの中にあるカッコよさが魅力

最後は、日本の映画『深夜臓器』を紹介します。これは兄と閉店直前のレンタルビデオ屋さんに行って購入した作品で、第2回インディーズムービー・フェスティバルの入選作品です。自主制作の映画なので画質が荒く、手作り感もあり普段あまり目にしない独特な雰囲気が出ています。主人公が深夜にTVをつけると、奇妙な白塗りの顔の男が司会者のクイズ番組が突然始まり、クイズに正解すると大金がもらえ、間違えるとカードに書かれた体の一部や臓器が奪われるというストーリー。テレビに映った回答者は体の一部を奪われながらも頑張ってクイズに答えようとしますが……。と、最近もマンガやドラマにあるようなデスゲームものに近いのかなと思います。

冒頭に監督の山口洋輝さんのインタビューがあるのですが、そこで「僕なりに不気味さの中にあるカッコよさを表現した」って言ってるんです。
僕が好きな作品や僕が作る音楽も「ドープとポップ」や「マッドとポップ」みたいなのがキーワードになることが多いので、勝手に共感してしまいました。

今も昔も存在しているサイコホラーなゲームの映画ですが、制作当時は今と比べて世にあふれてなくて、よりこの作品がすごかったんじゃないかなと思います。それに加え、印象に残るブルーが強い色味や暗い画面だったり、やり過ぎなくらいのキャラクターなど、自主制作だからこそカッコいいと思える部分がたくさんありました。

話は変わりますが、お気に入りだったり一生懸命作ったクリーチャーやCGをしつこいくらい見せる、これきっとB級映画あるあるだと思います。僕はかなり見せたがりなので、みなさんもそうであってくれと思っているだけかもしれませんが……(笑)。

今回は全体的にクオリティの高い作品を選びましたが、「クオリティの高さ」と「おもしろさ」はイコールではないと思います。B級映画はストーリーがめちゃくちゃでも製作チームの熱意が伝わってくるというか、とにかく本気でやりきってる作品が多いんです。B級映画に限ったことではないかもしれませんが。
予算が少なくて使いたい機材がそろわなくても、製作に関わる人数が少ないとしても、アイデアやセンス、パワープレーでやりきってる。だからこそバランスが崩れたり、デタラメな感じがあったりするんですよね。でもそこに中毒性があるのがB級映画の良いところかなと思います。

僕が作っている人肉アイテムのルーツは、そんなB級感がある映画なんです。一番影響を受けているのは『ザ・フライ』という人間とハエが融合してしまう映画なんですけど、「人間と何かが合体するのっておもしろいな」って観て思ったんです。その時ちょうど僕の1stアルバムを作っていて、そのアルバムを発表する際に、僕という人間を音楽以外で伝える方法として考えたのが、人肉MPCなんです。一番使っている機材MPC2000XLとSFやホラーが好きという一面が伝わればいいなって。

B級映画のすべてが直接インスピレーションになっているわけではないのですが、発想や根本的な部分ではルーツになっています。
例えば、質感で言えば『バスケットケース2』に出てくるような重厚感のあるキャラクターが好きなんですけど、作品を観ると、どこか抜け感があってポップな面がある。音楽でも同じで、変な音やおどろおどろしい音を使う時は、メロディはキャッチーでわかりやすく、親しみやすくすることを意識してみたり。人肉アイテムを作っている時も同じですね。一見、ドープなんですけど、どこかキャッチーで親しみやすいというか。その部分は崩さないようにしています。

昨年の自粛期間中に人肉アイテムを使ったストップモーションアニメーションを作ったんです。撮影、編集、音楽などすべて1人で行って、制作時間は1作品2~3週間ぐらい。最新の技術を取り入れて作られた人肉アイテムが登場するけど、映像自体はずっと昔からあるストップモーションアニメーションで作られている。そういった部分は、B級映画特有の変なバランスがあるんじゃないかなと思います。

音楽も人肉アイテムもストップモーションアニメーションも夏以降発表していく予定ですので、楽しみにしていただけたら嬉しいです。

Photography Yuta Kono
Text Takao Okubo

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#映画連載 モーリー・ロバートソン Vol.4 時代の大転換を妄想できる3作品 ―『英国王のスピーチ』編― https://tokion.jp/2021/04/18/morley-robertsons-movie-column-4/ Sun, 18 Apr 2021 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=28315 タレントのモーリー・ロバートソンが、ポストコロナの大転換した世界を妄想するための3作品を紹介。ラストは『英国王のスピーチ』。

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映画鑑賞は動画配信サービスの普及によって、もはや特別な行為ではなくなり、感想の共有やレコメンド検索も簡単になった。しかし、それによって映画を“消費”しているようにも感じる。本連載では、映画を愛する著名人がパーソナルなテーマに沿ったオススメ作品を紹介する。

タレントのモーリー・ロバートソンによる時代の大転換を感じさせる映画の第3弾。メディアを中心にコメンテーター、DJ、ミュージシャンの他、国際ジャーナリストとしても活躍し、政治・経済からサブカルチャーまで、いくつもの引き出しを持つ彼がコロナ禍の今だからこそ、見るべき映画を紹介する。

“がんばる人が報われる”。今だからこそ心に響く物語

『ジョーカー』では、その先の未来がどんな姿をしているかもわからない状況の中で、抱えている不安や恐怖を解放する姿に私達が置かれている現状、まさに今、時代の大転換を感じさせるというお話を。『マッドマックス』では恐怖心も何もかもを捨てて未来へ向かうことができる人こそが、この混沌とした時代において強い人間であるというお話をしました。

そして今回ピックアップしたのは、『英国王のスピーチ』です。この作品は、先出の2作品よりも、ものすごくリアリティを感じさせる作品。エドワード8世が離婚歴のある民間出身のアメリカ人ウォリス・シンプソンと駆け落ちしてしまい、幸か不幸かイギリス国王になることになってしまったジョージ6世の物語です。本来ならば隠しておきたい吃音症に悩む様子を赤裸々に描いていて、本当にギリギリのリアリティを保っている秀作です。

英国のロイヤルファミリーをリアルに描いた作品で有名になったのは、ヘレン・ミレンがエリザベス2世を演じた『クィーン』(2006年公開)だったのではないかと考えているのですが、美しく清楚で尊い女王が、実は一般人と同様のマインドを持っていることを描きましたよね。女王を1人の人間として描くなんて本来はタブーであろうことなのに、ヘレン・ミレンの演技が素晴らしく、映画からエリザベス女王への愛が溢れていたこともあり、この表現がギリギリ許されたんじゃないかと想像しています。愛こそが防御壁になっていたというか。

『英国王のスピーチ』がおもしろいのは誰もが知るエリザベス女王が主人公の『クィーン』を経て、実はあまり語られなかったジョージ6世を主人公に描いたことで、さらにこの王様を尊敬するイギリス人が増えたであろう点です。血筋も身分もある王様が吃音症であり、さらにとても子どもっぽい側面があったり、執事がいなかったら何もできないところが赤裸々に描かれるなんて、普通だったら許されないですよね。でも、非現実的に尊い人としてだけ描いてしまえば嘘に嘘を重ねていくだけで、映画で観る意味が全くない作品になってしまう。日常で語ることができないものを観ることこそ映画の醍醐味なわけだから、恐れずジョージ6世のありのままを描いた。興味深いのは、今のように世の中が不安定になって、何か解放されたいと思っている時にこの作品を改めて観ると、見てはいけないはずのものが美しく見えること。結局は環境が違うだけで、「王様だって自分と同じ人間だった」って感情移入ができるから、王様ががんばったように自分が無理だと思うことも逃げずにやれば、もしかしたら成就できるのではないか。結局、がんばる人が報われるということが、この映画の側面にあったと感じられるんです。

『英国王のスピーチ』

ブルーレイ ¥2,200

発売元・販売元:ギャガ

© 2010 See-Saw Films. All rights reserved.

こんな時代だからこそ生まれるヒーローもいる

『マッドマックス』は、どんなにがんばっても犠牲になる人が存在する残酷さも描いていて、そこに妙な爽快感を覚えるけど、『英国王のスピーチ』の場合は真逆の勧善懲悪の物語になっている。実際、イギリスではこのような王室をはじめ、身分制度はいらないんじゃないかというディベートもなされているのですが、一方で王室があるおかげで生きる気力をもらっている人も大勢いるわけです。前回の『マッドマックス』の回でも同じことをお話ししましたが、誰か強い人に守ってほしいと思う現代人がすがることができる究極は血筋。目に見えないパワーが心の聖域になるからです。だからこそ、王様に共感し、自分を重ね合わせ、生きる力に変えることができるんです。まさにこのコロナ禍におけるリーダー像にふさわしいですよね。

実は、こんな時代だからこそリーダーになれた人物が現代にもいます。ドナルド・トランプです。毎回、世間を賑わす彼の言動を考えてわかったのは、権力を持つ人が、国民1人1人の願望と重なるような、言ってはいけないことや、はしたない行動をしていると、熱烈に愛情をいだいてしまう。被害者意識が強い状態や不安・圧迫されるような状態が続くと、行儀の悪いリーダーを欲しがるのが民衆でもある。善人が言うことには「お前が言っているようなことを真似したって、俺達に何もいいことなんて起きないじゃないか!」と反発されるだけですしね。そう考えると、トランプもジョーカーもイモータン・ジョーも、そして権力のある王様と繋がるように思えませんか? もちろんプリズムの違う角度から見て、ですがね。

守りに入るな! 挑戦してこそ明るい未来は見えてくる

よく考えてみると時代の流れがものすごくよくわかるようになるし、未来に向けて行動したくもなってくる。でも、実際のところディスカッションする場所や場面ってそうそうないですよね、それがすごく現代っぽくもある。今って賢者の出番がない時代なんです。本当はこんな不安な時代であればヨーダ(『スター・ウォーズ』)や山の上にいる仙人のところへ行って教えを乞いたいし、乞うべきですよね(笑)。でも今の社会=特に生活保守的な人々を見ていると、賢者の前でみんながギャーギャー騒いでいる。賢者が素晴らしいことを言ったとしても、その人の人格否定までしてみたり。そういう現象を見ていると「ああ、賢者の声なんて聞きたくないんだな」って思うし、結局みんな今持っているものを失うのが怖くて、その恐怖に大声を上げているだけなんだという惨めささえ感じます。

でも、よく考えてみてください。幸せになりたいということは、いわゆる快楽を求めているわけですよね。本来、快楽というのは死と向き合ったり、破綻や恐怖などリスクと向き合って冒険してこそ得られるんです。生活保守的な考え方に縛られて、ただ大声を上げて生きていると、大きな罠に引っかかると思いますよ。例えば、「絶対儲かる投資話があるよ」と、どこかで聞いたことがあるような詐欺を信じてしまったりとか(笑)。

僕がこの3作品を通して伝えたいのは、とにかく今の世界を生き抜くために固定観念を全て捨ててしまえということ。不安定な時代だし、僕にだって先に何があるかなんてわからないけれど、生活保守的考えや思考停止したまま生きていては時代に取り残されてしまう。

『ジョーカー』や『マッドマックス』で、未来がどうなろうが自分の正義と幸せのために自分自身の殻を破り、突き進んでいく物語を『英国王のスピーチ』で、ひたすらがんばれば報われるという希望の物語を観て感じたように、守りに入るのではなく、とにかく自分がワクワクするものに向かっていく生き方に勝算あり! ということ。不安な時代はまだ続くと思います。だからこそいらないものは捨てて、頭を使って、チャレンジしながら明るい未来を作っていきたいですよね。

Edit Kei Watabe
Photography Teppei Hoshida

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#映画連載 モーリー・ロバートソン Vol.3 時代の大転換を妄想できる3作品 ―『マッドマックス』編― https://tokion.jp/2021/03/17/morley-robertsons-movie-column-3/ Wed, 17 Mar 2021 06:00:20 +0000 https://tokion.jp/?p=23957 タレントのモーリー・ロバートソンが、ポストコロナの大転換した世界を妄想するための3作品を紹介。2作目は『マッドマックス』。

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映画鑑賞は動画配信サービスの普及によって、もはや特別な行為ではなくなり、感想の共有やレコメンド検索も簡単になった。しかし、それによって映画を“消費”しているようにも感じる。本連載では、映画を愛する著名人がパーソナルなテーマに沿ったオススメ作品を紹介する。

タレントのモーリー・ロバートソンによる時代の大転換を感じさせる映画の第2弾。メディアを中心にコメンテーター、DJ、ミュージシャンの他、国際ジャーナリストとしても活躍し、政治・経済からサブカルチャーまで、いくつもの引き出しを持つ彼がコロナ禍の今だからこそ、見るべき映画を紹介。

時代の大転換を感じさせる映画の2作品目は、『マッドマックス』です。こちらの作品も『ジョーカー』同様シリーズ化され1970年代の終わりから1980年代までに3作品が発表されましたが、どれも「メガトン級の核戦争が起きたら人が100万人単位で死んでしまう。そんな世の中に生きる人達は一体どうしたら良いんだ!」という問題をジョークのように描いていたんですよね。僕は、今そんな映画さながらの状況がもう目の前に迫っていると感じます。「よっしゃ、もうそろそろ!」と、あってはいけない期待感さえ抱いています。

それは新型コロナウイルスが世界中に蔓延したこともそうですけれど、少子化問題とか難民や移民問題とか世界情勢に鑑みてもそう思える。もしかすると、世界の国の均衡が崩れて、ウワーッとまるでローマ末期のゲルマン民族大移動のようなことが起ってしまうのではないか。そういう状況の一歩手前にいるような気がしてならないんです。一方で4作品目の『マッドマックス 怒りのデス・ロード』では『ジョーカー』で感じたのと同様に、これからの未来に希望を感じさせられもしました。同じ名前のついた作品でありながら、過去のテーマを継承しつつ世の中の課題をあぶりだした秀作なのです。

『マッドマックス 怒りのデス・ロード』ダウンロード販売・デジタルレンタル中

ブルーレイ ¥2,619(税込)/DVD ¥1,572(税込)

発売元:ワーナー・ブラザース ホームエンターテイメント

販売元:NBC ユニバーサル・エンターテイメント

Ⓒ2015 VILLAGE ROADSHOW FILMS (BVI) LIMITED

登場人物全員が自分の正義だけを信じる世界に感嘆

1作品目の『マッドマックス』(1979)は核に恐れている時代。3作目の『マッドマックス サンダードーム』(1985)では核戦争が起きてみんな死んだらどうなるのか? という恐怖を感じさせる作品でした。まだ当時はバブル期で、豊かさの中で生活保守が進んでいる時代。トランスジェンダーに対してもまだ偏狭な考え方で、「個性的な格好をしていても、少しであれば晩餐館に入れてあげるよ。だから頑張りなさいよ」という時代でもあったんです。それが、27年を経て公開された4作目にあたる『マッドマックス 怒りのデス・ロード』(2015)では多様性の時代になり、サイエンスフィクションが多少描かれているものの、ある種のリアリズムを追求した、ほぼ女性が主役の物語に変わっていました。サンダードームの頃の“普通と普通じゃない人”が時代を経て入れ替わっていて、ミレニアル世代がすんなり受け入れられる世界として描かれています。

それはかつてマイノリティだったものが現代ではメインストリームになっている証拠で、美しさの価値も多様化していることを指しているんですよね。そして、それぞれに正義がある描き方をしているから、今作の悪役として登場したイモータン・ジョーにさえ感情移入できる。人権もなく、ただ、子どもを産ませるためだけの存在として女性を扱っているのに、自分の子どもは命に代えても守りたいという気持ちってすごいなって思えるんですよね。生きることに一生懸命だけど、映画が始まった瞬間に善悪がなくなるという描き方も秀逸ですよね。サバイバルと愛の物語なんだと思うと、こんな混沌とした世界観の中でも生きる意味を見出せたような気持ちになるんです。

恐怖を超えたところに彼らの正義と喜びがある

中でもひらめきがあったのは、シルバーのスプレーを口元に塗って「私は輝いている!」と死に向かうシーン。これって普通だったら全く考えつかないような演出ですけど、宗教がなくなった時に、それに代わる神秘的な儀式のようなものを相当研究して生み出したのではないかと思っています。かつて、外部と接触のなかった人々が暮らす島に飛行機が貨物を落としてしまうと、落ちたものが例えコーラの瓶だとしても聖なるオブジェとしてまつりあげられるという事例ってたくさんあったんです。外界と接触してしまったらなくなってしまうけれど、すべてが完結した島の中に不純物が1つ入り込むだけで、それが宗教心になってしまう。たまたまあったシルバーのスプレーを吹きつけると顔が輝いて不死身を意味するとか。

そういう解釈をすると、例えば今ホームセンターで売っているような商品が断片化して文明がなくなると魔法のオブジェにさえ映ってしまうということでもある。つまり日常の退屈は、実は退屈でもなんでもなく、一歩先には考えられない可能性を秘めているという伏線でもあるんじゃないですかね。

悲観的ではあるんだけど、そこに生きる喜びのようなものを感じてすごく元気になれる。イモータン・ジョーのところへ行くぞ! なんて一見恐怖に支配されているようなシーンも、実は口元にスプレーを塗ることがトリガーになってすべてが手放しになり、この上ない喜びを感じていると思うんです。

本当の強さとは何かを教えてくれるような気がする

そもそも物語は、すべてが破綻している状態で始まっています。観客には冒険の先に清々しさを感じられる人と、怖いから早く終わってほしいと思う人に二分されるのではないですかね。清々しさを感じられる人の方が今の時代は圧倒的に強い。自分を守ってくれるものは少なくなるけど、戦う人は報われるという動物的な力がみなぎっている証拠ですからね。案ずるより産むがやすしということわざがありますけれど、“案ずるより壊すがやすし”で、すべてを手放して向こう側に行けたらそれはそれで良いんじゃない? というメッセージを暗示しているのは、前回紹介した『ジョーカー』と同じ。

災害やコロナで貧富の差が生まれた時に、誰か強い人に守ってほしいと現代人がこれからすがれるものってなんだろうと考えると、究極は血筋なんじゃないかなって思います。ずっとそこにいてくれるという揺るがない安心や目に見えないパワーは心の聖域にもなり得ますから。でもやっぱり、映画同様崩れかけている今の世界をサバイブするためには、すべてを手放せる人の方が強いですよね。登場人物のように自分だけの正義を胸に、いろいろ壊して突き進んでみてこそ、全く新しい未来を見ることができるんだとこの映画は教えてくれているような気がします。

Edit Kei Watabe
Photography Teppei Hoshida

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#映画連載 モーリー・ロバートソン Vol.2 時代の大転換を妄想できる3作品 ―ジョーカー編― https://tokion.jp/2021/02/22/morley-robertsons-movie-column-2/ Mon, 22 Feb 2021 06:00:16 +0000 https://tokion.jp/?p=21049 タレントのモーリー・ロバートソンが、ポストコロナの大転換した世界を妄想するための3作品を紹介。まずはジョーカー。

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タレントのモーリー・ロバートソンが2回目の登場。メディアを中心にコメンテーター、DJ、ミュージシャンのほか、国際ジャーナリストとしても活躍し、政治・経済からサブカルチャーまで、いくつもの引き出しを持つ彼がコロナ禍の今だからこそ、見るべき映画を紹介。

「もうすぐそこまで来ている?! 時代の大転換を妄想する」

新型コロナウイルスの出現によって大きく生活が変わった今、時代は大きなサイクルを迎えていると感じます。占星術の概念に基づいた時代、とでも言いましょうか。立証をしなくても良い大きなサイクルが目の前に迫っているなと。

今って、生活保守的な考え方が破綻している時代ですよね。特に特権階級が「何も変わらなくていいんだ!」なんてふんぞり返っていたのが、そのはしごを外されちゃって慌てふためいている。そんな彼らが自警団になって世間をパトロールして、ルールを破ったりする悪い人間を火にくべようっていう世界になってしまった。Twitterで殴りあったりとかね。すでに社会は破綻しているのに、現状に順応できない人たちがすごく多い。そんな旧態依然の秩序の価値観がもう限界にきていて意味を持たなくなった今、幸せになるため、生活保守、政府のマニュアルに描かれていない、とてつもないパワーの活断層が限界に達したように一気にリリースされ、危険だけどおもしろい時代=時代の若返りがすぐそこまで来ていると妄想してしまうんです。

SNSで他人の評価を気にしても幸せになれない、気の利いたコメントをしても自分の評価にはならないってことにも気付き始めている人も多いじゃないですか。そうすると、個人の開放や今までになかった自分の殻を破るチャンスが来ていることにも気付くんですね。そんな状況に、血湧き肉躍り、野獣のような喜びを感じる人も今後は増えてくると思う。自分の殻を破った時に訪れるのは、時代や文化の大転換。近い将来、必ず壮大なスケールでそれを感じ取ることができると思うんですよね。こんな今の僕の妄想にぴったりと合うのが『ジョーカー』『マッドマックス 怒りのデス・ロード』『英国王のスピーチ』の3本。まずは『ジョーカー』からお話ししたいと思います。

※一部ネタバレを含みます

『ジョーカー』
ダウンロード販売中、デジタルレンタル中
ブルーレイ ¥2,619

発売元:ワーナー・ブラザース ホームエンターテイメント

販売元:NBC ユニバーサル・エンターテイメント
TM

© DC. Joker  © 2019 Warner Bros. Entertainment Inc., Village Roadshow Films (BVI) Limited and BRON Creative USA, Corp. All rights reserved.

「自身の殻を破るきっかけなんて探すものじゃない」

ジョーカーが描かれた映画やテレビシリーズはたくさんあります。ジャック・ニコルソンが演じたのは1989年上映の『バットマン』で、当時僕は映画館で観たんですけれど、すごい明るいジョーカーだった。漫画を映画化したこともあり、漫画らしく無邪気に演じていたのに対してホアキン・フェニックスが演じたジョーカーはさすがNetflix時代! というような時代をえぐる描写を何重にも重ねているのが印象的です。狂気、統合失調症とも思われる精神疾患を抱えるジョーカーの役は、ホアキン自身その不安定さを研究してアドリブも多く入れていたようですがすごく圧倒されました。それまで内に籠もっていたジョーカーが着々と外に出る準備をしながら問題行動を起こしていく姿は、どうしても今の時代と重なって見えてしまうんです。そして状況がどうであれ、僕にとってはジョーカー本人を見続ける映画でした。

ばかにされたり、殴られたり、銃を売りつけられたり、お母さんがジョーカーの父親だと信じる相手に書き続けている手紙など、彼が人殺しをしてしまう=大爆発に至るまでの伏線はあらゆるシーンに描かれているけれど、銃は小道具でしかないし、手紙に書かれている内容だって嘘か本当かなんてわからない。それでも彼が大爆発したのはきっかけをずっと待っていたからに過ぎないんですよね。アルベール・カミュの『異邦人』で殺人犯が「太陽がまぶしかったので人を殺しました」と供述したのと同じで、彼にとって殻を破るきっかけは別になんだって良かったということをすごく感じました。デリケートな秩序をかろうじて守っている人が、他者に正論を言われると自分のバランスを保てず「その正論を許せない!」と喚き散らして、変化を許すことができないところが、今の日本が抱える不寛容さだと思うのですが、ジョーカーを見ていると、そもそも最初から不安定なものはずっと不安定なままで崩れるのをそっと待っているだけなんだなと。かろうじてつっかえ棒をして保っているほど、自分が臆病だということをわかりながらも最後には気が狂ったように不安な気持ちがあふれてしまい、1回殺してしまうとドミノ倒しのように次々と連鎖してしまう。そして不安は全部なかったことにしてやろうとロバート・デ・ニーロ演じるマレー・フランクリンを殺しちゃう。めちゃくちゃなんだけれど、妙に腑に落ちるというか。もうこの後はパーティで、思考性のない群衆が警察を殺したりしてしまったり……。これはシンボル的に見ると権力を殺してしまうということなんだろうけれど、皆、結局各々が持っている不安や想いを吐き出す=時代の大転換のシーンだと読み取ることができる。群衆シーンはよっぽどリアルのデモなんかの方が大規模だから下手に映画で描いてしまうと具体性がなかったり物足りなくなりがちなところを、あえてジョーカーが神であるかのように描いているのもすごく秀逸。群衆にとっては、ジョーカーがトリガーだったというわけですよね。ただ、結局その先にある新秩序は誰にもわからないというのもおもしろい。まさに今現在私たちが置かれている状況と同じですからね。

「ロバート・デ・ニーロの存在は時代の移ろいを見事に表現」

ロバート・デ・ニーロの存在もすごくおもしろい見方ができるんです。彼は、『タクシードライバー』で狂気の権化のような役柄を演じましたよね。そんな彼がこの映画では熟年の往年スターを演じ、消耗品の出演者を上手に動かしている安定した存在として描かれている。少々強引ではあるけれど、かつて狂気の権化だった彼が現在では生活保守志向になり、射殺されるという勝手な物語をオーバーレイして観ることができるので、そういう意味ではおもしろかった。狂気というのは普通の中にあるんだということがわかるというか。日常的な普通さや保守的で中産階級的なカタログに載っている幸せが歪んでいくと、行き着くところはここなんだというのが上手に語られているような気がします。

ただ、ロバート・デ・ニーロこそが狂気の権化として『ジョーカー』に出ていると考える人も多かったみたい。ある種の、自己ブランド化して巨匠となったデ・ニーロがそこにいて、彼を敬愛する若手=ホアキンがやってきて射殺する。これって実はデ・ニーロの本望なんじゃないかと考えているようなるんだけれど、なるほどなと。“戦場で死ぬことこそ美しい“じゃないけれど、怒涛の情熱ある生き方であり、死に様であると解釈できた。病院や特老院で死ぬのではなく、戦場で死ぬことに時代の渇きのようなものも感じられますしね。 ジョーカーはとにかくはちゃめちゃやるわけですが、僕は全然悲惨な気持ちにはならず、むしろ希望の物語として捉えましたしなんなら彼のようにはちゃめちゃしたい! なんて思いましたね(笑)。その先の世界がどうなるか、すごく興味がありますしね。

Edit Kei Watabe
Photography Teppei Hoshida

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#映画連載 萩原みのり 泣き顔もかっこ悪さも。人間らしさをさらけ出して「戦う」役者を映した2本 https://tokion.jp/2020/12/01/series-of-movie-minori-hagiwara/ Tue, 01 Dec 2020 06:00:18 +0000 https://tokion.jp/?p=12563 髪の1本1本、毛先まで役になりきっている出演者達――“ゾーン”状態が全編にわたって続く『宮本から君へ』と『百円の恋』。

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映画鑑賞は動画配信サービスの普及によって、もはや特別な行為ではなくなり、感想の共有やレコメンド検索も簡単になった。しかし、それによって映画を“消費”しているようにも感じる。同連載では、映画を愛する著名人がパーソナルなテーマに沿ったオススメ作品を紹介する。

俳優・萩原みのりは2013年のデビュー以降、着実にキャリアを重ねてきたが、今年は『佐々木、イン、マイマイン』『アンダードッグ(前後編)』(ともに11月27日公開)など7本の映画に出演、さらには銀杏BOYZによる「DO YOU LIKE ME」のMVに起用されるなど、その名を目にすることが一気に多くなった。そんな萩原に「映画館で観て衝撃を受けた作品」「新しい作品の撮影前に観る作品」の2本を語ってもらった。両作品からは、出演者の無様な姿もさらけ出す覚悟が共通してにじみ出ている。

今まで観た映画の中で、一番衝撃を受けた作品は『宮本から君へ』です。映画館で観たのですが、観終わった後自分の中で受け止めきれないほどの衝撃がありました。勝手に涙があふれて止まらなくなって、しばらく天井を眺めていた記憶があります。もう映画を観ていることを忘れてしまうほど、役者が役者に見えない作品で。映画に喰われるというか、のみ込まれる感覚になって、その経験が忘れられないんです。

『宮本から君へ』
Blu-ray&DVD好評発売中
販売・発売元:株式会社KADOKAWA
(c) 2019『宮本から君へ』製作委員会

役者全員が身体全体、髪の毛の先までその役になっている。役者って、本来そうでなくちゃいけないってことはわかるんですけれど、この作品はその究極。泣いている姿が、もはや芝居ではないというか。蒼井優さん演じる中野靖子が井浦新さん演じる風間裕二と部屋で揉み合いになった後に、靖子が泣くシーンは特に心に残っていて。「よーいスタート!」で始まる世界だとは到底信じられないんですよね。そのシーン以外でも靖子の表情はすべて心に焼き付いているんですが、もうすごいだとかそういう言葉では表現しきれない。ただただ圧倒。一生忘れないし、一生あの演技を目指してしまうし、意識してしまう。そんなことを言っている時点で役者として全然良くないんですけれど、現場に立つと、毎回あの靖子の顔が頭をよぎってしまうんです。

ただ実際、ここまでの感情になる役とはなかなか出会えないのも事実で。それでも、あそこまでの思い入れを持って作品に挑むことが理想です。映像作品では同じシーンを何回も違う画角から撮影することがあるのですが、私は一から芝居を繰り返すうちに感情に慣れてしまうことがあります。本番の時間に感情を出し切ることが私のお仕事なのに、それができないってめちゃくちゃ悔しくて、現場でどんよりしちゃったりすることも。家に帰ってからもそのシーンの失敗が忘れられなくて、なんならその時だけではなく、一生後悔することになるんです。そういうことがなくなるように、『宮本から君へ』の役者達のような芝居を毎回できたら良いなって心から思っています。

新しい作品の撮影が始まる際によく観るのが『百円の恋』です。この作品は自分を強くしてくれる作品で、役に入る前とか、不安になった時に繰り返し観ています。私、弱い人間であることが長年のコンプレックスで。“萩原みのり”という名前で役者を始めてからなぜか強いイメージを人に持たれるのですが、全然そうじゃなくて。人見知りもひどいし、皆が自分を悪く思っているのではないかと思いつめてしまうほどのシャボン玉より弱いメンタルだって自負があるぐらいで(笑)。だからこそずっと強い女性に憧れていて、自分も強くなりたい、強くありたい、という気持ちがすごくあるんです。だから、主人公の一子がどんどん強くなっていく姿を観ていると自分も強くなれたような気になれる。すごくかっこ悪いセリフを叫び散らしているシーンもすごく良くって。多分、どこかで自分と一子とを重ねて観ているんだと思います。かっこいい女性を描いているわけでは決してなくて、一子は日常の中でボクシングと出会って、そこから生まれる決意とか行動が一瞬カッコよく見えるだけで。エンディングは、さっきまで試合して死ぬほどかっこよかった一子と同じ女性とは思えない。一回逃げられた男に飯でも行くかと誘われて、一度ちゅうちょするけど結局ついていってしまう。最高にダサいんですよね。

『百円の恋』DVD好評発売中
発売:東映ビデオ

でもその後ろで流れる歌(クリープハイプ/『百八円の恋』)の「こんなあたしのことは忘れてね/これから始まる毎日は/映画になんかならなくても/普通の毎日で良いから」という歌詞が聞こえた瞬間、ああ、一子もまた普通の日常に戻っていくんだなってぐっときてしまう。普通の人生に戻っていく後ろ姿に救われるんです。「ああ、これで良いんだ」って思える。常に輝く人にはなれないけど、一瞬だけでも、輝ける瞬間を残せたら。この映画を見るとしばらくこの曲しか聴けないし、仕事に行く前にふとこの曲を聴くと、あの映画の世界に浸れるし、本当に何度も救われています。

私自身、役者という仕事がすごく好きです。自分から「これをしたい!」と思えるものに出会えたのは初めて。すごくコンプレックスにまみれた自分が、役をもらって現場に立つと少し自信が持てる気がして。演じる際には、カメラの前でどれだけかっこつけずにいられるかが大切だと思っています。もちろん、きれいに映してもらったカットを見るとめちゃくちゃ嬉しい気持ちになります。でも、かっこ悪くて泥臭い姿を切り取ってもらえた時のほうが喜びが大きいんです。一度、出演したドラマを観た母親に「あんたの泣き顔、ブスでおもしろい」って言われたことがあって、自分で見返したら「こんな顔が世に出たの!?」って思うほどブスだったんです(笑)。でも、実際そのドラマでは、その芝居が一番褒められたんです。その経験があって、人の心がざわつく瞬間だったり、すべての表情や感情が崩れてしまって、かっこよくいられなくなる瞬間だったりが切り取られているほうが、観ている方の心に届くのかもしれないなと思うようになりました。

今までは、芝居が好きだけれど自分の思うような演技ができなくて、緊張や苦しさ、悔しさが伴うことのほうが多かったのですが、今年はすごく楽しくやれている気がします。監督やスタッフとたくさん話すことができるようになって、作品に“参加”しているのではなく、“一緒に作っている”感覚になれたことが大きいと思います。『佐々木、イン、マイマイン』の現場もそうでしたが、組の一員にきちんとなれている感じがすると、とても嬉しいです。

今年の夏に撮影していたドラマの現場では芝居中にセリフということを意識せず、勝手に自分の言葉のように口からあふれてくる、スポーツ選手でいうところの“ゾーン”に入ったような感覚を体験できました。この感覚って時々あるんですけど、どれだけ思い入れを持ってその役を演じていてもなかなか経験できない感覚で。完全に身体に役も感情も溶け込んで、目の前にいる役者と空気感、呼吸すらキャッチボールし合えて、しかもお互いに「今やばくなかった!?」とその思いを共有できてて、大興奮で。こういうことがずっとできるようになれたら本当に理想だなと思うし、そのためにもっと頑張らなきゃなと思います。

そういったことが全編にわたって起きているんじゃないかと、観ていて思ったのが『宮本から君へ』と『百円の恋』の共通点。この両作品は、人間らしさが鮮度の高すぎる芝居で観ることができるし、泣いてるのか笑ってるのかわからない、観る日の観客側の感情によって、全く別の感情に見えてしまうような生々しさが感じられる。人間って本当はそうだと思うんです。記号のように、その時の感情が相手に伝わることなんてない。それがカメラやスクリーンを超えて、心にグサグサと突き刺って焼きつく。映像作品は言語化できなくていいと思うし、だから映像にしてるんだと思うし、枠にはまらない、そんな素敵な役者に私もいつかなりたいと、思わせてくれる大切な作品です。

Photography Ryu Maeda
Edit Kei Watabe

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#映画連載 古川琴音 混沌の今。やっぱり人間っていいなと思わせてくれた『君の名前で僕を呼んで』 https://tokion.jp/2020/10/31/series-of-movie-kotone-furukawa/ Sat, 31 Oct 2020 06:00:18 +0000 https://tokion.jp/?p=9340 世界中で起こる痛ましい出来事を見るたびに人に対して疑問を感じることもあったと話す古川琴音。そんな彼女を救った1本の映画とは。

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映画鑑賞は動画配信サービスの普及によって、もはや特別な行為ではなくなり、感想の共有やレコメンド検索も簡単になった。しかし、それによって映画を“消費”しているようにも感じる。同連載では、映画を愛する著名人がパーソナルなテーマに沿ったオススメ作品を紹介する。

コロナ禍の自粛中に、世界中で起こったさまざまな動きがニュースで報じられるたび心を痛めたと話す俳優・古川琴音。そんなニュースを目にするたびに、人間の浅ましさや卑しさを感じとても落ち込んだ。そんな古川を救ったのが、映画『君の名前で僕を呼んで』だった。美しい映像と、美しい初恋…。そしてこんな素晴らしい作品を作ることができる人間がいることに、喜びを見出すことができた。

フリル付カットソー¥13,800、オーバーオール¥30,800/共にHOLIDAY(ホリデイ)03-6805-1273

2018年の公開時に映画館で観たのですが、コロナ自粛中に観返して改めて感動したので今回ピックアップしました。このコロナ禍、ただでさえ落ち込んでいたのに政治、環境問題、人権問題など、世界中で起こったいろいろな出来事をニュースで目にして、さらに気持ちが沈んでしまって。極端な言い方をすると、“人間ってなんて欲深い生き物なんだろう”って感じてしまって。私は役者で、人間を表現することが仕事なのに、人間が嫌いになりそう…。こんな仕事を続けられるの? 続けていくべきなの? いや、もっとやるべきことが他にあるんじゃないか? とまで考えるようになっていました。

そんな時に「あ、あの映画って本当にきれいだったな」と思い出して、イタリアの街並みを観て癒されたい、旅する感覚を再び楽しみたいという気持ちだけで再び『君の名前で僕を呼んで』を自宅で観たんです。そして期待を裏切らず、美しい街並みや色彩に思い切り癒されることができたんですが、実はもう1つ得るものがありました。それは「やっぱり人間っていいな」ってこと(笑)。1度目に観た時には気付かなかった、主人公エリオの1つの初恋を観客も実感できるような鮮明な描かれ方が見えてきて。1人の人間が生活をする中で、理由もなく相手に惹かれて恋に落ちる姿を見て、初恋っていいなって純粋に思えたんです。「人間て嫌な生き物だな」と思って役者の仕事に就いていることにさえ疑問を感じてすらいたのに、人間の一瞬のきらめきや感情をこうして美しい作品に昇華できる仕事を見せつけられると、人間ってやっぱり素晴らしいなと感じることができて、また役者として生きることに熱意が湧いてきたんです。

『君の名前で僕を呼んで』
Blu-ray&DVD好評発売中
発売元:カルチュア・パブリッシャーズ
セル販売元:ハピネット
価格:¥3,900
© Frenesy , La Cinefacture

エリオが初恋に落ちる姿は、全身で愛情表現をする子猫のように見えてとても可愛らしくって。ひと夏を過ごす避暑地のエリオの自宅にオリバーが居候にやってきて2人が出会って恋をする。たったそれだけの物語なのですが、夏の気だるい暑さもオリバーが来る前と来た後とではエリオにとって全く違うものになって。大げさに描いているわけではないのに、一気に日差しが魅惑的に変化するのを感じられたり、2人が触れ合っている体温や皮膚の感じも画面を通して想像できたりする。そこまで画面の中に観客を取り込める作品ってただただすごいなと感動しました。

ティモシー・シャラメの演技に魅せられる

エリオ演じるティモシー・シャラメもとても素晴らしかった。私自身、役を演じる時に “なぞろうとしないこと”を意識していて。相手の反応に対してリアクションで返すぐらい自然に振る舞うことが一番大切で、自分で気持ちや次に取る行動を準備しないようにしているんですが、撮られている環境ってカメラもあるし人と人との距離も近いから、そうしたいと思ってもなかなかできない時もあります。でもこの劇中でティモシー・シャラメはその場で、自意識を取り払って、その場で感じるだけの演技をしているように見えて、本当にすごいな…って思いました。相手が発した言葉や仕草に対して、エリオ自身が思ったことを表現する速度がものすごく早いからすごく自然で、まるで演技をしていないかのよう。

演技ってある程度、相手の反応や自分が発する言葉や行動がプロット通りの、いわゆる予測がついた中で行われるものになりがち。でも自分が脚本を読んで、準備してきたことをなぞるだけの演技だと、自分の想像の範囲内の演技しかできないし、その範囲内をやろうとして無駄な力みが出てしまう。そうなると、“演技しているな”ってわかってしまうから、ティモシー・シャラメがそうするように素直なリアクションを演技として積み重ねたいんだけれど、怖さもあります。理想的なのは、脚本を読んだり、できる限りの役についての準備をして、いざ演技をするとなったら一度全部それを取り払って、自分が思ってもみなかった方向に状況がそれたとしても、それたことを受け入れてまた新しい流れを作ることができる演技。それは私が理想とするものなのですが、ティモシー・シャラメは全部自然にそれができている。それって本当にすごいなと感動させられました。

また、美しい初恋のきらめきに感動した自分にもすごく喜びを感じました。この映画を通して全身を使って、無我夢中で人を愛することが人間にはできるんだってことを知ったし、こんな素晴らしいものを映像として作ることができる人間は尊いとすら感じました。それに気付ける自分で良かったし、やっぱり結果、人間っていいなって(笑)。生きていると言葉にできない感情や行動や事柄ってたくさんあるものですが、それを無理やり言語化するわけではなく、映像の中ですべての要素を使って丁寧に描かれている気がしてとても心に残りました。

振り返ってみると、私は異国情緒あふれる世界観の中で、物語だけではなくムードを楽しむ映画が好きなようです。この世界に入るきっかけになったのも『海辺の生と死』という映画で。この作品がとてもきれいだなと思って調べてみたら、製作会社と主演の満島ひかりさんの所属事務所が同じユマニテで。こんな作品に出たいと思って、事務所のオーディションに応募した過去があって今があります。中・高・大学と演劇部に入っていて演劇漬けの毎日。正直、映画は役者になるまであまり観ていなかったのですが、役者になってからいろいろと観るようになって。それからは映画からさまざまな人の感情や体験など自分が知らなかったことを吸収して、それが自分の演技の糧になっています。これからも映画はたくさん観ると思いますが、『君の名前で僕を呼んで』は私の人生の大切な作品です。

Photography Kosuke Matsuki
Hair&Makeup Ayane Kutsumi
Edit Kei Watabe

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#映画連載 岡本大陸「ダイリク」デザイナー コレクションを代弁するアメリカン・ニューシネマの3本から学ぶ服飾術 https://tokion.jp/2020/09/13/series-of-movie-dairiku-okamoto/ Sun, 13 Sep 2020 06:00:25 +0000 https://tokion.jp/?p=4992 1960〜70年代に起こった反戦、反体制的な若者の心情を綴ったアメリカン・ニューシネマが若手ファッションデザイナーに与えた影響とは?

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映画鑑賞は動画配信サービスの普及によって、もはや特別な行為ではなくなり、感想の共有やレコメンド検索も簡単になった。しかし、それによって映画を“消費”しているようにも感じる。本連載では、映画を愛する著名人がパーソナルなテーマに沿ったオススメ作品を紹介。“消費”するだけでなく、“吸収”し糧となるような作品を紹介していく。

今回登場するのは「ダイリク」のデザイナー、岡本大陸。バンタンデザイン研究所在学中に自身のブランドをスタートさせ、2016年のアジア ファッション コレクション(AFC)ではグランプリを受賞し、2017年2月のニューヨーク・ファッション・ウィークでランウェイデビューを果たした。東京を代表する若手デザイナーの1人で、毎シーズン自身の“ルーツやストーリーを感じさせる”テーマのもとコレクションを発表している。中でも映画は「ダイリク」を語る上では欠かせない着想源の1つ。今回は特にお気に入りのジャンルというアメリカン・ニューシネマから3作品を紹介する。1960年代後半から1970年代のアメリカの時代精神を代弁する作品群と当時の若者たちが放った鮮烈なメッセージは、半世紀を経て今の若手ファッションデザイナーにどんな影響を与えたのか?

映画にのめり込んだきっかけとアメリカン・ニューシネマとの出合い

小学生の頃、毎週末に父とレンタルビデオショップで5作1000円みたいなサービスを利用して映画のビデオを借りていたんですけれども、そのうち1作は、僕の好きなアニメとか人気のキャラクターもので、残りの4作は父が好きなスティーブ・マックイーンやブルース・リーの主演作だったり戦争映画でした。地元は奈良ですが、大阪の富田林市にある祖母の家で鑑賞していたんです。他に観るものがなくなると自然と父が選んだ作品にも触れるようになっていきました。

そういった経験もあって、高校3年から専門学校生になりたての頃は映画からインスピレーションを得ようと、新旧限らず興味のある作品はリサーチとして片っ端から観ていたし、その中で理不尽だったり、思い切り余白を残したり、観終わってから考えさせられるようなエンディングに惹かれて、特に古い映画にのめり込んだわけです。

『カッコーの巣の上で』

『カッコーの巣の上で』
Blu-ray ¥2,381/DVD ¥1,429 
発売・販売元:ワーナー・ブラザース ホームエンターテイメント

© 1975 Warner Bros. Entertainment Inc. All Rights Reserved.

言葉にならない感動を受けたエンディングの脱走シーン

高校3年の時に観た『カッコーの巣の上で』は、複雑な感情が入り交じったような例えようのない感動を受けました。特に掃除係の大男、チーフ(ウィル・サンプソン)がジャック・ニコルソン演じるマクマーフィーを窒息死させた後、「持ち上げた者には奇跡が起きる」という彼の言葉を信じて、水飲み台を持ち上げて窓を破り、精神病院を脱走するエンディングのシーンは言葉にならなかったですね。当時はハッピーエンド以外のエンディングが強烈に刷り込まれましたが、あとになって観直すと、物語に当時の社会問題に対するアンチテーゼだったり強烈な皮肉が込められていることも知りました。

好きな場面は、マクマーフィーが罰として電気ショック療法を受けさせられる順番を待つ間、耳が聞こえなくて、言葉も話せないはずの掃除係のチーフにガムを渡した時に「ありがとう」と返されるシーン。ネイティブ・アメリカンの血を引いているチーフが、マクマーフィーと同じように自我を殺して生きていることがわかるんです。病棟という狭いコミュニティーを牛耳っているのがラチェッド婦長(ルイーズ・フレッチャー)で薬とか規則で患者を縛っていて、この構図も他人に言えない秘密を互いに解放したというか、共有してわかりあうような気持ちも、今の時代にそのまま置き換えられるし、重なる部分が多い。当時から今まで共通している問題も各シーンに込められています。60年前の問題を未だに引きずっている世界とはなんなのかとさえ思うほどです。

実在したロボトミー手術も精神疾患の治療が目的ではありましたが、結局は廃人にされて心を停止させられる、ある種誰かに操作されるためのような印象も受けました。病棟という1つのコミュニティーが社会の縮図でもあって、今観直すと、当時の社会情勢を反映しているので、コロナ禍で聞くあらゆるネガティブなこととも重なりました。

『イージー・ライダー』

『イージー★ライダー』発売中 
Blu-ray ¥2,381/DVD ¥1,410 
発売・販売元:ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント 

© 1969, renewed 1997 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved. 

ファッション好きのメンズは誰もが通る道

ファッションを学ぶためにバイカースタイルというキーワードから映画を探していた時に出合った作品です。完全にファッションを経由して観た映画ですけど、今はそれも踏まえつつ、もう少し広義で映画に込められた意味などを考えるようになりました。仮にコレクションを作る場合、創作の理由を深く考察するきっかけになりやすい作品だともいえます。

『イージー・ライダー』は特にメンズファッションに捉えられやすい。ストーリーというよりロードムービー特有のワイルドさ、男臭さなど、ワイアット(ピーター・フォンダ)とビリー(デニス・ホッパー)のスタイルに影響を受けた人も多いでしょう。映画自体はツーリングを見ている感覚で、冒頭の麻薬取引の描写にあまり意味がないですし、モーテルで露骨に宿泊を断られて焚き火を囲んで野宿するシーンも絵的にかっこいいという印象です。その次のシーンでパンクしたタイヤを修理するために、カウボーイ風の農家の小屋でバイクをいじっているんですが、隣では馬の蹄の手入れをしているんですね。昔と今(当時)を象徴するアメリカを対比している表現は気に入っています。ジャック・ニコルソン演じる弁護士のジョージ・ハンセンと出会ってからストーリーが動き出すのですが、衝撃のエンディングまでは出演者のスタイルに目がいっていました。

ただ、理不尽としか言いようのないエンディング、中指を立てただけで銃撃されるシーンは未だになぜ? という感情しか生まれてきません。ただ、観直しても理解できない場面も多いですから、僕にとっては難しい分類の作品なんです。歳を取るにつれて理解が深まっていく感覚もあるので、定期的に観続けようと思います。ちなみにステッペンウルフの「Bone to Be Wild」は車のCMの印象しかなかったです。これが元ネタなのかと答え合わせをしているような感覚でした。

『卒業』

『卒業』
Blu-ray ¥2,000
発売・販売元:株式会社 KADOKAWA

ダスティン・ホフマンのアイビールックの美学

アイビールックをテーマにしたコレクションを作るために、ダスティン・ホフマンのスタイルのリサーチとして出合った作品で、最初観た時は正直眠くなりました(笑)。ただ、主人公と同じ年頃でもあったので、親からの過剰な期待に反発する衝動や将来への漠然とした悩みなど、思春期特有の葛藤や不安は理解できて、好きな世界観ではあったので、何度か観返すうちにどっぷりハマっていきました。

まず、3作品中、『卒業』は一番理解しやすいストーリーではないでしょうか。今では、結婚式に花嫁を奪い去るというシーンは映画やドラマ、コメディに限らず何度も繰り返し表現されています。でも、普通に考えて百戦錬磨の人妻の誘惑に負けて、アバンチュールを繰り返すも、ふと彼女の娘とデートしたことから恋に落ちる。嫉妬した母親に恋路を邪魔されて別れた挙げ句、他の男との結婚式当日に娘を奪い去るというストーリーは斬新で、非現実的です。

中でも印象的なのはやっぱりエンディング。花嫁を略奪しバスに乗り込んでから2人がキョロキョロしだし、次第に表情が曇っていくシーン。愛する人と結ばれたにもかかわらず、先々を案じた時にこぼれた暗い表情のまま物語は終わります。ハッピーエンドなのか、バッドエンドなのか、2人の関係性が歪むくらい、その先をイメージさせる余韻がありますよね。完結型ではなく、投げかけ型の作品が好きなんですが、『卒業』も笑顔のままエンディングを迎えていたら印象に残らなかったと思います。テレビドラマなどでは何年後という描写も多いですが、個人的にはそうではなくプツッと切れているくらいの終わり方にそそられます。

ちなみに、作中のダスティン・ホフマンのナチュラルなテーラードジャケットとボタンダウンシャツにネクタイを合わせた、「これぞアイビールック!」というスタイリングとラストシーンのアノラックとポロシャツは、休日のお父さんを想像できる親近感が秀逸です。あと、ポスターにもなっているミセス・ロビンソン(アン・バンクロフト)の足の向こうにベンジャミン(ダスティン・ホフマン)が立っている写真も好きですね。もし、その写真がプリントされているカットソーがあればすぐにでもほしい。

アメリカン・ニューシネマの思想を軽やかにファッションに落とし込む

これまでのコレクションのテーマは映画に沿うものが多かったですが、洋服そのものから強烈にメッセージするのではなく、軽やかに表現してきたつもりです。前シーズン、『タクシードライバー』をテーマに据えた理由は単純にトラヴィス(ロバート・デ・ニーロ)のスタイルを見てほしいという思いから。反戦、反体制といった重いテーマで何かを投げかけるのではなく、僕が作ったファッションやスタイルが映画を観るきっかけになってほしいだけなんです。すでにその作品を観た人にとっても観直すきっかけになるといい。インスタグラムのDMで映画を観たというコメントをもらうとうれしくなります。僕が映画によって考え方が変わったように、ファッションがその映画に触れるきっかけになることが理想です。

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#映画連載 佐久間宣行 世界って残酷。でもだからこそかけがえのないものに出会えることを教えてくれる映画作品4本 後編 https://tokion.jp/2020/08/27/series-of-movie-nobuyuki-sakuma-2/ Thu, 27 Aug 2020 03:31:40 +0000 https://tokion.jp/?p=3815 テレビ東京制作局プロデューサー・佐久間宣行が、自身の思い出とともにオススメ映画を紹介する。

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映画鑑賞は動画配信サービスの普及によって、もはや特別な行為ではなくなり、感想の共有やレコメンド検索も簡単になった。しかし、それによって映画を“消費”しているようにも感じる。同連載では、映画を愛する著名人がパーソナルなテーマに沿ったオススメ作品を紹介。

テレビ東京制作局プロデューサー・佐久間宣行には、「10代の頃に観ていたら価値観が変わったかもしれない作品」を4本挙げてもらった。新旧名作は、多感で不安定な時期の人にとっては、きっと人生の指針の1つとなる。もちろんその時期を過ぎた人にとっても、過去を懐かしみ、新たな考えを持つ良いきっかけとなるはずだ。

前編では『そうして私たちはプールに金魚を、』『ハーフ・オブ・イット: 面白いのはこれから』を紹介いただいたが、今回はどんな作品が登場するのか。

『ガタカ』発売中  英題:GATTACA
Blu-ray 2,381円(税別)/DVD 1,410円(税別)
発売・販売元:ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント (Sony Pictures Entertainment Japan)
©1997 COLUMBIA PICTURES INDUSTRIES, INC. ALL RIGHTS RESERVED.

3本目に挙げるのは、『ガタカ』です。遺伝子至上主義の近未来を描いたもので、自然出産によって生まれた“不適格者”の青年ヴィンセント(イーサン・ホーク)が、遺伝子操作されたエリート“適格者”しかなれない宇宙飛行士を目指す話なんですけれど、これを僕はディストピアものではなく、希望の物語として紹介したい。運命が決定づけられている世界の話だけれど、ヴィンセントは手持ちのカードで精一杯抵抗する。知恵と勇気で自分の人生を切り開いていく物語です。

僕はこの作品をギリギリ大学生の頃、20代で観ることができた。その時の僕は、就職活動するのかしないのか、と揺れ動いている時期で。自分にできることや、できないことをはっきり認知して、「自分って全然天才じゃないな〜」なんて切ない気持ちを持っていた頃にこれを観て、とても勇気づけられたんです。

「もともとルックスが良い人はいるし、足がめちゃくちゃ速い人もいる。そういう子達が周りにいる中で、自分は天才ではないからってやりたいことを諦めるのか? でもそうじゃないだろう」って。自分のやりたいことがあった時にどうしたら良いのか。その回答を、この映画に見出したんです。今の10代が観ても、救われる部分が大いにあるはずです。僕は今の10代って、情報量が多すぎて、人間を信用して生きていない部分が大きいと思っていて。僕が10代の頃って、クラスの40人ぐらいと12年間付き合う人生で、しかもインターネットもないからその40人との世界が人生のすべてだったわけです。自分に似た人間が世界にいるだなんてことも思っていないから、自分がオタクだったことをひた隠しにして、自分は変わった人間なんだって思わざるを得ない人生だった。でも、今の子達はSNSのおかげで、自分に似た人が世界中にいることを早い段階から知っている。その一方で、自分が天才ではないこと、自分のルックスが全世界において何番目ぐらいなのかとか、自分がつぶやいても“いいね”がこれくらいしかつかない…とか、自分の世界からの評価みたいなものも圧倒的に早い段階から知っている。だから手持ちのカードを知ってしまっている中で生きていかなくてはいけないつらさがあるんですね。まさに『ガタカ』と一緒で。

でもこの映画の素晴らしいところは、たとえ産み落とされたのがどんな場所だとしても、人間は夢や希望を抱くもので、それって当然だよなって気付かせてくれるところ。この映画には、若かりし頃のジュード・ロウも出演しているんですが、もし僕が天才だったら、彼が演じる“適格者”のジェロームに共感したかもしれない。でも、僕は恵まれた側の人間じゃなかったからヴィンセントの気持ちで観ていて。きっと、今の10代も同じ視点で観ることができるんじゃないかなと思います。

発売日:2020年7月3日(金)
2015年/韓国/品番:OED-10666/価格:3,800円(税抜)
発売元:マンシーズエンターテインメント/販売元:中央映画貿易

そして4本目は『わたしたち』。韓国の映画です。これは、韓国の小学生同士の日常を描いた作品なんですが、とにかくすごい。何がすごいって、自分の小学生時代のことを鮮明に思い出させる映画なんです。小学生の女の子達が主人公で、仲間外れやらいじめやら、クラス内で起こる日常を大人の目線を徹底的に外して、子どもの目線のみで描いている。子どもの世界から大人を描くとこうなるっていうことをきちんと見せているし、子どもは子ども同士のコミュニティの中だけで閉塞感がありながら必死に生きていることを見せつけてくる。

子ども達のすさまじい演技と表情を見ていると、「わ、小学生の時ってこうだったわ」とか一気に思い出すんです(笑)。こちらは大人の目線で小学生の頃を回顧するから、微笑ましい思い出もたくさん脳裏に浮かぶんだけれど、一方で「もうやっべ。本当に大変だったなこの頃」っていうことも思い出してしまう。小学生の時なんてクラスと家がすべてだったから、1人でも嫌いな奴がクラスにいたら、「あー最悪だ、もう世界終わった」と思って生きていたなって。一言で言うなれば、コミュニティで生きることの大変さって、ここから始まるから、もう人間って大変だなっていう映画ですこれは(笑)。

その中で、『ガタカ』や『ハーフ・オブ・イット: 面白いのはこれから』と似ているのは、世界が優しくないっていう残酷な部分をちゃんと描いているから、そこで不意に訪れる友情とかがとんでもない輝きを見せるところ。キラキラ映画の中の友情って、やっぱりキラキラ映画の中の話だから心に響いてこないけど、この作品は、世界は残酷だという大前提のもと主人公の仲の機微を捉えていて、そこに本当に感動してしまう。

なんか大人になって、急に世界に絶望する人がいるじゃないですか。会社に入って「なんなんですか、あの人!」と言い出す人とか。そういう人って、世界がめちゃくちゃ優しくて、自分が皆に理解されると勘違いしている。そういう人に僕は「え? 小学生の頃から大変じゃなかった? 忘れたの?」って言いたくなる。「自分を100%理解してほしい」とかそういうことを簡単に言う人には、この4本を観ろって伝えたい。特に『ガタカ』をね。

僕は映画をほぼ毎日1本観ていて、これは25年ほど続いている習慣なんですが、映画を観続ける理由は映画より贅沢な娯楽って他にはないと思うからなんです。何年もかけて何百もの人が関わって作り上げたものを約2時間で体験できるのは、とても贅沢ですよね。

あと間違いなく、10代から20代前半ぐらいまでに摂取したカルチャーで自分の人生の柔軟さが変わると思っていて。価値観が決まるとまでは言わないですけど、その時期にいろいろなものを入れられたかどうかで、自分の中に受け入れられる幅が変わる。しなやかさが変わってくるというか。やっぱりその間に偏ったものしか触れていないとか、自分が正しいと思うものとしか出会っていない人は、自分と違う価値観と向き合った時にそれを認められなかったり、自分が平気なものでも世界にはそれがつらくて耐えられない人がいることに気付けなったりすると思うんです。30代でも考えを変えることができる人もいますが、そういう人はやっぱり脳がゆるゆるの時期にいろいろなものを摂取していたりするんですよね……。だから時間がある10代のうちに、いろいろな映画や創作物でさまざまな価値観と触れ合っておくことをおすすめします。そうするとあとの人生がもっと生きやすくなるのではないでしょうか。いろいろな意味でね。

Edit Kei Watabe

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