連載「痙攣としてのストリートミュージック、そしてファッション」第3回/「グッチ」の快進撃の理由と、その「身軽さ」が拓いたラップ表現の可能性

音楽とファッション。そして、モードトレンドとストリートカルチャー。その2つの交錯点をかけあわせ考えることで、初めて見えてくる時代の相貌がある。本連載では、noteに発表した「2010年代論―トラップミュージック、モードトレンドetc.を手掛かりに」も話題となった気鋭の文筆家・つやちゃんが、日本のヒップホップを中心としたストリートミュージックを主な対象としながら、今ここに立ち現れるイメージを観察していく。

前回までは「ヴェルサーチ」を主題としてきたが、この第3回からは「グッチ」へと目を向け、同ブランドがストリートをも席巻し世界を制圧した理由、そしてその「身軽さ」がラップミュージックにもたらした影響について、紐解いていく。

クリエイティブ・ディレクターとともに、変わり続けてきた近年の「グッチ」

「グッチ」がこれほどまでに世界を制圧する未来がくることを、果たして5年前に誰が予想していただろうか。データプラットフォーム『Lyst』が発表した2020年第3四半期版の“最もホットなブランド”1位にまたしても君臨し、大きく消費が変わることが予想されたCOVID-19のパンデミックを経てもその人気は衰える素振りを見せない。

5年前、当時新たにクリエイティブ・ディレクターに就任したアレッサンドロ・ミケーレは、2015-16AWコレクションにおいてフランスの批評家ロラン・バルトの「The Contemporary is the Untimely=コンテンポラリーは反時代的である」という言葉を引用し、その快進撃をスタートさせた。キッチュで毒々しく性差に縛られない魔術的なクリエイションは、確かに当時のトレンドの中心に置かれたものではなかったが、戸惑いや恐怖や哀愁といった若者のエモーションを激しく刺激するおとぎ話として成立しており、世界中のどのファッションデザイナーもアプローチしていなかったという意味では“untimely”だったのかもしれない。そしてその後、コンテンポラリーの中心となっていったことは周知の通りである。

Gucci Women’s Fall/Winter 2015-16 Runway Show

アレッサンドロ・ミケーレのギークな趣味、自身の世界の中で描いている少年のような少女のような“閉じられた”おとぎ話がメゾンの作品となり、ラグジュアリーブランドの商品として世界中で高値で取引されているのは、ふと冷静に考えると非常に興味深く冗談めいた話にも聞こえる。過去にクリエイティブ・ディレクターとして「グッチ」を表現してきたトム・フォードもフリーダ・ジャンニーニも、それぞれ全く異なる作風ではあったが、もっと人間的で世界に開かれたスタイルだった。つまり、この振り幅の広さ、時代に合わせてキャラクターを変え、ブランドと社会との関係性さえも大きく変えるというのが「グッチ」の特徴であると言ってよいだろう。1人のクリエイティブ・ディレクターの感覚に頼りながらすべてを表現し、身軽に変化していく…と言うと今ではどのラグジュアリーブランドも当たり前のようにやっていることのように聞こえるが、そもそもクリエイティブ・ディレクターの感覚をブランドのあらゆる場面に投影するという方法自体がトム・フォード時代の「グッチ」が先駆的に始めた試みだった。緻密なデータ分析のもとマーケティングが劇的に進化している現代において、これもまた“untimely”な営為だろう。

「グッチ」の持つ「身軽さ」は、ラップ表現の可能性を拓いてきた

2017年にLil Pump が『Gucci Gang』でヒットを飛ばし、2019年には元祖GUCCI MANEがついにブランドとのコラボレーションを果たすなど、近年もラップミュージック界における「グッチ」の露出は非常に多く話題に事欠かない。歴代クリエイティブ・ディレクターによる挑戦を実現させてきたブランドの審美眼と先見性、そして変化を厭わない身軽さが人気を上昇させてきたのはもちろんだが、実はラップミュージックのリリックにおいても「グッチ」の身軽さはさまざまな場面で魅力を発し、ラップ表現における可能性を拓いてきた。

Lil Pump「Gucci Gang」

国内ラップミュージックにおいて「グッチ」を扱った最も有名な例は、2001年にリリースされたDABOの『レクサスグッチ』だろう。当時“ビート、ラップともにUSヒップホップと同列で聴ける”と評された高いクオリティのバウンスビート、「レクサスグッチのドン・コルネオ」というフックは日本中のクラブを席巻し、後期トム・フォードが手掛ける「グッチ」の名をクラブフロアに轟かせた。この時期から「グッチ」はリリックで扱われる頻出のブランドとなってくるが、中でも翌年、ZEEBRA『BABY GIRL』での「グッチ」の扱いについては丁寧に論じなければならない。

DABO「レクサスグッチ」
ZEEBRA「BABY GIRL」

本曲での「暇がありゃデート/マジかなりハイピッチ/それも合わなけりゃバイトブッチ/俺と会ってショッピング/プラダ・グッチ・プッチ」というZEEBRAのリリックには、「グッチ」の持つ身軽さがすでに観察される。「ハイピッチ」「バイトブッチ」「グッチ」「プッチ」で押韻がなされているのはもちろんだが、「グッチ」はここでブランド名の羅列として同じく3音の「プラダ」をつなぐブリッジの役割も果たしている。この“ブリッジになれる身軽さ”はグッチならではのフットワークの軽さを象徴する。連載第2回「KOHHやSALU、Elle Teresaのリリックにおけるヴェルサーチの表象について」でも述べた通り、「ヴェルサーチ」と同じく「チ」の破擦音を末尾に持つ「グッチ」はその猥雑さで多くの言葉との押韻を可能にし(ピッチ、ブッチ、グッチ、プッチのように)、「グッチ」という短い3音で成り立っているという身軽さも、多くの言葉との押韻を誘発する(プラダ、グッチのように)。

そして、「グッチ」の身軽さは、2014年KOHHの『貧乏なんて気にしない』でさらに顕在化することになる。「わざわざ見栄張って値段が高い/ルイ グッチ ヴェルサーチ」というリリックにおいて、再び「グッチ」は「チ」の破擦音で「ヴェルサーチ」を受けつつも、「ルイ」と「ヴェルサーチ」をつなげる役割としても置かれ、しかもここでは「グッチ」ではなく「グチ」という2音で発音されている。「ルイ」と並べるために促音を省き3音から2音へと自由自在に形を変え、言葉と言葉の間に入る芸当をやってのける、これもまた「グッチ」の身軽さに違いない。

KOHH「貧乏なんて気にしない」

猥雑な「チ」を末尾に持ち、3音にも2音にも変形できる身軽さを持ち得た「グッチ」だが、一方でわれわれは、この魅力的なブランドが長きにわたり表現してきたテーマの1つである“セクシュアリティについて”も論じる必要があるだろう。それはリリックにおける「グッチ」と「ビッチ」の蜜月について分析することでもあり、痙攣のごとく、私達の本能を揺さぶってくる。次回、再び「グッチ」について論じることで、その秘密を明らかにしていきたい。

Illustration AUTO MOAI

author:

つやちゃん

文筆家。音楽誌や文芸誌、ファッション誌などに寄稿多数。著書に『わたしはラップをやることに決めた フィメールラッパー批評原論』(DU BOOKS)など。 X:@shadow0918 note:shadow0918

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