パンデミックを起因とするオランダのロックダウンは昨年12月から始まり、延長に延長を重ね、実に半年間に及ぶ長期的なものとなったが、この春を過ぎてようやく緩和され始めた。そして6月5日にはロックダウンを終えるためのオランダ政府による6段階計画のうち3段階目に当たる施策が実施され、これによってバーやレストラン、そして美術館などの屋内施設が再開を許された。
いよいよ美術館に訪れることができるとなって筆者が一番に予約を入れたのは、本連載の第2回で紹介したアレック・ソス展が開催された写真美術館「Foam」だ。世界遺産に登録されたアムステルダムの環状運河エリア内に位置する「Foam」は、行政に強く依存しない起業家精神と経済的独立性を保ちながら、地下1階から地上3階にかけての4フロアでそれぞれ異なる展示を常時同時開催する意欲的な美術館である。キュレーター達の年齢層が比較的若いこともあって、この時代に生まれた最新のアートワークが堪能できる美術館の1つとして親しまれている。
このタイミングで公開されていたのは、2つのアワードの2020年度受賞展だった。Foam Paul Huf AwardとFoam Talentと名付けられたそれらは、どちらも「Foam」が毎年主催するもの。オランダやヨーロッパに限らず、世界中のアーティストが対象となることから国際的な関心を常に集めている。昨年末から始まったどちらの受賞展も、半年間に及ぶ展示会期がパンデミックの影響による長期的ロックダウンとそれに伴う美術館閉館措置が敢行された時期と完全に重なり、会期の大半が公開されることはなかったが、「Foam」の英断によって会期が延長され、美術館が再開された6月中はどちらも観られる見込みだ。
本稿では、前者のグランプリ受賞展を取り上げたい。
スペイン出身のアーティスト、ライア・アブリル(1986-)による個展「On Rape: A History of Misogyny, Chapter Two」(レイプについて:ミソジニーの歴史 第2章)は、2020年度の第14回Foam Paul Huf Award受賞作品展だ。2007年から「Foam」が毎年主催してきたこの賞は若手写真家支援を目的としたもので、受賞者には20,000ユーロの賞金や「Foam」での個展開催権利などが与えられる。過去の受賞者にはピーター・ヒューゴやアレックス・プラガーといった今や国際的評価を得る写真家のほか、岡部桃や横田大輔といった日本人作家も名を連ねる。
2020年度の同賞グランプリを見事獲得したアブリルの作品は、そのタイトルが示すように、女性が蔑視されてきた歴史を女性の視点からビジュアル化しようと試みる長期プロジェクトの一環にあるもの。第1章に当たる前作「On Abortion」(中絶について, 2016)についてここで軽く触れると、今なお多くの国において法律や宗教などの戒律によって妊娠中絶が認められておらず、それが安全かつ自由に行なわれていないことによって女性の身に起こる危険性や損害を視覚化した作品だ。これは2016年の南仏・Les Rencontres d’Arles(アルル国際写真祭)で展示発表され、その後ニューヨーク、シカゴ、ヘルシンキ、パリ、ロンドンを含めた計10都市を巡回し、その作品集は世界中の写真作家にとって名誉な国際写真賞として知られるParis Photo / Aperture Foundation主催の2018年度年間賞を受賞するなど、アブリルは前作をもって既に世界的な評価を得てきた。
その続編にあたる本展「On Rape」も同様に、女性にまつわる社会問題から触発されて作られたものだ。2018年、18歳の女性をレイプした5人の男に対し、スペインの裁判所はレイプではなく性的虐待の罪という判決を下し、男達はその後釈放された。この1件は結果的に同国過去最大のフェミニスト抗議を引き起こしたが、アブリルもそれに触発されたうちの1人だった。
特定の権力と社会規範を維持するために、なぜ加害者が黙認されなければならないのか? 彼女がその理由を探るためにレイプの歴史を振り返ったのが本展である。
サバイバーの服が訴えかける惨劇
最初の部屋に飾られたのは2メートル近い高さのある大きなプリント8点で、どれも洋服を写したものだ。写真の上に添えられた文章を読むことで、それらがレイプされた女性たちの衣服だと分かる。
コロンビアで幼稚園の保育士から性的虐待を受けていた幼女。アパルトヘイト時代の南アフリカでレズビアンとして生まれたがために牧師の父から16歳で勘当され、ホームレス生活を送る日々でレイプされて妊娠し、流産を経験した女性。アメリカの刑務所で看守にナイフをつきつけられ、独房でレイプされたトランスジェンダー。アメリカの軍隊で指揮官にレイプされた女性隊員。身の毛もよだつほどおぞましい体験の告白1つ1つが実際に現実として起きた出来事であることを、彼女達の衣服を写した写真群が沈黙のうちに訴えかける。
筆者はこれらを眺めながら、ストリーミングサービスのHuluが製作・配信するドラマ『ハンドメイズ・テイル』を思い返した。出生率が異常に低下した世界の物語で、なお妊娠可能な女性達が特権階級の所有物とされ、妊娠できない女性に代わって出産を強制されるのだが、その実態とは儀式を模したレイプであり、彼女達の日常生活は厳しく監視されるというものだ。あまりに悲惨すぎて創作ディストピアに思えなくもないストーリーだが、原作者のマーガレット・アトウッドが「想像で描いた部分は一切ない」と語ったように、それが世界のどこかで実際に起きている女性虐待の数々を継ぎ接ぎした物語だと知った時、筆者は女性に対する性的虐待がいかに歴史的に黙認され、まともな議論すらされてこなかったかを逆説的に思い知らされた。
話を展示に戻すと、サバイバー達の肖像こそ確かめることはできないが、代わりに1人1人の衣服が写真として提示されたことによって、各体験が固有の枠を超越した特定の集団性を帯びたとも言える。それらがこうして複数集められたことで、人種や環境、年齢、あるいは職などに関係なく、過去から現在に至るまで、世界中で日夜女性達が性的暴行の被害を受けるか、またはその可能性に怯えなければならない現実およびその理由と向き合わずにはいられなくなる余白を生み出していた。
女性の視点から振り返った歴史
続く部屋で展示されているのは、世界中でレイプが黙認されてきた歴史を証拠づける様々な物品のスティルライフ写真だ。長い歴史で男達が繰り広げてきた戦争の戦利品となるのは常に女性であったことを示す歴史的彫刻。アメリカでは73秒ごとに1人が性的暴行を受けているが、そのDNA証拠を含む数千がこれまで行方不明となってきたレイプキット。有罪判決を受けた性犯罪者や小児性愛者の減刑と引き換えに与えられるリビドー減退薬。中世に製造されたレイプを防ぐための貞操帯。そうした物品を写した写真群が、世界中の男性権力者がレイプを肯定する発言を抜粋掲載したパネルと共に陳列された。
女性に対する非人道的な行為が世界中で歴史的に繰り広げられてきたことを証拠づける物品や証言を集めた本展を知って、男性であればもしかすると万一にこう思うかもしれない。これらはあくまで世界のごく一部で起きた出来事に過ぎず、男性の歴史的功績をおとしめるような作者の悪意すら感じられると。
しかし本展にあるのは、過去に女性達の身に起きた悲劇を伝える物品とそれらの証言や説明であり、展示を構成したアブリル自身の声明と呼べるものは何も含まれていないのだ。冒頭で触れたように性加害者が黙認されてきた理由を探るためにレイプの歴史を振り返ることが本展の目的であり、その点において彼女は冷静かつ客観的に歴史的事実を拾い集めて並べたに過ぎない。
歴史(history)という言葉ひとつをとってもhis story、すなわち「男の物語」であると解釈できなくもない。その語源についてここでは別として、それは実際に男性の視点から記録されてきたのだから。幾章にもわたって展開するアブリルのシリーズ「A History of Misogyny」とは、言ってみれば女性の視点から歴史を改めて振り返ったherstoryと言えるだろう。
historyとherstory。それらに加えてさらに、男女の枠組みに収まらない性的マイノリティにとっての歴史、すなわちtheirstoryも知ることで、初めて語り合えることは多いのではないだろうか。これまでベールに包まれてきた女性達の物語を果敢に教えてくれるアブリルに、名誉ある写真賞が与えられたのは実に素晴らしいことだ。彼女が紐解くherstoryにこれからも注目したい。
2020年にパリのGalerie Les Filles du Calvaireで展示された本展の3Dツアーページを見つけたので、気になった方はご覧いただきたい
https://embed.artland.com/shows/on-rape