旅から旅へ——ANARCHY & BADSAIKUSHのMVと重ね合わせ読み解く「ルイ・ヴィトン」の本質/連載「痙攣としてのストリートミュージック、そしてファッション」第11回

音楽とファッション。そして、モードトレンドとストリートカルチャー。その2つの交錯点をかけあわせ考えることで、初めて見えてくる時代の相貌がある。本連載では気鋭の文筆家・つやちゃんが、日本のヒップホップを中心としたストリートミュージックを主な対象としながら、今ここに立ち現れるイメージを観察していく。

第11回では、「ルイ・ヴィトン」の鞄が登場するANARCHY & BADSAIKUSHによる「ANGELA feat.舐達麻」のMVを精緻に読み解き、そこで描かれる情景や主題と重ね合わせながら同ブランドの本質を明らかにしていく。

感情の揺れと不安定な情緒を描いた、1本の映画のようなMV

前回は「ルイ・ヴィトン」とミュージシャンたちが相互に与え合ってきた影響、中でも国内のラップミュージックのリリックにコラージュのごとく散りばめられてきたブランド名を観察することで明らかにしていった。今回は、より視覚的に「ルイ・ヴィトン」のイメージ/価値を投影し多層的なメッセージを構築している例を紹介したい。それは、近年ミュージシャンにとってクリエイティビティの具現化としても非常に重要度を増し、音楽作品の価値を補強するメディアとして無視できないものになってきているMV(ミュージックビデオ)――の中でも、暗い影が画面を覆いつくす禁欲性に支えられた1本の映像作品を指している。カメラによってえぐり出される抗い難い感情の揺れ、煙のごとく不安定に漂う情緒、そして終盤描かれる「炎」――人は、そのMVを一本の映画のようだと言う。

監督は映像作家の新保拓人で、この度SPACE SHOWER MUSIC AWARDS 2021にてBEST VIDEO DIRECTOR賞を受賞したばかりの彼のクレジットは以前から様々なラップミュージックのMVのエンディングを飾っているのだが、本作はいつにも増して端正な映像に仕上がっているがゆえに、クライマックスの炎の描写に被さるエンドクレジットの“Takuto Shimpo”というシルエットにすら感動を覚えてしまう。ここまでのプレゼンテーションでラップミュージックの熱心なリスナーの方々はすでにお気づきかと思うが、本MVとはANARCHY & BADSAIKUSHによる「ANGELA feat.舐達麻」 を指しており、近年国内で公開されたMVの中でも屈指の完成度を誇るこの映像作品がリリースされたのは2020年11月のことだった。

「炎」の中へ投げ込まれる「ルイ・ヴィトン」が意味するもの

AANGELA feat. 舐達麻 / ANARCHY & BADSAIKUSH (prod. GREEN ASSASSIN DOLLAR)

「一本の映画のようだ」と称される本MVがどの程度映画の要件を満たしているかを見ていくことはあえてここではしないが、通常細かくカットが割られ、急ぎ足で――ある意味目くらまし的に――編集されるMVのセオリーというものがある中で、4分18秒という決して短くない時間を45の少ないカット数で成り立たせている本作は、確かに「映画のようだ」と言われるであろう余裕のある態度で繋げられている。そして、その冒頭の4カットでは4つの「ルイ・ヴィトン」のボストンバッグがとらえられ、厨房→ホテル→車のトランク→町工場という順でそれぞれの場に置かれた鞄たちは本作でそれぞれのストーリーを紡いでいく。

次の5カット目、一台の車が町工場に到着する。車をとらえるカメラはそのまま移動し工場へと近づくと、扉を開けたDELTA9KIDが姿を見せる。車の到着と示し合わせたように現れる彼は何かの目的のもと待ち合わせているようで、一服だけ吹かすと覚悟を決めたように腰を上げ、足早にG-PLANTSが待つ車へと向かい、鞄を後部座席に置き車へと乗り込む。ここまでを6カット目~14カット目でとらえるのだが、その間カメラはDELTA9KIDを横から、背後から、正面から、引きで、寄りで、執拗に追いかける。

一度カメラが動き出してしまったため、これらの“旅”にもうしばらくお付き合い願いたい。無事に二人を乗せた一台の車が動き出す行方を追ってみると、15カット目~18カット目で再び意味ありげなカメラワーク演出に遭遇する。走る車を後方から、前方から、さらに二人のそれぞれのアップ、というように律儀なまでに対象をあらゆる方面からしつこくとらえ続けるのだが、果たして我々は彼らを尾行しているのだろうか、身ぐるみはがされるかのごとく四方八方から迫り続けるカメラに緊張感が高まっていく。

ANARCHYのヴァースに進んでも、引き続きカメラは弛緩しない。ホテルの一室で隠れるように過ごす彼をとらえる映像は、19カット目~25カット目でサイドから、背後から、正面から、Gジャンを着るシーンまでしっかりと網羅的に押さえられ、26カット目では歩く3人の姿をドラマティックに見せる。その後の車の移動シーンも同様だろう。前から、背後から、横から、身柄を確保された容疑者を写す360°写真のごとく各方向から押さえられる彼らの姿。

続く31カット目では最も力の入ったショットが現れ、その画面の力強さに観る者は痙攣させられるだろう。薄暗いレストランでの移動撮影は、ウェイターを追うように見せながら私たちの予想を裏切り、そのまま奥まった席でのBADSAIKUSHをとらえる。このシーンでは想定の軌道に乗ると見せかけて乗らないという自由自在で柔軟なカメラワークが、BADSAIKUSHがいるテーブルのクローズド性を強調する。その後のカメラワークも、同様にあらゆる角度から迫り、身体に肉薄することで、彼を追い出すように厨房へ移動させることとなる。

人物の登場シーンや厨房のシーンなど、カメラがぐるりと移動撮影を行うことで画面に奥行きと立体感を生みつつ、そのような立体的空間=社会という箱庭の中でそれぞれのアジトを立ち去り一つの場所へと向かう彼ら。四人の存在を暴くように舐めるように、あらゆる方向から追い続けるカメラ。四人は「ルイ・ヴィトン」の鞄を持ち、炎へと歩みを進める。「本気だから命賭けることも厭わず/必ず実らす/花には水を/胸を張って音に託す俺なりのヒップホップ」とリリックである通り、意を決してヒップホップを生きるために、ついに43カット目で鞄は炎の中へと投げ込まれる。

一つの「旅」が終わり、また新しい「旅」へ

「ルイ・ヴィトン」は、言うまでもなく、“旅”を定義してきたメゾンである。旅はかつて今ほど快適なものではなく、過酷なものだった。創業者のルイ・ヴィトンは、若き日、家を出てパリへ向かう。14歳から2年間旅をした彼は、そこで様々な人と出会い経験を積んだ。「それは必要に迫られて移動しているのであり、楽しみのための旅行ではなかった。仕事の都合や家庭の事情とまったく関係のない観光旅行という考え方は、比較的最近生まれたものである。」(ポール=ジェラール・パソル著『ルイ・ヴィトン 華麗なる歴史』河出書房新社、2012年)とある通り、その後のルイ・ヴィトンが果たした功績とは、旅を快適かつ好奇心に満ちたエキサイティングな体験に変え、そこで見聞きする歴史的・文化的接続が人生を自由なものとして充実させるという価値観へと更新した点にあるだろう。

ポール=ジェラール・パソル著『ルイ・ヴィトン 華麗なる歴史』河出書房新社

「ANGELA feat.舐達麻」において、登場人物は車に乗り目的地へと向かう。その姿はまさに旅であり、旅路は暗闇の中で燃え盛る炎にたどり着き一つの終着点を迎える。「ルイ・ヴィトン」は燃やされ、旅は終わった。同時に、自由と歓楽と好奇心とラグジュアリーは灰になり、売人としての過去は葬り去られ、彼らはついにヒップホップと心中することを誓う。カメラに向けて赤裸々に自身をさらけ出すこと。ストリートのセオリーに従うこと。待ち受ける過酷な道、過酷な旅。

「暗闇に火つけて 煙と舞うメロディ/Roll up Roll up/ONE MAKE 運命や人生 変えたセオリー/Forward Forward/変わらずストリートならいつも通り/Go out Go out/天国地獄の狭間思う1人/No doubt No doubt」(「ANGELA feat.舐達麻」)

こうしてストリートと旅のつながりに心打たれたあなたは、続いて、同じく「ルイ・ヴィトン」のボストンバッグがとらえられるRYKEY×BADSAIKUSH「GROW UP MIND feat.MC漢」のMVを視聴し涙するだろう。そして、自身にとっての“旅”の定義をもう一度考えることになるだろう。パンデミックの渦中で、ヴァージル・アブローは依然として“旅”にこだわり続けている――人種、ジェンダー、あらゆる現代文化の問いを背負いながら。一つの旅が終わると、すぐにまた次の行先への旅路が始まる。その一つに、ヒップホップは、ストリートは、確かに存在している。

GROW UP MIND / RYKEY × BADSAIKUSH feat.MC 漢 (prod.Green Assassin Dollar)

Illustration AUTO MOAI

author:

つやちゃん

文筆家。音楽誌や文芸誌、ファッション誌などに寄稿多数。著書に『わたしはラップをやることに決めた フィメールラッパー批評原論』(DU BOOKS)など。 X:@shadow0918 note:shadow0918

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