アーティスト、SHOHEI TAKASAKIが描き続けた、4年間の記録と記憶

人生というのは、実に色鮮やかだ。ときに繊細で、ときにダイナミックで。

アーティストのSHOHEI TAKASAKIは、日々の生活で感じたことをアート制作へ託してメッセージを伝えている。東京で活動を開始し、アメリカ・ポートランドへ拠点を移してから約10年。アーティストとしてさらに大きな成長を遂げた彼が、ポートランドでの最後の2年の生活と、日本へ戻ってきてからの2年間の生活の中で描き上げた作品を、画集『Where Is Everybody』にまとめ上げ、画集刊行記念展「Dinosaur head, Lightning, Grid」を恵比寿のブック&アートギャラリー「NADiff a/p/a/r/t」にて開催した。そこで本人にこれまでの活動と作品を通して伝えたいことを聞いた。

近づくほど捉えにくくなる。ランドアートにヒントを得た展覧会

ーー画集『Where Is Everybody』の制作のきっかけと、刊行記念展「Dinosaur head, Lightning, Grid」はどんな内容なのか教えていただけますか?

SHOHEI TAKASAKI(以下、SHOHEI):今回の展覧会は、2019年にアメリカを出る直前にポートランドのギャラリーでやった「Where did you sleep last night?(君は昨晩どこで寝たの?)」という展覧会のコンセプトがルーツになっているんだよね。そのギャラリーのスペースがコンパクトなスペースだったから、空間をどうアクティベイト(=作動する)しようかと考えて、コンパクトで小さなスペースに無理やり押し込むじゃないけど、めちゃくちゃ大きなペインティングの作品を、その時は入れたの。でかすぎて、斜めにつっかかってしまうみたいな。
なぜそうしたかというと、人と人との関係性に置き換えられるんだよね。友達や親、恋人だったり、子どもだったり、例えば自分と近い人達との距離が近づけば近づくほど、人って実は他人なんだと気付かされる瞬間があることを俺は感じていて……。
それと同じく、アートピースが大きくて距離が近くなるほど、作品全体がキャプチャーしづらくなる。だから「昨日あなたはどこで寝ていたの?」というタイトルは、本当は信頼しているのに「この人、本当は何を考えてるんだろう?」とふと思う瞬間……、それはやっかみから来てたり、裏を返すと愛だったりするんだけど、人間は実はどこまでも孤独なんだってことをメッセージで伝えたくてインスタレーションしたんだよね。

ーー近づくほど相手が見えなくなってわからなくなる。だけどちゃんと形はあるみたいなことですね。

SHOHEI:そう。ところで、ロバート・スミッソンというアメリカの有名なアーティストの作品が、このショーのコンセプトの源の1つになるんだけど。彼は1960年代〜1970年代にかけてアメリカやイギリスを中心に生まれたランドアート(アース・ワーク、アース・アート)っていうムーブメントの中で、ウォルター・デ・マリアやマイケル・ハイザーらなんかと同様に中心的存在として位置付けられているコンセプチュアルなアーティスト。彼の「スパイラル・ジェティ」という大地にグルグルとめちゃくちゃでかいドローイングをした代表作がユタのソルトレイクにあるの。俺は実際にソルトレイクへ行って観たんだけど、自分にとってはアイデアの源泉を広げてくれたアートピースで、目の前に立つとでかい石がザーッとあって、あとは干からびた湖があるだけなの。フィジカルに体験すると、作品が大き過ぎて何がなんだか意味がわからない。だから上空から距離をとる航空写真とか、もしくは制作時の設計図などのドキュメントされたものを辿りながら全体をキャプチャーしていくっていうプロセスがおもしろい。ビューアーに「時間」を感じさせるようなアートピースももしかしたら初めてだったんじゃないかな?
それでそこからインスピレーションを受けて、「スパイラル・ジェティ」を家庭の中というドメスティックに持ってきたら、個人個人の関係性にも当てはまるかなと。近くなればなるほど「なんで離れていっちゃうの!?」みたいな。

ーーそこでポートランドでショーをやって、今回の日本でのアートショーへとつながっていくんですね。

SHOHEI:ポートランドでのショーが終わったあとに日本へ帰ってきてから、すぐにコロナ禍になってしまって、また家で過ごすドメスティックな時間が増えたわけじゃん。俺の場合は、基本的にはスタジオと家の往復だけになって、息子も学校に行けないから家にいるし、家族といる時間も増えて、東京に帰ってきてからまた偶然にも「家庭」っていうものを考えさせるような状況の中で画集を作る話とショーをやる話をいただいたんですよ。
そこでポートランドでやったショーと基本的には同じ内容を違う国、土地(今回は日本)でプレゼンしてもいいだろうと。それからコンパクトな空間を探し始めて、見つけたのが「NADiff a/p/a/r/t」だったの。7月末にはシドニーに引っ越すってこともあるんだけど、ポートランドでの最後の2年と、日本での2年がちょうど同じくらいだから、同じテーマで場所は違うけど共通のテーマでやってみました。

ーー展示されている作品は、日本へ帰国してから描かれたんですか?

SHOHEI:コロナ禍で家にいる時間が増えたからドローイングの数がすごく増えたというのもあるけど、持ち運びしやすい紙と、オイルの色鉛筆をバッグに詰めて公園に行って、息子が遊んでいる間に描いたり、家族が寝たあとにダイニングテーブルで描いたりだとかさ。あたりまえだけど、スタジオに長くいればいい作品ができるってことでもないしね〜(笑)。めちゃめちゃドローイングの数が増えていたんだよね。で、時間が経って気付いたらそのドローイングの束ができていた。

ーー改めて自分が描いた莫大な量のドローイングを見て何か思いましたか? 

SHOHEI:ペインティングとドローイングの関係性もまたさらに見えてきたし、ドローイングからインスピレーションを受けて、ペインティングで描かれているものもあるし、逆にキャンバスでのペインティングから影響を受けてドローイングをキッチンで描くとか、この2つの関係性はすごくおもしろい。それとスタジオでキャンバスに向かう時は1人の時間で、スケッチブックにドローイングしている時は誰かと時間を共有している時が多いから、1人の時間 VS 人との共有時間というのもあるよね。

自分は何者なのか。そこに気付きアートフォーマットを学ぶ

ーーアメリカに長年住んでいらっしゃいましたが、移住して作品を作る手法は変わりましたか?

SHOHEI:だいぶ変わったよ。10代や20代の頃、俺はただのヤンキーだったから本当にただのノリ。アートの歴史とかそんなのどうでもよくて、すべてノリでやっていたから、キャンバスの貼り方も知らなかったし、なんなら「知ることがなんなの?」とか、「貼ってあるキャンバス買えばいいじゃん!」みたいな(笑)。まあそれはそれで全然悪いことじゃないんだけど。自分の中であまりオプションがなかったんだろうね。あとは、まずやっぱりただただ「楽しい」とか「気持ちいい」「かっこいい」とかね。

だけど30年代前半にアメリカに住み始めた時に、「自分は何者なのか」ってことをやっぱり考え始めたの。人種も違えば言葉も違う人達がいて、生活の仕方もカルチャーも違う中で、「お前ってなんなの?」と聞かれても答えることができない。そこから自分は何者なのかを考え始めると、「アーティストってなんなの?」ってことになっていって。そんなことを考えながらアーティストとして活動をしていくうちに、アートにももちろんルールがあることをようやく知って、俺達がやっているアートは基本的にどんどんアップデートしていかなくてはならないことに気付いたの。それでそのアートのフォーマットに乗ってやっていくなら、アートの歴史も知らないといけないし、そうでないと2021年で自分が何をやっているのかを伝えることさえもできない。アメリカに行ってから、俺はアートについて学び始めたんですよ。ベタだよね(笑)。

ーー誰か教えてくれた人はいたんですか?

SHOHEI:作品集の巻頭でも書いてもらっているんだけど、ポートランドでセオ(=Theo Downes-Le Guin)という、今では自分の恩師のような人に出会うことができて、彼は年に1度、俺のスタジオへ来てくれて作品についていろいろ話をしてくれる先輩であり、友達でもあり、ギャラリーのプロデューサーでもあるんだけど。アートについてしっかりした知識があってポートランドのローカルアーティストに「アートとは何か」とかを教えているんだ。そのセオが、初めて面と向かって俺のアートを批評してくれて、いろいろとアートについて教えてくれたんですよね。俺はアートの学校へ行っていないからセオの存在がすごくありがたくて。だからセオがスタジオへ来る前日は、何をどう飾ろうとかすごく考えたりしてましたねえ……、特に初期の頃は。彼との出会いがきっかけでアートに対する考え方も変わった。あとはポートランドにいた頃は、ニューヨークによく行ってたんだけど、そこでアーティスト同士で話すことから学ぶことも多かったね。

ーー海外での生活も長くなっていますが、今回の作品集の中にある作品には、どれくらいご自身の“日本人度”が反映されていると思いますか?

SHOHEI:俺の場合はドメスティックも日本ではないから……。嫁は外国人で、子どもはミックスだしさ。日本語も日本にいれば使うけど、家ではあまり使わないし、だんだんとルーツがわからなくなっているというか。日本へ帰ってきても、ポートランドへ行っても「帰ってきた!」とはならなくて、自分が何人かとかわからなくなってきいている感じ。

ーーなんだか人類の進化というか、地球人という感じがしますね。これからどんどん人種や国籍の垣根がなくなっていく世の中になるかなと思うことがあるんですね。自分がどんな生き方と考えを持つかが、これからさらに大切な世の中になっていくと思うんですが、そうなるとSHOHEIさんの「何人だかわからない」という感覚が、新しいアートを生み出す可能性はあるなと感じます。

SHOHEI:チョイスが増えることはいいことだよね。海外へも前と比べて行きやすくなってきているし、他の国の人達と関わりたければ、すぐに関わることができる世の中になっている。うちの息子が大人になった頃なんか、もっとチョイスが広がっていると思うしね。言葉とかも60ヵ国くらい話せちゃうみたいな(笑)。

ネガティブなテーマを笑いに変えて、自身のアートを届ける

ーーこれから拠点をオーストラリアに移して活動されますが、この先考えているテーマや、新しくやってみたいことはありますか?

SHOHEI:彫刻をもっとやりたいな。実は彫刻に関しては、去年から毎日何かしら作っていて、スタジオの中だけで見つかるものを使って、同じぺデストールの上で縛ったり、糊でくっつけたり、刺したりして、それを撮影して、撮影後は分解、壊すっていうのをエクササイズとしてず〜っと記録として残してきたんだけど、これからは木とか鉄を使って壊れない作品を作りたいなと思っていて。ポートランドでは大きなスペースがあったから、自分で木を切ってベッドやテーブル作っていたんだけど、すごく頭のエクササイズになる。例えばクラフトでの制作には「Measure twice cut once」っていう、「2回測ってから1回で切る」って言葉があるんだけど、しっかり下準備をして一度で切るとしっかり全体が合ってくる。だけどペインティングの場合はそうはいかないじゃない。どっちかっていうと逆だよね。1+1=2にならないよね、基本的に。だからクラフトをすると頭のエクササイズになるし、オーストラリアへ行ったらアトリエのスペースも大きくなるからもっと彫刻をやってみたいな、ってのもある。

ーーでは、扱ってみたいテーマはありますか?

SHOHEI:自分はたいてい生活する中で感じたネガティブなことやストレスがテーマになることが多いんだけど、だけどそれをテーマにしてパプリックに出す時は、少しユーモアがあるほうがいいと思ってるんだよね。ストレスや怒りをテーマにする時、怒っているだけではパブリックはなかなか共感してくれないし、ユーモアを交えながらプレゼンテーションすると伝わることが多いから。ちょっと笑いみたいなのを入れることで広がりが出るし、ま、もしくは超エクストリームに行くかしないと。中途半端は広がらない。

7~8年前にクウェートでアートショーをやった時に、どこの国でも同じで、若い人達はやっぱりすごくストレスが溜まっているんだなと思ったんだ。彼らはオイルマネーで基本的にリッチだけど、政府はどうしようもないし、規則はコンサバで、宗教的にできないこともたくさんある。だからファッションも伝統的な白いドレスにヘッドギア(クーフィーヤ)みたいなのを頭に乗せて、それに「ディッキーズ」のショーツに「ヴァンズ」を履いてスケートボードとかしてたりしているんだけど。体制に対する不満やストレスが大きければ大きいほど、クリエイションの種は生まれるんだとその時に感じたんだよね。

だから日本のクリエイターも今はチャンスかもしれない。ただ日本の若者の場合は、もっと自分達に対するストレスに気付くというか、日本を離れて客観的に日本を見ると、こんなクレイジーな国って他にはないと思えるはず。自分って普通だと思っていたけど、「普通って何?」みたいなことに気付き始めている人達が多くなってきているから、それがどうなっていくのか楽しみだよね。

SHOHEI TAKASAKI 『Where Is Everybody』
(GALLERY COMMON)

SHOHEI TAKASAKI
1979年生まれ、埼玉県出身のコンテンポラリーアーティスト。音楽アーティストのジャケット作品や、イベントフライヤーへの作品提供などを経て、本格的にアート活動を開始。約10年にわたるアメリカ・ポートランドでの活動を経て、2019年夏に東京に拠点を移し、ペインティングを中心に彫刻やインスタレーションを発表。これまでにポートランド、ロサンジェルス、クウェート、メルボルン、香港、東京など、さまざまな都市で作品を発表、またシアトルにあるスターバックスのヘッドクォーターや、ポートランドのホクストン・ホテルなどのパブリック・コレクションとしても作品が収蔵されている。2021年夏よりオーストラリア・シドニーに活動の拠点を移し、新たな活動を開始予定。
http://www.shoheitakasaki.net
Instagram:@shoheitakasaki

Photography Shinpo Kimura

author:

Kana Yoshioka

フリーランスエディター/ライター。1990年代前半ニューヨークへの遊学を経て、帰国後クラブカルチャー系の雑誌編集者となる。2003年~2015年までは、ストリートカルチャー誌『warp』マガジンの編集者として活動。現在はストリート、クラブカルチャーを中心に、音楽、アート、ファッションの分野でさまざまなメディアにて、ライター/エディターとして活動中。

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