エルメス財団は銀座メゾンエルメス フォーラムで、ロンドンを拠点にするキュレーターのマチュウ・コプランによる日本初の展覧会「エキシビジョン・カッティングス」を開催した。会期は7月18日まで(緊急事態宣言を受け、当面の間は休館。開館についてはエルメス銀座店の営業に準じる。緊急事態宣言中の対応についてはオフィシャルサイトで要確認)。同展の開催前日に行われた内覧会にはコプランがオンラインで登場し、来場者とのトークセッションを行った。
同展の開催については「新型コロナウイルスのパンデミックが収まらない中、延期も検討しましたが、この表現がコロナ禍の状況を反映するものであることと展示の内容も影響を受けたこと。コロナのせいで表現が丸くなったということではなく、この状況の中で進んでいくことで強さやパワーを蓄えたと思っています。相当なチャレンジではあるがこの機会に開催することに決めました」とコロナ禍での制作背景と開催に至った経緯について言及した。
会場では大きく分けて2つの展示作品を鑑賞することができる。同展のタイトルに含まれる“カッティング”という言葉が持つ意味を表現していて、「日本初の展覧会をエルメスのギャラリーで開催するにあたり、展覧会の意味を再考することから始めました。多くの条件やルールを決めて行くうえで、展覧会たらしめるものは何なのか? それには有機的な営みが必要で、あるべきなのは“環境”です。“カッティング”の持つ意味の通り展覧会の中に複数の展覧会が存在しているようにイメージしてほしい」と語った。
コプランが“環境”と位置づける、「挿し木」をコンセプトにした愛媛県の福岡正信自然農園の土と甘夏の苗の展示は、福岡の著書「わら一本の革命」で自然の力や循環を主軸とした根源的でラディカルな哲学をもとにした農法によって現在に受け継がれている、苗木と土を通じて世界が抱えている環境問題などへのアンチテーゼを唱える。
空間に流れる音楽は1960年代から活動を続ける、ミニマル・ミュージック、ドローンの巨匠、フィル・ニブロックが書き下ろした。楽曲は全6曲。アンサンブルIREやディヴィッド・マランハ、スティーヴン・オマリー、デボラ・ウォーカー、エリザベート・スマルトの演奏によるもので、その中の「Exploratory, Rhine version – “Looking for Daniel” 探索(ライン川編〜ダニエルを探して)」は、日本のヴォーカル・グループ、ヴォクスマーナが、東京で演奏・録音した。
「育まれる展覧会として環境を作る3つの要素があります。1つ目は苗木と土の植物、2つ目は木製のベンチやスピーカー台という自然、そして3つ目に音楽です。幸運なことにフィル・ニブロックがこの展覧会のために楽曲を制作してくれました。フィルの音楽は、ミニマルでありながら緊張感があり芯がある。空間を移動すれば聴こえ方が違うし、音と音の境界にあるマイクロトーンの成り立ちや繊細な音のつながりを感じてほしい」と展示を構成する要素を分析し、コロナ渦でのレコーディングについては「集まれない時期もあり困難を伴ったが、世界中のアーティストと一緒に録音した作品として発表できることが何よりうれしいし誇りに思う。そして、西原尚さんには、声楽アンサンブルのヴォクスマーナのプロデュースだけでなく、木製のベンチやスピーカー台の制作をお願いした。環境というテーマを形作る重要な役割を担ってくれた」と語った。
会場には西原も来場し、自身が手掛けた作品について「最初はフィル・ニブロックとのレコーディングを担当する予定でしたが、苗木の展示を囲む木製のプランターやベンチまで制作させてもらいました。映像作品では、“アンチアーティスト”という言葉はありませんでしたが、まさにそのような考えを持ったメンバーが集ってこの展示を作りました。ちなみに、ベンチとプランターに使用した木材は、東京藝大の取手キャンパスにあった廃材を使用し、OB達とともに制作しました」と同展のテーマでもある“環境”に基づいた制作背景も覗かせた。
もう1つの展示である、入り口にフィリップ・デクローザの絵画が展示している空間は、黒いカーテンで仕切られ、迷路のような通路の先に映像作品「The Anti-Museum: An Anti-Documentary」が上映されていて、2016年に開催した「閉鎖された展覧会の回顧展」を再訪している。「デクローザの絵画はその奥にある映像作品をたどるための地図でもあり、来場者に対してその先にある作品を想像させる、惑わせる迷路でもある」と作品の展示意図について説明した。
同作はそれぞれ“閉鎖”“反展覧会(アンチエキシビジョン)”“反芸術(アンチアート)”“反美術館(アンチミュージアム)”“反文化(アンチカルチャー)”“すべては芸術である”の6パートに分かれている。構成はコプランによる美術史における展覧会の考察と、アーティストとの対話による約30分のドキュメンタリー映像。昨年から続く新型コロナの影響で、閉鎖を余儀なくされた文化施設などの現状に呼応するように、美術史の中でアーティストによって「閉鎖された展覧会」から、その意味について新たな議論を活発にする試みだ。
興味深いのは、同作で扱っている一番古い展覧会が1964年の東京で、前衛グループ「ハイレッド・センター」が展覧会の概念に挑んだ「パノラマ展」であること。内科画廊を初日に封鎖し展示会場の中ではなく、外の世界を芸術とした実験的なアクションで、映像ではメンバーの赤瀬川原平が「通常は初日にパーティをし、最終日は静かに片付けるだけ『大パノラマ展』はまるで反対だ」と話すように、展示終日の18時に画廊の解放とテープカットのために大勢の来場者が集まった。中にはジャスパー・ジョーンズやサム・フランシスの顔も確認できる。公共的であれ、商業的であれ、ギャラリーとの過激な取り組みを通じて芸術表現における展覧会の必要性を問う。
パート6では1964年に発表されたオノ・ヨーコによる「『芸術』は特別ではない。誰にでもできる。皆が芸術家になれば芸術は消滅するだろう」という主張を取り上げ、フランスの芸術家、ベン・ヴォーチェが「デュシャンとケージはすべてが芸術たりうるし、非芸術たりうるということをヨーロッパ的な考え方にもたらした。それならば非芸術とは何か、真実と芸術の境界とはなにか議論すればいい」と語る一方で最終的には「わからない」と答えている。
コプランは「オノ・ヨーコの言葉を引用すると何でも芸術になりうるということは、ミュージアムはいらないのではないかという議論にたどり着き、反美術館の考え方にもつながってくる。映像の最後に登場するベン・ヴォーチェの言葉が示すように、いろいろな視点を来場者に体験してほしい」と語り、映像作品を通じて「アーティストの表現として“封鎖”という行為を扱っているが、奇しくも昨年は世界中のミュージアムが物理的に閉鎖に追い込まれる事態になり、それから苦しい1年を過ごしてきた。コロナだけでなく、私達の生活や社会の在り方を示唆するような内容になったと思っている」と結んだ。
同作のナレーションはブラックフラッグ、ロリンズ・バンドのフロントマンだったヘンリー・ロリンズが担当し、サウンドトラックには元ノイバウテンのF・M・アインハイトが参画している。
最後にポストコロナにおける芸術表現の在り方について訊ねると「ミュージアムや展覧会は社会的な行為でアートはその役割を果たすものだとすると、オンラインでは限界があります。今回のコロナ禍での展覧会はそのような必然性を再認識させられましたし、苗木が成長していくように“環境”そのものが現状と重なります」と締めくくった。
同展ではまず、映像作品「The Anti-Museum: An Anti-Documentary」を観て、コプランが語る展覧会の意味=環境ということを理解した上で、フィル・ニブロックのミニマルミュージックに満たされた空間に展示されている、福岡正信自然農園の土と甘夏の苗や木のベンチ、苗木を囲むプランターなどの鑑賞をおすすめする。