写真家・映像監督の奥山由之が新作『flowers』で試みた“亡き祖母との対話”  2つの視点で構成されたその意図とは

写真家・映像監督の奥山由之による新作写真集『flowers』(赤々舎)が出版された。“花を媒介とした、亡き祖母との対話”をテーマにした今作は、現在は奥山がアトリエとして使用している亡き祖母の家で、長年に渡り撮り続けた作品が収められている。これまでは、人物を撮影した作品を多く発表してきた奥山がなぜ、花と居住空間の写真集を発表するに至ったのか。メールでインタビューを行った。

——まずは新作『flowers』の撮影を始めたきっかけを教えてください。

奥山由之(以下、奥山):edenworksというお花屋さんを経営されている、篠崎恵美さんに初めてお会いした際に、売れ残って廃棄されてしまうお花を、棄てる前に撮影してほしい、とお願いされました。可憐に咲いていた花が、生き物として朽ちていくその姿を、ある種の遺影として残してほしいと。その思いに共感して、毎週1つずつ、お花を頂き、自分のアトリエで撮影するようになりました。

生前に祖母が暮らしていた家を、現在は僕がアトリエとして使わせてもらっているのですが、花を生けて飾ることが好きだった祖母のことを思い出し、僕も同じように、窓際に生けて撮ってみたところ、向き合っているその花を通して、次第に亡き祖母と対話しているような感覚になりました。

生前は話をする機会が少なかったので、今になってその後悔を滲ませながらシャッターを切っていると言いますか……、部屋に射し込む綺麗な夕陽が妙に寂しげで、この場所にいて初めてわかる祖母の気持ちがあったりして、だからこそ、花を撮ることは、僕にとっては祖母との対話であって、もっと飛躍して言えば、後悔も含めて、今までの自分自身を撮っているとも言えます。

もともとは、祖母が亡くなったあと、空き家となったその家の様子を撮影し始めたことが、この作品制作のきっかけでした。祖母がどのような視点でこの家を見ていたのか、どんな気持ちで暮らしていたのか、それを知りたくて、大判や中判のカメラを三脚に据えて、祖母の視点に近いと思える位置から撮影をしていました。

そんな中、篠崎さんと出会い、花を介して祖母を見る自分の視点と、既に撮影していた生前・死後の祖母の視点を混在させて1つの作品と成す、『flowers』はそんな対話形式の構成になっています。

——撮影した花は篠崎さんから提供された花をそのまま撮影しているんですか?

奥山:そうですね。篠崎さんは、何度か僕のアトリエに来てくれたことがあったので、花選びに関しては信頼をもってお任せしていました。なので、提供していただいたお花をそのまま撮影しています。

——flowers』はどれくらいの期間、撮影されたんですか? 

奥山:期間は、約3年間だったと思います。

——今後もこの撮影は続けていくのでしょうか?

奥山:今のところは撮影を続けていく予定はありません。1冊の本としてまとまったので、今後は、展覧会や各媒体での掲載などを経て、『flowers』という作品を多角的に捉えて、観てくださる方々や自分自身の中で、変化させていくことが大切だと思っています。どの作品も、本になったら完成、という訳ではなく、そこからがスタートです。

『flowers』の場合は、本になる1年前に、「PARCO MUSEUM TOKYO」で、edenworksとのインスタレーション展を開催したので、あの展示を起点として、今後も長年に渡って、さまざまな発表方法を試みられたら、より作品の本質に近付けるのではないか、と思っています。

「祖母の視点」と「僕の視点」、2つの視点による対話

——今作では、花を110(ワンテン)フィルムで撮影し、キッチンや書斎、寝室などの空間は大判カメラや中判カメラ、35ミリ、ポラロイドなどさまざまなカメラで撮影されています。花を110フィルムで撮影されていて、主役である花がボケて見えているのに対して、部屋の写真はクリアなものがあって、その対比が印象的でした。そうしたカメラの使いわけにはどういった意図が込められているのでしょうか?

奥山:この写真集のテーマは、”花を媒介とした、亡き祖母との対話” なので、大きく分けると「祖母の視点」と「僕の視点」といった、2つの視点が行き交い、対話するように構成されています。

「祖母の視点」は、主に4×5や、中判、35mm、ポラロイドなどのカメラを三脚に据えて、部屋の様子を撮影しています。ポイントは、「三脚に据えている」という点です。カメラ自体が、生前の祖母、または死後の祖母となって写せるようにと、僕自身の肉体からカメラまでの距離を置いて、シャッターには触れず、レリーズを用いて撮影しています。そうすることで、極力、僕が撮ることによる作為を排除していく。“僕がカメラを使って撮る”、のではなく、“カメラが祖母となって見る”にはどうしたらいいのか。三脚の平衡をとらず、かつあえて低めのポジションに設置することで、腰が曲がり視点が定まらなかった祖母の眼差しを表現したり、あえてフォーカスを合わせないことで弱い視力を再現したり、また、祖母が亡くなった際、部屋の床に倒れ込んでいたのですが、その時に恐らく目にしていたであろう景色を、同じ目線から撮影したり……、読者にも「祖母の視点」という意識を感じてもらえるように、さまざまな工夫を凝らしました。比較的大きめの機材を用いているのも、僕自身の身体性から極力離れて、カメラとして独立して存在することを目的にしていたためです。

一方「僕の視点」では、花を介して祖母を撮っているのですが、撮影機材は逆に極力小さく、軽くて、身体性の高いカメラで撮りたいと考えていました。極端に言ってしまうと、目に近いような、存在感のないカメラ。そんな時たまたま、和室の押し入れから、祖父がかつて使っていた110フィルムカメラを見つけ出しました。35mmよりも断然小さなフィルム。手の平に収まるほどのサイズのカメラです。また、家に元からあったものを使うという選択も、自然で無理がなく、決め手になったと思います。

なので、仕上がりの質感、というよりは撮る時の身体性を基準に機材を選びました。

——今回、写真集『flowers』として出版されましたが、当初からそれは意図していたのでしょうか?

奥山:どの作品もそうなのですが、最初から写真集出版を前提とすることは、ほとんどありません。撮影を続け、写真が増えていく中で、「この一連のシリーズを写真集として発表することで、自分にとっても読者にとっても、今後、捉え方がより大きく変化していく可能性がある」、そう思った作品のみ本にしています。つまり、本として定着することによって、その作品に対しての一時的な結論を出すことになる訳です。となると、その時点でのある種の答えに対して、将来的に本を見返すたび、思うところが出てくる。それこそが、作品作りの始まりであって、その写真が何を伝えているのか、その本質に近付く第一歩だと思います。

だから、僕にとって本作りは、タイムカプセルのような感覚に近いです。一度作ってしまうと、収録写真も構成も、デザインだって、何もかもが変えられないですから。だからこそ、時間の経過と共に気付かされることが出てくる。ジャンルに限らず、作品というのは、後にどれだけ“気付ける”事柄が秘められているのか、が勝負だと思います。

——flowers』の装丁は、葛西薫さんと安達祐貴さんが手掛けられています。葛西さんは『As the Call, So the Echo』でもご一緒されていました。今回、葛西さんにお願いしたのはどういった意図があったのでしょうか?

奥山:葛西さんのデザインを見ていると、いつも、土の付いた職人の手を思い出すんです。ちゃんと裸足で地面を踏みしめている、と言いますか、生き物に触れる感触や、温かな体温、風の匂い、水流の音、人間が根源的に慣れ親しんだ大地が背後に広がっていく気がします。体温のある優しさを感じるんです。

以前、仲條正義さんが葛西さんについて書かれていた文章の中に「”優しさ” という人間の失われがちな資質をもう一度掘り起こし、テーマとなし得たことは彼の人格とはいえ、われわれの喜びとしたい。」という1文があって、まさにこのことです……! と深く共感しました。

なので、葛西さんとご一緒させていただいた写真集『As the Call, So the Echo』『flowers』はいずれも、そういった柔らかな優しさを根底に、素朴で実直な1冊を作りたいという思いから葛西さんにお願いをさせていただきました。

——奥山さんにとって、おばあさんはどういった存在でしたか? 

奥山:僕にとっては、“優しさ”の象徴だったと思います。

——flowers』はどういった人に観てもらいたいですか?

奥山:やっぱり、祖母に見てほしかったですね。

“どう撮りたいか”よりも“何を撮りたいか”へ変化

——写真集の話題とは離れるのですが、コロナ禍になって、奥山さんの写真との向き合い方に変化はありましたか?

奥山:コロナ禍の影響によって、写真全般に対しての向き合い方が変わった、という意識はあまりありません。

ただ、コロナ禍以降にしか撮影できない事象は当然あって、なので現在制作中の作品で1つ、コロナ禍以降の東京に注視して撮り続けている内容があります。

——2011年に『Girl』で第34回写真新世紀優秀賞を受賞してから10年。ご自身の写真家としての考えで、変わったことと変わらないことを教えてください。

奥山:変わったことは、“撮る”という行為そのものへの興味から、作品のテーマや、被写体など、何かしらの外的要素と”向き合う”ことへの興味に移行した点は大きいと思います。10年前のデビュー当時は、撮る上での技術的な探求や、試行錯誤を日々繰り返していたのですが、だんだん“どう撮りたいか”よりも“何を撮りたいか”を考える時間のほうが増えたと思います。もちろん、“何を撮りたいか”の先に、ではそれを“どう撮りたいか” の思考はつきものなのですが、その時間が減りましたし、”どう撮りたいか” が起点になることはほとんどなくなりました。

変わらないことはきっと、創作に真摯に向き合っていること、だと思います。

——写真を撮影する時に意識していることはありますか? 

奥山:時と場合によって、その意識は大きく変わるので、一概には言い難いです。ただ、どんな時も共通していることは、「“正直”な気持ちで向き合う」ということだと思います。

——最後に、近年はCMのディレクター業も含めて、映像監督としての活動も増えています。奥山さんの中で映像と写真を作る上で、意識として「ここが違う」ということがあれば教えてください。

奥山:僕の場合は、映像にしても写真にしても“演出をしている”という行為に変わりはないので、そこまで意識に大きな違いはないのですが、映像のほうが関わる人数が多い分、よりチームワークが大切であることは間違いないです。1人ではどうにもならない。だから、参加してくれているスタッフやキャストの皆さん、全ての人達とのコミュニケーションが作品の仕上がりに直結します。もちろん、写真にしても、コミュニケーションの過程が大切ではあるのですが、最後はやっぱり一手に背負っている感覚がある。片や映像は、最初から最後まで全員野球。なので、準備から撮影、仕上げに至るまで、僕が周囲に投げかける言葉の1つ1つがすなわち演出になる、という緊張感を持って作っています。

奥山由之
映像監督・写真家。1991年東京生まれ。2011年『Girl』で第34回写真新世紀優秀賞受賞。2016年には『BACON ICE CREAM』で第47回講談社出版文化賞写真賞受賞。主な写真集に『flowers』『As the Call, So the Echo』『The Good Side』『君の住む街』『POCARI SWEAT』『Los Angeles / San Francisco』などがある。主な個展は、「BACON ICE CREAM」(パルコミュージアム 2016年)、「君の住む街」(表参道ヒルズ スペースオー 2017年)、「As the Call, So the Echo」(Gallery916 2017年)、「白い光」(キヤノンギャラリーS 2019年)など。また、映像監督としてTVCM・MVなどを手がけている。今夏、台湾版『BACON ICE CREAM』を台湾の出版社・原点出版より上梓。
https://y-okuyama.com
Twitter:@okuyama_333
Instagram:@yoshiyukiokuyama

■『flowers 』
著者:奥山由之
Book Design:葛西薫  安達祐貴
価格:¥5,000(税抜き)
発行:赤々舎
サイズ:H261mm×W216mm
ページ数:152ページ
http://www.akaaka.com/publishing/flowers.html

author:

高山敦

大阪府出身。同志社大学文学部社会学科卒業。映像制作会社を経て、編集者となる。2013年にINFASパブリケーションズに入社し、「WWDビューティ」編集部に所属。ヘアサロン関係を中心に、コレクションのバックステージ、メンズコスメ、ビューティ系スタートアップなどを担当。また、 “カテゴリーにとらわれず興味のある人を取材する”という考えで、ミュージシャンやクリエイター、俳優などの取材も積極的に行っている。

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