連載「時の音」Vol.6 心のつながりとあらゆる記憶のスイッチ 塩田千春が闘病の先に見せた生への切実な希求

その時々だからこそ生まれ、同時に時代を超えて愛される価値観がある。本連載「時の音」では、そんな価値観を発信する人達に、今までの活動を振り返りつつ、未来を見据えて話をしてもらう。

今回は美術家の塩田千春が登場。これまでベルリンを拠点に、世界各地の美術館や国際展、ギャラリーなどで300本以上の展覧会に参加してきた。記憶や不安、夢など、かたちの無いものを表現した鮮烈なパフォーマンスやインスタレーション。展示空間に張り巡らされた糸やドレス、靴、ベッドといった人々の生活の痕跡や記憶を内包する素材を用いた作品の数々は、美しさと力強さを併せ持ち、観る者の胸を直接揺さぶるような力がある。

2019年には25年間の活動を振り返る、過去最大規模の個展「塩田千春展:魂がふるえる」を森美術館で開催した。2017年にがんが再発し、治療と寄り添いながら同展の制作を進めてきたという。そして、2020年。コロナ禍で未曽有の危機に直面し、人々が生と死を間近に感じながら生活する今、どのように自身の身体や魂の存在と向き合い、どんな芸術表現を考えているのか。

――塩田さんにとって「生と死」、概念的な「存在」や「つながり」「記憶」などのテーマは作品の根源でもあります。改めて、作品のテーマに据えた理由を教えていただけますか?

塩田千春(以下、塩田):私の作品で一貫しているのが不在の中の存在です。誰も実在しないけれど、その中に何かしらの存在を感じる。例えば、ある人が亡くなった時に、位牌を見ていると記憶がよみがえり、本当に生きているような感覚を覚えて、その人の存在がより増して感じられるということです。記憶は触れることはできませんが、実在するものよりも影響力は大きい。人の記憶を紡いで作品として、そのつながりを“糸で編む”という行為で表現しています。

――ドレスを「皮膚」と捉えたり、ある種のリアリティーも感じますが、表現において作中にご自身を投影することはありますか?

塩田:自分は投影しないですね。誰かの存在。作品を見る自分はすごく冷めているんです。ある程度の構想が浮かんだ時点でマテリアルや作品の配置を考えますが、そこでは他者になっているというか、作品を鑑賞する作家になっていますね。

――意識的にそうしているんですか?

塩田:自分と作品の距離が近過ぎると鑑賞する人が入れないんですよ。あまりにも自分の中で感動し過ぎると作品にならないことが多いですね。

――学生時代に抽象絵画からスタートして、オペラや演劇の舞台美術なども手掛られてきましたが、三次元の表現においてそれまでの経験はどのような影響がありましたか?

塩田:もともと絵を描くことは好きでしたが、絵のために絵を描いているような感情が湧いてきたんです。次第に自分の作品ではなく、どこかで見た誰かの作品を作っている感覚になり、私って誰? 何のために絵を描いている? という自問自答を繰り返しているうちに、マテリアルでキャンバスに絵を描くのではなく、インスタレーションの表現に行き着きました。

――初期の頃に赤い絵の具を自らにペイントした作品《絵になること》や、赤い糸のインスタレーションがありました。“赤”は塩田さんにとってどんな意味を持ちますか?

塩田:血液の色なので、人と人とのつながりを考えた時、赤い糸を使いますね。血液の中にすべてが内包されていると思うんです。家族や国家、宗教であったり。自分のアイデンティティーや説明が困難なもの、その答えは血液の中に含まれている。そう帰結するような感覚がありますね。

――2019年に発表した「塩田千春展:魂がふるえる」は、約25年の作家活動で最大規模となる展覧会でした。タイトルになった「魂がふるえる」をテーマに据えた理由と制作に至ったきっかけを教えていただけますか。

塩田:森美術館の片岡(真実)さんから展覧会のオファーを頂いた翌日が検査手術の予定日だったんですが、打ち合わせ後の検査で悪性のがんが見つかり再入院したんです。その後はベルトコンベヤー式に臓器の摘出と抗がん剤治療が始まりました。

「作品を作りたい」という欲求よりも、本当に人間が死ぬという現実に直面している状況を常に実感していました。展覧会の準備中も、何気ない会話でも、家族との食事中でさえ、常に死と寄り添って生きていることが脳裏に蘇ってくるんです。自分が死んでしまったら9歳(当時)の娘はどうなるのか、肉体が滅びた後の私の思想や魂はどこに行くのか、心と心のつながりはどうなってしまうのかとか。

――手術や治療に対する不安とアーティストとしての心の拠り所でしょうか。

塩田:そうです。抗がん剤治療も、臓器摘出手術もすべてがシステマチックにデザインされているんですよね。その過程に私の存在はありません。自分の気持ちは置いてけぼりにされてしまう。どこか自分がモノのように扱われている感覚というか、言葉にならない感情が押し寄せて、どうしていいかわからなくなりました。そんな時、抗がん剤治療で使用された空のプラスチックバッグを特別に持ち帰らせてもらって、その中にクリスマス用の小さなイルミネーションをいれたピカピカ光る作品を作ってベッドの上に並べたり、そうして自分の存在を確かめていました。自分自身を見つける作業。どうにもならない自分と心の葛藤に苦しんだ2年間でした。

――システマチックな段取りの中で身体と心のバランスを取るのが難しくなったということですね。

塩田:それで、自分の娘と同年代の子ども達に「魂って何?」って聞いてみたんです。8〜10歳くらいまでは、おもしろい答えが返ってきました。例えば、「ペットのモルモットが亡くなった時にすごく悲しくて、その時、初めて自分とモルモットの心がつながったと感じた」とか、「いつもケンカばかりしている弟が入院した時に、心の底から会いたくなって、その時に初めて弟と魂がつながっていることがわかった」とか。大人に聞くよりも断然良い答え。魂や心のつながりというのは肌の色などは関係ないのだと。

――展覧会を開催するに当たり、心の葛藤や支えになったものは何だったのでしょうか?

塩田:やっぱり自分は作品を作るしかなかったんです。作品を作っていると自分が伝えられないこと、ある種、欠落している部分が満たされていくような感覚があるんですね。

――一方で客観性というか、鑑賞者が作品に入り込んだりするような位置関係についてはどう考えますか?

塩田:「魂がふるえる」はリピーターが多かったんです。インスタレーションですから、スマホの撮影が目当ての方もいると思っていましたが、それだけではなかった。もう一度足を運んでくれるほど作品に入り込んでくれたんですね。制作時に闇の世界に入っていくような、前にも後ろにも進めない苦しさを感じることがあるのですが、多くの人に観て頂いたことで誰にでも共通する感情なのではないかと、少し救われましたね。

――「ここまで死と寄り添った展覧会は初めてで、死や生きることを考えさせられた展覧会」と語っています。それから今年、新型コロナの脅威で、改めて生と死を考えるきっかけになったのではないでしょうか。制作における考え方に何か影響はありましたか?

塩田:以前は年間20回以上の展覧会があったので、ほとんどベルリンにいなかったんです。でも、コロナ禍に久しぶりにベルリンで家族と一緒に過ごせて、家の中のアトリエで作品を制作できる環境は素晴らしかったですけど、絵を描いているとたまに暴れた線を描いたりすることがありました。無意識にイライラしていたのも事実で、その環境でもがいていたというか、形にならない苛立ちはあったように感じます。

――国外移動が難しくなった状況で展覧会の作り方、見せ方も変化はあったのではないでしょうか。

塩田:リモートで指示を出しながら作ったりしましたけど、旧作展示は成功したり、新作は難しかったり……ですね。自粛期間中に自宅のアトリエで形にならない作品を作り続けていた時、延期や中止になった展覧会はどうなるのだろうという感情が湧いてきまして。展示会が消えるということはコンセプトまで消え、つまり人間の思想が消えてしまう。その気持ちの拠り所はどこか、気持ちと共にそんな言葉が浮かんできて、そのままタイトルにした個展「消えた展覧会 この気持ちをどこに―」を東京のケンジタキギャラリーで今、開催しています。

でも、言葉と実際にアトリエで作っている自分の作品が合わなくて難しかった。感情と制作と展示は、それぞれが独立したものという意識を持ちながら今回の展覧会を考えました。

――対面の会話も難しくなり、デジタルが急速に発達しています。デジタルの発展について考えることはありますか?

塩田:ミーティングなどオンラインのやりとりが増えてグローバルかつ便利になりましたけど、自分の生活空間での会話はプライベートをさらけ出す行為でもありますから、不思議な気持ちです。一方でベルリンをベースに生活していて、それまで会えなかった人達との距離が近くなった環境はポジティブに考えています。ローカライゼーションの潮流を感じますね。

――ベルリンアートウィークでも自国のアーティストをフックアップする機運が高まっていたと聞きました。

塩田:自分の住んでいる地域のアーティストと話し合ったり、昔のベルリンのようなローカルの色やにおいがどんどん薄れていっていましたから、もう一度取り戻してもいいのかなと感じますよね。人と人とのつながりがもっとローカルになっていけば良い。

アートとは全然関係ないんですけど、抗がん剤治療をしてから以前まで食べられなかった納豆が好きになって、自分でも大豆から作ってるんですよ。自作の納豆を知人の編集者にお裾分けして、作り方を教えたり。彼女とは毎週のように会っていました。本当だったら年下の私が教わるのに、全部オンラインで彼女に作り方を教えたり、そんな時代になったのだと。今後は簡単に自分の悩みをAIに相談するような時代が訪れるのかもしれません。いや、もうあらわれていますよね。そう思うきっかけが納豆でありコロナでした。コロナでいろいろなことが変わりましたね。

――可能性も含めて、アフターコロナにおける芸術表現に変化は訪れるとお考えでしょうか?

塩田:デジタルなら上手に絵を描いたり、狂いのないピアノ演奏、完璧な回路を作ってオペラを上演することも可能だと思いますが、人間はそうはいきませんからね。暴れた線や不協和音も人間だけが持つ不完全性によって生まれるもの。唯一人間が存在として残っていく理由ではないでしょうか。アーティストはハイテクとローテクのギャップの間で作品を作り続けていくんでしょうね。そのギャップを人の心がどう埋めていくのかを見続けていきたいです。

塩田千春
1972年、大阪府生まれ。ベルリン在住。生と死という人間の根源的な問題に向き合い、「生きることとは何か」、「存在とは何か」を探求しつつ、その場所やものに宿る記憶といった不在の中の存在感を糸で紡ぐ大規模なインスタレーションを中心に立体や写真、映像など多様な手法を用いた作品を制作。2008年、芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞。2015年には、第56回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展の日本館代表作家として選出される。森美術館(2019年)をはじめ、南オーストラリア美術館(2018年)、ヨークシャー彫刻公園(2018年)などを含む世界各地での個展のほか、シドニー・ビエンナーレ(2016年)やキエフ国際現代美術ビエンナーレ(2012年)などの国際展にも多数参加。

author:

芦澤純

1981年生まれ。大学卒業後、編集プロダクションで出版社のカルチャーコンテンツやファッションカタログの制作に従事。数年の海外放浪の後、2011年にINFASパブリケーションズに入社。2015年に復刊したカルチャー誌「スタジオ・ボイス」ではマネジングエディターとしてVol.406「YOUTH OF TODAY」~Vol.410「VS」までを担当。その後、「WWDジャパン」「WWD JAPAN.com」のシニアエディターとして主にメンズコレクションを担当し、ロンドンをはじめ、ピッティやミラノ、パリなどの海外コレクションを取材した。2020年7月から「TOKION」エディトリアルディレクター。

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