孤高の表現者・語り部=志人、その探究の道程と現在地を語る―前編―

ラッパーとしての姿を最後に見たのは、いつだったろう。その記憶はもはや曖昧だが、強烈に覚えていることはある。ステージのない、地下にあるコンクリート剥き出しの小さなスペースで、DJもバックトラックもなく、唯一人で言葉を繰り出していた。マイクも握っていなかった。それを、パフォーマンスやスポークン・ワードと呼ぶことを躊躇わせる何かがあったことも覚えている。

2021年に話は飛ぶ。僕のもとに送り届けられた『心眼銀河-SHINGANGINGA-』の音楽に聴き入り、手作りの書籍の質感を確かめながら頁をめくった。そして、現在の表現にまで至る話を素直に訊きたいと思ったのが、このインタビューをオファーした理由だ。こぼれ落ちるものを丁寧に拾い上げるように、話は進んでいった。

自然の中に住むことで見えてきたもの

――京都にはいつから住んでいるのですか?

志人:7年前ぐらいからですね。

――生活は変わりましたか?

志人:生活が逆転するような感じでした。自然は小さい頃から大好きだったんですけど、より深く分け入っていく感じがありましたね。あと、京都の方は職人肌の人が多いところもあるので、そういった職人の下にいると怒られたり(笑)。

――市内ではなく、山のほうでの暮らしなんですね。

志人:そうなんですよ。今まで自然と優しく触れ合って生きていくっていうのは好きだった一方で、京都に来た時は、下手に生半可な気持ちでいくとのみ込まれてしまう、自分が命を奪われてしまう可能性もある、という局面も勉強することができました。

――職人さんというのは仕事で関わっている方ですか?

志人:そうです。初めて職人気質の人間として出会ったのは、山仕事をしている人でした。林業を生業にしているんですけど、おじいちゃん、おばあちゃんから栃の木を買い取って、刳物や捏鉢を自分で作り、どこかに売り出したりもせずにひたすらやっている、僕より10歳ぐらい上の人です。その人に散々怒鳴られたりしましたね。俗世間を離れているような人なんですけど、その人との出会いは、「表現をずっと僕も続けていきたい」と思わせてくれる、大事な縁でした。僕はよく「木こりなんですか?」とか「山仕事をやっている人なんですか?」とか言われますが、自分でも肩書きはわからなくて。体験や仕事が直接、詩を書くことにつながっていく、ということなんですね。でも、肩書きも人前に立つことも考えず、黙々と物を作っているその人の姿を見た時に、もっと真剣に自分が今取り組んでいることをやっていきたいなと思うようにもなりました。

――詩を書くことと、現在は自分でトラック作りもしていて、『心眼銀河』も、基本的に自分1人で制作されてますね。

志人:今さら音を作るのは、自分でも想像していなかったです。自分自身、初めからヒップホップをやっているというつもりはなかったんですけど、周りにはそういう仲間がたまたまいて、その仲間達の中で、言葉の表現を探っていったところがあるんです。でもだんだんと音楽を作ってた連中も大人になり、あまり新しい作品を作らなくなったんです。音の中で何か詩を生み出そうとする時、その人の音の持っている精神性が理解できるという人が少なくなっていったんです。であれば、自分では今どういった音で詩を書きたいんだろうと思うと、無音だった。音がない状態であれば、どこまででも行ける。その中で、少し音を奏でてみたいなという気持ちになり、やり出したのが本当に最近ですね。

志人 SHINGANGINGA 2021 trailers
<心眼銀河-SHINGANGINGA-> 蝶道 – CHYOUDOU- 作詩・作曲:志人/sibitt
志人 SHINGANGINGA 2021 trailers
<心眼銀河-SHINGANGINGA-> 玄+時無種殻 -GEN+TIMECAPSULE- 作詩・作曲 志人/sibitt
志人 SHINGANGINGA 2021 trailers
<心眼銀河-SHINGANGINGA-> 夢遊趨 – Gun Lap Run- 作詩・作曲 志人/sibitt

――では、『心眼銀河』はその最初の作品になるのですね。

志人:きっかけは、「音楽を作ってみてください」と依頼されたのもありましたね。「0〜2歳の赤ちゃん向けの歌を作ってください」と去年お話いただいて。ほぼほぼ音を作ったことがなかったのでどうしようかと思い、ヤマハ、僕は山葉って呼んでますけど、ヤマハのシンセサイザーで、ディスカウントショップで買えるような古い物を鳴らしてみたんですよ。譜面も読めないですし、勉強もしてこなかったので、自分にとって音楽ってなんだろうと立ち返ったら、セミの鳴き声だったり生活音だったり、全部が音楽だなという感覚があったので、ひたすら赤ちゃんになって音と戯れてみて、心に響く物を探し出すようになりました。

今改めて振り返る音楽遍歴、ヒップホップへの目覚め

降神『降神』(2003年)

――降神(編集部注:志人、なのるなもないの2MCとトラックメイカーのonimasを中心として構成され、東京のヒップホップ・シーンで特異な存在感を放ったヒップホップクルー)のファースト『降神』(2003年)が出た頃に、僕は志人さんと出会いました。降神以前、どんな音楽を聴き、何をしたいと思っていたのか、少し伺えますか?

志人:表現をし始めようという前の若い頃にアジアを放浪して聴いていた音楽は、全然ヒップホップではなくて、それこそボアダムスとか羅針盤とかを聴いてましたね。DJと付く人と言ったらスプーキーとか。ゴアトランスとかも聴いてましたし、ハルシノゲンとかも。とにかく、「なんだこの音」っていうのを旅の最中に聴いていて。一線を越えてしまうような音が好きでしたね。1つ覚えているのが、アジアの路上で路店商の人がカセットテープを流していて、それがDJ KRUSHの曲だったんです。「これはどこの国の音楽ですか?」と聞くと、「日本の音楽だ、お前の国の音楽だよ」と言われて。DJ KRUSHさんは日本ではなく路上で出会いましたね。

――日本に戻ってきてから、ヒップホップを始めたわけですね。

志人:学生時代というのもあって、何か表現したい、作りたいという気持ちが強くなって出会ったのが、ヒップホップをしている仲間達だったんです。僕は早稲田大学で、そこに地下部室っていうのがあって、隣にブラジルミュージック研究会と手話サークルがある混沌とした場所だったんですけど、レゲエスターズっていうレゲエの連中がいて、大学の落ちこぼれ達が集まっていたんです。で、初めてマイクを握ったのは公園にターンテーブルを出したブロックパーティだったので、レゲエで初めてマイクを握ったんです。

――降神が登場した頃は、アメリカのアンダーグラウンド・ヒップホップの勢いもありました。似通った表現として存在していましたが、降神は特異でした。2人のラッパーはもちろんのこと、トラックもヒップホップの枠を逸脱していると感じました。

志人:ヒップホップに対して、もちろん良い文化の部分やおもしろいなと夢中になる部分もあるんですけど、ヒップホップとはなんぞやと語れる身分でもないんです。若い頃はフリースタイルしたり、サイファーをしたりはしていたけど、それでもおもしろいなと思う音楽ってオーソドックスなヒップホップではなかったです。いろんなジャンルに詳しい友達のところに行って、それこそアンダーグラウンド・ヒップホップを聴いたあとに、フィッシュマンズのビデオを見るみたいな、全然よくわからないことを若い頃はしていましたね。

――降神のメンバーからの音楽的な影響は当然ながら大きかったのですね。

志人:降神ですとonimasっていう台湾とアメリカの人がいたので、彼がだんだんとトータスとかマイスパレードとかポストロックを聴き出して、トラックがヒップホップだけじゃない要素になっていって。僕自身はオーソドックスなヒップホップよりは、何とジャンル分けすればいいか分からない、ハッとするような音楽がやはり好きでした。自分がどんな音を奏でたいのか考えるようになったからかもしれないですね。そうしていくうちに、長い間ヒップホップのシーンでライヴをやらせていただいたんですけども、だんだんと全然違うジャンル、ロックやハードコアの連中とやるようになったり、その果ては……、誰も追わないような状態になっていて、気付いたらヒッピー・コミューンみたいなところでしかライヴしないような、なんでそうなったんだろうとふと思いますよね。そうなって雲隠れしていったみたいなところもあるんですけど。

どのように言葉に向き合っているのか

――ただ、そうした変化の中で、ラップ、さらには言葉を扱うスキルは磨かれていったのではないかと思うのですが、いかがですか?

志人:難しい質問ですね。人との出会いというところと、最近では人と出会わなくなったからこそ、もっと深く見つめられる部分があるんだと思います。影響を与え合いながら切磋琢磨していた頃に身に付いていったものと、何の影響でもないものというか、言葉を浴びていた時期からだんだんと草分けをしていくことを今は考えるようになりました。

――降神でも、ソロでも、日本の古い歌の要素が入っています。音楽的には欧米のほうを向いている部分があっても、日本に対しての関心や意識は当初からあったのですか?

志人:そうですね。僕は新宿区で生まれたのですが、祖父母が四国出身で戦争中に好きなことができなかったので、戦後長野県で自分達で開墾から始めて家を建てて、五右衛門風呂と薪ストーブのような不便を厭わない生活をしていたんです。小学校の頃やもっと小さい頃からそこに行っていたので、祖母が散歩しながら「これはワレモコウというのよ、我もこうなりたいと言ってそういう名前になるのよ」とか「この虫はウスバカゲロウ」と言って、虫や鳥や草花の名前を小さい頃から教えてもらっていました。自分も詩を書いていく中で「何でこんな言葉出てきたんだろう」というのがほとんどなんですよ。調べて、ここに草花の話をおこう、っていうのではなくて、頭の片隅から出てきた言葉が降ってきているという感じなので、表現を始める以前に染み付いていた祖父母の姿と、言霊のような日本人が名付けた花や草木の名前っていうのがずっと頭にこびりついていたのはありますね。

演劇との出会いが教えてくれたこと

――意識して日本語にこだわるというわけではなかったのですね。

志人:日本語じゃなければいけないという縛りは自分では課してなかったんですが、「自分の言葉がどこからきたのか」とか、果ては「日本はどんな国なんだろう」とか、「天皇って何なんだろう」とか自分なりに歩きながら考えるところがありますね。今でも日本語の起源というか、言葉の鳴り響き方だったりは勉強していきたいと思います。ただその一方で、演劇のことを最近やっていて、数年前に維新派(編集部注:故・松本雄吉により1970年に結成された劇団。2017年の台湾での公演をもって解散)の松本雄吉さんが演出を手掛けた『PORTAL』(脚本:林慎一郎 演出:松本雄吉)という劇で役者をやらせていただいたことがあったんです。それは全く真逆で、外来の言葉を使って架空の街やゲームをテーマにしていたんですけど、初め僕は「え、できるかな?」とも思っていました。けれど、音で日本語だけでなくても日本語と結びつこうとしている言葉があるんじゃないかという興味もあったのと、特に言葉が多い劇だったので、実は僕がわざと自分で首を絞めていた部分もあったかもしれないと気付き、「日本語だけでないと」ということはないような気がして、いろんな外来の言葉も自分の中に溶けていくところで探していきましたね。

――その演劇の中では、具体的に何をやられたのですか?

志人:クラウドという役がいて、雲を掴むような役なんですが、その役回りはどういうものなのかを台本の中で理解して、でも話す言葉は自分で作ってみても良いということを条件に、引き受けました。あまり今まで人の言葉を読むということをやっていなかったし嘘になってしまうと思っていたので、線を引いていたのですが、その役のところに自分が入り込める余地があって、なおかつそこから言葉が生まれるならどういうものなんだろうというのを自分でも試してみたいと思ったんです。で、自由に作らせていただけるならやってみたいです、となり、ある意味、実験的にやりました。

――演劇は、身体表現でもありますね。単に言葉を操るだけではないところで、新しい発見はありましたか?

志人:維新派の動きというのが独特なんです。僕が自分自身をヒップホップではないという根本の部分としては、我とか、主語がなく、何が話しているんだろうという状態のものを作っているという、無私なところがあって、そういう状態から動きに入ることによって、ここにいるんだけれども、いないような状態になるんです。他界しているとか、自分は幽霊なのかとか、変な感覚に陥るんです。劇の動きはしっかりと決められたものなので、自由に動くことは場面によってはないんですけども、自分でありながら、役っていうのもありながら、動きもある状態で、無くさなきゃいけないとなると、何者でもなくなっちゃうような状態になるんですよね、動きが。維新派の動きからはそういう体感をしましたね。

――ラップしている時から、やはり無私という意識だったのですか?

志人:自分もあんまりカッコつけることができなくて、かっこいいラップをする人はたくさんいるけど……。

――十分にラップはかっこいいですよ(笑)。

志人:いやいや(笑)。ナルシシズムというか、そういうのが自分でも苦手なところはあるんです。植物が喋ったり、木が喋ったりとか、人間が疎遠になってしまっているものの声を代弁することができないだろうかと思うんですよ。代弁はできなくても通訳はできるかもしれない、間違っていたとしても。人としての立場で、人間界から人間界へ向けてという立場で話してしまうと、どうしてもおざなりになってしまうところがあるので、奥のところは、もう言葉ではない言葉を超えた音のようなもので話しかけてきていると思うので、そっちのほうに心が向くというか、僕が通訳するべき時なのかな、と思ってやっていますね。

後編に続く)

志人 sibitt
1982年日本生まれ。詩人/作家/作詩家/語り部。
独自の日本語表現の探求により、言葉に秘められた全く新しい可能性を示す「言葉の職人」。
音楽表現のみならず舞台芸術、古典芸能の分野においても国内外で活動する表現者。
2020年より“8 ∞”という企画で世界中の表現者と1つであり無限の物語を紡ぐ企画を主宰し、現在、志人、Khyro、Rully Shabara、なのるなもない、Bleubird、Bianca Casady、吉増剛造の7名が詩人/ボイスパフォーマーとして参加している。
2021年にセルフ・プロデュースアルバム「心眼銀河-SHINGANGINGA-」、「視覚詩・触覚詩 心眼銀河 書契」を発表。
sibitts official blog Wheres sibitt? : sibitt.exblog.jp/
TempleATS: templeats.net/
8 ∞:88project.info/

author:

原雅明

音楽の物書き。レーベルringsのプロデューサー、LA発のネットラジオdublab.jpのディレクター、DJやホテルの選曲も務める。早稲田大学非常勤講師。単著『Jazz Thing ジャズという何か』など。 https://dublab.jp https://www.ringstokyo.com

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