さいとう・たかを『ゴルゴ13』が50年以上も愛され続けている理由とは

2021年9月24日、漫画家のさいとう・たかをが、すい臓がんのため死去した。享年84。

1955年のデビュー以来、浮き沈みの激しい漫画の世界で人気が全く衰えなかったこと自体驚異的だが、60年以上にもわたって、大人の読者に向けた漫画――すなわち「劇画」と呼ばれるジャンルを牽引し続けただけでなく、自ら出版社を立ち上げたり、かつては珍しかった漫画制作のためのプロダクション(さいとう・プロダクション)を設立したりと、さまざまな新しい道を切り開いた業界の立役者でもあった。

代表作は言わずと知れた『ゴルゴ13』。1968年に「ビッグコミック」(小学館)で連載が始まったこの作品は、今年の 7月、ギネスに「最も発行巻数が多い単一漫画シリーズ」として認定されたほどの長期シリーズとなり(現在202巻まで刊行、12月には203巻も刊行予定)、さいとうの死後も、彼の遺志を受け継いだスタッフ達によって継続されるようだ。

そこで本稿では、この国民的漫画――と言っていいと思うが、暗殺者が主人公の漫画でそう呼ばれるのは、あとにも先にもこの作品くらいだろう――について、改めて振り返ってみたいと思う。

冷戦時代が生んだ『ゴルゴ13』

『ゴルゴ13』の連載が始まった1968年というのは、いわゆる東西冷戦のまっただ中である。そういう時代にあっては、西側諸国と東側諸国との間で暗躍するヒットマンやスパイなどは、ある種のリアリティを持った存在であった。

主人公は、ゴルゴ13(デューク・東郷)。本名はもちろん、国籍・年齢も不明の超A級スナイパー(狙撃手)だ。物語は、1話完結の短編連作の形で、毎回、このゴルゴ13が、世界各地で、依頼人から高額な報酬を受け取り、困難な暗殺の“仕事”を完遂させていく様子が描かれる(時おり、ゴルゴ自身がターゲットになる話や、宝探しめいた物語なども織り込まれる)。

ゴルゴ13の標的となるのは、たいてい政治的ないし軍事的に問題のある人物や犯罪者達であるが、この作品が70年代から80年代にかけてリアルだったのは、(繰り返しになるが)“もしかしたら第3次世界大戦が起きるかもしれない”という、冷戦時代ならではの緊張感や不安感が読者達の間で共有されていたからだろう。あるいは、そういう時代にあって、アメリカにもソ連にも縛られない、(日系人だと思われる)主人公の姿に、多くの人々が憧れたということもあるだろう。

となれば、冷戦が終われば漫画も終わるはずだが、周知のように、実際は1989年(ないし90年代初頭)の冷戦終結後も、連載は続いている。これは果たしてどういうことなのだろうか。

ぶれない主人公の生き方が共感を呼ぶ

1つは、冷戦は終結しても、“ゴルゴ13の居場所”はなくならなかった、ということが考えられるだろう。9・11の例を挙げるまでもなく、世界のあちこちでは今なおテロ、戦争、紛争が止(や)むことはなく、犯罪もハイテク化し、そういう意味では、ゴルゴ13の活躍の場は、かつて以上に多様化しているとも言える。

さらに言えば、冷戦時代にははっきりしていた“悪”の形が、国際情勢が複雑化した今では見えにくくなっており(当時は、西側にとっては東側が、東側にとっては西側が悪であった)、そういう単純な敵と味方の構図がなくなった時代ならではの、ヒットマンの在(あ)り方というものもあるだろう(巧妙に表舞台から隠れてしまっているだけで、“悪いやつら”が世界からいなくなったわけではないのだから)。つまり、今でもこの作品のリアリティは全く失われていないのだ。

そして、もう1つ。漫画作りで最も重要なのは「キャラ立て」だという話があるが、「ゴルゴ13=デューク・東郷」という主人公の強烈な個性が、この物語を普遍的なものにしたとも言えるだろう。

では、その彼の強烈な個性とはいったい何かと言えば、それは、どんな時代や状況にあっても、周りに流されずに、自らの信念を最後まで貫ける強さである。

例えば、「情報遊戯」という回で、ゴルゴ13は、彼を取り込もうとするある巨大な組織の人間に向かってこう言い放つ。「俺は……それがどんな権力だろうと、特定の相手を顧客に持つ気はない……」(リイド社・SPコミックス版・117巻)
また、「装甲兵SDR2」という回では、“アメリカの正義”を振りかざす軍人に対して、こう答える。「その“正義”とやらは お前達だけの正義じゃないのか?」(同・148巻)

こうしたゴルゴ13の“ぶれない”生き方は、冷戦時代からコロナ禍の現在に至るまで、変わらない説得力を持って私達読者に訴えかけてくるものがあるだろう。だからこそ、スナイパーという闇の世界に生きるアウトローが主人公でありながら、『ゴルゴ13』という作品は、いつの時代でも数多くの読者の憧憬と共感を得られるのではないだろうか。

分業制という新しい漫画作りのシステム

なお、さいとう・たかをが『ゴルゴ13』をはじめとした劇画作品の数々を、長い期間にわたって大量に生み出し続けることができたのは、(冒頭でも触れたように)かつては珍しかった漫画制作のためのプロダクションを設立(1960年)し、脚本、構成、作画をそれぞれ別の人間が手がけるという分業制を取り入れたからに他ならない(作画部門1つとっても、『ゴルゴ13』では、人物、銃、建物・機械、小物を、別々のスタッフが描いている)。

原作と作画を別々の人間が手がける、あるいは、作画を複数のアシスタントが手伝う、というのは、現在の漫画制作の現場では“普通”の形であると言っていいが、さいとうがデビューした頃の漫画とは、基本的には物語の構想から作画の仕上げまでを、すべて1人の作家が手がけるものであった(もちろん、締切前に友人の作品の仕上げを手伝うというようなことはあっただろうが)。

つまり、さいとう・たかをとしては、漫画(劇画)とは、「1人の天才が生み出すもの」ではなく、「複数の人間が集まり、それぞれの特技(職人芸)を活かして作り上げるもの」という考えが昔からあったものと思われ、そのことが結果的にクオリティの高い娯楽作品の“大量生産”につながっていった。そして、作者の死後も代表作の連載は続くという、究極の漫画(劇画)制作のシステムを完成させたのだ。

ちなみにさいとうが主に担当していたのは、脚本でも作画でもなく、構成と構図だったというのもおもしろい。なぜならば、普通、漫画家を志すような人間は、物語か、絵を描きたいと思うはずだからだ。ところが、さいとうは違った。それはたぶん、彼が10代の頃に憧れたのが漫画ではなく映画の世界だったからだろう。そう、彼は、(監督の立場で)紙の上で映画を作ろうとしていたのである。なお、漫画における構成・構図とは、いわゆる「ネーム」(コマを割ってセリフを入れた、漫画の下書きのようなラフ)作りのことであり、それは、映画制作の上では監督が描く(ことが多い)「絵コンテ」に相当する。

コロナ禍を生きる若者達へのメッセージ

さて、最後に、少々個人的な話をさせてもらいたい。

というのは、先ごろ、私が聞き手を務めた『コロナと漫画〜7人の漫画家が語るパンデミックと創作〜』というインタビュー集が刊行されたのだが、同書にはさいとう・たかをも参加しているのだ。これが巨匠の“最後のインタビュー”なのかどうかは確認していないが、少なくとも最晩年の貴重な声の1つであることに間違いはないだろう(ちなみに取材を行ったのは今年の7月だったが、対面ではなく、メールを何度かやり取りすることでテキストを作成した)。

詳しくはぜひ同書を読んでいただきたいが、“仕事”に対するさいとうのいくつかの興味深い話とともに、コロナ禍の“いま”を生きる若い人達に向けたメッセージも語られているので、(せっかくの機会なので)その一部を以下に引用することで、本稿を終えたいと思う。

「ゴルゴ自身、何度も危機的な状況を経験し、幾度となくそれを脱してきました。偏見や固定観念にとらわれず、あらゆる可能性を探り、諦めずに立ち向かう彼の姿から、何かを感じとっていただけたらと思います。

いずれにせよ、このパンデミックの時代、私個人にできる最大のことといえば、『ゴルゴ13』を日常的に描き続けることしかないと思いますが、いま、これを読んでくださっている若い人達にも、学業や仕事、遊びなど、コロナ禍だからといって諦めることなく、しばらくのあいだはひとりひとりにできることをがんばってもらって、いつの日か必ず訪れるであろう『コロナ後の世界』を、彼ら彼女らといっしょに見てみたいと思いますね」。『コロナと漫画〜7人の漫画家が語るパンデミックと創作〜』島田一志・編(小学館クリエイティブ)より。

Photography Yohei Kichiraku

author:

島田一志

1969年生まれ。ライター、編集者。「九龍」元編集長。近年では、小学館の「漫画家本」シリーズの立ち上げに関わる。著書・共著に、『漫画家、映画を語る。』、『マンガの現在地!』、『ワルの漫画術』などがある。最新刊は、ちばてつややさいとう・たかをらに取材した、『コロナと漫画〜7人の漫画家が語るパンデミックと創作〜』 Twitter:@kazzshi69

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