原宿ファッションは復活するのか 「STREET」「FRUiTS」「TUNE」の青木正一インタビュー後編

1990年代から東京のストリートを見続けてきた「FRUiTS」の編集長・青木正一。今回、1990年半ばから2010年代、そして今へとつながるストリートファッションの変遷を青木に聞いた。インタビュー前編では、「FRUiTS」が創刊された1997年頃から99年頃までの話を中心に聞いたが、後編では2000年代から今につながる話を語ってもらった。

――(前編からの続きで)1990年代後半に裏原ブームが起こり、「FRUiTS」が主に女の子のスナップを掲載するようになりました。そんな中で2004年に「TUNE」が創刊されます。

青木正一(以下、青木):裏原系と呼ばれることになるファッションが始まって10年くらい経った2003年頃に、新しい男子のファッションが出てきました。僕の印象では原宿の遊歩道にあるセレクトショップの「CANNABIS」がブレイクのきっかけだったのかなと。そこのスタッフ達が変な格好をし始めたんですよね。今でも強く印象に残っているのが、店の前の遊歩道でファッションショーをやったんですよ。そこで提案されていたファッションが良かったんですよね、デタラメな感じで。今見たらどういう印象になるのかわからないですが。そのショーに集まっていた人達のファッションもおもしろかった。

裏原系の脳になっていた当時の子達からはダサいとか変だとか思われていて、うちのスタッフもどうなんですかねっていうスタンスが主でした。その当時スタッフにシトウレイさんがいて、彼女は「CANNABIS」のスタッフと仲が良かったので、肯定的に推していて。僕もおもしろいと思ったので、当時は「FRUiTS」で女子ばかり撮っていたスタッフに、こういうファッションの男子も撮影するように指示をして。それが「TUNE」になったんです。

今でも謎なんですが、彼らのコーディネートが最初からかなり熟練されていたんですよ。ファッションってそんなに簡単に熟練感は出ないんですけど、もう何年もこういうファッションをしていますっていう完成度で。それまでの数年間は男子には裏原系ファッションしか存在していなかったはずなんですけど。

――女性は裏原のブームにすぐには引っ張られなかったんですね。

青木:3年くらいは引っ張られなくて、男女のファッションの方向性の違いが大きかった。そういう意味で「カップル」ができにくかったように思います。2000年に雑誌「mini」が出た頃から女の子も裏原系っぽい格好になってきて、集まる場所も原宿から代官山に移っていった。ただ、僕が見てもよくわからないファッションだったので、「FRUiTS」は僕ではなくスタッフが撮影する雑誌になっていったんです。

――その時期、個人的に興味があったものは?

青木:何にも興味がなかったですね(笑)。停滞期です。

――その時期は何年くらい続きました?

青木:5年くらい続きました。スタッフ撮影になってからも、媒体としての「FRUiTS」の調子はなかなか良かったんですよ。いま見返すと、原宿で一番おしゃれだった人達も代官山系に移行していったので、スタイリングのクオリティーはめちゃくちゃ高くて、洗練されていました。インポートのアイテムが中心だったり、代官山の「grapevine by k3」のようなお店やスタイリストの誰々がプロデュースのお店とか。当時、ロンドンのファッションも同じように洗練されていっていたので、そこからの影響もあったのかもしれません。ロッタ(・ヴォルコヴァ)がロンドンの路上で撮られて「STREET」に載り始めた頃じゃないかな。

――当時がある種のスタイルの移行期だとすると、今のファッションも洗練を突き破ろうとしているまさにそのタイミングなのかなという気がします。

青木:そうですよね。だからこれからどうなるのかを楽しみにしていて、僕も何かしたいとは思っているんですよ。今も「ファッション命」みたいな人はいるんですが、提供する側に元気がないし、10代の子達は何を着ていいのかわからないっていう感じなのかなって。DCブームが終わった時の原宿と空気感が似ていて。今後のコロナの状況次第です。

2000年代後半に新しいファッションの潮流が出てきた

――話を戻すと、2000年代に入ってファッションが洗練されると同時に落ち着いてきて、その後はどういった動きがありましたか?

青木:みんな原宿ファッションが戻ってこないかなと期待していたところで、2004年にセレクトショップの「Faline(ファリーン)」ができて、そこのスタッフの派手なファッションや色使いが変化のきっかけになったかもしれない。それまで原宿で1人だけ派手なファッションでつっぱっていたナカオちゃんとか。1人とか1つのお店が原宿ファッションの方向を変える起点になり得る。それから2010年頃にはきゃりー(ぱみゅぱみゅ)ちゃんが出てきたり。とてもゆっくりと原宿ファッションが戻ってきました。

――きゃりーぱみゅぱみゅが出てきた時のことは自分も鮮明に覚えています。当時、まわりでも「理解できない!」という人が多かったんですよね。

青木:代官山中心のファッションをつまらないと思っていた子達が、アンバランスなファッションをやりだした。原宿ファッションの復権的な思いがあったんじゃないかな、若い子達にも。瀬戸(あゆみ)ちゃんが最初に「FRUiTS」に載ったのもその頃で、いきなり表紙にしたんですけど。まだあどけない印象でしたが、着ているアイテムの方向性がバラバラで、一見間違っちゃったのかなみたいな。でもこれわざとやっているのかもと思って、「代官山的な洗練されたファッションの再構築」みたいな。僕の勝手な解釈かもしれないけど、もし意識してやっているならちゃんと拾い上げてあげるのが「FRUiTS」の役割なので。その後の瀬戸ちゃんの活躍を見ると、やはり本物だったなと思ってるんですけど。本人はどう思ってるのはわからないですが、僕は良い仕事したなと思っていて。

ただ、そこから原宿のファッションは爆発することなく、ファストファッションの時代に入っていってしまいました。

――ああ……。

青木:その時期、原宿ファッションは、ファストファッションが人気となる中でも、ショップスタッフ達がアイコン的な存在になってファッションの中心になっていました。代官山系の時の影響で「ファッションを洗練させる」という変な癖がついちゃって、そのアイコン的なショップスタッフのファッションのレベルがどんどん高度になっていって、新しくファッションを始める子達には太刀打ちできないようなレベルになっていました。まあ、しょうがないんですけど。

――既存の人達のスキルがどんどん上がっていて、若い子達が追いつけない。

青木:新しくファッションを始める子達にとっては障壁が高いですよね。

――なるほど(笑)。ファッションは大きなムーブメントとそれに対する反動の繰り返しだと思っていたんですが、すべてがミルフィーユ状に折り重なっているんですね。それぞれを切り離して語ることはできない。

青木:「歴史は繰り返す」っていうんですけど、日本のファッションの歴史はそれほど長くないので、全部が一巡目なんですよね。

今は時代を変える天才待ち

――青木さんは、個人的にそのファッションに興味はなくても観測はしておきたいというタイプなんですね。そこはやはりジャーナリスト的です。

青木:僕は好きなファッションのレンジが広いんですよね。ジャンルで見ないということもあると思います。今までのスタッフとかを見てると、意外とみんな理解できるファッションの範囲が狭い。

コーディネートが好きなので、「全身同じブランドで揃える」みたいなもの以外は好きです。でも全身「マルタン マルジェラ」は大丈夫かな。それには理由があるんですが。そういう意味で、ゴスロリもあまり好きじゃなかった。「FRUiTS」にそういうイメージもあるのか、最近よくゴスロリの写真の問い合わせをいただくんですが、実際にゴスロリのファッションを掲載したのはブームの最初の頃に少ししかない。あれは不思議なブームでしたね。ゴスロリとロリータは違いますからね、念のため。

――コスプレっぽいものはファッションとかけ離れてしまうから好みじゃないんでしょうね。

青木:コスプレはファッションじゃないですよね。日常とは分離されているものじゃないですか。でもそれを原宿に持ち込む人もいて、原宿はファッションの許容度が大きい街なので、そこまで受け入れますけど。それをストリートファッションとして撮影しても意味が変わってきちゃうので避けます。デコラブームの時は、そのピークのファッションだけを切り取るとコスプレとの差がわからなくなるほどに派手になっていましたけど、それまでのストーリーがあってああいう進化をしていて、本人達にはちゃんとストリートファッションだったんですよ。

――とはいえ、全身「オフホワイト」は大丈夫?(笑) しつこくて申し訳ないんですが。

青木:まあコスプレではないのと(笑)。全身「オフホワイト」にできる日本人はマインド的にも金銭的にも滅多にいないでしょ。ヴァージル(・アブロー)自身も全身「オフホワイト」を想定していたわけではないと思うんですが。彼の言うストリートファッションってコーディネートを楽しむということだと思っているので、そのキーアイテムとしての役割のブランドということじゃないかな。でもそれを全身「オフホワイト」で着る中国人は、マインド的にも金銭的にもカワイイと思いますよ。日本のバブルの頃の全身「アルマーニ」のサラリーマンよりも全然センスいいと思います。

それと、「ギャルソン」も、「マルタン マルジェラ」もデビューの頃はファッション関係者、特にメディアや評論家からは同じような非難を浴びていたことを忘れてはいけません。

――ロゴカルチャーや「ヴェトモン」がTシャツをあり得ない価格で売ることに対して、ファッション業界の中では否定的に捉えられることも少なくありません。

青木:そうなんですか。DHLのTシャツをそのままパクったデザインで10万円くらいで売ったのは、シャレだと思いますよ。問い、というか。現代アート文脈ではシミュレーショニズムそのものだし。ファストファッションによる価格破壊に対するアンチテーゼかもしれないし。その問いに対して、オーディエンスが答えた。嫌なら買わなきゃいいだけですから。ヴァージルもですが、彼らは天才なので、単純に解釈してはいけないと思います。後々後悔しますよ(笑)。大谷選手の二刀流を批判していた野球人みたいに。

ロゴカルチャーはしょうがない。そういう欲求が人々にあるので。「ラコステ」のワニの刺しゅうを中学の時に体験した身としては何も言えない。何言ってるかわかんないでしょうけど(笑)。魔力があるんですよ。それとどう対峙するかというのはデザイナーにとっての大きな課題だとは思います。その問いがDHLのTシャツだったのかもしれない。

――ブランドとオーディエンスは共犯関係にあったんですね。

青木:「ヴェトモン」がパリコレでデビューした時、最初から熱狂的に支持されていて、次のシーズンでは着ている人がたくさんいました。オーディエンスからしてみれば「待ってました!」っていう反応でした。ちょうど(ジョン・)ガリアーノが「マルタン マルジェラ」を継いで「メゾン マルジェラ」として発表した時で、それまでの「マルジェラ」とはがらっと異なるコレクションを発表して、既存のファンからは多くの反発を生んでいて。マルタン・マルジェラが辞めてから、ガリアーノまでの間、チームマルジェラのチーフだったデムナ(・ヴァザリア)が新しいブランドをスタートして、マルジェラのビッグシルエットを継承したデザインで、というストーリーが支持されたと勝手に解釈しています。

――「FRUiTS」が休刊になった際(2017年)、その理由として「原宿におしゃれな人が集まらなくなった」とお話しされていましたが、その発言から日本のファッション自体が息絶えつつあるような印象も受けてしまいました。ここから上がっていく予感はありますか?

青木:みんなもう忘れていると思いますが、あの頃はファストファッションによってファッションがガタガタになっていて、僕もインタビューで、「ファッションは終わってしまうんでしょうか?」って聞かれることが何回かありました。本当に終わってしまうかもねって思ってました。原宿の女子のファッション能力を信じていましたので、なんとかなるとは思っていましたが。今またコロナでファッションが死んでしまうかどうかの分岐点ですよね。原宿の女子のファッション能力と欲望を信じていますが。

誤解がないように言っておきますが、僕の言うファストファッションに「ユニクロ」は入っていません。あれはまた別の存在なので。

――そろそろそのタイミングが訪れそうでしょうか?

青木:そんな雰囲気はありますよね。コロナでファッション的にも欲求不満になっていると思うので。いつも1人か数人の天才的ゲームチェンジャーが大きくファッションを変えてきたので。DCブームは川久保玲さんと山本耀司さんだし、裏原系も藤原ヒロシさんと数人じゃないですか。ファストファッションも2、3社。そこからの脱出はデムナとヴァージルだったり。原宿の天才待ちですかね。

――青木さんの次の動きも教えていただけますか?

青木:気付く人がいないような小さい動きをフォローアップするのが「FRUiTS」の役割なので、毎日原宿でフィールドワークしています。「FRUiTS」休刊してからも、気になる子がいるとスマホでちょくちょく撮ってはいるんです。それを何か形にしたいのと、「FRUiTS」を復活させたいですね。

青木正一

青木正
フォトグラファー、編集者。レンズ株式会社代表。1955年東京生まれ。プログラマーを経て独立後1985年に「STREET」を発行。原宿ストリートにいるリアルな被写体を収めた「FRUiTS」を1997年に発行し世界から注目を集める。その後、「FRUiTS」のメンズ版「TUNE」や「.RUBY」を発行。
Twitter:@FruitsMag
Instagram:@fruitsmag
Instagram:@fruits_magazine_archives
Instagram:@streetmag

Photography Kazuo Yoshida

author:

長畑宏明

1987年、大阪府生まれ。編集者。2014年にインディペンデントファッションマガジン『STUDY』創刊。これまでに本誌8号、別冊4号をリリース。現在は、ファッション系Podcast「ON THE STREET」を主宰。 Twitter:@study__magazine

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