『Alive Painting』とは何か。美術家、中山晃子が誘発する流動と色彩のポエジー

美術家、中山晃子の『Alive Painting』は、文字通り“生きている絵画”だ。撥水性のあるアクリル紙やシャーレ、砂地など、あらゆる「地形」に、水分をたっぷり含んだ絵の具を落とし、あるいは一気に流し込み、画材が起こす光景=絵をライヴで鑑賞者と共有する。出現したイメージは、絶えず変化し再現は不可能。絵画とパフォーマンスというアートの中心的な技法を融合した表現形態でもある。また中山自身、この『Alive Painting』というスタイルを、ミュージシャンとコラボレーションしたり、即興詩の朗読を加えたりして変化、アップデートさせ続けてきた。

『Alive Painting』の根底には、中山が幼少期の頃に得た“流動”と“色彩”という美しさに対する独自の発見があるという。「書道の授業のあとに筆を洗っていた際、水の上にたゆたう墨の美しさにハッとして」と中山。「授業では、先生が子どもが書いたものを『ここはしっかりはねたほうが美しい』とか添削しますよね? それがすごく不満で。その我慢が限界に達した時でもありました。普段は汚いものを洗うシンクで、今すごく美しい何かが目の前で起こっている――。その場の誰も気がついていない美しさを発見したというか、自分の認識や物事への視点によって美と醜がひっくり返る可能性があることに気付いたんです」。
色彩に対する発見は、植物のスケッチを描きに出かけた時に起こった。「緑と赤が混ざった茎があって、それを色鉛筆で塗り進めていったんですね。徐々に緑と赤が重なって、紫ともオレンジとも言えない、植物の色になった時、鼻の中に植物の匂いが生々しく立ち込めたような、色の体験がありました」。

流動と色彩。そこから、ある種、自然的で快楽的な美を発露させる『Alive Painting』に、作家自身はどう向かい合っているのか。本人にアトリエで話を聞いた。

学生時代の経験から『Alive Painting』が生まれるまで

――もともと絵を描くのが好きで、またパフォーマンスもやっていた、と。それがどのようにして、今のスタイルになったのですか?

中山晃子(以下、中山):小さい頃から、自分の発見や思っていることを、言葉より絵のほうが饒舌に伝えられるなと感じていました。絵を描くこと自体は身近な行為でした。パフォーマンスは、その当時はアートのこともほぼ何も知らない状態でしたが、高校生の時に“空手芸術部”というのを友達と始めました。記憶が曖昧ですが、身体に絵の具を塗って、空手の型をしながらアクションペイントをしていたように思います。この空手芸術部の活動があったので、身体で筆を走らせるということ、身体自体の動きが作品のうちであること、ライヴペイントがすごくおもしろいことを実感しました。今のようにプロジェクターやカメラを用いて実験を始めたのは、美大に入ってからです。大学では、映画や写真、デザインなど専攻の垣根を越えて学生が集まるたまり場があり、情報や刺激を交換しあって。その時にいろいろな機材を触ってみました。その中で、ダンス、音、絵で何かできないか?と、友人とトリオを結成し、学内外での展示や友達のパーティの場に呼んでもらってはライヴパフォーマンスをするようになって。そのうちに、トリオではなくソロでも活動するようになり、ジャズのライヴイベントに呼ばれるようになったのも大きな転機になりました。

――ジャズのイベントとは?

中山:サックス奏者の坂田明さんが行っている『平家物語』という演目があるのですが、最初はそこでライヴペイントをしました。美術と音楽は、トーンやコンポジションといった共通言語も多く、即興演奏をする中で、そういった音色と絵の色を融合させたり、音のリズムと遊ぶように絵のリズムをずらしたり合わせたり、言語を用いずに会話が成り立っていくセッションのおもしろさに出会いました。

――改めて、『Alive Painting』の仕組みを教えてください。どういった方法で、流動と色彩の現象を起こしているのですか?

中山:『Alive Painting』用のターンテーブルを用いまして、その上に絵を描いていきます。傾斜を作って水をためたり、スポイトやインジェクターで液滴の量を調整したり、渦を作ったり、絵の具の積層を温めて気泡を出したり……そうしてあらゆる現象をマクロ撮影で観察するという形式です。ほんの小さい範囲でいろいろな現象が起こっているので、広範囲ではすべての物語を追いきれない。映し出される現象――出現した泡など――を、人か、命か、何か別のものに見立てていき、その現象1つひとつが主人公になっていく。16:9のステージに現れては幕間に去っていく、儚い現象を見つめ、消えるところまでを見届けることができるスケールが重要です。

――使われている画材は市販の絵の具だけではないようですが、自作もされているのですか?

中山:はい。例えば、シャンプーや洗剤など、種類によって薄膜の中の色も変われば、泡のもっちり具合もさまざまです。乾燥させる必要がないので、液体は絵の具以外にもいろいろ試しますが、見立てになりにくいものは使いません。例えば「あ!ラー油だ!」とわかるもののような。他にも、植物などのオイルや、赴いた先の土や砂から色材を作ることもあります。印象に残っているのはブルガリアのライヴで、シアターに隣接した天然温泉から水をくんで絵の具を溶かしてみたところ、不思議と色がゆったりとリラックスしているように見えて……それが温泉の効能だったのか、寒い冬の公演だったので、自分が癒されていたのかはまだ定かではありません。

創作活動において目指すもの

――『Alive Painting』を構築する上で、影響を受けた作家はいますか?

中山:大学で美術史や芸術史を学ぶ中で、いろいろな美術家の影響を受けていると思います。特に引かれたのは円山応挙。私にとって応挙は“ニューメディアアートの大先輩”なんです。書画の中に、光学的な試みがなされている。例えば、特定の時間帯に光の当たり方が変わると、絹のモアレ(絹地の網目による模様)によって水がたゆたい、魚の図像が少し揺らいで見えるように工夫を施したり、輸入されたレンズを用いたり。そして滝を登る鯉の伝説を描いた『鯉魚図』。これは墨で描いたものですが、この作品を実際に見た時に、虹がかかっているように見えたんです。すごすぎて、私の頭の中に虹がかかったのかなと思いつつ、応挙ならば、虹が立ち現れるように狙って描いただろうと。

――書画は主にモノトーンですが、その影響も受けているのでしょうか?

中山:そうですね。「墨に五彩あり」という言葉を聞いたことがあります。墨(の濃淡)によって、空間が生まれ、また見る人の心の中で、色が立ち現れて見える。紙に墨でも赤松の幹が赤く、葉が青々しく見える。さらに、墨、紙にも膨大な種類があり、実際の色幅も大変豊かであり、モノトーンではそもそもないのだと気がつきました。虹色を使わずに、虹がかかって見える絵画があるということ、それは表現の可能性であると思います。私は、“Alive”という言葉の中に「気韻生動(絵画に、生き生きとした生命力や情趣が感じられること)」を探っています。みずみずしさや、生命力を帯びたにじみ、筆致に含まれる時間、思い切り……大変学びになっています。

――単にユニークな色彩や動きを生み出すだけでなく、見る人の“感じ方”を上手く誘い出すようなことも重要になってきそうですね?

中山:お客さんと自分は同じ場所にいて、時間や湿度、気温、気圧、音の振動といった要素を共有しています。また、作品である水やそこに生まれる泡も同じように空間の影響を受けます。特にそれをカメラで拡大した状態で映し出しているので、ある種感覚器のように、そういった影響をより感度良く、そして増幅していきます。絵描き、絵画、鑑賞者が同じ振動を感じ、絵にフィードバックがあり、それがまた鑑賞者に伝わる……というスパイラルです。

最近では、ソロパフォーマンスで使う音もよりライヴ中に拾うようになりました。もともと小さいものを大きくして観察することに興味がありましたが、昨年3月に「ドローイング・オーケストラ」に参加した時、音響の方が良いマイクを教えてくれて。そのマイクを通すと、炭酸の音なんかは頭が真っ白になるぐらいよく聞こえるし、紙の上に鉛筆が載る音、泡が弾ける音も聞こえる。もしかしたら、私のパフォーマンス中の所作、画材の流動が発する音などを拾って音楽にしてみるのもおもしろいのかなと、ライヴで取り入れ始めています。

パフォーマンス時のカオスや、コラボ相手とともに起こす相乗効果

――ライヴを拝見した時に、予想以上にたくさんの画材を使っていたな、と思いました。必ず持っていくものってありますか?

中山:気にいった表情を出してくれる画材、間違いない画材というのはありますね。そういう先発出場選手もありますが、それに甘んじているとだいたい上手くいきません。外気によって大きく絵の具の状態が変化するというのもありますし、やはりカオスの要素もパフォーマンスとして重要になってきます。なので、使いがちな画材をわざと手が届きにくいところに置いたり、控えの絵の具同士が混ざることを許したりします。そうすると、今までどうも扱いにくかった絵の具Aが、たまたま絵の具Bと出会った時、そのせめぎ合う界面の動きが驚くような瞬間を生み出したり、いいカオスを引き入れるために、いい秩序を作り、秩序が飽和したらカオスを引き入れて……という連続です。

――ミュージシャン達とコラボレーションする場合も、想定外のことが起きると思います。どういう心構えで共作するのですか?

中山:色彩や画面に映る丸い泡などは、抽象的ですけれども、ある意味、具体的なものでみっちり構成されている。そこから象徴的な意味をキャッチする人もいれば、全く別のことを想起する人もいて、そのすれ違いがおもしろいというか、この作品の特徴であると思っています。だから、コラボレーションする場合でも、全くそぐわないことも楽しめるというか。

――そぐわないというのは?

中山:あるミュージシャンの方とライヴをした時に、「影を投射してほしい」と言われたことがありました。ですがプロジェクターでは影は投射できない。ちょっとした禅問答のようになりました。その打ち合わせの末に、最終的に私は黒をより黒く見せるためにショッキングピンクの絵を描きました。ミュージシャンの世界観に対して、私が思う色で回答したんです。セッションの時もそうですが、それぞれ絵と音の立場で、技法で会話したり、時には要求と違う色を試してみたりします。音楽家が思っているよりも絵の色によってショー全体のハーモニーは変わっていて、そして音によって色のハーモニーも変わっている。ライヴを構成するすべての要素が混ざり合って、鑑賞者に届いた時に完成するのがおもしろいところです。

――ファッションブランド「ハトラ」とのコラボレーションや、文芸誌への挿絵の提供など、仕事の幅が広がっています。コロナ禍でライヴができなかったこともきっかけになったのでしょうか?

中山:配信もありますが、コロナ禍でお客さんを入れてライヴをする機会がとても少なくなりました。その中で、挿絵の仕事や「ハトラ」さんとのコラボレーションができたのは新しい風でした。文芸誌では、印刷ではグレーの部分が、ドットの濃淡で表現されているんだということが、自分の絵で試せるところが改めておもしろく。「ハトラ」さんの場合は、私の作品の画像をもとに、カラフルな糸がどのように編まれるのか、プログラマーの方が調整して図像を作ります。もともとの絵の艶やみずみずしさはある意味失われてしまいますが、新しい見え方を発見したり、最終的に人がまとう中で、絵が立体的に無限に変化する行き先が見え、大変光栄な機会でした。ライヴができなくてずいぶん寂しい思いもしましたが、1つひとつの工程の中で変化していく図像はコラボレーションならではで、会話ごとに自分と作品が応答しているようでした。こういうコミュニケーションのあり方があるなら、生活様式が大きく変わっていったとしてもきっと希望を持ち続けられると思いました。

中山晃子
画家。色彩と流動の持つエネルギーを用い、さまざまな素材を反応させることで生きている絵を出現させる。絶えず変容していく『Alive Painting』など、パフォーマティブな要素の強い絵画は常に生成され続ける。さまざまなメディウムや色彩が混然となり、生き生きと変化していく作品は、即興的な詩のようでもある。鑑賞者はこの詩的な風景に、自己や生物、自然などを投影させながら導かれ入り込んでいく。近年では「テデックスハネダ」、「アルスエレクトロニカ・フェスティバル」(オーストリア)、「ビエンナーレ・ネモ(パリ)、「LAB30 メディア アート フェスティバル」(アウグスブルク) 、「MUTEK モントリオール」などに出演。
http://akiko.co.jp

Photography Kohei Kawatani

author:

松本 雅延

1981年生まれ。2004年東京藝術大学美術学部卒業、2006年同大学院修士課程修了。INFASパブリケーションズ流行通信編集部に在籍後、フリーランスに。アートやファッションを中心に、雑誌やカタログなどの編集・ライティングを行う。

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