おもしろきこともなき世をおもしろく。「パンクドランカーズ」親方の“UNCOOL IS COOL”な半生 後編

“UNCOOL lS COOL(ダサイはカッコイー)”をテーマに掲げるファッションブランド「パンクドランカーズ」。そのすべてを担っているのが、デザイナーでありイラストレーターである親方。彼の脳内から生み出される、コミカルでシュールな世界観の虜とりこになった熱狂的なファンは、ここ日本だけでなく世界中にいる。
前編に続く後編では、親方がこれまで歩んできた“真面目に不真面目”な半生を深掘りしながら、来年で25周年を迎えるブランドの今後、そして自身の展望を聞く。

みんなが巨人なら阪神でしょって。まぁ、要はへそまがりなんです

——前編では聞き忘れましたが、親方というユニークなペンネームはいつから?

親方:「パンクドランカーズ」の立ち上げ時からずっとですね。本名が里見親美で、下の名前はもともと、東京藝術大学で彫刻科の先生を務めていた祖父の雅号だったそうです。親父も兄貴もこの「親」という文字が名前に入っていることもあり、僕も「親」という文字をペンネームに絶対使いたくて、親○となると……親方だなぁって。そこからですね。ちなみに親父は、建築系で美術館や博物館を設計・デザインする会社で働いていました。

——実は、芸術家系のサラブレッドだったんですね。もう少し詳しく親方さんのこれまでの話を聞かせてください。幼少期はどんな子どもでしたか?

親方:太っていて体も大きかったこともあり、幼稚園の頃からから柔道をやっていました。親父に「体がでかくて力もありあまってんなら道場に行け!」なんて言われて、そのまま中学1年まで続けて。

——当時はどんなものに興味を持っていたんでしょうか?

親方:好きな学校の教科も、図工と体育のみっていうわかりやすいスポーツ少年。ウルトラマン仮面ライダー、スーパー戦隊といった特撮モノがすごく好きで。あとは車も! ミニカーもメチャクチャ集めていましたね。漫画だと「週刊少年ジャンプ」とか。寺沢武一先生の『コブラ』は、ハードボイルドな大人の世界観が格好良くてはまって。他には『サーキットの狼』『リングにかけろ』とかも好きだったかなぁ。

——その頃はどんな絵を描かれていましたか?

親方:今でもよく覚えているのが、“俺の考える最強の阪神タイガースのユニホーム”。選手が着て活躍するのを妄想して1人でニヤニヤしながら描いていました(笑)。もしかしたら、この辺の経験がのちの服作りにつながっているのかも。当時はクラスの大半が読売ジャイアンツファンという時代で、それが気に入らなくてタイガースを応援し始めて。以来ずっと阪神ファン。まぁ、要はへそまがりなんですよね。

——カウンターカルチャー的感覚だったと。中学時代もそのまま柔道一直線ですか?

親方:それが中学校に柔道部がなかったので、道場に通いながら部活はサッカー部に。部員数だけやたらと多い弱小校でしたが、サッカーは走るので、その頃から徐々に痩せていって。この頃も美術の授業は相変わらず好きでしたが、まだ自ら好んで絵を描くという感じではなかったですね。

その後の高校では、サッカーで鍛えた足の速さを武器にラグビー部に入部。中学のサッカー部の顧問に「お前にはラグビーが向いている!」なんておだてられてその気になってみたものの、今度は逆に一都四県から猛者が集まるような強豪校で、そのレベルの高さについていけず1年でギブアップ(苦笑)。それで始めたのが空手。親父がボランティアで空手道場の先生もやっていたので「やることがないなら空手をやれ」と言われて「じゃあ、そうするか」って。

——そして高校卒業。

親方:ですが待っていたのは、浪人生で予備校通いの日々。その予備校で出会ったのが、現在の妻でブランドのパートナーでもあるクゲマロでした。

——そこから短大を経て、就職するのではなく歯科技巧士になるための専門学校に入学します。

親方:親から「免許を持っていれば、つぶしが効くから」って言われて、手先が器用で細かい作業も好きだし「やってみるか」って。2年間通って歯科技工士の国家資格を取り、1年くらいラボに勤めました。

——すごく受動的な生き方をされていたんですね。

親方:あ〜、それは確かにありますね。柔道もラグビーも歯科技工士も自分から始めたわけじゃないし。とにかく素直なヤツだったんでしょうね。

——そんな人がなぜ、「パンクドランカーズ」なんていう反骨心の塊のようなブランドを始めたんですか?

親方:その歯科技工士を1年半ぐらいやっていて。お父さんが社長で息子さんが専務という家族経営の小さなラボに勤めていたんですが、専務と社長がたて続けに亡くなってしまって……。他のラボを紹介するよとも言ってもらえたんですが、仕事自体おもしろいと思っていなかったので、結局辞めちゃって。

それで、その技術を使って遊び半分でシルバーアクセ作りを始めました。自宅でワックスを作って週末にお金を払ってラボを借りて鋳造して、街に売りに行く。そんな毎日で、ほぼニートみたいな。正直いい収入にはなったんですが、ずっとそれで食っていけるとは思っておらず……。

——それが何歳の頃ですか?

親方:23、24歳くらいですかね。さすがに親からも「30歳になったら家を出て行け!」と言われていて。こっちとしては「そんな約束はできねぇなぁ」なんて思いながら(笑)。そんなある日、デザインフェスタに参加したんですよね。モノ作りをしている仲間達とサークルを組んでブースを借りて。僕はシルバーアクセを出品していたんですが、反応はイマイチ。そこでTシャツを試しに作ってみたら、メチャクチャ売れちゃって。

——どんなデザインだったのか見てみたいですね。

親方:フロントに漢字で「国技」、バックはモヒカンヘアで入れ墨だらけの力士が取り組みしていて、そこに水戸黄門の歌詞の英語版で「人生楽ありゃ、苦もあるさ」って描かれているデザインでした(笑)。ちなみにそれをアップデートしたパート2の原画がこれ。本当に初期のグラフィックですね。あとは「平常心」なんてのもあったかな。赤ん坊がオープンフィンガーグローブを着けて殴り合ってるっていう(笑)。そのサークルの名前が“パンクドランカーズ”だったんです。

細く長く、“大ブレイクしてこなかった”からこそ今がある

——そこで手応えを感じてブランドを始めようと?

親方:その時点では、まだ本気でやるつもりはなかったんですが、たまたま自分らのTシャツを着て訪れたショップで、スタッフの方に声を掛けられたのをきっかけに卸をするように。僕らは「小遣い稼ぎができるじゃん!」なんて軽い気持ちでしたが、そこから少しずつ取引先が増えていき、本格的にブランドとして活動するようになりました。これが1998年。

——“UNCOOL IS COOL”というコンセプトも当時から変わらず?

親方:ですね。キメキメのかっこいい服が僕らはイヤだったので、ちょっとふざけたところを残した遊び心のある服がイイよねって。その感覚を言葉にしたのが“UNCOOL IS COOL”。日本語にすると“ダサイはカッコイー”ですが、そもそもはパンクドランカーズの楽しみ方として付けたものでした。

——前編では海外での活動の話も聞きました。親方さんは、自身の作品が海外で実際どのように受け止められていると感じますか?

親方:それは聞いたことがなかったんで、僕自身もガチで知りたいですね。みんな「クール!」と言ってくれているけど、実際どうなんでしょうね。もちろん“おもしろさ”はちゃんと伝わっていると思うんですが。

——これまでにブランド、企業、野球チーム、芸人と多種多様な相手とコラボをされてきましたが、特に思い出に残っているコラボがあれば教えてください。

親方:結構あるんですよね。大好きな阪神タイガースもですし、エガちゃん(=江頭2:50)とか。高須クリニックの高須先生とかもそうですし、『THRASHER』もすごく売れたので、やっぱり思い出がありますね。うまい棒も楽しかったですし。僕らの好きなモノだったらありがたくコラボをさせてもらっていて、基本的には“来るもの拒まず”のスタンスです。

——このシュールな世界観をコラボレーションに落とし込む際のあんばいって、どうやって決めているんですか?

親方:コラボに関しても自分らのアイテム同様、おもしろい要素を入れたいっていうのはあるんですが、まれにもう少しマイルドにしてほしいという場合もあるので、そういった時はなるべくパンク臭を前に出さないようにしています。その分、自由にやらせてくれるところに対しては、全力でふざけていきますけどね。

——来年でブランド誕生25周年を迎えますが、これまで活動を続けてこられたコツはありますか?

親方:“大ブレイクしてこなかった”ところじゃないですかね。細く長くみたいな(笑)。大ブレイクすると収拾がつかなくなるというか、自分らでコントロールできなくなっちゃうじゃないですか。ウチの場合、お客さんも10代から60代までとかなり年齢層の幅が広く、それも良かったと思うんです。みんな最初は「若くてイケてるやつに届けたい!」ってブランドを始めるけど、それじゃあ続かないんです。僕はそれよりもいろんな人達に認められたい。サザンオールスターズなんて世代を問わず誰しもが知っていて、しかも新曲が出たらみんな聴く。そういうブランドでありたいですね。26歳で始めて、気付けば50歳。このままずっと“UNCOOL IS COOL”でいられたら最高だなって。

親方
1971年生まれ。千葉県出身。空手3段、左きき。1998年、“和+洋+遊、UNCOOL IS COOL”が、基本コンセプトのブランド「パンクドランカーズ」を設立し、アパレルの枠を超えて多ジャンルにデザインを手掛ける。2003年より現在まで展覧会(個展)やライヴペインティングも頻繁に開催している。
Instagram:@oyakatapunk
https://www.punk-d.com

Photography Yuji Sato
Edit Shuichi Aizawa(TOKION)

author:

Tommy

メンズファッション誌、ファッションウェブメディアを中心に、ファッションやアイドル、ホビーなどの記事を執筆するライター・編集者。プライベートにおいては漫画、アニメ、特撮、オカルト、ストリート&駄カルチャー全般を愛するアラフォー、39歳。 Twitter:@TOMMYTHETIGER13

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