国内外さまざまあるジャンルの本から垣間見ることができる日本らしさとは何か? その“らしさ”を感じる1冊を、インディペンデント書店のディレクターに選んでもらい、あらゆる観点から紐解いていく本連載。今回は、一見無用に思えるものにこそ、本質的な価値があることを表す老子の言葉「無用之用」から名付けられたユニークな書店の店主、片山淳之介にインタビュー。書店による選書だけでなく、繋がりや興味のある誰かによって選書された本が並ぶ。その中から選んでもらったのは、新しい着想のヒントになるようなエッセイ、人間くささをクールにエレガントに描く小説。片山が以前住んでいたフランスが舞台となっている2冊を紹介してもらった。
フランソワーズ・サガン
『打ちのめされた心は』
−−フランソワーズ・サガン『打ちのめされた心は』について教えてください。
片山淳之介(以下、片山):処女作である『悲しみよこんにちは』で18歳の時、鮮烈なデビューを果たしたサガン。『悲しみよこんにちは』は、のちに22ヵ国で翻訳され、世界的なベストセラーとなった。そのサガンが亡くなった後、未完の遺稿を息子が編集し出版されたのがこの『打ちのめされた心は』です。華やかなフランス郊外の大富豪一家の人間関係を描いた作品。恵まれた環境、華やかな世界の中でのメランコリックさが叙情的に書かれています。もともと裕福な家庭に生まれたサガン自身が、実際に感じていたことや出会った人等を、登場人物の描写やウィットに富んだ文体から感じとることができる作品です。
−−その描写には、とある日本人女優との出会いが関係しているそうですね。
片山:当時、女優として大活躍していた加賀まりこさん。彼女との出会いがサガンに大きな影響を与えたという話を聞いたことがあります。小悪魔的なイメージが強かった加賀さんに対する、世間の誹謗中傷に嫌気がさし、稼いだお金をすべて持って単身パリへ。その時2人は出会ったそうです。日本人女性に、おしとやかな印象があったサガン。一緒に食事をしたり、お酒を飲んだりしている時の、加賀さんの天真爛漫な無邪気な姿を見て、悲しいことをきれいに書くのではなくて、悲しいことは本当に悲しく書く。脚色しない。そういう影響を加賀さんから受けたのではないかと。
−−この本のどんな部分で加賀さんらしさや日本らしさを感じますか?
片山:加賀さんとのエピソードを聞いた上でこの本を読むと、登場人物のキャラクターにそれを感じます。日本人女性らしい聡明さと、美しさだけでなく少女のようにおてんばでもある。そこについ、加賀さんの姿を重ねてしまいます。フランスの本や映画って、どこか人間の俗な欲望や意図を感じる人間くささがあると感じています。そこが好きなポイントであり魅力。華やかな印象もありますけど、ちゃんとエレガント。フランス人には潜在的な美意識がある。作法とはまた違う、学のような。今は薄れてきているかもしれないけど、当時の日本にも、日本人にもそれはあった。そこに通じる部分を感じます。この本は、加賀さんが出演している映画を見てから読むと良いかもしれません。飲み屋でタバコを取り合っていたくらい親交が深かったと言われている2人の関係性を垣間見ることができるかもしれません。
カバーに描かれた車は、彼女が初めて買ったジャガー。物語に登場するクラシックカーはこのジャガーを想定していたのだろうか。この言葉は、退屈な社交の場に行かなければならない複雑な心情、何も期待しない無の感情を表した言葉。言い回しにエレガントさを感じるのはやはりサガンの育ちの良さからなのか、とあれこれ想像してしまいます。
伊丹十三
『ヨーロッパ退屈日記』
−−伊丹十三『ヨーロッパ退屈日記』について教えてください
片山:1960年代、当時俳優だった伊丹十三さんが仕事のために滞在していたフランスでの実体験が書かれているエッセイ集。俳優、映画監督、デザイナーというあらゆる顔を持っていた伊丹さんは、多才なだけでなく、とてもおしゃれな方だった。おしゃれというのは、見た目のことだけではなくダンディズムのこと。それは誰かの受け売りではなくて、自分のセンスで見つけた良いと思うものに自分を合わせていくこと。伊丹さんはそういう高い美意識を持った方だったのでしょう。この本を語ることは、イコール伊丹十三という人の魅力を語ること。彼の視点で書かれた、世界における日本の特異性。例えば隣の家の犬のエサまで気にするような性質=周りからどう見られているかをヨーロッパにいながらにしても感じている。そういう鋭い観察力が、伊丹さんらしい美学に満ちた言い回しで綴られていておもしろさもある。人間的なダサいことも無粋なところも嫌味なく、そして限りなく黒に近いグレーなユーモアを持って書かれていて、そういうところにも魅力を感じます。フランスにいても伊丹さんは、ちゃんと日本人だった。数年海外で生活して帰ってくると容姿が染まっている人もいますが、伊丹さんはフランスの香りだけまとって帰ってきた。この本を読んでそんな印象を受けました。
−−この本との出会いはいつ頃でしたか?
片山:初めて読んだのは、小学校6年生の頃でした。実家の近くに映画館があって、そこで上映されていた伊丹さんの映画の看板がすごく格好良くて観にいったんです。最初に見たのは『マルサの女』。子どもながらになんとなく感じていた大人の怖さとかズルさとか、静かな中の不安とかそういう醸し出される空気感がちゃんと描写されていた映像に衝撃を受けたのを覚えています。そこから伊丹さんを知って、この本を読みました。大人になった今でも月に1回くらい読み返します。それくらい思い入れの深い本。バイブルみたいな感覚に近いかもしれません。
−−鮮烈な印象を残したこの本から、どんな影響を受けましたか?
片山:自分の好みをはっきりと持つこと。日本人とは、人間とはこうあるべきだというのを、自分で考える力を身につけるための本だと思います。それだけでなく、幼い頃ここにあるものをこう置けばもっときれいなのに、ダメと言われる。なぜそれがダメなんだろうと思うことがありましたが、そうじゃなくても良い。きれいじゃなくても、整頓されていなくても良い。そうやって物事を俯瞰視できるように広い視点を持たせてくれたのも、この本かもしれません。海外の人が見た日本人の性質や勤勉さ、礼儀正しさ等ではなく、普段から身の回りにある日本らしさ、日本人すら気付かないようならしさが、伊丹さんを通して海外の視点で綴られている。ずいぶん昔の作品ですが、今の時代にも十分通じる内容ばかりなので、国語の教科書に入れてほしいくらいです。
カバーの装画、中面に登場するイラストも伊丹さん自身が描かれたもの。スパゲティの“粋な”食べ方を紹介しているベージは、この本の中で一番好きなページ。アルデンテという言葉を最初に紹介した本と言われているとか。