映像作家 / 映像監督・山田智和が写真展「都市の記憶 – Landscape-」で表現する「旅と記憶の可能性」

映像作家 / 映像監督の山田智和による写真展「都市の記憶 – Landscape-」が、7月12日まで伊勢丹新宿店メンズ館1階のプロモーションスペースで開催されている。

山田はMVやCM、ショートフィルムなど映像を中心に活動する一方で、近年は写真家としても多くのファッション誌やカルチャー誌などで仕事を行なっている。2019年の写真展「都市の記憶」以来、3年ぶりとなる本展示では、アイスランド、モンゴル、ハワイ、北海道、東京などを作品制作で旅する中で出合った世界中の都市での記憶や体験を、独自の観点で切り取った写真作品約10点を展示販売する。

今回の展示に合わせて、山田は以下のステートメントを発表。そこに込めた想いを、山田本人に聞いた。

風景と自分の可能性。 
なぜそこでシャッターを押したのか、
その反応の正体が知りたい。
この世に存在してからの旅の記憶と、
言葉では伝えることのできない感情。 
その風景で初めて感じたものであり、
もともと自分の中に存在していたものだ。
都市が記憶の装置であるように、
わたしの中にもその「風景」が今日も存在する。

山田智和

——「都市の記憶 -Landscape-」は、2019年の写真展「都市の記憶」以来3年ぶりの写真展になりますが、まずは前回との違いについて教えてください。

山田智和(以下、山田):3年前はまだ「映像監督がやるポップアップ」くらいの感じだったんですけど、ここ3年で僕も写真の仕事を継続的にやるようになって、写真に向き合うことが増えてきました。前回と比べると、展示の場所も広くなって、もう少し自分の中でも写真家としての責任を持って、見せ方を含めてしっかりと取り組んだ展示になっています。

——今回、副題として「Landscape」がついていて、風景写真のみの展示となっています。展示の各作品には「どこで撮影したか」などの説明がなく、ただ写真のみが展示されています。

山田:あの大きさ(90×60cm)の風景写真を観て、どう感じるか、何を感じるか、は人それぞれで違うし、それでいいと思っています。だから、「これは〇〇で撮影した」とかそういう説明はないほうが、変な先入観なく観てもらえるのでいいかなと。

例えば、電車に乗っている時、車窓から外の風景を眺めていて、流れている風景の没入感というか、その風景を見ながらも別のことを考えていたりするじゃないですか。ここじゃないどこかに心が持っていかれるというか。そういう気持ち良さをこの展示では体験してもらえたらいいなと思いますね。

——展示作品はどのように選んだんですか?

山田:基本的には自分の好みで選びました。だからわりと白い雪の風景が多くなってしまったんですが、それは自分の今の気持ちに近いのかなと思いますね。

——「白い風景」というのは山田さんにとって、どういった心情を表すものなのでしょうか?

山田:自分の中で白い雪の風景ってフラットなイメージなんです。2020年にコロナ禍になって、今まで人の目を気にしていたり、せわしなく動いていたものが、強制的に止められたことによって、一旦リセットされたというか、僕自身はフラットな気持ちになれた。そういう気分が反映されているのかもしれないですね。あと、雪景色って凛としたイメージもあって、その感じを観た人とも共有したいという気持ちもあります。

——風景写真は普段から撮影されているんですか?

山田:そうですね。今はみんなスマホで当たり前に人とか風景とか撮るじゃないですか。そういう感じで撮影したり、もう少ししっかりと三脚立てて中判のフィルムで撮影したりとか、いろいろですね。

——カメラ機材のこだわりはありますか?

山田:あるといえばあるんですけど、僕としては、その風景にどう対峙するかで機材を選んでいます。今回の写真展のメインビジュアルとして使っている写真は、極寒の地で撮ったんですが、場所の緊張感もあって、その景色を撮影するのは、スマホじゃなくて、フィルムで1枚1枚向き合って撮りたいなっていう気持ちに自然となるんですよね。今回はロケハンやシナハン中に撮っているものが多くて、そういう意味でも「何かの途中」という写真が多く、スナップ感覚の写真が多いですが。

旅は自分の可能性を知れる行為

——今回は旅で出合った風景を中心に展示していますが、山田さんにとって旅はどういった意味を持ちますか?

山田:自分の可能性を知れるというか。例えば、旅先で風景を撮影する時に、「この風景を撮りたい」って思えたことが、自分にとっては重要なんです。初めて観る風景にちゃんと自分が反応できていることは、もともと自分の中でそういった風景などを良いと思える感覚を持っていたとして、それを旅に出たからこそ確認できる。それは風景だけじゃなくて、その場所で出会った人を好きになるとかもそうなんですけど。そういう意味で旅は自分の感覚を確認する作業に近いのかもしれないです。特に作品のロケハン中っていうのは何か良いロケーションはないかっていう邪な目線で見てることが多いので、可能性みたいなことを考えがちなのもありますね。

——では、コロナで旅に出られないという状況はつらかったですか?

山田:意外とそうでもなくて。逆にどこにも行けないからこそ、内なる自分自身に向き合えたというか。これまでの写真を振り返ったりするのも、自分の中では旅をする行為に近くて。自分がどういった人達に支えられて、どういう人達と生きてきたか、またどうその人達に向き合えたり、それができなかったか、そういうことを考えていくことは、「自分を知る」ことにつながるという感じで。だから外に出られないのは、嫌だったんですけど、つらくはなかったです。

——展示の写真には海外だけでなく東京・築地の写真もありましたね(作品『Tsukiji Zero』は、エスカレーター側の壁に展示)。

山田:『Tsukiji Zero』は築地市場の建物を壊して、コンクリートを全てはがした時に撮ったんですが、コンリートをはがすと昔の線路の跡が出てきたんですよね。写真を撮ったあとすぐに、その線路はなくなってしまったんですが。

当たり前ですけど、コンクリートの下には地層があったりして、歴史が積み重なっているじゃないですか。そのことが面白いなと思ったのと、築地市場への愛着もあって。再開発、すぐに壊して新しいビルを建て続ける価値観が正解なのかそうじゃないのか、自分の中ではまだ答えが出ていなくて。そうした思いも含めて、写真として残しておきたいと思ったんですよね。その上で晴れた青空の日になったのは少し前向きな感じが出るようで良かったです。

——展示作品には古びた飛行機の写真など、寂れた風景を捉えた作品がありましが、そういったものに山田さんは惹かれるんですか?

山田:何を美しいと思うのか、美的感覚に通じるものだと思うんですけど、僕は歴史があるものに感銘を受けるというか、それを一番美しいと思うんです。「無意識の集積」という言葉が好きなんですけど、最初は意味のなかったものが、時間が経つにつれて、何らかの意味を持ち始める。そういう風景が好きなんですよね。

——伊勢丹での展示ということで、ギャラリーではなく、あえて百貨店で展示したことについては?

山田:僕は、新宿生まれ、新宿育ち、事務所も新宿という感じで、生活範囲の中に常に伊勢丹があって、今でも週1とかで行ったりしているんです。そんな僕が急に渋谷とかのオシャレなギャラリーで写真展をするのって、そこに必然性もないし、イメージができなくて。自分が撮ってきた風景を、自分の生活圏内にある伊勢丹で、ある種ゲリラ的に観てほしい、という気持ちで、伊勢丹でやることにしました。今回、展示場所がメンズ館の入り口で、多くの人の目に留まる場所なので、普通に買い物しに来た人にも観てもらいたいですね。

あと、3年前にやらせてもらった展示の続きがやりたかったのもあって、これからも「都市の記憶」展はシリーズにして長くやっていきたいです。

映像と写真、撮る意識は同じ

——映像作家としても活動されていますが、映像と写真で撮る時の意識は変わりますか?

山田:難しいんですけど、一番大きな部分での、意識の違いはないですね。何かを撮りたいという気持ちは同じです。僕はもともと、ものとして「カメラ」が好きで、「このカメラはこういう特性がある」ということにも興味があるんです。だから、映像と写真の違いとかではなく、そのカメラの特性に合わせた表現の違いはあります。

——もともとは映像から始めて、写真も撮るようになったという感じですか?

山田:そうですね。僕が大学1年生の時に、MVの撮影で「キヤノン」の「EOS 5D」が初めて使われて、そこからデジタルの一眼レフカメラで映像を撮るのがはやり始めて、写真も映像も同じ機材で撮るっていうことが当たり前になった。その時に、写真と映像の垣根もなくなってきて、僕も映像と同じ感覚で写真を撮り始めました。

——風景を映像で残すこともありますか?

山田:緊急事態宣言が出た直後の2020年4月8日がスーパームーンの日で、世界8都市のカメラマンに声をかけて、1人1人にスーパームーンを撮ってもらって、それを僕が編集して、1本の動画にしたり、『Somewhere in The Snow』っていうショートフィルムでは、風景カットをかなり入れていたり。今回はLandscapeという題で開催しましたが、それは見せ方の話であって、普段風景と何かを分けて考えることはないですね。

20200408
Somewhere in The Snow

——クライアントワークと自身の作品作りに対しての違いはありますか? クライアントワークだと制限も多いと思いますが。

山田:全くないですね。制限を言い訳にするならやらなければいいと思うし、僕の作品自体もアートかどうかって気にしていない。広告か作品かって、分けて考えること自体あまり意味のないことだと思ってますし、何かのカテゴリーに留まっちゃうとそこで止まってしまう感じがする。自分の場合は、広告であれ、作品であれ、「そこで何ができるか」を楽しんでますね。

——展示のプレスリリースには、映像作家 / 映像監督という肩書きが書かれていましたが、山田さんの中で、映像作家と映像監督にはどういった違いがあるんですか?

山田:映像監督というと撮影現場のディレクターという感じのイメージだと思うんですが、CMやMV、ドラマ、映画、写真とかも何でもやっているので、説明する時に映像作家だと全部を含んでいるので、便利だなと思って使っています。仕事の割合的には、映像監督が多いので、今は映像作家 / 映像監督というのが自分にはしっくりときてますね。

——山田さんに憧れている若い人も多いと思うんですけど、これから映像作家を目指す人にアドバイスをするとしたら?

山田:僕らが若い頃は「作りたい」っていう衝動と実際に作品になるまでには、スタッフを集めるとか、機材を借りるとか、かなりプロセスがあったんですよね。だから「できない理由づけ」ができたんです。でも、今は良くも悪くも誰でもiPhoneで撮影して、YouTubeとかで発表できるので、映像をやりたいってなったら「できない理由」を探す方が難しくなってますよね。誰でもできるからこそ難しいなとも思うこともありますが、大変だと思うけど、いい見本もたくさんあるから、まずはいろいろとやってみるのがいいんじゃないかなと。その上で「できない理由」「超えるべきハードル」、つまり自分の課題がどこかの軸に見えてくるとより深みが出て面白いと思います。

——山田さんも学生時代から自主的にやっていたんですか?

山田:そうですね。一眼レフカメラで映像も撮れるようになって、自分達でどんどん作ってましたね。

——もう1つ、「センスを高めるにはどうすればいいですか」って聞かれたらどう答えますか?

山田:僕は体育会系なので、写真だと1日100枚撮るとか、映像だととりあえずいっぱい作るとか、まずは量をこなすのがいいと思います。そうすると自ずとうまくいった部分、自分が得意な部分がわかるので、そこを伸ばしていけばいいと思います。

——何かを観るとかではなく?

山田:本当はインプットとアウトプット両方できるといいですけどね。でも、今の若い人達はいいものをいっぱい見てるから、基本的にはセンスはありますよ。でも、自分の着眼点というか、ストーリーをちゃんと作れる人の数はどの時代もそこまで変わっていないと思うので、それは大事だと思います。

でも、僕が伝えることって、若い人にとってはノイズでしかないかもと思って。若い人がアドバイスを聞かないで作ったもののほうが良かったりするじゃないですか。自分もそうだったし。だから、僕の意見とか参考にしなくて、好きにやってほしい(笑)。

——最後に今後も写真作品を撮り続けていきますか?

山田:映像を作るのと変わらない感覚で写真の方も続けていくつもりです。今回は風景写真の展示だったんですが、人物写真も結構たまってきているので、次は人物作品を中心にした写真展をできればいいなと思っています。

山田智和(やまだ・ともかず)
映像作家 / 映像監督。WIRED 主催 WIRED CREATIVE HACK AWARD 2013 グランプリを受賞し、その後、サカナクションや米津玄師、あいみょんなどのミュージックビデオを手がける。また、広告映像やファッション誌のビジュアル撮影、⻑編映画の監督などその活動は多岐に渡る。作家活動としては、2019 年に渋谷駅で行われたエキシビション「SHIBUYA / 森山大道 / NEXT GEN」にて“Beyond The City”を発表。同年、伊勢丹新宿店にて初の写真展「都市の記憶(2019)」を開催。今回3年ぶりの「都市の記憶」展を “Landscape” と題して開催する。
https://tomokazuyamada.com
Twitter:@tomoymd
Instagram:@tomoymd

■山田智和 写真展「都市の記憶 -Landscape-」
会期:2022年6月22日〜7月12日
会場:伊勢丹新宿店メンズ館1階 プロモーション
住所:東京都新宿区新宿3-14-1
時間:10〜20時
休日:なし
入場料:無料

Photography Masashi Ura

author:

高山敦

大阪府出身。同志社大学文学部社会学科卒業。映像制作会社を経て、編集者となる。2013年にINFASパブリケーションズに入社。2020年8月から「TOKION」編集部に所属。

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