ドイツ・カッセル「ドクメンタ15」で体感したヨーロッパ圏外の作品群と街との呼応

5年に1度、ドイツ・カッセルで開かれている「ドクメンタ15」。今年はインドネシアのコレクティブ・ルアンルパのキュレーションによって行われていた。「Make friends, not art」というスローガンにふさわしく童心に帰ってとことん遊びきる。または複数人で意見を交し合うような展示物が多数展示されていた。「ルンブン」とはインドネシア語で共有の米倉を意味する言葉であり、それぞれの農家が余った米をルンブンに持ってきて共同体の皆で分け合うインドネシアの風習を今回のドクメンタに当てはめ、知的資源や物的資源を共有し、分け合っていくというテーマを表したものだとされている。

一方で一部の作家の作品が反ユダヤ主義的だとして、政府の検閲により作品が撤去されたり、アートシーン全体で議論が巻き起こっている。そうした議論がある状態を認識しつつも、今回こちらの記事では、エリアの中心部となる「ミッテ」で展示されていた作品群についてレポートしていく。

ヨーロッパ圏以外のアートコレクティブが展示でもたらす世界感

Fridericianum

中心街にある最大規模の展示ギャラリー。さまざまな教育の可能性を探るという。作品の展示だけでなく、アーティスト達の居住・作業スペースやキッチン、図書館、子ども向けのワークショップスペースや託児所などもある。この場所を起点に往来する来場者・アーティストがともに「学習する」スペースになることが期待されている。1階から3階までアジアやアフリカを含む17のアーティストコレクティブの展示を行っている。特徴的なのは、往来して観賞するだけにとどまらず、椅子に座ったり、その場に寝転がりながら展示作品の映像を観賞することができる作品群が多い点だ。立ち止まって考える時間が用意されている点は特徴的と言えるかもしれない。

Gudskul

1階の展示室に入って早々にあるのがジャカルタにある3つのコレクティブによって形成された学習共有プラットフォーム「グッドスクール(Gudskul)」の展示空間。共同学習、集団ベースの創作活動やコラボレーションに重点を置いた芸術制作に関心のある人なら誰でも参加できるという。実際に展示スペースといいつつ、参加者も椅子やテーブルに座って、サステナブルなアートの取り組みを考えたり、意見を交わし合えるような仕組みになっている。

WAJUKUU ART PROJECT

ギャラリー付近で目を引いたのがナイロビで最も人口密度の高いスラム街の 1 つ、ルンガルンガと呼ばれる地域にあるコミュニティベースのコレクティブの展示物。2004年に創立されたこちらのグループの展示スペースはマサイ マニャッタ (東アフリカのマサイ族の伝統的な住居) とスラム街の非公式の美学に触発された足跡の建築物が現地の廃材を使って再現されているのだ。廃材を通じて現地の空気感を見事に再現できている作品群は一見の価値ありだ。

日本から唯一の参加 CINEMA CARAVAN

滞在したこの日は夜に「CARAVAN HIVE PARTY」というパーティも用意されていた。制作滞在中のアジトとなっているような建物を貸し切って広場でイベントを開催していたのだ。栗林さんを中心に逗子のCINEMA CARAVANのクルーとここに制作滞在しているコレクティヴがこのイベントに合わせて踊っていた。「元気炉」も移動していて、サウナ空間の中で参加者がどこから来たのか、展示物の中の何がおもしろかったのか等意見を交し合う時間を通じて、作品の役割を肌で感じたのであった。

常設展も不思議と時代とリンクして見えてくる

GRIMM WELT

小高い丘がある場所にあるのが「GRIMM WELT」。まるで辞書や言葉の森の中に迷い込んだような作りになっている展示を見て考えたのは、意味の世界だけに没頭しすぎると、言葉の渦に森のように酔ってしまう。だから、意味とか言葉の後ろに余白を保っておく。気付いたと思った真理が、また違う角度で見たら違った側面を覗かせてくれる。意味が崩壊して疑問の渦に立ち返る。そして再び観察をして、距離がある中で捉えた意味を本当のこととする。そんなような作りになっている。Zの先には何があるのか自分で体感してほしい。

客観と主観/ミクロとマクロの思考の往来を促すような常設ミュージアム「GRIMM WELT」を見て感じたことと2日間見て体感したことが、次第に自分の中で広がっていった。ミュージアムで見終えたところで滞在時間にそろそろ限界がきてしまった。

「ドクメンタ15」を巡る表現の自由や反ユダヤ的と見なされて検閲が入り、関係者が辞任に追い込まれるに至った論争は、世界中で起きている出来事に対する1つのわかりやすい反応であり、世界中で議論を巻き起こすこと自体がドクメンタが「時代の記録」としての機能を果たしているのではないかとふと考えた。これまで人類が紡いできた歴史の途方もなさ、そしてその中にある現代作家による作品を通じて、自分がわざわざ足を運んで、すべてを通じて体験しないと全容が見えてこない。いや、飛び込んでなお「言語化できない」体感に面食らうのであった。

街全体をヨーロッパのアート社会の権威から外れたところにあるようなさまざまな国からやってきたアーティスト達の作品を展開することに全力を費やしている「ドクメンタ15」。個人的には気心知れた人達と、作品を通じて侃々諤々議論を進めたり、その催しを通じて戯れたりすることができて楽しかった。

小学生みたいな感想かもしれないが、率直なところ、それを言わんとすること自体が大切な幹であるような気がした。そしてふと「Make friends, not art」という言葉がまた頭をよぎったのだった。ある意味では、ルアンルパの目論見通りなのかもしれない。 権威や論争といったものとは全く異なり、現場で起きている人が作品を見る時に浮かべる気軽ともいえる空気感。「ルンブン」という英知を共有し合う姿勢。またはそれ以外。少しでも気になるものがあったのならぜひ一度、足を運んでみてほしい。シリアスになりすぎずに、5年に1度の展示で作品と全身全霊で戯れてみるべきだろう。

■Documenta 15
会期:9月25日まで
公式サイト:https://documenta-fifteen.de/
公式Instagram:@documentafifteen

author:

冨手公嘉

1988年生まれ。編集者、ライター。2015年からフリーランスで、企画・編集ディレクションや文筆業に従事。2020年2月よりドイツ・ベルリン在住。東京とベルリンの2拠点で活動する。WIRED JAPANでベルリンの連載「ベルリンへの誘惑」を担当。その他「Them」「i-D Japan」「Rolling Stone Japan」「Forbes Japan」などで執筆するほか、2020年末より文芸誌を標榜する『New Mondo』を創刊から携わる。 Instagram:@hiroyoshitomite HP:http://hiroyoshitomite.net/

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