ただ夕陽を見ているだけ 連載:工藤キキのステディライフVol.2

ライター、シェフ、ミュージックプロデューサーとして活動する工藤キキ。パンデミックの最中にニューヨークシティからコネチカットのファームランドへと生活の拠点を移した記録——ステディライフを振りかえりながらつづる。

物件を見つけたのは、「Zillow(ジロウ)」という不動産検索サイトだった。突然、大都会のニューヨークからアメリカの田舎に引っ越すことはかなり冒険だったと思う。新型コロナウイルスのパンデミックによって、アメリカが長いこと引きずってきた黒人コミュニティーにおける不平等な社会制度の変革を求めるBLMの運動が全米で起こった。そんな最中にアメリカの中部ならありえそうな話だが、まさか大都会のニューヨークでWhite Supremacy(ホワイト・スプレマシー)の集会が行われ、アジア人へのヘイトクライムも度々ニュースで目にするようになったのだ。もはや10年ほどニューヨークに住んでいたのに、アメリカの歪んだ社会構造のことを全く知らず、そしてコネチカットのことも何も知らなかった。

私達が出した物件の第一希望条件は、「ニューヨークまで車で2時間以内」「隣家から離れていてプライバシーが守られる場所」「暖炉が使える」「ガーデンができる」だった。もう1つの大事な条件が「車で1時間以内で友達に会える」という距離感。絶対に人恋しくなると思っていたので、すでに仲の良い友達がいる周辺を狙って家を探していた。とはいえ、賃貸の一軒家という物件はもともと少なく、選ぶという余裕もあまりなかった。「Zillow」は気になった物件があると、まずはウェブ上で見学希望のリクエストを送る。そこから毎回アレックスというAIブローカーにつながり、無機質なAIメッセージを交換したあと、地元のブローカーを紹介してもらい見学の予定を組む。でもこの家の時はアレックスにつながらず、ジムとジュリーという人物につながったのだ。彼らは「ハロー」から始まる普通のメッセージを送ってきてくれて、思わずブライアンに「人間がいる!」と叫んだほど。

その家は、アップステート・ニューヨークに住んでいる友達のエヴァンとリュータスの家から車で40分、フードプロジェクト「Chiso(チソウ)」を立ち上げた時からの付き合いであるダイムス・デリのザックとソフィーのアップステートの家まで1時間という距離。さらに、ジャーナリストの佐久間裕美子ちゃんの通称“山の家”は、偶然にもソフィー達の家の向かいだった。そして、ニューヨークでもご近所だった私達のライフハッキングのボスであるロスのキャビンは、20分で行ける距離だったのだ。

見学に行ったのは2021年1月のはじめ。コロナはまだまだ猛威を振るっていたので、ジムとジュリーに初めて会った時はお互いにマスク越しだったけれど、彼らはこちらの気が抜けるほど感じが良かった。最初に連絡を交換した時に、私のホームページを見てくれたようで、「Chiso」のこともすでに知っていて、「気に入ったのならすぐに引っ越してきてもいいよ」と言ってくれた。1800年代のファームハウスを改築した二階建ての家は、大家のジュリーが育った場所。36エーカー(約14万平米)の敷地にあり、2000スクエアフィート(約185平方メートル)の広さで、2つの納屋と6つのベットルームがある。ジムは、前のテナントが使っていなかったクラッシックな暖炉を使えるように、そしてガーデン用のスペースを作るとも言ってくれた。壁はブラウンカラーとクリームの2トーンで、窓も多く、そこからの眺めはとても美しかった。ベーシックな部分はエヴァンとリュータスの家と似ていたのも安心材料の1つだった。今まで田舎暮らしをしたことがなかったから、パンデミックで鬱屈していたニューヨークでの生活から離れることは自分にとって新鮮であり、雪が残る広大なフィールドや白く雲った景色だったけれど、これから始まる自然に囲まれた新しい生活にワクワクした。当時は冬だったから木々が丸裸で、遠くの民家も見えていたけれど、春になればグリーンが生い茂り、ちゃんとプライバシーも守られるという。

真冬の引っ越しは凍えるほど寒くて、思っていた以上にハードだったけれど、ネイザンとブライアンの頑張りで無事に荷物を降ろすことができた。疲れ果てた2人は寝てしまったが、翌日にジムが来ると言っていたので、キッチンだけ片付けておこうと深夜まで荷解きをしていると、突然何かが頭の上を飛び去った…? なんとコウモリ! 暖房の使い方が分からず、部屋がものすごく暑くなって網戸が無い窓を開けていたため、偶然コウモリが入ってきてしまったようだ。寝ているブライアンを起こして、どうにかホウキで追い出すことができた。その時はコウモリが狂犬病を持っていることを知らず、あとで知って震えたが……。

1年経った今でもこの気持ちは変わらず、イエロー、ブルー、パープル、ピンク、レッド、グリーンなど季節ごとの微妙なカラーパターンの美しさを体感している。冬のサンセットはものすごく美しく、「ただ夕陽を眺めているだけ」という贅沢な時間がこの世にあったのかと気づかせてくれた。鳥のさえずりや丘の上から強く吹く風、家の周りにあるたくさんのウインドチャイムの音など、エピックな自然のリズムの中で暮らせることに感謝している。とはいえ古い家なのでメンテナンスは必要なのだが……それを引き受けてくれるジムにも感謝している。

デリバリーも来ない農村地帯だけど、車で15分の距離にニューヨークと同じぐらい、もしくはそれ以上にすばらしいスーパーマーケットとベーカリーがあった、という話はまた次回。

Edit Nana Takeuchi

author:

工藤キキ

横浜生まれ。ライター、シェフ、ミュージックプロデューサー。カルチャー誌でファッションやアートなどのサブカルチャーに関する寄稿や小説を執筆。著書に小説『姉妹7(セヴン)センセイション』、アート批評集『post no future』(すべて河出書房新社)などがある。2011年にニューヨークに拠点を移す。2014年にアートフードプロジェクト「CHI-SO-NYC」をスタート。レストランへのレシピのデザイン、フードを絡めたイベントなど食にまつわる活動をしている。2017年から音楽のプロデュースを始め、EPをリリース。2022年3月にはThe Trilogy TapesからEP『Profile Eterna』をリリース。6月には初のクックブック『I’m cooking for you』を<Positive Message>から出版。レシピのYOUTUBEチャンネルもスタートしている。 kikikudo.com Instagram: @keekee_kud

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