ジェレミー・エルキンが捉えたニューヨークストリート黄金時代のキセキ(軌跡・奇跡)――映画『All the Streets Are Silent』制作秘話

映画『All the Streets Are Silent: ニューヨーク(1987-1997)、ヒップホップとスケートボードの融合』予告編
©2021 Elkin Editions, LTD. All Rights Reserved.

音楽、スケートボードが1980年代後半からじわじわとローカルで盛り上がりを見せていたニューヨークのストリートカルチャーが、世界的に注目され始めた1990年代。ダウンタウン・ニューヨークで、「ズーヨーク(Zoo York)」というスケートボードカンパニーがスタートした。その中心人物であったイーライ・モーガン・ゲスナーがナレーションを務め、映画『All the Streets Are Silent: ニューヨーク(1987-1997)、ヒップホップとスケートボードの融合』(以下、『All the Streets Are Silent』)は進む。本作は、1987年~1997年のニューヨーク・ストリートカルチャーに着目したドキュメンタリー映画だ。

スケートボードカルチャーや音楽をこよなく愛するジェレミー・エルキンが監督を務めたこの作品は、当時の貴重なアーカイブ映像の数々と、ニューヨークのストリートシーンで活躍してきた重要人物達のインタビューを軸に構成されており、音楽、スケートボード、ファッション、アートと、現在のストリートカルチャーのルーツを知ることができる貴重なドキュメンタリー映画に仕上がっている。

そう、ニューヨーク・ローカルのストリートのつながりはとてつもなくクールで、そこから生まれたカルチャーは、間違いなく世界へ影響を与えたんだってことを本作品から知ることができるはず。そこで今回は、日本での劇場公開に合わせて来日したジェレミー・エルキン監督のインタビューをお届けしたい。

ジェレミー・エルキン
1987年生まれ。カナダ/モントリオール出身。家族の影響で10代よりスケートボードや音楽にのめり込み、モントリオールで2000年代よりスケートボードの映像を撮り始める。その後、ニューヨークへ移住し、『VANITY FAIR MAGAZINE』でビデオ制作を担当。2018年にフランス人アーティスト、JRによるブルックリンミュージアムの短編映画『The Chronicles of New York City』の撮影と監督を務める。2017年より自身の映像プロダクションを始動。2021年、自身初となる長編ドキュメンタリー映画『All the Streets Are Silent: ニューヨーク(1987-1997)、ヒップホップとスケートボードの融合 』が公開された。
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Instagram:@jeremyelkin

12歳頃からモントリオールのスケートボードシーンの映像を撮り始める

――まず映画撮る前のお話から。どのような幼少時代を過ごしてきたのでしょう?

ジェレミー・エルキン(以下、ジェレミー):出身はカナダのモントリオールのダウンタウン、ウエストサイド。モントリオールとニューヨークは近いし、ドライブしたら真っ直ぐ行くだけ。生まれた年は、1987年。俺は3人きょうだいなんだけど、今、50歳になる兄のジョシュがスケーターでDJなんだよ。だから生まれた頃からノーチョイスで生活の中にスケートボードはあったし、歩きだして間もないころから、兄がスケートボードに乗っていた友達と一緒にスケートボードに乗ることを教えてくれたんだ。兄と、姉のロゼッタは音楽業界で大きな成功を納めているウィロ・ペロンの友達で、彼らは皆でよくクラブへいったり、バーでDJをしたり、もちろんニューヨークにもよく行っていたから、俺も子どもの頃からそういったカルチャーに感化されてきた。兄はビースティ・ボーイズなんかと一緒にバスケットボールをやったり、ウィロと姉は1990年代後半の「Rawkus Records」のオフィスと「シュプリーム(Supreme)」に俺を連れていってくれて、そこで俺の目が開花したんだよ。

――では映像を撮るようになったのはいつ頃からですか?

ジェレミー:12歳の頃にスケートボードのビデオを撮り始めてからかな。俺が育ったダウンタウン・モントリオールのウエストサイドにいたスケーター達のスケートビデオ。1998、1999年頃はまだ誰もこのスケーター達を撮影していなかったから、親父にビデオカメラを借りて撮り始めたんだよね。俺からしたらスケートビデオで観ていたカリフォルニアとかのスケーターの滑りよりもいいと思ったから、映像に残したいと思ったんだ。それが進化して今に至る感じだよ。

――映像は独学ですか?

ジェレミー:スケーター達をどう撮ればいいのかは、VHSテープを観てチェックしたよ。モントリオールには小さいけど良いスケートボードシーンとヒップホップシーンがあって、俺が若い頃は年齢問わずバックグランドを持った人達が周りにいたから、早いうちからいろんなことを学ぶことができたんだ。

モントリオールでスケートのビデオを撮っていたのはエリック・ルボーだけだった。彼のビデオは信じられないほど素晴らしくて、彼のビデオを観てたくさんのことを学んだんだ。あとはバリー・ウォルシュマーク・ティソン。彼らはレコード、スケート、ラジカセ、ダンスホール、ダブなど、本当にヘビーにやっているんだ。彼らのやることはすべてスタイルがよくて、明快だから俺にとって大きなインスピレーションの源なんだよね。

――その後、ニューヨークに引っ越しされたのですね。

ジェレミー:そう。ニューヨークに引っ越してからはいろんなアルバイトをしながら、変わらずインディペンデントなスケートボードビデオの製作をしていたんだ。そこから『VANITY FAIR MAGAZINE』で3年間働いて表紙のドキュメンタリーを製作したりして。その後、自分のフィルムカンパニーを立ち上げて映画『All the Streets Are Silent』を撮りだしたんだ。

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ローカルで発生したカルチャーを伝えるには、オーガニックであることが鍵を握る

――『All the Streets Are Silent』を製作しようと思ったきっかけを教えてください。

ジェレミー:俺は良いと思ったドキュメンタリー映像を膨大にコレクションしてアーカイブしているんだけど、ずっとドキュメンタリーを製作してみたいと思っていたんだよ。しかも作るならこれまでに観たことのないものをとね。そうしたらイーライ(=イーライ・モーガン・ゲスナー)が貴重な映像コレクションをたくさん持っていることを知ったんだ。それでその映像をデジタル化することに決めて、映画として製作することにした。

――ということは、ジェレミーから製作したいと、イーライに話を持ちかけたんですか? 

ジェレミー:ほぼそんな感じかな。だからイーライは本作のストーリーには深くは関与していなくて、ナレーションをやってもらった。8時間ものナレーションを録音したんだよ。俺はこの映画を通じてストーリーと強いコメントを残したいと考えて、いろいろな人達にインタビューしたんだ。そしてその言葉を、いい言葉も悪い言葉もオーガニックに見せていく作業が必要だったんだ。だからもしかすると映画を観る人は、内容を理解するのが大変かもしれない。だってすごくオーガニックに編集をしているからね。

――そのオーガニックなところはスケーターという感じがします。それも東海岸の。

ジェレミー:(笑)。それは間違いないね。

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――1987年から1997年という10年にフォーカスした理由はありますか?

ジェレミー:イーライが学校に通いながらスケートボードをしていたのが1987年、そこから「クラブ・マーズ(Club Mars)」が始まり、1998年にユウキ・ワタナベとイーライが出会った。そこからイーライが手掛けた「ズーヨーク」のビデオ『Mix Tape』がリリースされたのは1997年。なので、この期間をブックエンド(挟むこと)できると思ったんだ。俺にとってこの10年間は、おもしろみのある時代なんだよね。なぜかと言うとノーデジタルの時代だからさ。

――本作を製作するにあたり、DJやスケーターなどを改めてインタビューしていますが、その中で印象に残っている方はいますか? 

ジェレミー:キッド・カプリだね。キッド・カプリは僕の大好きなDJの1人だからすごく興味があったんだけど、実際にどんな人なのかは会うまでは知らなかった。初めてニュージャージーにある彼の家の地下のスタジオを訪ねた時は、特別な気分を味わうことができたよ。

ちょうどその日にKRS・ワンがそのスタジオにいたらしいんだけど、「1時間早く到着していれば会えたのに!」とかね(笑)。今回、55人くらいにインタビューをしたけど、みんなめちゃくちゃクールだったからバッドモーメントを探すのは難しいよ。

――取材中のハプニングはありましたか?

ジェレミー:おもしろい話はたくさんあるんだけど、ここでは話せないことばかりかも(笑)。あえて話すとしたら……あ~、1ついい話がある。グループ・ホームのリル・ダップを取材した時のこと。

彼は撮影に「フィラ(FILA)」のグレーのトラックスーツに、ブラックレザーの「フィラ」のスニーカーを履いて来たんだ。そう、頭からつま先まで全身「フィラ」で決めてきて、さあどこで撮ろうかとなった時に、消火器に座ったんだよね。それでインタビューを始めたんだけど、その最中にスニーカーの箱を持った従兄弟がやってきたんだ。すると取材を中断して黒いスニーカーを脱いで、新しいスニーカーに履き替えて「準備できたぜ!」って言ったんだよ(笑)。それには「マジ!?」ってなったよ(笑)。

――撮影し始めていたのに(笑)。なぜ、履き替えたのでしょうか?

ジェレミー:黒いのは古かったからだろうね。それで近くのスニーカーショップで新しいのを買ってきて、それに履き替えたんだ。彼らはフレッシュなのが好きだからね。キッド・カプリを取材した時も「ちょっと待って」って、ピアノの上に置いてあった種類の違う腕時計を、きれいに1つずつ整えていたしね(笑)。

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――次は「クラブ・マーズ」のユウキさんについて。彼は昔からニューヨークで活躍している日本人のリアルレジェンドというイメージでしたが、本作で初めてその姿を拝見しました。

ジェレミー:彼はマドンナを発掘した人でもあるんだけど、本当に素晴らしい人だよ。今、ウエストサイドにあるホテル「ザ・スタンダード ハイ ライン」がある場所に、クラブがあったんだよ。ぜひ、ユウキのことをみんなに知ってほしいな。

――そして本作の音楽をラージ・プロフェッサーが監修されていますが、これもすごいですね!

ジェレミー:本作を作るにあたって、俺達にはお金がそんなになかったし、曲を借りるには金がかかるから、場面場面でふさわしい音をつけるにはどうしたらいいのかとラージ・プロに相談したんだ。彼はクレイジーな量のサンプルのビートを持っているんだけど、その音がどこの場面にフィットするのかを考えてくれて、しかもそれを映画用に再構築もしてくれた。これはとてもオーガニックなプロセスだったよ。

――「ズーヨーク」は、ジェレミーにとって大好きなスケートボードカンパニーだと思いますが、その魅力は?

ジェレミー:「ズーヨーク」はものすごく重要。まず東海岸を代表するスケートボードカンパニーであって、イーライがアートディレクションをしているということが素晴らしい。イーライはすごいスケーターでありライターで、「クラブ・マーズ」ではクラブのプロモーターとしても働いていた。それから名前がどんどん大きくなって、今ではレジェンド。

俺は小さい頃に「ズーヨーク」や「シュプリーム」の広告をヒップホップやスケートボードマガジンなんかで見ていて、そこに“EMG(イーライ・モーダン・ガスリー)”のタグがあって、彼の存在を知ったんだ。彼のハンドスタイルはすごく有名だったし、彼の手描きの「ズーヨーク」のロゴも驚くほど素晴らしい。で、映画の中でも触れているけど、イーライはボビートと仲が良くて一緒に成長したということも、外せない部分だよ。

低迷していたニューヨークのストリートシーンへのメッセージを込め

――なぜ『All The Streets Are Silent』というタイトルになったのですか?

ジェレミー:いくつかの理由があるんだけど。1つはコスト。最初は「212」にしたいと思っていたんだ。シンプルで覚えやすいし、インパクトも強いから。だけど「212」って、AT&Tって通信会社が使用している212(ニューヨークの市外局番)だから、コマーシャルには使えなかった。もし使うなら、莫大なお金がかかる。それとは別にイーライが「Watch your step」っていうシックなタイトルを候補に出してくれたり、他にも「シュプリーム」の人もタイトルを提案してくれた。だけど、「All The Streets Are Silent」だけ、コピーライトのコストがかからなかったんだよね(笑)。それで「パーフェクト!」ってなったのさ。

それと、コロナ禍前に映画のタイトルを登録したんだけど、当時このタイトルが候補リストに入っていた理由には、ニューヨークのストリートシーンがとにかく低迷していた時期だからというのもあったんだ。スケートボードやヒップホップの商業化やメインストリーム化が進んでいるけど、ニューヨークではすべてがはやり過ぎていた。例えば、ショーウィンドウのマネキンがラジカセとスケートボードを持っているとか、ちょっとやり過ぎだし、業界全体がものすごくダサい方向へ向かっている感じがした。そこでこのタイトルは、そういった状況に対する比喩だったんだよね。カルチャーが死んで、何も起こっていなかったから「All the Streets Are Silent」って。そんな時にコロナ禍になって、突然新しい世代の若者達が出てきた。映画にも少し出ているけど、「シュプリーム」の子達がちょうどいい年齢になり、スケートも上達していたし、今は少しクールさが出て良くなったと思う。

――スケートボード、ヒップホップしかり、今となっては世界中を巻き込みメインストリームになったと感じますが、映画の時代を今に紹介することに関して何か意識されましたか?

ジェレミー:う~ん……ほとんど考えていない。時代がどうのというよりは、自分のやりたいことに従っただけ。スケール感とか、金がゴールだとも思っていないし、そもそも儲けるためのアイデアでもないし。ビジネスのことを考えて作っていたら、クソみたいなもんになっていたと思う。俺としては、特にこの映画に関しては、とにかくやってみたいことをやってみただけだよ。

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――スケートボードとヒップホップがニューヨークというローカルのストリートでオーガニックに交わり、そこから新しいカルチャーが生まれる感じがとてもいいなと思いました。

ジェレミー:スケートボードもヒップホップも、共通するところがありながら、それぞれが異なる側面を持っていて、どちらのシーンも深い。だから一緒にレコードをディグしに行って部屋で聴いたりとか、スケートボードならカーブボックスに一緒に座ってスケートボードするとか、そういうことに中途半端に足を突っ込めないんだよね。それは自然な流れから生まれたことだから。

モントリオールで育って、ニューヨークでスケートしていた経験からすると、たいていフェイクな奴らはグループを離れていくか、「一緒にいてもいいけどスケートはするな」とか言われてしまう。周りに簡単に見抜かれてしまうからさ。

だけど今のスケートボードシーンでは、みんなすぐハグしたり、お互いの技にコメントしあったりと簡単に受け入れ過ぎてる気がする。「今初めてスケートしたの? すごいじゃん」「ハイタッチ!」なんて変だと思うんだよね。強制されたポジティブさが多いっていうか、そんなもの以前のスケートカルチャーにはなかった。

――スケートボードはオリンピックの種目になったくらいですからね。

ジェレミー:LAは昔からそういう感じはあったかもだけど、今ではそれがそこらじゅうに広がっていった感じだね。見た目がビジネスマンみたいなスーツを着ているような人もロングボードに乗っていたり、だけどそれは俺にはなんだか異様に感じるんだよ。ニューヨークの友達が、今はスケートボードの時代だけど、きっと5年たてばみんなスケートボードをしなくなるって言っていたけど。

――では最後に、映画を観る人達にメッセージをください。

ジェレミー:今ハマっていることがあるなら、とことん突き詰めてほしいね。穴に飛び込んで、学べるだけ学べって感じ。いろいろな意味で今はいい時期だと思うんだ。だから1997年~2007年の映画を誰かが俺と同じくらいの熱量を持って撮ってもいいだろうし、将来的に2017年~2027年の映画も出てきてもいいと思う。今の時代がどういう時代かをみんなに見せていいし、5年か10年おきに新しいシーンが生まれて歴史は繰り返されるから、その時代が繰り返される様を観てみるのも楽しいはず。シーンはなくなることはないし、もしかしたら今も何かの時代の真っただ中かもしれない。

あとは何をするにしても100%の力で、自分がやることにおもいっきり集中してやってみてほしい。例えば、スケートボードをただの飾りとして扱わないで、ボロボロになるまで使い倒したりとさ。スニーカーを買うために行列に並ぶ子も一緒だ……その靴を履け。そういう時代が戻ってきてほしいと願ってる。今の人達は物を大事にしすぎるし、家がまるで美術館みたいになってるだろう。レコードを買う人も同じで、買ったレコードの封を開けないでいたりするし、俺にはそれが理解できないんだ……。「一体、何してるんだ!?」ってね(笑)。

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『All the Streets Are Silent: ニューヨーク(1987-1997)、ヒップホップとスケートボードの融合』
監督:ジェレミー・エルキン
ナレーション:イーライ・モーガン・ゲスナー
音楽:ラージ・プロフェッサー
製作総指揮:デヴィッド・コー
製作:デイナ・ブラウン、ジェレミー・エルキン
https://atsas.jp
Twitter:@RegentsMovie
Instagram:@regentsmovie

Photography Atsuko Tanaka

author:

Kana Yoshioka

フリーランスエディター/ライター。1990年代前半ニューヨークへの遊学を経て、帰国後クラブカルチャー系の雑誌編集者となる。2003年~2015年までは、ストリートカルチャー誌『warp』マガジンの編集者として活動。現在はストリート、クラブカルチャーを中心に、音楽、アート、ファッションの分野でさまざまなメディアにて、ライター/エディターとして活動中。

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