俳優・三浦透子が映画『そばかす』を通して感じたこと 「属性にとらわれない価値観を大切にしたい」

三浦透子(みうら・とうこ)
1996年生まれ、北海道出身。2002年「なっちゃん」の CMでデビュー。第94回アカデミー賞で国際⻑編映画賞を受賞した映画『ドライブ・マイ・カー』(2021年/濱口⻯介監督)ではヒロインを演じ、第45 回日本アカデミー賞新人俳優賞などを受賞。歌手としても活動しており、映画『天気の子』(2019年/新海誠監督)では主題歌のボーカリストとして参加。本作の主題歌「風になれ」も収録されているセカンドミニアルバム『点描』が発売されている。
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映画『ドライブ・マイ・カー』への出演で、日本アカデミー賞新人俳優賞など数々の賞を受賞した俳優・三浦透子の初の単独主演作となる映画『そばかす』が公開された。

本作では、人に恋愛感情も性的感情も抱かない(=アロマンティック・アセクシャル)主人公の蘇畑佳純(そばた・かすみ=三浦透子)が恋をしない自分のことを周囲に理解してもらえないと悩みつつ、自分の意思と言葉で、性や心と向き合い、悩み、前に進んでいく。

主人公の佳純には共感できることも多かったと話す三浦が、映画『そばかす』への出演を通して感じてこととは? 

——『そばかす』では恋愛感情が持てない主人公、蘇畑佳純を演じてどう思われました?

三浦透子(以下、三浦):しっかりとした芯がある女性ですよね。彼女の成長を描いているお話なので、最初はどこかコミュニケーションに対して後ろ向きな描写からスタートするんですけど、一貫して強い女性だなと思っていました。それは彼女が自分と他者との間にズレを感じて生きてきた中で、「じゃあ、自分ってなんだろう?」と考えてきたからだと思うんです。自分は何が苦しくて何を望んでいるのか。そういうことをずっと考えてきたから、その違和感をクリアに理解して言語化できる。だから、コミュニケーションに対してネガティブな面がありつつも、意志の弱い女性に見えるようには演じたくないな、と思っていました。

——確かに佳純はプレッシャーを感じて生きていながらも、毅然としたところがありますよね。これまで佳純のようなアロマンティックアセクシャルのキャラクターが映画のヒロインになることはあまりありませんでした。だからこそ、演じるうえで気を使われたのでは?

三浦:確かに責任を感じていました。まだ認知の進んでいないセクシャリティなので、この映画を通して初めて知る方もいらっしゃると思います。だから、佳純が感じているような価値観をまったく理解できないんだったら、お受けしないほうがいいんじゃないかと思いながら脚本を読ませていただきました。「わからなかったけど頑張って勉強しました」というのでは無責任だな、と思ったので。でも、共感できる部分のほうが多かったんです。

——好意は持っても恋愛感情は抱けない、というのは、なかなか他者には伝わらない感覚ですよね。

三浦:難しいですよね。でも、男女間の「好き」という感情は恋愛だけ、という価値観には疑問を感じていて。例えば男の人といると、あなたたちは恋人なのか? 恋人じゃないなら今後どうなっていくのか? みたいなことでしか見られないことに違和感があったんです。だから、(アロマンティック・アセクシャルの感覚を)想像しなくても理解できる部分が自分にはあったのかもしれないですね。といっても、自分は定まっていないところもあるので、「同じ感覚です」とか「同じじゃないです」とか、どちらも言えないんですけど。そもそも恋愛感情の「好き」の定義が曖昧だから「好き」という気持ちを「友情」と「恋愛」の2つに分けることも自分には難しいし、なぜ分けなくちゃいけないのかとも思っていました。

——男女間に生まれる好意を、人は「友情」か「恋愛」に分けたがりますよね。

三浦:男女の間に友情は成立するのか? という議論は昔からありますが、あまり意味を感じません。そういう風に分けたがるのって、誰かに説明するために必要なだけって気がするんです。こういう表現の仕事をしていると、恋愛をすることで成長するとか、恋愛から豊かな感情を学ぶことができるとか、恋愛をするときれいになるとか、言われることがあるんですけど、それにも抵抗を感じていました。

——映画で描かれる「好き」も恋愛か友情か。だから、アロマンティックアセクシャルの方々の感覚が理解されにくいのかもしれません。

三浦:アセクシャル、アロマンティックの方達の悩みとして一番大きいのが、周りに信じてもらえないことだそうです。「ない」ことを証明するのはすごく難しい。周りの人から「まだ本当に好きな人に出会えてないだけなんじゃない?」と言われても、そうじゃないということを証明することができないと。自認することも難しいセクシャリティだそうです。だから、まず、このセクシャリティについて知ってもらうことが必要で、この映画の企画が立ち上がった理由の1つはそこにもあります。この映画を製作するにあたって、当事者の方々から意見を頂いて、それを映画に反映させています。誠実に向き合ったということは自信を持って言いたいです。でも、だからといって堅苦しい話ではないし、セクシャリティのことだけを描いているわけではありません。

「普通ってなんなんだろう?」

——そうですよね。うつのお父さん、ゲイの同僚、AV女優の元クラスメイト。それぞれ生きづらさを感じている登場人物が佳純の周りにいて、それぞれの交流を通じて佳純は自分自身を見つめ直していきます。

三浦:佳純は優しいんですよ。自分が感じてきた生きづらさみたいなものに自覚があるからこそ、他人が感じている周囲とのズレみたいなものに対して寛容だし、そういう彼女にだから何か話してみようって思う人が周りにいるのかなって思いました。ありのままの自分を人に見せることって、すごく難しいことですから。

——三浦さんご自身もそうですか?

三浦:私自身もそう感じて生きてきました。「普通ってなんなんだろう?」って、漠然と子供の頃から考えてきたような気はします。学校生活もルールがいっぱいあって、すごく難しかったです。どうしてみんなが受け入れられることを自分は受け入れられないんだろう?って考えたこともありましたし、みんなが気にならないことが気になってしまったりもしました。でも、そんな自分が特別だともあまり思わないんですよね。そう感じて生きている人って、わりとたくさんいるんじゃないかなって思っていて。

——そうですね。そんな風に感じながらも、世間に合わせて生きている。

三浦:「こちら」と「あちら」って、簡単に線を引けるものではないと思うんです。AV女優をやっていた友達とか、会社でうまく行かなくて家で引きこもっているお父さんとか。いろんな理由で「自分はマイノリティーなんじゃないか」と感じている登場人物達の姿に、(映画を観た人は)「自分もそうだな」と思える瞬間がきっとあるんじゃないでしょうか。

——みんな、それぞれ違っていて当たり前なのに、社会生活を送っていくうえで「普通」という基準を意識しなくてはいけなくなるんでしょうね。お母さんが佳純に「30歳過ぎたんだからそろそろ結婚しなさいよ」というのも、普通の物差しを使って生きているからで。

三浦:そうですよね。これまでお母さんが、「普通」を意識させる社会の視線を浴びながら生きてきたからだと思います。だからと言って、お母さんが間違っているわけでもないし、「結婚したほうがいい」と言っている人を非難するつもりはなくて。人それぞれに考え方があって、みんな違うんだっていうシンプルなことだと思うんですよ。自分が理解できないからって、それが間違っていると思うのは乱暴だし、そういう風に自分に対しても思ってほしくない。

——自分に理解できないものを受け入れる寛容さ。それは今の世界に求められていることでもありますね。そんな中で、佳純のお母さんはなんとか佳純を結婚させようとするし、妹は佳純をレズビアンだと思うことで納得しようとする。みんな佳純のことを思っているのに、佳純はありのままの自分を受け入れてもらえません。

三浦:そこが難しいところですよね。家族のみんな佳純のことを愛しているけど理解できない。妹が「わかるように説明してよ!」って佳純に詰め寄るシーンがありますけど、そうすると佳純は妹がわかるものに自分をあてはめなくてはいけない。何かラベルを貼らないと理解してもらえないというのは悲しいです。この映画は、自分自身の偽りのない姿を見せて、自分で自分を肯定できるようになるまでの成長を描いた物語だと思います。

——どうしても、人は自分がわかるものに仕分けようとしてしまいますからね。そんな家族のなかで、うつのお父さんと一緒にいる時は、佳純はどこかホッとしています。

三浦:たぶん、お互いに家族の中で話しやすい存在だったんじゃないでしょうか。どちらも、「無理に話さなくてもいいよ」という距離感で相手に接することができる人。妹も佳純を否定しているわけではないんですけど。「説明してよ」と迫るのはわかりたいという気持ちからで、基本的に優しい家族だと思います。そこが難しいところでもありますが。

——だからこそ、佳純は家族と一緒に暮らしているのかもしれませんね。いつか理解してくれるかもしれない、という望みを抱きながら。映画を観て、玉田監督が日常の感覚を大切にして撮っているのが伝わってきました。だから、セリフも日常的な言葉が使われているし、さりげない会話から人間関係が見えたりもする。監督の演出はいかがでしたか?

三浦:演技の演出に時間を割いてくださって、リハーサルもしっかりやらせて頂きました。玉田さんは劇団を主宰されているんですけど、舞台で演出される時は脚本をあて書きされているそうなんです。役者のパーソナリティーを知ったうえで演出したい、という思いがあるそうで、すごくコミュニケーションを大事にしてくださいました。「脚本を読んで湧いてきた疑問や違和感があれば遠慮せずに言ってください」と言ってくださって、そういう話もしやすかったです。

歌手としての三浦透子

——監督と俳優の間で、ちゃんとコミュニケーションが取れていることが映画からも伝わってきました。今回、映画の主題歌「風になれ」を三浦さんご自身が歌われていますが、作詞作曲を羊文学の塩塚モエカさんにお願いしたのは三浦さんの提案だったそうですね。

三浦:この映画の主題歌の話を頂く前から、いつかご一緒したいと思っていたんです。ただ、羊文学のバンド・サウンドは自分にとってチャレンジだったので、「どんなふうになるのかな?」とずっと考えていて。そんな中で、この映画のラストシーンを撮った時に〈モエカさんにお願いしたい!〉と思ったんです。佳純の新しい人生が始まっていく、そんなラストだったので、自分も何か新しいことにチャレンジした歌にしたいと思えたんですよね。そして、自分の音楽としてだけじゃなくて、映画の音楽として、より幅広い人に届けなければいけない。映画の主題歌だからこそ、チャレンジできた曲だと思います。

——曲を依頼するにあたって、塩塚さんと映画の話はされたんですか?

三浦:映画の撮影で自分が感じたことや役の話をしました。あと、これは佳純として歌う歌ではなく、三浦透子の楽曲として作って頂いた曲なので、わりと自分の話をしたような気がします。でも、それはいつもそうしたいなと思っていて、曲を書いて頂く方には、まず自分を知ってもらう時間を設けていただいてるんです。生い立ちを話すときもあれば、自分がその時に興味があるものの話をして、そこから生まれた曲もあります。

——曲にアーティストが感じた三浦さんのイメージが反映されているわけですね。最近、最新ミニアルバム『点描』がリリースされたばかりですが、塩塚さんをはじめ、小田朋美さん、butajiさんなど、さまざまなアーティストが曲を手掛けられています。すべて三浦さんご自身のリクエストだったのでしょうか。

三浦:もともと好きで聴いていた方、提案してもらってデモを聴かせて頂いてお願いした方もいます。そのデモというのは、私のための曲ではなくて、ご自身の活動の中で作られたものを聴かせてもらいました。お願いするに至る過程はさまざまですけど、最終的には私が「やりたい」と思った方にお願いしています。

——最近ではシンガーとしても注目を集めていますが、歌とお芝居では向き合い方に違いはありますか?

三浦:プロジェクトを進めて行く過程に関われるっていう部分では、音楽は自発的な活動ではあると思うんですけど、表現するっていうことに関して言えば、あまり違いは感じていなくて。頂いた脚本、頂いた曲があって、それを自分の言葉にして表現する。そういった意味では、音楽もお芝居も同じ行為だと思っています。

——そんな中で「風になれ」は、俳優の活動と音楽活動が交差したような曲ですね。三浦さんの歌でありながら、そこに佳純というキャラクターも感じさせて。

三浦:これまでの曲の作り方で映画の曲を作っても大丈夫だと思えたのは、自分が大事にしてきた価値観と通じるものが、この映画にたくさんあったからだと思います。男性性や女性性、年齢などにとらわれない価値観を大切にして活動していけたらと思っています。

『そばかす』

■『そばかす』
2022年12月16日から新宿武蔵野館ほか全国公開中
出演:三浦透子、前田敦子、伊藤万理華、伊島空、前原滉、前原瑞樹、浅野千鶴、北村匠海(友情出演) 、田島令子、坂井真紀、三宅弘城
監督:玉田真也 
企画・原作・脚本:アサダアツシ 
主題歌:三浦透子「風になれ」(EMI Records/UNIVERSAL MUSIC)
製作幹事:メ〜テレ 
配給:ラビットハウス
製作プロダクション:ダブ
2022 年/日本/カラー/アメリカンビスタ/5.1ch /104 分©2022「そばかす」製作委員会 (not) HEROINE movies メ〜テレ 60 周年
https://notheroinemovies.com/sobakasu/

Photography Takahiro Otsuji

author:

村尾泰郎

音楽/映画評論家。音楽や映画の記事を中心に『ミュージック・マガジン』『レコード・コレクターズ』『CINRA』『Real Sound』などさまざまな媒体に寄稿。CDのライナーノーツや映画のパンフレットも数多く執筆する。

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