渡邊琢磨 × 内田也哉子対談 後編 作曲、譜面、出会いーー2人の創作源を探る

現代音楽、ポップス、映画音楽など、ジャンルの壁を越えて活動する音楽家、渡邊琢磨。エッセイスト、翻訳家、俳優などさまざまな顔を持つ内田也哉子。かつて、sighboatという音楽ユニットを一緒にやっていた2人が久しぶりに再会して語り合った。その対談を2回に分けて紹介。前編では渡邊の新作『ラストアフターヌーン』の魅力に迫った。後編となる今回は、多才な2人の創作の原点を探る。新型コロナの影響で自宅にいることが多くなる中、そうした環境の変化は2人にどんな影響を与えたのか。2人を創作に駆り立てるものはなんなのか。アール・ブリュット、手品、ピアノなど、さまざまなキーワードから両者の創作に対する姿勢が浮かび上がる。

コロナ禍での制作・生活から見出したもの

――渡邊さんの新作『ラストアフターヌーン』はコロナ禍の中で制作されたわけですが、コロナは創作活動にどのような影響を与えましたか?

渡邊琢磨(以下、渡邊):パンデミック直後に、映画音楽の仕事を2本進めたのですが、監督との打ち合わせをZoomで行ったり、いろんなトライアルをしました。とにかく臨機応変に、直感的に動くしかない状況でしたね。それが結果的に作品にどんな影響を与えたのか。今はそのフィードバックを確認しているところです。

――試行錯誤しているところなんですね。

渡邊:そうですね。周りの友達と話をする中で、「こういうやり方を試してみよう」と自然発生的に生まれることを重視したいと思っています。例えば演奏した音源をデータで送ってもらって、それをこちらで用意したトラックに合わせてみたり、別々の場所で録った音源をまとめてみるとか。そういう実験もおもしろいかなと。

――苦境の中でこそ、新しいアプローチが生み出されるのかもしれないですね。内田さんはいかがですか?

内田也哉子(以下、内田):なるべく外に出ない、他者との接触を避ける、という状況でこれまで生活したことがなくて、特に最初の緊急事態宣言の時に体験したことは私に影響を与えていると思います。例えば私には10歳の子どもがいて、「粘土で作るから最後まで見てて」とか言うんですね。いつもだったら、忙しいと思って言い訳を作って付き合わないんですけど、宣言が出て家にいる期間は時間がたっぷりある。だから何も考えないで子どもの作っているものを眺めていようと思った時に、なんとも言えない開放感があったんです。これまで私は、何をそんな急いで生き切ろうとしていたんだろうって。

――立ち止まって考えることができた?

内田:子どもって目の前のことだけに集中して生きているじゃないですか。まさに“ビー・ヒア・ナウ”そのもの。その喜びを共有することの尊さって言うと大げさかもしれませんが、大切さに気づきましたね。あとは家に古いピアノがあるんですけど、それを息子と2人で練習してみたり。それは何かを成し遂げるためじゃなくて、鍵盤をポーンと鳴らした音が自分の中で反響することの喜びを感じていた。つまり、いろんなインフォメーションがそぎ落とされた状態の中で五感が研ぎ澄まされていった気がしたんです。私はまがりなりにも文章を書いていて、それを読んで誰かが何か感じてくれたらいいな、と思っているんですけど、今自分が生きていて文章を書けることやピアノで音を出せること、目の前にいる子どもの息遣いを見守れることの大切さに、これまであまりにも無自覚だったなって思いました。そういうことって生きていくうえで基本中の基本なのに。

2人の創作の原点とは?

――それは大きな気付きですね。

内田:あと仕事で印象的だったのは、ナレーターをやっているNHK Eテレの『no art, no life』という番組。そこでアール・ブリュット(アウトサイダー・アート)と呼ばれるような、独学で作品を制作している方を紹介しているんです。例えば床屋のおじさんがずっとお面を作り続けていて、部屋の壁一面、色とりどりのお面が並んでる。おじさんはそのお面を誰かに見せたい訳でも何かを表現したいわけでもないんです。おじさんにとってお面を作ることは、食べたり寝たりすること同じなんですよ。

――彼らにとってアートは生活の一部になっているわけですね。

内田:そうなんです。そういう人達の姿を見ていて、表現するってそもそもどういうことなんだろうって考えたりもしたんです。それで聞いてみたいんですけど、琢磨さんにとってクリエイティヴィティのモチベーションってどこにあるの? 私なんて結構ブレブレなんだけど、琢磨さんはスッと自分の原点に戻って創作することができる?

渡邊:僕は制作のプロセス自体がおもしろくて、作品が完成してしまうと、もう次のことを考え始めてしまう。作った作品を世の中にリリースするというのは制作とは全然違う回路だし、自分があまり得意ではない部分というか。作ったものをどう着地させればいいのかは、いつも悩むところです。

内田:じゃあ、作った音楽をライヴで演奏するっていう行為はどういう位置づけなの?

渡邊:個人的には、アルバムとしてリリースした楽曲はそこで完結しています。ライヴで演奏をするのはおもしろいけど、アルバム曲のリプレゼンテーション(再現)は難しいですし、個々の機会やフォーマット相応の音楽があると思うので。ライヴを制作の場としても活かしたいなと。それを記録して、1つの作品としてリリースするための。

内田:まったく別物としてね。

渡邊:そう。自分にとって制作すること自体が、制作の動機です。僕は子どもの頃、手品師になりたかったんです。手品も音楽の演奏と同じで技術が必要じゃないですか。だけど手品のコンテクストを知っていく過程で、技術を磨くよりも手品セットを作ることに興味が移っていったんです。自分独自のマジックを作って、取扱説明書も作る。そういう作業と(曲作りは)けっこう似てると思います。

――音楽を聴くと別の世界が浮かび上がってくるのは、手品のイリュージョンのようでもありますね。

渡邊:僕は音楽制作にコンピューターも使いますが、作曲のツールはやはり譜面が基本です。譜面を書いたり読んだりした時に、イメージが立ち現れる感じが好きなんです。譜面に音符を書くというのは、五線紙と鉛筆があればできるシンプルなことですが、その音の記号の向こうに別の世界が広がっている。そこがおもしろい。

「出会ってしまった運命を信じているんです」(内田也哉子)

――渡邊さんの原点が手品というのはおもしろいですが、内田さんにとって創作の原点と思えるものはありますか?

内田:私は完全に成り行きですね。琢磨さんに出会って歌とか朗読を始めたり、私の手紙を読んだ秋山道男さんに「エッセイを書いてみなさい」って言われて始めたり。私は常に受け身で上昇志向もなくやってきたんですけど、出会ってしまった運命を信じているんです。そういうものにインスピレーションを受けるのも楽しいし、思いがけなく起こることへの期待というのはいつもありますね。

――出会いが原点?

内田:そうですね。すべては人との出会いから始まってますね。

渡邊:『会見記』(リトル・モア)っていう本があるぐらいだからね(笑)。

内田:そうね(笑)。私は絵本も書きますけど、まず絵を見せてもらって、そこからようやく物語が書けるっていうか。ゼロからこういう物語を書きたいっていう気持ちはないですね。何かを表現したいとかっていう欲求がないから。だから琢磨さんみたいに「純粋に自分が作りたいもの」という聖域みたいなものを持ってる人ってカッコいいと思う。私は一生そうはなれないから憧れます。

渡邊:逆に自分は「そういうものがなかったら、どうしたらいい?」っていう強迫観念みたいなものがありますけどね。作業してないと落ち着かないというか。

内田:ワーカホリックみたいな?

渡邊:ワーカホリックっていうのかな。そういう面もあるとは思うけど、頼まれた仕事ではない自分の音楽制作に関しては、日課みたいなもので。そういう作業を毎日続けているのって勉強とか練習とは違うじゃないですか。例えばピアノは毎日弾いていないと弾けなくなってしまうけど、そうならないために毎日弾くのは好きじゃなくて。だから最近、ピアノは手放しました。

内田:えーっ! それって衝撃発言。手放したってどういう意味? 興味が離れていったっていうこと?

渡邊:うーん……ピアニストというあり方にもう固執していない気がします。

内田:どれくらい弾いてないの?

渡邊:半年以上、弾いていないかも。

内田:すごーい! この間、坂本龍一さんと電話で対談(『週刊文春WOMAN』2021年春号 文藝春秋)したんですけど、若い頃はコンサートを練習だと思ってたって。そんな生意気な自分もいたんだよっておっしゃっていて。でも、今は体力の衰えを感じていて、毎日ちゃんと練習していないと本当に弾けなくなっちゃうから、ちょっと恥ずかしながらできるだけ弾いてます、とおっしゃってましたね。

渡邊:僕はピアノを弾き始めたのはだいぶ遅かったので。

内田:何歳でしたっけ?

渡邊:16歳くらいですかね。クラシックの世界だと遅過ぎるでしょう。それに自分にとってピアノはタイプライターとかと一緒なんですよ。つまり音楽を書くための道具の1つで、鍵盤を押せるくらい指が動けば十分。最近パソコンのキーボードを触る時間がどんどん増えきてるけど、気持ちの上ではピアノを触るのとあまり変わらない。

内田:そうなんだ。じゃあCOMBOPIANO(渡邊の音楽ユニット)はなくなっちゃったの?

渡邊:なくなってないですね(笑)。(メンバーの)内橋(和久)さんと千住(宗臣)くんに聞いてみないとわからないけど、今は動いてなくても何かのタイミングでまた集まるかもしれない。映画を作る時みたいに、パッと人が集まってアイデアを出し合いながら作り上げて、終わると「お疲れさま」って去っていく。そういう関係性は嫌いじゃないです。常に一緒に何かをやってなくてもいい。

――バンドというより、ソロ・プロジェクトみたいなほうが動きやすい?

渡邊:そうですね。ただ、今の自分は内橋さんや千住くんと一緒に演奏できるほどピアノが弾けないです。少し練習しないと。

――今の渡邊さんだったらピアノとは違う形での参加になるかもしれないですね。sighboatをまたやるとしても、過去の作品とは違ったものになりそうです。

内田:それはやってみたいなあ。

渡邊:セカンドを出したのが2010年でしたっけ? それから3人それぞれにいろんな変化があったから、それがどんなふうに音に現れるのかすごく興味はあります。

内田:「アルバムを作りましょう!」っていうことじゃなくても、「1曲、リモートでなんか作ってみない?」って、それぞれが自分の生活を送りながらやってみると意外と軽やかにおもしろいものができるかもしれないですね。

渡邊:良い意味でsighboatらしさみたいなものは特にないので、その時々にやりたい音を出せばいい。だから、昔と全然違うアプローチにもなると思うし。過去の2作とは全く関連性のない、音楽的にも脈絡のないようなことをやってみたいですね。

内田:その冒険に、ぜひ私も乗り込んでみたいです!

渡邊琢磨
音楽家、作曲家。1975年宮城県仙台市生まれ。高校卒業後、アメリカのバークリー音楽大学へ留学。帰国後、国内外のアーティストと多岐にわたり活動。2007年、デヴィッド・シルヴィアンのワールドツアー、28公演にバンドメンバーとして参加。自身の活動と並行して映画音楽を手掛ける。近年では、冨永昌敬監督『ローリング』(2015)、吉田大八監督『美しい星』(2017)、染谷将太監督『ブランク』(2018)、ヤングポール監督『ゴーストマスター』(2019)、岨手由貴子監督『あのこは貴族』(2021)、横浜聡子監督『いとみち』(2021年6月公開予定)、堀江貴大監督『先生、私の隣に座っていただけませんか?』(2021年9月公開予定)、他。2021年5月にはアルバム『ラストアフターヌーン』をリリースした。

内田也哉子
1976年東京都生まれ。エッセイ執筆を中心に、翻訳、作詞、バンド活動のsighboat、ナレーションなど、言葉と音の世界に携わる。3児の母。近著に脳科学者・中野信子との共著『なんで家族を続けるの?』(文春新書)など。絵本の翻訳作品に『ピン! あなたの こころの つたえかた』(ポプラ社)、『こぐまとブランケット 愛されたおもちゃのものがたり』(早川書房)、『ママン-世界中の母のきもち-』(パイイン ターナショナル)などがある。季刊誌『週刊文春WOMAN』にてエッセイ「BLANK PAGE」を連載中。NHK Eテレ「no art, no life」では語りを担当している。

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author:

村尾泰郎

音楽/映画評論家。音楽や映画の記事を中心に『ミュージック・マガジン』『レコード・コレクターズ』『CINRA』『Real Sound』などさまざまな媒体に寄稿。CDのライナーノーツや映画のパンフレットも数多く執筆する。

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