現代音楽、ポップス、映画音楽など、ジャンルの壁を越えて活動する音楽家、渡邊琢磨。エッセイスト、翻訳家、俳優などさまざまな顔を持つ内田也哉子。かつて、sighboatという音楽ユニットを一緒にやっていた2人が久しぶりに再会して語り合った。その対談を2回に分けて紹介。前編となる今回のテーマは、渡邊の新作『ラストアフターヌーン』について。sighboatのメンバーでもあったベーシストの鈴木正人や、徳澤青弦、波多野敦子など日本を代表する弦楽奏者達。アメリカの声楽家、ジョアン・ラ・バーバラ。ビョークやデヴィッド・シルヴィアンとのコラボレートでも知られる音楽家/ソフト開発者、アキラ・ラブレーなど、多彩な面々がゲストで参加して、マスタリングをジム・オルークが担当した本作は、どのようにして生まれ、内田はそれをどう聴いたのか。ストリングスとエレクトロニクスが溶け合う、その不思議なサウンドの魅力に迫る。
sighboatの結成経緯
ーーこうして2人で話をされるのは久しぶりだそうですね。
内田也哉子(以下、内田):私は2012年から2018年までロンドンに住んでいたんですけど、渡英して以来だから、10年近く会ってないですね。だから今日は久しぶりでドキドキしてます。昔の恋人に会ったみたいで(笑)。
――2人が一緒に音楽をやるようになったきっかけは、イベントで共演したことだったとか。
内田:そうです。(ジャン=リュック・)ゴダールのイベントがあって、そこで私が映画のスクリプトを朗読することになったんです。でも、私はゴダールはそんなに詳しくないし、どうしようかと思ってイベントに出演するアーティストの方のアルバムを全部聴いてみたんです。そしたら、COMBOPIANO(渡邊の音楽ユニット)に衝撃を受けて、コラボレートしてくれませんか? ってお願いしたんです。私が朗読して、琢磨さんがピアノ弾いてくれたんだよね?
渡邊琢磨(以下、渡邊):そうですね。その後、他のイベントでも共演するようになって、朗読をお願いしたり、少し歌っていただいたりしたんです。そういうことを経て、何か一緒に音楽作品が作れるんじゃないかと思うようになって。最初は也哉子さんのソロというか、何か企画ものを作るのはどうだろうと思っていたんですけど、也哉子さんから、バンドがやりたい、と。
内田:ソロなんて絶対イヤだもの(笑)。なんとか琢磨さんや(鈴木)正人さんを巻き込みたいと思って。
2. 内田也哉子 Photography Chikashi Suzuki
――それでsighboatがスタートして、2枚のアルバムをリリースされましたが、音楽活動をされてみていかがでした?
内田:ずっと音楽に憧れを抱いていたんですけど、自分は割とメジャーな音楽を聴いて育ったんです。小学生の頃、最初に買ったアルバムがビースティ・ボーイズの『ライセンス・トゥ・イル』だったり、その後、レディオヘッドとかレッチリを聴くような感じで。でも、琢磨さんや正人さんは音楽の関わり方が私とは全然違った。だから、そこにどうやってついていこうかと。でも、私は全くの素人だったので、あるがままにいることで素材として調理してもらおう思っていました。
渡邊:そういえば正人君とコンポーザー会議みたいなことをしましたね。どういう音楽が也哉子さんに合うんだろうって。
内田:えーっ、知らなかった!
渡邊:1枚目を作ったあと、也哉子さんが、もっとロックっぽい音楽も作りたいと言っていたので、2枚目を作る際、前作になかった方向性を正人君と相談したり、ギタリストの内橋和久さんやドラムの千住宗臣君にゲスト参加していただいたり。
内田:そうかあ。今から振り返ると貴重な体験をさせてもらったなって思います。
『ラストアフターヌーン』が描く「シームレスな世界」
――そこから時が流れて、渡邊さんの新作『ラストアフターヌーン』がリリースされたわけですが、内田さんはアルバムを聴いてどんな感想を持たれました?
内田:この10年、私は大きな海を漂流していたんだなって思いました。どういう意味かというと、私には子どもが3人いて、エッセイを書くとか、ちょっとした創作活動はしているけど、基本は生活者として生きてきた。常に自分以外の人のことを考えている、というマインドセットの中で時間が流れてきたんです。『ラストアフターヌーン』を聴いた時、同じ年代で、同じ年月この地球で生まれ育ってきたけど、琢磨さんは孤独と向き合って、そこで溺れちゃうんじゃなく、孤独の井戸みたいなところから必要なものをくみ上げてきたんだなって思いました。
――孤独の井戸、ですか。
内田:抽象的な感想になってしまうんですけど、私は家族が増えたので、常に家族やそれを取り巻くコミュニティーの一部になっているので孤独を感じづらいリズムで生きている。琢磨さんはアーティストだから、いくらでも孤独の井戸を掘り続けられるというか。その結果、私みたいに違うリズムで生きてきた者がこういうアルバムを聴いた時に、全然別の次元の世界を知ることができてとても開放感があったんです。でも、それは「知らない世界の扉を開けてくれてありがとう」という感謝だけじゃなく、同時に底知れない恐怖みたいなものも感じるんですよね。
――それは、どんな恐怖なのでしょう。
内田:それは琢磨さんの孤独から受ける私の印象なんです。今回、ミュージック・ビデオも作ってるじゃないですか。あの映像もどこか気持ち悪いというか、居心地悪い世界だった。ジメジメして暗い感じがするんだけど、ぼんやり明るいというか。絶望のどん底ではなく、希望に溢れているわけでもない。その両方を行ったり来たりしている感じ。とにかくスケールが大きくてなんにも似ていないその感じを、私は孤独と感じたんです。もうちょっと良く言えば「孤高」というか。琢磨さんは強靭な精神の持ち主なんだなって思いました。
――なるほど。とても深いところまで聞き取られたんですね。作者としてはいかがですか?
内田:作者に聞いてみよう!(笑)
渡邊:いやあ、これ以上、何か言えることあるかな(笑)。これまで、僕は他者との共同制作や何かしらの機会に向けて音楽を作ることが多かったんです。也哉子さんとか、キップ・ハンラハンとか、デヴィッド・シルヴィアンとか。だから、自分1人で時間をかけて作りたいものを作るようになったのは、ここ最近のことかもしれません。そういう点で、このアルバムは内省的なところがあるかもしれないですね。
――その内省的なところが、内田さんが感じた孤独感につながっているのかもしれないですね。
渡邊:このアルバムは2014年くらいから継続的に作曲してきたものの中から、最終的に残った8曲を収録したんですけど、毎朝起きると1小節でも音符を譜面に筆記する……ということを続けてきたんです。なので特にコンセプトがあったわけではなく、制作自体が動機になっていたというか。そうして書いた曲を、梶谷裕子さん、須原杏さん、徳澤青弦君、千葉広樹君という4人の弦楽奏者に演奏していただいて、そしてツアーを行ったことが、アルバムを作る上で1つ大きなきっかけになっています。彼等がどんな音を出すのかイメージしながら書いた曲もあるので。
――渡邊さんは2014年に弦楽四重奏を結成していますが、この4人がメンバーなのでしょうか。
渡邊:そうです。当時、ヨハン・セバスチャン・バッハの研究をしていて、対位法の独習というか習作を書きたいというパーソナルな動機から結成したんです。
内田:はい! 先生、対位法というのはメソッドのことですか?
渡邊:そうです(笑)。複数の旋律を調和するように動かしていくというような。ある人はバスを奏でて、もう1人は内声部の旋律を演奏してというふうに。
内田:その対位法はバッハが生み出したの?
渡邊:最初期の聖歌や教会音楽にも起源はありますし、バッハが生み出したわけではありませんが、バッハの作品は集大成的といいますか。そういう書法の研究などは、カルテットを始めて2年くらいの間に作品化という形で一定の成果が出たと思いますし、映画音楽の仕事などにも転用しました。それから作曲の興味がマイナーチェンジしていって、テクスチャーとかムードとか、そういうことにフォーカスするようになりました。その過程で、弦の響きがコンピューターを通過した時にどういう音を生成するか、ということに関心が向かうようになったんです。
内田:このアルバムって最初はデジタルな感じに聞こえるけど、体の中を通したあとに残るのはオーガニックな感触なんですよね。全く対極の世界が実は根底でつながっていて、そこを自由に行き来しているというか。だから、アルバムを聴いていて「ここで感じる有機的なものってなんだろう?」って思っていたんですけど、日常の中で曲作りをしてきたことや、演奏家に向けてパーソナルな思いを込めていたことを知って、なるほどなって思いました。
――2つの世界の境界で揺らいでいる、そんな印象もありますね。アルバムタイトルは「最後の午後」ですが、昼と夜の世界が溶け合う夕暮れ時みたいな雰囲気もあって。
内田:そうですね。シームレスに世界がつながっているというか。ずっとインストゥルメンタルの曲で、途中でジョアン(・ラ・バーバラ)の声が出てきてハッとするんだけど、でもアルバム全体の構成でみると一貫性がある。これまで楽器と声って違う世界だと思っていたんですけど、それもここではシームレスにつながっているようで、なんか狐につままれたような感じ。
音響面を支える協業者と、彼等をめぐる偶然の出会い
――先ほど、音のテクスチャーに興味を持つようになった、という話がありましたが、このアルバムの音作りやミックスは独特ですよね。音が不思議な混ざり方をしていて時間や空間がゆがんでいるというか。音響面で意識したことはありますか?
渡邊:スコアに書かれた音とコンピューターが生成させる音による相互干渉から派生する作品を、アカデミズムや様式から離れて、自分なりに具体化させたかったんです。なので、真っ暗なトンネルの中を、ずっと1人で歩いていたような時期がありましたね。でも、電子音楽や現代音楽のコンテクスト上に、ヒントになる灯りのようなものが点々とあって。それを目指して歩くと、ちょっとした発見がある。(今回のアルバムは)そうやって歩き続けてきた過程でできた音像、音色でもあります。
――音像という点では、アキラ・ラブレーやジム・オルークから受けた刺激も大きかったのでは?
渡邊:大きいですね。アキラさんとコラボレートしたのは2018年ぐらいなんですけど、彼と出会ったきっかけはデヴィッド・シルヴィアンなんです。デヴィッドのツアーに同行した時、ケルン公演の後にデヴィッドから「紹介したい人がいる」と言われて。「どなたですか?」と聞いたら「アキラ」っていうから、日本人の方かなと思って会ったらアメリカ人の作曲家で。それで一緒にお茶をしたんですけど、その頃の僕は、ツアー中の疲弊と日本を離れて1〜2ヵ月たっていたこともあって、若干ホームシックになっていたもので、アキラさんに弱音というか愚痴をこぼしてしまったんです(笑)。その愚痴を、穏やかな笑顔で聞いていただいて。あとで彼のホームページをのぞいたら、すごい世界観を持ったアーティストで、自分が恥ずかしくなりました。後日、彼が開発している音楽ソフトのことやアイデアなどに興味を持って連絡を取って以来の付き合いなんですが、彼の音楽への関わり方には刺激を受けますね。ジムさんはもちろんですが、音に対するフォーカスの仕方がすごいじゃないですか。まだまだ自分に足りない部分が見えてくる。
――ジムさんのミックスは独特ですよね。
渡邊:昨今のマスタリングを基準に考えると、少し音が小さく感じるかもしれませんが、弦楽のダイナミクスや楽曲のニュアンスを一切損なわずに、適宜な音量の入ったマスターデータを作っていただいて、本当に感嘆しました。改めて音への関わり方の深度がかなり深いと思いました。
内田:余談を挟んでいいですか? 私、ジムさんのことはあまり存じあげてないんですけど……
渡邊:確か、也哉子さん一度お会いしていますよね?
内田:そう。何かのイベントの時に楽屋でお会いしたことがあるんです。突然、「内田裕也さんの娘さんですか?」と声を掛けていただいて、「彼のことが好きです」って、私の知らない映画のタイトルを羅列するんですよ(笑)。日活ロマンポルノのある作品での裕也は最高だとか、一柳慧さんの『オペラ横尾忠則を歌う』やフラワー・トラベリン・バンドがどうとか。初めて会ったミュージシャンの方から、疎遠なままだった父親のことをいろいろお話しいただいて、なんだか温かいものをもらったことがありました。
――ジムさんは本当に映画好きですからね。
内田:あと、デヴィッド・シルヴィアンのパリ公演に行ったんですよ。
渡邊:ああ、いらしてましたね。
内田:その時も琢磨さん、ホームシックになってました(笑)。
渡邊:え!そうでしたか?(笑)日本食を食べたかった覚えはありますが、まあ、ホームシックですかね(笑)。
内田:でも、演奏は完璧だったんですよ。この人は不安定な感じがおもしろいなって思って。そういえば、デヴィッドさんが琢磨さんのことを知ったのって、京都のカフェでたまたまsighboatを聴いたからでしたっけ?
渡邊:そうです。デヴィッドが京都でのコンサートの際にカフェに入ったら、店内でsighboatが流れていて、「この曲のアーティストは誰ですか?」的なお伺いがお店にあったそうで。そこから当時リリースしていた僕のアルバムにたどり着き、彼からワールドツアーのオファーがきたんです。ほんと偶然というか。
――店内のBGMがきっかけでオファーするっていうのもすごい。デヴィッドに強い印象を与えたんでしょうね。
渡邊:当時、デヴィッドはワールドツアーのメンバーを探していたみたいなんです。最初はバンドというよりも、ラップトップなどを使ってゲスト参加するような感じかと思っていたんです。最終的には過去のレパートリーも演奏することになって、ピアニスト兼ラップトップ担当で参加して、原曲のアレンジをスティーヴ・ジャンセンはじめバンドメンバーと考えたりして楽しかったですね。
内田:パリで琢磨さんがデヴィッドに紹介してくれた時、「あなたがいなかったら、僕と琢磨は出会うことがなかったんだよ」って握手してくれた。それがとても印象に残っているんです。
渡邊:僕にとっても、也哉子さんとの出会いは大きかったですね。