連載「The View My Capture」Vol.12 写真家・池田礼の解釈する写真を見るという行為と「後ろ姿」の連帯について

気鋭の若手写真家を取り上げて、「後ろ姿」という1つのテーマをもとに自身の作品を紹介する連載企画。後ろ姿というのは一見して哀愁や寂しさを感じられることが多いが、見る対象や状況によっては希望に満ちたポジティブな情景が感じられることもある。今回は大学在学中に写真を始めて、日常の風景を切り取った作品を中心に写真家として活動している池田礼。写真を見るという行為と「後ろ姿」の連帯について、彼女の解釈で表現された作品を紹介する。

池田礼
1996年、北海道稚内市生まれ。2019年、青山学院大学卒業。これまでに、個展「In Praise of Shadows (2017)」「Unknown Pleasures (2018)」を開催。
https://ayaikeda.com
Instagram:@asitusedtob

後ろ姿が紡ぐもの

後ろ姿とは、「後ろから見た人の姿」のこと。

さながら文字通りだが、今回「後ろ姿」をテーマに写真を考えるに当たって、改めて後ろ姿とは、そして後ろ姿を認識するとはどういうことか考えた。

後ろ姿には、当然その対として、正面の姿がある。

後ろ姿を「過去」、そして正面の姿とされるものを「現在・未来」と考えた時、その対の関係のなかで全てのものが双方を同時に内包している。

これはつまり、いかなる理由があっても、そこには断ち切れない関係性があり、みながそれらと共に生きているということである。

今回の主題である、「哀愁や寂しさが感じられることの多い『後ろ姿』は、対象や状況によっては希望に満ちたポジティブな情景が感じられることもある」についてだが、そう感じられることの根本は、過去の存在―自分自身の後ろ姿―を認める先に起こることにあるのではないか。

すべての行為や事象と同じように、写真は撮った途端に過去になる。

写真が写した時と、それが表すその時の姿形。

写真にはそれらをもってして、見た者にそこから生まれる感情に関連付けて過去を思考し、その蓄積を通して、現在、そして未来を更新していくことを促す一種の機能がある。

今や誰しもの手の中にある、過去の時を表すメディアを通して時間を遡ってゆくこと、そしてそれらが繋ぐ現在・未来への連続性を認める行為は、人に何を与えるのか。

過去―自身の後ろ姿―に意識を向けるということ。

意識を向けることによって、現在・未来―自身の正面の生―へと繋がっていくということ。

写真を見るという行為には、その連帯があるからこそ、豊かさを感じざるを得ないのかもしれない。

自分の人生は父親が撮った家族の写真と共に動いているということに気付き、写真に向き合いたいと思うようになった。

−−写真を始めたきっかけは?

池田礼(以下、池田):きっかけは大学生の時にカメラを買ったこと。当時は「写真を始めた」という感覚はありませんでしたが、ある時、幼少期から今まで、自分の人生は父親が撮った家族の写真と共に動いているということに気付いたことで、写真に向き合いたいと思うようになりました。

−−シャッターを切りたくなる瞬間は?

池田:特に意識することはありませんが、カメラを持っているタイミングと自分の興味が合わさった時に撮ることが多いです。

−−オンとオフで愛用しているカメラは?

池田:ともに「SONY」α7R III。

−−インスピレーションの源は?

池田:街中での出来事と本です。

−−今ハマっているものは?

池田:特にありませんが、好きなものは増えてきました。

−−今後撮ってみたい作品は?

池田:自分が写真に執着している理由を考え続けて作品を発表したいです。

−−目標や夢は?

池田:否定的になる時があったとしても、自分をとりまくものに目を凝らして、いろんなことを認めながら過ごしていければいいなと思っています。

Photography & Text Aya Ikeda
Edit Masaya Ishizuka(Mo-Green)

author:

mo-green

編集力・デザイン思考をベースに、さまざまなメディアのクリエイティブディレクションを通じて「世界中の伝えたいを伝える」クリエイティブカンパニー。 mo-green Instagram

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