映画『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』に込めた想い 監督・金子由里奈 × 原作・大前粟生 対談—前編

金子由里奈(かねこ・ゆりな)
映画監督。1995年東京都生まれ立命館大学映像学部卒。⼤学映画部に所属中から多くの映像作品を制作。2018年、山戸結希監督プロデュース企画『21世紀の女の子』で唯一の公募枠に選ばれ、『projection』を監督。翌年には自主映画「散歩する植物」がぴあフィルムフェスティバル2019に入選。 その後、ムージックラボ2019に参加、『眠る虫』でグランプリ受賞、自ら配給・宣伝も務めた。 チェンマイのヤンキーというユニットで⾳楽活動も行なっている。
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大前粟生(おおまえ・あお)
小説家。1992年兵庫県生まれ。著書に『回転草』『私と鰐と妹の部屋』『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』『おもろい以外いらんねん』『きみだからさびしい』『死んでいる私と、私みたいな人たちの声』などがある。
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4月14日から全国公開される映画『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』。大前粟生による同名小説を映画化したもので、『21世紀の女の子』や『眠る虫』で注目を集めた金子由里奈が監督を務めた。題名の通り、舞台は京都にある大学の「ぬいぐるみとしゃべるサークル」、通称「ぬいサー」。心の内にある誰にも言えない気持ちをぬいぐるみに打ち明けることで保っている彼等・彼女等のもとに、新1年生の七森(細田佳央太)と麦戸(駒井蓮)、白城(新谷ゆづみ)が入ってくる。性差別やジェンダーバイアス、いわゆる”男らしさ“”女らしさ“で測られてしまう世の中を心苦しく思う七森と麦戸、2人と心を通わせる白城。そこには社会に感じる生き辛さのさまざまがあぶり出され、まるで映画と対話するように自分に問いかけられる。彼等は言う、「もっと話さなきゃいけなかったのかな」。

京都の街を散歩しながら、幾度も対話を重ねてきた金子と大前、2人の話を、たっぷり前後編でお届けする。前編では、2人の出会いから映画化への思い、本を通じて感じた「自分自身の加害性」について話を聞いた。

京都を散歩しながら築いてきたもの。金子と大前との出会い

——金子監督が初号試写で「小説の読後感を大事に、映画を作った」と仰っていましたが、まさにその通りでした。自分の加害性や他者との対話の距離感など登場人物達の葛藤が自分自身と重なり、鑑賞後も延々と映画と対話をしているような感覚になる、素晴らしい映画でした。

金子由里奈(以下、金子):ありがとうございます。

——お2人はもともと交流があったのでしょうか?

金子:前作の『眠る虫』を京都で上映した際に大前さんが来てくださったのが、初めましてでした。共通の知り合いの方が、私に「好きだと思うよ」と大前さんの小説を貸してくださったんです。普段私が考えていることが小説で言語化されていて、あまりの衝撃と喜びで、一度お会いしたいと上映にお誘いしました。

大前粟生(以下、大前):2人とも以前は京都に住んでいたので、それから時々、一緒に京都を散歩するようになりました。

金子:そこら辺の木を指して「あれは『ハイロー(HiGH&LOW)』の日向と村山に見えますね」とか、そんな会話をしていました。

——映画の舞台も京都の立命館大学でした。

金子:出身校ということもあって、物語を構想する上で部室の感じをイメージしやすかったんです。実際に部室でずっと寝ている人がいましたし。関西の大学だと地方出身者も多いので、雑多でいい具合に知らんぷりしながら暮らしている感じを映画でも表現できたらいいなと思っていました。

——『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』(以下、『ぬいしゃべ』)の映画化は、どのような経緯でスタートされたのでしょうか?

金子:『眠る虫』を上映してから、何人かのプロデューサーさんが声をかけてくださいました。それで、映画化したい原作として『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』をいろんな人に提案したのですが、商業的な理由で難色を示されることが多かったです。「センシティブなテーマはちょっと……」と言われてしまうこともあって。

——そうですか……これだけ多様性やLGBTQ+が話題になっているにもかかわらず、製作の現場ではそういう声もあるのですね。

金子:なので、この作品が映画化して上映が始まることは、結構な奇跡だと感じています。

私自身はなんの偏見もなく、むしろ親近感のある物語としてこの小説を読みましたが、「繊細すぎる」と毛嫌いされてしまうこともあると知りました。なので、髭野さん(プロデューサー)が原作に共鳴してくださったことはありがたかったです。

——映画化するには、もっとわかりやすさみたいなものが求められるということですか?

金子:そうなんだと思います。この映画はわかりやすい成長譚でもなければ、簡潔に希望が描かれてるわけでもないし。

大前:話を交わして終わり、ですからね。

金子:言ってしまえばそうですね(笑)。ただ、私はそれが重要だと思っています。多くの人にとって新しい映画体験になったらいいなと思っています。

あたたかさと不穏なものが同居している

——大前さんは、映画を観られていかがでしたか?

大前:率直に、おもしろかったです。話の展開は原作者として知ってしまっているけれど、小説の展開ではない部分を映画として楽しむことができました。

『眠る虫』を観た時にも思ったのですが、金子さんの作品はあたたかさと不穏さが同居している感じがある。それを『ぬいしゃべ』にも感じました。例えば、ぬいぐるみを洗うシーン。ぬいぐるみを洗うという状況を想像すると、手つきも含めて微笑ましさもあるけれど、金子さんが撮るぬいぐるみが湯船に沈んでいく光景はすごく不気味で、僕は好きでした。

金子:(深呼吸)ありがとうございます。嬉しいです。

私自身、実際にぬいぐるみを洗ったことがあるんですね。「ラザロ」という、これからも人生を共にするだろうと確信している大事なぬいぐるみで、古道具屋で買ったので汚かったんです。洗ってみたら、洗う前はふわふわで柔らかかったのに、水につけると石の塊のように重くて硬い物体になることを皮膚感覚で捉えました。それは、なんていうんだろう……ただ、水を含んで重くなっているというより、ぬいぐるみの持つアンビバレントな意味を感じました。そこでの驚きや実感をシーンに入れたくて、ひとりで黙々と洗ったり、みんなで洗って段々と重たくなっていくぬいぐるみを一緒に運んだりするシーンを入れたんです。

——ぬいぐるみに対する接し方があたたかくて、擬人化しているのかなと感じました。

金子:そういう部分はありました。後半で七森がぬいぐるみを洗うシーンは、七森自身が感じているどうしようもない加害性みたいなものをぬいぐるみが代わりに洗い流してくれる意味を込めています。

——個人的な記憶として、大学受験に失敗した時にすごく苦しくて、部屋の棚に置いていたぬいぐるみを全部伏せたことを思い出しました。すべて見られてしまっているようで、「もう見ないで!」と顔を隠したんです。

金子:その気持ちはすごくわかります。存在するだけで視線を感じるものって、いくつかありますよね。私にとって大前さんの本は、見られているような存在感がありました。「あなたはこの社会で真面目にやれていますか?」と問われるんです。その本があるだけで立ち返れるというか、自分にとっての指標になっています。

大前:本自体がそうなってくれていたんですか?

金子:はい。全部の本がそういうわけではなくて、『ぬいしゃべ』は特別でした。なので、映画でも「映画に見られている」という感覚を表現したいと思っていました。そうしたら、カット割りを考えている時に自然と「ぬいぐるみ視点は〜」と言葉が出てきたんですね。映画制作において人間以外の視点を描くことを大切にしているし。実際にぬいぐるみの頭にカメラがついているものをカメラマンの平見優子さんが作ってくださったんです。そのぬいぐるみは「スタッフさん」と呼ばれていました。

大前:なるほど。だから、ぬいぐるみが彼等を見守っている、それこそ見ている感じが映画の中にずっとありました。

小説を読んだことで、自分自身の加害性と真剣に向き合うことになった

——金子監督にとって大前さんの作品は大切なものであると同時に、対峙するには根気が必要な作品だったのではないかと思います。それでも、この作品を映画化しようと思われた想いの部分を伺いたいです。

金子:そうですね……小説を初めて読んだ時に、ずっとモヤモヤしていた自分自身の加害性について、言語化された感覚になりました。思い返せば、その苦しさを見ないフリしてきたんですね。『ぬいしゃべ』はそういう、向き合うのが辛くて苦しいことを書いているのに、文体が柔らかいのでサッと読めてしまう。

——わかります。

金子:全部読み終えた時に、急に「あれ……あれ?」と戸惑いが隠せないままいろんな感情が湧いてきて、自分自身の加害性と真剣に向き合うきっかけになりました。「そうだ、ひと言しゃべるだけでも人を傷つけてしまう可能性があるよな」とか。その体験に衝撃を受けたことは大きかったです。

——七森が、麦戸ちゃんが感じている女性差別に傷ついたり、自分自身も男性として女性を傷つける可能性があることに心苦しくなったり、1つ1つの行動がさまざまな視点から語られるので、必然的に「やさしさとは?」という問いにぶつかりますよね。一方で、些細ともいわれる行動を映像として映し出すのは、難しかったのではないかと思います。

金子:私は映画を撮る上で、これまで商業映画から取りこぼされてきた人、モノ、景色を撮りたいと思っています。『ぬいしゃべ』にはそういうものがたくさん登場する。もし、これが他の誰かの手によって商業映画として撮られる時、「ぬいぐるみ」というモチーフも相まって、ポップに収まる可能性もあるなと思ったんです。

おこがましい話ですが、この小説の深度や戸惑いを私だったら取りこぼさないで作品にできる気がすると思っていました。どうなるかわからないけれど、この作品は取り乱している私が映画にしなきゃいけない予感があったんです。

大前:めちゃくちゃ嬉しいです。正直な話、僕よりも『ぬいしゃべ』という作品のことを理解してくれていたので、僕は遠くから見守っていました。

——脚本のやりとりはどのくらいされたのですか?

金子:大前さんには事前にプロットを見ていただいて、一度方向性をすり合わせてからは、こちらに任せてくださいました。

大前:プロットの段階で信頼できるなと思いましたし、僕の作品というより、金子監督の作品を見せてもらっている感じがありました。

どんなに繊細でやさしくても、人を傷つける可能性がある

——小説が映像になると、また違った感覚を受け取ると思うのですが、映画を観ている中で驚いたり印象的だったシーンはありますか?

大前:小説の登場人物が実在する、というのは不思議な感覚でした。「ぬいぐるみとしゃべる」というのは小説では違和感がなくても、映画で実写の人間たちがぬいぐるみとしゃべるのは想像ができなくて、どんな表現になるのか楽しみでした。舞台だったら、少しは想像できるんですけど。

金子:そうですよね。

大前:ですが、それぞれが持っていた要素を内在しながら実在していて、新鮮な視点でそれぞれのキャラクターを見ることができました。

——登場人物の設定で伺いたかったのが、小説と映画では七森の印象が少し違いました。小説では周囲に合わせて愛想笑いをしたり言葉を伏せたり、もう少しおびえた感じがあったのですが、映画では大事なタイミングで自分の意見をきちんと相手に伝える意志を感じました。例えば、同級生から「童貞?」とからかわれた時、「どうでもよくない?」と意見を伝える。ただ、小説と映画で七森の乖離はなく、彼の根底にあるものを映画では抽出されたのかなと思いました。

金子:そうですね……話がずれるかもしれないのですが、七森はすごく繊細で考えすぎてしまうからこそ、反射的なアクションで人を傷つけてしまうことがあると思いました。例えば、恋愛に参加できない自分に悩んでいたのに、白城に告白して付き合う。「彼女ができた」ことに一時的に本人は喜んでいたけれど、白城を自分の都合に巻き込んでいるようにも受け取れました。

後半で、自分のために告白をしたことを省みるシーンがあります。どんなに繊細でやさしくても人を傷つけてしまう。その部分を無視したくなかったですし、「傷つけるかもしれない」と怯えながらもそれでも対話をするという姿を、七森を通じて描こうと思っていました。

——傷つけるかもしれないけれど対話をする。そういうアクションをとる人物としての七森。

金子:なので、弱さの中にあるたくましさ、みたいな部分が垣間見えるようにセリフを調整したところはあります。

白城という存在については、お2人はどう見ていますか? 厳しい人なのか、現実的な人なのか。

大前:僕は、一番やさしい人だと思っています。ぬいサーのような傷つきやすい人たちとも心を通わせて、介入しようとしてくれている。傍から見ても、ぬいサーはユートピアっぽいところがあり、現実社会で生きていくには“あまい”ところもあると思います。そういう厳しさと難しさをわかっていながら、彼等と付き合うことを選択した白城の見守る視線というのは、あたたかいなと思います。

金子:私も、映画の撮影を通して白城はとってもやさしい人だと思いました。ただ、七森や麦戸ちゃんに比べて白城のやさしさはわかりやすいものではない。彼女は「引き受けるやさしさ」を持っている人だと思います。白城から出てくる言葉は強かったり平易に聞こえたりするけれど、実は本人の中でものすごくたくさんの言葉が溢れていると思うんです。そのバランスは絶妙だし、白城の人との関わり方を尊敬しています。

——白城の最後の言葉は、素晴らしいですよね。

金子:私もあのセリフが大好きで、小説を読んでいる時もびっくりしました。その驚きを映画でも絶対にやりたいと思っていました。

後編へ続く

Photography Mikako Kozai(L MANAGEMENT)

『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』

■『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』
4月14日から全国公開
出演:細田佳央太、駒井蓮、新谷ゆづみ、細川岳、真魚、上大迫祐希、若杉凩、ほか
原作:大前粟生「ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい」(河出書房新社)
監督:金子由里奈
脚本:金子鈴幸、金子由里奈
撮影:平見優子 
録音:五十嵐猛吏 
音楽:ジョンのサン
プロデューサー:髭野純 
ラインプロデューサー:田中佐知彦
製作・配給:イハフィルムズ
(2022|109 分|16:9|ステレオ|カラー|日本)
https://nuishabe-movie.com

author:

羽佐田瑶子

1987年生まれ。ライター、編集。映画会社、海外のカルチャーメディアを経てフリーランスに。主に映画や本、女性にまつわるインタビューやコラムを「QuickJapan」「 she is」「 BRUTUS」「 CINRA」「 キネマ旬報」などで執筆。『21世紀の女の子』など映画パンフレットの執筆にも携わる。連載「映画の中の女同士」(PINTSCOPE)など。 https://yokohasada.com Twitter:@yoko_hasada

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