写真家・髙橋恭司のタイムラインを振り返る -前編- イメージの断片のコラージュが言葉を紡ぐ

髙橋恭司
1960年生まれ。栃木県益子町出身。1990年代に『Purple』等のファッション・カルチャー誌や広告で作品を発表する。主な写真集は『The Mad Broom of Life』(1994)、『Road Movie』(1995)、『Takahashi Kyoji』(1996)、『WOrld’s End』(2019)、『Ghost』(2022)、『Void』(2023)等。5月14日まで京都で展覧会「Void」を開催している。

写真家・髙橋恭司の新作個展「Void」が京都の「アルトロ」で開催している。同展は髙橋が日常的に愛用している「ライカ」M8を使い、自室にいながら見える範囲を切り取ったプライベートな視点で表現している。展覧会に合わせて制作された写真集も発表した。作品集にはInstagramに投稿した写真とともに詩的なテキストも掲載されている。髙橋は写真と言葉をどう接続させるのか。一貫して写真を取り続けることに向き合ってきた髙橋のタイムラインを振り返る。

「写真もレコードも見たり、聞いたりしない時間が重要」

−−今回の展覧会「Void」のテーマについて「暗さ」、陰陽の「陰」かもしれないとInstagramに投稿されていました。写真集の最後の信号機のテキストも「渡るな」「闇」と書かれていましたがこのテーマに至ったのはなぜでしようか?

髙橋恭司(以下、髙橋):自分自身はそんなに暗くないですし、これまでの写真も特に暗いということもないです。ただ、最近はコロナに始まってウクライナへの軍事侵攻等、暗い情報が多かった時代でした。その中で、SNSも個人としてのネガティヴなものを暗に避けるような意識があった一方で、心の中にちょっとだけ暗さを感じたことがありました。どちらか片方の感情に振り切った表現は表現者としてできないので、自分の中の深いところにある“暗さ”に触れてみようと思ったことがきっかけですね。

−−作品をすべてInstagramで発表したのはなぜでしょうか?

髙橋:Instagramに投稿する行為って、誰が見ているか全くわからないわけですから、真っ暗な闇に何かを投げるようなイメージが僕にはありました。ネガティヴに感じられる写真はユーザーにはどう捉えられるのだろうか? と思って試しに投稿をしたら、2、3枚だったかな……かなり早い段階でギャラリストやスタッフの方々から「ストーブの写真が良い」とか「この作品で展示をしたい」という連絡をいただいたんです。ギャラリーと展示期間だけが決まっていて内容はこれから、という時期と重なっていました。ちょうど、その頃が忙しくて、少し体調を崩していた時期でもありました。その状況が空っぽのようにも感じていました。

−−展覧会と作品集のタイトルも「Void」(=空白、虚無)ですね。

髙橋:昨年、「LOKO GALLERY」で開催した「Ghost」では、点数は多くはないのですが、回顧展的な内容も含んでいて、キャリアの初期の頃の写真も集めていて、いくつか他の展示の準備が重なって疲れていたようなんです。友達からも「休んだ方がいい」と。自分では気付いていなかったので、そのままの勢いでやりきるつもりだったんですけどね。

−−「Void」のテーマは、髙橋さんのプライベートな視点で撮影されましたが、展示会場の「アルトロ」も部屋のような空間の印象を受けました。構成はどのように進んだのでしょうか?

髙橋:会場構成はプロデューサーの小林健さんが手掛けてくれました。フライヤーのスケジュールがかなりタイトでしたので、写真集のアートディレクションを担当してくれたクリストフ・ブランケルにお任せしたんです。すぐにデザインが届いたのですが、今回の展示作品に入っていないブコウスキーの写真が使われていました。写真集に関して、僕が決めたのはサイズとページ数だけで、写真セレクトと割り付けはクリストフ。

おもしろいのはクリストフと小林さんのセレクトした写真が1枚以外はすべて異なっていたことです。お互いに見る場所と時間も異なるので、ほったらかしというと乱暴かもしれませんが、各々が自由にしてもらうことでいろいろな可能性が広がるのだと思います。展示は実際に作品を観られるけど、期間中に限られていて。一方で写真集や本は時間を対象としないパッケージですから、レコードみたいですよね。最近、感じるのは写真もレコードも見たり、聞いたりしない時間が重要なのではないかということです。

−−昨年の「Ghost」は髙橋さんのキャリア初期の1990年代に発表されたヴィンテージプリントから近作の花の写真まで展示されていましたが、時代性や時間といった、記録という領域ではない感覚がありました。

髙橋:時間がリニアに繋がっているかどうかは、感情に左右されることがあります。例えば、昼に地震が起こった夜にまた、不安を感じたり。時間は一定ではない。「本」も閉じられている時間がある分、実際の展示とは別の鑑賞体験が生じます。コントロールできない時間が、ある作品に対しても異なる作用を与えるのかもしれません。2019年に発表した『WOrld’s End』で、クリストフはテキストを入れないという提案をしてくれましたが、今作の『Void』ではテキストもデザインしてくれたように、です。

−−『Void』のテキストを掲載する上で意識したことはありますか?

髙橋:特になかったですね。テキストはInstagramにポストしたままです。仕上がりのギリギリまで写真だけで構成するアイデアもあり、かなり流動的に作りました。翻訳に関しては、印刷工程や束見本も決めたあと、締切に間に合うかどうかわからないタイミングでしたが、「KYOTOGRAPHIE」のプログラムで海外の来場者も多く予想されるので、テキストは読める構成が理想でした。翻訳は写真研究家の安田和弘さんにお願いしました。写真集に掲載した作品の倍近くの翻訳点数があったので、ありがたかったです。

イメージの断片のコラージュが言葉を紡ぐ

−−髙橋さんの写真とテキストのマッチングが素晴らしいと感じます。セリーヌの文体破壊、アカデミズムへのアンチテーゼではないですが、どのように言葉が降りてくるのでしょうか?

髙橋:言葉は断片でイメージしています。そのイメージの断片をコラージュするような感覚はあります。一見関係ない言葉が実は線で繋がっているような。ただ、SNSは一般性が強いですので、ポジティヴな感情だけの方がわかりやすいけど、少しネガティヴな側面や違和感を巻き込まないといけないなとは思っています。

−−「Void」のすべての作品をデジタルで撮られたのはなぜでしょうか?

髙橋:単純に最近デジタルでは、作品を撮っていないからです。現在、手掛けている「生茶」の広告や『婦人画報』の連載はデジタルで撮影しているのですが、通常、Instagramには、フィルムで撮影してサービスプリントしたものを投稿しているのですが、写真集『Void』は、デジタルカメラで撮影し自分でプリントをつくりInstagramに投稿しています。そのプリントを複写するときに写り込んだ背景が、自宅のカーペットなんですが、複写をお願いした写真家とその場で試案しながら撮影しました。

−−写真集の花びらの写真は絵画のような印象を受けました。

髙橋:カーペットの背景が額縁のように見えたのでしょうか。トリミングについては、複写がかなりの枚数だったので、後にデザイナーが処理するかと思って細かなサイズは合わせずに送りましたが、そのままに仕上がりました。クリストフは何かしらの違和感を必ずデザインに落とし込むのですが、彼の仕事については、関わる人達はみんな素晴らしいと感心しています。打ち合せもこちらからの指示もありませんが、仕上がりは完璧ですから。

−−予定不調和ではないですが、ある程度他人に委ねた方が作品の可能性が広がるという考え方でしょうか?

髙橋:人によりますが、大きく言えばそうでしょうね。自分は撮ることに関心があり、それ以外の工程はコントロールできないことを楽しんでいる感覚なんです。雑誌や広告、写真集もそうですよね。作家の個人名が立ってきますが、印刷から流通まですべてチームプレイですから。

■Void
会期:5月14日まで
会場:アルトロ
住所:京都市中京区貝屋町556
時間:11:00〜18:00
休日:月曜、火曜、水曜
公式サイト:https://artro.jp/

Photography RiE Amano
Interview Yoshihiro Sakurai, Jun Ashizawa(TOKION)

author:

芦澤純

1981年生まれ。大学卒業後、編集プロダクションで出版社のカルチャーコンテンツやファッションカタログの制作に従事。数年の海外放浪の後、2011年にINFASパブリケーションズに入社。2015年に復刊したカルチャー誌「スタジオ・ボイス」ではマネジングエディターとしてVol.406「YOUTH OF TODAY」~Vol.410「VS」までを担当。その後、「WWDジャパン」「WWD JAPAN.com」のシニアエディターとして主にメンズコレクションを担当し、ロンドンをはじめ、ピッティやミラノ、パリなどの海外コレクションを取材した。2020年7月から「TOKION」エディトリアルディレクター。

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