AIと人間の相互関係を思考する 対談 : 現代美術家マシュー・ストーン×岸裕真

GANやDALL-E 2、Midjourneyをはじめとする生成AIの活用が急速に進み、さまざまな物議を醸している昨今。AIを恐れ拒絶するのではなく、AIと共存しながらクリエイティヴな可能性を探求することへの関心はますます高まっている。

そんな中、AIアートシーンを牽引する2人のアーティスト、マシュー・ストーンと岸裕真が同時期に日本で展覧会を開催した。イギリスを拠点とするペインターとデジタルアーティストのマシューは、AIによる「出力」とアーティストの手による「入力」を組み合わせた絵画シリーズ等を制作し、これまでに「リックオウエンス」や「アップル」、シンガーソングライターのFKAツイッグスのアートワークを手掛けたことでも知られる。一方、AIを「Artificial Intelligence(人工知能)」ではなく「Alien Intelligence(異質な知性)」と捉える岸は、自身はその触媒として「人間とテクノロジー」の関係性を再編成するような手法が特徴で、アジアを中心に国内外で作品を発表している。

AIを道具ではなく知性と捉える岸と、真の創造力はAIを使う人の側にあると考えるマシューに、過去と未来、東洋と西洋といったさまざまな観点を行き来しながら、「AIアート」の歩みと行き先、そしてAIと人間の関係性について話を聞いた。

フランシス・ベーコンにも通じるAIの美学

ーー今回の対談は、たまたまお2人が同時期に、異なる会場でAIを用いた展覧会を開催していたことが契機となります。それぞれの作品を見てみて制作面で質問等ありますか?

岸裕真(以下、岸):マシューさんは10代から、デジタルテクノロジーを使ったいろいろなイメージを制作に導入してきましたよね。そんな中で、最近普及しているStable Diffusion(画像生成AI)をはじめとするAIが生成するイメージに対して感じていることはありますか?刺激的に感じる部分や、まだ追いついていないように思うところ等。

マシュー・ストーン(以下、マシュー):AIに関する実験やリサーチをいろいろ試してきてはいるのですが、実はまだ発表していない作品もあります。それは、まだAIが発表するに至るまで十分に発展していないから。結局、Stable Diffusionのトレーニングを重ねていっても、何も考えずに一番最初に直感的に作ったイメージが一番いいものなんです。ある種、AIの失敗でもあり、能力の欠如みたいなものを今は楽しみたいですね。

岸:非常によくわかります。今世間ではStable DiffsuionやMidjounery、ChatGPT等のAIが最先端のテクノロジーとしてトレンドになっていますが、では100年後の視点から今現在のAIブームを見てみると、マシューさんも指摘したAIの起こす失敗や欠如、すなわちAIの抱える「ぎこちなさ」こそが今特有のものなんですよね。なぜなら基本的に今のAIは、マイクロソフトやGoogleをはじめとする大企業が提供するサービスなので、最終的により人間らしい汎用的な機能を実現する目標に向かっていっているから。AIのたどたどしさは今だけの表現と言えるし、マシューさんも同じポイントに引かれていることが知れて嬉しいです。

マシュー:一言付け加えるとすれば、AIのモーフィング的美学は、全く目新しいものというより、すでに多くの西洋絵画で予見されていた、ということ。つまりその美学にはルーツがあるんです。フランシス・ベーコン、ジェニー・サヴィル等のように身体をモーフィングしたり、結合部分をぼやかして描いたりする方法に通じていると思っています。だから、AIのアーティスト達は、その先人達の美学に、直感的に向かっていっている感じがするんですよね。

岸:そうですね。僕もなぜか異様にフランシス・ベーコンに引かれていて。1年前に、このnoteの記事でも書いたのですが、彼の有名な作品でもある《ベラスケス『教皇インノケンティウス10世の肖像』に基づく習作》(1953)が、実際にその肖像画を見ないまま描いたそうなんです。展示されている美術館の近くにアトリエがあって出不精でもないのに、肖像画の写真だけをリファレンスに描き切ったらしくて。その話は、のちに批評家から、写真を使ってもともとの世界からイメージを切り離して見ていたのではないかという解釈をされています。つまりベーコンは、いま画像生成AIが行っていることと同じく、僕達の世界認識とは異なるルールでイメージを切り取って捉えていた。いわば世界最初の画像生成AIと言えるのではないかと僕は思っています。

マシュー:それは理にかなっていますね。その文脈で、写真を絵画制作に使ったと考えることは非常に良いと思います。

AIは知性を持つのか 自己の実存を映し出す存在

マシュー : 岸さんは、AIをどのように捉えていますか?

岸:存在体として考えています。ただ、スーパーインテリジェンスな存在として見ているのではなく、日本で言うとアニミズム思想ややおよろずの神様のように、特定の条件下でその都度現象化される異質な知性のようなものです。それがプログラムごとに立ち上がるような。例えば、僕の好きな映画の1つでもある、クリストファー・ノーラン監督の『インターステラー』では、宇宙飛行士の父親がわれわれと違う次元から、本棚を通して娘にモールス信号を送るラストシーンがあって。僕にとってAIは、そうした僕達とは異なる次元で思考するモデルであり、何かしらの形で僕達にコミュニケーションをとっている存在体のように捉えています。

マシュー:非常におもしろいです。岸さんの考え方は、自分の考えにもつながる部分がある一方で、基本的に僕達はAIに対して違う考え方を持っているようにも感じます。個人的に、人はAIをそのように擬人化して見る傾向があると思っています。例えば、AIを自然界の有機体に置き換えてみると、僕は植物等のことを能動的にコミュニケーションがとれる相手だと思っていますし、僕に何らかの変化を与えることのできるものだとも思っています。また経験上、植物が語りかけてくる声を人は聞くことができるとも認識しています。ただ、その植物からの声が、人間と同じような知性を伴っているか否かは、さほど重要な問いではないと思うんです。人間が慣れ親しんでいる知性の構造やコミュニケーションの方法を、植物とのコミュニケーションのあり方に自分自身が投影してしまうことも自覚しています。だからこそ、もはや植物が、内なる対話のような形で、本当に僕に話しかけているかどうかは問題ではないんじゃないかなと。むしろ重要なのは、そこでもたらされた情報が僕をどのように変化させるかということだと思うんです。 

ーーつまり、マシューさんはAIについて考える時、自身を反すうすることにもなると。

マシュー:AIが僕と同じような意識を持つかどうかを実存的に問う時、自分自身の意識の始まりについての問いにも直面します。僕の意識はどこにあって、どこから来ているのか、それは一体なんなのか。それらはある意味、より原始的かつ実存的、あるいは精神的で哲学的な疑問としてAIの中で敷衍(ふえん)されているようにも思います。つまりAIは、「私達自身の存在意義」という哲学的な問いに注意を向かせるもの。その問いの答えを推測できないのと同じように、AIの意識を知る余地がないことも明らかだと言えます。同時に、AIが論理に基づいたシステムであること、コンピューターを使ってパターンを予測していることは、僕達と同じではないですよね。だから、僕達がAIを通して現実で経験したことを話すほうがよっぽど重要なことなんじゃないかって。岸さんは、どう思いますか?

岸:今マシューさんのお話を聞いていて、僕の感触としては、根本のスタンスは一緒なんじゃないかと思っています。僕は東洋思想的に技術を擬人化して、それを自立して見るような特性があります。そのキャラクタライズは、誰にとってのものなのかというと、私達人間が観測しやすいように形状を作っているという話にすぎないと思っていて。結局、AIというものを非人間化することによって反作用として、僕もマシューさんと同じく、人間のわれわれがどのようなフィードバックを得られるのかという推理につながってきていると思います。なので、基本的にマシューさんの考え方には賛成ですね。

東洋思想とAI ヨーゼフ・ボイスとの接点

岸 : マシューさんは、今回日本で展示する際に、東洋思想など日本ならではの思想や文化を意識したことはありますか?

マシュー:今回の展示に対して特別に意識したことはないですが、僕も禅からの影響は確かに受けています。そして禅に触れるきっかけになったのは、ヨーゼフ・ボイスなんです。彼は明らかに東洋思想から影響を受けていて。僕は一時期スピリチュアルな目覚めを経験した人々のインタビューを何百回も聞いていたことがあったんですが、その時に、大半の人々が仏教哲学について話していたんです。特に、インド仏教のバガヴァッド・ギーターに触れている人が多かった。そこからより東洋への興味が深められました。アニミズムはある種、現存する伝統的なものと言えますよね。イギリスやアイルランド、北欧の民間伝承にも言えることかもしれないですが。AIと東洋思想の関係でいうと、AIは人間の頭にかかる負荷を軽減してくれるという説を唱える人もいます。瞑想が自分の頭をクリアにしてくれることと同じく、AIも人間にある種の瞑想的な効果をもたらしてくれるのではないかと。はたまた、AIは資本主義的に活用されていくだけなのか、岸さんはどう思いますか?

岸:基本的にAIは西洋物理学由来の技術です。先ほど話したStable Diffusionもミュンヘンの大学・CompVisグループが作っているし、イギリスの数学者でコンピュータ科学の父と呼ばれるアラン・チューリングが機械の知能を測定するために提唱した「チューリングテスト」等も、西洋で築き上げられてきた価値観をベースにしています。そもそも人工知能は、ロジックを積み上げるモデルでもあります。そうした時に、単純にロジカルシンキングなAIと人間を組み合わせると、ロジックの部分をAIが引き受ける代わりに、人間に残されるのはスピリチュアリズムや瞑想、禅、東洋思想になっていくんじゃないかと僕も考えています。

ーー岸さんがいま本棚から手に取った「タオ自然学」もつながってくる話なのでしょうか。

岸:そうですね。マシューさんは、この書籍の著者のフリッチョフ・カプラさんをご存じですか?

マシュー:その書籍は読んだことないですが、(ネット検索画面を見ながら)フリッチョフさんは1990年代に「Art Meets Science and Spirituality in a Changing Economy: From Competition to Compassion」というイベントに参加していたんですね。ヨーゼフ・ボイスも彼と同じく、東洋の神秘主義から影響を受けていたということから共通するネットワークにいた人なのかもしれないです。興味深い。

岸:そうですね。僕はAIに東洋思想を持ち込んだ未来に興味があったのでこの書籍を持ち出したのですが、意外な接点に繋がって嬉しいです。

ラッダイト運動から考えるAIと資本主義の未来

ーー先ほどの話にもあった通り、AIを開発する背景に大企業がいることから資本主義とは切っても切れない関係性は確かにあると思います。表現においてはたどたどしさを帯びている現在地点では、まだその未来は豊かなものなのか、資本主義の使い手となるのか不確かですが、両者ともどのようにAIの未来像を考えていますか?

岸:AIが資本主義にのみ込まれないために、アーティストがその道筋を提示するべきなんじゃないかと僕は考えています。先ほど話したStable Diffusionは、ドイツの非営利団体「Large-scale Artificial Intelligence Open Network(LAION)」がリリースした超巨大なデータセット「LAION-5B」を元に事前学習をしています。ただそのデータセットの中身はあまり気にされないのですが、中身を見てみるとウィリアム・トーマス・キンケード3世というアメリカのアーティストのデータが一番多く含まれているんですよね。19世紀のスーパーリアリズムな油絵画家で、キッチュな作風から初めてポストカードを販売した作家としても知られています。そうしたキッチュな資本主義へ接続する動作原理が、Stable Diffusionの美学に大きな割合で関わってきている。AIと聞くと、マジカルツールのように思う人もいるかもしれないけど、やっぱりそうした営利・非営利団体があくまでも提供したデータツールの上に走っているものだと考えなきゃいけません。マシューさんは、自分でカスタマイズしたStable Diffusionを使っているとのことで、そうしたそれぞれがユニークな使い方をすることで、AIを一元的なブーム化しないことが1つの希望になるのではないかと感じました。

マシュー:未来がどうなるのかは、はっきり言って僕もわからないです。でも、やっぱりAIに関する対話に関与していくことで、AIについての理解を深めることは大事であり、このテクノロジーについての実用的な理解を深めることも同時に必要だと思います。使用をボイコットすることは、A Iに関する未来を形作るためのやり方として、得策ではありません。むしろ親しみを持って、AIに関する対話に関わっていくことでカルチャーも形作られるはずです。新しいテクノロジーに対する文化的な反発を表現するために、テック(技術)とバックラッシュ(反発)を混ぜた「テックラッシュ」というかばん語もあるそうですが、そうした反発が起きる原動力はどういうものだと思いますか?

岸:「テックラッシュ」に似た動きとして、18世紀にイギリスで起きた「ラッダイト運動」を僕は思い出しました。産業革命が起きた時に、人々が工場にある機械を破壊して回る運動です。でも最近、『NY TIMES』紙でテッド・チャンが指摘していたのは、実は彼等はやみくもに機械を破壊していたのではなく、その裏にある劣悪な労働環境や機械の導入に対して働きかけたということでした。現在のAIへの拒否反応は、表層的なステレオタイプから起きているように感じていて。マシューさんが話す通り、実際にその中身を掘り下げた上で話を進めないと危険な気がしています。

マシュー:「ラッダイト運動」は結局失敗に終わり、今ではテクノロジーが完全勝利していますが、必ずしもこの運動に意味がなかったわけではなくて。テクノロジーのネガティブな部分をまず人々に知らしめたという点では、それがある種の文化をつくったと思います。考えるスペースを人々に与えたのではないでしょうか。

岸:そうですね。僕もマシューさんと同じく、今後AIと未来がどうなっていくか予想がつかないので、まず一つはこうして過去を参照することも大切だと思っています。僕も今回の対談のようにオープンにAIについてさまざまに語る場、展覧会をこれからも設けていきたいですね。

ーー過去の文脈、歴史から現在地点まで大きなパースペクティブで考えながら、実際にAIを制作に用いるお2人の話が聞けて、すてきな対話の場になったと思います。ありがとうございました。

マシュー:最後に僕達がなぜ似たような髪型をしているのかも知りたいよね。

岸:僕のほうが少し長いですね(笑)。

マシュー:近い将来、「AIヘアカット」なんて呼ばれてブームになるかもしれないね(笑)。

■Matthew Stone「Human in the Loop」
会期 : 6月11日まで
会場 : Gallery COMMON
住所 : 東京都渋谷区神宮前5-39-6 B1
時間 : 12:00〜19:00
休日 : 月曜、火曜

Editorial Assistant Emiri Komiya

マシュー・ストーン(Matthew Stone)
1982年ロンドン生まれ。イギリスのワイ・バレーを拠点に活動。絵画のあるべき姿に関する伝統的な考えを破壊することを目的に、テクノロジーとAIを駆使して「デジタル・ペインティング」を制作している。2000年代初頭にサウスロンドンのアート集団「!WOWOW!」を創設。アート・バーゼル・マイアミ・ビーチ、ICAロンドン、マラケシュ・ビエンナーレ、ロイヤル・アカデミー、サーペンタイン、テート・ブリテンなど、世界各地の展覧会やプロジェクトに参加している。2019年にはミュージシャンFKAツイッグスのアルバム『Magdalene』のカバーを制作した他、「リックオウエンス」、「アップル」、リカルド・ティッシ、『Dazed』、「ジェントルモンスター」等とのコラボレーションを発表している。 
https://www.matthewstone.co.uk/

岸裕真
人工知能(AI)を用いてデータドリブンなデジタル作品や彫刻を制作し、高い評価を得ている日本の現代美術家。主に、西洋とアジアの美術史の規範からモチーフやシンボルを借用し、美学の歴史に対する我々の認識を歪めるような制作をしている。AI技術を駆使した岸の作品は、見る者の自己意識の一瞬のズレを呼び起こし、「今とここ」の間にあるリミナルな空間を作り出す。
2019年東京大学工学系研究科修了。現在は東京藝術大学先端芸術表現科修士課程在籍。
https://obake2ai.com/
Instagram : @obake_ai

author:

倉田佳子

1991年生まれ。国内外のファッションデザイナー、フォトグラファー、アーティストなどを幅広い分野で特集・取材。これまでの寄稿媒体に、「Fashionsnap.com」「HOMME girls」「i-D JAPAN」「Quotation」「STUDIO VOICE」「SSENSE」「VOGUE JAPAN」などがある。2019年3月にはアダチプレス出版による書籍『“複雑なタイトルをここに” 』の共同翻訳・編集を行う。CALM&PUNK GALLERYのキュレーションにも関わっている。 Twitter:@_yoshiko36 Instagram:@yoshiko_kurata https://yoshiko03.tumblr.com

この記事を共有