「散歩の効能」 連載:小指の日々是発明 Vol.8

2023年初夏某日。気づくと私は、電車を乗り継いで横浜にいた。横浜駅の西口は、相変わらず錆びた鉄と潮とドブが混じったような、懐かしいひどい臭いがしていた。

丁度この時、私は展覧会の準備真っ只中という状況だった。決して横浜でフラフラしてる場合ではなかったのだが、家に篭りきりの生活と展示の重圧から、ついここまで逃げてきてしまったのだ。
身の丈に合わない場所で展示をする緊張と、思うように制作が進んでいないことへの焦りもあったが、この時は同時期に進行していた別の仕事がトラブって収入が0になったり、友達に大病の疑いが出たりと、今年に入ってからというもの、薄っぺらいイカダ一枚で急流くだりをしているような心象の日々だった。
そもそも、今年初めにかかったコロナの影響かはわからないが、どうも調子が出ない日が続いていたのだ。夫はいまだに嗅覚がダメで、試しにいくら至近距離でオナラをしてみても恐ろしいことに全く反応をしない。うっかり出てしまった時は逆に助かるのだが、好物のウナギの匂いまでわからないらしく、本当に不憫で仕方がない。
私もどうも集中力が続かず(元からそうだったかもしれないが)、申し訳ないことにこのコラムの更新も大変遅れてしまった。
そろそろ本気を出さねばと思いながらも、色々な〆切と会期までの時間は刻一刻と過ぎていって、ついに私の小さな肝っ玉は破裂した。何が原因かはよくわからないが、とにかく限界だ!となってしまった。
そして家を飛び出し電車に飛び乗り、気がついたら地元・横浜に帰郷していたのだった。

どこに行くかのあては、何もなかった。とりあえず海でも見に行こうかなとも思ったが、路線図を見たら急に往復の1000円が惜しくなって、諦めた。どうせ話のネタになるのだからそれくらいしろよと思うが、あの時は海への1000円すら出し渋るほど心が弱っていたのだ。なんて自分は情けないんだろうと肩を落としながら、私は東横線の「東白楽駅」へとぼとぼ歩いて向かった。

神奈川の人しかほぼ知らないであろう「東白楽」という地味な街は、私にとって<散歩>の原体験がつまっている特別な街だ。
初めて訪れたきっかけは、小学生の頃に同級生の男の子達に連れられ、ミニ四駆のパーツを買いに行った時のことだった。一見ただの小汚い玩具屋だったが、巷に出ていないレアなパーツや改造品まで置いてあるドープな店のようで、男子達はすっかりギアとか改造モーターに目の色を変えていた。だが、私はそれよりも、玩具屋へ行く途中にあったとてつもなく長い坂の存在が無性に気になった。
そしてその翌日、私は「あの坂の向こうに何があるんだろう」と探検隊さながらの気分で東白楽へ行き、それから一人で度々訪れるようになるほど、この街が気に入ってしまったのだった。

その坂は、昔と全く変わらぬ姿でそこにあった。20年越しに見ても、わけわからないほど急勾配でグッと胸を掴まれてしまう。あの頃に比べたら、今は随分足腰も弱っているものの、私は子供に戻ったつもりでずんずんと坂を登っていった。
すると、見覚えのある景色が目に飛び込んできた。坂の途中には、たくさんの鉢植えに囲まれた白くて小さな喫茶店があり、えんじ色の軒先テントには、白地で店名が書かれてあった。
「グリーンメドウズ」
「この店、まだあるんだ……」思わず嘆声が漏れてしまった。
初めて来た時はまだ10歳くらいだったから、当然珈琲も飲めないしお金もないので、当時は窓から店内を覗くことしかできなかった。でも、あの時からこのお店は、私の中でずっと気になる存在だった。
窓のところに、「営業中」と小さな札が置かれてあった。今入らねばいつ入る、という感じだ。そして私は20年以上越しに、この「グリーンメドウズ」という謎の喫茶店に初めて入ってみたのだった。

扉を開けると、店内は想像していたよりずっとこぢんまりとしていて、外の日差しのせいか中は逆光のように薄暗く、とても落ち着く空間だった。
少しすると、奥から「いらっしゃいませ」と高齢の女性が迎えてくれた。とても優しそうな店主さんだ。「どうぞお好きなところに」とのことだったので、私は店内を見渡せる一番隅っこの席に座らせてもらった。カウンター4席とテーブル席が2つ、壁には小さなメニュー表と2枚の絵。音楽などはかかっておらず、唯一空間に響くのは「こち、こち、こち……」という、柱に架けられた時計の音だけだった。お店の中はとても静かで、時計のリズムとこちらの心臓の音が呼応するように、不思議と心地の良いテンポがこの中でできていた。
店主さんは私のアイスカフェオレを運んでくれると、またカウンターに戻り、正面の窓からずっと外を眺めていた。

30分ほど滞在し、「ご馳走様でした」とお会計に行くと、店主さんは笑顔でお釣りをくれながら「近所の方?」と私に聞いた。
「いえ、近くに実家があって」
「あら、そうなのね」
「子供の頃にこの道をよく散歩していて、どんなお店なのかなあ、ってずっと気になってたんです。10歳頃によく来ていたから、23〜24年前とか……。そしたら今日やっていたので、やっと入れて嬉しかったです」
「えー!本当。嬉しいわあ。しかもこの店、24年目なのよ」
なんと、私が店を覗いていたあの時は、どうも新規オープン直後だったようだ。記憶の中では、昔からある魔法使いの家みたいな印象だったのに。子供の記憶って本当にあてにならない。
「私はもう84歳。ボケ防止でやってるのよ」
店主さんはそう言って、ケタケタと笑いながら出口まで見送ってくれた。
店を出てすぐのところに、目が覚めるようなピンク色のツツジと、橙色の実をいくつもつけた琵琶の木が植えられていた。もしかしたら、あの店主さんが座っていたカウンターの位置から一番良く見えるのかもしれない。店主さんが度々、素敵な顔で外を見ているなあと思っていたが、そうかこの景色を見ていたのか、と納得したのだった。

私はその後も、再び残りの坂を登り続けた。確かここを登りきったところに、横浜の町を一望できる広い草っ原があるのだ。曲がりくねった私道、ガタガタのコンクリむき出しの道を渡り、半分が崖になったような未舗装の道を歩き続けると、そよそよと揺れる緑色が目に入った。
あった!
草の上を夢中で駆けて、丘になったところから街一帯を眺望した。目を凝らすと、スケートリンクや、昔親と行ったスーパーなんかがすぐ目に入った。昔は家の近くにヤクルトの大きな看板があって、そこを目印にすれば実家の大体の位置がすぐにわかったものだが、その看板ももうない。近所の公園は見つけられたので、そこにアタリをつけて探してみたら、実家の屋根を見つけることができた。今頃お母さんが一人でいるだろうか。かつて私達の家族が全員そろってあの屋根の下で普通の営みをしていたのかと思ったら、少したまらない気持ちになった。
それにしても、随分高い所まできたもんだとベンチに腰掛け一息ついたら、土と緑の匂いが薫って、肩に入っていた力がほっと抜けた。
ぼんやりしていたら西陽がさしてきたので、そろそろ移動しようかなと思い、知らない人の畑の脇を通って駅の方へ歩いた。そして京急の子安駅から電車に乗り、日ノ出町へ向かったのだった。

日ノ出町の改札を出ると、その騒がしさに途端に眩暈がした。路上で飲酒する老人、極彩色に着飾ったきれいな外国の女性達、檻に入れられたテナガザルみたいな反復運動をしてクラッチバッグ片手に女性に声をかけるスカウトマン、オウムとイグアナ柄の派手なアロハを着て大声で電話する中東系のおじさん。そんな混沌とした中を歩いていたら、「これぞ横浜!横浜に帰ってきたぞう」と、だんだん気分が乗ってきた。
伊勢佐木町を突っ切って寿町に入ると、街の空気はガラリと変わり、ドヤ街独特の静けさと緊張感を肌で感じた。でも、この雰囲気に、なぜか子供の頃からずっと惹かれて仕方がなかった。親からも「行かないほうがいい」と言われていたが、全くその言いつけは守っていなかった。
路上に、大量のゴミなのか荷物なのか判別のつかないものが派手にぶちまけられていた。
ズボン、上着、パンツ、靴下、黒いニット帽、飲みかけのカフェオレ、飲み薬、謎の軟膏のチューブ、診察券、永谷園の松茸のお吸い物、競馬新聞、ポリデント、ハンガー、絆創膏。そして、なぜか湯沸かし器。診察券は福祉センターの診療所のもので、しっかり名前も入っていた。
パンツや上着においては、その場で脱いでいったとしか思えない形状で落ちていた。私はそれらを見て、これはもしかしたら透明人間の抜け殻なんじゃ、と思った。
だが、一番不思議なのが「ポリデント」は落ちているのに肝心の「入れ歯」が見当たらないということだった。まさか拾って持ち帰る奴はいないだろうから、透明人間は入れ歯だけ装着して今もこの辺りを闊歩しているんだろうか。
入れ歯だけがフヨフヨと空中に浮いている姿を想像し不思議な気持ちになりながら、再び歩き続けた。常識では考えられないことだが、長丁場の散歩中には、こういう奇妙なことがよく起こるのだ。
その後、私は「ドトール」に入ってコーヒーを1杯飲み、営業時間が終わると同時に追い出された。だが、その頃にはすっかり満足していて、私はそのまま東京方面の電車に乗り帰路についた。私の長い散歩の一日は、そこで終わったのだった。

翌朝いつも通りベッドの上で目が覚めると、まるで別人のような気分だった。大袈裟だが、深い睡眠の底から浮かび上がって蘇生してきたような、そんな感じだった。そして、頭の中にはぼんやりと、昨日歩いた町の景色が夢の続きみたいに残っていた。
「そうだ、昔の私はこんな感じだった」
私はその日から制作の続きを始めた。机に向かうことも、全然苦でなくなっていた。

私はどうも、昨日の散歩の間に、自分の中の何かを治癒させていたような気がする。
昔から、長い散歩から帰ってきた翌日は、いつもそうだった。懐かしい景色を眺めながら歩くたび、私の中の「無意識」の世界がいきいきと息を吹き返すのだ。
幼い頃から散歩好きではあったけれど、10代後半の頃に私は「摂食障害」という食べ吐きがやめられない時期があり、その時も本当によく歩いていた。長い時だと1日10時間以上近所をうろうろと散歩し、歩きながら、いろいろなことを考えていた。不思議と足は全く疲れず、歩いている時は心が楽だった。あれも今思えば、無意識で自分を「治療」しようとしていたのかもしれない、と思うと合点がいくのだった。

一歩一歩歩くたびに、無意識にかかっていた抑圧が外れて自分を思い出していく気がする。だから子供の頃に戻ったように安らぐ時もあれば、失ったものを思い出して泣いたり、歩くほどに怒りがこみあげて止まらなくなる時もある。
だが、そうやって心を大きく揺らした後は、なぜか忘れていた大事なものがコロリと出てくることが多い。私はいつも、それを制作の“種”にしている。
すべての行動には、きっと理由があるのだと思う。

喫茶店で真っ白いノートを広げて、私は夢中でペンを走らせた。
「散歩の効能」
ずっと昔から知っていたはずのこの発見を、今日、ここに書き留めておこうと思った。

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現在、小林紗織名義での展覧会が開催中です。これまでの「score drawing」作品を展示しています。
ご興味のある方、ぜひお立ち寄り頂けましたら幸いです。

project N 91 小林紗織
会期:2023.07.06[木] – 09.24[日]
場所:東京オペラシティギャラリー 4Fリコドール
オペラシティアートギャラリーにて開催中の「野又穫 Continuum 想像の語彙」展のチケットで入場できます。
https://www.operacity.jp/ag/exh/detail.php?id=291

author:

小指

1988年神奈川県生まれ。漫画家、随筆家。バンド「小さいテレーズ」のDr.。 過去に『夢の本』『旅の本』『宇宙人の食卓』を自費出版で発表。小林紗織名義にて音楽を聴き浮かんだ情景を五線譜に描き視覚化する試み「score drawing」の制作も行う。 https://koyubii.wixsite.com/website Twitter:@koyubii Instagram:@koyubim Photography Noa Sonoda

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