コロナ禍で見つけた「新しい生き方」 連載:小指の日々是発明 Vol.1

初めまして、小指と申します。
これからこちらに日々発見したことや感じたことを書いていきます。宜しくお願いします。

私は一昨年頃まで、数え切れない数の仕事(主に非正規)を転々としながら細々と制作を続ける日々を過ごしていた。
工場でひたすら袋詰めをしたり、何十時間も車の台数を数えたりしながら、絵に全く関係のない低賃金のバイトを「これは修行だ」と自分に言い聞かせて一生懸命やった。そしたら、気付いた頃にはどこへ出しても恥ずかしくないただの現場慣れした軽作業スタッフになっていて、夢だった作家からは程遠い生活をしていた。
現実はこんなもんか……そう諦めかけていた時、ふとしたきっかけで尊敬している人達と一緒に仕事ができるようになったり、いろんな奇跡が起きてようやく少しずつ自分の制作で自活ができるようになった。
そして、よーし頑張るぞ!と意気込んだ矢先に、どす黒いコロナ禍が訪れたのだった。

緊急事態宣言が発令されると、予定していた展覧会や案件等はどたどた延期になった。なんか良い風向きしてんなー、と思っていたところだったので尚更この状況にガーンときてしまった。
また、コロナ関連の悲しいニュースを見聞きするたびに気持ちが沈み、自分の父が入院療養中ということもあってか「院内感染」という単語が耳に入るたびに心臓を鷲掴みされるような気持ちになった。大切な人がコロナで命を落とす、経営不安で自死する、路上生活になって殺される、それまで普通に暮らしていた人達が……そんなことをぐるぐる考えていたら仕事も手につかなくなって、1月頃にストレス性の顔面麻痺になってしまった。心のタフさには自信があったのに、自分でもびっくりした。2ヵ月たった今も、顔の右側の痙攣は治らない。

こうした不安の他にも、自分の置かれている立場の脆弱さを自覚したことも大きかった。
暇ではなかったけれど、世間的に見たらずっと定職に就かずフラフラしていたので、自分には「どこかでちゃんと頑張ってから独立した」とか、そういう人との繋がりの中で根ざして培ってきたというものがまるで無い。同世代の人たちが堅実に努力をしていた時、私はベルトコンベアに乗って気持ちよく汗を流していた。あの頃の私は過酷なバイトを無心でやることによって何か立派なことをしているかのような錯覚に陥っていた気がする。
いつもバタバタと何かに追われて、死に物狂いの鍛冶場の馬鹿力だけでしのいできたから努力を積み重ねてきたという実感も無い。
要は何を言いたいかというと、自分には絶望的に自信が無いのだった。

声をかければ助けてくれる人はいるだろうが、臆病だからそれもできない。図々しくて嫌われるだろうな、と思って「今大変です」と叫ぶこともできない。
だからこのコロナ渦は、何にも無い自分と対峙せざるをえなかった恐ろしい期間でもあった。

話は変わるが、私には近所にとても気に入ってる寿司屋がある。尊敬する画家の方に「あの寿司屋いいよ」と勧めてもらったのがきっかけで、店の雰囲気や大将の素朴で温かい人柄に惹かれ通うようになった。
その寿司屋は、いつ行っても客は私一人だった。正直すごい美味いというわけでもないしお金も無いのでしょっちゅう行けるわけではないけど、大将の顔を見るとほっとするのでつい足が向いてしまう。
ただ一つ気になるのは、シャリがあまりにもでかすぎておにぎりのようなので「シャリが大きいですね。ちょっと満腹になり過ぎますね」と言ったら、大将は豪快に笑いながら「ここは百姓が多いから、大きくしてんのよ」と言った。大将は一体、この町の何十年前の話をしているのだろうか。
昔は予約の電話がひっきりなしで、時には受話器を外さなければならないほど繁盛していたらしい。今はそんなことはないけれど地元のお客さんのおかげでどうにかなっている、とニコニコしながら言っていた。
私は、この人にずっとこの町で寿司屋をやっていてほしいなと思った。
でも、そんな矢先に緊急事態宣言で飲食店の営業が20時までとなった。
20時頃店の前を通ると、のれんをおろす大将の姿があった。その背中がとても寂しげだった。
この時ばかりは、自分がお金持ちだったらなあと思った。

家に帰って、天井を眺めていたら急に人生の重みがズシンと乗っかってきた。
この先何が起こるかわからない。払ってた年金ももらえないかもしれない。
これから自分のやるべきことと向き合いながら生きていくには、自分なりの最低限の生活を支えられるシステムのようなものを作らないといけない、と思った。それは他者や時代に依存せず、他人も巻き込まず、徹底的に1人でやっていけるものなら尚良い。そしてピーン!と思いついた。
それは、自宅で「同人誌」の制作に励むことだった。(読んでる人たちがガクッとなってる姿が目に浮かぶが、本当にそうなのだから仕方がない)

これまで私は、趣味の延長といった感じで同人誌を数冊作ってきた。どれも100ページ超えの力作ではあるが、技術的にも出版社へ持ち込むほどではないと思い、勝手に出して勝手に売っていた。部数もたかが知れているので利益もトントンだった。
それらをどうにか仕事の一つにできないかと考え、増刷することで自室をちょっとした流通工場のようにした。私はここで、「本の自給自足」を始めたのだった。

普通の本屋に置かれている本は、編集さんや出版社が興味を持ってくれなければまず出せないが同人誌なら誰でも作ることができる。普通の本は作家、編集者、校閲やデザイナー等たくさんの手を通って一冊ができていくけれど、同人誌の場合は全部自分でやる。逆に考えたら、自分さえいればへたっぴであっても全部一応何とかなる。
「今こんな時期だし、家から出られなくて皆ストレス溜まってるんじゃないかな」と思い、私は過去の旅の思い出をまとめた『旅の本』という新作を作った。ろくな旅行をしたことがないので、西成のドヤ泊や電車で行ける近場の地味な旅のことしか描くことが無かったが、それでも一冊作り上げたら楽しかったし、このおかげで収入が不安定な時期も今までのペースで制作を続けながら暮らしていくことができた。この生活だと自転車操業ではあるけれど、これまでだってその日暮らしみたいなものだったから私には充分だった。
こうしてその時思いついたひらめきをパッと一冊にできることも、同人誌の醍醐味だと思う。

大量に印刷した本を自ら旧知の本屋さんに出荷していると、小学生の頃に生活科の授業でやった稲作体験を思い出した。
原稿用紙が土で、ペンがクワ。毎日少しずつ耕していき、それなりのページ数に育ったら印刷所へ出す。収穫。届いた本を全国へ出荷して、私自身も移動販売よろしく売り歩いていく。
私は、複雑なお金の計算はできないが、「1日2〜3冊売れば生きていける」という単純数式が自分の中で発見されてからは心に何よりの平穏が訪れた。あとのクライアントワークや絵の収入を家賃光熱費と材料費と貯金に充てれば、必要以上にビクビクすることはない。
地道な行動は、地に足をつけ、心を穏やかにしてくれるということを知ったのだった。

本の自給自足を本格化させて思ったことは、今のように社会の状況が滅茶苦茶な間は、慌てて自分らしくないことで無理をするよりも、こうして自分のできる範囲内で雨風をしのぐように生きても良いんじゃないか、ということだった。このどさくさに乗じて「こうしないといけない」みたいな窮屈な考え方も捨てて、それぞれが自分の一番呼吸のしやすい過ごし方を模索してもいいんじゃないだろうか。
それが結局、全人類の生きやすさの底上げにも繋がるような気がする。私達はみんな、無理な労働に命を削られるために生まれてきたわけじゃない。

このコロナ禍で、みんな新しい生き方を手探りで探っている。これまで周回遅れで走っていた私も気が付いたらスタートラインに紛れ込んでいた。

あるようで無いようなコースの外には、これまで走者側から見えないよう隠されていた自己責任論とか、弱肉強食の世界が剥き出しになっていて、私達は、切り捨てられる弱者と守られている強者の間に線引きがあったことにも気が付いてしまった。
そんな時代遅れなこと、もうやめようよと思う。みんなで新しくなってもっと楽になりたい。私は諦めずにそれを模索する。

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author:

小指

1988年神奈川県生まれ。漫画家、随筆家。バンド「小さいテレーズ」のDr.。 過去に『夢の本』『旅の本』『宇宙人の食卓』を自費出版で発表。小林紗織名義にて音楽を聴き浮かんだ情景を五線譜に描き視覚化する試み「score drawing」の制作も行う。 https://koyubii.wixsite.com/website Twitter:@koyubii Instagram:@koyubim Photography Noa Sonoda

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