ドローン界の巨匠ヨシ・ワダとはいかなる存在か——日野浩志郎 × FUJI|||||||||||TA 特別対談・前編 

昨年5月にこの世を去ったドローン・ミュージックのパイオニアの1人、ヨシ・ワダをご存知だろうか。1967年にアメリカ・ニューヨークへと移住し、奇妙な偶然からフルクサスの面々とも関わりを持ちつつ、あまりにも独自な音楽活動を展開。現代音楽の作曲家ラ・モンテ・ヤングや北インドの古典声楽家パンディット・プラン・ナート等の影響を受け、持続音を中心とするドローン・ミュージックの領域を開拓していった。創作楽器の開発、特異な音響空間の活用、サウンド・インスタレーションの制作等々、その活動は音楽や美術といった既存のジャンルを軽やかに超え、今もなお汲み尽くされることのない魅力に満ちている。

ここ日本では長らく知る人ぞ知る存在だったものの、ゼロ年代後半よりエム・レコードとオメガポイントが共同でヨシ・ワダのアルバムを復刻・初音源化してリリース。再評価の機運が高まり、次世代のミュージシャンからも注目を集めるようになっていった。なかでもヨシ・ワダからの影響を公言しているのが音楽家/作曲家の日野浩志郎と自作パイプオルガン奏者/サウンド・アーティストのFUJI|||||||||||TAこと藤田陽介である。昨年12月にはこの2人が初めてコラボレートし、総勢10名のメンバーからなるアンサンブルでトリビュート・ライヴ「INTERDIFFUSION A tribute to Yoshi Wada」を開催した。

これを受けてトリビュート・ライヴの中心人物である日野浩志郎とFUJI|||||||||||TAによる、ヨシ・ワダを巡る特別対談を実施。前後編に分けてお届けする対談の前編では、2人がヨシ・ワダの音楽と出会った経緯やフェイバリット・アルバム、非アカデミックであり続けることの意義、また「1音が延々と続く」ことを大きな特徴とするドローン・ミュージックの魅力などについて伺った。

エム・レコード&オメガポイントを通じたヨシ・ワダとの出会い

——お二人はどのような経緯でヨシ・ワダの音楽を聴き始めたのでしょうか?

日野浩志郎(以下、日野):最初に聴いたのはエム・レコードとオメガポイントが2009年に共同リリースした『Earth Horns with Electronic Drone』というアルバムでした。それ以前からエム・レコードのリリースをチェックしていたので、ヨシ・ワダ作品の復刻/初音源化シリーズの流れで彼の存在を知ることになりました。

FUJI|||||||||||TA(以下、藤田):僕も同じタイミングです。やっぱりエム・レコードとオメガポイントの功績は大きいですよね。僕は当時、自作パイプオルガンが構想段階にあって、頭の中ですでにヴィジュアライズできていたけれど、実際に作るかどうかは躊躇していたんです。その時に『The Appointed Cloud』(2008年)を購入して、ジャケットやライナーに載っている写真を見たら、頭の中にあった自作パイプオルガンのイメージとすごくよく似ていた。聴いてみたら音も近いところがあって、それで背中を押された気分になって自作パイプオルガンの制作へと踏み出すことになりました。

——初めて聴いた時の印象はいかがでしたか?

日野:聴いたら一発で虜になりましたね。それまで僕はいわゆるノイズ/インプロ畑で、アヴァンギャルドな即興演奏にも取り組んでいたんですけど、徐々に飽きてきて自分でミニマル/ドローンをやり始めた時期だったんです。ちょうどその頃にヨシ・ワダの音楽と出会って、「こんなアプローチもあるのか!」と新鮮に感じました。何だかわからないけど心地がよくて。なので自分の中で当時まだハッキリと捉えられていなかったドローンの世界に入り込む1つのきっかけにもなりました。

藤田:僕はもともとスティーヴ・ライヒやテリー・ライリーが好きで、最初はそういったミニマル・ミュージックの一種としてヨシ・ワダの音楽を聴いていました。けれどそれ以上に大きな印象としてあったのは、やっぱり「パイプ状の自作楽器を作る人」というところで、ヨシ・ワダと出会わなければ自作パイプオルガンを作っていなかったかもしれない。そのぐらい自分の音楽活動に決定的な影響を与えた人なんです。

——ヨシ・ワダのアルバムを繰り返し聴くことで、音楽の印象が変化したことはありましたか?

藤田:実はあまり印象は変わっていなくて、10年以上経った今も最初に受けた印象と同じようなイメージで捉えています。

日野:聴き続けて印象が変わったことは僕もないですね。ただ、途中から分析的に聴き始めたんですよ。特に『The Appointed Cloud』は「よくわからないけど何だかすごい」と漠然と感じていて、それはいったいなぜなのだろうという疑問がずっとあった。それで2016年に「Virginal Variations」というオーケストラのプロジェクトで作曲した時に、1つのリファレンスとしてヨシ・ワダの音楽を取り入れようと思って、『The Appointed Cloud』を分析してみたんです。楽器編成や時間構成等々を調べたら、例えばちょうど1分単位でサウンドが切り替わっていくことが判明した。それでアルバムを聴く解像度がどんどん上がっていきました。印象は変わらないですが、聴こえてくるものはハッキリしていった。いわば顕微鏡で眺めるような聴き方をするようになったんですね。今制作を進めている「GEIST」というプロジェクトでも分析して得た部分からインスピレーションを受けて構想しています。

日野浩志郎とFUJI|||||||||||TAのフェイバリット・アルバム

——ヨシ・ワダ名義のアルバムはこれまで計5枚リリースされています。今改めて振り返った時に一番好きなアルバムはどれでしょうか?

藤田:僕はFMPからリリースされた『Off the Wall』(1985/2008年)が一番好きですね。『The Appointed Cloud』のすぐ後に聴いたんですが、いまだに魅力的だなと感じています。決して録音のクオリティーが良いわけではないし、終わり方も大雑把なところがあって、アルバムとして洗練されたものではないけれど、それだけに表現が剥き出しになったようなおもしろさがある。ヨシ・ワダの実験精神がそのままポンと出されているような。

日野:そうだね。基本的には大雑把で、ある意味でプリミティヴなところは僕も好きです。だけど、延々とドローンが続く『Earth Horns with Electronic Drone』と比べると『Off the Wall』はレコードを意識した作りにもなっていて、意外とちゃんと構成されているところもいいよね。

藤田:確かに。日野さんはどのアルバムが好きですか?

日野:僕の場合は時期によって好きなアルバムが変わってしまうかもしれない。最初の入り口としては『Earth Horns with Electronic Drone』だったんですが、一番衝撃を受けたのはやっぱり『The Appointed Cloud』でした。けれどなぜそんなに衝撃を受けたのか分析的に聴き続けたので、今では音楽として純粋に楽しめなくなる部分も生まれてしまった。分析した内容を一度すべて忘れてしまわないと同じような衝撃を受けることはなかなか難しいです。あと『Singing in Unison』(2012年)は正直に言えば最初はあまり好きではなかったんですけど、今はすごくいいなと思っているんですよ。というのも、僕は九州大学で非常勤講師をしていて、作曲の授業を受け持っているんですが、授業で残響室という非常に長いリヴァーブが発生する空間を使ったんですね。そこで15人の生徒達に円形に並んでもらって、照明を消して真っ暗にして、簡単なルールを設けて照明の合図で演奏するという授業をやったんです。その時に歌唱作品のリファレンスとしてヨシ・ワダの『Singing in Unison』を紹介しようと思って、スコアを見ながら改めて音楽を聴き直したら、これがとても良かった。聴く角度が変わったことで新たな発見を得たというか。

——どのアルバムもそうですが、ヨシ・ワダの1つの特徴として、生音と電子音、声と楽器、身体的なものと機械的なもの等々、相反する2つの要素を並置しているところがあります。そうしたアプローチに魅力を感じたことはありますか?

日野:『The Appointed Cloud』における自動演奏と生演奏のような異質なものが重なると、音を聴くだけではわからない謎が生まれますよね。そこに惹きつけられるところはあります。そもそも最初は2つの要素として区別せずに聴いているんですよ。『Earth Horns with Electronic Drone』も最初はオシレーターとパイプホルンで分けずに聴いていて、どうなっているのかよくわからないけれどとにかく魅力を感じていました。そうした謎に満ちた魅力を生み出す1つの理由が、後から振り返ってみると2つの要素を併置しているというアプローチだった。

藤田:僕自身の表現もオーガニックでありつつ電子的でもあるので、その意味ではアプローチとしてヨシ・ワダと共通しているところもありますけど、なぜ相反する2つの要素を併置しているのかというと、これはもう必然的にそうなったのかなと思っています。特に自作楽器はできることが限られているから、相反する異質な要素を衝動的なレベルで取り入れたくなってしまう。もちろんインスタレーション形式でも作品そのものは成立しますが、そこから発展させていくとなると、インスタレーションとは異質な要素を取り入れざるを得なくなると言いますか。例えば人間によるバグパイプの演奏を併置すると、インスタレーションの自動演奏にはない自由度を生み出すことができますからね。

ヨシ・ワダの非アカデミックな姿勢がもたらすシンパシー

——今回の「INTERDIFFUSION」のトリビュートを通じて、ヨシ・ワダの音楽に関して新たに発見したことはありましたか?

日野:僕は「Virginal Variations」の時にかなり分析的に聴いたので、当時の方が音に関して気付いたり発見したりしたことは多かったですね。ただ、今回のトリビュート企画を主催した中野勇介くんがヨシ・ワダに関する情報をいろいろと集めてくれて、その中にインスタレーションの動画があったんですよ。それを見たらものすごく驚いた。

藤田:それは僕もびっくりしました。こんなふうになってたのかと。

日野:今「GEIST」で自分がやっていることと全く一緒じゃん! と思ってしまった(笑)。ヨシ・ワダの本質って、ただ単に音だけではなくて、やっぱりそういう視覚的/空間的な要素にもあるんだなと。

藤田:その意味では少しヨシ・ワダの印象が変わったところもあるかもしれないですね。ファースト・インプレッションとしてはもっと音楽寄りのアーティストだと思っていたんです。けれど彼は『The Appointed Cloud』でやっているようなインスタレーション形式の作品発表も非常に重要視していた。それは今回の「INTERDIFFUSION」のクリエーションの過程で改めて知ることができました。

日野:『The Appointed Cloud』以降の音源がなぜリリースされていないのかといえば、音楽というよりインスタレーションの方向に進んでいたからだと。

あの時代だからこそできたプリミティヴな良さを感じます。今だと躊躇してしまうようなこともやってしまっている。自動演奏の見せ方からも、本能のままに出来上がったものをそのまま披露したというようなピュアさを感じるんです。

藤田:それは僕も思います。今や世界中でさまざまなインスタレーションが行われていて、それなりの歴史や文脈が形成されているので、その後に新しく制作するとなると、いろいろなことを気にして作家のピュアな部分が薄まってしまうことが多い。

日野:やっぱり非アカデミックな場所で活動し続けたからこそそうした表現になったのかなと。それはとても共感できるポイントですね。実は僕、最初はヨシ・ワダのことをアカデミック寄りの人間だと思っていたんですよ。「これがいわゆる現代音楽のドローンか!」と思って聴いていたんですけど、来歴をいろいろと知っていく中で非アカデミックなアーティストだということがわかった。アカデミックなアーティストの場合は、あらかじめ方法論がしっかりと決められているというか、まずは外枠を設けてそれからディテールを詰めていくことが多いと思うんですが、そうしたやり方はアプローチとして新しかったとしても、必ずしもおもしろい音が生まれるとは限らない。ヨシ・ワダは反対に、外枠を気にせずとにかくいろいろと試して「これだ!」と感じたところをひたすら突き詰めていく。そうした非アカデミックな姿勢が信頼できるなと思いますし、だからこそ現代音楽のリテラシーがなくてもリスナーの心を奪うことができるんじゃないかな。

藤田:自作楽器を作るということもそうした非アカデミックな姿勢の結晶だと思います。だから僕もすごくシンパシーがありますね。やっぱりDIY精神なんですよ。ヨシ・ワダは渡米してから配管工として働いていたじゃないですか。つまり自作楽器を作るためにパイプを用意したというより、まずもって身近なものとしてパイプがあった。そうしたありあわせの道具や仕事で得た知識を駆使して自作楽器を作っていったと思うんです。僕が楽器を自作する時も同じで、基本的にはホームセンターで買える材料だけで作っていて、手の届く範囲にある身近なものを使ってなんとかヴィジョンを実現しようとしてきたんですね。もちろん失敗することも多いですが、既成の洗練された楽器とは違って、うまくいけば一音が鳴るだけで説得力を持つような楽器を生み出すことができるんです。

リスナーの意識を浮き彫りにするドローンのおもしろさ

——ヨシ・ワダの音楽をはじめ、ドローン・ミュージックは「一音が延々と続く」という点が大きな特徴となっています。あまり親しみのないリスナーからしたら変化が希薄で退屈に感じてしまうかもしれませんが、こうしたドローン・ミュージックの魅力はどのようなところにあると感じますか?

藤田:僕は「一音が延々と続く」ということ自体に魅力があるとは思っていなくて、そうした特徴そのものは普通の感覚なら当然飽きてしまう。それよりも、シンプルな要素だけを延々と続けた結果、時間をかけて1つの扉を抜けていくみたいな体験に価値があるのかなと。そういう体験をもたらすためのアプローチの1つがドローンであり、それはフレーズを反復するミニマル・ミュージックも南米のアヤワスカ儀式の音楽も同じだと思っています。ものすごくシンプルなルールで何か1つやり遂げることにおもしろ味があって、それはリスナーをある種のトランス状態に持っていくことにもなる。ドローンの魅力はそうしたところにあるんじゃないかと。

日野:そうだね。それとどんなシチュエーションで聴くかも重要だと思います。ライヴであれば、少なくとも僕がやる時はトランスへと向けた音楽だと捉えているから、ドローンはそのための1つの方法論になる。けれど家にいる時にドローンの録音作品を流すだけだとライヴのようなトランス感は得られなくて、あくまでもBGMとして機能するにとどまってしまう。もちろん家で聴く場合でも、時間をかけて集中力を持続させて作品と向き合うことができたらトランスの体験を得られるとは思いますが。

藤田:ライヴの方がやりやすいというのはありますよね。その場にい続けなければならないという強制力もありますし。

日野:「INTERDIFFUSION」の最初の通し稽古が終わった後のみんなの感想もおもしろかったんです。「1つの楽器、1つの音のディテールに入り込んだと思ったら、俯瞰的に全体を見ているような感覚もあった」という意見があって、そういった感覚の移り変わりがあるというか。

藤田:それもドローンの特徴と言えそうです。音楽の要素が極端に少ないので、やっぱりリスナー側の意識が働くことになる。

日野:内面にどんどん迫っていく感じがあるとも言えます。「夢を見ているようだった」と表現した人もいて、それは本当にそうだと思いました。意識の内側に入り込むこと自体がトリビュート・イベントを通じた1つの目標にもなっていたので。

藤田:意識の内側に入り込むということは、集中力が途切れることともセットになっているんですよね。人によっていろいろなことが意識の中にあるとは思いますけど、例えばドローンのライヴでは音を聴きながら、ふと集中力が途切れて日常生活や仕事のことを考え始めてしまうことがある。けれどしばらくしたらまた音に耳を傾けていく。そうした外界で鳴っている音と内面にあるものの間を意識が行き来するような体験をもたらすので、ドローンのライヴにはリスナー側のディテールがどんどん浮き彫りになっていくおもしろさがあると思うんです。

日野浩志郎
goat、bonanzasのプレイヤー兼コンポーザー。ソロプロジェクトとして電子音楽やフィールドレコーディングなどをカセットデッキでコラージュする「YPY」の活動を行っており、方向性はダンスミュージックや前衛的コラージュ/ノイズと多岐にわたる。多数のスピーカーや演奏者を混じえた全身聴覚ライブ「GEIST」の作曲、演出も行う。国内外のアンダーグラウンドミュージシャンのリリースを行うカセットレーベル「Birdfriend」、コンテンポラリー/電子音楽をリリースするレーベル「Nakid」主宰。
Instagram:@po00oq

FUJI|||||||||||TA
自作パイプオルガンや声、水等によるソロ・パフォーマンスを軸に、イントナルモーリの制作やサウンド・インスタレーション、映画音楽、ダンス作品の音楽等を手掛ける。ソロ活動を中心に、EYƎ (ボアダムス)とのコラボレーション舞台「メモリーム」や、山川冬樹との公演「カントリー・ジェントルメン」など、コラボレーション・ワークも多数。映画音楽やアニメーション音楽の制作、サウンド・インスタレーションといった展示活動など、あらゆる領域で作品を発表する。2021年にロンドンの33-33より『NOISEEM』をリリース。
Instagram:@fujilllllllllllta

■INTERDIFFUSION A tribute to Yoshi Wada
今後の展開として、トリビュートコンサートを撮影した映像作品(2022年5月)、ライブ音源(時期未定)を発表予定。
Instagram: interdiffusion.yoshiwada

Edit Jun Ashizawa(TOKION)

author:

細田 成嗣

1989年生まれ。ライター、音楽批評。編著に『AA 五十年後のアルバート・アイラー』(カンパニー社、2021年)、主な論考に「即興音楽の新しい波──触れてみるための、あるいは考えはじめるためのディスク・ガイド」、「来たるべき「非在の音」に向けて──特殊音楽考、アジアン・ミーティング・フェスティバルでの体験から」など。国分寺M'sにて現代の即興音楽をテーマに据えたイベント・シリーズを企画、開催。 Twitter: @HosodaNarushi

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