知られざる韓国の食文化とソロ活の流儀

伊東順子
編集者、翻訳者。愛知県生まれ。1990年に訪韓し、翻訳・編集プロダクションを運営する。2017年に「韓国を語らい・味わい・楽しむ雑誌『中くらいの友だち——韓くに手帖』」(皓星社)を創刊。著書に『韓国 現地からの報告』(ちくま新書)、『韓国カルチャー』『続・韓国カルチャー』(集英社新書)、訳書にイ・ヘミ著『搾取都市、ソウル』(筑摩書房)などがある。また、解説を担当した書籍にチョ・ナムジュ『82年生まれ、キム・ジヨン』(筑摩書房、斎藤真理子訳)がある。

韓国のドラマや映画では食事のシーンも多く、ついつい食欲が刺激されることも少なくない。名作に登場した食事を再現するレシピは「韓国ドラマ 食事」と検索すれば大量に見つけられ、書籍も多く刊行されている。なぜ、韓国ドラマや映画には食事のシーンが多く登場するのだろうか?

伊東順子による『続・韓国カルチャー 描かれた「歴史」と社会の変化(以下、続・韓国カルチャー)』(集英社新書)にその答えの一端がある。同書は韓国のエンターテインメントを通じて社会変化を考察する中で、人気作品に登場する食事が意味する背景を詳細に記している。韓国をテーマにした著作を多数持ち、長年にわたり日本に韓国文化を伝えてきた伊東に韓国の食文化と歴史を通じて、近年増えている1人旅や食事、さらに海外で生きるコリアン・ディアスポラの思想までを語ってもらった。

「おいしい」を巡る、食べ方と生き方

--韓国の映像作品を見ていると食事をするシーンが多く、嬉しい時も、悲しい時も「まずはご飯から」という印象がありますが、日常のどんなシチュエーションでも食べることが重要視されているのでしょうか?

伊東順子(以下、伊東):韓国人にとって、空腹はものすごく不幸な状態であり、またそれほど食べることが重要だと考えられています。例えば、仕事の席でも常套句として「食事をしましたか?」と聞く習慣があります。もちろん挨拶ですが、食べていない場合、どんなに忙しくても食事に誘われます。その背景には、1960年の朝鮮戦争の影響から、韓国は世界の最貧国の1つであり、経済状態は北朝鮮よりも悪かったといわれていたことも理由の1つです。

--韓国料理といえば、ナムルやたくさんの小皿料理を皆で一緒に食べる様子が浮かびます。一方で、日本では1人で食事をすることは「ソロ活」と呼ばれて注目されています。韓国では1人で食事をすることに先入観はありますか?

伊東:韓国では2000~2010年にかけて、日本のドラマ「孤独のグルメ」と「深夜食堂」が大ヒットしてから、1人で食事をすることも増えてきています。1人で気ままに食事をして、旅を楽しみたいという理由で日本に行く人も多いようですし、韓国の食事の仕方も変化していると思います。まだ、年功序列の傾向が高いため、大勢での食事は若い韓国人にとって気を使うことでしょうし、割り勘の習慣がないので、常に年長者が支払うという煩わしさもある。だからこそ、たまには1人でゆっくり食事をしたいと感じるのでしょう。

かつては中華料理店が気軽に1人で食事ができる場所

--日本では昔から定食屋など、1人で食事を済ませやすい飲食店が多くあります。韓国ではどうでしょうか?

伊東:過去には中華料理店が1人でも入りやすい場所でした。昔の韓国は外国人が少なかったため、身近な外国料理といえば華僑経営の“町中華”くらいしかありませんでした。ある意味で「治外法権状態」というか、「韓国文化圏外」だったため、1人で食事をしていても後ろめたさが全くありませんでした。

それとともに中華料理は「ハレの日のごちそう」的な意味合いもありました。中高年は幼い頃に誕生日等に炸醤麺を食べた思い出がある人が多いですね。他の国と同じく、韓国でも家族の食事は母親が作ることが多かったですが、中華料理は母親が作れないスペシャルな料理でした。今では世界中の料理が食べられるので、これといった一品はないと思います。小さな子どもにはピザとかチキン等が人気ですが。昔と今では、韓国人にとって外食のイメージに違いがありますね。

--日本料理店はあったのでしょうか?

伊東:1963年から1979年の朴正煕元大統領が日本料理好きだったこともあり、昔から日本料理店はたくさんありました。朴元大統領は、日本から寿司を空輸していたという噂があったほど、日本食好きだったと言われています。でも、日本料理店は接待料理として知られていたため、気軽に誰もが行ける店ではありませんでした。そういった状況で、中華料理店ではうどん、オムライスといった「洋食(庶民的な日本食)」も食べられました。それから1990年代には焼き鳥や炉端焼きなどがブームになりました。

おいしいだけではない、土地や風土に根差した食文化

--著書には、韓国人の料理にまつわる思想や思い出が綴られているものも少なくありません。『続・韓国カルチャー』で、韓国映画『リトル・フォレスト 春夏秋冬』について言及されている項では、日本の「すいとん」にあたる「スジェビ」について「韓国の人はスジェビが大好きで、真冬の寒い日もそうだが、季節に関係なく、雨が降るとスジェビを食べるという人も多い」と書かれています。ご自身にとって思い入れのある韓国料理を1つ挙げるとしたらなんでしょうか?

伊東:冷麺ですね。韓国には冷麺にこだわる人がとても多いのです。そもそも韓国の冷麺店は解放後に北朝鮮出身者が始めたものです。今もソウルで老舗といわれる冷麺店の多くは、北朝鮮出身の創業者によるものです。韓国人の友人の中には、幼少期の思い出として父親に連れられて行って食べた平壌冷麺の話をしてくれる人がいます。北朝鮮出身者以外の人達にも冷麺はこだわりの一品です。東京の人にとってのそば屋のようなイメージでしょうか。

--韓国料理はヘルシーなイメージがあるように感じます。どのような思想があるのでしょうか?

伊東:韓国人は基本的に健康志向で「土地のものをその土地に合った方法で食べる」という身土不二の考え方を持っています。元々日本にもある考え方ですが、ビーガンやプラントベース等とは異なる食の考え方です。中国人も同じですが、「医食同源」の思想から食べ物は体に良くなければいけないと同時に、自国の伝統食が最も自分達に適していると考えた結果でしょう。

--韓国料理といえばニンニクのイメージがありますが、何か特別な意味があるのでしょうか?

伊東:高麗時代に編まれた『三国遺事』に収録されている建国神話「檀君(タングン)神話」には、ニンニクとヨモギを食べて熊が人間に生れ変わった話があります。人間になった熊が、天帝の息子と通じて建国の祖を生み、国が誕生したと言われているように、韓国ではニンニクとヨモギは大切な食べ物です。韓国人はニンニク以外にヨモギもよく食べますし、韓方として伝統的な健康や美容のために取り入れられています。逆に唐辛子が普及したのは18世紀以降といわれています。

--というと、元々韓国料理は辛くなかったということでしょうか?

伊東:李朝時代(1392〜1876年)のキムチは辛くありませんでした。今も伝統的な宮廷料理のコースでは唐辛子はほとんど使われていません。元々ニンニクを食べる文化があったところに唐辛子が入ってきて、その相性がとても良かったことから徐々に韓国料理が辛くなっていきました。今のような辛い料理の普及は朝鮮戦争後といわれています。特に最近は韓国の食の専門家が韓国料理の辛さを行き過ぎだと警告するほどで、私が初来韓した30年前に比べても、年々辛くなっていくように感じます。

韓国の力は海外に出て活躍する移民達との共創

--韓国を訪問した外国人観光客のトップは、日本からの観光客。一方で、日本を訪問した外国人観光客のトップは韓国からの観光客です。日本人の韓国での観光目的としてグルメは欠かせません。韓国人の日本への旅の目的はどのようなものなのでしょうか?

伊東:日本人の韓国旅行では、韓国料理や俳優、アーティスト等、目的がある場合が多いですが、韓国人は目的を持たずに日本旅行に行く人が多く、全都道府県を制覇するなど、リピーターもとても多い。佐賀を何度も訪れている韓国人の友人がいて、その理由を聞いたら佐賀空港だと言われました。佐賀空港で開設された最初の国際線が韓国らしく、開設記念キャンペーンで訪れたのが初めての日本旅行だったそうです。日本の地方空港では、最初の国際便が韓国というところがあり、最初に訪れた土地に特別な思い入れをもっている韓国人は少なくありません。先日、取材で対馬に行ったのですが、この地域には韓国からの移住者が大勢います。在住6年の60代の方に移住の経緯を聞いたら「ソウルの空気がきれいではなくなったから」と日本で暮らす理由を語ってくれました。

--韓国人は国外に親戚や友人を持つ人が多く、700万人のコリアン・ディアスポラがいると聞きます。伊東さんは、外国人移住者多い韓国で、世界を移動しながら韓国人がどのように生活してきたのか? 韓国史と世界史とが交差する、さまざまな人々の歴史を書く「移動する人びと、刻まれた記憶」の連載も開始されました。伊東さんはこれまでに韓国の政治、経済から文学、映画、ドラマをはじめ、教育現場や日韓の文化交流まで、韓国人の声を日常から聞き取って書いた多くの著作で知られています。今回、ディアスポラをテーマにした経緯を教えてください。

伊東:韓国の経済発展は世界的に注目されており、映画やドラマも世界中で注目を集めています。韓国のような同質性の高い国から、どうして世界で勝負できるトランスナショナルな文化が生まれるのか。そこにはコリアン・ディアスポラといわれる人々のバラエティに富んだ経験の蓄積があると思います。苦労や努力と成功の経験です。アメリカの原動力が入ってくる移民達の多様性とパワーによるものなら、韓国の力は海外に出て活躍する移民達とのコラボにあります。

社会には柔軟性と新陳代謝が必要だと思います。日本も入ってくる外国人の多様性から学ぶのと同時に、海外で生活する日本人の力をうまく生かせないものかと考えたりもします。

Photography Junko Ito

author:

NAO

スタイリスト、ライター、コーディネーター。スタイリスト・アシスタントを経て、独立。雑誌、広告、ミュージックビデオなどのスタイリング、コスチュームデザインを手掛ける。2006年にニューヨークに拠点を移し、翌年より米カルチャー誌FutureClawのコントリビューティング・エディター。2015年より企業のコーディネーター、リサーチャーとして東京とニューヨークを行き来しながら活動中。東京のクリエイティブ・エージェンシーS14所属。ライフワークは、縄文、江戸時代の研究。公式サイト

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